後藤 正雄

我が民間飛行の誇り
ごとう
まさお
後藤 正雄
明治 25 年(1892)-昭和 47 年(1972)
《 三田とのゆかり 》
三田市下青野の生まれ。飛行士として活躍した。
帰郷後、中野村村長に就任し、中野・貴志村の合併
後は広野村初代村長を歴任した。
〈 どんな人? 〉
旧制柏原中学校(現・柏原高等学校)を卒業後、篠山歩兵第 70 連隊に入隊。除隊後、
民間飛行の草分けである帝国飛行協会の操縦士となった。
大正 7 年(1918)4 月、単身でモ式4型を操縦して所沢~大阪間を 6 時間 28 分で無
着陸飛行に成功した。その後、飛行機でふるさと三田を訪問した。さらに四国へ飛び、
2000km を無事故で飛ぶ民間航空史上の輝かしい記録を残した。
帝国飛行協会が解散後、操縦士を引退。昭和 2 年(1927)、地元の中野村村長に就
任。昭和 18 年(1943)、有馬郡町村合併にあたって中野村と貴志村(一部)の合併し
た際に、新たに生まれた広野村初代村長に就任して村の財政立直しに力を尽くしたと
いわれる。
後藤正雄は帝国飛行協会の練習
生に応募し、大正 6 年卒業後、
飛行機による郷土訪問を行い、
下田中の田んぼ百米ばかりを均
した仮設の滑走路(左写真)に
着いた