読んでナットク キリスト教ひと口メモ 390

読んでナットク
キリスト教ひと口メモ
390
聖書による成功本
松島修著「聖書に隠された成功法則」(サンマーク出版、2010 年)という本を購読した。最初に手にした
時、まやかし半分の本ではないかと思った。読み進むうちに興味や関心が出てきて、読み終わりまで読むこ
とができた。本書は4章からなっている。
1 章は「あなたの道を開く鍵は聖書にあった」である。①人はそれぞれ目的を持って神によって創造され
た。②人は神に似せて創られた最高傑作である。③人は神から愛されている---との人のステイタスを
知る。
2章は「才能が見つかる4つのタイプ別攻略法」である。獅子タイプ=王様資質、雄牛タイプ=目的志向
型、人タイプ=探求心旺盛、鷲タイプ=鳥瞰的視点を持つ。自分のタイプを判断し、備わった才能に目覚
めていく。
3章は「人生に豊かさをもたらす実践法則」である。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。」
の聖句が生き方に豊かさをもたせる。
4章は「自分の才能を高める実践法則」である。行動すれば才能も増し、正しいビジョンが得られれば成
功の道が進める---と本書は読者を励ます。本書と聖書を手にすると人生の意味や目的も掘り下げられ
そうである。
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389
志賀直哉作品ところどころ
志賀直哉のことを「広辞苑」第 6 版(岩波書店、2008 年)には次のように説明している。
「志賀直哉、小説家。宮城県生まれ。東大中退。武者小路実篤らと雑誌「白樺」を創刊。強靭な個性による
簡潔な文体は、散文表現における一到達点をしめした。作「城の崎にて」「和解」「小僧の神様」「暗夜行
路」など。文化勲章。(1883~1971)」となっている。
「志賀直哉全集」(岩波書店、1973~1974」の第 14 巻にある年譜では、志賀直哉は 1900 年 7 月から
1908 年夏まで内村鑑三の聖書研究会に日曜日ごとに通い、クリスチャンとしての信仰生活を守ったことが
記されている。「濁った頭」(1911年)、「大津順吉」(1912年)を読むと、内村鑑三指導下にあるキリスト者
の主人公がキリスト教信仰と恋愛、結婚の矛盾に悩み苦しむ場合がストレートに描写されている。
「清兵衛と瓢箪」(1913年)、「城の崎にて」(1917年)、「赤西蠣太」(1917年)、「自転車」(1951年)、
「朝顔」(1954年)などの作品には命についてとか清らかな生き方が結実していて読者に満足を与える。一
方、「痴情」(1926年)では作者の自我性や個性がありのままに書かれていて悩ましい。
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388
月刊誌 20 年間の執筆
公益財団法人近江兄弟社(湖声社)が発行している月刊「湖畔の声」に宣教と呼ぶページがある。本文
が2400字(原稿用紙 6 枚)である。
長さが手ごろであるし、巻頭見開きの 2 ページに収まっているので、雑誌が届くとつい読んでしまう。同志社
大学神学部、関西学院大学神学部卒業の牧師たちが健筆をふるってきた。長く愛読していた。
ところが、1996年1月号から執筆がわたしにまわってきた。それまでの執筆者が大学院修士課程終了の
牧師か神学校の教授であった。そのような学識経験豊かな方々の後の執筆は避けたかった。時の編集長
が強い要請をされたので、断り切れなかった。いたしかたなく重い腰をあげた。
2015年 12 月号の原稿で 20 年となる。10 年間に 120 篇書くので、合計240篇ということになる。気が遠
くなる。10 年、15 年前にどのような主題と題材で執筆したかは覚えていない。毎月ひたすら書き続けた。な
ぜ 20 年間も執筆依頼が続けられたのだろうか。①原稿しめ切り日を守る、②本文の字数がおお過ぎず少
な過ぎずの 2400 字であること、③誤字脱字などの原稿の不備がない、ということらしい。あと何年書かせて
いただけるのかは不明である。
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387
ツヴィングリの人と働き
ウルリヒ・ツヴィングリ(1484~1531)はスイスの宗教改革者として知られている。ト
ッケンブルク州ヴィルトハウスにおいて富裕な農家の子として誕生する。5歳のとき養育
はカソリック教会司祭であった叔父バルトロメウスの手に託された。ヴィーン大学、バー
ゼル大学で学び、1506年からグラルースの教会で司祭として仕える。
ウルリヒ・ツヴィングリは、人文主義学者デシデリウス・エラスムス(1469~1536)の
影響を受け、原典による聖書研究に取り組む。その結果、教皇の権威を疑い、チューリッ
ヒで改革運動をすすめた。
礼拝形式の簡素化を唱え、十分の一献金に反対し、信徒の生活の合理化をはかった。聖餐
論では象徴説をとり、カソリック教会がいう化体説とは対極をなしていた。彼の神学思想
は、人文主義(Humanism)に基づく合理性を特質としていた。
ウルリヒ・ツヴィングリは1522年に37歳でアンナ・ラインハルトと結婚した。この女性
は旅館経営者の家庭に生まれ、最初の夫との間に3人の子どもが与えられ、家庭生活13年で
夫ハンスは病死する。アンナは牧師と再婚してからは質素な服しか着なかった。ツヴィン
グリは妻の連れ子もわが子も愛した。
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386
日野原重明氏と D・キーン氏
「中央公論」2015年9月号に、「ようこそキーンさん、平和の話をしましょう」のタイト
ルで、日野原重明氏(聖路加国際病院名誉医院長、103歳)とドナルド・キーン氏(コロン
ビア大学名誉教授、93歳)の対談が載っていた。
日本の老医師とアメリカの老文学者(日本に帰化されたとはいえ)の対談は興味深かっ
た。仏教者鈴木大拙、キーンさんの日本語習得、キーンさんの日本来訪、太平洋戦争、東
日本大震災のことなど、対談は息つく暇なく進む。
読後の印象として、103歳医師と93歳文学者にしては元気はつらつとしていて、話題のさ
ばき方鮮やかであったことである。日野原氏は牧師家庭出身の医師であり、キーン氏はア
メリカ海軍の元軍人であった。
日野原氏の父親日野原善輔牧師は、若い日にアメリカの神学校で6年間学ばれた。キーン
氏は青年時代に中国人から漢字を、日本人から日本語を学んだとのこと。歴史・文学・人
間に興味関心を持ち続け、老齢に至っているように思う。お2人はあと何年生きられるの
かは知らないが、貴重な存在である。
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385
旧約聖書が好きになる
旧約聖書が好きになる方法はあるのだろうか。そんなの、あるわけない。旧約聖書はわ
かりにくく、読み進みにくく好きになるのは無理にきまっている。----というのが一
般的な声である。
ところが、なんと、「あなたも旧約聖書が好きになる」(西満著、いのちのことば社、
1980年)という本がある。この本は7章からなっている。前半の1~4章で、旧約聖書の
重要性、旧約聖書の構成、旧約をりかいするかぎ――――契約と贖い、が説かれている。
基本的なこれらのことがわかれば、好きになることに一歩踏み出せる。
さらに、5~7章において、モーセ五書、歴史書、預言書の読み方が案内されている。
この中でモーセ五書の部分が一番大切である。そしてこの本は、旧約聖書の39巻の書を読
むことを勧める。1回、2回、3回と読むことで気が付いた時には、旧約聖書が好きになって
いるのである。
以上が著者西満が本書で案内しているところである。一読者の立場で、なお補足するな
らば、創世記の中のアブラハム、イサク、ヤコブ(イスラエル)の3人の人物が理解できる
なら、なお旧約が好きになれるだろう。
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384
地域密着型伝道
2015年7月27日(月)~28日(火)、千葉県市川市にて、日本伝道の幻を語る会が
開かれた。主催はキリスト伝道会(会長森稔
師、実行委員長深谷春男師)であった。
その会で20分間、「地域密着型伝道の可能性とその限界」の主題で発題を求められた。
内容は以下の通りである。
1995年ごろであったが、早朝散歩をした時にツユクサが咲いていたので、30本ほど
摘んできた。帰宅してそれをブーケ状にしてお隣の寝た切りの老婦人に差し上げた。野辺
に咲く野草の花を見て非常に喜ばれた。
これがきっかけとなって、教会の置かれた地域の人々が喜ばれることに心掛けるように
なった。
次に子どもが通っている小学校でPTA副会長1年、中学校でPTA会長2年引き受けた。妻が町
内副会長を2003~2012年の10年間担当した。
牧師が2004年に還暦を迎えた時、60歳記念説教会を催したところ60名が出席された。40
人は地域の方々であった。2009年に教会が不動産を5000万円で購入した時、地域の方々が
融資金1000万円を寄せられた。地域に密着する働きで、教会の働きも進む。一方、地域は
キリスト教化はせず、教会に親しむだけでに終わっている。
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383
牧師の勲章受賞
何年前であったか、日本イエス・キリスト教団引退牧師が藍綬褒章を受けた。それは何で知ったか
というと、年賀状に藍綬褒章をかかえた写真が載せられていて、「天皇陛下からいただきました。」
と説明されていた。その牧師は神戸市で 20 年以上にわたって宗教教誨師として刑務所に通って
受刑者教育に当ってきた。その年賀状は、どのような意味でか知らないが強いインパクトを与えた。
いつまで経っても忘れられない一件であった。
ところが、愛知県下で親しく交流してきた牧師が、この度神戸の引退牧師と同じ藍綬褒章を受け
た。まず、その事実を彼から電話で知らされた。「おめでとうございます・」と申し上げた。1か月程し
てある会議でその牧師と一緒になった。会議終了後に、そのまま自宅まで来て藍綬褒章を見てく
れるようにと案内された。お断わりすれば角が立つので連れて行ってもらった。
驚いた。ほんとうに驚いた。年賀状の写真で見るものとは訳が違っていた。藍綬褒章は立派な
額に収められていて輝くばかりであった。宗教教誨師を 20 年以上した功績が認められ、今回の受
賞となった。あまりの立派さに目まいがするほど驚いた。目がつぶれはせぬかと心配している。
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382
ブレザーの汚れ
ここ半年くらい愛用している黒色ボールペンがある。MITSUBISHI PENCIL CO.LTD.のもので、
JETSTREAM 0.7mm である。油性インクでインクの出がよく、のびやかに書ける。いくらかベタ付き
感があるものの、必要以上にインクがでてノートや便箋を汚すこともない。
ところが、わたしの手から転げ落ちたそのボールペンが夏用でレザーの前みごろの部分に当っ
た。それもボールペンのペン先のインクが出る部分から落ちたので、ブレザーが黒く汚れてしまっ
た。
1週間ほど悩んだ末、クリーニング店に持ち込み、汚れを落としてくれるように依頼した。ブレザ
ーは絹地で、天使の衣のように軽い。しかも夏でも涼しく着れる。洗濯屋さんの話では、このような
製品の扱いが一番むずかしいとのことであった。
仕上がりの約束の日に取りに行く。みごとに汚れは取り除かれていた。3780 円のクリーニング代
を支払った。この金額が高いのか安いのかは知らない。いずれにしてもブレザーの汚れが取り去
られ、気をよくしている。ボールペンという代物は、とんだいたずらをすることを知った。
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キリスト教ひと口メモ
381
十字ヶ丘復活苑記念式
日進市に十字ヶ丘復活苑という納骨施設がある。クリスチャンの遺骨が納骨される巨大な納骨
堂である。十字ヶ丘復活苑では、年に 1 回召天者合同記念式を開催している。2015 年の場合は 9
月 23 日(水)である。
2015 年7月 14 日(火)に、十字ヶ丘復活苑から電話があって、9 月 23 日(水)の召天者合同記念
式での説教奉仕を依頼された。お断わりできないような空気の中での依頼であったため引き受け
ざるを得なかった。
依頼者は、すぐにでも説教テキストの聖書箇所、説教題、賛美歌 1 曲を決めて知らせてくれるよ
うにといわれた。今日言われても今日それらを決めるよう要請されても困ってしまう。
多少無理は承知で、本日中に決めて郵送するとの約束をした。そこで決めたのがコリントの信
徒の第2の手紙4章 16 節~5章 10 節、説教「神と共に生きる―――地でも天でも」、「賛美歌 21」
4番「世にあるかぎり」であった。
以来、この聖書箇所をよく読み、合同記念式説教に備えている。NCC系教会、福音派教会の
信徒など多様な信徒たちが 500~800 人出席される。ヘタな説教をしたら大変なことになる。
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380
2004 年アテネ五輪
たまたまであるが、「天声人語 2004 秋」(原書房、vol,138)を手にした。朝日新聞に掲載された「天
声人語」の7~9月分が1冊になっている本である。
8月分を読むと、30 篇のうち 12 篇がギリシャで開催されたアテネオリンピックのことが取り上げられ
たコラムであった。2004 年 8 月に開催されたアテネオリンピックは、近代五輪がアテネで 1896 年に
第 1 回のスタートが切られてから 2 度目であった。
2001 年 9 月 11 日のアメリカでのテロ事件があって 3 年後のオリンピックであった。場合によって
は、オリンピック競技中に会場にミサイルが打ち込まれるかもしれなかった。テロ警戒のために、カ
ヌー・スラローム会場近くには、地対空誘導ミサイル・パトリオットの発射装置が据えられたとの報道
もされている。
現在、ギリシャは経済的に行き詰まり、EUを離脱するに至る可能性も生じている。2004 年のころ
のギリシャの元気さはなくなっている。世の中の変化はまことに激しい。2020 年に東京で開催され
るオリンピックのメイン会場工事費用問題で注目されている。日本がギリシャと同じ道をたどらない
ことを祈るほかない
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379
8 月の園芸
大山玲瓏著「家庭園芸」(鴨書房、1961年)という文庫本を読んだ。137~158 ページに「8月の
家庭園芸」が書かれている。その本によると、1 月と8月は園芸作業が少ない月とのことである。要
約すると水やりと秋作への準備が主な作業である。
8月はとにかく暑いので、日よけをしたり敷ワラをして、地面が乾燥しないように配慮する必要があ
る。タネマキあとしては葉牡丹、キンセンカ、矢車草、スイートピー、ベゴニヤというような草花を手
掛ける。野菜類としてはカブ、ニンジン、ゴボウ、エンドウ、インゲンのタネマキをする。挿し木する
ものはバラ、イチジク、キョウチクトウ他である。
キリスト教会では、駐車場とか庭に植木鉢を並べて草花や木を育てる。スペースも限りがあるた
め、ささやかな園芸しかできない。教会の玄関先に、いかにも牧師夫婦の手で育てられたような草
花が植えられていると、ほっとした思いがする。反対に植木鉢の数が多過ぎたり、手入れもさほど
にしていない状態であると、節度がない牧師夫婦がいることを証明しているかのような気になる。わ
たしなどは植物を育てるからには、常時よく育った状態にしておきたいとことがある。
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378
老人ホーム起工式
2015 年6月 19 日(金)のことであった。福島県会津若松市にいた。星功というクリスチャンが、N
PO法人プリム理事長として、サービス付き高齢者向け住宅「丘の一番星」、併設デイサービス「そ
らと星のバラード」の施設建設工事起工式をされた。筆者は、その起工式の司式者として名古屋
の地から招かれたのであった。
まず、なぜ起工式司式奉仕に招かれたのかを記さなければならない。施主星功は長年社会保
険労務士事務所を会津若松市内で営業してきた。1990 年にゴスペル構想を立て、犯罪にかかわ
った青少年の更生と老人ケアをめざしてきた。すでに青少年の更生は開始されたおり、今回は老
人ケアに取り組むことになった。筆者はゴスペル構想を立てた時点から祈りを依頼されてきた。そ
れ故に起工式司式をするように要請された。
どのような式文で起工式の司式をしたらよいかに備えてきた。そして、「日本基督教団式文(試
用版Ⅱ)」(日本基督教団出版局、2009 年)によることにした。祈祷も聖書テキストの引用も、まこと
に適切であった。長く「日本基督教団口語式文」を使用してきたので、新鮮なものを感じた。
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377
37 名の引退牧師
日本イエス・キリスト教団が 2015 年6月に発行した出版物の中に、日本イエス・キリスト教団の引
退牧師の氏名、住所、電話番号の3点の情報を載せた一覧表があった。始めから終わりまでを数
えると 37 名であった。もっとも夫婦の場合は1名と数えたので、そのつもりでご理解いただきたい。
わたしが日本イエス・キリスト教団で教職者として奉仕お開始したのは 1972 年4月であった。最
初の2年間は伝道師、さらに補教師となって3年奉仕し、正教師と呼ばれる牧師になったのは
1977 年3月であった。以来 43 年4か月間にわたって日本イエス・キリスト教団の3つの教会に仕え
てきた。
日本イエス・キリスト教団には元来牧師退職についての定年規定はなかった。それ故に牧師は
いつまでも奉仕できるまで教会に仕えた。2014 年3月末で 75 歳を迎えた牧師から引退牧師になる
ことが実施された。さかのぼって何年か前から、ぼくしとしての奉仕を終えて引退牧師の立場にな
る方が増えつつあった。
が、今はその数が 37 名になった。教会数が 129 の教団に 37 名の引退牧師がいるのは多すぎ
るようなきがしてならない。そういうわたしも、今 70 歳なので5年後に引退牧師となる。
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376
井上良雄
最近、平野謙著「志賀直哉とその時代」(中央公論社、1977 年)を読む機会があった。著者はよく
知られた文芸評論家である。この本を読みながら予想外の人物の業績が紹介されていて驚いた。
志賀直哉(1883~1971)という小説家の人と作品と時代を論じている文章の中に、キリスト教の世
界でよく知られている人の名が出てくると共に、高い評価が与えられていた。その名とは井上良雄
である。
本書に記されているところによれば、井上良雄は 1932 年4月に同人誌「磁場」に「芥川龍之介と
志賀直哉」を発表した。その文章の結論部分で、「スピノザの真の相続人は近代プロレタリアート
のみである」というデボーリンの言葉を引用しながら、「未だ生活者芸術家の分裂を知らぬ人間、
実践と理論、行動と思索の統一がその中で実現されている人間、“『想う』という事と『為す』という
事の間には境のない”人間、直接な主観的な愛憎がそのまま客観的な道徳であり得る人間、愛が
すべてである基督教的デカダンスを知らぬ人間―これは志賀直哉の人間であると共に、まさに近
代プロレタリアートの人間に他ならないのだ」と記されているとのこと。なるほどと思わせるものがあ
った。
2015 年6月に日本イエス・キリスト教団が発行した出版物の中に、1954 から 2015 年 3 月までに
召天した日本イエス・キリスト教団教職者の召天者名簿が載せられた。そこには、男女折り混ぜて
91 人の召天者名、生年月日、召天年月日が記されていた。
どなたがこのような情報を調べて整理し、一覧表にしたのか、その労には敬服するばかりである。
日本イエス・キリスト教団が 1951 年7月に創立された時、教会数は 21 であった。2015 年4月現在
では 129 である。北海道から沖縄までの全国に存在する諸教会には教職者が立てられてきた。召
天者 91 人は、1951 年の教団創立から今日までに教会に仕えてきた方々である。
最初の召天者は石川武松(1908~1954)であり、最近に召天した 91 人目は梶原正巳(1927~
2015)である。その間に澤村五郎、道城重太郎、佐藤邦之助、小島伊助、本田弘慈、森山諭他が
いる。
数ある日本のキリスト教の教派の中で、日本イエス・キリスト教団は小さな、目立たない教団である。
そのような教団ではあっても 91 人におよぶ教職者が奉仕の経に召天していった。貴いことのように
思われる。