BWV 92 / 9. Choral

コラール 1. 「わが心 思い 神にゆだねたり」
BWV 92 / 9. Choral
(カンタータ第 92 番の基本コラール)
主旋律(ソプラノ声部)に注目してください
「コラール」は、バッハ時代に愛唱されたドイツ・プロテスタント教会の讃美歌。その第 1 節の冒頭の歌詞がコラールの呼
び名となります。この楽譜は、
「カンタータ第 92 番」の第 9 曲(最終曲)で歌われるコラールのもの。ソプラノの声部が主旋
律(コラール旋律)です。ご来聴いただく際は、この旋律にご注目(耳?)くださると面白いでしょう。合唱の心得のある方
は、どの声部の方もこの主旋律を覚えておいていただくことをお勧めします(冒頭 5 小節を反復します)
。
「カンタータ第 92 番」では、このコラールの以下の各節から、旋律と歌詞がそのまま引用されましたので、注意深くお聴き
いただくと、随所でこの旋律に出会うことになります。バッハの教会音楽とコラールについては、
「コラール 2」に多少くわし
く解説しました。
わが心 思い 神にゆだねたり Ich hab in Gottes Herz und Sinn
Paul Gerhardt 1647 / 大村恵美子 訳詞
[第 1 節]
[第 2 節]
[第 5 節]
わが 心 思い
われより 離れず
主の 知恵 さときは
神に ゆだねたり
主 われを 愛せば
限りもなし
悪すら わが 益(えき)
海に 落とさるるとも
時 ところ 定め
死も わが 生 なり
われを 鍛えんため
ゆくてを 導く
われは 天の み座を
揺れ動く [心] 労(いた)わり
喜び 悲しみ
開きし 主の 子
堅(かた)く 立たしむ
みな 益(えき)と なす
十字架 担いても
とどまらん 主の み手 [差し伸べ]
みわざ みな 正し
主の 愛は 変らず
天(あま)つ み国に
ただ 憂きと 見ゆれど
BWV 92/1
BWV 92/2
[第 10 節]
[第 12 節]
いざ 主よ ゆだねん
死の 道と
われを なが み手に
暗き 谷間を 行くとも
とりて 為したまえ
主 誘(いざの)う 小径(こみち)
終りの 時まで
われは 辿り 進む
み旨の ままに
主は わが 牧人(まきびと)
心の うちに
帰りつきなば
いよよ み栄えの
天つ み国にて
照りわたらん ことを
とわに 頌め歌わん
BWV 92/7
BWV 92/9
BWV 92/4
コラール2. 「イェス よろこび」
BWV 81 / 7. Choral
(カンタータ第 81 番、モテット第 3 番の基本コラール)
イェス よろこび Jesu, meine Freude
Johann Franck 1650
/ 大村恵美子 訳詞
[第 1 節]
[第 2 節]
[第 3 節]
イェス よろこび
みもとに より
いかに 猛き あだの
わが心の
勇みて われ
いかに 死の 淵の
輝きよ
向かいゆかん
来たるとも 来たれ
たえず 慕い
サタンよ 来たれ
地は ほろび 砕けよ
あこがれもて
あだよ 襲え
われは ここに 立ちて 歌う
主を 求む
主 立ちたもう
大いなる 安らぎもて
神の ひとり子
嵐 猛(たけ)りて
み力 支えたもう われを
なれを おきて 世に
よみの 脅すとも
大地も 奈落も 黙(もだ)さん
望むもの なし
イェス 護りたもう
いま なお どよめけど
BWV 227/1
BWV 81/7,BWV 227/3
BWV 227/5
[第 4 節]
[第 5 節]
[第 6 節]
去れよ 財(たから)
わかれん この世
うせよ 悲しみ
イェスこそ わが
はかなき 世に
喜びなる
よろこび
厭(いと)わしや
イェス 来まさん
去れよ 栄え
わかれん 罪よ
主の 民 には
われ 聞くまじ
明るみより
悩みすらも
その 誘(いざな)い
消えうせよ
益と ならん
なやみ 痛みも
わかれん 驕(おご)りよ
憂きに ありても
死も われを 主より
われは なれに 告げん
主なる イェスは なお
離すを 得じ
いざ さらば と
BWV 227/7
わが よろこび
BWV 227/9
BWV 227/11
バッハの教会音楽とコラールについて
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685-1750)のカンタータ(*)やモテット(**)、オルガン曲などの教会音楽は、「コラール」と
総称される、18 世紀に中部ドイツのプロテスタント教会で愛唱された讃美歌が土台となっているものがたくさんあります。コラー
ルは、古代や中世から歌い継がれたものをドイツ語に翻案した曲、16 世紀の宗教改革者たちの創作、その後のバッハ時代にいたる
までに詩人や牧師たちによって生み出された作品など、おびただしい数が残されています。典型的なコラールは、
「コラール 1」や
「コラール 2」で見るとおり、10 小節から 20 小節ほどで完結する、短くて素朴な旋律で構成され、ドイツ民衆の日常語たるドイツ
語の歌詞が何節にもわたって連なります。われわれの唱歌と同様、もとは 1 本の旋律のみで民衆によって歌われました。
バッハは、たとえば「カンタータ第 92 番」では、世にある無数のコラールの中から、与えられたテーマにふさわしいコラールを
選択し、その中の詩節をいくつか特定して、旋律を活かしつつ、合唱曲や語り(レチタティーヴォ)
、あるいはアリアなどの形式に
料理しました(コラール 1)
。あるいは「カンタータ第 81 番」のように、歌詞内容の結論とすべき位置に、もっとも説得力のあるコ
ラールを探し出し、さらにその最適な詩節を選択して、素朴で簡素な 4 声体の合唱コラールの姿に仕上げて配置します。第 81 番で
選択されたこの同じコラール(コラール 2)は、
「モテット第 3 番」ではさらに重要な役割をにないました。第 1 節から第 6 節(最
終節)までを順番どおりにならべ、そのあいだに新約聖書「ローマ書」の非常に高度な神学的聖句を挟み込んで、対話させつつ、
ついには人生の究極の喜びについてのメッセージを歌いあげてしまいます。
このように、バッハの教会音楽にあっては、コラールの存在は本質にかかわる重要性をもっています。このたびの南相馬公演に
あたり、あらかじめ皆さまに、上演曲の基本となるコラールの楽譜をお配りした意図をご了解いただけたのではないでしょうか。
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あの‘かつら’のいかめしいバッハ様が、親しいバッハさんになって、皆さまの共感を得ることができれば幸いです。
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*)「カンタータ」・・・ 広くは、器楽で奏でる(sonare)「ソナータ」に対し、歌う(cantare)曲一般を指した。ドイツのバロック音楽の中では、プロテス
タント教会の礼拝に供されたものを称し、年間の教会の暦にあわせて歌詞のテーマが定められている。合唱(バッハ時代は少年合唱団)、独唱、管
弦楽などからなり、レチタティーヴォ(語り)とアリアの様式なども取り込んで総合音楽となった。バッハ作品は 200 曲ほどが現存する。
**)「モテット」・・・ 中世フランスで、既存の旋律に「ことば(mot)」をあてはめたモテトゥス(motetus)に由来。ルネサンス時代に宗教的な歌詞をも
った声楽曲として多様な発展をした。バッハのモテットでは、カンタータと異なり、歌うのは合唱にかぎられ、器楽も合唱声部の補強程度(あるい
は無伴奏)にとどまり、独立した各声部の「ことば」の動きとして展開される。