ろ は、 も う 七 月 盆 の こ ろ に な る で 盛夏の候いかがお過ごしでしょう か。この西来寺報をお読みになるこ ここを訪れもてなされたと云う下り 洛の意思を固めこの地を去ります。 が あ り ま す。 な お、 境 内 に は 昭 和 時に天台宗であった寺の住職、性順 にとどまったそうですが、その後上 留め申したところ、しばらくこの地 しかし、それまでご教導を蒙った 人々は聖人とのお別れを惜しんでお 離れ京都に向かおうとしました。 寺聖人伝絵下段四段」に親鸞聖人が ました。覚如上人の書かれた「本願 に神仏分離によって箱根神社になり た姿と考えられ来ましたが、明治期 救済するために仮に神となって現れ れてきました。権現とは仏が衆生を 次 に、お な じ み の 箱 根 神 社 で す が、古来より箱根権現の名で親しま (すすめどう)があります。 うのは中に経典などを入れ背負った 笈 を 手 渡 さ れ と 言 い ま す。 (笈とい と 別 れ、 関 東 に 戻 っ た と い い ま す。 れたところ、性信坊は泣く泣く聖人 徒衆を教化してもらいたい」と申さ 御房はこれより立ち返って東国の門 さ れ た 東 国 の 門 徒 は 誰 が 導 く の か。 てみな上洛してしまったら、後に残 人、性信房に向かい「師弟打ち連れ 場所とされています。御帰洛の途中、 同じく真宗大谷派の寺院です。鎌倉 先ず小田原、国府津の真楽寺様を ご紹介致します。真楽寺は西来寺と 帰して西来寺の寺号を賜ったそうで 聖人の教化をうけて、真宗の教えに 運んだ当時の西来寺の住職もやはり す。そのころ、同じくこの地に足を の場所がありますね。 川県内にも親鸞聖人や西来寺ゆかり という文字が刻まれています。神奈 る旅の空、 心はここに残りこそすれ」 この時、聖人は自分の身代わりにと ここで石に腰掛けて4人の弟子の1 しょう。先日、西来寺小旅行が行わ 39年に建てられた親鸞聖人像があ もの)遺跡碑にはこの時聖人の詠ん 二〇一五年 夏 れ、そのなかの西来寺と親鸞聖人の が聖人の御教えをうけて、他力真宗 ります。皆さんも箱根神社に行かれ だとされる歌「やむ子をば預けて帰 時代、親鸞聖人が国府津の近くに寄 す。 第十八号 史 跡 を 2・3 お 話 し す る こ と に 致 し の御教えに帰して聖人のお弟子にな たら探してみてください。 りしばしば教えを広められました 西来寺と親鸞聖人 ます。 り真楽寺の寺号を与えられたそうで が、六十歳を境に聖人は関東の地を ています。尚、真楽寺から500メー て、西来寺にも同じ菩提樹が植わっ 所に遺跡碑があります。ここは親鸞 茶屋から100メートルほど下った 最後に「笈(おい)の平」につい てお話しします。箱根旧街道の甘酒 真楽寺には歸命堂という宝物庫が ありいろいろな寺宝があります。ま た境内に大きな菩提樹があり、その トルほど国府津駅に向かったところ 聖人とお供の性信房お別れになった 昔、この菩提樹の実をいただきまし に聖人が庵を結んだとされる、勧堂 5月5日撮影 西来寺のユスラウメの実 2015 年 6 月 15 日 西來寺報 第 18 号 西来寺を守る宮大工 月 日、 月 日に修繕と補修の 工事が手嶋工務店により、おこなわれ ました。 カ所に「ねじれ」が の隙間を無くす修繕なども行いまし 他にも痛んでいた山門の柱の一部を 新しくしたり、本堂の西側の障子の枠 した。 土台はしっかりと設置していただきま 大変なことかもしれないね。腕力が必 「女性がこの仕事を続けるのはとても 手嶋さんのお弟子さんの中にはひと きわ目立つ女性のお弟子さんが一人。 感じます」と手嶋さんは言います。 さわるたびに、古い本堂の有り難みを し ま す。 該 ( 当の方にはご案内差し 上げています ) くなられた方の家族を集めて法要を 隙 間 を な く し、 き れ い に 修 復 し ま し 「 新 し い も の も 良 い ん で す け ど、 日 本 しゃいました。 ください。 月 日~ 西来寺ホームページ 月 日 月 日 http://sairaiji.com で、お盆のお参りの際などにご着用 仏事や法事、お寺での行事などの 時に身につけていただくものですの て首から下げて着用する法具です。 の門信徒が、仏前における礼装とし くかたぎぬと読み、浄土真宗大谷派 せて頂きました。略肩衣とは、りゃ 西来寺では以前、門信徒の皆さん に、略肩衣(門徒式章)をお配りさ 国的にはこちらの方が多い。 月遅れのお盆。葉山、鎌倉方面 全 旧盆 東京地方、横須賀市中心部。 お盆 7月 日~ 新盆経。当西来寺で過去1年間に亡 新盆 7月8日 た。 まだまだ男の世界だから男性の何倍も ね、 長 く 続 け て い っ て ほ し い で す ね 」 要な仕事だし、手も荒れる。宮大工は 自 然 に 逆 ら わ ず、 陽 射 し、 風 向 き、 湿気、様々なことを考えながら修繕を 努力が必要になってくると思う。でも するばかりです。 行う手嶋工務店の宮大工さんには感心 生じ、巻斗(まきと)と枠肘木(わく 優しく語る手嶋さんは今の建築だけで はなく、未来の日本の建築現場を継承 月の本堂、廊下の改修工 年、今回手嶋さんは専門の職 た。斗組は屋根や天井を支えるだけで の建築は、手をかければ 人を含め なく、飾りの役割もあります。その構 年、200年と保ってくれます。たず 年、100 造は日本建築の美しさが内在していま す。本堂に入られたときには、是非と も上を見上げてみてください。 本堂前の掲示板の建て替え。西来寺 に来る方に見ていただくお寺の由来の 掲示板を建て替えました。木材は水に 強 く 腐 り に く い カ ナ ダ 檜( ひ の き ) 。 釘を使わない木組みは白木で軽快な見 た目ですが、実に200㎏と重厚。屋 根はチタン材を使用しています。チタ ました。 し、守っていく大きな役割を担ってい 年 ひじき) の間に隙間が開いていました。 そこで、枠肘木をひとつひとつ床から 平成 事から ます。そのうち 本堂の中の斗組(ますぐみ)の修繕。 西来寺の本堂の中の斗組は カ所あり 7 ンは雨にも風にも強く200年保つと 7 8 16 16 13 3 38 云われています。西来寺は丘の上の立 西来寺小旅行の写真が見られます! 名のお弟子さんといらっ 10 13 6 ジャッキで押し上げ、開いてしまった 3 24 7 8 57 3 地 で す。 吹 き 上 げ の 風 の 影 響 を 考 え、 50 2015 年 6 月 15 日 西來寺報 第 18 号
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