岩根圀和先生のスペイン王立翰林院表敬訪問ならびに「ラファエル・ヒル監督作品(1947 年)ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャの脚本に関わる報告」に関する覚え書き ビクトル・カルデロン・デ・ラ・バルカ ドン・ミゲル・デ・セルバンテスは、マドリッドのフランコス街とレオン街の交わる角、 現在では『ドン・キホーテ』の作者の名を冠して呼ばれる通りの寓居にその晩年を過ごし た。1616年4月22日にこの地で死去の後、翌日、近くのトゥリニタリアス修道院へ けみ 埋葬された。400年を閲 した現在、セルバンテスの没後400年を若干先取りする形で 遺体の発掘調査が開始されたが、先述の修道院で発見された遺体の身許確認はまだ出来て いない状態である。 文献学者にしてアカデミー会員の Don Francisco Rico の監修のもとに1998年、 Insitituto Cervantes と出版社 Crítica が『ドン・キホーテ』を出版し、幸いにして専門家を初 めとして多数の読者を得ることができた。そのとき彼はこの種の調査の必要性と膨大な費 用の問題をスペインの新聞紙上で折に触れて問題にしたのだが、おそらくはシデ・アメー テが最後の場面で「トルデシーリャス生まれの偽りの作者」に投げかけた言葉、 「・・・ドン・ キホーテの疲弊した、今や腐敗した骨を墓穴にそっとしておくように言ってくれ。死神の あらゆる掟に背いて墓穴から引きずり出し、旧カスティーリャへ運んではくれるな・・・」を 想起していたことであろう。(Cervantes, Miguel de, Don Quijote de la Mancha, Instituto Cervantes--Crítica, Barcelona, 1998, pág. 1223) とは言えこの論争はスペインの学会、政治家ならびに企業からなる諸階層が『ドン・キ ホーテ・デ・ラ・マンチャ』の作者の死に追悼の意を示すのではなく、作者の生涯を記念 こ と ほ し、 「後編」 の出版400年を言祝 ぐ気持ちの表れであった。国王陛下は 「1615年3 月30日」をもって印刷允可状をセルバンテスに下賜している。(Cervantes, Miguel de, Don Quijote de la Mancha, Instituto Cervantes--Crítica, Barcelona, 1998. pág. 615)。この記念すべき 日付こそがセルバンテスの諸作品の流布に繋がるのである。 王立翰林院(以降 RAE)が Rico 教授に依頼したセルバンテスの偉大なる作品の最新注釈 版がやがて「古典叢書」(Biblioteca Clásica)から陽の目をみることになるはずである。マ ドリッドの「フェリペ四世通り」に位置する本部には、やはりアカデミー会員にして小説 家である Arturo Pérez Reverte が学校教育用に編纂した翻案を献呈しており、2014年に RAE の認定のもとに出版されている。 その序文で Pérez Reverte は枝葉を切り取る作業を指して「主筋の流れを中断することな く楽しく読めるよう」に努め、そして「削除した部分に読者が違和感を覚えぬよう、文章 の繋ぎ目を」 滑らかにすることに意を注いだと述べている。(Cervantes, Miguel de, Don Quijote de la Mancha, en Prólogo de Pérez Reverte, Arturo, RAE--Santillana, Madrid, 2014, pág.7)。 - 1 - 本2015年の春まだき3月24日、RAE 会長 don Darío Villanueva から私は岩根先生と もども執務室へ招待の栄誉に浴し、その場には映画製作会社 VideoMercury の社長(同時に サッカーチーム、アトレティコ・デ・マドリッドの会長)の同席を得た。岩根先生(神奈 川大学スペイン語学科スペイン文学教授)がまず2012年に東京の彩流社から出版の『ド ン・キホーテ』前編・後編の日本語訳二巻を贈呈、これは現在、RAE の図書室の奥深くに 所を得ている。私は1947年に Rafael Gil 監督のもとに作製された『ドン・キホーテ』 に、これもやはり岩根先生訳の字幕をつけた DVD を献呈した。この DVD に付随して字幕 作製にかかわる資料、つまり映画のサウンド・トラックから書き起こした脚本、その日本 語訳(岩根先生訳)そして字幕翻訳に使用した脚本等も進呈した。 この訪問の後日、3月27日付けにて RAE 会長から、ここに添付の「Informe sobre el guión de la película」(映画脚本に関する報告書)ならびに先述の脚本にかかわる覚え書きの書簡 を直々に戴いた。 贈呈した脚本は、すでに述べたように、私が映画のサウンド・トラックから直接書き起 こしたものである。この脚本を、Martín Riquer により Planeta 社から出版された1980年 版原作と照合したところ、セルバンテス原典の台詞に極めて忠実であり、ごくわずかな相 違しか認められない事実を確認できた。脚本家の言葉による追加部分、とりわけ三人称に よる語りの部分をやむえず一人称あるいは二人称の対話形式に変更しなければならない場 合などもセルバンテスの言葉から極力乖離するのを避けている。これは先ほどの Pérez Reverte が、翻案をする場合に出来るだけ「繋ぎ目」の不自然さを消すことに努めたと述べ ているのとおなじことが、脚本の場合にも言えるのだと思われる。この脚本は、確認でき る限りでは物語全体の68章から取られており、脚本原本の作家である Antonio Abad Ojuel は、アカデミー会員 Armando Cotarelo の意見と協力を得てセルバンテスの原文を忠実にな ぞることに努めている。 RAE の報告書はこう述べている。「Rafael Gil と Abad Ojuel の両者は、原典に忠実であ ることに努めながらも、夙に人口に膾炙した物語中の夥しいエピソードを見事にかつ愉快 に要約しつつ軽妙に展開させて行くだけの文章の格調を保持している。」 RAE の「報告書」にも記載のとおり、書き起こした脚本では「Martín Riquer(Planeta, 1980) の版に準じて、セルバンテスの言葉を忠実に再現した文章ならびに語彙は青文字で表記し、 それらの文章が含まれる章やページ数は(これも Riquer の版に従い)赤文字で記されてい る。さらに、セルバンテスの原典から離れて脚本家が介入した部分はすべて黒文字表記と なっており、映画脚本の各場面は、Riquer の版に準拠しつつセルバンテスの片言隻句の位 置ならびに章、ページ数を克明に追求できる。」 私は文字の色分けによってそのように 工夫しておいた。 「Rafael Gil(1947)監修による映画『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』の脚本に関する 報告書」は結論として、献呈した脚本の価値、すなわち書き起こしたスクリプトの評価を 次のとおりに認めている。 *アカデミー会員 Martín Riquer の権威あるセルバンテス原典に忠実に準拠している。 *この脚本はスペイン・アカデミー会員 Armando Cotarelo Vallador の助言のもとに編まれ - 2 - ており RAE も認定するものである。 *文字の色分け印刷によって調整部分を明確に分別している。 映画作品(つまりこの脚本)は Anales Cervantinos(セルバンテス年鑑)XXXVIII 巻、(2006) に記載の論文「Don Quijote de la Mancha, de Rafael Gil: una adaptación literaria del cine español en las conmemoraciones Cervantinas de 1947, pp.67-93)において、筆者 Mar Mañas Martínez から酷評の対象となったことを付記しておかねばならない。Mañas Martínez は脚 本の作家たちがセルバンテスの原典を観念的に操作していると言い立てて厳しく糾弾して いる。たとえばひとつの例をあげると、ドン・キホーテがかの有名な「Discurso de las Armas y las Letras」(文武論争)の一席を弁じる場面で(映画では1時間08分目に出る)「la paz・ 平和」と言う言葉が「フランコの平和」への暗黙の讃辞として使われていると主張してい る。実際にセルバンテスの小説では「las leyes・法律」の意味で使われているのであって (Riquer 版、p.422)、映画が1947年の製作であること、すなわち戦後の真っ直中にあ ったことを想起せねばならない。 意味の歪曲を立証する証拠はなにもないが、ドン・キホーテの弁舌を通して頻繁に「平 和」が口にされるのはたしかである。だからと言ってその意味内容を変更すべきではある まい。われわれは脚本に使われている語彙を遵守してそれを翻訳して字幕に置き換えるべ きだと考える。この他には Mañas Martínez による類似語彙の置き換えに対する批判は見ら れない。道徳的かあるいは思想的な問題で削除されたエピソードに関する批評はわれわれ の関知しないところである。なぜならエピソードのことごとくを含むのが不可能であるの は、あくまで映画製作上の問題であるからだ。登場人物を理想的に解釈して偶像化するに 便利な「理想主義」をつけ加えた映画が、当時の国家ーカトリック主義の宣伝に使われた と批判的に論じるのは別問題であり、しかもこの問題はこの作品だけに限らず時代を反映 する現象でもあった。 この映画製作への貢献を讃えて余りあるのが音響担当の Ernesto Halfter の力である。最 後の場面に「Gloria」(栄光誦)が流れ、陰の声でーこれは認めがたい脚本家の介入である がー映画の結末そして主人公の生涯の結びとして「これが始まりであった」と述べている。 しかしこの言葉がはたして小説の豊穣な将来を述べているのかそれとも魂の不滅に触れて いるのかは判然としない。 このような考察は別として、Rafael Gil の映画は『ドン・キホーテ』の見事な映画化であ ると言える。彼の監督技術、Alfredo Fraile の白黒画面、役者の演技ーRafael Rivelles, Fernando Rey, Sara Montiel 等ーによる成果の集大成であろうが、とりわけセルバンテスの原典に忠実 な対話によるところが大である。これはただ「そう思える」と言うのではなく、まさに脚 本の対話台詞から端的にそれを窺い知ることができるのである。思うに、この映画が製作 された当時の政治状況において初めて効果を表す置き換えを含んで展開する物語を完璧に 理解するのは、年齢の如何を問わず現代の観客には至難の業である。むしろ逆に物語を通 して(とりわけ映画では顕著に見られるのであるが、)英雄が一敗地にまみえる暴力をセ ルバンテスが諧謔と憂愁の視線を介して如何に扱うかを見せることによって観衆の心に好 奇心と興味を掻き立てるに絶好の手段であったと考えるべきであろう。 - 3 - Mañas Martínez と根本的に見解を異にするものではあるが、その論文は良く研究されて あり、芸術と政治史とおなじく映画と文学の比較研究に興味を抱く者が読めば極めて有益 となるはずである。 Mañas 女史の分析した脚本原本は当人の言によれば、蔵書番号 T-34257 のもとに正式保 管所 M 2149-1958 に保存されてあり、表紙には、「監督 Rafael Gil、撮影技術脚本 Rafael Gil、 作品統合 Antonio Abad、748 場面構成、253 折り脚本」と記されている。 VideoMercury の社長であり、映画の製作権所有者である Don Enrique Cerezo は RAE 会長 の面前で、営利目的ではなく教育研究への映画の利用を全面的に許可して下された。それ ゆえ神奈川大学のみならず、その意図があるなら日本の他の大学、語学学院あるいはスペ イン語教育センターにも字幕映画の公開を許可されるはずであり、われわれには字幕 DVD ならびに先述の報告書類を融通する用意がある。 RAE の報告書は1915年の島村訳と片上訳、1928年の森田訳から第二次大戦を経 てカスティーリャ語からの直接翻訳、つまり1948年永田寛定訳、1960年、会田由 訳、1999年、牛島信明訳そして2005年の荻内勝之訳に触れている。そして201 2年の岩根圀和訳も 「文献学的にも充分に優れた近年の『ドン・キホーテ』の日本語翻訳 にあって、神奈川大学スペイン語学科教授岩根圀和氏の翻訳もそのひとつである」と称揚 している。 すいばん 歓迎の意を表して RAE 会長は、ご本人が2008年にアカデミー会員に推輓を受けたと きの講演「El Quijote antes del cinema」の印刷本を自らの献辞署名入りにて岩根先生と私の 双方に贈呈下された。 その場を辞するに際して Don Darío Villanueva 会長自らが先に立って RAE の内部をご案 内くださり、とりわけ豪奢な全体会議室と図書室に足を止めてご説明をいただいた。 今回の仕事がセルバンテスを日本に広く知らしめるに大海の一滴となれば幸いでありま す。 Victor Calderón de la Barca(神奈川大学スペイン語学科準教授) - 4 -
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