身体の非対称性をもたらすメカニズムについて

編集後記
身体の非対称性をもたらすメカニズムについて
清水 正裕
清水歯科医院(千葉県船橋市)
も見受けられる。
骨格 対称性 骨代謝 メカニカルストレス ウォルフの法則 機能マトリックス
口腔内であれば、歯列の左右非対称がある。
ある程度の範囲ならば「個性正常咬合」として
容認される場合も見受けられる。しかしながら
単なる歯列の不正として捉えがちであるが、そ
健康的な体づくりを支援するために、体の対
称性を確立することは意義があり、それを確認
することは歯科臨床においても重要なテーマの
ひとつと考える。屋台骨として人体を支持する
組織は骨格であり、その対称性を損なうメカニ
ズムは、骨代謝の機序により説明される。
れは歯牙レベルだけの問題ではない。歯が植立
しているのは顎骨であり、骨の歪みに由来した
問題と考えるべきである。歯の発生過程を確認
すれば明らかなように、永久歯は歯胚の時期、
顎骨の中に存在している。歯の萌出過程で、顎
骨の歪みに伴って萌出位置が変位したために、
整然とした歯列・咬合とならなかったのであ
はじめに
る。萌出後の歯列が完成した後でも同じこと
で、顎骨の形態に変形が生ずれば、それに伴い
ヒトは脊椎動物として約 200 個の骨で体を支
歯列は崩れてしまう。
持されており、骨格は身体を支える基本的な構
口唇や眼裂の左右の高低差、耳の位置の左右
造体である。完璧な左右の対称性を確立してい
差等も同様である。この様に非対称は日常的に
るヒトは見られないが、一定の閾値を超えた非
接する課題であり、骨格的な問題にまで及んで
対称は疾患を誘発することが懸念される。
いる場合が殆どである。
成長期の子供の体がねじれているとしたら、
骨の形態は変化する
その姿勢を持続させながら生理的な成長が推進
されるとは考えにくい。例外はあるだろうが、
■ウ ォルフの法則(Wolff’
s law 1))と機能マト
筋の緊張などから成長すべき部位に応力が集中
リックス(functional matrix 2))という概念
し、圧力が加わった状態では、成長は抑制され
本来ならば、内臓は別として、ヒトの体の骨
ることも考えられる。また同様な状況が成人で
格は対称性を確立した状態が理想的である。重
起きているとしたら、筋肉の凝りや緊張、骨格
力に抵抗して構造体を支持するためには、バラ
の歪みなどを通して、身体の諸症状も誘発され
ンスがとれている状態の方が効率が良いからで
るであろう。
ある。発生段階で、体の形態を決定付けている
また頭蓋冠の変形がある。大人では成長過程
遺伝的及びエピジェネティックなメカニズムで
で改善されたり、頭髪に隠されて顕在化しにく
は、骨格的には適度の対称性が確立するように
かったりするが、赤ちゃんや小児では目立つ子
プログラムされている筈である。一定の限度を
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Cranio-Orofacial Growth Guidance Journal Vol.3 No.1 2015
超えて非対称を呈する身体は、環境的要因に
カルシウムの一種であるヒドロキシアパタイト
よって歪められたものである。その歪みは殆ど
とⅠ型コラーゲンを主成分とした強固な組織で
の場合において骨格にまで及んでいると考えら
あるが,その内部では破骨細胞と骨芽細胞に
れる。
よって骨吸収と骨形成が絶え間なく繰り返され
個々の骨の形態的特徴、大きさ・外形・成長
ている。この営みは「骨リモデリング(bone re-
の仕方などは遺伝的に決定されてはいるもの
modeling)」と呼ばれ,骨の強度や血清カルシ
の、骨は周囲を取り巻く環境によって影響を受
ウム濃度を調節する重要な生体システムの一つ
けながら形態を変化させ続けている構造体なの
である。
である。例えば上顎骨は、目、鼻、舌、頬、口
骨組織では常に骨代謝が行われながら組織を
唇といった器官やそれらの機能によって、また
維持しているが、その際、機能的な力の作用を
上顎骨に隣接する様々な頭蓋骨及び顔面骨から
受けることで形態は変化する。骨は生涯に渡
の影響を受けながら形作られている。
り、継続して代謝しながら形態を変化させてい
猫背や脊柱側彎のヒトも、初めから背骨が曲
る構造体であり、その現象を形態的に捉えたも
がっていない場合が多数であろう。姿勢を僅か
のが、先に触れたウォルフの法則である。その
に変化させることで、骨に張力が加わり、形状
コントロールを行うメカニズムの一つに、メカ
を歪曲させてしまったのである。骨は例え微小
ニカルストレスがある。近年、それは細胞レベ
な力であっても、それが持続的に加圧されるこ
ルでも解析されてきている。骨形態を直接作り
とで形態を変化させる。それを法則化したもの
上げているのは、石灰化骨基質を形成する骨芽
がウォルフの法則で、“骨は力学的環境に合わ
細胞とそれを吸収する破骨細胞であり、これら
せて形成・吸収を行い、その強度を維持するの
の細胞機能をコントロールする重要な役目を
に適した形と量に調整する”、つまり「骨は、
担っているのが骨細胞なのである。
機能的な力によって、形態的に反応する」とい
石灰化骨基質の骨小腔の中に封じ込められた
うものである。
骨細胞であるが、細胞突起は骨細管の中に伸び
そうした互いに影響し合う一組の関連した器
て、細胞突起同士が gap junction で連結し合い
官や組織は「機能マトリックス」と呼ばれてい
ながら、骨基質の中で互いにネットワークを作
る。それは更に、筋肉や靱帯などのように骨に
り上げている。そして骨細胞は、骨表面に存在
付着する「周骨マトリックス(periosteal ma-
する骨芽細胞の細胞突起とも連結しており、互
trix)
」と、骨に隣接する器官のように、それが
いに情報を交換していると言われている 3 )。
増大することで骨を位置移動させるような「包
メカニカルストレスが骨に作用すると、骨細
状マトリックス(capsular matrix)」とに区別さ
胞がメカノセンサーとして働き、それをキャッ
れている。
チしてその情報を骨芽細胞に伝達するのである。
矯正治療後の保定の問題も、歯列・咬合がそ
骨細胞がメカニカルストレスを認識するメカ
れを取り巻く周囲の軟組織とで構成する機能マ
ニズムについては、未だ解明された訳ではない
トリックスにおける調和の問題に置き換えられ
が、流体剪断応力学説が有力である。メカニカ
るのである。
ルストレスが加わったときに生じる微小な骨の
骨格の形態を変化させるメカニズム
変形が、骨細管の中に流れる組織液を動かすこ
とによって流体剪断応力を発生させる。それを
■メカニカルストレスと骨代謝
骨細胞が細胞突起表面でのずり応力として感知
骨格が対象性を失うのは、代謝が営まれ、生
しメカニカルストレスを認識する、というもの
まれ変わっているからである。一見安定して静
である。
止しているように見える骨組織であるが、実は
骨芽細胞や骨細胞は RANKL(receptor activa-
骨代謝が常に行われ変化している。骨はリン酸
tor of NF-κB ligand)と呼ばれる膜結合型の分
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子を産生する。それが破骨細胞を分化させるト
内骨発生の機構の違いによるものである。頭蓋
リガーとしての役割を担っており,骨代謝がス
冠は骨髄膜から発生し、その縫合部は頭蓋骨膜
タートするのである。骨細胞を消滅させた骨は
や脳硬膜と平行に走る線維で構成されており、
リモデリングをしないことなどからも、メカニ
頭蓋冠の縫合は骨成長の方向に添った層状構造
カルストレスの感受や骨リモデリングを制御す
になっている。一方の顔面骨は比較的無構造な
る“指令細胞”として骨細胞が機能しているこ
間葉組織から骨化が起こり、各骨はこれに接す
とが解明されてきている。
る骨膜を別々に形成するので、顔面骨の縫合は
このようなメカニカルストレスは僅かな姿勢
骨膜包からなり、隣接する骨同士を結合させる
の変化や態癖などで容易に発生し、そのメカニ
ような線維は縫合部以外には存在しないのであ
ズムによって骨は変形し対称性を失うと考えら
る。
れている。
顔面部の非対称性は既に述べたように、その
頭蓋顔面部の非対称性
機能マトリックスにおけるウォルフの法則に
従ってもたらされたものである。
ところが頭部の変形では器官としての特殊性
おわりに
があり、体の他の骨格とは異なる原因でも発症
する。それは縫合部の損傷に起因するものであ
ヒトは重力に抗して生存活動するために、特
る。胎内での頭蓋への異常な圧迫や、出産時の
徴的な構造形態を呈して身体を維持している。
産道通過により外傷を受けることが、変形のひ
脊柱の適度な前彎や後彎、身体の対称性などで
とつの原因ともなる、というものである。
ある。総体的な見方をすれば、ヒトの身体は頭
頭蓋顔面では、縫合部において、細胞増殖と
の天辺から足の先まで、組織全体が影響し合っ
線維形成により骨の付加が起こり、隣接する骨
て機能しており、大きなひとつの機能マトリッ
が成長する。しかし縫合部が障害を受けると、
クスを構成していると言えよう。歯科領域での
膜内骨化によって縫合が閉鎖し癒合が起こる。
問題である歯列・咬合の不正もその中に帰属す
その結果、縫合は線維結合から骨結合へと変わ
る一器官の問題なのである。頭蓋顔面複合体を
り、縫合部での成長は停止し早期癒合が起き
構成する様々な頭蓋顔面骨、更には全身の諸々
る。
の器官による影響下でもたらされた産物なので
骨成長の方向と縫合面は直角をなしているの
ある。母親の体内で生を受けた直後から、成長
で、異常な癒合によってある部位の骨成長が停
発育の過程の中で、体の一部として作られてき
止すると、これを補償するような特異的な成長
た訳である。そこで歯列や咬合という歯科領域
が正常な骨成長とは別方向に生じ、頭蓋骨が変
の問題と言えども、産科、小児科、耳鼻咽喉科
形を起こすのである。頭蓋骨に隣接する脳など
をはじめとして、他科の医療関係者と連携し、
の組織は継続して成長しており、機能マトリッ
総合的に取組むべき課題なのである。骨代謝に
クスとして骨組織に外力を作用させるからであ
よりもたらされる身体の対称性もその一つであ
る。
り、更なる国民の健康づくりに必要な視点であ
また一旦変形した頭蓋冠は、寝癖などの態癖
ると考えている。
を誘発することにも繋がり、それによって変形
した状態が存続することになる。
ところで頭蓋顔面領域での骨癒合は頭蓋冠に
限局したもので、顔面骨には殆どみられない。
頭蓋冠と顔面骨の縫合は若干異なっているから
である。これは、顔面骨の縫合と頭蓋冠の縫合
●参考文献
1 .Wolff J. The Low of Bone Remodeling. Springer, Berlin, Germany, 1986
2 .Sperber GH. Craniofacial Embryogenetics and Development. Shelton, USA, 2010
3 .横瀬敏志ほか.メカニカルストレスと骨組織.日本歯
科評論 71 ( 4 ), 2011
の構造上の差によるもので、 2 つの領域の膜
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