現代社会学科フィールドトリップ 足尾日光

現代社会学科フィールドトリップ
足尾日光
11 月 15 日~16 日
臼井 愛藍
小林
優奈
高橋
実梨
谷山 礼華
春名
恵理子
福田
敦子
三浦 萌
渡邉
由理奈
目次
は じ め に ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 2
足 尾 歴 史 館 に つ い て ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 3
通 洞 動 力 所
本 山 動 力 所 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 4
銀 山 平 ( 製 材 所 ・ 中 国 人 殉 難 烈 士 慰 霊 塔 等 )・ ・ ・ 6
わ た ら せ 渓 谷 鉄 道
本 山 小 学 校
足 尾 キ リ ス ト 教 会 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 8
本 山 製 錬 所 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 1 0
松 木 地 域 旧 三 山 村 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 1 1
戦 場 ヶ 原 散 策 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 1 2
栃 木 の 観 光 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 1 5
感
想
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参 考 文 献 一 覧 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 2 0
1
はじめに
1 年秋学期篠田ゼミでは、足尾銅山鉱毒事件をはじめとし、足尾周辺の自然環境など、足
尾について学んだ。事前学習をふまえた上で、篠田先生とゼミ生(谷山 春名 福田 高橋 小
林 臼井 渡邉 三浦)で 11 月 15~16 日でフィールドトリップを行った。1 日目は主に、日
光市足尾銅山関連の資料館や跡地を「足尾まるごと井戸端会議」の山田功さんと共にめぐ
り、2 日目は、戦場ヶ原、湯滝、日光東照宮を訪れた。
本レポートは、2 日間にわたるフィールドトリップについて報告する。
フィールドトリップの行程表
なお、1 日目は予定していたバス道中の道路が工事中であったため、山田さんのご厚意に
よりバスではなく自家用車で連れて行っていただいた。
スケジュール
2 日目;11 月 16 日(日)
1 日目;11 月 15 日(土)
朝食
09:05 発 相老駅 *わたらせ渓谷鉄道
09:30 発 中禅寺湖温泉
10:21 着 通洞
09:46 着 赤沼
足尾歴史館見学・昼食
戦場ヶ原散策
足尾鉱山周辺施設などの見学
松木渓谷・旧松木村跡などの見学
12:45 発 湯滝入口
13:47 着 西参道
17:00 民宿おかじん 到着
東照宮見学
夕食、お風呂
15:17 西参道 解散
就寝
2
足尾歴史館について
14CS023 高橋実梨
足尾歴史館は平成 17 年 4 月に足尾楽迎員協会のメンバーによって立ち上げられた。この
歴史館の運営はボランティアで
行われている。
足尾歴史館では、「足尾ガソリ
ン起動・歴史館線」という、ガソ
リン機関車の展示・試乗を行って
いる。これは、銅の採掘を行って
いた当時の足尾の街を走り、通称
「ガソリンカー」と呼ばれていた
ガソリン機関車を復興したもの
である。このガソリン機関車とい
図 1 ガソリン機関車を復興して造られたガソリンカー
ー
うものは、日本では、1920 年代以降から普及されるようになった気動車の一つである。大
正末期の足尾では、足尾銅工作課が、アメリカのフォード社製の自動車エンジンを利用し
て、自力で機関車を作り上げた。その当時、銅山の資源や生活物資の運搬用トロッコや小
さな客車を引いていたのは馬であった。しかし、ガソリン機関車が普及していったことに
よって、馬車の代わりに利用されるようになった。ガソリン
機関車の乗車人数は約 15 人が定員である。またガソリン機
関車は、人々の間で、
「ガソリンカー」や、
「定時」と呼ばれ、
親しまれていた。定時と呼ばれる由来は、ガソリン機関車の
出発時刻が決まっていたことからきている。
また、足尾歴史館内では当時古河鉱業で働いていた人たち
の写真や、江戸から昭和にかけての移り変わる足尾の姿の写
真なども展示してある。足尾銅山で採掘を行っていた古河鉱
業に関する資料や道具、当時の足尾に住む人々が使っていた
日用品なども展示されている。そのため、足尾の周辺地域のことだけではなく、当時の住
民の生活についても知ることができる。
図2
3
正面からのガソリンカー
通洞動力所
本山動力所
14CS010 小林 優奈
1. 通洞動力所
通洞動力所では、削岩機を動かすための圧縮空気がコンプレッサーによってつくられて
いた。そのための電気は間藤発電
所から供給されていた。明治 45 年
には大型コンプレッサー「インガ
ーソルランドPE-2」が導入され
た。このコンプレッサーは、当時
の国内では最大の 320 馬力の出力
を誇った。また、通洞発電所は赤
煉瓦でつくられているが、2011 年
の夏に台風や震災の影響から建物
左側が崩壊してしまった。
図3
現在の通洞動力所
2. 本山動力所
本山動力所も役割は通洞動力
所と同じである。本山動力所
は大正初期に建築された、木
造の建物である。そのため、
大型コンプレッサー「インガ
ーソルランドPE-2」が導入
されたのは通洞動力所より遅
い大正3年である。ここには
現在も、大型コンプレッサー
が保管されている。
図4
現在の本山動力所
3.間藤水力発電所
明治 10 年から足尾銅山を経営した古河市兵衛が、輸送方法などの変化に伴い大量の電力
を必要とし今までの薪・木炭に代わるものとして 1980 年 12 月に完成し運用開始となった。
これはドイツのジーメンス電気機械製造会社の、ヘルマン・ケスラー技師の勧めである。
間藤水力発電所は関東地方最古の水力発電所の一つで、松木川上流(現在の足尾ダム下)
と深沢川から用水の取入れを行った。400 万馬力の電力があり、その電気は坑内の排水や坑
4
内電車、伝統などに利用され銅山近代化の原動力となった。1904 年にはより発電力の大き
い日光細尾発電所にその役割が引き継がれた。現在残っているのは、道路脇の水圧鉄管と
河原にわずかにある基礎部分のみである。日光市指定史跡となっている。
図5
図6
5
水圧鉄管
河原に残る発電所の基礎
銀山平(製材所・中国人殉難烈士慰霊塔等)
14CS031 渡邉 由理奈
「銀山平」までの歴史
足尾銅山の用材基地として拓かれた銀山平は、明治
24 年(1891)にこの地で探鉱を進めていたところ、
銀が採掘されたのではじめは「銀山」と称されてい
た。このころ、足尾で採れる銅の量は減少傾向にあ
ったため、足尾から新たに発掘された“銀”への注
目が集まった。またそれには、銀は銅よりも資源価
値的にも高い価値をもつためだった。その後、小滝
坑の発展とともに明治 35 年に「小滝索道」(12km)
が敷かれ廃石が運ばれて、平地ができたので「銀山
平」と称されるようになった。
図 7 山田さんが持つ当時の銀山平製材所の写真
足尾銅山と銀山平
明治 18 年、古河市兵衛が足尾銅山を経営していた時
に、彼は通洞坑開坑にも着手した。その際に、
「通洞
開削設計図」には銀山も含まれていたので、銀山は
比較的著名な場所であった。上記でも述べたように
明治 35 年、小滝坑の発展により「銀山平」が誕生し、
そののち明治 38 年に銀山平製材所が設立された。古
河市兵衛の当時の足尾を支配する勢いというものが、
ここでもよくあらわれている。
図8
当時の銀山平製作所を説明してくださった山田さん
6
銀山平製材所
小滝坑の発展とともに、明治 38 年、銀山平製材
所が開設された。また、明治 37 年「根利索道」
(10.1km)
、同 38 年「京子内索道」
(3.48km)の
停車場を設け、東洋一を誇る大製材所を開設し、
足尾銅山の用材の一大基地として、最盛期は 200
人程が従事した。その一方で、この銀山平製材所
は製材料となる木材の不足によって、製材所とし
ての活動は大変短い期間であったといわれてい
る。昭和 14 年、銀山平製材所は閉鎖され、栄え
ていた銀山平も住民はいなくなり、今は日光の観
光資源地として町だけが残っている。
図9
当時の銀山平製材所
(http://nikko-spot.com/blog/2007/07/post_238.html より)
中国人殉難烈士慰霊塔
第二次世界大戦末期に中国から来た労働者 257 名
のうち、殉難された 109 名のために造られた立派
な慰霊塔。その慰霊塔には、殉難された 109 名分
の岩が積まれている。これには日本人の道徳的な、
また礼儀的な、殉難者の一人ひとりへの弔いの気
持ちがあらわれた塔であるといわれている。また、
この塔は今の中華人民共和国を向く方角を目指
して建てられた。塔は高台に立っているが、その
入口の日光市の説明板には、
「強制連行された」
としっかり記されている。朝鮮人の強制連行につ
いては論争があることから、朝鮮人の追悼には木
製の碑しかなく、このような立派な碑は立てられ
ていない。
図 10
7
中国人殉難烈士慰霊塔
わたらせ渓谷鉄道 足尾キリスト教会
14CS003 福田 敦子
●わたらせ渓谷鉄道
1.わたらせ渓谷鉄道の歴史
現在、わたらせ渓谷鉄道は桐生駅から間藤駅までを結ぶ鉄道である。この鉄道はいつ誕
生したのだろうか。それには、足尾鉱山の歴史が深く関わってくる。
1877 年、古河市兵衛が買い取った足尾銅山は、最新の技術を取り入れ、日本の銅の半分
を生産する銅山となった。明治時代初期まで、銅や鉱山などの材料の運搬は馬や牛に頼っ
ていた。しかし、生産量の増加により、家畜の力だけでは運びきれなくなった。その後、
馬車鉄道による運搬を始めたが、さらに多くの荷物を運べるようにするため、 桐生から足
尾まで鉄道を建設することになったのだ。
1912 年 12 月 30 日、桐生から延伸してきた足尾鉄道が、足尾駅まで開通した。その後、
足尾鉄道は国の重要路線であることから、1918 年に国が買い上げて鉄道院(後の国鉄)の足
尾線となった。
国鉄として営業してきた足尾線は、戦後、蒸気機関車がディーゼルカーやディーゼル機
関車に変わって近代化されたが、1973 年に足尾銅山が閉山されると旅客・貨物ともに輸送
量が大きく減少し、1980 年ころから赤字線の問題が起こり、1985 年までに廃止されること
となった。しかし、沿線市民の間で足尾線を残そうと言う活動が起こり、1989 年までJR
東日本足尾線として残った1。その後は、第三セクターである、わたらせ渓谷鐵道株式会社
が路線を引き継ぎ、現在に至る。
わたらせ渓谷鐵道になってからは、貨物輸送に代わり観光客輸送に力を入れており、1994
年には年間の利用者が 100 万人を超えた。また、1998 年からは、観光列車「トロッコわた
らせ渓谷号」の運転も始まり、観光のお客様に人気を博している。
図 11 トロッコわっしー号
1
1987 年に国鉄分割民営化で国鉄足尾線からJR足尾線となった
8
2.駅について
平成 21 年には、通洞駅や足尾駅など 12 件の鉄道設備が、国登録有形文化財になった。
図 12
図 13
通洞駅
足尾駅
足尾駅
2014 年 5 月 22 日には天皇・皇后両陛下が足尾の地を視察された。その際、トロッコ鉄道
にも乗られ、通洞駅に降り立ったようだ。
●足尾キリスト教会
18 世紀末の英国の鉱山王グリン・ビビアンが失明を期に入信し、後に鉱山労働者に対す
る宣教使命が与えられ伝道団を設立した。彼は「自己の遺産を以て全世界の一国に一教会
を」との意思を伝え永眠した。日本では国内屈指の足尾銅山が選ばれ、現在の教会堂が 1908
年に建立された。イギリスのキリスト教団マイナーズミッションからの献金で、当時とし
ては破格の 2500 円で建てられた。教会は現在、福音伝道教団に受け継がれた。
9
本山小学校
本山精錬所
三浦
萌
本山小学校
明治 25 年に、私立古河足尾銅山尋常高等小学校として創立後、昭和 22 年に公立となり
足尾町立本山小学校と改称した。平成 17 年4月、足尾小学校に統合され歴史に幕を下ろし
た。
古河鉱業は、銅山関連施設以外に福利厚生施設や学校・運動場・託児所など教育・保育
施設も設けた。しかし、学校関係では唯一本山小学校の講堂が現存している。
本山精錬所
本山精錬所は銅の産出の増加に対応するため、明治 17 年に直利橋精錬分工場として開設
された。昭和 48 年 2 月に閉山し、その後輸入鉱石を精錬してきたが、足尾選貨物廃止にと
もない、平成元年事実上の操業を停止した。本山精錬所は足尾で最大の精錬所であった。
本山精錬所は横に長く敷地を構えており、向かって左には錆びついたタンクが 3 つあり、
それらも当時からあるものだという。私たちは川向から建物を見学しのだが、遠くから見
ると一際目立ったのが煙突であり、当時の精錬所の規模そのものを見たようだった。この
煙突は大正 8 年に造られ、高さは約 45mである。また本山精錬所の背後には禿山があり、
いまだに残る煙害の爪痕を見ることができた。
精錬所の近くに、屋根の黒い小屋を発見した。これは、精錬所の近くでよくみられるも
のであり、紙屋根といって紙に油を塗って屋根にしていた。精錬所の付近では煙によって
屋根がすぐに悪くなってしまうからである。
図 14
紙屋根の家
10
松木地域旧三山村
14CS026 谷山 礼華
松木地域には中世以来 3 つの山村があったが、明治 17 年建設の直利橋製錬分工場から排
出された亜硫酸ガスの悪影響や山林の乱伐、大火により住居は減少していった。その後、
鉱毒予防工事命令により設置された脱硫塔が煙害を著しくし、住民は移転を余儀なくされ
た。明治 35 年には地権者との示談が終結し廃村となった。
荒廃した山を緑化するために NPO 法人「足尾に緑を育てる会」では、国や県で長年にわ
たり緑化工事が行われた。現在は緑が半分ほどよみがえった。図 15
を見る
図 16 松木渓谷(緑化されていない岩肌)
戦場ヶ原散策
11
旧松木村から堆積場
14CS006 春名 恵理子
実際に歩いたコース
いずみやどいけ
赤沼~自然研究路~青木橋~泉 門 池~湯滝~湯滝入口
図 17 戦場ヶ原周辺地図
戦場ヶ原は
たろうさん
標高 1400 メートルの高地に広がる 400 ヘクタールの湿原で、周囲は男体山・太郎山
さんのう ぼ う し や ま
みつだけ
・山王帽子山・三岳に囲まれている
道は湿原保護のためにほとんど木道になっている
しんせんたん
戦場ヶ原神 戦 譚 という神話に出てくる戦場だったことから名がついた
ラムサール条約湿地に登録されている
12
赤沼
川の色が赤く、神話に出てくる両軍の血に赤く
染まってこの名がついた。
図 18
赤沼
自然研究路
戦場ヶ原を囲んでいる山々を見ることができる。
湿原を傷つけることがないように木道がひかれて
いる。
図 19 自然研究路からの風景
谷地坊主
スゲの仲間が丸く株をつくっているもので水位が変わる場所
にできる。これは体が水につからないようにするため。
*日光観光協会の写真より
図 20
谷地坊主
泉門池
戦場ヶ原に 2 つしかない池沼の 1 つで湧水による池
【もう 1 つは光徳沼】
文字面から「せんもんいけ」とも呼ばれている。
図 21
泉門池
小滝
湯川にかかる滝の一つ
落差が 5 メートルほどで緑に囲まれている
図 22
13
小滝
湯滝
湯ノ湖の南端にある高さ 70 メートル
幅は最大 25 メートルの滝
湯川をせき止めて湯ノ湖を作った三岳溶岩流
の岸壁を湖水が流れ落ちる
図 23
図 24
湯滝
侵入防止柵
←シカよけネット
植生を守るためのシカよけネットや柵がいくつも設置されて
いた。
またクマに警戒するようにも呼び掛けられていた。
図 25
シカよけネット
14
栃木の観光
14IS058 臼井 愛藍
栃木県には多くの観光地があります。足尾銅山はあまりメジャーな観光地ではないよう
に思いますが、世界遺産登録のために、産業遺産としての歴史を伝えようと観光に精を出
しています。わたらせ渓谷鉄道や、マップの制作、ガイドの案内なども充実しています。
図 26 足尾周辺のガイド
ただ、こういった観光地があることがあまり知られていないのは、やはり日光東照宮や、
華厳の滝、日光江戸村などの観光地の存在が大きいと言えます。
15
図 27 日光東照宮の三猿
なので、こうした定番メジャースポットなどに埋もれて行ってしまった観光地にも目を向
けてもらいたいです。
足尾銅山はただでさえダークツーリズムですから、人気な観光地になるというのは難し
いと思います。しかし、行ってみて気付くことは本当にたくさんあります。是非その価値
に気付いてもらいたいです。
16
感想
足尾鉱毒事件によって禿山になってしまった山に緑を復興させるという活動を行っている
というのが私にとって、事前学習の中で印象的であったものの一つだった。だが、実際に
足尾の現地を訪れてみると、自分が想像していたよりも山に緑は復活していなかった。ガ
イドさんの話を聞いて、山に生えている草木でも人の手作業によって生えた草木か、ヘリ
コプターなどによる空中散布によって生えた草木があるということを知った。また、その
ような緑を増やす活動はボランティアであるということを聞いてとても驚いた。足尾鉱毒
事件は、今まで小学校から大学までを通して、必ず 1 度は授業で学ぶ内容であるものだ。
そのため、関心を寄せる人も多いと思っていたが意外にも足尾の道中で他の観光客の方に
会う機会は少なかった。その中でも、1 日目の最後に訪れた、松木エリアに行くまでの道の
りはあまり整備がされていないという印象を受けた。足尾銅山は鉱毒事件だけではなく、
日本で初めての水力発電所や電気機関車などがあり、当時産業的に発展していたというこ
とを、多くの人に現地に訪れて現状を知ってもらうためには、交通を整備して行きやすく
することも一つの手段ではないかと思った。また、今回のように現地に行かなければ分か
らないこともあるということを、身をもって実感した。実際に現地を訪れてみて、事前勉
強したことをさらに深めて理解することができたことや、新たに疑問が生まれるなどした
ため、このゼミ旅行はとても私にとって有意義なものになったと思う。
高橋 実梨
事前学習では文章を読んだりした知識としてしか足尾を知らなかったが実際に足尾に行っ
てみて、松木村などまだ被害の爪あとが思っていたよりもあることや、地元の人などが足
尾のことを伝えるために頑張っていることが分かった。足尾銅山が運営されていたのも、
公害事件が起こったのも 100 年ほど前のためもう終わったことと思っていたが、足尾に住
む人々は公害のことでずっと苦しんでいたことが、地元の人の話を聞いてよく知ることが
出来た。また、事後学習として足尾のことを調べてみて、足尾に産業遺産と呼ばれるもの
は多くあるが、その多くが県や市の指定遺跡にもなっていないことに驚いた。もう名残し
か残っていない場所や崩壊が起こっている場所もある。どれも歴史のことを知ることので
きる素晴らしい遺産なので、足尾銅山も含み世界遺産などに登録してほしいと思った。
小林 優奈
17
日光には、戦場ヶ原などの自然あふれるイメージや、東照宮などの歴史文化的な資源のあ
る観光地のイメージが強くあった。しかし、日光の足尾をテーマに今回、様々な事前学習
や現地学習を通してより印象的にわかったことは、日光は 1800 年代から変電所や浄水場な
ど動力の応用的要素となるものを取り入れていて、日本の発展の基盤となる工場が存在し
ていたこと、また足尾はかつて銅山鉱毒による硫酸で自然が破壊され、まだまだ岩がむき
出しになる岩山が存在しているということだった。これには私自身とても驚き、日光への
イメージが変わった。現在、日光は観光地として広く知られているが、今の日光になる前
のそれまでの知られざる背景を、山田さんのガイドとともに学習することができ、非常に
良い経験ができた。
渡邉 由理奈
足尾銅山は小学生の頃から授業で何度も聞いたことのある名前であったが、現在はどうな
っているかということは、深く考えたことがなかった。実際訪れ、足尾がどのような場所
を学んだことで改めて、当時から現在までいまだ問題が山積みである場所であると感じた。
特に鉱毒による被害を、木の生えていないハゲ山などを直接見たことで被害の大きさを考
えさせられた。ガイドの山田さんが、小さい頃は植物をほぼ見たことがなかったと仰って
いたのがとても心に残っている。実際にその場所を訪れ、現地の人から学ぶことは新たな
思考に繋がるということを、フィールドトリップを通して学んだ。
福田 敦子
足尾に着いて、初めて禿山を見たとき本当に驚いた。事前学習で学んだように、山が煙害
によって枯れ、岩肌がむき出しになっていることは頭では想像していた。しかし、あまり
にも想像をこえていて、最初自分は何を見ているのかわからなかった。また、実際に現地
に足を運ぶことによって、寒さや湿度を感じ、より当時の人々の気持ちの理解をする手助
けとなった。事前学習では知らなかったこと、感じ得なかったことをフィールドトリップ
を通じて学ぶことができた。百聞は一見にしかずとはまさにこのことだなと思った。事後
学習も、一度自分の目で見て考えたことにより、より親身になって当時の問題について考
えることができたし、興味もさらに深まりとても実りあるものとなった。このゼミで、仲
間と共にフィールドトリップに行けたことに感謝したい。
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三浦 萌
私はいままで、足尾銅山鉱毒事件について教科書通りの出来事しか知らなかった。しかし
今回足尾銅山鉱毒事件について学べて、意識が変わった。事前学習では足尾鉱毒事件によ
り被害を受けた住民の苦悩や時代背景が分かった。そして実際に行ってみて、本当は負の
遺産としてではなく産業遺産としての面もあることを知った。現地の人は産業遺産として
の足尾を推していて、私は今まで足尾のそういった産業での活躍していた足尾を知らなか
ったのでそのギャップにとても驚いた。その時代を生きた人の話を聞いて、現地の人と私
のような少ない知識だけという人間の足尾に対する意識は全然違うもので、教科書だけで
はない足尾が見ることができてよかったと思う。
谷山 礼華
今回のフィールドトリップでは知識をちゃんと理解することができたように思う。事前学
習などで取り上げていたこともあり、知識としてその場所について知ってはいたがやはり
自分の目で見るのとは違っていた。特に戦場ヶ原では今回時間ができたため行くことがで
きた湯滝はあまり聞いたことがなかったため、私の想像していたものよりも迫力があり驚
いた。合宿全体を通して考えると本やネットに書かれていることが正確で正しくても、現
地に行かなければ感じることのないものがあり自分の考えをより深めることができるのを
このフィールドトリップで感じた。
春名 恵理子
私は、このゼミを取って初めて足尾銅山のことを学び、足を運びました。公害の問題、緑
化計画などはこの目で見て確認しました。一泊二日とは思えないほど濃い一日を過ごし、
足尾と真正面から向き合いました。ガイドさんからお話を伺ったり、資料館に行って歴史
に触れたりして、とても充実した校外学習だったと思います。そのあとに行った日光東照
宮も大変素晴らしかったのですが、負けず劣らず足尾観光も素晴らしかったのでたくさん
の人に行ってもらいたいです。
臼井 愛藍
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参考文献一覧
布川了著 堀内洋助写真『田中正造と足尾鉱毒事件を歩く』随想社、2009 年。
山田知子「足尾銅山鉱毒事件と女性運動―鉱毒地救済婦人会を中心に―」
『大正大学研究紀
要』第九十七輯(2012 年)184-175 頁。
親泊素子「Dark Tourism 試論―負の遺産は観光資源になり得るか?」
『情報と社会:江戸川
大学紀要』22 号(2012 年)139-148 頁。
『足尾から来た女』NHK、2014 年 1 月 18 日(土)・25 日(土)放送。
NPO 法人 足尾歴史館 HP (http://ashiorekishikan.com/use/gasoline-car)
「写真館四代目のブログ」
(http://nikko-spot.com/blog/)
鉄道ホビダス (http://rail.hobidas.com/news/info/article/127456.html)
足尾銅山の世界遺産登録をめざして
http://www.nikko-ashio.jp/top.html
2015 年 1 月 14 日閲覧
足尾銅山を世界遺産に
http://www.city.nikko.lg.jp/hisho/gyousei/kouhou/12/documents/201310p06-07.pdf
2015 年 1 月 14 日
水力発電所
http://www.suiryoku.com/gallery/tochigi/matou/matou.html 2015 年 1 月 14 日
銀山平 http://a11234842.travel-way.net/988ginnzanndaira925.html(2015.1/12 閲覧)
銀山平製材所
http://nikko-spot.com/blog/2007/07/post_238.html
http://ashio.shokokai-tochigi.or.jp/dennouhakubutukan/sanngyou%20iseki/kouhouash
io/h1609.pdf (2015.1/12 閲覧)
中国人殉難烈士慰霊塔
http://blog.goo.ne.jp/ruinsdiary/e/94c6834d80d7036fb207eaba095160fe
(2015.1/12 閲覧)
足尾鉱山近代化産業遺産 MAP
足尾銅山の世界遺産登録を目指して HP 「足尾キリスト教会-解説-」
http://www.nikko-ashio.jp/heritage/seikatsu/ashiokirisuto.html
毎日新聞 HP 「皇室:両陛下、トロッコ列車楽しむ」
http://mainichi.jp/graph/2014/05/23/20140523k0000m040042000c/004.html
わたらせ渓谷鐵道株式会社 HP 「会社概要」 http://www.watetsu.com/company.html
足尾の風景 http://www.shorebook.jp/ashi/kinsan33.html
足尾歴史館のパンフレット
20
NPO 法人「足尾に緑を育てる会」
http://www.ashiomidori.com/足尾に緑を育てる会とは/
栃木県 HP
http://www.pref.tochigi.lg.jp/d04/eco/shizenkankyou/shizen/ramsar.html
日光市 HP
http://www.city.nikko.lg.jp/kankyou/kankou/ramsar/introduction.html
日光観光協会
http://www.nikko-jp.org/perfect/senjogahara/akanuma.html
奥日光 一般法人
http://www.bes.or.jp/nikko/blog/detail.html?id=5170
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