小砂子小学校

も達と地域を支えてき
ました。
し か し、 昭 和 年
には 人いた在校生
も、3年前に最後の卒
業生を送りだしてから
は休校となり、これま
で667人の卒業生を
送り出した小砂子小学
校は、今年3月 日を
もって正式に閉校とな
りました。
旧校舎(昭和31年頃)
ました。
故郷の学舎に別れを告げ
人々が集い、思い出深い
生や卒業生など多くの
校式が執り行われ、在校
小学校にて、それぞれ閉
昨年 月には湯ノ岱小
学校、今年3月には早川
子ども達を変わらず見守
ない寂しさを覚えますが、
地域から小学校が無く
なることは、言葉になら
校へと通学し、学びます。
もあり、河北・滝沢小学
の利便性も向上したこと
時代の流れとともに交通
新たな学びの歩み
社 会 情 勢 の 変 化 か ら、
130年以上にわたり地
り続けています。
新たに児童が通う地域も、
つ の 節 目 を 迎 え ま す が、
域の初等教育を担ってき
石崎奴の先頭に立つ早川小児童
早川小学校閉校式
湯ノ岱小学校閉校式
1
2
た3校は、閉校という一
Kaminokuni Public
Relations Vol.644
3
橋名盤を設置する湯ノ岱小児童
統
合
35
3
1
のほとんどが漁師を親
小砂子小学校は、明
治 年9月に小砂子尋
に持ち、学校も漁が繁
常小学校として創立し、 忙期を迎えると親の手
当初は民家の倉庫など
伝 い が 主 と な る た め、
を仮校舎とし、地域の
休みになるなど、地域
初等教育がスタートし
の実情とともに、歩ん
ました。
できた歴史があります。
当時の在校生は9人
そのため、家族と地
で、現在のような整備
域、子ども達が学ぶ学
された道路はまだなく、 校との結びつきも強く、
非常に急峻な坂の続く
明治 年に暴風で屋根
道を、子ども達は毎日
が 破 損 し た 際 な ど は、
歩いて通学していまし
地域の大人が総出で補
た。日々の生活の中で
修するなど、子ども達
健脚が養われ、早川小
と学校は周囲に見守ら
学校までの遠足なども
れて育ち、その児童達
行っていたそうです。
が大人になると、今度
は担い手となって子ど
現校舎(平成元年完成)
1
7
小砂子の児童は、そ
小砂子小学校
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