現状を考えよ ハガイ書1章3節~8節 2015年10月11日(日)礼拝説教 皆さん、お早うございます。 収穫の秋、を迎えて、田んぼには、稲穂が乾されておりまして、農家の方々の、一番、嬉しい季節と、なって、おりますが、 皆さんは、いかが、お過ごしで、しょうか。 今年は、異常気象で、色々な、自然災害が、やってまいりましたが、稲の品種改良などの、おかげで、今年の、お米の収穫 は、去年を、上回って、いるようです。喜ばしい、ことです。これが、紀元前、500年頃で、あったなら、そうは、いかなかっ たのかも、しれません。 今日は、旧約聖書の中の、一番、最後の方に、収録されて、おります、ハガイ書、という、小預言書の、1章3節から7節ま でを、紐解きながら、‶私たちが、今、歩んでいる、道の上に、私たちの心を、据え置いて、よくよく、考えてみる″ということ について、ご一緒に、学んでまいりたいと、存じます。 最初に、ひとこと、お祈りさせて、いただきます。 父なる神さま。御子イエスさま。聖霊なる神さま。私たちを、このようにして、礼拝に、招いてくださって、私たちが、こうして、 週の初めの、最も良い時間を、あなたに、お献げしてから、新しい週をスタートさせることが、できましたことを、心から、あ なたに、感謝いたします。どうぞ、あなたさま、ご自身が、この、私たちが献げております、礼拝を、始めから最後まで、導 き、祝福してください。 感謝してイエスさまの尊い御名前によって、お祈りいたします。 アーメン。 ハガイ書1章3節。 ついで預言者ハガイを通して、次のような主のことばがあった。 紀元前539年に、新バビロニア帝国を征服した、ペルシャ王・クロスは、翌年、勅令を発して、ユダヤ人たちが、故国・イス ラエルに、帰還して、エルサレムの礼拝堂を再建する、許可を、与えました。ところが、多くのユダヤ人たちは、バビロンで の生活に、すっかり慣れ親しんでしまい、もう、定着して、しまって、おりましたので、故国・イスラエルに、戻ることを好まず、 結局、実際に、故国の地を踏んだのは、僅か、5万人足らずで、ありました。しかも、エルサレムの、礼拝堂再建工事には、 色々な妨害が、入ってしまい、15年間も、中断されたままの、状態と、なって、しまって、おりました。そんな中、紀元前52 0年の8月、ハガイに対して、真の、唯一の神さまから、みことばが、預けられたのです。 ハガイ書1章4節。 「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか。 真の、唯一の神さまから、みことばを預かった、ハガイは、私たちに対して、私たちの心の中にある、優先順位について、 問いかけて、来て、おります。 当時、一般の、イスラエル人の住まいは、およそ3m四方の、箱型で、土台を、石で固めて、その上に、ありあわせの木や、 細板で、梁や、屋根の支えを作って、それを、しっくいで、塗り、固めただけの、粗末な、一室だけの家に、住んで、おりまし た。それを、自分の家の内装だけを、レバノンから輸入した、香柏の板を用いた、パネルで、装飾することに、心を砕いて いるような、場合なのでしょうか、と、ハガイは、私たちに、問いかけて、来ているのです。 その一方で、真の、唯一の神さまを礼拝する、礼拝堂は、工事中断で、干上がってしまっており、荒れ果てた、状態に、なっ てしまって、いるのでは、ないのですか、との、問いかけなのです。すなわち、真の、唯一の神さまの、ことがらよりも、人 間の、ことがらの方を、優先させてしまう、という、自己中心主義が、私たちの、心の中に、ひそんでいるのでは、ないでし ょうか、と、問いかけて、いるのです。 私たちは、イエスさまを礼拝する、ということを、二の次にして、この世的な、ことがらのために、私たちの時間と、お金とを、 割いて、しまっている、というようなことは、ないでしょうか。自分の家と、自分の生活費のための支出を、優先させた結果、 イエスさまの、みことばの、宣教のわざの、お手伝いのための、支出の方は、なおざりに、なって、しまっている、というよう なことは、無い、と言えるのでしょうか。 ハガイ書1章5節。 今、万軍の主はこう仰せられる。 あなたがたの現状をよ考えよ。 ‶あなたがたの 現状を よく 考えよ″という、日本語訳だけで、あると、私たちにとっては、現在の、日本が置かれている、 政治経済情勢を始めとして、色々なことに、想いを馳せて、しまうのかも、しれません。原文を直訳してみますと、‶あなた がたが、今、歩んでいる、その道の上に、あなたがたの心を、留め置きなさい″と、なります。 今、私たちは、どんな、歩み方を、して、いるのか。私たちは、何を、優先させて、歩んでいるのか。その、現在の、ありのま まの姿の上に、私たち、自分自身の心を、とどめ置いて、よくよく、熟考して、ごらんなさい。 私たちの、日常生活の中で、イエスさまの、みこころは、どこに在るのか、ということを、尋ね求めたいのであれば、私たち は、すべてのことがらを、絶えず、イエスさまの、みことばの光の中で、吟味しながら、一歩、一歩、進んで行かなければ、 ならないのです。 イエスさまは、私たち、ひとり、ひとりを、自由な存在として創造してくださり、扱っていて、くださるのですから、私たちの側 での悔い改めも、ご奉仕も、すべて、自発的な、もので、なければ、ならないのです。私たちの人生の歩みの中で、時たま、 現れて来る、不幸や病気は、私たちの、愚痴の対象となったり、失望落胆の原因と、なったりすることが、あるのかも、しれ ませんが、霊的な耳を、イエスさまから、与えられている、私たちは、イエスさまが、そのことを通して、何を、私たちに、語 りかけておられるのか、ということを、聞き分けることが、出来るのです。 ハガイ書1章6節。 あなたがたは多くの種を蒔いたが少ししか取り入れず、食べたが飽きたらず、飲んだが酔えず、着物を着 たが暖まらない。 かせぐ者がかせいでも、穴のあいた袋に入れるだけだ。 ハガイの時代に、エルサレムに住んでいた、ユダヤ人の方々の、貧しさと、窮乏が、イエスさま第一の生活を、忘れてしま った結果問題提起を、しているわけなのです。イエスさまのことがらを、差し置いて、人間のことがらを、優先させる、人生 は、実は、何をしても、一切が、徒労に終わってしまう人生となって、しまうのでは、ないでしょうかと・・・・。 干ばつや、集中豪雨などの、異常気象の後の、収穫の季節に、早朝から夕刻まで、稲刈り作業に、どんなに、励んでみて も、脱穀してみたら、わずかな収穫しか、なかった、というような時の、農家の方々の失望と悲しみは、いかばかりでありま しょうか。 ‶食べたが飽き足らず、飲んだが酔えず″とは、私たちの不満足な人生を、表わして、おります。 ‶着物を着たが暖まらない″とは、人生に、荒れ狂って吹き付けて来る嵐の前に、イエスさまの守りの無い、無防備になっ て、しまっている、状態を、指し示して、おります。 ‶かせぐ者が かせいでも、穴のあいた 袋に 入れるだけだ ″とは、イエスさまと、イエスさまのみこころとを、無視して 生き続ける人生の、最終的な、破滅的な、特徴を、指し示して、おります。まるで、ざるで、水を、すくうような、人生で、終わ ってしまうのではなかろうかと、預言者ハガイは、語って、いるのです。 ハガイ書1章7節。 万軍の主はこう仰せられる。 あなたがたの現状をよく考えよ。 聖書のなかでは、重要な言葉は、何度も、何度も、繰り返し、繰り返し、語られます。繰り返しによって、霊的な覚醒状態が、 強化されることに、なるからなのです。‶私たちが、現在、歩んでいる、その道の上に、今、私たちの心を、しっかりと、据え 置いて、私たちの人生における優先順位の是非を、見つめ直して、ごらんなさい″と、イエスさまは、私たちに、語りかけ て、いるのです。 ハガイ書1章8節。 山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。 そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現そう。 主は 仰せられる。 この山は、レバノンの、標高数千メートルの山では、ありません。水石山や、湯の岳のような、近所にある、普通の山のこと です。この木は、年輪が緻密で、香り高いことで有名な、レバノン杉などでは、ありません。水石山や湯の岳に登る山道に、 普通に、生えている、雑木のことです。すなわち、私たちの周囲に、現存しているもので、わざわざ、どこかに、取りに、行 かなければ、ならないような、ものでは、ありません。 ここで、イエスさまは、私たちに、自己中心の優先順位を変更して、イエスさまに、私たちの心の中心に、座っていただく人 生へと、転換して、行きなさいと、勧めて、くださって、おられるのです。続けて、イエスさまは、‶そうすれば、それを、わた しは、受け入れ、わたしは、わたしの名誉を、喜ぶ。わたしに、栄光が、与えられるからだ。″と、仰って、おられるのです。 私たちは、私たち自身の名誉を喜び、私たち自身に、栄光が与えられることを、願って、生きているのでは、ないでしょう か。 その価値観、自分中心の価値観を捨てて、イエスさま中心の価値観へと転換して、行くことによって、私たちの心の中から、 焦りの気持ちが消え失せ、イエスさまに在って歩んで行く人生の喜びと、平安とが、イエスさまから、プレゼントされるので す。 お祈りさせていただきます。 父なる神さま。御子イエスさま。聖霊なる神さま。 御言葉を、ありがとうございました。あなたの、ご栄光を、賛美いたします。 どうぞ、私たち、ひとり、ひとりが、自分中心の、現在の価値観を、考え直して、イエスさまに、私たちの心の中の、中心に、 座って、いただく、人生へと、方向転換をすることが出来ますように、弱い、私たち、ひとり、ひとりを、導いて、ください。 感謝して、イエスさまの、尊い、御名前によって、お祈りいたします。 アーメン。
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