「本名」で教壇に立つことの意味 教員の - 竹村雅夫(藤沢市議会議員)の

藤沢市会議員
たけむら雅夫
市政レポート
教育版 2010・12
「本名」で教壇に立つことの意味。
教員の「国籍条項」を考える。
ふたつの名前
「本名が名乗れる教育環境を」
「私はけっして“差別”をしているつもりはありま
私は日本に住む朝鮮人です。名前は金優子(キ
ム ウジャ)といいます。でも学校では金山優子
(かなやまゆうこ)の名前にしています。芸能人
でもない私が二つの名前をもっているのです。
私は幼い頃から、ハルモニ(祖母)に「ウジャ
は、外ではゆう子なのよ。決してキムウジャと言
わないようにするのよ。本当の名前を言ったらつ
らい目にあうのよ」と教えられていました。
‥‥多くの日本人たちは、わたしたちの歴史や
せん」と、先生は言うかもしれません。ぜひ、そうで
あってほしいと思います。
でも、自分が「自分」であると名乗れないとしたら、
そこに「差別」があるのではないのでしょうか。
神奈川県は1985年に県内在住の在日韓国・朝鮮
人と中国人の実態調査を行いました。
その結果、「学校で差別を受けたことがある」とす
る回答は40%にのぼり、“自衛”のために「通名」
を使用している実態が明らかになっています。
文化、朝鮮人が日本にいることの背景などをきち
んと理解しているでしょうか。残念ながらそうで
はないと思います。「在日コリアン差別」の問題
は、実は日本人の問題なのです。
(奈良県人権教育研究会編「なかま」より)
日本の学校には、おおぜいの在日韓国・朝鮮人の子
どもたちが通っています。
でも日本人の先生は、そのことに
あまり気づいていないのかもしれま
この調査を受けて、神奈川県教育委員会は1990
せん。なぜなら、その子たちの多く
年に、「在日外国人(主として韓国・朝鮮人)にかか
は「本名(民族名)」ではなく、
わる教育の基本方針」を策定しました。
「通名(日本名」)で通ってきてい
方針は「現在でも、教育、就労、福祉等において在
日韓国・朝鮮人に対する厳しい差別や偏見が根強く残
るからです。
でも、そもそも人が二つの名前を持っていること自
体、不自然なことではないのでしょうか。
その「不自然」の背景にある「韓国併合」や「創氏
っている状況がある。そのため、児童・生徒が学校や
地域社会において、本名が名乗れないという実態もあ
る。」と指摘した上で、
改名」という歴史的背景(注1)は、どこまで理解さ
れているでしょう。
在日外国人児童・生徒に対しては本名が名乗れる
そして、「本名」ではなく「通名」で通う子どもた
ちが、本当はどんな思いを持っているのか、日本人の
教育環境をつくり、民族としての誇りをもち、自
立できるよう支援する。
先生は気づいているでしょうか。
ことを神奈川の教育の基本方針として掲げました。
(注1)創氏改名
日本が朝鮮を植民地支配した
のち、同化政策の一環として朝鮮人から固有の
名を奪い、日本式の名前に変えさせた政策。
方針の制定から20年が過ぎました。しかし、この
実態はどこまで変わったのでしょう。
いま学校は、在日の子どもたちが誇りを持って「本
当の自分」を名乗れる環境になっているでしょうか。
「国籍条項」とは
竹村:こんにちは。「常勤講師」という制約があるに
「差別」とは、悪意ある言動によるものだけではあ
りません。誰もひどい言葉を投げつけなくても、「制
度」自体が差別をはらんでいる場合があるのです。
もかかわらず、しかも「本名」で教壇に立つという
ことは、実はたいへんなことかもしれません。
それでも「先生になろう」と思ったきっかけは、
教室では、先生がよく子どもたちに「将来、何にな
..........
りたい?」と聞きます。でも、在日外国人の子どもた
....................
ちには「なりたくてもなれない」仕事がある、という
何でしょうか。
ことを、先生は知っているでしょうか。
添う上で大切なことだと思うからです。
それは、いくつかの職業の採用条件には外国人を排
除したり、制限する「国籍条項」があるからです。
....
警察官や裁判官、一部の公務員をはじめ、教員にも
.........
「国籍条項」があるのです。
パク
ユン
職員室を見渡してください。「朴先生」や「尹先
生」は、なぜいないのでしょう。
このことをうかがう意味は、日本人の教師にとっ
ても、クラスにいる在日の子どもたちの思いに寄り
それに、在日の子どもたちの未来を切り開く上で
も、ひとつの希望につながると思っています。
李智子:李智子(リ・チジャ)です。横浜総合高校で
国語を担当しています。2年生の担任もしています。
はじめから本名を名乗って
いたわけではありません。最
厳密には、「なれない」のではありません。かつて
初は広島で高校の教員になっ
東京や大阪などでは、在日韓国・朝鮮人も「教諭」と
たのですが、そこでは通名で
して採用されていました。
した。自分が在日韓国人だと
しかし1991年に政府は、外国人の「教諭」とし
ての採用を認めない方針を打ち出しました。そのかわ
りに「教諭」ではなく、「期限を附さない常勤講師」
として採用することとしたのです。
「常勤講師」は、実態としては「教諭」とほとんど
▲李智子さん
いうことも言いにくかったん
です。
でも、広島の高校で本名で教壇に立っている先生
と出会い、その先生の堂々とした姿を見たことが、
ひとつのきっかけだったかもしれません。
変わりません。担任や部活動、校務分掌は同じように
その後、横浜で教員になってハギハッキョ(注3
持てます。給与も同額です(注2)。
)に参加して、「もし私もこういう教育を受けて
しかし「管理職」や「指導的立場」にはつけないの
です。校長や教頭だけではありません。「学年主任」
や「総括教諭」にもなれないことになります。
なぜ、そんな必要があるのでしょう。政府の見解で
は、外国人が「公の意思形成に参画する地位にはつけ
いたら」と思いました。
出身は山口県なのですが、私は山口では在日韓国
・朝鮮人についての教育をほとんど受けてこなかっ
たんです。
「私が先頭に立って本名でやろう」と思いました。
ない」のが「当然の法理」だというのです。
でも、私立学校では外国人の校長先生だっておおぜ
(注3)ハギハッキョ
在日韓国・朝鮮人の子ど
いいます。まして日本で生まれ、日本で暮らしてきた
もたちに民族文化に親しんでもらうために開か
在日韓国・朝鮮人の先生が管理的立場に立ったとして、
れる夏期学校。
どんな不都合があるというのでしょう。
李敬史:李敬史(リ・キョンサ)です。横浜市立大道
(注2)賃金格差
神奈川県の場合は総括教諭に
なれないことによる賃金格差が生ずる。
小学校で教員をしています。
私はあまり「常勤講師」ということで制約は感じ
ていないんです。
とにかく、人に教えることが好きだったので、教
本名で教壇に立つ意味
しかしそれであっても、あえて「本名」を名乗り、
「常勤講師」であっても教壇に立っている外国籍の先
生がいることは、案外知られてません。
神奈川県の公立学校にも、2008年の調査では県
で7名、横浜市で8名の「常勤講師」がいます。
師になろうと思いました。
竹村:在日外国人の先生が学校にいることの意味を、
どう思いますか?
李智子:広島の学校にいたとき、その学校には本名で
通っている子やダブルの子(注4)がいました。で
も私は通名だったので、その子たちに「私もそうだ
その先生たちは、どんな願いを持って教壇に立って
よ」って言えないつらさをどこか感じていました。
いるのでしょう。本名で教壇に立つ、韓国籍と朝鮮籍
もしそう言えたら、もっと違うかかわりかたがで
のふたりの先生にお会いして話をうかがいました。
きただろうし、いろいろと相談ができたはずです。
他の教員とは違うかかわりができるのに、もったい
だん仕事をしている上では特に違和感はないだけに、
ない。
接しているうちにすんなり行っていると思います。
自分のルーツを堂々と名乗って生きていけない子
在日の歴史を知っている人もいるだろうけれど、
どもたちがいます。そんな子たちに生き方を見せる
「いろいろ聞いたら悪いのでは」と思っているみた
のも教師の仕事のひとつだと思うんです。
いです。
精神的にも、制度的にも自分を出して生きていけ
ないとしたら、そこに差別があるということですよ
ね。「たかが名前」ではないんです。
よく、名前や出生を言ったところで自分は自分で
変わらないと言いますが、通名と本名とでは、全然
違う。内面や意識が変わってくるのです。
今の高校にも外国籍の子がいます。自分のルーツ
を避けようとする子もいます。私は強制的に何かを
でも、私はかえって聞いてほしい。「どうして本
名なの?」とか、伝えたいことがたくさんある。
本名を名乗っているっていうことは、「いろいろ
聞いていいんだよ」っていうサインなのに。
李敬史:私は逆で、あえて話さないようにしています。
実際に知識がないと理解してくれないところもある
し。でも関心を持ってくれる方には、話をしたいと
いう気持ちもあります。
するのは好きではないので、それはそれでいいと思
私はオリエンテーリング競技の選手でもあるので
っていますが、自分のルーツを否定するような思い
すが、過去は韓国代表として、現在は朝鮮民主主義
や考えは持ってほしくないと思っています。
人民共和国の代表選手として世界選手権をはじめと
する国際大会にも出ています。その写真は教室に貼
(注4)ダブル
かつて異なる国籍の両親の間に
ってありますよ。
生まれた子どもたちは「ハーフ」と呼ばれたが
9月に地球市民プラザであったアースフェスタで
「ふたつのアイデンティティを持つ」という積
話をしたときには、私の職場からも興味をもって聞
極的な意味で「ダブル」という呼称が使われる
きに来てくれました。
竹村:子どもたちの反応は、どうですか。在日韓国・
ようになっている。
朝鮮人の子どもたちだけではなくて、もしかしたら
李敬史:自分のルーツを言えないってことは、どこか
「障がい」があったり、いろいろなことを抱えたマ
モヤモヤするものです。いま通名で通っている子が、
イノリティ(社会的少数派)の子にとって、お二人
いつかどこかで「違う名前がある」ことに気づいた
はどこか「自分のことをわかってくれる先生」と思
とき、その衝撃は大きいと思います。
える存在なのではないでしょうか。
一方、先日新聞に大阪の韓国籍の先生が、担任す
私は高校に入ったとき、本
名で行こうと決心しました。
る児童の保護者から「子どもは先生を選べないから
そういうときに、まわりにそ
仕方ないです」と言われたという記事がありました。
ういう知識を持った人がいる
そういう保護者はごく一部だとは思うのですが、
と、全然違います。
▲李敬史さん
竹村:日本人には「教師になりたければ日本国籍をと
ればいいじゃないか」という人もいると思うのです
が。私の知人でもそのような選択をした人もいます。
李智子:隠す理由はないことなのに、自分を隠して教
師をするのってつらくないですか?
そうしたことはありませんでしたか。
李智子:生徒はふだんは普通に接してくれています。
高校なので、「外国人参政権」の話をしてきたり、
「どうして日本国籍をとらないの」と聞いてきた生
徒もいます。そのときには、ぜひ在日の思いや状況
を知ってほしいと思って、話します。
李敬史:「日本国籍をとればいいじゃないか」という
車椅子の子や、ブラジルの子が寄ってくることも
人もいますが、そこには必ずしもポジティブな理由
あります。「少数派」の思いや、つらさは共通です
はないですよね。
から。
日本はまだまだ外国人が生きることが難しい社会
です。「通名があたりまえ」を打破して、「本名で
日本社会で生きて、そのままで大丈夫です」という
ことを示すのも教師の役割ではないでしようか。
保護者から特にクレームはありません。
李敬史:私も朝鮮人だから、という理由でのクレーム
は一件もありません。
ただ、私は「マイノリティ」で一緒くたにされる
ことは好きではありません。それぞれの問題は違う
職場や子どもたちの反応は
竹村:まわりの職場の反応はどうですか。
李智子:ひとことでいうと「無関心」かな‥‥別にふ
わけですから。
ただ、マイノリティだからこそ持つ日本社会での
「生きにくさ」には共感するし、だからこそ、そん
な子の力になりたいといつも思います。子どもたち
自分たちで解決するということが大切だと思う。
は、特に思春期には皆同じ思いを抱いていますから。
私は、そういう土壌を持っている神奈川や横浜が
竹村:日本人だって「多数派」だと思っているけれど、
好きなんです。だから、神奈川からこそ働きかけて
「障がい」のある子や、さまざまなことを抱えてい
る子もいます。誰だって、どこかしらではマイノリ
ティの部分をもっているんですよね。
李敬史:日本人だって海外に行ったりすれば、マイノ
リティになるわけですよ。特にアメリカなんかでは。
その立場に立ったとき、どんな気持ちがするか考
えてほしい。
大多数の人がマイノリティの気持ちを理解するこ
いく必要があるんじゃないでしょうか。
竹村:これは、当事者である皆さんの問題ではなくて、
日本人の側の問題だと思っています。
お二人はまだ誰も歩んだことのない道を切り開い
ていらっしゃいます。ぜひ私たちもそのことをきち
んと受け止め、共にとりくんでいきたいと思います。
そのことが、後に続く在日の子どもたちの希望に
つながることでもあるのですから。
とは難しいけれど、病気をしたり、いろいろなこと
で自分がマイノリティになることもありうるわけで
すね。そのつらさや、気持ちを感じてほしい。
そういうことから考えると、日本は「マイノリテ
ィ」に対して寛容な社会ではないと感じます。
おわりに
このレポートの中で、私は「外国人」「外国籍」と
いう言葉を再三使いました。
でも、在日韓国・朝鮮人は今から100年前の「韓
国併合」によって日本に住むようになった人々と、そ
国籍条項について
の子孫です。これからも、民族のアイデンティティー
竹村:「国籍条項」の問題なのですが、日本人の教師
を大切にしながらも、日本社会の一員として暮らして
の中にだって、「別に管理職になりたいとは思わな
いくであろう人たちです。
い。最後まで一担任でいたい」という人もいます。
「外国人」という単純な括りではなく、多文化・多
でも、管理職に「なりたい」とか「ならなくても
民族が共生する日本社会の一員として考えた方が、ず
いい」とかいうこととは別の次元で、「同じ仕事を
しているのに任用に差がある」としたら、それは差
別なのだと思うんですね。
「国籍条項」については、どうお考えでしょうか。
李智子:なれる権利があって「ならない」のと、なれ
る権利がなくて「なれない」のとは全然違う。つま
り、選ぶ権利がない、ということです。
神戸の韓裕治(ハン・ユチ)さんのように、経験
も豊富で誰もが実力を認めているのに副主任にさえ
「なれない」って、おかしいですよね。(注5)
でも私は、「権利はかち取っていくもの」だと思
っています。最初からあった「権利」なんて、ない。
っと自然なのではないでしょうか。
また、同じ民族のルーツを持ちながら李智子さんは
「韓国籍」、李敬史さんは「朝鮮籍」と分かれていま
す。この南北の分断も、その根源に日本の植民地支配
があったことを忘れるわけにはいきません。在日韓国
朝鮮人の問題は、実は日本の側の問題でもあるのです。
しかし、こうした歴史や現実を日本の学校ではどれ
だけ子どもたちに伝えてきたでしょうか。
日本の多くの学校には、在日韓国・朝鮮人の子ども
たちが通っています。教師であれば、一度は担任して
不思議ではありません。
その子たちがどんな願いや課題をもっているのか、
在日の運動に取り組んでいる人から「何かやろう
日本人の先生も、そして日本人の子どもたちも、ぜひ
と思ったら、10年はかかるよ」って言われたこと
一緒に考えてほしいのです。もしその子が「本名」を
があります。とにかく、息の長い運動をしていくし
名乗れていなければ、「それはなぜなのか」を考えて
かありませんね。
ほしいのです。
(注5)2008年4月、神戸市立中学校の外国
籍教員韓裕治さんが、「常勤講師」であるがゆ
「『違い』があるからこそ、社会はより豊かになれ
る」という言葉があります。
えにいったん任命された校務分掌の副主任を解
李智子さんや李敬史さんのような先生がいれば、学
任された。韓さんは日本弁護士連合会に人権救
校教育はもっと豊かなものになると、私には思えてな
済申し立てを行っている。
りません。「国籍条項」を存続させていることで、こ
の国の学校教育は多くの大切なものを失っているので
李敬史:日本という国は、多様性に慣れていない。
でも、神奈川の外国籍の人たちは、自分たちで団
体をつくって活動していますね。自分たちの問題を、
はないのでしょうか。
金優子さんの言うとおり、「国籍条項」の撤廃は、
「日本人の問題」なのです。