犬の肥満細胞腫

北海道大学動物医療センター外科/腫瘍診療科
動物の腫瘍 インフォメーション・シート ①
犬の肥満細胞腫
肥満細胞腫は、犬の皮膚や皮下に多くみられる悪性の腫瘍です。同じ肥満細胞
腫でも、手術で簡単に治ってしまう悪性度の低いものから、急激に進行する悪
性度の高いものまで、かなりのバリエーションがあり、腫瘍の悪性度により治
療法もさまざまです。このしおりは、愛犬が肥満細胞腫と診断された飼い主様
に、この病気を正しく理解して頂き、一番合った治療法を選択していただくた
めのものです。
1.肥満細胞腫って?
肥満細胞腫とは、体の中の“肥満細胞”という細胞が腫瘍化して無制限に増
殖して皮膚や皮下にできものを形成したり、リンパ節や全身に転移してしまう
病気です。
“肥満細胞”とは、体の中の免疫細胞の一種で、外からの異物に対し
て炎症反応やアレルギー反応を起こす役割をしています。肥満細胞の中には、
炎症を起こすヒスタミンと呼ばれる物質がたくさん蓄えられており、体に異物
が侵入してくると、肥満細胞がヒスタミンを放出することにより正常な異物反
応がおきます。この肥満細胞の腫瘍が肥満細胞腫です。ヒスタミンは、周囲に
炎症を起こしたり、全身に回って胃潰瘍を起こしたりします。腫瘍細胞もヒス
タミンを持っているため、肥満細胞腫のしこりを触ると急に腫れたり、肥満細
胞腫が進行すると全身がだるくなったり、胃潰瘍を起こしたりします。また、
腫瘍組織から突発的にヒスタミンが放出されると、急激にショック状態になる
こともまれにあります。
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2.肥満細胞腫は悪性の腫瘍(がん)ですか?
基本的には悪性ですので、放置してよい腫瘍ではありません。早期に切除
すれば完治するものが多いのですが、中には全身に転移して命を脅かす悪性度
の高いものもあり、一口に肥満細胞腫といっても、その悪性度にはかなりのバ
リエーションがあります。腫瘍の悪性の度合いのことを“グレード”とよびま
すが、肥満細胞腫はその悪性度により 3 つの“グレード”に分類されます。
・グレード 1:最も悪性度が低い肥満細胞腫です。大抵は皮膚の表面にでき
た 1 ㎝以下のしこりで、周囲への浸潤もあまりしないため、簡単な手術で切除
すれば治ります。
・グレード 2:中間くらいの悪性度の肥満細胞腫です。大抵は体の他の部位
に転移することはなく、腫瘍のかたまりを完全に取り切れば治るのですが、時々
付近のリンパ節や、おなかの中の臓器(脾臓・肝臓など)、全身の皮膚などに転
移することがあります。また、周囲の正常組織に浸潤するため、完全に取り切
るためには、肉眼的なかたまりだけでなく、周囲組織を広くつけて切除する必
要があります。
・グレード 3:最も悪性度の高い腫瘍です。成長も早く、急速に進行します。
通常は診断時には、リンパ節やその他の臓器に転移していることが多く、腫瘍
を手術で切除しただけでは根治には至りません。最も治すのが難しい肥満細胞
腫です。
肥満細胞腫の治療法や予後は、グレードによって異なります。
3.グレードはどうやったらわかるの?
正確なグレードは、摘出した腫瘍組織の病理検査で判断します。ですので、
グレードがわかるのは実際に手術をした後です。ただし、初診の段階でも、腫
瘍の肉眼的な所見や、細胞の見た目などから、大体の目安をつけることは可能
です。正しい判断のためには、腫瘍がいつからあって、どれくらいの速さで成
長しているのかなど、飼い主様からしか得られない情報も必要です。来院時に
は、ご愛犬のことを最もよくわかっているご家族の方が連れてきてください。
多くの場合、術前に予測した大まかな悪性度に基づいて必要な検査や手術範囲
を判断し、実際の手術の後で正確なグレードを確認します。術後に抗がん剤な
どの補助療法が必要になるかどうかは、グレードを参考にして判断します。
ただし、グレードの判定は病理診断医の主観的な評価のため、同じ腫瘍を
診ても診断医によってグレード 2 としたり 3 としたり、判定が一致するとは限
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りません。誰がみても悪性度の低いものはグレード1に、悪性度の非常に高い
ものはグレード3に分類される傾向にありますが、どちらともいえない微妙な
ものはすべてその中間のグレード2に分類される傾向にあります。したがって、
グレード 2 と診断された場合には、グレード1に近い 2 なのか、3 に近い 2 な
のかによって、治療法も予後も大きく異なります。そのため、グレード 2 の肥
満細胞腫では、より詳しい所見をもとにできるだけ客観的に評価することが必
要です。すでに他院にて腫瘍を切除済みの患者様の場合は、診断名だけでなく、
くわしい所見の書いてある病理診断書を必ずお持ちください。また、実際の腫
瘍の標本をホームドクターの先生から頂いてきてお持ち頂けると、より正確な
診断につながり、当センターでの治療方針の相談の際に役立ちます。
4.肥満細胞腫って、どんなふうに進行するの?
肥満細胞腫が進行する場合は、もともとの腫瘍(原発巣)から腫瘍細胞の
一部がリンパ管の流れに沿って付近のリンパ節に流れ着きます。そこで腫瘍細
胞が生着してしまうと、リンパ節転移が成立します。リンパ節転移が成立する
と、通常は 1 個のリンパ節だけにとどまらず、さらに遠くのリンパ節や、その
他の臓器に転移します。肥満細胞腫が転移しやすい臓器として、脾臓・肝臓・
他の部位の皮膚・骨髄などが挙げられます。これらの臓器に転移した場合を遠
隔転移といい、ここまで進行していると根治はかなり困難となります。
5.初診時にはどんな検査をするの?
・細胞診:肥満細胞腫と診断するために、まずは細胞診という検査を行います。
細い注射針を使って細胞を採取し、顕微鏡で検査するものです。痛みはほとん
どありませんので、麻酔なしで簡単に実施可能です。肥満細胞腫の細胞は特徴
的なので、通常はこの検査のみで診断が可能です。また、細胞の見た目からあ
る程度悪性度を予測することも可能で、グレードの判定に役立ちます。
肥満細胞腫の細胞。左は細胞質に紫色の顆粒をたくさん含んだ悪性度の低い肥満細胞腫
の細胞。右は大型であまり顆粒を持たない悪性度の高い肥満細胞腫の細胞。
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・転移チェック:次に、付近のリンパ節や体の他の部分に腫瘍が転移していな
いかをチェックします。リンパ節にも前述の針を用いた細胞診を行い、腫瘍細
胞がリンパ節の中に入っていないか検査します。リンパ節への転移が見つかっ
た場合には、その他の臓器の検査も行います。胸腔内の検査には X 線検査を、
おなかの中の検査には超音波検査を用います。どちらも麻酔は不要で、当日行
える検査です。
・CT 検査:原発巣の腫瘍が切除しにくい場所の場合には、CT 検査という体の
断面図をみる検査を行うこともあります。CT 検査は、取り残しのない確実な手
術を計画するために行うもので、麻酔をかけて撮影します。
・遺伝子検査:細胞診と同様に、針を用いて細胞をごく少量採取して、腫瘍細
胞の遺伝子異常を調べる検査です。治療の項目で詳しく説明しますが、c-kit と
いう遺伝子に変異があるかどうかで、腫瘍の悪性度や治療薬の効きやすさを予
測するのに役立ちます。
6.どんな治療法があるの?
肥満細胞腫の治療はグレードや診断時の進行具合によってさまざまですが、
外科手術、放射線療法、内科的治療の中から最も適切なものを組み合わせます。
外科療法
まだ転移していない肥満細胞腫の多くは適切な外科手術で根治できます。
ただし、グレードが 2 以上の肥満細胞腫は、目に見えないレベルで腫瘍細胞が
周囲の組織に浸潤しているため、肉眼的な腫瘍の輪郭に沿って切除しても、顕
微鏡レベルで取り残してしまい、術後に再発する原因となります。そのため、
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完全に切除するためには、腫瘍の周囲 2~3 ㎝の正常組織をつけた状態で腫瘍
を摘出する必要があります。
放射線療法
外科手術だけでは腫瘍が完全に取り切れない場合には、残存した腫瘍細胞
を根絶するために放射線療法を用います。放射線療法とは、強力な X 線で体の
中の腫瘍細胞を殺傷する治療法で、正常細胞と腫瘍細胞の X 線に対する感受性
の違いを利用した治療です。肥満細胞腫は放射線感受性が高く、正常細胞が耐
えられる程度の X 線で死滅します。正常細胞が耐えられる程度の量の X 線を何
度も繰り返し病巣周辺に照射することで、正常組織を温存したまま、残存腫瘍
を根絶する治療法です。顕微鏡レベルで取り残した肥満細胞腫では、約 85~
95%の確率で局所再発を予防する効果があります。ただし、もともとの腫瘍細
胞の数が多すぎる場合には、放射線を照射しても腫瘍細胞の中に生き残りがで
る確率が高くなりますので、手術前の肉眼的な腫瘍塊を放射線のみで治療して
も根治は見込めません。手
術が不可能な肥満細胞腫を
縮小させたり、一定期間成
長をコントロールするため
に用いることもありますが、
根治を目指す場合には可能
な限り手術で肉眼的に取り
除いてから放射線治療を実
施します。
放射線治療には、小線
量を計 15~20 回にわたっ
て照射する方法(根治的放
射線治療)と、大きめの線
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量を 4~6 回だけ照射する簡易的な方法(緩和的放射線治療)とがあります。
基本的には、小線量を数多く照射する根治的放射線治療の方が総線量としては
多くの放射線が照射でき、腫瘍に対する効果も高くなります。後者の緩和的放
射線治療は、腫瘍に対する効果は劣りますが、すでに転移してしまった症例な
どで、局所治療の負担や治療費を軽減する目的で用いられることがあります。
内科療法(全身療法)
注射薬や飲み薬によって全身を治療する方法で、肥満細胞腫が全身に転移
してしまった場合や、グレードが高く将来的に転移病変が出てくることが予想
される場合に用いられます。上記の外科手術と放射線療法はどちらも局所療法
なのに対し、内科療法は全身治療ですので、全身を一度に治療できる代わりに、
局所での効果は手術や放射線治療ほど高くありません。
肥満細胞腫に対して効果のある薬剤として、以下のものが挙げられます。
・ステロイドホルモン剤:ステロイドホルモンは、炎症やアレルギー反応を抑
えるために使われる薬で、肥満細胞の増殖を抑えたり、ヒスタミンの放出を抑
制する効果があります。肥満細胞腫に対しても腫瘍を縮小させる効果があり、
薬自体安価で副作用も少ないため、治療の一部として多く用いられます。ただ
し、治療効果はあまり長続きしないため、単独で用いられることはなく、他の
抗がん剤などと一緒に用いられます。
・抗がん剤:細胞分裂を阻害することで腫瘍をコントロールする薬剤です。肥
満細胞腫に対しては、ビンブラスチンや CCNU といった薬剤が用いられ、どち
らも犬において比較的安全に使用できる薬剤ですが、投与は動物病院内で行い
ます(2~3 週間に 1 回)。腫瘍細胞だけでなく、正常な体の細胞の一部も増殖
が阻害されるため、副作用に注意する必要があります(詳しくは抗がん剤のし
おりを参照ください)。
・分子標的薬:一般的な抗がん剤とは違い、腫瘍に特異的な増殖メカニズムを
ターゲットにしてそれを阻害する薬剤です。犬の肥満細胞腫では、c-kit という
遺伝子に異常があると、肥満細胞の増殖が無制限に起こり、肥満細胞腫の発生
の原因になっている場合があります。この kit の働きをブロックする薬剤を使う
ことで、肥満細胞腫の細胞を選択的に抑制することができます。ただし、特定
の分子をピンポイントにターゲットにするため、効く・効かないがはっきりし
ています。分子標的薬が効くかどうかは、c-kit 遺伝子の検査で調べることが可
能ですが、遺伝子異常がなくても分子標的薬に反応する場合もあるため、遺伝
子検査だけでなく、実際に薬剤を投与して腫瘍が縮小するかどうかで判断する
方が確実です。犬の肥満細胞腫に用いられる分子標的薬には、イマチニブ、ト
セラニブ、マシチニブなどがあり、すべて自宅での内服薬になります。
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7.肥満細胞腫の予後
肥満細胞腫の予後は、グレードと進行度によって大きく異なります。グレ
ード 1 の肥満細胞腫では、外科手術のみで根治することがほとんどです。グレ
ード 2 においては、広範囲な切除(不可能な場合は術後放射線治療を併用)が
必要になりますが、転移率自体は低く、8 割程度の患者は局所治療のみで根治
します。ただし、一部のグレード 2 ではリンパ節転移を起こすため、経過には
注意が必要です。グレード 3 の肥満細胞腫では予後は厳しく、適切な治療をし
た場合でも平均的な生存期間は 6 か月程度とされています。ただし、最近では
外科手術の技術や放射線治療器の性能の進歩と、新たな分子標的薬の開発など
により、グレード 3 であっても治療オプションが増え、治療成績の向上が期待
されています。
8.肥満細胞腫を切除してもらったのですが、取り切れてませんでした。どうしたら治り
ますか?
肉眼的には取り切ったものの、顕微鏡レベルで腫瘍の取り残しが生じてし
まった場合の治療法には、以下のものがあります。
・拡大切除:可能であれば、より広い範囲を再手術して切除します。これによ
る局所での根治率は 90~95%とされています。ただし、1 回目の手術の範囲
や腫瘍ができた部位によっては、再手術が困難なこともあります。
・放射線治療:取り残しのあった部位に対し、術後放射線治療を行うことで、
85~95%の局所根治率が見込めます。放射線治療には、約 3 週間の治療期間
と、15 回程度の治療が必要です。
・経過観察のみ:取り残した腫瘍が非常にわずかであり、切除した腫瘍のグレ
ードが低い場合には、無治療で経過観察しても 100%再発するわけではありま
せん。顕微鏡レベルの取り残しの場合、無治療での再発率は 30~40%とされ
ています。ただし、再発した場合には初回の治療よりも根治は困難になります。
個々の症例の状況によって、適切な治療法は異なります。また、複数の治療オ
プションがある場合が多く、最終的には飼い主様とご相談の上、最もご希望に
合った治療オプションを選択していただくことになります。詳しくは当センタ
ーの腫瘍科担当医にご相談ください。
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