秦泉寺雅夫 数物系のためのミラー対称性入門 (SGC ライブラリ 109

秦泉寺雅夫
数物系のためのミラー対称性入門
(SGC ライブラリ 109) サイエンス社, 東京, v+207p, 26cm × 20cm, 本体 2500 円
[大学院生、専門家向け]
ISSN0386-8257
紹介者: 立川裕二 (東京大学理学部物理学科)
場の量子論は、点粒子が時空を動いているのを量子的に扱う理論です。その拡
張として、空間に一次元的に広がった弦を量子的に考察するのが超弦理論で、時
空の次元が 10 次元にはなりますが、重力を量子的に無矛盾に扱えるという特徴が
あります。しかし、現実の時空は 4 次元ですから、残りの 6 次元をどうにかしな
いといけません。もっと積極的に捉えると、4 次元の場の量子論には粒子の種類、
相互作用の入れ方に選択肢があります。一方で、超弦理論は 10 次元の理論として
はほとんど選択肢がありません。ですから、4 次元での粒子の種類等の選択肢が、
残りの 6 次元空間がどういう形をしているか、という選択肢に対応する、という
のが超弦理論の枠内では自然な考え方です。
このような考察で現実の素粒子物理もしくはその自然な拡張が記述できるかど
うかは未解決ですが、その研究の過程で、新たな数学的現象が沢山発見されてき
ました。その典型例がミラー対称性です。内部空間として 6 次元空間 A を使うこ
とと、全く別の 6 次元空間 B を使うことを考えましょう。内部空間が異なるので
すから、残った 4 次元に出てくる物理は古典的には全く異なりますし、場の量子論
を用いて調べても全く異なった結果が得られます。しかし、超弦理論の場合は、A
に対して B をうまく選ぶと、残った 4 次元に出てくる物理が等価になってしまう、
ということが起きます。この際、A と B は互いにミラーである、と呼ばれます。
これは、80 年代後半から 90 年代前半に発見され、その後、理論物理学者および
数学者によって深く研究されており、物理への影響は兎も角、数学への影響はか
なりのものであったと言えます。研究がはじまって四半世紀が経とうとしていま
すから、英語および日本語での成書は既に沢山あります。しかしながら、数学者
にとってこそ衝撃であったためか、それらの本は大抵数学者によって数学者向け
に書かれたものでした。物理屋が大幅に関与して執筆された教科書 [1] もありま
すが、これは 900 頁にも及ぶ大著で、取り付くには相当の覚悟が要ります。です
から、ミラー対称性は、理論物理側で発見されたものであるにもかかわらず、理
論物理側から勉強をはじめるために、適切な本が無かった、という逆説的な状況
にあったわけです。
このギャップを閉じてくれる有り難い本が、日本での理論物理側のミラー対称
性研究の第一人者によって書かれた、本書です。この本の特色はこれまで述べた
ことに加えてまだあります。それは、具体的に詳細にミラー対称性の両側での計
算が述べられていて、雰囲気を理解するに留まらず、ミラー対称性を自分で確認
することができるようになっていることです。さて、ミラー対称性の両側の確認
1
は、多様体 A 内の二次元球面 S 2 の数が、別の多様体 B に付随する微分方程式の
解の挙動で決定される、という形をとります。微分方程式の解の挙動は、伝統的
に理論物理屋の育つ過程で学ばされるものですから、この B 側の解析の理論物理
側での解説は、記事がいくつか見つからなくはありません。しかし、A 側での数
え上げの問題は、英語記事ですら、物理屋向けに書かれたものは、この本以前に
私は見たことがありませんでした。ですから、これまでは、ミラー対称性の計算
の物理屋向けの紹介、というと、B 側だけ計算法を説明して、A 側は数学者によ
るとこうである、と書いてあっただけなのですが、本書を読めば、A 側も B 側も
自分で確認できる、というわけです。(実際に、私もこれまでは B 側のみの計算
しか経験がなく、この本を得てはじめて、A 側の計算をきちんと追ってみようと
しているところだということを告白しておきます。)
おしまいに、本書はサイエンス社の SGC ライブラリの一冊ですが、このシリー
ズではほぼ毎月、質の優れた日本語のモノグラフが出版されています。この内容
を、日本語を解する読者で独占しておくのは、人類全体での知識の共有という観
点からは、全く勿体無い話です。日本物理学会及び関連学会の援助もしくは斡旋
で、全巻を系統だって英訳するわけにはいかないものでしょうか。
[1] Hori et al., “Mirror symmetry”, Clay Mathematical Monographs 1, アメリ
カ数学会, 2003.
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