安倍内閣 - Chatham House

研究報告
John Nilsson-Wright and Kiichi Fujiwara
アジア・プログラム | 2015年9月
安倍内閣
実際主義と過激思想の舵取り
安倍内閣: 実際主義と過激思想の舵取り
概要
• 日本の政治に寄り添った分析により、とりわけ経済回復と安全保障問題に関する実際的なア
プローチに焦点を当て、安倍晋三総理大臣の穏健な国際主義的姿勢を浮き彫りにした。対照
的に、安倍首相の直感的なスタンスが、歴史修正主義も含め妥協のない保守的ナショナリズ
ムの現れとなる恐れについて批評家は焦点を当てている。
• 就任後数ヶ月間、安倍は注意深いアプローチをとり、キャンペーンで約束した経済回復の実
現に集中してきた。しかし、2013年の終わりの靖国神社参拝と内閣改造により、議論を呼ぶ
議題への動きを印象付けた。
• 「安倍ドクトリン」が2013年1月18日の総理大臣の演説で述べられた。これは、民主主義の
規範と価値について厳格に言及したものであり、法を遵守する民主主義国家の一員として日
本を位置づけ、西欧諸国との類似性について指摘した。これには、国際協力への取り組みや
法の支配についての言及も含まれた。このドクトリンは中国を国際社会の異端として印象付
ける取り組みのひとつであった。
• 国家の「集団的自衛権」に広い解釈を与える日本の新たな安全保障法案を推進することで、
安倍政権はこれらの改正は日本を守るために必須であると国民を説得しようとしている。し
かし批評家らは、この改正は、さらに幅広い憲法の改正、米国との日本の同盟関係を事実上
の改正に繋げるための裏口ではないかという疑念を抱いている。
• 世論調査での政府の支持率は急落しているが、当初の実際的な外交政策姿勢を保ち、日本の
過去の戦時下の行為を容認すると解釈される可能性のある言動を避けることは政治的とも見
られるだろう。長期的な日本の戦略と国益のために、安全保障の改正ま間違いなく重要であ
り、国民からの広い支持を維持することは、これを推進するために欠かせない。
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安倍内閣: 実際主義と過激思想の舵取り
序章
安倍晋三氏が2012年12月に日本の内閣総理大臣に再選されてから2年半以上が経過した。発足1年
後の2007年に突然終了した第一次安倍内閣とは対照的に、第二次安倍内閣の存続期間は小泉内閣
(2001–06)に次いで最長である。前任の首相の在職期間がせいぜい1年であったことから、これは
大きな功績である。安倍氏は、景気回復および政治的安定により地政学上の地図に日本を戻し、
強く権威ある首相のリーダーシップが復活したというイメージを示してきたことは明らかなよう
だ。
しかし自民党安倍政権に対する認識は国内外において分裂したままである。日本の政治情勢のオ
ブザーバーの中では、現在極端に二極化した見方が存在している。安部氏寄りのオブザーバーは
前向きな経済発展に傾注するべきであるとし、当座は歴史問題を棚上げすることが重要であると
強調しようとするであろう。この見方は、安倍内閣が長期存続していることから実証される政治
情勢の安定と共に、日経平均株価が5ヶ月間(2012年11月~2013年3月)で8,434.61 から19,000
へ上昇した1ことに反映されるように、20年間低迷が続いた日本経済の急速な回復に焦点を当てて
いる。政治的混沌と景気低迷の中、2009年から2012年まで続いた(鳩山由紀夫、菅直人、野田 佳
彦らが内閣総理大臣として率いた)民主党政権で見られた混乱とは対照的に、安倍政権は強力な
指導力を発揮し、異論の多い数々の問題に取り組む傍ら、特に安全問題における新たな政策を実
用的な手法で巧みに取り入れてきた。安倍政権の支持者にとっては、約20年間の景気低迷の後、
経済成長と政治安定をもたらし、中国からの地政学的挑戦の台頭に確固とした態度を示し、将来
においては日本国が受けるに値する誇りと栄光を保持してくれる政権なのである。
より批判的なオブザーバーは、「アベノミクス」や経済に関する質問よりも、第二次世界大戦前
から戦中にかけての日本の軍事行動を政府が取り繕い正当化するような見解を示していることに
加え、2013年12月には問題の靖国神社を首相が参拝した2ことからも明らかなように、いかに日本
政府が歴史修正主義に傾倒しているかに焦点を当てることだろう。そのような批判家たちは、報
道の自由への配慮の欠如、また政府に批判的な新聞・テレビにおける政治的見解に対し目に見え
ない圧力を執拗に及ぼす、いわゆる間接的なやり方に恐らく異議を唱えている。更に野心的な安
保法案を国会で成立させようとする最近の取り組みは、新たな議論を呼んでいる。批判家は、長
く続いた日本国憲法を侵すものとしており、安倍氏の政策は、戦後の自由主義政治の秩序の規範
および価値観を直接覆そうとするものであり、最終的には日本を地域戦争に巻き込むリスクがあ
る政策であるという見方をしている。
特に外交および安全保障政策、並びに憲法改正問題の点において、現政府に対する意見はこのよ
うに二分化しているおり、共通点はほとんどない。このように対照的で相反するように思われる
認識が産まれた経緯を説明するため、本論文では安倍政権の見解の歴史的背景および様々な側面
を調査する。
1
Atsushi Kodera, ‘Inflation eludes, stock rise helps few, but yen’s fall hurts many’, Japan Times, 3 April 2015, http://www.japantimes.co.jp/
news/2015/04/03/business/economy-business/inflation-eludes-stock-rise-helps-yens-fall-hurts-many/#.VdWVbX1UU3A.
2
靖国神社参拝を行うという安倍氏の判断は、1930年代日本の植民地支配下にあり今なお敏感に反応をする中国、韓国のみならず、米国など
日本国外では大きな物議をかもし出した。ジョー・バイデン米副大統領を含む米政府高官は、日本訪問前に困難な歴史問題の緩和を求めた。
訪問後には東京の在日米大使館が米政府は安倍氏の行動に「失望」したとの公式声明を発表するという異例の措置を講じた。以下参照。
‘Abe grossly misjudged US reaction before making Yasukuni visit’, Asahi Shimbun, 28 December 2013.
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穏健な保守派?
第二次安倍内閣は、3年間の民主党内閣(1996年以来の非自民党政権)の後に発足した。民主党
内閣は不安定で一貫性がなく、派閥争いにより度々混乱を招き、また数々の失敗や計画性のない
公約などの問題があった。鳩山首相の沖縄普天間基地移設に関する失政、また東日本大震災、破
壊的な津波、福島第一原子力発電所炉心溶解といった三重災害における菅首相の危機管理能力の
欠如などで、2009年民主党を勝利に導いた政治的支持や信頼は消えてしまった。有権者の不満や
国会での不信任投票が、2012年12月の総選挙で自民党を圧勝へと導いた。
自民党幹部はこの選挙は自民党への好意的な支持というよりも、民主党への反対を表明する票で
あることは十分承知していた。安倍氏は、第二次内閣を成功させ、第一次内閣よりも安定させる
と固い決意をし、強固で統一された政府を形成するために、主要な党派のリーダーを選定した。
この内閣は、明白で観念的なメッセージは持たず、包括性と経験を強調したバランスの取れた内
閣であった。稲田朋美氏(規制改革担当大臣)や下村博文氏(文部科学大臣)のように自由に意
見を述べる保守派議員の選任とともに、麻生太郎氏(財務大臣)を初め、岸田文雄氏(外務大
臣)や谷垣禎一氏(法務大臣)のような穏健派も選出された。幹部の中で内閣に含まれなかった
のは石破茂氏のみであった。石破氏は安倍氏の長年のライバルであり、元防衛大臣で、政策修正
論者として知られる安全保障の政策通である。しかし、石破氏は自由民主党幹事長に選任され、
党の選挙運動を担当することとなった。総合的に2012年の内閣は党にとってオールスターゲーム
であり、2009年の惨めな敗北を繰り返すことなく、強固で長く勢力を保持することが念頭に置か
れていた。
内閣におけるこのような多くの派閥の存在は、現政府を理解する上で重要である。歴史的に自民
党は、司令部のある首尾一貫した政治団体というよりも、保守派政党が自由に合同して結成され
た。例えば、1945年以降の英国政治の中心にある労働党と保守党がそれぞれ特有のイデオロギー
を持つのと対照的に、自民党は1955年の結成以来、イデオロギーよりも、選挙に勝つという一つ
の目標により集結した政治的協会組織である。憲法改正や冷戦中のアメリカとの合意など議論の
多い問題で日本政府が持ちきりであった1945年から1960年の間を除いて、日本における政治的成
功は、現実的な政策と経済の反映をもたらすことにあった。
日本では政党に属する政治家は、自民党および日本社会党や民主党のような他の主要野党におい
ても、二つの異なった政治的座標軸に沿っていることが多い。つまり、一つは経済政策のスペク
トルであり、それは小国家新自由主義アプローチからパターナリズム政府の介入主義のような干
渉主義モデルに及ぶ。そしてもう一つは、外交政策スペクトルであり、これは日米同盟を中心と
した安全保障から、国連にフォーカスした国際主義的なアプローチに及ぶものである。それぞれ
の政治家の政策の傾向をこれらの二つのスペクトルに配置すると、それぞれのイデオロギーの傾
向を知る鍵となる。そのイデオロギーの傾向は、所属政党の政策傾向とは別であることがよくあ
る。1960年代から1980年代まで、自民党政治を支配していた保守本流の主要懸案事項は経済成長
であり、国家安全保障については合衆国に委ねることで満足であった。しかし1993年、(特に小
沢一郎と羽田孜など)数々の若手議員が最大の派閥であった竹下3派(経世会)を離れ、新政党を
結成したことにより、その年の選挙で自民党は過半数に届かず、保守本流を構成していた派閥は
大きく崩れた。竹下派の乱れにより、常に第2、ともすれば第3位に位置していた清和政策研究
会(旧称 清和会)がフロントランナーとして突然台頭した。自民党が政権に返り咲いた後、森喜
朗氏、小泉氏、安倍氏など後の首相を生み出したのはこの清和会であった。
3
竹下登氏は1987年から1990年まで内閣総理大臣の任期を務めた。政界の長老としての時代のほとんどは自民党の最大派閥の領袖であり、
前の首相、田中角栄氏の派閥会長の職務を引き継いでいる。田中氏は、自民党のリーダーシップを確固とし、戦後の自民党政治の優位性を
支えるために選挙の過程で影響を及ぼすため、報奨金を惜しみなく与えたり、ばら撒き政治を行うなど、典型的な「マシン・ポリティシャ
ン」であった。
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しかし、もし清和会がその実力を過信していたならば、対抗派閥が連合し政治的リーダーシップ
への挑戦を仕掛けてきたことだろう。そしてその挑戦に打ち勝つべく、清和会は(小泉氏のよう
に)大胆で、戦略を機敏にこなすリーダーを選出したことだろう4。派閥のバランスを保持するこ
とで自民党は戦後の日本で安定した成功を収めてきた。実際、1950年代後半に、安倍氏の祖父で
ある岸信介元首相が、当時の内閣に保守派の政治家を広範囲に取り入れ、結局は党内の反乱によ
り1960年に退任に追いやられたのは、ある程度は岸氏の失敗であったと言える。安倍氏は当然こ
の苦い教訓を肝に銘じていた。そして2012年、全派閥の協力体制の下、野党からの挑戦に対抗す
る強固な内閣を立ち上げようと尽力した。党内での分断が野党にとって有利に働くということを
承知していた。上述のとおり、第一次安倍内閣は、安倍政権というよりも自民党政権であった。
つまり、安倍氏は党内では保守派党員であると長年思われていたが、政府は国の安全保障や憲法
改正よりも経済復興に焦点を当てた。憲法改正を含め、議論の多い問題に多くのエネルギーを注
いだ2006~07年とは対照的に、安倍氏は安全策を取り、在任の最初の数ヶ月は、選挙公約である
経済政策に力を注いだ5。
安倍晋三氏が率いる穏健派の内閣は、日本国内外のオブザーバーを驚かせたに違いない。歴史修
正論者の表面的なのイメージと矛盾して、安倍氏は扇動的な発言を控え、歴史問題についてほと
んど述べることはなかった。実際、額面どおりに判断すれば、安倍氏の総合的アプローチは懐柔
的で前任者の談話と一致するものであった。特に、安倍氏は日本の戦争責任を認める前任の首相
による二つの重要な談話を支持していた。一つは1993年の当時の内閣官房長官河野洋平氏による
河野談話で、いわゆる「慰安所」の管理に日本軍が関与していたことを認めたものである。慰安
所は戦時中に日本兵士のために建てられた売春宿で、日本軍によって韓国人や他のアジア人女性
が強制的に売春を強いられたというものである。もう一つは1995年の当時の首相村山富市氏によ
る談話で、村山氏は1930年代の日本の行為につき「深い反省」と「心からのお詫び」を表明し
た。この河野および村山談話は日本の極右勢力から反対されており、安倍氏のこの見解には二つ
の目的の可能性があったことを示唆していた。一つは日本国内での主流となる政治的合意の妥協
点にしっかりと足を据えることであり、もう一つは、有権者にとって懸案事項である主要な経済
問題に取り組みつつ、2013年の参院選で自民党候補がより多くの議席を獲得し政治空間を勝ち取
ってから、任期の後半で異論の多い安保や憲法問題に集中するという優先順位をつけた意図的な
戦略を行うという目的であった。6 アイデンティティ政治の問題と同様、安倍氏は日本の近隣国に対しても穏健的な立場を取った。
少なくとも北東アジア諸国との、既に危険をはらんだ関係を悪化させることは避けようとした。
(中国と日本間で長期にわたり領有権争いの中心となっている)尖閣諸島の近海における中国軍
の行為は2012年以降激化してきていた。しかし、中国に対し露骨に国家主義を爆発させるより
も、安倍氏は 西側同盟諸国と同じように、日本も民主主義国家で法を遵守する国だという態度を
示し、アメリカおよび東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国 が日本に同調しやすい状況を作っ
た。この穏健派のイメージは非常に成功を収め、オーストラリア、英国、アメリカにおいて、そ
して実際に安倍氏が訪問し印象的なスピーチを行った国々ににおいて、安倍政権は、政治的意思
4
小泉氏の政治的支持を確保するための戦略とは、「反自民党」の自民党員であるという立場を明確に打ち出すことであった。自分の正当
性を証明し、極めて重要な交渉の余地を確保するために、小泉氏はしばしば党内の反小泉勢力の頭首について直接国民に訴えた。少人数の
派閥出身である小泉氏は、地方の若手党員の支持を得て、2001年自民党総裁に選出された。当時極めて支持率の低かった森内閣の政策の失
敗の影響で、自民党は実存の危機にあった。小泉氏は、注目度の高いテレビに出演し公的地位を抜け目なく巧みに利用し、経済改革、自由
化、郵便局の民営化に関する彼の政策が自民党に受け入れられなければ、自民党をぶっ壊すと、脅すように大衆にうまい切り口で熱弁をふ
るった。 5
2012年の選挙運動は経済問題が中心であった。当時、有権者は外交政策や安全保障問題に余り関心を示さなかったが、この問題は、時間の
経過と共に日本国内および国家間の政治論争の中心となってきている。2006年の自民党総裁選挙の候補者として、安倍氏は日本における誇
りを取り戻すという野心的な思想を述べ、『美しい国へ』と題された宣言の中に歴史修正主義者の見解から、困難な歴史問題に取り組む必
要性を提示した。しかし安倍氏は第一次内閣において、議論の多い憲法問題やナショナル・アイデンティティに関する議題の前倒しは、国
民の重要な支持を失うことになることを知った。
6
安倍氏は、2013年の参院選では憲法改正に幾分支持を表明していた。それは、新たなライバルとして台頭し、憲法改正賛成という立場を明
白に打ち出していた保守派の日本維新の会により形勢が不利になることを避けたいと思うことによるものであった。
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を強く主張しその勢力を近隣諸国に見せつける歴史修正主義のモンスターではなく、価値観の共
有ができ協力しあえる国であると認められた。7
2014年12月の内閣改造において、谷垣氏のような穏健派のリーダーが起用さ
れることで自民党内閣は折衷的な印象が弱まり、強硬路線を支持する政治家
が支配するという印象が増した。
しかしその表面には亀裂があった。穏健派政治のリーダーシップが始まって約一年後の2013年
後半、(アメリカ政府高官の忠告に反し)安倍氏は靖国神社を参拝し、安倍氏が歴史修正主義に
賛成しているのかも知れないという懸念が再浮上した。2014年12月の内閣改造において、谷垣
氏のような穏健派のリーダーが起用されることで自民党内閣は折衷的な印象が弱まり、強硬路線
を支持する政治家が支配するという印象が増した。新しく、独断的な防衛法や、特に国家機密を
統治する規定を強化することを目的とした法案は、安倍氏が偏狭な方向へと日本を傾斜させ、海
外での日本の軍事行動を拡大するために新たな憲法解釈により憲法を軽率に扱うのではないかと
の懸念を強めた。ここでの問題は、安倍氏が、穏健派で国際主義の姿勢をうまく保持し、経済復
興と安保問題への現実的なアプローチに集中できるかどうか、または、彼の批判家が懸念するよ
うに、彼が保守的な国家主義を形成することを公に断固として主張するかどうかである。これに
関連して、その動機に批判的な疑問が集中する。安倍氏は、コンセンサスを重視する政治家とし
て、新たな安全保障の問題において様々な価値観が存在する国を一つにまとめることができると
考えているのか。安全保障問題にせよ憲法問題にせよ首相の基本的な立ち居地に交渉の余地が無
いような事案について、強引にリードしようとする野望のあまり、新法案に対して懐疑的な主流
世論と衝突する立場に安倍氏は身をおく羽目になるのであろうか。
規範とドクトリン
2012年以降の安倍政権における外交政策の方針でもっとも目を引くことのひとつに、外国訪問の
超過密スケジュールをこなしていることが挙げられる。各国歴訪の数において群を抜くこの首相
は、2年間で49にのぼる国を訪れた。日本政府と米国政府の二国間の同盟関係の歴史的な重要性
を考えれば、日本の総理大臣が米国を訪問するのは当然だと誰もが思うであろう。しかし、安倍
首相の場合、彼が訪れた先はすべてのASEAN加盟国、なかには複数回訪問した国もある。また、
アフリカや中東、欧州へ訪問する時間も捻出している。前首相が(任期が短かったとはいえ)在
任中にほとんど日本の外へ出なかったことからも、その違いは際立っている。
さらに、安倍首相は外国人の聴衆に関心を持たせることに注力し、比較的容易に彼らの心を掴ん
でいることからも、効果的な対市民外交の実践者であることを示してきた。彼の(多くの場合は
英語の)スピーチは海外の政治家や市民にポジティブに受け止められてきた。以前は、日本の首
相がスピーチをする場合、とりわけ理解しにくい内容の英語のスピーチとなると、うわべだけ丁
寧に対応されるというのが典型的であった。安倍首相の英語は少しためらいがちでプレゼンテー
ションの仕方にも改善の余地はあるものの、英語ではっきりとしたわかりやすいプレゼンテーシ
ョンを通じて、聴衆にメッセージが伝わることを焦点とし、そこに多大な労力をかけている。外
務省や内閣府の官僚が用意した原稿をただ読み上げることに満足せず、個人的な事柄や時には感
7
尖閣諸島を巡る領有権争いは複雑で、中国と日本の各政府がそれぞれの領有権を主張する歴史的詳細において合意がなされてないことが
反映した問題であり、近年の二国間の様々な衝突により悪化している。例えば近年、日本領海内への中国の侵入は益々大胆で挑発的になる
中、2012年9月、(石原慎太郎東京都知事による尖閣諸島の購入計画を阻止するため)野田佳彦首相の民主党政府は島の国有化を決断し、
それにより北京と東京の関係を大きく悪化させた。これはリスクであると米政府高官が指摘し、野田氏が国有化の計画を辞めるようにと個
人的に忠告を行った。
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情的な内容をスピーチに練り込もうとしていることがしきりに伺える。2014年7月のオーストラ
リアの国会でのスピーチや、2015年6月の米国連邦議会上下両院合同議会では、これまでにないス
ピーチとなった。保守派でありタカ派として知られたこの日本のリーダーは、日本側の目線では
なくオーストラリアや米国の目線で、戦時の記憶や映像を思い浮かばせるような描写にハイライ
トを引いたスピーチを始めたのである。安倍首相は海外に向けたコミュニケーションにおいて、
日本においてもっとも卓越した者の一人といっても過言ではないであろう。スピーチの内容の重
要性は当然ながら、プレゼンテーション(および彼のスピーチライター)にしっかりと取り組む
安倍首相の姿勢もまた、彼が海外の聴衆からの賞賛を勝ち取る重要なポイントとなっていること
は間違いない。海外の聴衆の心を掴むために同様の努力をしたリーダーを探すには、1980年代の
中曽根康弘の時代まで遡らなくてはならない。ただ、このように細部にまで気を配るやり方が、
地域や歴史に関する問題に対する日本の方針に疑いを抱く者たちの疑念を払拭するに足りうるの
かはわからない。
安倍首相の海外でのスピーチの論点は単純で一貫しており、はっきりとした主題に基づいて構成
されている。このプロトタイプは2013年1月 18日8のジャカルタでのASEAN会議のために用意さ
れた原稿に見ることができる。同月のアルジェリアで起きたテロ攻撃で複数名の邦人が拘束され
た事案への対応のため、安倍首相がこのスピーチを行うことはなかったものの、原稿に示された
メッセージの核となる部分は、彼の哲学を明確に示していた。そのあまりにもはっきりと示され
たメッセージは、「安倍ドクトリン」の核心として特徴づけられるほどであった。このスピーチ
では、日本が民主主義と法の支配による国であり、西洋の民主主義と同様に、思想、表現、言論
の自由が尊重される国であることを示した。日本の民主主義国家としての信頼と自由主義国家と
しての一員であるという規範的影響は、「世界最大の海洋民主主義」という立場を強調すること
で、しっかりと印象付けられた。つまり、法治国家として日本は自由な世界に属し、世界最大の
海軍と経済力を有する米国の同盟国である。ゆえに、自由な世界の一員として、日本は言論の自
由を守り、海の法を遵守し、自由でオープンな経済関係を育て、異文化間の交流の充実させるこ
とを他の国にも期待する、と述べた。
過去の日本の総理大臣の言及と比較して、とりわけ民主主義的規範と価値に明確に言及している
点において、この新たな国家の目標と志の形成は目を引くものである。戦後の日本の外交政策の
考え方、つまり主流な日本の保守的思想についての初期のものは、一般的に吉田茂元首相の名前
をとって吉田ドクトリンと言われ、多額の経済負担無しに信頼足る国防を成すため、恒久的な米
軍の日本駐留に頼る中で、経済復興を最優先事項としてきた。吉田氏は、実際のところ、巧妙に
安全保障と国防の責任を米国政府に振り分け、日本が経済復興と成長に集中するための余地と時
間を確保した。壮大でもっとも野心的な組織化(吉田氏は好まず、後の政治家や政治学者らには
好まれた)において、吉田氏のアプローチは、長い時間を経て、国民国家の深い本質を再定義す
るための土台となる取り組みへと発展していった。軍の独占的支配を中央政府自ら放棄し、国連
主導の国際主義に基づくアプローチを取り、目立たない外交を行い、核軍縮と核不拡散に幅広く
取り組むということに戦後のアイデンティティの形があると考える者もいた。1940年代および
1950年代初期の吉田氏の狭義の国益についての表現においても、その後の日本のリーダーたちが
冷戦と冷戦後の世界における日本の立ち位置を見つけるために取り組んだプラグマティックな努
力においても、民主主義による国際社会と人権についての言及が認められるのは稀であった。
このように政治的価値について論争となりかねない言及や意見が二分するような言及を避ける傾
向は、日本の外交政策ビジョンをはっきりと示すための重要な取り組みにおいてもはっきりと見
られた。この場合のドクトリンの形成は、福田赳夫元首相がASEAN加盟国を訪問中にマニラで
8
‘The Bounty of the Open Seas: Five New Principles for Japanese Diplomacy’, Prime Minister of Japan and his Cabinet, http://japan.kantei.
go.jp/96_abe/statement/201301/18speech_e.html.
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安倍内閣: 実際主義と過激思想の舵取り
1977年に行った重要なスピーチが元となっている。所謂福田ドクトリンは平和と繁栄についての
修辞的な言葉に満ちており、「全方位平和外交」や、日本が「対等な立場で東南アジアの平和と
繁栄の構築に寄与する」などの文言が含まれた。驚くべきことに、それらの文言からは民主主義
と人権に関する言葉が含まれていなかった。それらの言葉が含まれなかった理由は明白で、第一
に東南アジアの多くの政府が当時独裁主義であったことと、第二に福田ドクトリンの目的は(発
展途上国に対する日本からの開発援助によって強固となった)経済外交を安全保障の次に重要な
日本の外交政策として優先づけることにあったためである。実際のところ、経済援助は脆弱な東
南アジアの経済の発展と安定を育むための戦略的資産として使われ、また、日本が自国の経済成
長を補足し、促す役割も担った。民主主義や人権への言及は独裁主義体制への援助を行う場合に
は不得策で不適切なものだと考えられていた。
安倍ドクトリンはそれゆえ、日本の外交政策の優先順位にとって大きな変化である。日本を法が
支配する民主主義社会の中に位置づけ、日本と西洋の民主主義との類似性や国際協力や法の支配
を支持する政治的共通性を強調しようとしている。安倍首相のスピーチがなぜ米国や英国、オー
ストラリアで暖かく受け入れられたのかは容易に理解できる。このアプローチにも、同じく重要
な戦略的理由付けがある。政治的価値に焦点を当てることは、日本と周辺地域の違い、また、一
方では世界のパートナー国と独占主義の中国との違いを強調するのに簡単で明白な方法だからで
ある。中国での人権や民主主義規範に対する否定的な中国政府のリーダーシップや、攻撃的とも
言える海外での軍事力の拡大(海事のコンテクスト、南、東シナ海、または空事における、防空
識別圏の一方的設定と拡大いずれにおいても)は、中国と中国以外の国との違いを強調してい
る。この解釈に基づけば、国際社会からはみ出しているのは中国であり、日本ではない、という
ことになる。
世界の民主主義国家の国際的な団結を呼びかけることだけが中国に対峙する唯一の方法というわ
けではない。誰にでも容易に想像がつくのは、中国の台頭に対し、軍事戦略や周辺地域における
軍事競争を発展させたり、軍事的野心を牽制あるいは相殺するに足るの安全保障協力体制を構築
する外交キャンペーンといった、伝統的な現実政策的対応という手段である。日本の防衛におい
ては二番目のアプローチをとっており(これは日本の防衛費が過去3年間に小額だが一定して増
加している9ことや、日本の防衛能力と柔軟性を向上するための新たな法的イニシアティブにも反
映されている)、安倍首相が抜け目なく価値観を強調するおかげで、日本は正当な自由国際主義
の仲間としての地位を確固たるものとすることができた。必然の結果として、このことは、歴史
修正主義や軍国主義政策によって、日本は戦前に時計の針を戻そうとしているのではないかとい
う批判をかわすのに多少なりとも役立っている。
こういった恩恵があるとは言え、このアプローチには限界がある。世界や地域の環境は大きな変
化を遂げている最中であるからである。秩序と法の支配に重きを置き、国際的自由主義体制の正
当性を賞賛することは、この秩序がいまだに浸透しているという共通認識がある限り意味を成
す。しかし、この前提は近年の情勢変化によって疑われ始めている。例えば、ウクライナ危機や
シリアの崩壊、イスラム国の台頭、中国の経済的・政治的影響力の増大、1945年のブレトン・
ウッズ体制と異なる新たな制度的組織の構築、とりわけアジアインフラ投資銀行の設立や、米国
の孤立主義への回帰の可能性などである。安倍政権下の日本は、地政学的な曲がり角で取り残さ
れるリスクを追っているにも関わらず、すでに存在しない世界の中に身を置こうと空しい努力を
し、多くの失敗した戦略的見通しに共通するような弱み、つまり、すでに過去のものと成り果て
10
た確証に基づいて将来の予測をしているということを宣伝しているに過ぎないのかもしれない。
2013年度4.75兆円、2014年度4.88兆円、2015年度4.98兆円。防衛省防衛予算参照。http://www.mod.go.jp/e/d_budget/.
ヘンリー・キッシンジャーの最近の著作で強く主張しているのは、世界的にも東アジアにおいてもこれまでの国境が崩壊しているという
ことであり、代替の構成について創造的かつ想像的に考えなければならないということである。Henry Kissinger, World Order (New York:
Penguin Press, 2014).
9
10
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安倍内閣: 実際主義と過激思想の舵取り
中国との対峙
安倍首相の対中国政策はどのようなものか。中国政府の南シナ海における強引な海事政策は、ベ
トナムやフィリピン、日本での懸念の増大させたが、これは2012年の選挙よりも前のことであ
る。日本政府が日米同盟を強める取り組みを始めたのも菅政権に遡る11。(米国との伝統的な同盟
と平行して)日本は新たな「少数国間」の安全保障パートナーシップをこの地域にある複数国と
発展させている。この一部がオーストラリアとの防衛協力であるが、これも安倍首相が政権を取
る遥か前から始まったことである。では、新たなアプローチとは何であろうか。
最初の際立った特徴はASEAN加盟国に焦点を当てていることである。安倍首相外国訪問頻度から
見てもその訪問回数は著しく多く、政策の優先度という意味で民主党がASEANをほぼ無視してい
たことを考えると、これはかなり対照的だ。この理由は明白である。中国を牽制するために、米
国とオーストラリアは軍事的ハードウェアの力と同盟的サポートを提供するが、ASEANは中国の
台頭との均衡を保つために日本にとって重要な政治的サポートと正当性を提供するからである。
過去10年間、ASEANにとって中国政府に同調するのが一貫したトレンドであった。もしもこの流
れを逆行させることができたならば、あるいは流れを遅らせることだけでもできれば、もしそれ
が無理なのであれば、ベトナムやフィリピンだけではなくすべてのASEAN加盟国が中国の海事行
為に対して共通した安全保障懸念を表明できれば、それは日本政府の戦略的な利益とこの地域に
おける外交的勢力を強めるための外交的な成果となるであろう。
今のところ安倍首相がどこまで政治的バランスを日本に有利なように傾けることができたのかは
定かではない。ベトナムやフィリピンは日本政府の東南アジアに対するアプローチを大いに歓迎
した(ベトナム政府とフィリピン政府が必要としている防衛装備の提供を可能にする重要な二国
間協力を日本が結んだことにも反映されている)が、カンボジアはまだ中国政府との関係強化を
望んでいるようである。インドネシアとタイは、ASEANの主要加盟国であるが、国内の政治問題
で身動きがとれず、新たな外交政策に舵を切る余裕がない。さらに、中国はすべてのASEAN加盟
国にとって最大の貿易相手国であり、当然、直接中国に立ち向かうことはためらうものと考えら
れる12。ASEANは、結局のところ、中国と日本の間でうまく呼吸ができる程度の距離を常に保とう
としてきたのである。加盟国はもちろん中国からの圧力は避けたいものの、かといって中国の意
思に反抗するつもりはない。また、加盟国各国の優先順位が異なることからも、中国はASEANに
とって意見の分かれる問題であり、組織内の分断を強調し、緊張を高めるような問題は避けよう
とASEAN自体が組織ぐるみで努めてきた。
安倍首相が中国政府に対して厳しい政策を取ってきたことが実は日本に有利に働いたという意見もあ
る。中国のリーダーである習近平主席は2014年11月に北京で開かれたAPEC(アジア太平洋経済協力
会議)で安倍首相との会談に合意した。さらに、日本側と中国側はこの会議の直後に海上の安全につ
いての共同合意を含む4項目について合意したが、議論を呼ぶような歴史問題に関する言及は、最終
公式声明からは慎重に省かれた。安倍首相の更なる靖国神社への参拝を避けることが首脳会談の条件
としていた初期の中国側が要求とはかなり異なっている。結論としては、安倍政権は更なる約束を課
されることなく、中国政府との関係の正常化と対話の再開を成功させたように見える。
まさに、多くのコメンテーターが述べてきたように、日本がより積極的な安全保障のスタンスへのシフトは冷戦終結以降次第に発展して
きた。このことは政界で、数多くの重要な安全保障の課題を前に、日本の防衛体制を整えることの重要性が(自民党と民主党の政治家によ
って)広くコンセンサスを得ていたことを表す。ここには、中国の台頭だけではなく、北朝鮮の核武装の可能性や世界的なテロリズム、海
賊や、この地域における国民国家の統合に向けた分離派や大衆主義といった、これまでにない範囲にわたる安全保障上の危機が含まれる。
焦点はソヴィエトによる北日本への脅威という冷戦時の脅威から、日本の南東部における安全保障の課題を検討することにシフトしてい
る。この脅威は、特に、地域において教鞭姿勢をとる中国との衝突のリスクのことである。このテーマについては以下とマイケル・グリ
ーン氏の著書を参考にされたし。Michael Green, Japan’s Reluctant Realism: Foreign Policy Challenges in an Era of Uncertain Power (Palgrave
Macmillan, 2001).
12
中国の新たな「一帯一路」イニシアティブ。中央および東南アジアでのインフラと開発への支出を約束するもの。これにより、(特に海
事シルクロードの面で)中国政府は経済支援をてこに南シナ海での中国の独占的な軍事姿勢に対する地域の反対を抑えることができるよう
になる。
11
9 | Chatham House
安倍内閣: 実際主義と過激思想の舵取り
しかし、ここにもうひとつの解釈がある。政権をとってからの習近平主席は、官僚や軍幹部の腐
敗に対する様々なパブリックキャンペーンを通じて、中国共産党と人民解放軍の統制強化に継続
的に注力してきた。中国政府の行動の中には、防空識別圏の拡大やベトナムの領海でのプラット
フォーム建設など、中国共産党中央委員会も認識していなかったものがあると指摘する声もあ
る。もしそうであれば、中国の政策優先順位の変化は日本の(あるいはこの点に関しては米国
の)イニシアティブがもたらしたものではなく、単に国内政治が反映されただけであり、共産党
は決定権をさらに強め、軍幹部の力を奪っている証拠とも考えられる。
中国が2014年にベトナム領海の油田掘削プラットフォームを取り壊したが、領海に関することで、
意思と反して撤退し、それにより面目を失うリスクを中国が取るといった非常に稀なケースがなぜ
起こったのかについて、おそらく上述の解釈で説明がつく。また、人民解放軍が、議論の的となっ
ている尖閣諸島/釣魚諸島での挑発的な行動を一定期間制限しながら、支配権がもっと安定してい
る南シナ海の島で滑走路建設を続けていることもこれで説明できる。中国はここで文字通り「掘っ
て」いる。つまり、米国の批判家の言葉を借りれば、新たな「砂の長城13」を建設している。軍に
よる極端な挑発行動を抑える一方で、今回は中央委員会の承認を得て、中国政府はこれらの島々を
支配することで、日本はもはやこれらの島々を実効支配しているとは言えないという状況を作り出
そうとしている。このように見ると、また、中国軍の拡大を考えると、中国政府と日本政府の外交
関係が注意深く発展していることは、必ずしも日本の外交的勝利とは言えまい。
中国の軍事強化政策はまだ消えてはおらず、現行あるいは今後の日本との関
係におけるマイナーな発展は、関係性の重要な転換というよりは、巧妙なだ
まし討ちに過ぎないかもしれない。
日本の断固とした対応を前に、中国が地域政策を軟化させているかどうかは、いまだに不確かな
ままだ。良いように見ても、日中の二国関係が軌道に乗った、あるいは安倍首相は関係性を飛躍
的に安定させるのことにやむを得ずながらも成功した、と考えるにはまだ注意が必要だ。繰り返
し見られるように、中国の軍事強化政策はまだ消えてはおらず、現行あるいは今後の日本との関
係におけるマイナーな発展は、関係性の重要な転換というよりは、巧妙なだまし討ちに過ぎない
かもしれない。日本政府がこれに対しどれほど準備できているのか、また、起こりうる中国との
危機を乗り切るためにどのような政治的な手段を有しているのか、あるいは、米国がそのような
状況に陥った場合にどう行動するのか、について明白ではない。このコンテクストにおいて緩衝
材となりえる鍵は、二国間の経済的関係である。日本の官僚の目線で見れば、近年の中国株式市
場の動揺や中国の経済成長の減速の影響もあり、日本企業に関連する投資の恩恵や重要な交易を
危険に晒さないために、習近平主席や彼の側近が日本批判を和らげていると言えるのかもしれな
い。自由国際関係の専門家は、相互の経済依存による恩恵を安定させることと、二国間の紛争の
芽を摘むための能力について好んで強調するが、このうねりを更なる関係の悪化を抑える保証だ
と考えるのはおそらく時期早尚であろう。
集団安全保障と国内政策
安倍政府は、有事の際に自衛隊が今よりも幅広い任務に就くことができるよう、数多くの法案を
議会に提出してきた。議題は日本の領土の安全保障が危機にさらされた場合の軍事的戦闘だけに
とどまらず、日本の安全保障と同時に同盟国やパートナー国の安全保障が脅かされた場合も想定
US Pacific Fleet Commander Admiral Harry Harris quoted in BBC News, ‘China building “great wall of sand” in South China Sea’, 1 April 2015.
http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-32126840.
13
10 | Chatham House
安倍内閣: 実際主義と過激思想の舵取り
している。日本は米国との二国間の安全保障の合意を有しているので、そのような場合の「集
団安全保障」はすでに定まっていると思う者もいるかもしれないが、実はそうではない。歴史的
に、日本は自国の安全保障に関して米国の軍事力に頼り切ってきたが、日本の安全保障が直接的
に脅かされない場合、米国を支援することは極端に渋ってきた。1960年代の日米安全保障条約
(1970年に再批准し、延長した)は二国間の安全保障の同盟の基本を定義し、日本の安全保障
を米国が保証するものだが、米国の安全保証だけが脅かされた場合に日本が物質的な支援を米国
に提供しなくてはならないという相互的な義務を日本に課すものではない。当に、「集団安全保
障」という文言そのものが議論の的となっており、その合憲性も疑われている。そして新たな安
全保障の法律(そして関連した解釈)は、意図的に「集団的自衛権」を包括するために狭義に定
義されている。将来、日本の自衛隊は、自国のみあるいは他国共同かかわらず、その配備にさら
なる柔軟性を有するであろう。しかし、その目的は、自国の安全保障か広義の日本国の防衛には
っきりと関わっている事案に限られる14。この広義の解釈は、しかしながら、日本の防衛の定義が
純粋な領土的定義を超え、日本国民の安全保障や重要な資源物質へのアクセスやエネルギー資源
をも内包する。
いびつな日米同盟や、米国への支援における日本の相互的な義務が欠如していることについて、
昔からある説明は、戦後日本の平和主義で左翼的な民意の果たした役割についてだ。具体的に言
えば、大多数の日本人は米国が始める戦争に囚われるのことに断固として反対していた。日本の
野党は、冷戦下の衝突に巻き込まれることへの恐れや、反軍国主義の文化を生み出す土壌となっ
た1930年代の遺産により、真に防衛の目的以外に軍や武力を日本が有することを認めない日本
国憲法9条に基づき、米国との共同軍事行動を制限することに成功してきた。同時に、世論調査
では80パーセント超の回答者が米国との安全保障条約を支持し、日本の安全保障を守ることのみ
に限定するのであれば、日米同盟自体は議論の的となるものではないとした。ポール・ミッドフ
ォードが指摘するように15、平和主義的な日本の世論とは、実のところ防衛的現実主義を形成し
ているに過ぎず、これは声高に平和主義を叫ぶためのカテゴリー的なコミットメントというより
は、制限的かつ防御的な姿勢の枠内に日本の軍事的なコミットメント押し込めたものであると言
えよう。
この防御的現実主義の本質は、野心的な軍費よりも経済発展を優先させたいと考える主流保守派
と、平和を喧伝する立場を取ることで国民の支持を得ようとする左翼派野党との政治的妥協にあっ
た。しかし、時間をかけて、タカ派寄り保守派の自民党の政治家らは、この発展第一主義に疑問
を呈してきた。これを支持する層は長らく自民党に存在しており、例えば1950年代の岸元首相や
1980年代の中曽根元首相などがその代表格として挙げられる。しかし近年では、安倍首相自身がそ
うであるように、政府内でも、広く政界においても彼らは地位を高めてきた。このグループのメン
バーの目には、軍を軽視することを支持してきた主流保守派と左派の立場こそが、日本の軍事力と
行動規範を脆弱化させていると映っている。日米同盟のコンテクストにのみ固く限定した上で、日
本の軍隊の役割を取り戻し、合法化することは、自民党の新保守派の究極の目的となった。
これを達成するには二つの方法がある。ひとつは憲法を改正し、第9条を捨て、はっきりと集団
安全保障、あるいはこの問題に関して言えば軍隊そのものを認めるようにすることだ。これは実
は、同盟軍の占領下で草案され採択された1947年の日本国憲法はリベラルすぎるという見方を
する新保守派が採用した元々の立場だった。しかし、憲法改正には両院共に3分の2以上の賛成
(さらに、国民投票で過半数の賛成)を得なければならず、自民党と連立を組む公明党は改正に
以下参照のこと。John Swenson-Wright, in The Role of the Nation-State in Addressing Global Challenges: Japan-UK Perspectives
(London: Chatham House, 2015) http://www.chathamhouse.org/publication/role-nation-state-addressing-global-challenges-japan-ukperspectives.
John Swenson-Wright, ‘What Japan’s military shift means’, BBC News, 2 July 2014, http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-28122791.
15
Paul Midford, Rethinking Japanese Public Opinion and Security: From Pacifism to Realism? (Stanford, CA: Stanford University Press, 2011),
pp. 124–91.
14
11 | Chatham House
安倍内閣: 実際主義と過激思想の舵取り
は断固反対の立場を取っている。よって、安倍政府が目的を果たすために2番目の手段、つまり
防衛に関する新たな法案を提出し、合憲であると主張することを選択したのは極めて自然なこと
と言えよう。
最近この計画が試されたが、予想以上に難航した。2015年6月に3名の憲法学者(うち一人は自民
党の推薦)が意見陳述のため国会に招集され、政府が提案した防衛法案は違憲だと3名全員が認
めた。この予期せぬ展開は、安倍政権にとって、新たな安全保障の目的を達成するための最初の
大きな政治的障壁となった。批判家の立場から見れば、防衛法とは、日本を再び戦争の道に引き
ずり込む可能性を秘めた政府の、危険な特徴を映し出すシンボルなのだ。
近年の防衛関連法案に関する議論はその合憲性に終始している。国際関係の見地からすれば、日
本の長きに亘る米国との安全保障関係には、厳密に定義義付けられた範囲内とはいえ、事実上集団
安全保障協力が含まれてきたことを考えれば、これは異例なことだ。はっきりとした現実は、東
アジアにおいて安全保障危機(例えば台湾を含む重大な事案)が生じた際、米国が日本から軍事支
援を要請せずにいることは考えられない16。それにもかかわらず、もしもそうなった場合には支援
行為は違憲とされる。米国との緊密に足並みを揃えているにもかかわらず、中国政府は戦争が起こ
れば、日本は憲法の制約に関わらず米国と手を取ると仮定しているはずであることから、安倍政府
は、中国の疑わしい行動に対し、これらの法律が抑止力を高めると主張している。新たな法律の合
法性を横に置いたとしても、仮想敵国の行動にどれだけの影響があるのかは明確ではない。法案の
メリットは抑止力を高めることよりも日本政府が将来の安全保障危機の際にすばやく対応する大き
な柔軟性を得たことと、米国とのより緊密な協力ということにある。はっきりとしなことは何かと
言えば、この新しい柔軟性によって、将来、これまでの自衛の範囲を超えて、日本に忍び寄る、意
図せぬまたは予期せぬことに巻き込まれるリスクを高めることになるのかということだ。
安倍政権が地域の紛争に日本を巻き込もうとしているのかについては疑問だ。安倍首相自身が、
新しい法律によって日本が戦争を宣言することはできないと繰り返し、慎重に言及してきてい
る。安倍政府のアプローチはミニマリスト的であり限定的なものだ。結局のところ、同盟関係を
強固にすることがアジア海上における中国の軍の拡大に対する自然な反応だ。とはいえ、長く伝
統的に保ってきた防衛政策のプロファイルの低さに対し、このことが日本の目を覚まさせたこと
は間違いない。戦後日本の事実上の孤立主義、つまり、海外の軍事行動への関与を制限し、少な
くとも日本国民の頭の中では、紛争への関与から離れた安全な場所にいるという考え方があり、
その根底にあったのが平和主義だった。日本政府は、安全保障のリスク回避の許容度を見極めな
がら、初期のような慎重な立場を超え、首相のより説得力のある地位を通じ、国内・国外共に、
これまでの安定性を揺るがすやもしれない、新しく未知なる政治的領域に足を踏み入れた。
日本政府は、安全保障のリスク回避の許容度を見極めながら、初期のような
慎重な立場を超え、首相のより説得力のある地位を通じ、国内・国外共に、
これまでの安定性を揺るがすやもしれない、新しく未知なる政治的領域に足
を踏み入れた。
総理大臣の支持率は、政府の新しい安全保障法案の国会での審議に際し、急落した(朝日新聞の
世論調査では、安倍内閣の支持率は2015年7月時点で37パーセントだった17)が、日本を守るため
に新しい法律が不可欠であると国民を納得させることに政府が成功したのかについては、いまだ
最近合意された日米の共同防衛ガイドラインはこれまでよりもより活動的かつ協力的な両国の軍事関係にフォーカスし、様々な安全保障
のシナリオにおける共同オペレーションと協力体制が含まれている。
17
「朝日新聞世論調査:安倍内閣支持率、37%に低下、57%が安全保障法案に反対」、朝日新聞、2015年7月20日。
https://ajw.asahi.com/article/behind_news/politics/AJ201507200028.
16
12 | Chatham House
安倍内閣: 実際主義と過激思想の舵取り
不明である。本当に、新しい集団的自衛権の解釈によって実際的に日本の自衛隊が将来のある時
点で、広義の、ただし具体的ではない紛争に参加する可能性が高まってきたことをから、リスク
回避を好む日本国民は神経質をさらに尖らせるようになるかもしれない。たとえそうならなくと
も、政府のアプローチに積極的に敵対するようになるかもしれない。野党議員が指摘したことだ
が、安全保障の改定は日米安全保障条約の実質的改定の裏口の役割を担っており、さらに、セン
シティブな政治的課題や、戦略的問題を含む、広範囲の憲法改定に向けた意図的な努力として、
今回の法案で楔を打っておいたのではないだろうか。このような国民や抵抗勢力からの疑念の声
に、政府はこれから晒されることになるかもしれない。
同盟の将来
日本が集団的自衛権の原則を受け入れ、同盟を強化することは、米国にとって好ましく、歓迎さ
れる展開だと考えられていた。長年に亘り、日本憲法の制約は、軍事力配置にとって多大な負担
となっていた。韓国やオーストラリアと異なり、日本からの全面的かつ妥協のない支援提供は
期待できなかった。このようなアンバランスな同盟は、米国の国民からの批判とまではいかずと
も、米議会で批判が生じるリスクを抱えていた。日本は、1990年の第一次湾岸戦争の際、国際的
制裁を受けた安全保障イニシアティブに全面的支援を行わないことがどのように受け止められる
のかということを痛感した。平等な同盟パートナーであるにもかかわらず、日本からの支援は少
なすぎ、また行動も遅すぎるという痛切な批判を受けた。米国にとって、日本政府が集団的自衛
への取り組みを始めたことは、長く棚上げされていた異常な状態がようやく修正されることだ。
さらに、新しい防衛法案は、所謂アジアへの軸足転換、あるいは米国の戦略のリバランスに歩調を
合わせながら進められた。この戦略では、この地域における潜在的な脅威を中国としているが、そ
の論理とは裏腹に、米政府がどの程度の軍事力を約束するのかは定かではない。特に、中東やアフ
リカ北部の動乱、ウクライナ危機に端を発するロシアとの関係の悪化といった情勢の中、米国政府
が十分な軍事資源を東アジアの紛争に投入できるのかという疑問が生じているからである。潜在的
な危機に対する解決策は米国の同盟国からの協力を求めることだ。それにより、新たに米国の軍事
力を使うことなく抑止力を向上させることができる。米国国防総省が日本のイニシアティブについ
て、締め切りを大幅に過ぎた同盟に対する取り組みだと受け止めたのも当然だ。
米国国防総省とは対照的に、米国国務省が示した日本の新たな防衛への積極姿勢についての反応
は静観的だ18。米国にとって、日本の軍事力の役割の増強は1950年代以来の目的だったことを考え
ると、これは興味深いことだ。このことは、米国政府内の戦略立案者の中にリスクを回避する動
きや、東アジアにおける不安定化の可能性や軍事情勢の緊張の高まりで説明がつく。米国は、戦
略としてでなく、偶発的に地域の紛争に望まない形で巻き込まれるかもしれないことを恐れてい
る。中国と日本が尖閣/釣魚諸島の支配をめぐって交戦する状況を考えてみよう。これは近年の
中国により当該諸島周辺の日本の領海での海事的および空事的侵犯の頻度が著しく増加している
ことを考慮すれば、ありえないシナリオではない。バラク・オバマ大統領は、米国が日米同盟第5
条に基づき日本の当該諸島における行政権を認める立場を明確にしたが、これが当該領土におけ
る統治権主張の争いに法的な争点を示しているわけではない。もしも米国政府が当該諸島をめぐ
る紛争が起こった場合に日本へ軍事支援を送らなかった場合、同盟関係の信頼性は、日本だけで
はなく世界的に危険にさらされるだろう。一方で、もしも米国が参戦すれば、中国との全面的な
対決に引きずり込まれるリスクを負うことになる。皮肉なことに、今となっては巻き込まれるの
を恐れているのは日本ではなく米国なのだ。過去のパターンがすっかり逆転してしまっている。
米国政府は(アジアでの軍隊駐留への取り組みの継続や米国軍幹部の言及から判断すると)中国へ
18
2015年5月にニューヨークで行ったインタビューにて確認。
13 | Chatham House
安倍内閣: 実際主義と過激思想の舵取り
の抑止への取り組みは継続しているが、軍事衝突への志向は減っているようだ。結果的に、米国
の安全保障の取り組みに対する信頼性はリスクにさらされることになるかもしれない。
米国政府のパートナーシップに対する熱意を冷ますかもしれないもうひとつの要因は、近年の韓
国と日本の緊張の高まりだ。韓国政府と日本政府の二国間の繋がりは、李明博大統領と野田首相
の時代からすでに険悪であった。この時、議論を巻き起こした慰安婦問題についての話し合い
があり、これをきっかけに李大統領は、韓国大統領職に就いている者としてはじめて、韓国が支
配し、日本が領有権を主張している竹島/独島を訪れることになった。李大統領に次ぐ朴槿恵大
統領はさらなる教鞭策を採り、日本が慰安婦問題に対応しない限り安倍首相との公式な二国間首
脳会談には同意しないとしている。朴にとって問題の核となっているのは信頼、もっと言えば信
頼の欠如のようだ。朴大統領は、論争を起こす歴史問題に真剣に取り組む能力を日本の政界が持
っているのか、少なくとも安倍政府の主要メンバーがその能力を有しているのか、という点につ
いて信頼していないという印象を受ける。ただ単に河野談話を支持すると安倍首相が表明するだ
けでは不十分であり、生存している韓国の数少ない元慰安婦たちに対して過去の人権濫用を償う
ための誠意ある公式な約束を果たす姿勢を示すため、さらなる取り組みを行う必要がある、とい
うのが韓国側の立場だ。安倍首相は、どれほど細かなことであろうとも、河野談話の価値や法的
根拠に反対する国内の保守派に対して同情的な印象を、暗黙のうちあるいは間接的に持たれぬよ
う、最新の注意を払う必要がある。韓国と日本という米国政府にとって重要な地域同盟国の関係
が悪化することは、東アジアにおける米国の戦略的な立場を著しく弱め、米国の外交官にとって
フラストレーションの高まりの元凶となる。米国外交官らは論争の的となっている歴史問題の決
着を声高に訴えだしている。このような背景の中、米国が安倍政権に白紙委任的なサポートを行
える期間には限りがある。米国政府内で安倍首相が鳩山前首相よりも魅力的で効果的なリーダー
であると目されているのは疑念の余地がないことだが、だからといって、日本と米国との関係が
安定しており、分裂や不安定化への耐性があるとは言い切れない。
歴史と戦争の記憶、そして安倍政権
国際的には有名であるが、日本国内において歴史問題論争はそれほど関心の的にならなかった。
日本の先進的な批判家は安倍首相のことを歴史修正主義と訴ているが、彼らの懸念の矛先は安全
保障改正と安倍首相の憲法改正への志向だ。これとは対照的に、安倍首相が歴史修正主義者であ
り時計の針を1930年代に戻すことを望んでおり、植民地時代や太平洋戦争時代の行き過ぎた行
為の責任を認めていないというイメージは、韓国や中国だけではなく米国やヨーロッパの一部の
筋の中で流布している。安倍首相が政権をとった2012年、国際メディアは歴史修正論者が日本
で政権を取ったことへの懸念を強調した19。安倍首相の2013年の靖国神社への参拝がさらにこれ
を煽った。
安倍首相の公式な発言を詳しく読んでみると、もっとニュアンスがあることがわかる。安倍首相
は、実は、日本の第二次世界大戦や朝鮮半島や台湾での植民地支配における日本の役割について
言及するのを非常に注意深く避けている。海外での公式な発言において、安倍首相は現代の日本
について、過去の過ちに学び、それを償ってきた平和を愛する国であると常に発言している。
以下の例を参照。 ‘Shinzo Abe must resist dangerous distractions’, Financial Times, 28 April 2013, http://www.ft.com/cms/s/0/cc6d09a4ae76-11e2-bdfd-00144feabdc0.html; ‘Another attempt to deny Japan’s history’, New York Times, 2 January 2013, http://www.nytimes.
com/2013/01/03/opinion/another-attempt-to-deny-japans-history.html.
19
14 | Chatham House
安倍内閣: 実際主義と過激思想の舵取り
皆様、戦後を、それ以前の時代に対する痛切な反省とともに始めた日本人は、平和をひたぶるに、ただ
ひたぶるに願って、今日まで歩んできました。20世紀の惨禍を、二度と繰り返させまい。日本が立てた
戦後の誓いはいまに生き、今後も変わるところがなく、かつその点に、一切疑問の余地はありません。
そう、両国ともに、平和を愛し、自由と、民主主義を重んじて、人権と、法の支配を大切にしてい
ます 。20
国内では、安倍首相は河野・村山談話を支持、堅持する姿勢を繰り返し強調しており、2015年8
月の70周年終戦記念日の公式発言でもこれをさらに繰り返した。しかし、この発言の準備段階で
は、1995年の元表現にいくつか修正が加えられるのではないかという憶測が起こった。はっきり
した宣言を自由に再解釈できるようになるのではないか、という憶測は、歴史修正感情を抱いて
いると政府を批判したい批評家らに格好の武器を与えることになった。このような主張は、日本
の歴史教科書が過剰に謝罪じみて自虐的な過去の見方になっており、進歩派の意見に偏っている
と前面に立って訴えてきた保守派ロビーグループである日本会議の元メンバーが内閣閣僚の中に
含まれたことでさらに重みを増した。
安倍首相の歴史問題に対する私的見解を解き明かすのは難しく、結論の出ないやり方だ。彼の公
式発言だけに依拠して判断すれば、安倍首相が歴史修正主義者だと結論付けられる証拠は無い。
センシティブな歴史問題を抱える国のリーダーと同じように、安倍首相は実際の政策と公的発言
を適切に考慮し、さらに重要なことには公的資料に含まれるもの同様、排除されているものが何
かについて評価される必要がある。同様に、和解に向けた取り組みは、それが世界や東南アジア
地域に向けられたものであろうと、以前の敵国に向けてのものであろうと、感情を量る重要なバ
ロメータであり、総理大臣の見解だけではなく、彼が代表する国の意見を示すという非常に重要
な側面がある。
しかし、歴史に関して言うならば、精神と法の文言を区別することが大切だ。保守派の動きから
距離を保った小泉氏と異なり、アイデンティティ政治をめぐって日本で益々激しくなっている議
論の根底にある様々なキャンペーンに安倍氏は間接的に関連づけられてきた。歴史教科書や、日
本の国旗と国家の位置づけ、東京裁判による日本の戦争犯罪の判決の法的根拠、NHK(日本放送
教会)の公的放送としての過去についての報道における役割のいずれにしても、安倍首相は、そ
の正誤問わず、直感的に保守派の立場に同情的だと目されてきた。危険なのは、歴史修正主義と
同義の固いドクトリンに基づいた立場を持っていると分類されるリスクを安倍首相が抱えている
ことだ。あるいは、不正直で、公的な発言よりもはるかに厳しい見解を心に抱いていると見られ
るリスクを負っている。もしも、権力を傷つけたり政権に留まる力を脅かす可能性があると判断
され、さらなる議論を追従するのを自民党が避けようとする場合、安倍首相は歴史修正主義と解
釈されるような一切の発言を避けなければならない。個別のスピーチの実際の文言と同じくトー
ンやニュアンスもこの場合重要であり、安倍首相は、統語的なごまかしで逃れようとすることを
避け、真に自分が非修正主義であることを示そうと過去の発言について過剰に衒学的な言及をし
ないように注意を払うべきだ。
もしも安倍政府が政権に留まろうとするのであれば、唯一の選択肢は実際的な外交政策の姿勢を
貫き、日本の過去の戦時中の行為を容認すると捕らえられる可能性のある発言を避けることだ。
このようなタイプの実際的なアプローチは、靖国神社への参拝が海外で議論を呼んだものの、安
倍政権の1年目の核であった。
安倍首相の立場は2年目になり、さらに固くなった。強い内閣と経済の回復で、自民党は2014年
終わりの突然の選挙で地すべり的勝利を収めた21。国会では自民党はしっかりとした過半数を有
豪州国会両院総会 安倍内閣総理大臣演説、2014年7月8日。 ‘Remarks by Prime Minister Abe to the Australian Parliament’ http://japan.
kantei.go.jp/96_abe/statement/201407/0708article1.html.
21
安倍氏は経済改革への支持を確保するため総選挙を行った。
20
15 | Chatham House
安倍内閣: 実際主義と過激思想の舵取り
し、衆参両院において、本気で挑む立場にある野党は存在しなくなった。さらに、自民党内部に
おいて清和会に挑むことができる派閥も無くなり、安倍内閣に対抗する者もいなくなった。中曽
根氏も小泉氏も、2人共に総理大臣として強くて効果的なリーダーシップを取った主な例だが、
そのどちらも日本の政治においてこれほど強い立場を享受し得なかった。この点から見て、さら
に決定力のある外交政策の課題を進めるに当たって、間違いなく、かつて無い立場に安倍首相は
置かれている。
当然ながら、政治家がもっとも危険な敵から身を守らなければならないのは、このように最大限
の強さを持っている時だ。その敵の名とは、思い上がりである。政治的な障壁が国内に無く、安
倍首相は安全保障問題を国民の意見を汲み取ることなく拙速に推し進めすぎてしまうかもしれな
い。政府の安全保障法案に対するデモンストレーションの劇的な暴発や、政府が主要な法案を委
員会で、コンセンサスを取らず「非民主的」とも言われる中、無理やりに通していることに対す
る野党の国会ボイコットは、1960年の岸政権の最後の年に国会の議論を独占した歴史的議論を遠
く呼び覚ますものだ。自身も認めるとおり安倍首相は若い頃に深く岸氏を尊敬していたが、もし
も祖父と同じ政治的運命に苦しむことになれば、これはとりわけ皮肉な展開であると言えよう。
日米安保条約改定は、本質的には日本で台頭してきた外交と安全保障に関する先進主義初期の実
際的な例であったが、岸氏はこの日米安保条約改定の道筋を守ることに成功したものの、結局は
政権を追われ、自分の党や国民一般からの支持を失った。政治とは気まぐれなものであり、勇気
があり、長期的な視野に立つリーダーが常に報いられるとは限らないのだ。
16 | Chatham House
安倍内閣: 実際主義と過激思想の舵取り
著者について
ジョン・ニルソン‐ライト氏はチャタムハウスのアジアプログラムのヘッドであり、ケンブリッ
ジ大学で日本政治と国際関係についての上級客員教授であり、ケンブリッジのダーウィンカレッ
ジのオフィシャル・フェローである。オックスフォードのクライスト・チャーチにて政治、哲
学、経済(PPE)で学位を取得。ジョンズ・ホプキンス・大学のスクール・オブ・アドバンスド・
インターナショナル・スタディーズで国際関係および東アジア研究で修士号を取得。東アジアの
国際関係について、特に日本と朝鮮半島について世界各国のメディアに定期的にコメントしてい
る。英国下院の外交委員会で東アジアについて証言しており、ワールド・エコノミック・フォー
ラムのグローバル・アジェンダ・カウンシル・オン・コリアおよび日英21世紀グループのメンバ
ー。『グローバル・アジア』のエディトリアル・ボードメンバーであり、ヨーロピアン・ジャパ
ン・アドバンスド・リサーチネットワーク(EJARN)の創設メンバー。
藤原帰一氏は東京大学の国際政治学教授。同大学を卒業後フルブライト奨学生としてイェール大
学に留学。その後、東京大学社会科学研究所へ。フィリピン大学、ジョンズ・ホプキンス大学、
ブリストル大学客員教授を歴任。ワシントンDCのウッドローウィルソン国際学術センター研究
員。国際関係について多数の著書があり、『平和のリアリズム』は2005年に石橋湛山賞を受賞。
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安倍内閣: 実際主義と過激思想の舵取り
日英グローバルセミナーにつ いて
本論文は、2本の日英外交政策についての論文の第一弾であり、日英グローバルセミナー・シリーズの一部で
ある。このプロジェクトは、多くの国際的課題や国際的視野を共有する日本と英国が、変わりゆく世界にどの
ように対応していくのか討議することを目的とした5ヵ年 (2013–17年)プロジェクトとして実施している。
この日英グローバルセミナー・シリーズは、世界が現在直面する経済や安全保障、社会など広範囲に定義され
る多くの重大な課題に取り組むにあたり、日本と英国がどうすればこれまで以上に効率的に強調できるか、そ
の可能性を探ることを目的としている。
両国はこれらの共通課題に立ち向かうにあたり、それぞれが比較優位性を有している。両国が緊密な連携を取
ることで、取り組むべき課題が絞られ、戦略的な優先順位も明確にされる。その結果、諸問題に対する適切な
解決策が提示されるであろう。
これらの目的を達成するために、日英両国の共通課題について討議し、どのような共同作業が可能であるか確
認するため、年に一度ロンドンと東京の持ち回りで日英グローバルセミナーを開催している。本プロジェクト
を通じて様々な出版物を発行するほか、日英の政策専門家、アナリストや政策決定者が、各課題に対する対応
策について評価し合う機械を提供する。
日英グローバルセミナー・シリーズは日本財団による資金援助を得て、日本財団およびグレイトブリテン・サ
サカワ財団と共同して開催している。
18 | Chatham House
1920年から続く、独立した思考
王立国際問題研究所(通称チャタムハウス)は、ロンドンを拠点とした独立政策機関であ
る。チャタムハウスのミッションは、持続可能な安全と繁栄、公正を有した世界を築くた
めの助けとなることである。
チャタムハウスは組織としての独自の見解を示さない。本出版物で表現されている意見は
著者本人に帰属するものである。
© The Royal Institute of International Affairs, 2015
カバーイメージ © The Asahi Shimbun/Getty Images
2015年5月 26日、東京で開かれた日本の国会で議論の的となった国家安全保障法案につ
いて演説する安倍晋三総理大臣
ISBN 978 1 78413 091 6
チャタムハウスの出版物はすべて再生紙を使用しています。
王立国際問題研究所 (The Royal Institute of International Affairs)
チャタムハウス Chatham House
10 St James’s Square, London SW1Y 4LE
電話 +44 (0)20 7957 5700 ファクシミリ +44 (0)20 7957 5710
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英国登録チャリティ番号: 208223