開発法学2014 モンゴルにおける遊牧と土地所有

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開発法学2014
モンゴルにおける遊牧と土地所有
国立公園的遊牧システムの提案―
―
羽鳥 徳郎
岡 大樹
佐藤 信吾
(松尾研究会)
Ⅰ 序 論
Ⅱ 土地所有を巡るシステムの変遷
₁ モンゴルの土地法制と都市部での土地所有
₂ 遊牧地における土地管理
Ⅲ 遊牧と土地所有
₁ 遊牧と土地所有の隔絶
₂ 遊牧と土地所有の親和性
Ⅳ 国立公園的遊牧システムの提案
₁ システムの概要
₂ 本システムの必要性
₃ 国立公園的遊牧システムのもたらす効果
Ⅴ 実施における問題点とその解消
₁ 問題点の所在
₂ 土地配分の問題
₃ 遊牧予定地住民の移住問題
₄ 問題の解消
Ⅵ 結 語
370 法律学研究53号(2015)
Ⅰ 序 論
開発法学を学ぶということは、常に相反する価値観に挟まれ何が正しいのかと
いう哲学的問題について考え続けることでもある。先進国と途上国、西洋と東洋
など、地球上には様々な視座が存在し、それらの衝突も無数に起こるが、そこに
必ずしも優劣がつけられるとは限らない。つまり、白黒つけられない領域が極め
て多い学問なのである。
今回我々が研究対象に据えたモンゴルの土地私有化という課題にも、様々な制
度や価値観が絡んでおり、改革の着手から25年以上経った現在でも未だ十分な結
末にたどり着いたとは言えない。改革の長い道のりにおいて近代的な土地所有の
考え方と最も激しい対立を見せたのが「遊牧」であった。モンゴルの伝統文化の
基礎である遊牧と、民主化・市場経済化後に流入した土地所有の必要性との間に
見られた大きな乖離は、学問的に非常に興味深い現象である。本論文ではまず、
開発法学の醍醐味とも言うべき異なる価値観の衝突について、モンゴルにおける
土地の私有化という課題を舞台として概観する。その上で、「国立公園的遊牧シ
ステム」と銘打ち遊牧の保護を目指す一方、土地所有の概念が根付かないモンゴ
ル非都市部における土地私有化へ向けた法整備の可能性を模索していく。本論文
では土地に関する法整備が、モンゴル自身があらゆる面で国家の開発を進め国と
して発展してゆく上で、必要不可欠な要素であると定義して論を展開していく。
Ⅱ 土地所有を巡るシステムの変遷
この章では、モンゴルの土地所有について論じるために必要な基本的経緯や現
状について、土地法制史とその実際の運用を都市部と牧地の両方の視点から概観
する。
₁ モンゴルの土地法制と都市部での土地所有
ソビエト社会主義連邦(旧ソ連)崩壊後の体制転換に伴い、1990年代初頭、モ
ンゴルも約70年間の社会主義体制に終止符を打つこととなった。1992年に制定さ
れた新憲法で国名は「モンゴル人民共和国」から「モンゴル国」に改められ(以
下、モンゴル)、政治は民主主義に、経済は市場経済に、という形で急進的な改革
371
が進められた。こうした改革は国家体制という大きな枠に留まらず、国民生活に
直接影響する細かな分野にまで及び、まさしく国の形は大きな変革を見ることと
なった。また、その目的は社会主義社会からの脱却であったため、それまで国が
管理し、国民での共有という形が取られていた様々な財が積極的に個人に解放さ
れ、私有化が進められた。中でも真っ先にその対象となったのが、長きに渡り国
が管理していた広大な国土1)であった。
こうした変革を大きく推し進めたのは国外からの圧力であった。モンゴルの土
地私有化、つまりモンゴル土地法制の近代的整備を促す役割を担ったのは世界銀
行やアジア開発銀行(ADB)などの国際金融機関である。これらの機関は、開発
主義2)を前提とする近代化政策の一つとして、新しい法律の下で土地の私有化を
規定することをモンゴルに要求した。これらの機関が開発の柱として土地の私有
化を強く推進しようとした背景には、大きく分けて二つの論理が存在する。一つ
目は経済的観点である。体制転換を機に土地の私有化を進めて土地不動産の取引
が生まれると、そこに税収が発生する。また、土地不動産は一つの財産の形とし
て社会的な信用を獲得し、それを有効に活用しようという動きが国民の中で活発
になる。こうした経済面での効果が、脱社会主義によるモンゴル社会へのダメー
ジを緩和するであろうという期待があったと見られる。二つ目は自然環境的観点
である。国土の大部分を占める牧草地は長きに渡って遊牧民の共有となっており、
それが広い範囲で土壌劣化など深刻な環境破壊を引き起こしていた。いわゆる
「コモンズの悲劇」である3)。こうした事態の打開には、土地を「すべての国民」
という単位、つまり社会主義体制をとる国の手から引きはがし、権利者を個別に
定めることが良策であるという論理である。この点についてはⅣ章にて詳述する。
一方、土地の私有化へ向けた動きはモンゴル国外からの圧力だけがエネルギーと
なっていたのではないということも忘れてはならない。近代化政策を推し進めて
いたモンゴル自身にも、土地の私有化制度を整備していくのと引き換えに、国際
金融機関からの大規模な資金援助が受けられることが大きなインセンティブとし
て見えていたのである。
こうした事情を契機として始まった土地の私有化の流れを振り返る上で起点と
なるのは1992年のモンゴル国憲法である。憲法第 ₁ 章第 ₆ 条第 ₃ 項には、
「牧地、
公共利用及び国の定める特別地域を除いた土地をモンゴル国民は所有することが
できる」とあり、国民が土地を所有できることが初めて明らかにされた。しかし、
体制移行の動乱の中で国民の精神的支柱となるべき遊牧は民族文化の基盤と位置
372 法律学研究53号(2015)
づけられ、モンゴル国政府は牧地の私有を認めなかった。
モンゴル国憲法で一部の土地の所有が国民に認められた 2 年後の1994年、憲法
の内容を受けた個別的な法として初めて「土地に関する法律(以下、1994年土地
法)」が制定される。本来、先だって制定された憲法の内容(土地所有の一部容認)
を反映するはずのこの法律だが、実際は必ずしもそうなっていない。対して一般
的に近代的な私法では、ものに対する権限をその性質ごとに分類している。所有
に係る権利には、その目的物に対する処分権の有無による分類があり、処分権が
ある場合はそれを所有権、処分権がない場合でも、目的物を支配している状態だ
けを認めるものは占有権、目的物の使用・収益だけを認めるものは用益権とされ
ている。ここに挙げたうち、問題の1994年土地法で認められているのは占有権
(1994年土地法ではこれを「保有」権としている)と用益権のみ であり、所有権は
4)
国民ではなく、国に付されたのであった。これによって、国民には土地の売買な
どの権利が認められないこととなった。
当然、旧態依然の1994年土地法に国際金融機関が満足するはずもなく、2003年
には「土地所有に関する法(以下、土地所有法)」が新たに施行され、初めて土地
の私有が認められた。こうしてモンゴル国民は土地に対する所有権も手にし、土
地の売買や担保設定などができるようになった。この点で、土地所有法の制定が
近代的な土地法制の整備に向けて大きな前進となったことは疑いのない事実であ
るが、まだそこには国民の土地私有の対象に牧地が含まれないという大きな不足
点も存在していた。
法制が進歩を見ても、土地所有の現状や人々の土地に対する観念は、近代的な
法治国家の想定するそれとは性質を異にする部分が多分に残されているというの
が現実である。滝口は2009年の論文の中でモンゴルの土地所有に関して、とりわ
け都市部での現状を題材にしながら、その問題点を指摘している。土地に関する
所有権が「保有」権の後を追って認められるようになったという経緯から、国民
の間に所有権と「保有」権は別個のものであり前者は後者に絶対的に優位なもの
として上塗りをするものである5)という認識が見られる点、都市部では人口集中
が進む一方で、土地とそこに住む人間の関係が法的に整備されず曖昧なままと
なってしまっている点などである。また、土地所有法の施行された2003年から 2
年間の猶予を設け、国民は占有していた土地を無料で私有化することができるこ
とになったが、私有化の進捗は地域によって極端に二極化し、都市の中心部や資
源に絡む土地が瞬く間に私有化されたのに対し、それ以外の土地は占有者による
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私有化が遅々として進まず6)、モンゴルの土地法改革はまだ道半ばにあると言え
る。
ここまで見てきたように、新しい時代と制度の中で、モンゴルの土地法制は大
きな変化を遂げつつも、その影響を大きく受けた都市部の現状は明らかな歪みを
見せていたのであった。
₂ 遊牧地における土地管理
土地所有法の認める土地所有の対象となった都市部の土地については前段で述
べたとおりであるが、その範囲から外れた牧畜を主要産業とする地方社会に関し
てはここから見ていくことにする。元来、モンゴル人は伝統的に行われてきた遊
牧を生きる糧とし、住環境や土地権利の根底には常に遊牧があった。しかし、そ
の生活はマクロな政治経済の影響を受けて大きく変化してきており、1950年代以
前の第 ₁ 期、1950年代から1980年代の第 ₂ 期、1990年代以降の第 ₃ 期の三つに大
別される。
第 ₁ 期は一般的に「封建期」と呼ばれ、未組織な個人がそれぞれの牧畜経営に
必要な土地を個人的に管理していた状態であった。その後、旧ソ連の影響を受け、
社会主義体制に移行し、封建的だった牧畜経営も集団化が目指された。そのため
に、全国に「牧畜生産協同組合(以下、ネグデル)」7)が組織され、すべての牧畜
を営む人々はそのメンバーとなり8)、彼らが所有する家畜などはすべてネグデル
の共有財産となった。続いて第 ₂ 期では、第 ₁ 期まで個人が経営・管理していた
牧地を当然国に帰するものと改め、それまで未整備であった土地の権利関係の帰
属が明らかにされるきっかけを作ったとも言えよう。その後、社会主義体制から
民主主義に変わった1990年代以降の第 ₃ 期では、ネグデルが解散され、数世帯で
形成される「ホトアイル」という単位で牧畜が営まれるようになった。共有と
なっていた家畜などは個人の私有に帰すこととなった。しかし前段でも述べたよ
うに、1994年土地法では家畜と同じく牧民の所有であったはずの牧地は牧民の手
に帰ることはなかった9)。
また、ここで牧地における土地所有の前提となる権利観念にも触れておかねば
ならない。牧畜は広大な土地を使っても、モンゴルの天候の変化が大きいことや
₁ 年中牧草の生育が進む環境ではないことを理由に一か所に留まることでは持続
可能な経営が困難であり、いくつもの土地を転々としながら営んでいく必要があ
る。そのため、牧民は冬営地、春営地、夏営地、秋営地などと数か所を区別して
374 法律学研究53号(2015)
いる。土地所有法では夏営地および秋営地には「用益」権が、冬営地および春営
地には「保有」権(リース権)と「用益」権が保障されており、土地に対する権
利の種類も対象となる土地によって様々なのである。
Ⅲ 遊牧と土地所有
ここまでモンゴルの都市部と牧地の両方における土地所有の歴史と現状につい
て見てきた。この章では、モンゴルの民族文化の根底にある遊牧と、モンゴルの
近代化の本丸とも言うべき土地私有化政策の拮抗について理解を深めていきたい。
₁ 遊牧と土地所有の隔絶
幾度も述べるように、遊牧はモンゴルという国について学ぶ上で避けては通れ
ない要素であり、かつその遊牧を営む資源となる牧地もこの国の国土の大部分を
占めている。こうした極めて存在感の強い文化や慣行などは、世界中どのような
土地にも存在し、外から流入する新しい文明(大抵の場合それは西洋の近代文明)
との間に摩擦を持つものである。モンゴルにおける土地の私有化に関する一連の
流れも、こうした障壁を避けて通ることはできなかった。事実、2003年に施行さ
れた土地所有法ですら牧地の私有化を認めるには至らず、モンゴルの土地私有化
において牧地は「聖域化」してしまったように思われる。
土地の私有化を推進した国際金融機関とモンゴル、その両者の間には遊牧と土
地所有の親和性に関しての意見の対立があり、さらに深くにはモンゴルの重要な
資源と言える牧地に対する価値観の相違があった。滝口は自身の論文の中でこの
点について触れている10)。国際金融機関は、先にも述べたように牧地の私有化を
進めることで土地のより有効な利用が可能になり、それが結果的に環境保全にも
繫がるという視座に立っている。一方で当事者であるモンゴル側では、伝統的に
使用してきた牧地は当然遊牧を営む者の間で共有されるべきものであり、牧地と
人の間に強い権利関係は発生しないという価値観を持っている。同氏は根本にこ
うした差が前提としてありつつも、その差だけではなく、両者とも土地を有限な
資源として見なしている点を強調し、問題は牧地の管理方法における対立である
としている。
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₂ 遊牧と土地所有の親和性
遊牧と土地所有との間には人々の価値観だけでなく様々な問題が存在し、それ
らすべてを考慮してその親和性を議論する必要がある。ここではそれらの問題の
うち主なもの二つを取り上げ紹介する。
( 1 ) 自然環境的視点
遊牧は一か所に留まることなく移動を続けなければならないという点で、近代
国家の多くで見られる居住や都市形成とはもちろん他の農業とも、大きく性質を
異にする。牧地とされる土地は広くあれど、牧畜をできる土地は限られており、
その場所が年中使えるとも限らない。こうした問題を克服するために、遊牧を営
む人々は自らが絶え間なく動き続けることを選択した。農業は生産性を高めるた
めに一定の土地を耕す、つまり土地そのものに投資し改良するが、遊牧は重要な
土地と家畜という二つの資源を常に最善の状態で結びつけていく。家畜に必要な
牧草や人間のための水があるかどうかが最低条件となり、加えて冬は風が弱く日
当たりの良い高地に、夏は少なくなる水を求めて低地の谷間に動くなど、季節に
合わせた移動も必要となる。年によって深刻な干ばつや雪害(dzud: ゾド) が生
じることもあるモンゴルにおいては、季節の移り変わりのみならず突然の自然災
害に負けず、その時の状況に柔軟に対処しながら移動することが極めて重要とな
る11)。適時的に適した土地に留まり、時が来ればまたほかの場所へ移動するとい
うサイクルを繰り返し、持続的な遊牧が実現する。そのため、一定の位置に留ま
り、その場所の権利を獲得するという根本的な土地所有の論理が成り立たない。
( 2 ) 文化史的視点
長きに渡ってモンゴルでは遊牧がその基盤を支える産業として存在しており、
厳しい自然の中で、まさしく生きる糧として遊牧を営んできた。こうした中で前
段に述べたような状態の良い土地が確保できなくなるということは、生命に関わ
る問題となりかねない。長い間遊牧に携わってきたモンゴルの人々は、幾度とな
くそうした危機に直面し、その度に皆で協力してその危機を乗り越えねばならな
かった。そこで牧地を個人が私有していたのでは、土地を確保できない遊牧民は
生き延びられない。そこで、牧地を占有することはあっても、いざという時のた
めに基本的には共有とし、全体で危機を乗り越えようとしたのである。こうした
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古来の考え方は、近代化に伴って土地の私有化が進められても、遊牧民の間では
根強く存在し続けているのが現状である。
Ⅳ 国立公園的遊牧システムの提案
₁ システムの概要
近年のモンゴル国における土地についての新たな秩序構築の流れを踏まえ、経
済的・社会的・自然環境的に実現可能かつ効率的な手段で文化・アイデンティ
ティとしての遊牧を存続させるためには、国立公園的遊牧システムの導入が合理
的である。上述の遊牧と土地所有の非親和性を鑑み、モンゴル国憲法第 ₁ 章第 ₆
条第 ₃ 項の原則に則れば、牧地の私有化は推進されるべきではない。一方で、以
下に述べる遊牧民の法的に不安定な立場が是正され、環境破壊は減速・改善され
なければならないことは明らかである。そこで、実行可能な一つの施策は「国立
公園的遊牧システム」である。
このシステムはモンゴル国政府自然環境・グリーン開発省が、遊牧地および家
畜・遊牧民の管理を特定の地域において行うことで成立する。本施策の第一ス
テップで、モンゴル国政府はある特定の地域を「国立遊牧公園」として指定する。
後述するとおり、その地域の選定および指定は遊牧活動に適した形で行われ、当
該地域での他の開発活動は国立公園内と同様に制限される。一方、遊牧を法的に
安定した立場で継続したい遊牧民はモンゴル国政府に申請を行い、公的な登録・
承認手続きを経た後に当該国立遊牧公園内での遊牧が許可される。加えて、公園
内での遊牧民たちによる牧地・遊牧活動の共同管理を実現することが本システム
の要点であり、それによって遊牧民の間の紛争発生を防止し、より効率的な運営
が実現される。言い換えれば、国有の牧草地域で遊牧民たちによる共同管理が行
われるということである。
₂ 本システムの必要性
( 1 ) コモンズの悲劇理論に基づく遊牧地の国家所有(管理)の必要性
上述のモンゴルにおける遊牧と土地所有の非親和性を鑑みると、
“The Tragedy
of the Commons(コモンズの悲劇)”12)において筆者であるハーディンが提示した
解決策のうち、土地の国家所有が最善のオプションであると結論づけることがで
きる。コモンズの悲劇理論とは、牧畜民は、共有牧地において過放牧のリスクを
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図 1 国立公園的遊牧システムのイメージ図
ロシア
国立
遊牧公園
モンゴル
国立
遊牧
公園
中国
出典:〈http://www.ephotopix.com/mongolia_outline_map.html〉
HP の図より作成。
考慮せず、自分の家畜を増やし自己利益の最大化を目指すための経済的合理行動
を取り、その結果環境劣化が生ずる、とするものである13)。コモンズの悲劇理論
については、ハーディンがコモンズとオープンアクセスの違い14)につき区別し
ておらず、ハーディンが言及した環境劣化はコモンズというよりはむしろオープ
ンアクセスの状況に資源が存在する場合に発生する、という指摘がある15)。しか
し、モンゴルでは社会主義体制の解体と市場の自由化により、それまでの資源共
有の概念が薄れ、牧地の資源としての性質はオープンアクセスなものへと移行し
てきているため、環境劣化が生じやすい状況が整っていると言わざるを得ない。
言い換えれば、共有概念の薄れた牧地管理ならびに利益の最大化を目指す遊牧運
営によって、モンゴルの牧地は過放牧の状態に陥りやすくなっているのである。
こうした資源の保全を達成するためには「私的所有」もしくは「国家所有」が必
要であるとハーディンは述べた16)。その中でハーディンは国家所有における「監
視者の監視」の困難を理由に私的所有が牧地の環境劣化を防ぐ唯一の方法である
と結論づけた17)。ところがモンゴルにおいてはⅢ章で指摘したとおり遊牧と土地
の私的所有には親和性がなく、土地の私有化が牧地の環境劣化を防ぐ最善策であ
るとは考えにくい。以上より、モンゴルの遊牧地は国家による所有が望ましいと
いう結論が導き出される。一方、モンゴルの都市部周辺では、近代化・民主化・
開発の促進に向け、遊牧地以外の土地の私有化が推進されており、その動きは避
けることができない。現在、遊牧地では宿営地のように一部の「保有」権(リー
ス権)が認められた地域が存在するものの、牧地は国有下にある 。しかし、現
18)
状では以下の問題が生じており、その改善のためには国立公園的遊牧システムの
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構築が有効なのである。
( 2 ) 現在の国有下における問題
Ⅱ章 ₂ において言及したとおり、社会主義の解体とともに遊牧を管理していた
機構が消滅し、遊牧民の間で牧地を巡る紛争が多発した19)。第 ₂ 期の集産主義の
下でなされていた規制や保障、援助は失われ、遊牧民たちはオープンアクセスと
化した牧地の上での遊牧活動を余儀なくされた20)。特に、旧ソビエト連邦による
援助が打ち切られたことで、遊牧に不可欠な水源整備や季節性移動に伴う輸送な
どのサービスが受けられなくなった結果、遊牧民たちの生活は更に厳しいものと
なった21)。こうした状況に拍車をかけるように、以前は協力的であった遊牧民同
士の関係にも悪化が見られた。集産主義時代にネグデルが果たしていた遊牧民間
の調整機能が失われたことがその主な要因である22)。上からの管理がなくなった
ことで、遊牧民たちは利用する土地の確保を自ら行わざるを得なくなり、特に厳
しい冬と春の宿営地を巡って紛争が発生した23)。
効率的な遊牧を阻む更なる障壁は、政府による宿営地のリース権発行および不
適切な行政区画によって生ずるモビリティの低下である。モンゴル国政府は1998
年に宿営地のリース権発行を開始し、主に金銭的に豊かな遊牧民がそれを取得し
た24)。一般に毎年大きく変化する不安定なモンゴルの気候は、特定の宿営地を利
用する遊牧民の数や構成を毎年変化させるが、リース権を持たない遊牧民や、
リース権を保有する遊牧民との血縁関係が薄い遊牧民は宿営地の利用が制限され
る事態が発生している25)。こうした状況では効率の良い協力的な遊牧は実施され
ない上、経済力が乏しく家畜の数も少ない一家が条件の良い宿営地を利用するこ
とができなくなっている。それを一因に、遊牧民の間の経済的格差拡大が社会問
題にも発展している26)。加えて、リース権を保有している富裕層でかつ家畜数の
多い遊牧民が他者による宿営地の利用を監視・防止するために季節に従って移動
することをやめ、定住的な放牧を開始するようになった。その結果、宿営地周辺
は過放牧に陥り、牧地環境悪化の発生が報告されている27)。
一方、現在のモンゴルの行政区分であるソムのサイズが遊牧には不適なほど小
さいという声が遊牧民や公務員から上がっている28)。大きく変化する気候に従っ
て水飲み場や風をしのぐシェルターを求めて遊動するため、遊牧に利用される地
域は複数のソムにまたがっていることが一般的である。しかし、遊牧地の管理や
振り分けはソムの区分に従って行われることが多く、家畜にとって最良の環境で
379
遊牧を行えているかには疑問が残る。行政区画が遊牧のみに適した形で整備され
るべきであるとは当然には言えないものの、遊牧民の季節性移動がカバーする地
域全体を一つの行政区画とし、より柔軟な土地利用を促すことが望ましい29)。
土地に関して安定した法的権利を持たない遊牧民にとって現状は厳しい。自ら
が利用している牧地がいつ鉱業会社に目をつけられ、鉱物採掘が始まるか分から
ないからである30)。そこには経済発展を推し進めるためにモンゴル国政府が金や
モリブデンを中心とした豊富な鉱物資源の採掘および輸出を拡大している背景が
ある31)。しかし、遊牧民たちは鉱物採掘が開始する前に鉱業会社と協議を持つ機
会もなく、土地に対する法的権利をも持たないため、政府による許可を受けた業
者の採掘に追いやられるしかないのが現状である32)。また、採掘に伴う汚染も遊
牧民たちを苦しめている。例えば、採掘プロセスで使用された化学物質などに
よって汚染された水が川に流され、周囲の土にも浸透することで、それまで飲料
水として用いられてきた河川の水がもはやヒトにとっても家畜にとっても有害に
なり、家畜の食料となる牧草も汚染されてしまうという事例が各地で発生してい
る33)。1995年に制定された環境保護法には、資源開発の際の環境アセスメントや
モニタリングの義務付け規定は存在するものの、実際にそれが機能しているとは
考えにくい状態である34)。
₃ 国立公園的遊牧システムのもたらす効果
( 1 ) 遊牧民にもたらす恩恵
国立公園的遊牧システムでは、モンゴル国政府自然環境・グリーン開発省によ
る遊牧の管理および資源利用の調整が行われるため、従来の効率的な遊牧への回
帰が促される。具体的には、季節性移動に伴う輸送サービスの提供や、インフラ
整備といったコミュニティレベルでは実施が難しい支援活動を政府が担うことと
なる。遊牧民が牧地や教育施設へのアクセスといった自らのニーズを満たすため
に移動するだけでなく、政府機関と連携・協議することで教育機関の設置などの
より効率的な展開が期待される35)。宿営地や牧地の運営は、政府機関から派遣さ
れたオーガナイザーとともに遊牧民たちが共同管理体制を整えることで、金銭的
格差にとらわれることなく効率的なものへと変化していくであろう。特に、経済
力のない家族に一定のサポートを行うことで遊牧民の間の格差を是正することも
期待される。ここで言うサポートとは、金銭的な援助のみならず、家畜に関する
獣医学的アドバイス36)や他の遊牧民とのコミュニケーションの促進といった遊
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牧運営により踏み込んだものを指す。加えて、Ⅳ章 ₂ で指摘した通り、社会主義
時代に行った行政区分から脱却することにより、より自然環境の相違や気候の変
化に対応しやすい区分で遊牧を行うことができる。仮に従来の行政区分からの脱
却のみを考えるのであれば、単純な行政区分の改定で十分であるようにも思われ
るが、その際に予想される地域の権力者たちによる政治的紛争を避けるには、国
がイニシアチブをとって遊牧のより効果的な実施を目的とする国立公園の設置を
することが望ましい。これによって、円滑な制度移行を実施することが可能であ
る。国立遊牧公園の地域選定の際、特に重要になるのはモビリティの確保であり、
遊牧民が行政区分の境界に躊躇することなく移動を繰り返し、過放牧を生じさせ
ない形で最適な牧地へと家畜を導くことができる環境づくりが求められる。一方
で、遊牧民の自主性や協力意識を奪うような強権的管理は決して行われてはなら
ない。あくまでも本システムの要点は、遊牧民の法的立場を安定させるとともに、
共同管理による効率的な遊牧を実現することであることに留意する必要がある。
国立公園的遊牧システムの導入はこれまで法的保護を得ることができていな
かった遊牧民たちに安定した地位をもたらす。上述のとおり遊牧民たちは経済の
自由化以降、土地に対する安定した権利を得ることができず、遊牧民同士の争い
や経済格差、そして鉱山開発に脅かされてきた。しかしながら、本システムの導
入によって国立遊牧公園内で遊牧を営む遊牧民たちはそうした不安から解放され
るのである。まず、宿営地において認められていたリース権を廃止することで、
これまでリース権を保有し、定住化していた大規模遊牧(放牧)民の季節性移動
を促し、特定の地域への過放牧による環境負荷を低減する。更に、国立公園とし
て遊牧文化を保護し、鉱物採掘などの開発事業を制限することで、公園内の遊牧
民たちは突然の鉱山開発によって立退きを迫られたり、開発事業に対する反対活
動を行うことによる疲弊および遊牧生活への支障を感じたりする必要がなくな
る37)。具体的には1994年制定の特別保護地域法に定められた国立公園の「特別地
区」に準ずる形で、国立遊牧公園を設置し、所定の機関の承認を受けた者のみに
遊牧を許可するシステムをとることが推奨される38)。「特別地区」内では許可を
受けた遊牧と学術研究のほか、劣化した動植物の生息地の修復や自然災害による
被害を除去する活動のみが認められるため、遊牧民が鉱山開発などによって社会
的・環境的ストレスを受けることはなくなる39)。
381
( 2 ) 政府にもたらす恩恵
モンゴル人にとって継承されるべき文化であり、アイデンティティである遊牧
は、本システムの導入によって継承・保全される40)。社会主義崩壊直後は多くの
失業者が遊牧業へ流れ、1990年から1998年にかけて牧畜世帯数は 2 倍にまで膨れ
上がった41)。しかし、2013年時の家畜所有者の数はピーク時の2000年と比べて約
68%にまで落ち込んでいる42)。季節性移動をやめ、定住放牧へと切り替えた人口
の増加を考慮に入れれば、遊牧民の人口はこうした数字が表す以上に減少してい
るであろう。遊牧活動は GDP への換算が困難であり、その減少はモンゴルが先
進諸国を追って経済成長を目指す上で不可避である。しかし、遊牧をモンゴル人
のアイデンティティとして確実に継承するには一定数の遊牧民を国の管理下で保
護していく必要があると考えられる。その手段として国立公園的遊牧システムの
導入は、今まで無秩序の状況下で営まれていた遊牧の監督・管理を容易にし、よ
り詳細な遊牧民のデータ収拾を可能にすることが期待される。
これまでは遊牧の規模や所在を把握するのが難しく、実際にどのような政策が
必要かつ効果的であるか予測しづらかったものの、国立遊牧公園化に伴って遊牧
民との連携・協議および遊牧民の登録を行うことにより、より民意を反映し、か
つ効果的な政策を実施することが可能になる。モンゴル国憲法第 1 章第 ₅ 条第 ₅
項における「畜群は国民の富であり、国家の保護を受ける」との文言のとおり、
重要なアジェンダの一つである遊牧の保護が効率的に行われることは政府にとっ
ても好ましいのである43)。
Ⅴ 実施における問題点とその解消
₁ 問題点の所在
国立公園的遊牧システムは、モンゴル全土の土地を再配分するという意味で
様々な障害が予想される。その中でも特に、次の二つの点が懸念されるのではな
いだろうか。
まず、都市区域外の地域をいかにして配分するかということである。現在の
「土地所有に関する法」(以下、土地所有法)は、都市区域を射程としている。し
たがって、都市区域における土地の所有は確定していく流れができている。しか
し、土地の私有化に向けた法改革を推し進め、土地所有法を都市区域外に拡大す
るということは、都市区域外の土地の所有者を確定することを意味する。現状、
382 法律学研究53号(2015)
確定していない多くの土地をいかにして配分するかは大きな問題となると予想さ
れる。
次に、遊牧予定地に現在住んでいる人々のうち遊牧を今後望まない人々および
現在遊牧をしていない人々を、どこに移住させるかという問題が考えられる。国
立遊牧公園は、遊牧という性質上かなり広大な地域をカバーすることが考えられ、
一定数のモンゴル国民が影響を受けることになる。彼らの反発を招くような改革
を行っても、成功の可能性は薄いのではないだろうか。そういった意味で、遊牧
予定地の遊牧民以外の人々の移住の問題も解決しなければならないであろう。
この二つの問題の解決にあたって、基本的にはモンゴルの現状の法体系に沿っ
た形での解決が理想的であると考える。というのも、この国立公園的遊牧システ
ムのためだけの立法を重ねても、それはモンゴルの商慣習や文化性、歴史性を無
視したものになりかねず、当該法制度の浸透に更に多くの時間を要することにな
りかねない。そうした懸念を念頭に置くと、モンゴル民法を基本とした法体系の
構成が必要となる。
₂ 土地配分の問題
先述のとおり、2002年 ₇ 月27日に承認され、2003年 ₅ 月 ₁ 日に施行された土地
所有法は、初めて処分権を伴う「土地の私有」を認めたものである。しかし、こ
の法律はあくまで都市区域内に限定的に適用されている。この土地所有法をモン
ゴル全土に拡大する場合、所有者が確定していない多くの土地(都市区域外の全
土)を配分しなければならない。ここで、モンゴルにおける土地の所有について
再度確認をする。モンゴルにおいて、私的所有が認められた土地以外の部分に関
しては、
「保有」44) 権と「用益」45) 権という権利が認められている46)。「保有」権
であれば、最大100年間一つの土地を占有できることになるが、
「用益」権の場合
最大 ₅ 年間一つの土地を目的に応じた範囲でのみ利用できるのみである。この二
つの権利と「所有」には決定的な違いがある。それは土地をいかにして処分する
かという点である。「所有」の場合は、処分権は所有者に属することとなる。し
かし「保有」や「使用」の場合、処分権は所有者に属するのではなく、当局の許
可がなければ処分できない規定となっている。同様に、抵当権設定などに関して
も基本的には当局の許可が必要である。
現状の「保有」や「用益」は使用貸借のような法的構成を取っており、これで
は今後のグローバル化する商取引に支障をきたす恐れがある。また、外国人が
383
「用益」以外の形態で土地を保有することができないということも、今後の商取
引等に問題を起こすであろう。具体的には、土地売買の制限や担保制度の法的根
拠不足といった問題が生じることが予想される。
「保有」、「用益」の権利の最大
の問題点は、処分や利用権の確保および延長が土地管理当局の許可によるところ
である。土地所有権を拡大し、土地管理当局の許可なしでの土地利用(処分や抵
当権設定)を可能にすることで、この問題を解決していくことを提案する。
既に、所有権は都市区域において適用されていることからも、その拡大はモン
ゴル国民に浸透しやすいのではないかと考えられる。それは、ウランバートル市
にモンゴルの総人口の約46%が住んでいるように、モンゴルの人口の大部分は都
市区域内に住んでいるからである47)。浸透している法律を拡大していくのは、新
しい法律を新規に浸透させるよりも容易かつ効率的なのではないだろうか。
すると、
「保有」、
「用益」権によって規定されている土地区分をいかにして「所
有」権によって規定される土地に変更していくかが重要になる。その手段として
は、
「保有」
、
「用益」権の延長線上に定義していくことが良いと考える。では、
実質的な定義はいかにしていくべきか。現行の土地所有法では、一家族につき首
都で最大0.07ha、県の中心地で最大0.35ha、郡の中心地で最大0.5ha が支給される。
これがいわゆる所有地(私有地)であり、法文上明確に規定された所有権の及ぶ
範囲である48)。この所有地分割を都市部以外でも更に推し進めていくこととする。
第一に、遊牧予定地、所有権・「保有」権・「用益」権によって占有が確定して
いる土地を除いた全土地を暫定的に国有地とする。そして、保有権による土地の
利用者の更新時は、いったん使用権として登記を変更する。そのことによって、
モンゴル全土は所有権・使用権によって占有が確定している土地、遊牧予定地、
国有地の 4 種類の状態となる。「用益」権に限定した理由としては、
「保有」権で
配分してしまうと、最低限15年間、長ければ60年間その土地の「所有」権を設定
できないことになるからである49)。現状の土地をできる限り効率的にかつ公平に
配分することを考えると、短期間で所有者が確定することが重要である。その理
由は、相続が生じるなど他の事由による土地所有権の複雑化は、極力所有権が確
定してから起こる問題とすべきであるからである。そうした懸念から、できる限
り平穏にかつ迅速に土地を配分し所有権を付与するために、「用益」権を分配し
た後の所有権への変更という手順をたどることを提案する。そして、所有権を確
定する理由が、処分や自由な使用であることから考えると、一つの問題が浮かび
上がってくる。
384 法律学研究53号(2015)
モンゴルにおける登記には大きな問題が存在する(少なくとも、商取引や裁判・
紛争において大きな問題となる)
。それは、登記に関して一般に簡単に閲覧するこ
とができないということである。モンゴルの土地所有法においては、明文で登記
の公信力が認められており、その不動産登記制度は一見すると整備されたものの
ように思われる50)。しかし最大の問題として、その登記簿は原則として所有者の
同意がなければ閲覧も謄写もすることができないということである51)。この状態
のままでは、いくら土地の所有権制度が完成したとしても紛争は絶えなくなって
しまう。やはり、不動産登記簿は原則公開として誰でも閲覧可能にするとともに、
その存在を国民に周知徹底し利用を促すべきであろう。
₃ 遊牧予定地住民の移住問題
国立遊牧公園はその性質から広大なものになることが予想される。その場合、
予定地でない場所に移り住まなければならない人々が一定数いることも忘れては
ならない。特に、遊牧予定地に定住している人々に対するケアに失敗すると、こ
の構想自体の失敗に繫がる可能性すらあると考えられる。
まずは、予定地の選定を考える。予定地としての条件としては、遊牧に適して
いることと遊牧民を除き現在遊牧予定地に住んでいる定住民が少ないこととなる
のではないだろうか。前者は、この構想の目的として遊牧の伝統を守るというこ
とが主眼に置かれていることからも、遊牧に最適な地を見つけ出すことが大切で
あろう。また、後者に関しては移住を強いる人の数を極力減らすことがこの構想
の成功に繫がるということは前述したとおりである。したがって、この最大効用
を考えた特別立法が必要なように思われる。現在でもモンゴルには土地収用法な
どが存在するにもかかわらず、現行法ではなく特別立法が必要な理由は以下のと
おりである。住民保護の観点からすると、いかにして土地収用が行われるかとい
うことが明確に示されている必要がある。しかし、モンゴルにおける裁判判決が
実質的に非公開であることと、現在のモンゴルの土地収用法が概念的なものに留
まっていることから考えると、国民はどのような形で土地収用が行われ、いくら
の補償金が支払われるかを知る手立てがないこととなる。やはり、裁判判決を公
開することが望ましいのであるが、土地収用に関する部分だけを公開するのは難
しいであろう。そういったことを考慮すると、新土地収用法を立法した上で収用
の方法・補償金算定などについて詳細な条項を作るべきではないだろうか。住民
の権利保護と新法立法の手続きを利益衡量したとしてもこの結果になるであろう。
385
その上で、適正な土地収用と移住促進を行わなければならない。
一方で、国立遊牧公園に新しく移住してくる遊牧民の管理はどうすべきであろ
うか。遊牧予定地では、もともと暮らしている遊牧民だけでなく新規に入ってく
る遊牧民にも考慮しなければならない。そうすると遊牧民として新規に遊牧予定
地に移住する人々に対しても特別な住民基本台帳を作成した上で、登録を行うと
いう形式が有効であろう。遊牧民も都市区域に転居する可能性はあり、都市区域
に一時的に出かけることももちろんあるからである。つまり、現状誰が遊牧予定
地に住んでいるのかを正確に把握するため、台帳の整備が必要である。住民基本
台帳52)に登録していない遊牧予定地居住者は、不法滞在者と同格に扱って良い
と考えられる。
₄ 問題の解消
以上二つの問題点を解消することが予定地を決定する上で肝要になる。まずは
土地配分の問題、そして遊牧予定地に現在定住している人々の移住の問題である。
土地配分の問題点として、「保有」権と「用益」権の問題と不動産登記が原則
非公開である点が挙げられる。本論では、都市区域外で求められている「保有」
権と「用益」権を段階的に都市区域内で認められている所有権と同様の所有権に
移行させることによって、法的安定性の確保と商取引安全を実現していくとした。
抵当権設定や処分権の自由な行使などが公的に認められ、経済的・社会的メリッ
トは大きいように思われる。具体的には前述の「用益」権を一度更新し、二度目
の更新時に所有権に転記した上所有者として認定して不動産登記を行う。これに
よって、できる限り平穏に所有権登記のなされた土地を増やしていくことができ
るだろう。現在、「保有」権で占有状態にある土地に関しては、次回の更新時に
所有権への変更登記を行うこととする。また、現在「保有」権でも「用益」権で
も関与されない土地に関しては、一度国が収容した上で今後私有地化するか国有
地化するかを議論した上で特別立法によってその行方を決定すべきであろう。
次に遊牧予定地の人々の移住問題である。予定地に関しては前述のとおり遊牧
民を除く現在の定住民の数と遊牧適正との相関における最適解を満たす土地とす
る。また、住民台帳の作成は必ず行うべきである。
遊牧地住民の権利保護も重要になる。例えば、登録をしていない遊牧民など公
園利用資格を有さない者が公園内で不法占拠を行った場合に、いかにして妨害排
除するかといったことが問題となるであろう。国有地だからといって、個々の紛
386 法律学研究53号(2015)
争に国が介入するのは非現実的である。ここで、日本の入会権53)と同様の制度
の導入を提案する。そうすることで、正式に登録を受けた遊牧民が不法占拠者に
対して個々に妨害排除請求権を有することとなり、公園内遊牧民の保護が実現さ
れる。もちろん、この入会権もモンゴルの商慣習やその他の法と整合性をとる必
要があり導入までに時間がかかることも考えられるが、遊牧民保護の観点からは
導入が求められる。この入会権によって住民の全会一致による賛成がないと売却
譲渡などができなくなることから、乱開発の防止や環境保護の可能性も期待され
る54)(そもそもこの問題は、遊牧予定地における開発制限によって生じない可能性もあ
るが、ここでは入会権の導入の側面からも乱開発を防止できることを付け加えておく)。
そして、最後に法制度改革の順を間違えないことが肝心である。言い換えれば、
遊牧民や遊牧予定地から出ていかなければならない人々の身分の確定と新規の所
有地(居住地)の確定が最重要課題である。それは彼ら彼女らの身分の保全と所
有地の決定をしないままに土地の配分が行われてしまうと、配分地がなくなった
り権利関係が複雑になったりとデメリットが大きすぎるからである。その後、所
有権を付与することとなるので、所有権の確定は10年以上の長いスパンで捉えな
ければならないと考えられる。以上のような施策を行うことで、本構想は意義あ
るものとなると考える。
Ⅵ 結 語
ここまで、モンゴル都市区域外地域における土地私有化へ向けた法整備の可能
性を模索してきた。1990年代に民主化の道を歩み始めたモンゴルは、国際社会か
らの要請や国内の伝統意識によって、土地を個人所有とするか国有地にするかそ
れともその中間の保有地とするかで様々な道を探ってきていることが概観された。
先述のとおり、現在では都市区域内での土地の所有権が認められており、都市区
域外では用益権と保有権という形で土地の利用が認められている。この制度はモ
ンゴルの実情にしっかりと立脚したものであるが、昨今のグローバル化による商
取引の活発化や環境問題への関心、遊牧民の権利保護の必要性などの懸案事項に
対応しきれていないのも確かである。さりとて、現在の民主主義システム以前の
社会主義システムに戻すこともまた非現実的であると言わざるを得ない。
そこで、本論文では国立公園的遊牧システムを提案した。コモンズの悲劇や遊
牧管理主体の不在、遊牧民の権利の不明確さなどは現在の大きな問題であると考
387
えられる。これらの問題に対処するために、遊牧地を限定した上で明確化するこ
とがこの提案の趣旨である。この政策によって、遊牧民の法的地位を安定させる
だけでなく、減少傾向にある遊牧というモンゴルの伝統を保全することができる
と考えている。土地の管理も政府と遊牧民が協力して行うことによって、遊牧民
の声がより大きな影響を政府の意思決定に与えることができるようになる。
問題点がないわけではない。本論文で挙げた主要な問題点としては、遊牧予定
地外の土地の配分についてと、遊牧民及び定住民の土地移動についてである。前
者に対しては、現状の使用権と保有権という複数権利体制を改めるために、一度
目の更新時にすべての土地を「用益」権に登記変更をした上で次の更新時に所有
権として再度登記を変更することを提案した。これにより、平穏に土地の登記変
更が可能であると考えた。さらに、モンゴルの不動産登記制度は原則非公開であ
ることも問題であるので、これを原則公開とすることも併せて提案した。また後
者に対しては、遊牧地に現在拠点を持つ遊牧民とこれから入ってくる遊牧民に対
して新規に住民基本台帳を作成することを提案した。遊牧という形態は、特に住
民の把握が難しいため入り口での管理が良いであろう。もちろん移住や定住への
変更の自由を保障するためにも、明確かつ透明性のある管理が必要である。そし
て、遊牧予定地に現在住んでいる定住民に対しては、特別立法による土地収用に
伴う権利保護を提案した。
この提案は、今後より活発になる経済活動を見据えた上で遊牧民の権利保護と
伝統維持、更には経済活動の活発化に力点を置いた政策である。しかし、これが
最善の解決策であるか否かについては更なる議論が展開されることを望む。何よ
りも、法制度整備支援においては現地の人々(モンゴル人)の求めている未来像
を認識した上で、その手助けをすることが最重要であるからである。本論文がそ
の一助となれば幸いである。
₁ ) 現在、モンゴルの国土面積は156万 5 千平方キロメートル、人口は約287万人で
ある。日本の14倍もの土地に、日本の人口の50分の ₁ に満たない人間が住んでい
ることになる。広い国土の実に80%を占める草原ステップは牧草地としての利用
に留まり、総人口の半数近くの約122万人が首都ウランバートルに住むなど、他
の途上国同様、都市部への集中が進んでいる。
₂ ) 財産の私有化や市場経済化、つまり資本社会への移行を是として、政府やそれ
に準ずる機関が主導して産業制度の改革を行うこと。
₃ ) 上村 2004: ₄ 頁。“The Tragedy of the Commons”生態学者ギャレット・ハー
388 法律学研究53号(2015)
ディンが1968年に「サイエンス」誌の中で発表(Hardin 1968)。多数者が共有し
て利用できる資源には過度な搾取が起き、資源が枯渇してしまうという警告を言
い表している。
₄ ) 趙 2014:148頁。モンゴル法において、土地の「保有」とは、契約に定める用途、
条件、約束に従って、法の許す範囲内で土地を自己の管理下におくことをいう
(土地法第 ₃ 条第 ₁ 項第 ₃ 号)。土地の「用益」とは、法の許す範囲内で土地の所
有者または保有者と結んだ契約の定めに従って、自分の土地にとって有利なある
性質を引き出して利用することをいう(同項第 ₄ 号)。
₅ ) 滝口 2009:47頁。土地所有法が施行された際、施行から 2 年間の間に申請すれ
ば国民はそれまで家族で使用していた土地を無料で所有できるとされた。こうし
た制度が、国民の間に「占有権」を「所有権」に書き換えるという思考プロセス
を生むこととなった。
₆ ) 土地所有法に当初規定された占有地の無償私有化期間は施行から 2 年間であっ
たが、無償手続きも実際にはその他の経費がかかってしまうことや、手続き自体
に時間がかかることなどから、緊急性を持つ国民以外は手続きをしないままであ
る。
₇ ) ネグデルはソ連で言うコルホーズである。
₈ ) 富田 2008:214頁。1959年に創設されたネグデルであったが、1960年代には全
国でほぼ100%の牧民が加入するに至っている。
₉ ) 1994年土地法は施行から ₈ 年後の2002年に改正され、一部1994年土地法の中身
が緩和される内容となったが、結局牧地の所有権容認には至らなかった。
10) 滝口 2004:67頁。「『私有』の論理は、土地を『経済』的な資源として強調し、
『共
有』の論理は、土地を『自然』的な資源として強調している。」と述べている。
ここでいう「私有」と「共有」の論理とはそれぞれ、土地の私有化を進める国際
金融機関の視点と、伝統的な遊牧や社会主義時代の集団化を経験してきたモンゴ
ルの人々の視点のことを指す。
11) Mearns 2004:128頁/小長谷・前川 2014:48頁。
12) Hardin 1968。
13) Fratkin 1997:238、240頁/上村 2004: ₄ 頁。
14) Ferguson 1997:297頁。一般に土地管理は、①非管理・オープンアクセス、②
共同管理・コモンズ、③私的管理、④国家管理の ₄ 形態に分類される。①オープ
ンアクセスとは、当該土地の利用について何人も制限されない一方で、利用する
権利を持つ者も存在しない状態のことを指す。②コモンズとは、一定のグループ
メンバーのみが当該土地を利用する権利を持っており、メンバー以外の者による
利用を排除することができる状態を指す。③私的管理とは、特定の個人が当該土
地の利用につき排他的な権利を有しており、かつ他者が当該個人による当該土地
の利用を妨げない義務を有している状態を指す。④国家管理とは、国家によって
当該土地の利用可能者が指定されている状態を指す。
389
15) Ferguson 1997:293-297頁。
16) Hardin 1968:1245頁。
17) Hardin 1968:1245-1246頁。ハーディンは “Qui custodiet ipsos custodies?”-“Who
shall watch the watchers themselves?” という古典的な問いを用いて法による規制
の限界を提示している。我々はこの問いを常に心に留め置き、矯正的(corrective)
なフィードバックを監視者に与えるべきだとも述べた。
18) Fernandez-Gimenez & Batbuyan 2004:147-148頁。
19) Fernandez-Gimenez 2002:57頁。
20) Fernandez-Gimenez 2002:57頁。
21) Fratkin 1997:248頁/ Fernandez-Gimenez 2002:57頁/ Leisher et al. 2012: ₁ 頁。
22) 滝口 2004:62頁。
23) Fratkin 1997:249頁。
24) Fernandez-Gimenez 2002:61頁。
25) Fernandez-Gimenez 2002:61頁。
26) Fratkin 1997:249頁。
27) Fernandez-Gimenez 2002:62頁/小長谷・前川 2014:47-48頁。
28) Fernandez-Gimenez & Batbuyan 2004:160-161頁。
29) Fernandez-Gimenez & Batbuyan 2004:163頁。
30) Byambajav 2012:13-15頁。
31) Byambajav 2012:17頁。
32) Byambajav 2012:19頁。
33) Byambajav 2012:18頁。
34) 加藤 2007:58頁。
35) 島崎・長沢 1999:38-40頁。
36) 小長谷・前川 2014:53-54頁。経済の自由化以前には公共サービスとして提供
されていた家畜診療が原則個人負担となったことにより、口蹄疫などの被害が拡
大しているため、獣医学的アドバイスの提供による状況の改善が期待される。
37) Byambajav 2012:19-28頁。
38) 加藤 2007:59頁。
39) 加藤 2007:59頁。
40) 上村 2004: ₄ 頁/滝口 2004:58頁。
41) Leisher et al. 2012: ₁ 頁。
42) NSOM 2013a。
43) 上村 2004:23頁。
44) 土地の用途を「住居・家庭生活」、「企業活動」などの限定される用途において、
土地管理当局の許可により15年から60年(最大延長100年)の間、利用すること
ができるという権利。外国籍企業を含む外国人は土地を「保有」することはでき
ない。
390 法律学研究53号(2015)
45)「保有」と似た用語だが、使用許可期間は最大 ₅ 年間で、土地管理当局の許可に
より何度でも延長できる(一度に延長できるのは ₅ 年間まで)。
46) 加藤2007:56頁。
47) NSOM 2013b。2013年時点でのモンゴルの総人口は293万277人であるのに対し、
ウランバートルにおける住民の数は137万2,042人にのぼる。
48) 滝口 2004:59頁。
49) 加藤 2007:56頁。
50) 田邊 2004:24頁。
51) 田邊 2004:24頁。JICA モンゴル法整備支援計画長期派遣専門家の田邊正紀によ
ると、モンゴルの不動産登記制度は、公信力を有しているにもかかわらず原則と
して所有者の同意がなければ閲覧もしくは謄写することができないこととなって
いる。
52) 総務省 2014。住民基本台帳とは、日本のシステムと同様に氏名、生年月日、性別、
住所などが記載された住民票を編成したもので、住民の方々に関する事務処理の
基礎となるもの。このうち、住所に関してのみいずれかの国立公園に所属してい
るかのみ記されているものとする。
53) 中村 2003:79頁。日本民法第263条および第294条に規定されており、前者は地
盤所有権と使用収益権が入会集団に帰属するのに対し、後者は使用収益権のみが
入会集団に帰属すると解される。
54) 牧 2012:166頁。
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