航空機の軽量化を支える炭素繊維複合材料

シリーズ GSC
低炭素・循環型社会を先導する GSC
航空機の軽量化を支える炭素繊維複合材料
KITANO Akihiko
北野彰彦
東レ(株)複合材料研究所 所長
「軽くて強い」炭素繊維複合材料は,環境・資源問題への関心の高まりから,航空機構造の標準材料としての
地位を築きつつある。思えば,ライト兄弟が人類ではじめて動力飛行に成功した「フライヤー」号の主構造は,
木製の骨組みに麻布を貼り,硫酸セルロースを塗った複合材料でできていた。その後,金属構造が主流となった
が,歴史的な変遷を経て,航空機構造は繊維強化複合材料に回帰したとみることができる。ここでは,日本発・
世界シェア 70% の炭素繊維を使った炭素繊維複合材料について,その特徴を中心に紹介する。
ようになる。
1 は じ め に
本章では,軽くて強い「炭素繊維」の開発の歴史(正確
2009 年,ボーイング社の次世代中型旅客機「787」が初
には,日本発であるポリアクリロニトリル(PAN)系炭
飛行し,地元メディアは『プラスチック製航空機時代の幕
素繊維の歩み)を辿りながら,その魅力と今後の展望につ
開け』と報道した。
「787」の機体重量の半分は炭素繊維と
いて概説する。炭素繊維の強さの限界(理論値)は,現在
樹脂で構成された炭素繊維複合材料(CFRP : Carbon Fi-
達成されている強さの 10 倍以上と推定されており,近い
ber Reinforced Plastic)でできている 1, 2)。
将来さらに性能向上が期待できる材料である。
従来のアルミニウム製航空機に比べ,燃費は 20% も改
2 炭素繊維は日本発
善された環境に優しい航空機である。環境,資源問題への
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関心が日増しに高まる状況にあって,今後 CFRP は,航
炭素繊維の発明は,19 世紀末に京都の竹を焼いて白熱
空機の標準材料になると考えられている。
電球のフィラメントに利用した発明王エジソンに遡ると言
さらに,CFRP には金属より耐久性に優れ(疲労しにく
われることがあるが,それは発熱・発光体として利用でき
い),錆びない(湿度に強い)という特長があるため,機
る程度の弱くて脆い繊維状の炭素材料であった(ISO 定義
体の窓を大きくしたり,上空での機内圧力や湿度を地上並
は,
「有機物をプリカーサーとし,熱処理によって炭素
に設定することが可能で,より快適なフライトが楽しめる
90% 以上からなる繊維」である 3))
。
図 1 PAN 系炭素繊維の需要推移。
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―持続可能な社会を目指す化学技術の過去・現在・未来―
宇宙開発競争が激化し始める 1950 年代にはレーヨンを
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は CFRP の特性を左右する重要な設計要素となっている。
原料とする炭素繊維が米国で製造されたが,ロケットのノ
ズルコーンなど耐熱材料であり,航空機の構造材に使える
強度はなかった。
航空機に使う「軽くて強い炭素繊維」の発明者は,大阪
工業試験場の進藤昭男氏である。1959 年にアクリル繊維
を出発原料とすることで,軽くて強い「炭素繊維」が製造
できることを世界で初めて見いだした。
(厳密には PAN
系炭素繊維と呼ぶが,本稿では単に「炭素繊維」と呼ぶ。
)
進藤氏によると「何か工業化につながるような良い研究の
テーマはないものか,との思いが日頃頭から離れることは
なかった。」4)とのことで,日頃の心構えが大発明につな
がったことを教えてくれる。
1960 年代の日本は,ナイロンなど合成繊維産業が全盛
期であり,アクリル繊維を製造する日本の繊維会社が 1970
年代に工業化に成功した。宇宙開発をリードしたい欧米と
の性能向上競争も制して,2007 年の時点で日本は,世界
の炭素繊維市場の 70% を独占するに至った。軽くて強い
「炭素繊維」は,日本生まれ,日本育ちの材料である。
図 3 炭素繊維複合材料(炭素繊維と樹脂の複合化)
。
航空機部材は,プリプレグと呼ばれる中間基材を経由し
て製造する。プリプレグは,多数の炭素繊維束(炭素繊維
を 3000 本から 24000 本束にした物をトウと呼ぶ)を平行
に並べたものに,未硬化のエポキシ樹脂を含浸させた粘着
性のある薄くて(厚さは約 0.2 mm)
,柔軟なシートであ
る。このプリプレグを多数積層したものを,オートクレー
樹脂を硬化させて部材を成形する(図 4)。プリプレグに
は異方性(繊維方向と非繊維方向で物性が大きく異なる)
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ブ(オーブンのような装置)内で加熱・加圧してエポキシ
があり,プリプレグを積層した部材は,バームクーヘンに
似た積層構造である。CFRP を使いこなすには,異方性の
層からなる積層構造(層と層の間に層間と呼ぶ界面があ
る)であることを理解しておくことが重要である 5)。
図 2 炭素繊維のバリエーションと強度・弾性率。
3 炭素繊維強化複合材料
複合材料とは「二種以上の単一材料を組み合わせた材料
であって,各単一材料より優れた特長を持つ材料」と定義さ
れている。炭素繊維複合材料(CFRP)は,炭素繊維と樹脂
(主にエポキシ樹脂)
を複合化した不均質材料である
(図 2)
。
炭素繊維は単独では柔軟な糸であり圧縮荷重の負担能力
はない。しかし,炭素繊維を樹脂と複合化(包む)ことで
圧縮荷重を支えることができ,構造材として成立する。
航空機用 CFRP では,樹脂は全体の体積の約 40% を占
めており,弾性率(剛性)が高く,熱収縮・硬化収縮が小
図 4 航空機部材の製造方法(プリプレグ成形)
。
さく,炭素繊維との接着性に優れるエポキシ樹脂が用いら
4 炭素繊維複合材料の特徴
れている。
また,炭素繊維の単繊維径は約 5 μm であり,1 cm 3 の
CFRP は,炭素繊維と樹脂の特徴を受け継ぎ,以下の特
CFRP 中には約 5000 cm 2 もの界面が含まれるため,界面
徴がある 6)。
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①比強度(強度/比重)
,比弾性率(弾性率/比重)が大
きい
といえる。図 7 には,プリプレグ 2 枚を直交に(繊維の
方向が直角となるように)積層した CFRP 板が,応力と
②疲労強度に優れる
温度変化で面外変形する(反る)ケースを示す。必要な方
③熱膨張係数が小さい(0∼0.1×10 −6/K)ため,寸法安
向に必要な量の炭素繊維を配向させることで,無駄のな
定性が良い
い,より軽量で,省材料の部材が実現できる。CFRP の最
④錆びない
大の特徴は,構造設計と同時に材料設計も可能なことであ
⑤導電性(15∼5 Ωm)がある
る。逆に言えば,構造設計時に材料設計もしなくてはなら
比強度とは,強度を比重(密度)で割った値であり,物
ないため,テーラーメード材と呼ばれている(図 8)。
理的には,自分で自分の重さを支えられる最大長さを示
す。CFRP の比重は約 1.6 であり,極めて大きな軽量化効
果を持っている(図 5)
。
図 7 異方性プリプレグ積層板の変形。
図 5 各種材料の比強度と比弾性率。
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円い孔を空けた板材の引張―引張疲労特性を図 6 に示
します。CFRP は不均質材料特有の亀裂進展抑制効果も
あって,極めて高い疲労強度を有している。航空機構造体
の歴史は疲労と腐食との戦いと言っても過言ではなく,
CFRP は信頼性の高い材料といえる。
図 8 CFRP の特徴:テーラーメード材料。
5 航空機の LCA
航空機への複合材料適用の歴史を図 9 に示す。環境負
荷低減が優先課題となっている民間機において最も重要な
のは,燃費の改善による省エネルギー化と CO 2 排出量の
図 6 円孔を有する板材の引張―疲労特性。
削減である。製品寿命全体を通して,どれだけの CO 2 排
出 が な さ れ る か を 評 価 す る LCA(Life Cycle Assess-
また,航空機は地上と上空(外気温−55℃)を数分で上
ment)が重要視されている。
昇・降下するために結露が発生するが,「錆びない」特長
ボーイング 767 サイズの民間ジェット機を標準的に国内
は,航空機内の湿度を高く快適にできるメリットになる。
運行する場合,機体素材の製造から機体の廃棄に至るまで
CFRP の厄介な特徴は,異方性と積層構造で,金属材料
の総 CO 2 排出量のうち,運用中に排出される割合は実に
(等方性)に馴れ親しんだ技術者には敬遠されがちな側面
99% を占める。航空機炭素繊維協会の試算 7)によれば,
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図 9 航空機への複合材料適用の歴史。
CFRP を機体構造重量の 50% に適用し,従来機対比 20%
ブンで加熱して樹脂を硬化させる。予め脱気した低粘度合
の軽量化を見込むボーイング 787 の国内運行をモデルとし
いの樹脂を真空中で供給するので,オートクレーブと違い
た場合,図 10 に示すとおり,1 機あたり年間で 2700 トン
加圧は不要である。しかし,VaRTM 法では,炭素繊維基
の CO 2 削減効果が期待できる。国内ジェット旅客機全て
材を樹脂のない状態(ドライ状態)で積層するために,繊
が同様の軽量機体となった場合,年間 120 万トンの CO 2
維の真直性が出しやすいプリプレグに対して CFRP の力
削減が可能といわれている。
学的な特性が劣るのが一般的である。現在,この課題を克
服する VaRTM 成型法の改良が進められている。
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図 11 VaRTM 成形法。
7 お わ り に
軽くて強い炭素繊維複合材料は大型航空機の標準材料に
なりつつある。炭素繊維は日本企業が世界をリードしてお
り,この分野で産官学連携して取り組めば,国際標準化を
図 10 航空機の LCA(炭素繊維協会モデル 7))。
含め世界をリードする技術体系を構築することが可能と考
えられる。
6 今後の課題
参考文献
環境素材である CFRP を普及させて「省エネ効果」を
増大させるためには,CFRP の生産性向上が課題となって
いる。航空機の場合,プリプレグを自動機で積層している
が,プリプレグを経由せずに部材を直接成形する VaRTM
法(Vacuum─assisted Resin Transfer Molding) が 注 目
されている。
1) D. Hull,複合材料入門,宮入裕夫,池上皓三,金原勲 訳,培風館,
1984.
2) A. Kelly,複合材料,村上陽太郎 訳,丸善,1971.
3) 大谷杉郎,奥田謙介,松田滋,炭素繊維,近代編集社,1986.
4) 進藤昭男,セラミックス 1986, ,941.
5) 複合材料工学,林 毅 編,日科技連出版社,1971.
6) 野口健一,繊維学会誌 1990, ,54.
7) 高橋淳,第 22 回複合材料セミナー,2009.
VaRTM 法では,炭素繊維基材に樹脂を含浸せずにその
まま積層し,バッグフィルムで覆い真空引きしたものに液
[連絡先]791─3193 愛媛県伊予郡松前町筒井 1515(勤務先)
。
状の樹脂を注入する。樹脂が行き渡った後に,全体をオー
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