1 2014 年度日本文化人類学会近畿地区研究懇談会・博士論文・修士

2014 年 度 日 本 文 化 人 類 学 会 近 畿 地 区 研 究 懇 談 会 ・ 博 士 論 文 ・ 修 士 論 文 発 表 会
日時:2015 年 3 月 21 日(土)午前 11 時 45 分~午後 5 時 45 分
場所:国立民族学博物館:第 4 セミナー室および第 5 セミナー室
〒565-8511 大阪府吹田市千里万博公園 10-1
http://www.minpaku.ac.jp/
研究発表終了後、交流親睦会を国立民族学博物館内でおこなう予定です。
・修士論文ならびに博士論文発表者の持ち時間は以下の通りです。
・博士論文発表者:発表時間 20 分、質疑応答時間 20 分、演者交代(入替)時間 5 分
修士論文発表者:発表時間 20 分、質疑応答時間 5 分、演者交代(入替)時間 5 分
・予鈴は、開始後 15 分 1 鈴、 18 分 2 鈴、 20 分 3 鈴です。
・座長は入れ替え時間の前半を討論として使ってよいが、次席開始 2 分前には必ず終了
させること。
問い合わせ先
・近畿地区研究懇談会担当理事 岡田浩樹
・〒657-8501 神戸市灘区鶴甲 1-2-1 神戸大学大学院 国際文化学研究科
・ Email:[email protected] 1
プログラム
時間
第 4 セミナー室(A)
第 5 セミナー室(B)
11:45~12:00
キックオフスピーチ
キックオフスピーチ
12:00~12:30
A・1:吉村美和・よしむらみわ
B・1:古山裕基・こやまひろき
「民族浄化の経験と記憶:コソ
「異文化間介護の現場から現代
ボ紛争におけるアルバニア人の
日本のケアを考える」
(京都文教
視点から」(京都大学・修士)
大学・修士)
A・2:増木優衣・ますきゆい
B・2:景山千愛・かげやまちあ
「現代インドのダリト差別と水
き
洗トイレ普及運動:ラージャス
「病の構築と正統性付与の語り
ターン州における清掃人カース
に関する社会学的研究」
(京都大
12:30~13:00
トの事例から」
(京都大学・修士) 学・修士)
13:00~13:45
A・3:窪田暁・くぼたさとる
B・3:直井里予・なおいりよ
「「野球移民」を生みだす人び
「北部タイにおける HIV をめぐ
と:ドミニカ共和国におけるト
る関係のダイナミクスの映像ド
ランスナショナル移民研究」(総
キュメンタリー制作:リアリテ
合研究大学院大学・博士)
ィ表象における映画作成者の視
点」(京都大学・博士)
13:45~14:15
A・4:笠井みぎわ・かさいみぎ
B・4:広尾克子・ひろおかつこ
わ
「ズワイガニの発見と流通:浜
「祈りの手刺繍:日本聖公会の
から都市へ、そしてまた浜へ」
教会刺繍をめぐる考察」(京都文
(関西学院大学・修士)
教大学・修士)
14:15~14:45
[珈琲ブレイク]
14:45~15:30
A・5:Sauced-Segami, Daniel Dante・ B・5:佐久間香子・さくまきょ
サウセド セガミ ダニエル ダンテ「My
うこ
Huaca:
「中央ボルネオにおける内陸交
Heritage
The
in
Use
of
Modern
Archaeological
Peru
from
a
Public-Archaeology Perspective」(総合研
2
易拠点の歴史的形成と変化」
(京
都大学・博士)
究大学院大学・博士)
15:30~16:00
A・6:金南咲季・きんなんさき
B・6:浅田静香・あさだしずか
「コンタクト・ゾーンにおける
「ウガンダ都市部における有機
「共生」の生成:外国人学校と
ごみから作られた調理用燃料の
地域社会の関係構築過程から」 潜在力:廃棄物処理,食生活と
(大阪大学・修士)
調理法の視座から」(京都大学・
修士)
16:00~16:30
A・7:姜小友莉・かんさゆり
B・7:中澤芽衣・なかざわめい
「在日コリアンの国籍に対する
「ウガンダ南西部の農村におけ
認識の変化:1990 年代以降に生
る生計活動の多様化と女性の役
きる在日コリアンを事例とし
割」(京都大学・修士)
て」(神戸大学・修士)
16:30~17:00
17:00~17:45
A・8:郭凌・かくりょう
B・8:宮木和・みやきやすし
「在日華僑華人社会の同業団体
「タンザニア北部・エヤシ湖岸
についての考察:神戸地域の華
のダトーガ牧畜社会における土
僑華人料理同業団体の事例を中
地の囲い込みの拡大に関する研
心に」(神戸大学・修士)
究」(京都大学・修士)
A・9:園中曜子・そのなかよう
B・9:堀田あゆみ・ほったあゆ
こ
み
「トルコ共和国におけるヴィジ
「モンゴル遊牧民のモノの情報
ュアル公共圏の成立と展開:複
をめぐる交渉に関する民族誌」
合社会をつなぐ承認と共感のコ
(総合研究大学院大学・博士)
ミュニケーション」(京都大学・
博士)
3
第 4 セミナー室 (A 会場) 4
12:00-12:30 第 4 セミナー室:A-1
民族浄化の経験と記憶
−−コソボ紛争におけるアルバニア人の視点から−−
吉村 美和・よしむら みわ
京都大学大学院人間・環境学研究科
旧ユーゴスラビア紛争の一環であるコソボ紛争は、「民族浄化」と称される、他者を排除
することを名目とした大量虐殺を端とする残虐行為が横行した凄惨なものであり、その遺
恨は、今なおコソボにおいて民族集団間の関係修復にとって深刻な障害になっている。人
間が、自他を弁別して互いを排除しあう暴力的な分節化の過程において、現地の人々がど
のように生きたのか、そして、その過去を、忘却も含めてどのように保有しながら、現在
を生きているのか。これらの問いを、バルカンの地域的・文化的文脈に布置して検討し、
「記
憶」、「想起」を鍵概念としながら答えていくことを目的として、発表者は修士論文を執筆
した。
修士論文では、特にセルビア人からアルバニア人に対して揮われた「民族浄化」の記憶
を扱っている。発表者は、コソボにおけるアルバニア人家庭で、およそ5ヶ月にわたる現
地調査を行い、主に参与観察と聞き取りによってコソボ紛争の記憶に関するデータを収集
した。紛争の経験を日常から切り離された遠い出来事としてではなく、現地の人々の生活
から地続きのものとしてとらえ、暴力と喪失を経験した世界において、その経験が人々の
なかでいかに組織化されていくのかを、彼らの記憶から辿り、その組織化の一端を記述す
ることを試みた。それによって、社会集団やエスニシティが創造あるいは構築されたもの
だということを銘記しつつも、創出されたそれらの概念が、現実において、人間にどのよ
うな意味をもたらしているのかを、僅かながらも考察することができた。
本発表では、発表者が現地調査で収集した、紛争の記憶にまつわる語りとその分析例を
紹介する。また、論文全体の理論的な視座にも触れながら、修士論文の概要を述べていき
たい。
キーワード:民族浄化、ジェノサイド、紛争の記憶、コソボ、アルバニア
5
12:30-13:00 第 4 セミナー室:A-2
現代インドのダリト差別と水洗トイレ普及運動
ラージャスターン州における清掃人カーストの事例から
増木 優衣・ますき ゆい
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程
本研究は、現代インドにおける被差別民(ダリト)差別に関し、水洗トイレ普及運動を
通じて、地域社会における差別的社会関係は、いかに変容しつつあるのかを明らかにする
ことを目的とする。具体的な問いは次のとおりである。①水洗トイレの普及そのものがケ
ガレに基づく清掃人カースト差別に与えた影響、②清掃人カーストの社会経済的地位向上
が地域における社会関係へ与えた影響、③実践レベルでの清掃人カースト差別の再生産と
変容をめぐる相互交渉の展開プロセス、を明らかにすることである。
この問いを明らかにするために、地域社会における日常生活のなかで構築される社会関係
というミクロな視座への、構造と実践の双方からの接近を試みた。そして、ダリトのなか
でも社会経済・文化的側面からその最下層に位置づけられてきた歴史を有し、近隣世帯の
乾式トイレの屎尿処理に従事してきた清掃人カーストの解放を試み、水洗トイレ普及と彼
らへの職業訓練を行う民間組織(NGO)の諸活動に着目した。
文献研究と現地調査の双方から検証した問いに対する答えは、次のとおりである。
①水洗トイレの普及そのものは、清掃人カーストの解放には直結せず、雇用関係は温存さ
れたままであり、屎尿というケガレから比較的自由な労働環境へ移行したにも関わらず、
清掃人カーストの人びとは雇用主からケガレに基づく差別的待遇を受けてきたことが判明
した。
②NGO による職業訓練を通じて、清掃人カーストの社会経済的地位向上はある程度達成さ
れたものの、社会経済的地位向上が、地域社会における差別的な社会関係の変革を直接的
に保証しはしなかったことがわかった。
③日常の生活世界では、ダリト差別/平等をめぐる構造の意味解釈・翻訳を通じた相互交
渉が、インター・パーソナルな関係を基盤として展開されている。そこでは各様の立場の
人びとが、構造レベルではそれぞれの意味世界の内容を知りながら、そして実践レベルで
は親密な関係を維持し、互いを尊重し合いながら、それぞれの意味世界と自己反省的に向
き合っていることが示唆された。
キーワード:清掃人カースト、水洗トイレ、差別、構造、実践
6
13:00-13:45 第 4 セミナー室:A-3
「野球移民」を生みだす人びと
-ドミニカ共和国におけるトランスナショナル移民研究-
窪田 暁・くぼた さとる
国立民族学博物館・外来研究員
本発表の目的は、ドミニカ共和国(以下、ドミニカ)からアメリカに渡る野球選手(「野
球移民」)の存在に注目し、彼らの移住経験をとおして浮かびあがるドミニカの人びとの生
活世界を、「野球移民」と送り出し社会の人びとの相互交渉に着目して明らかにすることで
ある。
1990 年代以降、欧米のプロ・スポーツ界を中心にアフリカ、中南米出身の外国人選手の
活躍が目立つようになった。この「スポーツ移民」とよばれる人びとが誕生する背景には、
急速に拡大するグローバル化の影響があり、プロ・スポーツ界も安価な人材を発展途上国
に求めはじめたからである。しかしながら、これまで、彼らを送りだす社会の側に軸足を
おいて、「スポーツ移民」の発生要因を出身社会の文化との関わりから検討されることはな
かった。従来の研究では、「スポーツ移民」が誕生する社会の人びとの生活世界を詳細に検
討することなく、経済的指標によって移民送り出し社会を貧困と設定することで、豊かな
「北」と貧しい「南」という二分法の枠組みのなかで発生要因を説明することに終始する
傾向があった。
ドミニカ野球の研究においても、プロ・スポーツのグローバル化を世界経済システムの
文脈に位置づけ、「中核(アメリカ)」による「周辺(ドミニカ)」の経済と文化の包摂であ
るという分析がなされてきた。また、近代スポーツをめぐる人類学的研究は、外来のスポ
ーツが当該社会に根づく過程に注目し、それを土着化という用語で一面的に分析するのが
主流であった。しかし、いずれの研究も「スポーツ移民」と彼らを送りだす社会の人びと
との、伝統的な規範や価値観にもとづく相互交渉については注目してこなかった。こうし
た問題意識にもとづき、本発表では以下の課題を設定した。ひとつめは、「野球移民」の移
住要因を現在の世界経済の諸相に着目して明らかにすること。もうひとつは、野球という
近代スポーツとドミニカ社会の親和性に着目し、「野球移民」の発生要因を明らかにするこ
とである。具体的には、①ドミニカ国内に存在するMLB(メジャー・リーグ・ベースボ
ール)を頂点とした野球選手のリクルート・システム、②ドミニカンヨルクとよばれる在
米ドミニカ移民と出身社会のバリオ(地域共同体)の関係性、③その関係性を規定するバ
リオ中にはりめぐらされたクーニャ(パトロネージ:垂直的な扶養義務システム)のネッ
トワークをとりあげ、「野球移民」の移住経験をとおして浮かびあがるドミニカの人びとの
生活世界について考察をおこないたい。
キーワード:「野球移民」、ドミニカンヨルク、クーニャ、バリオ、トランスナショナリズ
ム
7
13:45-14:15 第 4 セミナー室:A-4
祈りの手刺繍
日本聖公会の教会刺繍をめぐる考察
笠井 みぎわ・かさい みぎわ
京都文教大学大学院修士課程
研究の目的
本研究で取り上げる日本聖公会の教会刺繍は、多くの場合、聖職者がその制作にかかわるカトリックの
教会刺繍と異なり、主に一般の女性信徒たちによって行なわれている。しかし、近年後継者不足の問題が
浮上している。本論文のテーマは、極力機械を使わず、手のみを用いて作られる教会刺繍制作に着目し、
近代の消費社会における手仕事の位置づけを民族誌的に捉えることにある。また、本研究の目的は、日本
聖公会の教会刺繍制作の後継者不足の原因究明に着手し、作り手にとっての信仰表象に、手が果たす役割
について考察することである。手仕事に関する研究は、これまでにも民藝研究をはじめ数多くの蓄積があ
るが、刺繍や教会刺繍を扱った研究は多いとは言えず、聖公会の信徒や教会刺繍を対象とした研究もほと
んどない。従って本論文の意義は、これまで刺繍研究においてもキリスト教研究においてもほとんど注目
されてこなかった聖公会の信仰と手仕事について、教会刺繍を作る側の視点から、民族誌的記述を残すこ
とにより、新たな側面に光をあてることができることにある。
研究の内容
本研究の FW 調査に関しては、主に京都の M 教会を中心に、東京及び神奈川の教会や修道院が運営する
3 つの「刺繍の会」でそれぞれ調査を行なった。その結果、教会刺繍制作の後継者不足の要因は、制作を
行なう上での、年齢層による「手」への意識のずれにあると考えるに至った。まず、
「刺繍の会」の大部分
を占める 60 代以上の信徒は、決して機械を使わず、
「手」のみを用いて教会刺繍を制作することによって、
消費とは切り離されたところに、自分たちの教会刺繍を位置づけようとしていた。また彼女たちは、
「見せ
ない」「売らない」「美しさ」を求めないという規定を確立し、それを墨守することによって、自分たちの
信仰の軸から、自分たちの教会刺繍がずれないようにしていた。一方、20 代〜40 代の若年層の信徒達は、
実際には Photoshop や illustrator などのコンピューターを用いて教会刺繍を制作していても、自分達の「手」
を用いた手仕事であるという意識を持っていた。また、若年層は 60 代以上の信徒とは対照的に、自分たち
の教会刺繍を「見せる」ということに比較的抵抗が少なく、また、後継者不足を打開するために、教会刺
繍をインターネットで開示し、新たな教会刺繍の作り手を獲得することにも積極的に動き出そうとする様
子が見られた。
こうした「手」の意識の違いの背景には、近代に確立した主婦の手仕事としての刺繍には道徳的意味が
付与されていたことと、現代における女性の手仕事にはアイデンティティや自己実現の意味が付与されて
いることがある。これが、年齢層による意識の分断をもたらしているものと思われる。
「手」と信仰の結び
つきによって継承されてきた教会刺繍は、こうして、手の神聖性をめぐる意識の変化や手と信仰の結びつ
きについての解釈の違いを背景とした後継者不足によって、岐路にたたされている。
キーワード:アーツ・&・クラフツ、機械と人間、祈りと手仕事、近代家庭イデオロギー、消費社会
8
14:45-15:30 第 4 セミナー室:A-5
My Huaca: The Use of Archaeological Heritage in Modern Peru from a
Public-Archaeology Perspective
SAUCEDO SEGAMI Daniel Dante・さうせど・せがみ・だにえる・だんて
国立民族学博物館
My research is a study on the modern use and value of archaeological remains in the
north coast of Peru, particularly in the area related to the Poma Forest in the
Lambayeque Region. This area is rich in archaeological remains, and efforts to engage
local population into the protection of these remains have been carried out by
archaeologist. While some of these initiatives have been more successful than others,
the problematic around the property of land in this area and the different use given to
archaeological remains or the land where they are located have made the interaction
between archaeologists and other stakeholders very complicated.
In order to study the relationship between archaeologists and different stakeholders,
this research aimed to identify and analyze the different perspectives towards
archaeological remains in this area using the approach of Public Archaeology. In this
presentation, the results of this analysis will be introduced to critically discuss the role
of archaeologists for society, as well as to present the problems around the concepts of
patrimonio (heritage), its puesta en valor (revalorization) and uso social (social use).
キーワード:Public Archaeology, Heritage, Andes Archaeology
9
15:30-16:00 第 4 セミナー室:A-6
コンタクト・ゾーンにおける「共生」の生成
外国人学校と地域社会の関係構築過程から
金南 咲季・きんなん さき
大阪大学大学院 人間科学研究科
日本社会における多民族・多文化化の進行や排外主義的なナショナリズムの高揚は、地域における異質
な他者との「共生」を深刻な課題として提起している。本研究の目的は、地域社会における「共生」の生
成要件を、ある外国人学校と地域社会の関係構築過程を事例に検討することである。ただしその際、
「共生」
を日常生活の次元に限定して捉えようとする問題意識では、制度・構造的な改変やマジョリティの変容に
迫ることのない内閉的な議論に終始する危険性がある(松宮 2012)。そのため本研究では、
「生活共生(=
日常生活次元の共生)」の生成過程において、「システム共生(=制度・構造的次元の共生)」(小内 1999)
につながる萌芽がいかにして立ち現れてくるのかについても加えて考察を行う。
本研究では、以上の問いに答えるべく、外国人学校と地域社会が関係を築いていく空間を「コンタクト・
ゾーン(contact zone)」
(Pratt 1992)と捉え、そこで展開される動的な関係構築過程を追っていく。コン
タクト・ゾーンは、
「地理的にも歴史的にも分離していた人々が接触し継続的な関係を確立する空間」
(Pratt
1992:4)と定義され、非対称な関係にある主体間の相互作用的な次元を際立たせる記述視点である。本研
究では、こうした視点を用いることで、混住化が進む地域社会においてみられる複層的な接触や、マジョ
リティ/マイノリティの構図では捉えきれない権力関係の把握を試みた。調査地は、新興のコリア系外国
人学校 T 校と、その周辺にある、同和地区を含み多様な社会・文化的集団が集住する「地域社会」を対象
とした。使用するデータは、筆者が 2013 年 4 月から 2014 年 11 月にかけて行ったフィールドワークと、
関係者計 18 名に対する半構造化インタビューから得られたものである。
報告でははじめに、T 校が 2007 年の校舎建設時に直面した、一部地区住民からの反対運動を取り上げ、
接触段階において「排除」が生じた理由について検討する。続いて、その翌年無事開校を迎えた T 校が、
徐々に地域社会と「生活共生」を築いていく様子を、両者の象徴的な交流や接触を取り上げながら追って
いく。具体的には、T 校が地域の主要な集団や公立小中学校、地域教育協議会などと協働的実践を展開し
ていく一連の過程や、地域の日本人の子どもが T 校に通い始めることによって生じた T 校や地域の変化な
どを確認する。
さらに、本研究の第二の問いとして設定した「システム共生」が立ち現れてくるメカニズムについても、
当事者から立ち上がってくる実践や言説使用に着目して検討を行う。具体的には、マイノリティを中心と
する地域社会の人々が、①日常生活世界における「生活共生」を資源に、
「多文化共生」言説を協働的に創
出し、②その言説をもって、行政やマジョリティに、支援や改革の必要性を友好的かつ説得的に訴えてい
く「戦術」をとることで、③マイノリティの地位や権利の回復、マジョリティの意識や社会構造の変容と
いった「システム共生」の実現への道が拓かれていく可能性が示唆されたことを、事例とともに提示する。
キーワード:生活共生、システム共生、コンタクト・ゾーン、外国人学校、マルチエスニック・コミュニ
ティ
10
16:00-16:30 第 4 セミナー室:A-7
在日コリアンの国籍に対する認識変化
1990 年代以降に生きる在日コリアンを事例として
姜 小友莉・かん さゆり
神戸大学大学院 国際文化学研究科 文化相関専攻
本研究は、1990 年代以降、在日コリアン社会において国籍の意味合いに変化が生じたこ
とを明らかにするとともに、日本で生まれ育った在日コリアンが自分たちの国籍をどのよ
うに認識しているのかを考察したものである。
第一章ではヨーロッパと日本における国籍の概念や機能を歴史的及び法的な観点から考
察した。国籍とは人と国家を結ぶ法的な紐帯であり、近代国家の成立とともに誕生した。
第二章では在日コリアンが現在においても韓国籍を保持することになった歴史を考察し
た。1910 年の韓国併合に伴い、朝鮮人は日本国籍を保持することになったが、それは朝鮮
人を日本人として扱うためではなく、日本人が朝鮮人を管理するために付与された。終戦
後は 1952 年のサンフランシスコ講和条約を機に朝鮮人は日本国籍を失い、外国人として扱
われることになった。
第三章では在日コリアン社会の国籍をめぐる変化を考察している。戦後から 1980 年代頃
まで、在日コリアンは日本社会において国籍を理由に様々な権利から排除されてきた。そ
の過程で、在日コリアンは韓国籍をもったまま日本人と同等の権利を得ることを主張して
きた。在日コリアンにとって日本国籍とは、過去の記憶とつながるものであり、日本国籍
を取得することは宗主国であった日本に同化することを意味していた。それは韓国籍=民
族という言説を生み出し、帰化をした在日コリアンは批判の対象であった。一方、1990 年
代以降、日本で生まれ育ち、過去を直接知らない世代が増加していく。さらに帰化者や日
本人と在日コリアンの結婚も増加した。1980 年代までの在日コリアン社会における国籍に
対する認識に疑問が投げかけられるようになった。
第四章では、帰化者と韓国籍保持者のライフストーリーから、現在、在日コリアンの国
籍に対する認識はいかなるものであるのかを検討した。明らかになったことは、第一に、
在日コリアンは帰化及び韓国籍の維持に対して明確な理由を必ずしももっているわけでは
ないことである。第二に、在日コリアンであるという認識は、国籍に関係なく生活習慣か
ら形成されていることである。さらに、帰化をしてもしなくても、日本人にも韓国人にも
自分を位置づけることができない在日コリアンの中途半端な部分も明らかになった。また、
国籍の変更はルーツの否定だと捉える者がいる一方で、それらは別物であると捉える者も
見られた。在日コリアン自身がもつ国籍に対する認識が曖昧なものになってきていると言
える。さらに、日本社会及び在日コリアン社会が、在日コリアンをどのように受け入れて
いくのかが、今後の研究課題として残っている。
キーワード:国籍、帰化、植民地支配
11
16:30-17:00 第 4 セミナー室:A-8
在日華僑華人社会の同業団体についての考察
―神戸地域における華僑華人の料理業同業団体の事例を中心に―
郭 凌 ・かく りょう
神戸大学大学院 国際文化学研究科
本研究は、神戸地域における華僑華人の料理業同業団体を対象として、その形成期の状
況と現状との比較を通して、どのような変化があったのかを明らかにすることを目的とし
た。またそれと同時に、日本の華僑華人社会における、地縁、業縁の相互関係によって形
成された同業団体についての考察も行った。
研究方法としては、文献資料の拾集整理と併行しながら、インタビュー調査をし、それ
らを照らし合わせるという方法をとった。
本研究はまず、先行研究を検討した上で、神戸地域における華僑華人の状況の時代にと
もなう変化と、戦前と戦後の各地縁と業縁によって組織された団体の形成について整理し
た。戦前の地縁をベースにした神戸華僑華人団体の成立と戦後以降の団体の再建と変容に
着目した。戦前、神戸の華僑華社会が最尖端に中華会館、その下位に公所団体、最下位に
各手工業者団体が位置するピラミッドを構成していたということを明らかにした。料理業
同業団体は同業団体であると同時に、出身者同郷団体の下に置かれたことと、同業団体と
しての内部の成員相互扶助、及び対外交渉の機能を果したことを明らかにした。
それに対し、中華料理業に関わる華僑へのインタビュー調査を通して、戦後以降中華料
理業同業団体の現状及び特徴について検討した。「兵庫県中華料理業組合」、「兵庫県中華料
理業環境衛生組合」、「神戸中華料理加工組合」といったいくつかの中華料理業同業団体が
組織されたが、いずれの団体も現在は団結や共済といった機能を果たすには不可能の状態
に陥っていることが明にした。
神戸地域の事例を分析した上で、日本の華僑華人社会における同業団体について考察し
た。現在の同業団体が同郷性を失っていることを指摘した。戦前の同業団体は地縁を基盤
として形成され、同業団体であると同時に、同郷団体の一部であった。しかし、戦後の同
業団体と同郷団体の結束の内実は変化した。地縁の要素が薄れ、かつて同業団体がもって
いた同郷性は失われていると言える。次に、料理業同業団体の構成が変化していることを
指摘した。同業団体は戦前の職人的な団体から戦後の商人的な団体へと変化し、職人は団
体から排除されたのである。聞き取り調査の結果は、現在の神戸地域の中華料理業同業団
体が個人ではなく店単位で加盟し、経営者のみの団体になったことを示している。また、
同業団体として、成員へ統括力がなくなっていることを指摘した。戦前の同業団体からの
離脱は難しかったが、そのかわり、成員の生活の些細な面まで配慮した。しかしながら、
現在は成員の加入と離脱が自由となり、同業団体が、その分成員へ統括力も失われている。
キーワード:在日華僑華人、神戸、料理業、同業団体
12
17:00-17:45 第 4 セミナー室:A-9
トルコ共和国におけるヴィジュアル公共圏の成立と展開
―複合社会をつなぐ承認と共感のコミュニケーション―
園中 曜子・そのなか ようこ
京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科
本研究は、トルコにおける政治文化の変容を、ヴィジュアル・ポリティクスの観点から
論じることを目的としたものである。現代トルコにおいては、ゲズィ公園でのデモが示す
ように、多様な人々が政治参加を為すに至っているが、そこにおけるコミュニケーション
はいかに可能になっているのか。本研究は、その基盤がヴィジュアル・イメージを用いた
共通感覚にあると主張し、人々がヴィジュアル・イメージを用いて共通の関心事に関わる
問いや主張を開かれた形で呈示し、文化政治的なコミュニケーションを行う場であるヴィ
ジュアル公共圏という視角を用いて考察を行った。ヴィジュアル公共圏という視角は、共
通の場を有する人びとが、出自やイデオロギーの相違に関わらず、言語的論理のみに依存
することなくコミュニケーションを行っている、現代の多元的で民衆的な公共圏の実態を
明らかにするものである。本研究は、このヴィジュアル公共圏の成立と展開の過程を追う
ことで、ヴィジュアル・イメージを用いたコミュニケーションが、トルコの民主主義およ
び公共圏のありかたにどのような影響を与えたかについて考察した。
研究の内容としては、まず 1970 年代までにおいて、人々がヴィジュアル・イメージを通
じてトルコ社会における共通感覚を形成していった過程を指摘した後、1980 年代から現在
までのヴィジュアル・イメージを用いたコミュニケーションの歴史を考察した。そして、
2000 年代に入りテロやマイノリティへの暴力事件、政権の強権化などのさまざまな要素が
表出する中で、2008年前後に国の一体性喪失の恐れと平和的共生の願望の間のジレン
マが高まり、そのジレンマの中からヴィジュアル公共圏が成立し、2013年5月のゲズ
ィ公園デモを契機として発展を遂げた過程を考察した。ヴィジュアル・イメージは最初、
市民団体が反対勢力の批判を避けつつ主張を行うための媒体であったが、ゲズィ公園デモ
などにおいてヴィジュアル・イメージを用いたコミュニケーションが盛んに行われること
で、やがて「普通の市民」がコミュニケーションを行う手段としての役割を担うものとな
っていったのである。
本研究は、現在のトルコの民主政治において、人々が意見の複数性を保ちつつコミュニ
ケーションを行うことのできるヴィジュアル公共圏が大きな影響力を持つようになってき
ていることを指摘し、ヴィジュアル公共圏と代議制にもとづく議会政治の場を協働させて
いくことが、トルコの民主主義を健全に機能させていく上で重要な課題であると結論づけ
た。
キーワード:トルコ、ヴィジュアル・イメージ、公共圏
13
第 5 セミナー室 (B 会場) 14
12:00-12:30 第 5 セミナー室:B-1
異文化間介護の現場から現代日本のケアを考える
古山 裕基・こやま ひろき
京都文教大学 大学院 文化人類学研究科 修士課程
本発表では、さまざまなルーツを持つ人たちが介護する側にも、介護される側にもいる
異文化間介護施設グループホーム C でのフィールドワーク資料に基づいて、多文化化と高
齢化がすすむ現代日本のケアについての考察を述べる。
グループホーム C でみられる成員間の関係性を文化の異同による関係性、身体の接触に
よる関係性、その他の関係性という3つの側面に分けて考察した。そしてこれらの3つの
関係性から、ケアが行われる場の共同性について、とくに身体性とリーダーシップに注目
しながら考察した。グループホーム C では、彼らは時にぶつかりあい、相手とは十分にわ
かりあえないこともある。そして不快な言動は非難されるが、誰からも無理に修正される
ことはない。そこに自分もまた言いたいことが言えることを確認する。従来の介護施設で
は、このように成員がぶつかりあうことには価値が置かれていないばかりか、そのような
成員は排除されるのが常である。しかしグループホーム C はそんなぶつかりあいさえも容
認されてしまう。なぜなら、それは施設長 Z のリーダーシップによるものがある。施設長 Z
はグループホーム C を社会の片隅に追いやられた人たちが集まる日本の「掃き溜め」と呼
ぶ、しかし「掃き溜めには包容力がある」とも呼ぶ。それにより、グループホーム C には
誰もが居場所を見出すことができ、そこに人を引き寄せる共同性が現れている。具体的な
介助の技術で語られるケアに対して、グループホーム C という「場」そのものが持つ力も
またケアである。そして葛藤を抱えながらも他人とともに居るという技法やそれによって
作り出される居場所、つまり「わかりあえないけれど共にいる技法や場」がこれからの高
齢化と多文化化が進む日本において、重要な意味を持っていくものと思われる。
キーワード:ケア、異文化間介護、多文化共生、在日外国人
15
12:30-13:00 第 5 セミナー室:B-2
病の構築と正統性付与の語りに関する社会学的研究
景山 千愛・かげやま ちあき
京都大学文学研究科 社会学専修
本稿の目的は、社会的にも医学的にもいまだ承認されていない「病い」を経験している当事者
たちが、社会的・医学的な懐疑のまなざしのなかで、どのようにして自分たちの身体的経験を正
当に伝達するのかについて検討することにある。
化学物質過敏症 (Multiple Chemical Sensitivity : 以下 MCS) と呼ばれる疾患がある。微量
の化学物質への曝露によって引き起こされる心身の症状を特徴とする。しかし MCS はその症状
の特性から、医学的にも、一般社会においても、当事者の苦しみは詐病や単なる怠惰に帰属され
やすく、懐疑のまなざしにさらされてきた。また、MCS は当事者個々人で症状の現れ方や程度
が幅広く、その症状について統一像が存在しないため、当事者は自身が正当な「患者」であるか
どうかという問いにさいなまれてきた。
このような「疑わしき病」を捉える際、従来の研究においては、当事者の社会的経験が着目さ
れてきた反面、経験される「痛み」は副次的な位置を与えられてきた。しかし、MCS のような
特異な疾患では、症状と社会的経験は表裏一体である。特に、痛みは当事者にとって深刻な経験
であるのみならず、自身の正当性や疾患の実在を担保するものでもある。よって本研究では、当
事者の痛みの経験に着目することで、より幅広い経験へと捉え返すことを試みる。
分析では、MCS 当事者による、他の当事者への語りを分析した。分析結果として、当事者た
ちは、自身の知覚経験に基づいて、相手の反応を確かめていた。しかし、自身が痛みを感じた場
所で相手が痛みを感じていないように見えることは、相手がニセ患者であることを意味するわけ
ではない。むしろ、MCS らしくない振る舞いは、相互行為において、相手の例外的振る舞いと
して見なされ、それ相応の理由を伴って、MCS 当事者としての文脈に回収される。
次に反証事例として、相手が「MCS ではない」と断言されているケースを取り上げる。ここ
では、相手を対関係に位置づけ、その社会的意味(大人-子供、親-子)に埋め込むことで、評
価されるが免責される対象として位置づけている。相手は子供であるために自己の身体知識を持
たないという理由で免責され、「疑わしい患者」としては扱われていなかった。
MCS 当事者は、
「自身の経験の敷衍」と「社会的関係」のどちらかを使い分け、相手を「患者」
として扱う。しかし、彼らの推測は、相手の置かれた場面の文脈(痛みを表明するのが適切かど
うか)には無頓着であり、相手が常に MCS 患者としてふるまうことを前提とするコミュニケー
ションでもある。よって、非 MCS 当事者との、社会的葛藤を含めたコミュニケーションを俎上
に上げられなかったことが、課題である。今後、他者から疑われるというリスクを背景としたコ
ミュニケーションを明らかにすることが期待される。
キーワード:疑わしき病、痛み、正当性
16
13:00-13:45 第 5 セミナー室:B-3
北部タイにおける HIV をめぐる関係のダイナミクスの映像ドキュメンタリー制作
リアリティ表象における映画作成者の視点
直井 里予・なおい りよ
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
本発表の目的は、北タイにおける HIV をめぐる社会関係の変容に関し、発表者自らが制
作したドキュメンタリー映像とその制作(撮影・編集)および上映過程を事例に、(1)ド
キュメンタリー映像の対象となった HIV 感染をめぐる社会関係の変容について論じ、(2)
ドキュメンタリー映像がその対象とした事象をいかにとらえうるかを自己再帰的に考察し、
(3)ドキュメンタリー作品として制作の過程で生じる「撮る者-撮られる者」の関係の動態
を分析し、それを観る者も含む社会の文脈に位置づけて考察することである。すなわち、
本発表は、北タイにおける HIV をめぐる関係の動態の議論と、それを映像で表象すること
に関わる議論との二重の構造となっている。本発表において「関係」というときに、そこ
には、HIV 感染をめぐる現地の被写体間の関係のみならず、撮影者と被写体の関係も包含
されており、発表者は、その関係こそが映像におけるリアリズムの不可欠な要素であると
論じる。
これまで HIV 陽性者については、学術論文と映像のそれぞれで捉えられてきたが、本発
表では両者を相互的に議論することを試みる。また、HIV をめぐる人々の関係の変容過程
については、日常的な場において論じているものは少なく、家族関係の変容や日常生活か
ら立ち上がるコミュニティの形成過程は明らかにされてこなかった。
本発表では、実際の映像制作を通して描いた事象に、北タイにおける一人の HIV 陽性者女
性の日常生活に焦点を当てたドキュメンタリー映画『昨日 今日 そして明日へ』二部作、
(第
一部 『アンナの道―私からあなたへ(完全版)』、第二部『いのちを紡ぐ―北タイ・HIV 陽
性者の 12 年』)を通して、HIV をめぐる様々な人々の関係(主人公をめぐる親子と夫婦、
エイズ孤児、自助グループ、村人等)の構築過程や公共空間の形成やその組織のあり方を
考察する。
また、リアリティ表象における映画作成者の視点の関与の考察においては、現実を客観
的にそのまま表象するという立場には限界があることを指摘した上で、現実をドキュメン
タリー映像によって考察・分析・記述する際に、映画作成者の視点がどのように関与する
のか明らかにする。最後に、映像は、HIV をめぐる関係の構成について今まで文章で十分
表現できていなかった関係を身体・空間・表情などから捉えることができることを示す。
そして、現場における調査者・映像撮影者とカメラの介在は、カメラ自身が公共空間の形
成に深く関与していくことにより映像のリアリティが構成されることを論じる。そして、
映像制作とフィールド調査の新しい可能性を示す。
キーワード:北部タイ、親密圏と公共空間、映像、ドキュメンタリー映画、HIV/AIDS
17
13:45-14:15 第 5 セミナー室:B-4
ズワイガニの発見と流通
―浜から都市へ、そしてまた浜へ―
広尾 克子・ひろお かつこ
関西学院大学大学院 社会学研究科
1、研究の背景と目的、および方法
毎年 11 月には、「ズワイガニ解禁」がニュースになるほど、ズワイガニは冬の味覚とし
て、人びとに季節の到来を待たれている。いったいズワイガニは、いつ頃、どこで、どの
ように発見され、認知され、流通し、今日の姿になっていったのであろうか。
水産物と人びととの関わりについては、クジラやマグロなど多数の研究が存在するが、
カニを対象にしたものは見当たらない。また、ズワイガニは、それを食する目的で人びと
が浜地域に出かけていくという、つまりフードツーリズムという、特異な観光現象を生み
出しているが、この現象の経緯についての議論はまだ始まったばかりである。
これらの問題を踏まえ、ズワイガニ水揚げ港を有する越前、丹後、但馬の各地域で調査
を実施した。そこでは、漁業者などカニに関わる人びとへの聞き取りと、郷土史や漁協史
などに記載された事項の検討を行なった。
2、考察できたこと
①ズワイガニは近世に入り、カレイ漁のために考案された漁法で混獲されて、発見された。
②明治に入り、ズワイガニは缶詰原料となったが、浜地域からは出ていかなかった。
③当初は、北陸や山陰を訪れる機会のあったごく一部の人のみが、カニを賞味できた。彼
らが、雑誌メディアに記載してカニの情報を広げていった。
④1962 年、大阪に開店した「かに道楽」が、都市住民にカニを認知させた。
⑤カニの価値は都市から持ち込まれ、浜で再発見される。
⑥「カニすき」で客を呼べる事を知った浜では、カニのフードツーリズムが隆盛する。
⑦カニの漁獲量が激減し、輸入ガニが大量に流入する。その差別化のため、カニの脚に目
印タグを装着してブランド化が計られる。
⑧浜の仲買人は、カニの価値を知り抜き、販売ルートを握っている。ゆえに現在も、都市
の市場にカニは出ていかない。
※人びとのさまざまな実践により、カニをめぐる価値観は変容し、現在に至っている。
キーワード:ズワイガニ、浜と都市、フードツーリズム、ブランド化
18
14:45-15:30 第 5 セミナー室:B-5
中央ボルネオにおける内陸交易拠点の歴史的形成と変化
佐久間 香子・さくま きょうこ
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
本博士論文の目的は、第一に、これまでサラワク(東マレーシア)あるいはボルネオと
いう閉じられた空間のなかだけで議論されてきたロングハウス社会を外界との相互交渉の
なかに定位して、その編成メカニズムを歴史的に考察すること、加えて、ツバメの巣をは
じめとする交易に焦点をあて、交易と親族ネットワーク、リーダーシップ、そして生業経
済の変遷を描くことである。調査地は、サラワク州北部のバラム河の支流であるトゥトー
川中流域に位置するロングハウスおよび、この村の成員が母体となって形成された新しい
集落、そして現在村出身者がもっとも多く居住する地方都市の 3 点である。本博士論文で
は、フィールドワークと文献調査に基づき、林産物資源の河川交易を通して史料の乏しい
後背地(内陸部)の歴史性と、内陸部と海域世界との連続性を具体的に明示するために、
時系列的な章構成を採用した。対象とした時代は、調査対象地がブルネイ王国支配下から
ブルック支配下のサラワク王国に割譲される直前の 1880 年年代から現在までである。
ツバメの巣は、ボルネオの内陸部の在地民社会においては、中国製の壺や貴金属、とき
に塩など、政治力と経済力を知らしめる威信財を獲得するのに重要な資源だった。つまり、
ツバメの巣は海洋交易を通した海の向こうの消費地、港市、後背地をつなぐ資源であり、
具体的にいかに交易を媒介として後背地に影響を与えてきたのかを知る最良の資源である。
19 世紀末のこのロングハウスは、ブルネイ王国とサラワク王国の結節点にあると同時に、
ロングハウスの位置する川の緩流急域と急流域との分節点に位置していたなど、地理的に
特別な位置にあった。こうした条件下で編成された内陸部の交易拠点は、上流や下流から
の人や物資が集散し、富が集積する場所となるに連れて政治的経済的に強大化していった。
系譜調査から、この拠点ロングハウスと下流の交易都市の間には、他のロングハウスや神
話は移動史を共有する他水系のロングハウスにまで親族縁組が締結され、キンドレッドの
網がかけられていたことが明らかになった。
1970 年代以降、調査地周辺では商業伐採とともに道路網が発達した。これにともない、
より上流域で生活し、交易拠点時代には親密な関係にあった狩猟採集民は自然保護/先住
民運動に巻き込まれていった。他方で、国立公園が設置され観光開発が進むことで、交易
拠点としては衰退しつつあった調査地は新たな経済基盤をツーリズムに見出し、国立公園
付近に新たな集落を作り上げた。同時に都市部への移住も加速し、ロングハウス・新集落・
都市の 3 点の間を頻繁に人と物資が行き交う連続体が形成された。生活圏が拡大した現在、
都鄙をまたいだ獣肉の贈与がこの連続体の維持に大きく寄与していることが明らかになっ
た。
キーワード:ボルネオ、ロングハウス、交易、歴史、国立公園
19
15:30-16:00 第 5 セミナー室:B-6
ウガンダ都市部における有機ごみから作られた調理用燃料の潜在力
―廃棄物処理,食生活と調理法の視座から―
浅田 静香・あさだ しずか
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
グローバル化が進む現代社会において,森林保全は国際的な課題のひとつであり,国際機関や
NGO などが過去 30 年以上にわたって解決に向けてさまざまなアプローチを採用してきた。そ
の取り組みのひとつとして,アフリカをはじめとする発展途上国での調理用燃料としての森林資
源の消費を抑えるため,バイオマス燃料を代替として提案,導入する動きがある。バイオマス燃
料の導入は 1980 年代からみられたが,アフリカではその多くが定着しなかったことが指摘され
ている[Eriksson and Prior 1990]。2000 年以降,東アフリカの内陸部に位置するウガンダの首
都カンパラでは,従来とは異なる材料による調理用のバイオマス・ブリケットが生産,販売され
るようになった。なぜカンパラで現在,ブリケットが生産されるようになったのかを解明するに
は,森林資源の枯渇だけにとどまらず,地域に独自の社会的背景や文化的価値観もふくめて,こ
の地域を理解する必要があると考えられる。本研究は,ウガンダ都市部で生産されるブリケット
の特性について,廃棄物処理などの社会的背景や木材燃料との代替性,現地における独特な調理
方法との適合性の観点から議論することを目的とする。
1962 年の独立以降,人口の過密化が進むカンパラにおける廃棄物処理の現状を検討すると,
自治体によって回収されないごみが街中にあふれ,ブリケットの材料となる有機ごみがあり余る
ほど存在している。ブリケットは,大量生産する企業だけでなく,家庭や市民団体,NGO にお
いても生産される。有機ごみを燃料にするという発想は,この地域に古くから伝わる固形燃料と,
外来の技術や知識が合わさって確立したと考えられる。ブリケットと木材燃料の燃え方を比較す
ると,木炭や薪と同様の火力で燃焼し,長時間にわたって燃えつづけることが明らかになった。
カンパラの各世帯では所得にかかわらず,木炭が調理に使用されるが,地元住民の調理を観察す
ると,木炭の使用は主食であるプランテンバナナの蒸し料理「マトケ」の,現地に伝わる調理方
法に弱火を必要としていることに由来することが明らかになった。ブリケットは,供給する側に
も消費する側にも都合のいい燃料材として,新たなかたちでウガンダ都市民によって作り出され
た。
従来の開発援助プロジェクトや先行研究では,森林保全や公衆衛生の改善など,社会問題の解
決策のひとつとしてブリケットは導入されてきたが,その個別の生産と消費の現場をみれば,ブ
リケットの果たす役割はほんの微力であり,これまでも軽視されがちであった。しかし,カンパ
ラにおけるブリケットの生産と消費の総体を詳細に検討すると,ブリケットはウガンダ都市部の
生活形態や食生活に合っており,今後さらに現地に受け入れられていく可能性を秘めている。
キーワード:バイオマス燃料,廃棄物処理,食文化,調理方法,アフリカ都市
20
16:00-16:30 第 5 セミナー室:B-7
ウガンダ南西部の農村における生計活動の多様化と女性の役割
中澤 芽衣・なかざわ めい
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
サハラ以南アフリカは高い経済成長率を示し、都市化が急激にすすんでいる.一方、農村
人口の割合は依然として高く、アフリカ農村社会では自給指向性の高い生計活動が営まれ
てきた.農村内では、農業にもとづく自給に根ざし、世帯間では現金を介することなく、贈
与や交換を基本としてきた.しかし、市場経済の定着によって、農村の人びとも現金経済と
の結びつきが強くなり、現金を介して、日用品の購入や教育費、医療費をまかなわねばな
らなくなった.現金収入の獲得をめざすことによって、自給指向性の高い生計活動が変化し
ていることが予想される.
本論文では、ウガンダ共和国南西部において、都市近郊に位置する K 村の人びとが非農
業就労にどのように従事し、生計を維持しているのかを明らかにすることを目的とした.本
論文では、世帯が保有している土地面積に着目し、5ha 以上を大規模土地保有世帯、1ha
以上 5ha 未満を中規模土地保有世帯、1ha 未満を小規模土地保有世帯と分類した.
土地保有面積の差は、調査村に移入したのが 1970~1980 年代と古い世帯ほど、大規模な土
地を保有し、2000 年以降に移入した世帯は小規模の土地を保有する傾向があった.K 村内で
は、アンコーレやガンダ、フンビラ、チガなど、ウガンダ国内の多くの民族が混住してい
ることがわかった.また、グロッサリー経営をはじめとする非農業就労に従事している世帯
では、男性は町で従事し、女性は村内で従事することが多かった.非農業就労に従事してい
る世帯数は、保有する土地の面積が小規模になるにつれて増え、世帯主が女性であること
が多かった.
農作業について耕起、播種・植え付け、除草作業、収穫、作物の販売の 5 項目について、
各世帯が栽培している作物の種数と、農作業における世帯内での役割分担を聞き取ると、
保有する土地面積の規模に関係なく、女性がサツマイモやシコクビエなどの自給食料用の
作物を栽培している傾向がみられた.世帯内の労働力が少なく、保有する土地面積が小さい
ほど、栽培する作物の種数は減少した。
調査村には、現在女性世帯が村の約 4 分の 1 を占めている。このような女性世帯は、男
性労働力の欠如により、多種の農作物を播種・植え付けをすることは困難であった。また、
保有している土地面積も小規模であった。女性世帯の中では、農業に費やす時間を抑えて、
非農業就労に軸足を置き、生計を立てている世帯が多く存在していた。
キーワード:人類学、アフリカ地域研究、性別分業、現金獲得活動
21
16:30-17:00 第 5 セミナー室:B-8
タンザニア北部・エヤシ湖岸のダトーガ牧畜社会における
土地の囲い込みの拡大に関する研究
宮木 和・みやき やすし
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
本研究は、タンザニア北部の牧畜社会において、土地の囲い込みがどのように拡大し、その囲
われた土地(以下「囲い地」)が年間の放牧活動においてどのように利用されているのかを明ら
かにすることを目的とする。放牧地を私的に囲い込む現象は、東アフリカの多くの牧畜社会で報
告されており、その原因としては、農地や自然保護区の拡大によって家畜の放牧地が制限され、
人口や家畜数の増加によって土地の希少性が高まったことが指摘されてきた。すなわち土地の囲
い込み現象は、牧畜社会をめぐる現代的な諸問題と深く関連している。
本研究の調査地であるタンザニア北部のエヤシ地域周辺にすむ牧畜民ダトーガは、農地の拡大
や近隣民族との争いのなかで利用できる放牧地を失い、1980 年代以降にエヤシ湖南岸に定住し
始めた。かつてこの乾燥した地域には定住者はおらず、家畜放牧のために季節的に利用されてき
た。しかし移住者たちはこの地に定住集落を形成し、その周辺の土地を放牧地として年間をとお
して利用するようになり、近年、柵などで放牧地を囲い込む現象が拡大している。ダトーガ社会
に関する先行研究では、各ホームステッドの周辺の土地には、仔ウシなどの放牧地としてその住
人が優先的に利用する権利が認められていたことや、その際には土地が小規模に囲い込まれる事
例があったことが報告されている(以下「仔ウシの放牧地確保」)。これに対して本研究の調査地
で拡大している囲い地は、従来のものよりも面積が大きく、地域住民の土地利用に対して大きな
影響をおよぼしていると考えられる。
こうした囲い地はホームステッドの周辺に設置されており、90%以上の面積が乾期の前半か
ら 6~8 カ月間に放牧地として使われ、それ以外の時期には牧草を確保するために閉鎖されてい
る。また、従来はこの放牧地には目印などが置かれず、境界はあいまいなものだったが、やがて
目印や柵を設置して境界を明示し、その内部を私的に利用するようになったのである。すなわち
この囲い込みは、ダトーガ社会に従来から存在した「仔ウシの放牧地確保」から連続的に発生し
たと考えられる。調査時に囲い地で放牧された家畜は、従来の「仔ウシの放牧地確保」の慣行と
同様に主として仔ウシなどの長距離を移動できない家畜と小家畜であった。
また、新たに設置された囲い地が、ほかの世帯のウシ放牧を妨害するという訴えが地域の会議
のなかで議論され、その囲い地が縮小された事例を確認した。加えて、地域住民がもっとも優良
な放牧地として高く評価する季節湿地の大部分は、その周辺に多数のホームステッドが存在する
にもかかわらず囲い込まれていない。これらの点から、この私的な放牧地の囲い込みは、社会的
な調整作用がはたらくなかで拡大してきた可能性が示唆された。
キーワード:放牧地の希少化、定住化、仔ウシの放牧地、社会的調整
22
17:00-17:45 第 5 セミナー室:B-9
モンゴル遊牧民のモノの情報をめぐる交渉に関する民族誌
堀田 あゆみ・ほった あゆみ
国立民族学博物館外来研究員
本研究は、現代におけるモンゴル遊牧民のモノをめぐる相互行為(=交渉)に着目し、
モノが世帯を超えて移動するという現象を、モノの「情報性」という独自の観点から分析
したものである。
モンゴル遊牧社会研究においては、これまで家畜と人間に焦点をあてた牧畜文化研究、あ
るいはソ連型計画経済から市場経済への移行期を対象とした遊牧社会変容に関する研究が
主流であった。そこで本研究では、従来の遊牧民と家畜の関係に主眼をおく研究を補完す
るものとして、モノを通してモンゴル遊牧社会を照射しようと試みた。また、モノをめぐ
る相互行為の分析には、モノの「情報性」という独自の視点を用いた。モノを使用価値や
交換価値でとらえる視点はこれまでもあったが、本研究では、モノのもつ情報を価値とし
て捉えた。それによって、所有権の移転を前提としたモノの移動である贈与や交換では議
論されてこなかった、所有権の移転あるいはモノの移動を伴わない分配行為を議論するこ
とが可能となった。
発表では、フィールド調査に基づき、モンゴル遊牧社会が情報志向性の強い社会である
と同時に、生活に必要なモノも世帯関係もすべて交渉によって獲得される交渉社会である
ことを提示する。そのような社会における、モノをめぐる相互行為から明らかになるのは、
モノの情報が分配の対象として扱われている実態である。
遊牧民の生活世界にあるモノは、譲渡や貸借などによって頻繁に世帯間を移動する。モノ
の移動に先立ち必ず交渉が行われるが、不確実性の伴う交渉に臨むためには対象世帯の生
活世界にあるモノの情報を多くもつことが重要となる。しかし、各世帯がもつ対象世帯の
モノに関する情報量には較差が存在する。なぜなら、分配される情報量とその内容は、対
象世帯が社会関係に応じてあらかじめ操作しているからである。
文化人類学や経済人類学においては、モノのやりとりによって集団や個人間の関係が創
出されることが贈与や交換の文脈で述べられてきた。そこでは物質性をもったモノの移動
と所有権の移転が自明視されていた。しかし、本研究では、モノの「情報性」に着目する
ことで、物質の移動を伴わない情報の分配が社会関係をコントロールし得ることを明らか
にする。
キーワード:モンゴル、遊牧民、モノ、情報、交渉
23
■第 4 セミナー室(A 会場)
A-1:吉村美和:「民族浄化の経験と記憶−−コソボ紛争におけるアルバニア人の視点から―」
(修士・京都大学)
A-2:増木優衣:「現代インドのダリト差別と水洗トイレ普及運動―ラージャスターン州にお
ける清掃人カーストの事例から―」(修士・京都大学)
A-3:窪田暁:
「「野球移民」を生みだす人びと―ドミニカ共和国におけるトランスナショナル
移民研究―」(博士・総合研究大学院大学)
A-4:笠井みぎわ:
「祈りの手刺繍―日本聖公会の教会刺繍をめぐる考察―」
(修士・京都文教
大学)
A-5:SAUCEDO SEGAMI Daniel Dante:
「My Huaca: The Use of Archaeological Heritage
in Modern Peru from a Public-Archaeology Perspective」(博士・総合研究大学院大学)
A-6:金南咲季:「コンタクト・ゾーンにおける「共生」の生成―外国人学校と地域社会の関
係構築過程から―」(修士・大阪大学)
A-7:姜小友莉:
「在日コリアンの国籍に対する認識の変化―1990 年代以降に生きる在日コリ
アンを事例として―」(修士・神戸大学)
A-8:郭凌:「在日華僑華人社会の同業団体についての考察-神戸地域の華僑華人料理同業団
体の事例を中心に-」(修士・神戸大学)
A-9:園中曜子:「トルコ共和国におけるヴィジュアル公共圏の成立と展開―複合社会をつな
ぐ承認と共感のコミュニケーション―」(博士・京都大学)
■第 5 セミナー室(B 会場)
B-1:古山裕基:「異文化間介護の現場から現代日本のケアを考える」(修士・京都文教大学) B-2:景山千愛:「病の構築と正統性付与の語りに関する社会学的研究」(修士・京都大学)
B-3:直井里予:「北部タイにおける HIV をめぐる関係のダイナミクスの映像ドキュメンタリ
ー制作―リアリティ表象における映画作成者の視点―」(博士・京都大学) B-4:広尾克子:
「ズワイガニの発見と流通―浜から都市へ、そしてまた浜へ―」
(修士・関西
学院大学) B-5:佐久間香子:
「中央ボルネオにおける内陸交易拠点の歴史的形成と変化」
(博士・京都大
学)
B-6:浅田静香:「ウガンダ都市部における有機ごみから作られた調理用燃料の潜在力―廃棄
物処理,食生活と調理法の視座から―」(修士・京都大学)
B-7:中澤芽衣:
「ウガンダ南西部の農村における生計活動の多様化と女性の役割」
(修士・京
都大学)
B-8:宮木和:「タンザニア北部・エヤシ湖岸のダトーガ牧畜社会における土地の囲い込みの
拡大に関する研究」(修士・京都大学)
B-9:堀田あゆみ:
「モンゴル遊牧民のモノの情報をめぐる交渉に関する民族誌」
(博士・総合
研究大学院大学)
■参加者一覧
発表者
A-1:吉村美和
A-2:増木優衣
A-3:窪田暁
A-4:笠井みぎわ
A-5:SAUCEDO SEGAMI Daniel Dante
A-6:金南咲季
A-7:姜小友莉
A-8:郭凌
A-9:園中曜子
B-1:古山裕基
B-2:景山千愛
B-3:直井里予
B-4:広尾克子
B-5:佐久間香子
24
B-6:浅田静香
B-7:中澤芽衣
B-8:宮木和
B-9:堀田あゆみ
会場管理
土屋敦子 土取俊輝 姜露 孫天舒 王心怡 祝賀 宮本佳和
井上恭平 田村卓也 辺清音 劉高力
主催関係者
須藤健一・国立民族学博物館・館長
岸上伸啓・国立民族学博物館・副館長/日本文化人類学会理事(第 26 期)
岡田浩樹・神戸大学大学院国際文化学研究科/日本文化人類学会理事(第 26 期)他
事務局
岡田浩樹
25