デジタルマルチメータ用 IC HAZ01

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デジタルマルチメータ用 IC HAZ01
デジタルマルチメータ用 IC HAZ01
小池 伸一*1
要 旨
「プロの仕事をスピーディーに」をコンセプトに持つ,デジタルマルチメータDT4220/DT4250シリーズ用に,
CMOSミクスドシグナルIC HAZ01を開発した.HAZ01の特長,機能,構成,および特性について解説する.
1. はじめに
デジタルマルチメータは,電圧,電流,抵抗などの
複数の測定機能をひとつにまとめた基本ツールであ
る.その内部は測定を担う専用 IC と,測定値の表示
やユーザインタフェースを担うマイコンで構成される.
ユーザ要求である高安定性と高速応答に加え,小型
化,低価格化などの諸要求を満足するためには専
用 IC の性能向上が欠かせない.
2. 概要
HAZ01 の概要を表 1 に示す.性能とコストのバラン
スから,0.25 μmCMOS プロセスを採用した.前工程
を除いた生産と検査をすべて日本国内で行い,高い
品質を確保している.
HAZ01 チップの外観
表1
3. 特長・機能
(1) 高安定性
システム性能の向上には,高精度低ノイズ A/D コ
ンバータが欠かせない.そこで CMOS プロセスとの
相性がよく,高分解能が得られるΔΣ 型を採用し,分
解能 16 ビット,サンプリングレート 10 kS/秒の A/D コ
ンバータを開発した.またデジタルキャリブレーション
機能によりオフセット,ゲインドリフトを除去し高安定性を
実現した.
(2) 高速応答
実効値演算部を,アナログ RMS-DC 変換器とアナ
ログフィルタではなく,デジタル演算器とデジタルフィ
HAZ01 概要
項目
プロセス
最小ゲート長
回路
電源電圧
クロック周波数
パッケージ
消費電流
アナログ入力
A/D コンバータ
演算
(ビット数, 更新速度)
ダイナミックレンジ
ファンクション
ルタで構成した.これにより演算とフィルタの自由度
を増し,きめ細かな演算制御を可能とした.その結果,
例えばオートレンジ中は高速応答フィルタに切り替え
る,レンジ確定後は高安定フィルタに切り替えるなど,
測定条件に合わせて特性を最適化することで,高速
応答と高安定性を両立した.
*1 開発部 開発1課
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仕様
CMOS
0.25 μm
アナログ/デジタル混在
アナログ/IO
3.3 V
デジタル
2.5 V
2.56 MHz
LQFP64-10X10-0.5 (RoHS 対応)
約 4 mA
±1.5 V
ΔΣ型 16 ビット 10 kS/秒
RMS/MEAN (24 ビット, 10 回/秒)
BAR (11 ビット, 80 回/秒)
6,000 Counts
クレストファクタ 2.5
ACV, DCV, Ohm, Continuity,
Capacitance, Peak, 他
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図1
全体ブロック図
検出し放電回路を自動で制御することで,過放電す
(3) 多機能アナログ回路
デジタルマルチメータで必要となる基本回路,マ
ルチプレクサ,基準電圧源,電流源,温度センサ,ア
ンプ,コンパレータ,A/D コンバータなどを,すべて
チップ内に実装した. これによりデジタルマルチメ
ータ本体の周辺回路の設計を容易にし,部品点数
の削減を実現した.
(4) 実効値/平均値同時測定
実効値と平均値を同時に演算している.これにより
実効値と平均値のデュアル表示だけでなく,外部で
なわちコンデンサへの逆バイアスを防止できる.また
外部 CPU は充放電開始を制御するだけで済む.さ
らにデジタルコンパレータを使用すればコンデンサ
の充電電圧を自由に設定できる.測定対象コンデン
サの容量値に合わせて充電電圧を最適化することで
測定時間の短縮や測定精度の向上を期待できる.
4. 構成
4.1 ハードウェア構成
式(1)の演算をすることで,交流+直流(RMS),直流
図 1 に全体ブロック図を示す.アナログ部,A/D コ
(DC),交流(AC)の 3 つのパラメータを測定でき,交流
ンバータ部,DSP(Digital Signal Processing)部,およ
直流の自動判別も可能とした.
び外部 CPU とのインタフェースを担う CPU-IF 部から
AC = RMS − DC ...................................... (1)
構成される.
(5) デジタルピークホールド機能
4.2 アナログ部
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デジタルピークホールド機能を用いることで,突入
電圧/電流測定,直流重畳リップル測定を可能とし
た.
(1) マルチプレクサ
外部抵抗アッテネータ(1/10000,1/1000,1/100,
1/10)構成用スイッチはオン抵抗や配線抵抗の影響
(6) フィルタ機能
を低減するために 4 端子接続を可能とした.その他,
通過帯域可変 100 Hz/500 Hz のデジタルフィルタ
を備える.インバータの基本波測定においてキャリア
の影響を低減することを可能とした.
低電圧直接入力用のスイッチを 8 チャネル備える.
(2) 基準電圧源
IC 内部の基準電圧源と A/D コンバータ用の基準
(7) パワーダウン機能
電圧源となる BGR(Band Gap Reference)型の定電圧
未使用回路またはチップ全体をパワーダウンし消
発生回路を備える.温度特性,フリッカノイズ,実装
費電力を抑えることを可能とした.
面積,消費電流のバランスを考慮した.さらに安定し
(8) コンデンサ容量測定機能
た特性を得るために外部供給を可能とした.
直流充放電方式のコンデンサ容量測定機能を持
つ.内蔵のアナログコンパレータを使用した放電検
出回路を備える.測定対象コンデンサの放電終了を
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図 2 A/D コンバータブロック図
(3) 定電流源
4.3 A/D コンバータ部
抵抗測定,コンデンサ容量測定,および導通チェ
ック用に定電流発生回路を備える.電流は 10 nA,
100 nA,1 μA,10 μA,100 μA,200 μA で,1 μA 未
満の電流値は PWM(Pulse Width Modulation)制御で
実現し,電流値の調整を可能とした.
(1) ΔΣ変調器
図 2 に A/D コンバータのブロック図を示す.低消
費電力で十分な S/N を確保するため,3 ビット 2 次の
ΔΣ変調器を採用した.128 倍のオーバーサンプリン
グで理論 S/N は 144 dB となる.また 3 ビットコンパレ
(4) アンプ
ータ の 非線 形 性に よる 特 性劣 化 を軽 減 する ため
使用場所に合わせてアンプを使い分けている.電
源電圧 3.3 V であっても十分なダイナミックレンジを
確保するために,初段のアンプはレイル・ツー・レイ
ル・アンプとした.また,内部リファレンスなど,入力イ
ンピーダンスや入力漏れ電流が影響しない場所で
はスイッチング方式のゼロドリフトアンプとした.また
A/D コンバータをドライブするアンプは全差動アンプ
とし,ダイナミックレンジと CMRR(同相電圧除去比)を
DWA(Data Weighted Averaging)機能,リミットサイク
ル発振防止用にディザリング機能も備える.
(2) デシメーションフィルタ
3 ビット 1.28 MS/秒データを 18 ビット 10 kS/秒ま
でデータレートを下げる(デシメーション)する必要が
ある.回路の効率化のため,3 段に分けてデシメーシ
ョンした.1 段目は,SINC3 フィルタとし,SINC フィル
タのノッチを使ってバンドストップ特性を得るために,
向上させた.
あえて 33 タップ,31 タップ,32 タップとした.2 段目,
(5) コンパレータ
3 段目は FIR(Finite Impulse Response)フィルタとし,
周波数測定の波形整形用にコンパレータを備える.
ノイズが重畳しても確実に波形整形するためにヒステ
リシス特性を持たせ,さらに内部アッテネータ(1/2)を
使用することで,ヒステリシス幅を倍にすることもでき
る.およそ 200 kHz までの周波数測定に対応する.
SINC3 フィルタの減衰分を 3 段目の FIR フィルタで補
償し通過帯域の平坦性を確保した.
(3) 外部出力
ΔΣ変調器の 3 ビット,A/D コンバータの 18 ビット
データは外部出力可能となっている.このデータは
波形の記録や表示に使用できる.
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4.4 DSP 部
(1) キャリブレーション部
A/D コンバータを含む回路のオフセット誤差,ゲイ
ン誤差を除去するためのキャリブレーション機能を備
図 3 DSP 部 FPU の時分割制御
える.外部 CPU からのコマンド制御が可能で,最短
12.5 ms でキャリブレーションを実施し,表示更新 100
(7) ウインドコンパレータ
ms に対してロス時間を最小限に抑えた.
ウインドコンパレータと,その割り込み出力を備え
(2) 実効値演算部
RMS(Root Mean Square)のすべての演算を実効値
演算部で完結した.1 つの FPU(Floating Point Unit)
を時分割制御し回路規模と消費電流を低減した.自
乗後のリップル低減のためのローパスフィルタと,切
り出し誤差低減のための窓掛器も備える.図 3 に
FPU の時分割制御の様子を示す.A/D コンバータの
サンプリングごとに,必要なすべての演算をリアルタ
イムで実施する.100 タップ (帯域幅 100 Hz)の FIR
フィルタ(後述)を使用した最大演算時でもサンプリン
グ周期の 100 μs 以内にすべての演算を完了する.
(3) 平均値演算部
単純平均(DC 平均値)と絶対値平均(AC 平均値)
の選択が可能である.フィルタ,窓掛器も備える.
(4) バーグラフ演算部
る.デジタル制御のためウインド幅を自由に変えるこ
とがきる.導通チェック機能も本回路で実現している.
また 10 kS/秒データで測定可能な低周波の周波数
測定や Duty 比測定にも使用でき,コンデンサの容
量測定でも使用している.
4.5 CPU-IF 部
(1) インタフェース
CPU との通信に 3 線式シリアルインタフェース,各
種割込を備える.通信クロックは最大 320 kHz に対
応する.
(2) コマンド制御
CPU からの制御を容易にするために,ファンクショ
ンやレンジ設定はコマンド制御とビット制御の両方に
対応している.
バーグラフ用のデータ演算部は,最速 12.5 ms で
データ更新が可能である.データは実効値,平均値
を選択できる.
(5) フィルタ部
大きく 2 種類のデジタルフィルタを持つ.一つはプ
レフィルタと呼び,自乗回路の前に挿入され,測定
信号の帯域を制限する.もう一つはポストフィルタと
呼び,自乗回路の後に挿入され,自乗演算後のリッ
プルを除去する.ノイズやレンジ切り替え中の過渡応
答など,いかなる信号が入力されても安定であること
が要求されるため,プレフィルタは FIR フィルタとし,
ポストフィルタは 1 次の IIR(Infinite Impulse Response)
フィルタを縦続接続して構成した.プレフィルタは通
過帯域 100 Hz/500 Hz を選択でき,ポストフィルタは
カットオフ周波数と次数を変更できる.
(6) ピークホールド部
測定値の演算と同様に A/D コンバータの 100 μs
ごとの出力データを使用したピークホールド回路を
持つ.更新レート 100 ms で,突入波形や,リップルの
ピーク値を保持できる.デジタル回路で構成している
ため温度ドリフトやリーク電流の影響を受けず安定で
ある.
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5. 特性
5.1 アナログスイッチ諸特性の電圧依存性
図 4 にマルチプレクサを構成するアナログスイッチ
のオン抵抗とリーク電流の電圧依存性を示す.オン
抵抗の電圧依存性を低減した低ΔΩタイプとリーク電
流を抑えた低リークタイプの 2 種類を使い分けてい
る.図中のリーク電流は入力保護ダイオードと 2 種類
のアナログスイッチのリーク電流を含むが,動作電圧
の範囲で±10 pA 以下に抑えられている.
5.2 レイル・ツー・レイル・アンプの直線性
図 5 にレイル・ツー・レイル・アンプの直線性を示す.
±0.1%精度を確保した.±1.2 V 以上での誤差はレイ
図 4 アナログスイッチの
オン抵抗とリーク電流の電圧依存性
ル・ツー・レイル・アンプ入力部の構造に起因する.
レイル・ツー・レイル・アンプ入力部は P 型と N 型の 2
組の差動対によって構成される.入力電圧によって
P 型差動対と N 型差動対が切り替わり,電源電圧ま
で動作する.この P 型と N 型の切り替わるポイントでク
ロスオーバー歪やオフセット電圧変動が発生する.
市販のレイル・ツー・レイル・アンプ(図 6 中の Sample
1,2)でも同様の特性を示し,構造上不可避である.
図 5 レイル・ツー・レイル・アンプ直線性
図 6 レイル・ツー・レイル・アンプ
オフセット電圧-同相電圧特性
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図 7 デシメーションフィルタ全体の周波数特性
図 8 デシメーションフィルタの周波数肩特性
5.3 デシメーションフィルタの周波数特性
図 7 にデシメーションフィルタの全体の周波数特
性,図 8 に周波数特性の肩部の拡大特性を示す.
安定性を重視し通過帯域は約 3 kHz とした.また
SINC3 フィルタの減衰分を FIR フィルタで補正するこ
とで,通過帯域リップルを±0.05%(±0.00434 dB)に抑
えた.
5.4 プレフィルタの周波数特性
図 9 に測定信号の帯域制限用プレフィルタの特性
を示す.通過帯域は 100 Hz,500 Hz,3 kHz(A/D コ
ンバータ内のデシメーションフィルタの帯域)となって
いる.
図9
プレフィルタの周波数特性
5.5 ポストフィルタの周波数特性
図 10 に自乗演算後のリップル除去用ポストフィル
タの特性を示す.100 ms 平均化処理でも LPF 特性
が得られるが(図中の Default 特性),LPF を追加する
ことでより高い減衰量を得ることができる.さらに窓掛
演算を組み合わせることで,1 次フィルタであっても 2
次以上の減衰特性を得られることが確認できる.
図 10 ポストフィルタの周波数特性
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5.6 A/D コンバータの S/N
図 11 に正弦波(600 mV rms,100 Hz)を入力したと
きの A/D コンバータ出力の FFT 解析結果を示す.
S/N(信号とノイズフロアとの比)はおよそ 120 dB,
SFDR(Spurious Free Dynamic Range)でおよそ 96 dB
を確保した.
5.7 システムの直線性
図 12 にシステム全体の直線性を示す.システム全
体でも±0.1%の精度を確保した.±1.2 V 以上での誤
差は前述レイル・ツー・レイル・アンプのオフセット電
圧誤差である.
図 11 A/D コンバータの FFT 解析
5.8 システムの S/N
図 13 にシステム全体の S/N と有効ビット数(ENOB)
との関係を示す.システム全体の S/N(図中の○)は
およそ 120 dB で有効ビット数の 19 ビット相当にあた
り,目標の 16 ビット精度を十分に確保した.SFDR(図
中の△)は,前述レイル・ツー・レイル・アンプの直線
性に起因する劣化が見られるが,常用の振幅範囲
(クレストファクタ 1.5)の 1.8 Vpp までは 16 ビット精度を
確保した.さらに入力範囲上限の 3 Vpp まで 60 dB
以上(0.1 %以下)を確保し,SFDR としても十分な性能
が得られた.
6. おわりに
多様な機能,設計要件を高次元でバランスさせた
図 12 システムの直線性
CMOS ミクスドシグナル IC HAZ01 を開発した.今後
多くの製品に展開する予定である.
開発にあたり,開発委託先はもちろんのこと,故・
岡村迪夫先生,信州大学の井澤裕司先生,電気通
信大学の樋口幸治先生,法政大学の安田彰先生,
神奈川工科大学の小室貴紀先生をはじめ,多くの方
にご指導,ご協力をいただいた.各位に深く感謝の
意を表したい.
参考文献
1) 宮沢好幸:デジタルマルチメータ
DT4281/DT4282,日置技報,VOL.34 2013 NO.
1,29/36 (2013)
2) 三木昭彦:デジタルマルチメータ
DT4220/DT4250シリーズ,日置技報,VOL.35
2014 NO.1,35/40 (2014)
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図 13 入力振幅-S/N 特性
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