593 - 日本ロケット協会

A PUBLICATION OF JAPANESE ROCKET SOCIETY
2015-1
593
MAINICHI ACADEMIC FORUM Inc., 1−1−1 Hitotsubashi, Chiyoda-ku, Tokyo 100−0003, Japan ©2015, Japanese Rocket Society
らたった10年強で人類は月まで行ける能力を持ちました。傑
新年のご挨拶
出した技術者の能力とソ連と米国の宇宙開発競争の膨大な投
資により、宇宙輸送系技術は1970年までにほぼ完成の域に達
日本ロケット協会会長 淺田正一郎
したかに思えます。1980年から就航したスペースシャトルで
部分再使用型に挑戦しましたが、思った程のコスト低減に至
日本ロケット協会の会員の皆様、明けましておめでとうご
らず、現在就航中のロケットは全てが使い捨てのままです。
ざいます。
私事で恐縮ですが、小生は本年が年男であり、還暦を迎え
NASAが計画中の惑星探査用ロケットSLS及びオライオンカ
ることになりました。昔に比べて平均寿命も延びており、大
プセルはアポロ時代へ先祖帰りしているようにしか思えませ
きな病気に罹らない限り、あと20年くらいは人生を楽しむこ
ん。
近年、従来の宇宙開発族(膨大な予算を持つ政府機関とそ
とが出来そうです。新たな人生をどの様に過ごせば良いかと
の実務を請け負う宇宙関連企業)とは少し毛色の違う人々
あれこれ思案する年始となりました。
私が生まれた1955年は、皆さんが良くご存じのとおり日本
が宇宙輸送系の開発に参入しつつあります。IT関連で富を
の宇宙開発が始まった年でもあります。糸川先生が同年の 4
築き、次の野望として宇宙開発に臨む人々です。Space-X
月に東京都国分寺市においてペンシルロケットの水平発射実
社 のElon Musk、Blue Origin社 のJeff Bezos、Stratolaunch
験を行ってから60年、日本の宇宙開発も還暦を迎える時代に
Systems社のPaul Allenなど枚挙に暇がありません。巨大IT
なりました。
企業のGoogleも宇宙開発に投資を始めました。これらの新規
参入者は従来の概念に縛られず、新しい形態の宇宙輸送シス
1970年にはL-4Sロケット 5 号機で「おおすみ」の打上げ
テムを生み出す可能性があります。
に成功し、当時のソ連、米国、仏国に次いで世界で 4 番目の
人工衛星打上げ国となりました。その後のMロケットシリー
還暦を迎えた日本の宇宙輸送系も次の60年に相応しい新し
ズでは、全段固体燃料のロケットとしては初めて、ペイロー
い「形」を探る時期にあるのでは無いでしょうか? 競合相
ドを地球の重力圏外まで持っていける能力を持つまでに至り
手は変貌する可能性を秘めています。偉大な先輩方の遺産を
ました。
引き継ぎつつ、普通の人々が利用し易い次の世代の宇宙輸送
また、米国からの技術導入をベースに開発した N-I ロケッ
系を考え始める年になれば良いと願います。黎明期の日本の
ト 3 号機で技術試験衛星Ⅱ型「きく 2 号」の打上げに成功し、
宇宙開発を先導した日本ロケット協会が、次の新しい時代に
日本は世界で 3 番目の静止衛星打上げ国にもなりました。N
おいても先導役となることを祈念して、新年のご挨拶に代え
ロケットはその後、国産化が進められ、1994年には全段国産
させて頂きたいと思います。
2015年 1 月吉日
液体ロケットのH-Ⅱロケットの打上げに成功し、日本は宇
宙輸送系技術で宇宙先進国に肩を並べるまでの進歩を遂げま
CONTENTS
した。
○ New Year Greetings from the President…………… 1
翻って、この間の世界の宇宙輸送系技術の発展はどうだっ
○ Running Feature Article … ………………………… 2
たでしょうか?
○ Arianespace en mouvement ………………………… 3
世界史上で初めての近代的なミサイルV- 2 を開発したフォ
○ Symposium report …………………………………… 4
○ Domestic News………………………………………… 4
ン・ブラウン博士の功績または遺産によって、ソ連はR-7ロ
◯ Overseas News………………………………………… 5
ケットで1957年に世界初の人工衛星打上げに成功し、それか
1
約10年後です。1970年 7 月に入社して10月からはQ’
という、
連載特集記事
Nロケットの試験用ロケットを担当しました。俗に「オバQ」
ロケット口伝鈔(18)十亀英司さん(第 1 回)
と言われるロケットです。
林:Nロケットは日本が米国から技術導入して開発したロケ
ットですよね? その試験用ロケットがQ’
ロケットですか?
今回から、日本初の液体酸素・液体水素エンジンである
LE-5エンジン(H-I ロケットの第二段)開発を成功に導いた
十亀:Nロケットは一段目、三段目、フェアリングは米国製
「生粋のエンジン屋」、元宇宙開発事業団理事の十亀英司さん
ですが、二段目だけは国産の液体エンジンを開発しました。
にご登場頂きます。十亀さんは1939年愛媛県生まれ。1962年
その二段目を試験するためのロケットがQ’
ロケットです。
に東京大学工学部航空学科卒業後、石川島播磨重工業(現
有田:二段目だけでも国産というところが日本人の偉いとこ
IHI)に入社。1970年からはNASDAで液体ロケットエンジ
ろですよね(笑)。
ン開発を中心に、ロケット開発を牽引。H-Ⅱロケット 8 号機
十亀:Q’
ロケットは正式にはETV(Engineering Test Vehicle)
事故では原因究明の陣頭指揮もとられました。日本の液体ロ
と呼ばれて一段目は宇宙研のミューロケット、二段目は
ケット開発黎明期の成功と失敗についての貴重なご経験を伺
NASDAが開発した液体ロケットエンジン(LE-3)を搭載し
いました。
ました。LE-3の燃料はヒドラジン系で毒性が強い点では扱
いは難しいのですが、混ぜるとそのまま火がつくので失敗が
○IHIで液体エンジンのターボポンプを研究
少ない。常温で液体のままという点でもやりやすかったと思
有田:十亀さんと言えば「生粋のエンジン屋」という印象で
います。
すが、大学では何を?
林:打上げはうまくいったんですか?
十亀:東大の教養の成績があまりよくなくて、入れそうなと
十亀:1974年 9 月と1975年 2 月の二回、種子島宇宙センター
ころで面白そうと思ったのが航空学科の原動機コースでし
から打ち上げました。一回目は二段目がダミーだったので本
た。卒業研究ではジェットエンジンの製図を書きましたね。
番としては二回目の一回だけ。高空の真空中で着火して設計
有田:卒業後の1962年にIHIに入社されたんですね?
通りの時間、燃焼してうまくいきました。うまくいかないと
十亀:せっかく大学でジェットエンジンを勉強したから、活
大変だった。NASDAの存在意義が問われるからね。これが
かすところに入りたいと思って、当時ジェットエンジンでは
N-1ロケットの第二段のひな形になったわけです。
一番大きかったIHIに入社しました。入社後しばらくは田無
○H-Ⅰロケット構想−日本初の液酸/液水のエンジンに挑戦
工場でジェットエンジンの仕事をやっていました。 4 年ぐら
したい!
いして新プロジェクトで宇宙を始めるというので配属にな
り、液体エンジンのターボポンプの研究を始めました。まだ
有田:その後、1975年 9 月にはLE-3を搭載したN-Ⅰロケッ
NASDAができていない頃です。
トの打上げが成功しました。
有田:NASDA発足は1969年なので、科学技術庁の宇宙開発
十亀:Q’
ロケットが終わった頃には次のロケット、「N改 1 」
推進本部(推本)の時代ですね?
とか「N改 2 」の検討が始まったんです。N改 1 は後のN-Ⅱ
十亀:はい。日本のロケット開発は固体ロケットから始まり
ロケット、N改 2 は後のH-Ⅰロケットになりますが、 2 つの
ましたが、将来に向けた先行プロジェクトとして推本から
グループに分かれて検討が進められました。私はN改 2 、つ
IHIが委託を受けて、液体エンジンの研究を始めたんです。
まりH-Ⅰのグループでした。
有田:具体的にどんなことをなさったんですか?
有田:H-Ⅰロケットは第二段に液酸・液水の推進剤を使った
十亀:実験です。瑞穂工場で小さなターボポンプを作って回
高性能なLE-5エンジンを搭載しています。最初から液酸/液
してました。燃料は液体酸素とケロシン。過酸化水素を分解
水で行こうと考えていたんですか?
したガスをタービンの駆動源に使いましたね。
十亀:H-Ⅰロケットには技術開発の要素が 3 つありました。
有田:当時は分かっていなかったかもしれませんが、今から
①二段目の液酸液水エンジン、②慣性誘導装置、③三段目の
思うとソユーズロケットがその方式でしたね。昔から目をつ
固体モーター。この 3 つを売りにして自主技術でやりますと。
けていたんですか?
私は液酸/液水を二段目に使って何とかエンジンの性能を
十亀:それしか方法がなかったんじゃないかな。私はグルー
上げたいと思ってました。1960年代にはアトラスセントール
プ 4 〜 5 人の下っ端で実験現場でバルブを開けたり閉めたり
ロケットやアポロ計画のサターンロケットが既に液酸液水の
しているだけでしたから。新しいことは好きだし、実験は楽
エンジンを使っていましたし、日本でも挑戦したかった。で
しかったですね。1969年から約 1 年間は、アメリカのブラウ
も技術的には難しいことも分かっていたので、それまでは
ン大学に留学して流れの計算、今で言うCFDの走りみたい
NALでも宇宙研でも研究していましたが小規模な実験しか
なことを研究して、修士号をとりました。
行われていなかったんです。何とか開発したいと希望を持っ
ている人がいっぱいいました。
○NASDAへ。液体エンジンを搭載した「オバQ」ロケット
結局、開発は二段階で進められることになりました。H-
打上げ
Ⅰロケット第二段としてLE-5が正式に認められたわけでは
有田:帰国後の1970年にNASDAに移られました。NASDA
ないけれど、「開発研究」として、まず要素をやりましょう、
から声がかかったんですか?
それがうまくいけば「開発」しましょうと。最初の開発研究
十亀:NASDAが発足した翌年で、NASDAとIHIの話合い
の予算が認められたのが昭和52年です。結構な額の予算がつ
でロケット設計グループに出向しました。本採用になるのは
きました。その意味で昭和52年は記念すべき年ですね。
2
いと考える人が多くて、日本で液体水素のエンジンなんて
有田:その昭和52年に十亀さんはロケット設計グループの主
「できる訳がない」という人もいましたね。(続く)
任開発部員にもなられましたね。まず何からとりかかったん
ですか?
十亀:ターボポンプの試験設備を作りました。液体エンジン
で一番難しいのがターボポンプで最初に予算がついたんで
す。宮城県の角田に供給系総合試験設備(FETS)を作り、
昭和54年に角田ロケット開発室の開所式を迎えました。
有田:LE- 5 エンジンに思い入れのある先輩たちは「LE-5の
悪口を言ったら許さない」という人がいるほど、思い入れの
強い人たちが多いですね。
十亀:そうなんだよね。日本で最初の液酸液水エンジンだか
ら。初めてだから試行錯誤が多くて、まず液体水素の供給の
問題から始めないといけなかった。当時は液体水素なんてロ
ケットぐらいしか使い道がなかった。それぞれの実験場で小
規模にやっているうちはよかったけれど、実機大の規模で試
験をやるには、液体水素をどこで作って、どうやって運ぶか、
という問題が浮上したわけです。液体水素は漏れたときに危
なくて、条件が揃うと爆発的に燃えてしまう。危険で恐ろし
る。そして航空旅客が搭乗する飛行機で乗る便を選ぶのでは
Arianespace en mouvement その 6
なく発着空港や航空会社が主たる選択理由になっていること
を考えるとき、宇宙輸送会社の重要性は明白である。乗り継
ぎや機内サービスが競争力につながる航空輸送と異なり、衛
高松 聖司(アリアンスペース)
星を目標軌道に投入するだけの商業打上げに運用面での工夫
インテルサットから打上げ契約を獲得し商業打上げ市場の
の余地など無いと言う人は想像力が欠如している。どのお客
可能性に気づいた欧州は次の一手を打つ。それがアリアンス
様も、信頼性が高く、性能に優れ、低価格の打上げを必要と
ペースである。アリアンの商業化のアイデアが生まれたのは
しているが、この明らかに見える「信頼性」「高性能」「低価
1977年、インテルサットの契約受注が1978年、アリアン 1 初
格」という言葉の具体的な意味がお客様によって異なること
号機打上げが1979年のクリスマス・イブ。そして翌年1980年
はもっと注目されてもよい。軌道位置の権益を失わないため
の 3 月に欧州は世界初の商業宇宙輸送会社としてアリアンス
に打上げ期限があるにも関わらず衛星の製造が遅れている場
ペースを設立した。資本金31億フラン(約4. 8億ユーロ)、従
合には、衛星出荷後どれだけ短時間で成功裡に打上げられる
業員数は約100名。CNESのフレデリック・ダレストが初代
か、が勝負となる。自己資金の調達に問題を抱えるお客様に
会長に就任した。
はファイナンスが決め手となるであろう。多数の衛星を短期
ESAでもCNESでもなく、システム設計を担当したアエロ
間で打上げてコンステレーションを構築したいお客様にとっ
スパシアル社でもなく、アリアンスペースという運用と販売
ては打上げ頻度が最重要で、一回や二回の失敗は問題ではな
に特化した会社をつくり、そこに商業化の責任を持たせたこ
い、と言うかもしれない。
とがアリアン商業化の成功の鍵であったことはもっと認識さ
このように考えると、アリアン商業化を成功させるために
れてもよい。アリアンスペースの設立はロケットの運用が開
アリアンスペースを設立したことの重要性が明らかになる。
発や製造の片手間にできるものではなく、それ単独でロケッ
欧州は製造メーカーと運用会社を分け、アリアンスペースに
ト開発と同じくらい困難で挑戦的な課題であって商業化の成
は運用会社としての責任を負わせたのである。更に欧州はア
功の可否にかかわるものだと欧州が認識していたことを示し
リアンスペースの中立性を重視した。設立時の株主は欧州を
ている。
代表する13 ヵ国の航空宇宙関連企業や銀行であったが筆頭
日本は H 2 以降、商業打上げ市場への参入に苦労している
株主はCNESであった。こうすることでお客様は、アリアン
が、商業打上げ市場で成功する要素として打上げ能力や製造
スペースが欧州の衛星メーカーに有利になるような操作をす
コストといったロケット本体の技術的側面ばかりが注目さ
るのではないか、という不安を持つ事無く、どの国のメーカ
れ、運用面での革新の必要性についての論評がほとんどない
ーの衛星でも自社のプロジェクトに最も適したものを自由に
ことが不思議でしかたがない。運用の重要性は航空輸送の例
選ぶことができる。
で考えると分かりやすい。ロケットを航空機に、射場を空港
アリアンスペースが設立された時点では確定発注はインテ
に、宇宙輸送会社を航空会社に置き換えると宇宙輸送会社の
ルサットからの一機のみ。果たして商業打上げ市場というも
重要性を理解できると思う。同じ航空機を運用していても発
のが存在するのかどうかさえ明らかではなかったが、将来の
展する航空会社と倒産する航空会社があり、また同じ航空機
お客様になる可能性がある通信事業者を残らず訪問し、通信
を運用していても 2 地点間の輸送に限定した低価格で勝負す
衛星ビジネスが成立する条件と打上げサービスが果たす役割
る格安航空会社と付加価値を持たせたフルサービスキャリア
について真剣に考えた。1981年にはアメリカ市場の重要性に
があるように、宇宙輸送には宇宙輸送なりの運用の工夫があ
対応するためワシントンD.C.に子会社アリアンスペースInc.
3
を設立した。そして日本の通信事業の自由化と将来のアジア・
がゼロと言うけれど、そうではなくて微分そのものが存在し
太平洋地域の市場にも対処するため1986年春にはアリアンス
ないと考える方が自然じゃないかな」という完璧な日本語で
ペース社東京事務所が開設された。
あった。そんな超秀才のクロードンは瞬く間に博士号を取得
したが、当時の日本企業は外国人の採用に消極的であったた
東京事務所の初代所長はジャンルイ・クロードンが務めた。
クロードンはフランスのエリート校であるグランゼコールの
め、一つだけ持っていたネクタイをしめて職探しをするクロ
アールゼメチエを卒業後、米国ブラウン大学で修士号を取得、
ードンへの風当たりは強く、結局日本企業に採用されなかっ
文部省の奨学生として大阪外大で日本語を 6 ヶ月という驚異
た彼はフランス大使館経済商務部で働くことになった。しか
的短期間でマスターし、東大宇宙研の博士課程に進んだ。同
し神様は彼を見捨てず、アリアンスペースは東京事務所開設
じころ筆者は修士課程の学生であったが、輪講会で初めてク
にあたって彼を初代代表として引き抜いたのである。
ロードンと会ったとき彼が言ったのは「高松君は境界で微分
おり、ハイブリッド推進の研究が着実に進歩していると感じ
平成26年度宇宙輸送シンポジウム参加報告
ました。
初日の夕方には懇親会が催され、今回から設けられた優秀
学生賞の授賞式が行われました。昨年度の発表が対象となっ
JAXA宇宙科学研究所宇宙飛翔工学研究系
ています。化学推進部門では、室蘭工業大学大学院 修士課
助 教 北川 幸樹
程 鈴木祥弘君「室蘭工大の小型超音速飛行実験機(オオワ
シ)の操舵空力特性」が受賞され、非化学推進部門では、横
2015年 1 月15、16日、JAXA宇宙科学研究所相模原キャン
浜国立大学工学部 学部 4 年生 吉川哲史「テフロンシート
パスにおいて、平成26年度宇宙輸送シンポジウムが開催され
供給式パルス型プラズマスラスターの実験的研究」が受賞さ
ました。この学会では、大きく分けて化学推進系と非化学推
れました。プレゼンターは元宇宙科学研究所所長の秋葉鐐二
進系の研究が発表されます。化学推進系には、固体推進技術、
郎先生で、研究発表の賞賛の辞と今後の期待が述べられまし
液体ロケット、大気吸い込み式推進、スラスタ、システム、
た。
イプシロンロケットのセッションが設けられていました。非
化学推進系には、イオンエンジン、アークジェット、ホール
スラスタ、レーザ推進、PPT、磁気セイル、推力計測などの
セッションが設けられていました。これらのセッションでの
発表総数は130件程度でした。
今回、筆者は強化型イプシロンロケットの推進系の開発状
況について発表しました。イプシロンに関してはその他、2
号機として開発中の強化型イプシロンの各コンポーネントや
射場の開発状況や計画、最終形態である進化型イプシロンの
開発構想などの発表がなされ、会場から多くの質問があり、
活況を呈していました。ハイブリッドロケットの研究発表で
は、多断面旋回流方式の実験的研究、GAP燃料の実験的研
究、WAX燃料にバッフルプレートを適用した実験的研究、
優秀学生賞授賞式の様子(左から西山先生、堀先生、
國中先生、吉川君、秋葉先生、鈴木君、森田先生)
可変旋回強度の酸化剤流旋回型ハイブリッドロケットのバル
ブ制御の手法研究などがあり、多くの新たな知見が得られて
案している国際宇宙ステーションの24年までの運用延長につ
国内ニュース
いては、16年度までに日本の対応を決め、その後の有人宇宙
活動は「厳しい財政制約を踏まえ、慎重かつ総合的に検討す
政府の宇宙開発戦略本部(本部長:安倍晋三首相)は 9 日、
る」との表現にとどめました。(1/9 山陽新聞)
首相官邸で会合を開き、宇宙安全保障の確保を政策の重点課
題に掲げた新たな「宇宙基本計画」を正式決定しました。宇
政府は 9 日、2015年度から10年間の宇宙政策の方針などを
宙産業の海外展開戦略の強化を狙い、民間の有識者も加えた
定めたあたらしい宇宙基本計画を決定しました。衰退の危機
会合を設置し、官民一体で市場開拓に取り組みます。H2A
に追い込まれていた宇宙産業の強化と、安全保障分野での人
ロケットの後継となる次世代ロケットは2020年度に 1 号機を
工衛星整備など宇宙利用促進を両輪として推進を図ります。
打ち上げる予定。固体燃料を使った小型のイプシロンロケッ
宇宙関連メーカーの投資を促すと期待され、宇宙産業の立て
トは15年度にも打ち上げ能力を向上させ、宇宙科学や探査に
直しと成長を狙います。産業振興では今後の衛星やロケット
用いる衛星は中型 3 基、小型 5 基を打ち上げます。米国が提
について打ち上げ基数や年度を工程表で具体的に示すこと
4
で、企業が投資しやすい環境を整えた点が画期的です。H2
焼を開始しました。打上げから約10分後にドラゴン補給機が
Aなどを手掛ける大手メーカーの三菱重工業は、「宇宙利用
ロケット第 2 段(上段)から分離されて所定の軌道に投入さ
を取り巻く環境変化に対応した具体的な有効活用の方策が示
れました。その 1 分後、ドラゴン補給機の太陽電池を展開し
されている」と評価。新計画では新しい基幹ロケット(仮称
ました。その後 2 日かけてISSに到着します。ドラゴン補給
「H3」)の開発が盛り込まれました。(1/10 日本経済新聞)
機によるISS物資商用輸送はこれで 5 回目とのことです。一
方、SpaceX社は分離した第 1 段を自律的に大西洋上の船に
三菱重工業とJAXAは27日、政府の情報収集衛星・レーダ
着船させることを試みましたが、軟着陸は失敗に終わりまし
ー予備機を搭載したH2Aロケット27号機を29日午前10時21
た。(1/10 SpaceX)
分、種子島宇宙センターで打ち上げると発表しました。情報
収集衛星は北朝鮮の弾道ミサイル発射を受け、平成15年に導
入した事実上の偵察衛星。光学衛星とレーダー衛星の各 2 基
が稼働しており、地球上のどこでも 1 日 1 回撮影できます。
開発費は228億円、打ち上げ費用は105億円。打ち上げを行う
三菱重工の平嶋秀俊射場チーム長は27日の会見で「自信を持
って準備を進めている。必ず成功させたい」と話しました。
(1/28 産経新聞)
三菱重工とJAXAは、29日午前に予定していたH2Aロケ
ット27号機の打ち上げを、天候上の理由で延期すると発表し
ました。ロケットは情報収集衛星の「レーダー予備機」を打
ち上げる予定でした。打ち上げ時に、種子島宇宙センターの
上空に氷の粒を含む雲がかかり、雷が発生して電子機器が故
障する恐れがあるとのこと。打ち上げは31日以降になる見込
み。(1/29 読売新聞)
JAXAは28日、昨年12月に打ち上げた小惑星探査機「はや
ぶさ 2 」の現状を公表しました。初代はやぶさでは故障した
イオンエンジンなどの正常な作動を確認でき、「現在まで大
変順調に推移している」とのこと。(1/29 朝日新聞)
ファルコン 9 ロケットの打上の様子 (c)SpaceX
JAXAと三菱重工は29日、同日午前に予定していたH2A
1月21日(GMT、以下同)、米United Launch Alliance(ULA)
ロケット27号機の打ち上げを 2 月 1 日午前10時21分に延期す
社は、米海軍の新世代移動体軍事通信衛星システム「Mobile
ると発表しました。発射場の種子島宇宙センター付近の上空
User Objective System(MUOS)」3 号機(MUOS-3)のアト
に、ロケットが通過する際に雷が起きやすい雲の発生が予想
ラスV(5)ロケットによる打上げに成功しました。MUOS-3
されたため。 1 日は晴れ時々曇りの予報で、打ち上げ支障が
は、打上げから約 2 時間53分後に同ロケットから分離され、
ないと判断しました。ロケットは政府の情報収集衛星レーダ
所定軌道に投入されました。MUOS-3はアトラスVロケッ
ー予備機を搭載しています。(1/30 フジサンケイビジネス
トで打ち上げたペイロードとしては最も重いペイロードです
アイ)
(約7.5トン)。この打ち上げはセントール上段の200回目の
打ち上げとなりました。アトラスVはEvolved Expendable
Launch Vehicle(EELV)551形態で,直径 5 メータのペイ
海外ニュース
ロードフェアリングを装備し、アトラスブースターに 5 基の
Aerojet Rocketdyne製固体モータが搭載されています。ア
1 月10日、米SpaceX社は、ケープカナベラル空軍ステー
ト ラ ス ブ ー ス タ ー に はRD AMROSS製 のRD-180エ ン ジ ン
ション40番射点からの、ファルコン9 v. 1. 1ロケットによる
が、セントール上段はAerojet Rocketdyne製のRL10C-1エ
ISS物資補給機「ドラゴン(Dragon)」の打上げに成功しま
ンジンが用いられています。この打ち上げは2015年における
した。打上 3 分弱後,ファルコン 9 のMerlinエンジン 9 基が
ULAの初打ち上げであり、アトラスVとしては52回め、アト
燃焼終了し、第 1 段と第 2 段が分離されました。その少し後
ラスV551形態としては 5 回めの打ち上げになります。(1/20
に、第 2 段のMerlin Vacuumエンジンを点火し、 7 分間の燃
ULA)
5
1 月31日、米United Launch Alliance(ULA)社は、デル
タ 2 ロケットによる、NASAの土壌水分観測衛星「SMAP
(Soil Moisture Active Passive)」等 5 機の衛星の同時打上げ
に成功しました。(1/31 ULA)
アトラスVロケットの打ち上げの様子 (c) ULA
1 月26日と28日に、NASA は,米アラスカ大学が所有す
る観測ロケット用の射場 Poker Flat Research Range から、
Terrier-Improved Malemuteを 含 む 3 種 類 5 機 の 観 測 ロ ケ
ットの打上げに成功しました。打上げ目的は、オーロラを
デルタ 2 ロケットの打上げの様子 (c) ULA
生じる太陽風と地球大気の相互作用が気象や大気に与える
《編集室より》
影響を研究するためとのことです。(1/28 NASA Sounding
2015年、あけましておめでとうございます。本年もよろし
Rockets)
くお願いします。
より良い紙面作りのため、会員の皆様の建設的なご意見や
投稿希望の原稿等をお待ちしておりますので、今後ともよろ
しくお願いします。また、日本ロケット協会では、下記公式
ホームページ及び、Facebookにおいてニュースのリンク先
等の情報を更新しております。
公式ホームページのURL http://www.jrocket.org/
FacebookのURL
https://www.facebook.com/JpnRocketSociety
ロケットニュースと合わせてご覧頂ければ幸いです。
▶ロケットニュース編集担当理事 嶋田 徹
〒252-5210 神奈川県相模原市中央区由野台 3−1−1
宇宙航空研究開発機構 宇宙科学研究所
e-mail:[email protected]
No. 593
ロケットニュース
発 行 ©2015
日本 ロケット協会
編集人 嶋 田 徹
発 売 三 景 書 店
Poker Flat Research 射場からのNASA観測ロケット
4 機の打上げの重ね撮り (c)NASA/Jamie Adkins
印 刷 愛 甲 社
6
平成27年 1 月31日発行
(定価 300円) 〒100-0003 東京都千代田区一ツ橋 1-1-1
パレスサイドビル2F
株式会社 毎日学術フォーラム
TEL 03-6267-4550 FAX 03-6267-4555
〒101-0038 東京都千代田区神田美倉町 1
大松ビル
振替・東京 171960 Phone 03-3252-2149
〒161-0031 東京都新宿区西落合1-26-6
Phone 03-3952-4466