Page 1 Page 2 民主主義的中央集権制度 一般論 問題 諸経過 補論

Title
民主主義的中央集権制度
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Citation
商学討究 (1996), 47(1): 1-15
Issue Date
URL
倉田, 稔
1996-07-31
http://hdl.handle.net/10252/1156
Rights
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民主主義的中央集権制度
倉
田
稔
目 次
序
一般論
問題
諸経過
補論
矛盾の拡大
結論
実現 可能性
序
1
9
9
1
年 に,ソ連 とソ連共産党が倒 れた。この原因は,社会主義 には本来 あるま
簡単
じき,支配 ・被支配関係, 「階級」の存在,つ ま りノーメ ンクラ トゥーラ (
に言 えば,社会主義社会 における新 しい支配階級)1)の存在であった。あるいは,
権 力を握 った政党が正 しく行動 しなか った ことで もある。 さらに言 えば, ソ連
に,一般民主主義的代議制度がなかったこと,また一党支配,に求め られ る。ち
なみに, 1つの国で一般民主主義的代議制度がな く,一党支配であれば,権 力 を
握 った政党 は,民意 を入れた正 しい政治的行動 を行 うのは難 しい し,長期的 には
それがで きない。この制度の下では,下か らの,民衆 か らのチェック機構がない
1)ヴォスレンスキー 『
ノーメンクラツーラ』中央公論。
〔1〕
2
商
学
討
究
第4
7巻
第 1号
か らである。
以上 は,ソ連が倒 れた主要な原因であるが,歴史的にいうと,レーニ ンの憲法
制定議会解散,そ して左派エス・
.
Lルの閣外-の追い出 し,スター リンによる政
権の悪運営にある。
ただ し,副次的原因 として,民主主義的中央集権制度の悪 しき運用 に もあっ
た。ただ し, この 「
民主主義的中央集権制度」という組織原則の問題 は, ソ連 と
ソ連共産党の崩壊の重要な問題の うちの一つにす ぎない。たが現在,多 くは,こ
の問題 を論 じていないので,逆 になお,これを論 じるのは重要だろう。それにま
た,反省の意味 もあって, これを検言
寸しておきたい。
民主主義的中央集権制度は,民主集中制 と略称 される。それゆえ,以下,本稿
で も,そう略称する。それは,前衛党の組織原則であるとされる。しか しそれは,
多かれ少なかれ,種 々の政党や団体 にも採用 されることがある。
例 えば, 日本のある民主的な研究団体 (
例 えば全生研)は,「
民主的集団 とは,
民主集中制 を組織原則 とし,-
・」
と言っている。だがこれは,何 も分かって
2)
いないことが,分かる。
理論的に,建て前で言って,民主集中制は,正 しい,あるいは正 しいことにな
っている。 しか し本稿では,実際上の制度 を取 り扱 う。
そこで,以下は,複雑な表現 となって申 し訳けないが,本来あるべ きものでな
一重鈎括弧)を付けて,
く,一
そ して現実に行われている民主集中制には, 「 」 (
「
民主集中制 」としてお く。それだけでは,見落 とされるので,この, とか,覗
実の,誤った,問題の,という修飾語 をつける。つまり,悪 しき制度であ り,こ
こで問題 とす る方の制度である。一方,建て前 としての民主集中制は,括弧な し
で,表現 してお く。
2)全生研常任委員会 『
学級集団づ くり入門』第 2版明治図書
1
974
年 ,5
6
,55ページ。
民主主義的中央集権制度
3
一 般 論
民主集 中制は,普通 まず,組織 内で,あるいは政党内で,下部が上部 に従 うと
いうことであ り,次に,下部が民主主義的に上部 を選出す ることである。前者が
中央集権的,後者が民主主義的 というわけで,民主主義的中央集権制度 といわれ
る。
他 に も色々規定 され る。小数が多数に従 うと表現す ることもで きる3
)
。みんな
で決めて,みんなで実行す る,とも言える。これ らは しか し,かな り表面的であ
る。其の問題 は とらえられない.ルイ・
アルテュセールは,民主集中制 をこう規
定 している。
「
党組織 の各段階 (
細胞,次いで地区,堤,そ して大会)で,諸決定は規約 に
もとづ き自由に討議 され,民主的に採用 される。ひ とたび党大会で,採決 されれ
ば,決定は行動面ですべての党員の義務 となる。この規律 を受 け容れ さえすれば
自分の意見 を保持す ることがで きる。」
4)
アルチュセールの規定 ・
定義は,伝統的な ものである。私 は しか しこれ以上 に
詳 しく,民主の部分 を考 えたい。
組織 内で,あるいは党内で,指導部の決定 を守 らない と何 にもな らない し,何
のために結束 しているのか意味がな くなるわけだか ら,この組織原則 は,ある意
味では当然である。だか ら,意図的であれ または非意図的であれ,強い度合であ
れ弱い度合であれ,この原則は,政治の世界で も,それ以外の世界で も,種 々の
組織 ・
団体で利用 される.こうして抽象的一般的には,この原則 は否定で きない。
理論の上で,紙の上では,正 しいのである。
さて問題 は,具体的な「
民主集中制」である。これをここで論 じるものである。
民主集中制は,だいたい,マル クスが主張 した とされ るもので,「
共産主義者
3)若林
『
新版現代の前衛党民主と集中』新日本出版 1
97
8
年。
4)ルイ・
アルチュセール 「
第二二回大会」 (
E.
バ リバール 『
プロレタリア独裁とはなに
か』新評論 1
97
8
年,所収)
,2
51ページo
4
商 学 討 究 第4
7巻 第 1号
同盟」の規約 に書かれ5),運営 された とされ る。 しか し実際に,当時本 当に民主
主義的に実施で きたのか どうかは,分 か らない。多分 そ うではなか っただろ う
と,私 は推測す る。ついで,レーニ ンが ロシア社会民主労働党 ポル シェヴ イキ派
で,これ を採用 した。「
革命党 にふ さわ しい組織形態 として民主集中制 を導入 し
たのは, レーニ ンである.
」と,アルテュセール は言 う6
)
。その後,ロシア共産党
で もそれは引 き継がれ る。
問 題
民主集 中制は実際は,「
民主」 (
-民主主義的)とい う部分 で問題 になる。 また
問題 に しなければな らない。なぜ な ら,後者の中央集権制 (
集中制)は, ある意
味では,またはどこで も,黙 っていて も,実現 され るか らである。だか らここで
は,それ,つ ま り前者 を,民主主義の部分 を,原理的に探 ってみ る。
概 して現実の歴史上の運動体では, あるいは現実の 「
民主集 中制 」 によれば,
役員への立候補がなされない。これが まず初めの問題点で,かつ疑 問点である。
次 に,選 出され る役員数 にたい して,推薦 され る候補者が同数であるこ とであ
○ ×-マル ・
る。その彼 らが,
.一般大衆 によって,投票 によって,信任 され る (
バ ツをつ ける)のである。 あるいは信任投票 をす る。
一
以上の点か ら見 て,現実の 「
民主集 中制」が,本来 あるべ き, あるいは常識で
考 えられた民主制 とは異なるこ とが分か る。つ ま り少 な くとも,我々が知 る議会
のあ り方 とは違 うのである。民主主義的選 出 というものが,立候補 を禁止 し,当
選者 と被推薦者の数 を同 じにす ることだ,というこ とが,民主主義の原理原則で
あるとは思 えない。逆ではないだろうか。つ ま り民主主義的でないのではない
か。立候補 を認めて,かつ当選 人数 よ りも候補者数が多 くない と,普通で言 う選
5) 『
マルクス・
エンゲルス全集』第 4巻大月書店,所収Cこれには,民主の部分がほと
んど規定されていないoだから実際に民主の部分,つまり,役員の民主的選出がどの
ようになされたのか,はっきりしない。
6)アルテュセール,同 254ページ。
民主主義的中央集権制度
5
挙 ・選出にはな らないだろう。 こうして,だか ら,「
民主集中制」は間違 いでは
ないか。
さて最大問題 は,次である。 こち らの方が重要である。現実の 「
民主集中制」
では,中央 (
-上級)指導機関の役員が,その機関の レベルで,あるいはその上
の機関で,選定 され る。そ して中間指導機関の役員が,その機関の レベルで,あ
るいはヨリ上級の・
中央の指導機関で選定 され る。また下級の機 関の役員が,そ
の レベルで,あるいは中級指導機関で,形作 られる。つ まり,候補者が選ばれる
のは,下か らではない。上級あるいは同級の機関が,相談 しあって候補者 リス ト
を決めるのである。問題 はこれであ り, またここにある。
決め られた候補者 は,もちろん民主主義的に,下部の人々によって,建て前で
は,承認 され る。具体的に言 えば,信任投票 をされ るのである。ところで,候補
者 と当選す る役職者の数は同 じだか ら,この候補者たちは,おそ らく全員 当選す
ることになる。あるいは,落選す ることはほとん どあ りえないであろう。例 をあ
げれば,日本の最高裁判所裁判官の国民審査がそれである。その候補者は否決 さ
れることはないだろう。
こういうわけで,実は最大の問題が ここにある。つ まり,このシステムによっ
て,現実には,候補者 を上部機 関あるいは同級機関が決めて しまうことである。
実際は上級機 関だろ う。上部機関が下級機関の役員 を決めて しまっては,民主主
義の名に値 しない。民主主義の原則か ら言えば,役員は,一般大衆 あるいは下部
構成員 によって選出されるというのが,当然であろう。
問題 を繰 り返 そう。
先に述べた,この,全員 当選す るとい うのが,問題点である。それは 2つある。
1つは,こうである。傾向の好 ましくないない人が組織 内の役員任命で落 ちる・
落選す るということは,民主主義的な組織内では必要である。それによって役員
層が改善 され る (
改悪 されることもあるか もしれない)
。それによって,その組
織体の方向が変わって行 くのである。だがそれは,現実の 「
民主集中制」では,
ほ とん ど起 こ り得ない。
2つ 目,次にこれが重大である。役員たちは,結局,上部の推薦が大切だ とい
6
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第4
7巻
第 1号
うことが,分かって くる。上部に推薦 されない と役員 にはなれないわけだか ら,
いつ も上部機関の意向を伺 うことになる。 ある役員が愚かでないか ぎ り,党本
部・
組織 中央部の傾向には逆 らわない方が得策だ と,彼 は考 えるだろう。換言す
れば,役員たちは,一般的な下部の組織構成員たちの事 を考 えないで,上級機関
に顔 を向けて しまうのである。その組織体か ら給料 を貰 って生活 している役員,
そこか ら排除 された ら外 に就職の場がな くて困るとい う人々に とっては,なお
さら深刻で,重大である。
こうして現実の 「
民主集中制」は,形式は民主主義的であるが,初めの理想 と
は違 って,上部 による下部の支配 となる。これが,組織内官僚制 を生むのである。
だいたい常識で考 えて もわかるだろ うが,ある役員層 をその上部役員 たちあ
るいは同級役員たちが選出 していた ら,一体 どういうことになるだろ うか。形式
上 は下部か らの信任だが,上部か らの指名 ・決定 と同 じである。
革命党の指導者が長い間指導者でい られ るのは,実はこの 「
民主集中制 」のお
かげである。北朝鮮の金正 日 (
キム・ジ ョンイル)が父親の跡 を継 いだの も,そ
の一原因は 「
民主集 中制」であるO
ルイ ・アルテそセールは, フランス共産党 を対象に して,それを取 り上げて,
言っている。ちなみに彼 は,下の文の執筆時 に,フランス共産党員であった。
「
最下端・
に,党員か らなる国民がいる。彼 らは,彼 らの細胞 と地区党組織 のな
かで 自由に討議す る。彼 らは≪
主権者たる国民≫である。だが,専従活動家が掌
握 している児書記局の段階に達す ると,≪主権者≫ももう先へ進めない。越 えら
れない溝がある。そこか ら先では,機関が下部に優先する。
」
「
国民たる下部の意志は,選挙 において表明 され るが,この選挙 たるや,超反
動的な形式 (
大会代議員の場合,三段階の多数決投票)で, しか も 「
候補者選考
委員会」・・・・の厳重な監視の もとに行われるのである。」
7)
7)
アルチュセール 『
共産党のなかでこれ以上続いてはならないこと』新評論,1
9
7
9
年
7
9ページ。
7
民主主義的中央集権制度
「
軍隊式の縦割 り構造のモデルか らは, とりわけ,上部の選考指名 を選挙 に見
せかけることがで きるという,少なか らぬ利点が得 られる。 というの も『
秘密投
票 による選挙』という体裁 をとってはいるが,細胞の場合 を除いて,大多数の幹
部の選出は,選考指名 によって行われているか らである。 ・- - 指導部の政
治的支配の再生産のみな らず,指導部 自体の再生産が可能になる。指導部の再生
産の幅の狭 さゆえに,事実上彼 らの更迭 はあ りえな くなる。た とえ彼 らが どんな
失敗 を犯 そうが, また ときにはどんな政治的破産・
--に導 こうが,である。」
8)
「
指導部が依拠 しているのは,中央委員会7
)
正規のメ ンバーだけではか 、
。中
央委員会の専従勤務員や協力者 といった,あ らゆる種類の官僚 -
選挙 された
のではない,能力あるいは人脈 にもとづ いて,いつ も選考指名 によって任命 され
る,あの蔭の人々-
の強大な, しば しば隠れた力 と,それにあ らゆる分野の
専門家 にも支 えられているのである。
」
ついで,絶対的な縦割 り構造について,アルテュセールは言 う。
「
軍隊の階級制度のそれを想起 させ るこの縦割 り構 造には,二つの効用があ
る。第 1に,すべての下部党員 を,彼の所属す る細胞か ら地区党組織,さらにそ
の上の県党組織 と中央委員会- と通 じる,狭い吹抜け[
柱 とか列 という意味,過
路 とで も言 うとよさそ うである-
引用者]のなかに閉 じ込める。 この ≪
上が
り通行≫を制御す るのは,専従幹部である。彼 らは,中央の決定を考慮 しつつ下
部の寄与 を慎重に選 り分 ける。第 2に 代議員 になって地区党会議 に出席 す る
場合 を除けば,下部党員は他のいかなる細胞の党員 ともどんな関係 を保つ こと
はで きない。他の細胞 は別の吹抜けに所属す るか らである。≪
横≫の関係 をうち
たて ようとす る一切の試みは,今 もなお≪
分派活動≫であるとされ る。他方,≪
上
が り通行≫は県党組織 どま りで,中央 にまで達することは中央の承認がない限 り
決 してあ りえないが,その代 わ り,同 じ吹抜 けによる≪
下 り通行≫はいかなる障
害に もぶつか らない。上部の指令 はすべて下部 に到達す る。」
8)同,8
2ページ。
9)同,8
2ページ.
9)
♂
商
学
討
究
第4
7巻
第 1号
民主集中制 を採用す ると言って豪語す る組織や政党は, もしそ う言 うのであ
れば,上部が下部 を決め ることを止めるべ きなのである。
諸 経 過
レーニ ンの民主集中制にたい して,トロッキーは,有名な批判 をしたことがあ
る。代行主義である。ポル シェヴ イキ党員の意志 を中央委員会が代行 し,中央委
CTa
員会 を 1人の個人が代行 して しまう,と。トロッキーの予想は,スター リン(
CTaJ
I
HH, 1
879-1
953) の登場 に よって,ぴ った りあたって しまった。
ポル シェヴ イキ党で も,集会 を開いて民主主義的 に指導者 を選 出 しようと
い う反省 は,一度 あった。1905年革命 (
ロシア第 1ブル ジ ョア革命)の時で
1
917年 2月)以前の時代 は, ロシア第一次革
あった。同党 は, ロシア革命 (
1
905
年)の時期 を除いて,事実上非合法政党だ ったか ら,本来の民主集
令 (
中制 を実行す るのが難 しか った。そ して,それは しかたがなかった。しか し,
革命 (
1
91
7年 1
0月)が成功 した ら,党内の役員がデスクで役員 を決 め る必要
はな く,役員 を大衆集会 で民主主義的 に選 出 して もよか ったのである。 ある
いは もちろん,組織 内の通信制度 に よって選 んで もよい。
しか し, ロシア革命後, この重要 問題 は忘れ去 られて しまった。 それ どこ
ろか, この悪 しき 「
民主集 中制」 を利用 し,画策す る陰謀家が出て きた。ス
ター リンだ った。
スター リンは, この 「
民主集 中制」の弱点 を完全 に知 り,党 内支配 を完成
す るので ある。誰で も知 ってい るように,彼 は人事 を握 ったのである。悪 し
き 「
民主集 中制」 を利用すべ く,彼 は 自分 に都合 の よい部下 を配置 した。 こ
の 「
民主集 中制」がなければ, スター リンのあの悪虐 な歴史 はあ りえなかっ
た。 「
民主集 中制
」
は,最高指導者の独裁 を可能 にす るので ある。 なに しろ,
上部が下部 を支配す るわけで ある。その上,下部 は上部 を選べ ない。そ して,
その上部 は, その 上ソプ ・リーダー によって支配 され るのである。 こうして
最高人物 は絶対権 力 を握 れ る
民主主義的中央集権制度
9
ので ある。スタ- リン時代 で言 えば, 「
書記長独裁」1
0
)
が可能で ある。 また実
際, スター リンはそれ を, もののみ ご とに実現 したので あった。
この民主的で はない 「
民主集 中制」 は,概 して,組織 内官僚制 を作 る重要
な道具で ある。おそ ら く,抜 け目ない指導者 は, これ をよ く知 ってい ると推
察 され る。知 らないの は,一般 の下 っ端党員 であろ う。
ソ連での選挙 も,奇妙 な ものであったO ソヴ イエ ト議員選挙がその一例 で
ある。 ソヴ イエ ト (
-評議会)議員の選 出では, ソ連共産党がその議 員候補
者 を決定す る。 それ を国民が信任す るとし
†うものであった。国民 は信任投票
をす るため に選挙場 に足 を運 んだ。
現 実の 「
民主集 中制」 を打破 しようとい う試みは,歴史的 には二度 しかな
か った。 「ポー ラン ドの夏 」 (
1
9
8
0
年)の時, ポー ラン ド労働者党カーニア第
一書記が これ を試 みた。議会だけでな く,党内で も,多数の立候補者 を立 て
て,それ を選挙で選 出 したので ある。しか しこれは数 カ月で終 った。つ ま り,
す ぐ,ヤルゼルスキー元 帥の戒厳令 によって,終 って しまった。 これ以外 に
あ りうべ き民主集 中制 は実現 したこ とがない。ただ し,かつてイタ リア共産
党が 「
民主集 中制」 を取 り下 げたことがあ る。
この 「
民主集 中制」
, あるいは 「
民主集 中制」の弊害 をな くす には,一つ は,
役員-の 自由立候補制 ・推薦制であ り,表現 を変 えれば,役員数以上 に候補
者が立候補 す るこ とで ある。二つ は,上か らの惑 しき推 薦者名簿作 りをやめ
ることであ る。 その機 関 と同 じ水準 の機 関お よびそれの上部機 関が役負候補
者名簿 を作成す るこ とを拒否す る, とい うことである。 あるいはまとめて言
えば,下部が上部 の役員名簿 を作 る, あるいは上部役員 を推薦す るとい うこ
とで ある。 これが ない と,下部が民主主義的 に上部 を選 出す るとい う,民主
集 中制の よい点 (
民主主義) は実現 で きない。 この二つ を しっか り行 う必要
があ る。
1
0
)スターリンが書記長になったのは,1
9
2
2
年であるが,その時,まだ全権力は実際には
振っていない。この時,書記長という職責は,それほど重大ではなかった.スターリ
ンは全権力を1
9
2
8
年ごろに握った。
1
0
商
学
討
究
第 47巻
第 1号
一般 に人間集団における官僚的組織は,例 えば,軍隊 ・
教会 ・
株式会社そ して
国家 (
または地方 自治体)
行政機関に代表 され る。これ らはなぜ そう言われ るか,
あるいはそうなるか と言 えば,もちろん,下部が上部指導者 を選出 しないか らで
ある。すべて上か らの任命である。
この間題の「
民主集中制」を採用 した組織 は,信任投票がある点が違 うだけで,
実はこれ らの官僚組織 とほ とん ど全 く同 じなのである。こうして,この制度 によ
れば,官僚制 を,おずおず としてではあるが,作 ることになる。ここで信任投票
が,民主主義 にとってまずは役 に立たないことは, 自明である。せいぜ い,「
な
いよりはまし」というだけである。実際は,民主主義のカモフラージュだ と,私
は判断す る。この「
民主集中制」と官僚制 との違 いは,役員選出に関 して言えば,
意味のほ とん どない形式的民主主義 を もっているか,民主主義 を全然持 ってい
ないか,の違いだけである。
概 して,ある組織 のメ ンバーが 自分達の指導者 を,信任投票でな く,普通の選
挙で選んで, どうして悪いのだろうか。
補
論
1.付随的議論 にそれ るが,ソ連史 において,党内分派 を認めない という制度が
あった。これは,タロンシュタッ ト反乱の時,レーニ ンが一時的措置 として釆
認 した ものである。これ を,スター リンは永久化 して しまった。さて,党内分
派 を認めない ということは,書記長-最高人物の独裁が可能だ,ということで
●
ある。少な くて も多数派が有利である。あるいは党本部が独裁 をす ることがで
きる。もっとも,スター リンは分派禁止 と言いなが ら,御本人は,党内分派 11)
を自ら作 っている。だか ら, これは欺 まんなのであった。
組織体の内部で,い くつかの潮流が生 まれ る。これは自然なのである。全 く
同 じ思想 をもった人間がいるはずがないか らである。そ して組織員 は,その
ll) トロイカ.ジノヴイエフ,カーメネ7,スターリンによる,トロッキー追い落 しの陰
の分派である。
民主主義的中央集権制度
l
l
上,生活 ・
経歴 ・職業 ・階層が違 っている。 これ らが 自由に討論 しあい,考 える
ことが必要であって,それがない と,組織体 とその決断 に生命がな くなる。これ
らの似たようなグループ を潮流 と見れば,組織的分派 は問題外 として も,討論 ・
思想 ・交流 ・通信の点では, これ らの潮流 は認めた方が よいのである。
2.組織体では,役員-執行部員 と,代議員 とがある。
代議員の問題 について,アルチュセール は言 う。フランス共産党の例だろう
が,「
代議員は多数決投票 で選出される。
」と。しか しこれは他の国の共産党では,
そうともか ざらない。 この点でフランスでは進んでいる。彼 はこう続ける。
)を経 て行われ るこの
「
だが (
細胞-地区,地区-.
県,.
輿→大会の)三段階 (!
多数決投票 は,≪それ 自体≫ とくに ≪
民主的≫ではない し, また事実,結果的に
大会全体での一切の差異 を排除す ることになる ・・・・」1
2
)
労働組合で も,代議員が多数決で選ばれ ることがある。役員 -執行部員の選
出 と比べれば,それで も民主的である。アルテュセール は,それで もとくに民主
的ではない,と言 っている。だか ら,多数決で もな く選ばれ る役員-執行部員は
どれほど非民主的 となるだろうか。
矛盾の拡大
実は,政党が野党である場合は, この間題の 「
民主集中制」を採 っていて も,
その組織 内で民主主義があまり実現 しない とい うだけであって,大 したことは
ない。それに加え,野党が政権 を取ろ うという場合,あるいは政権 をまだ取 って
いない時は,組織内のエネル ギーをうま く発揮 しようと考 えているか ら,その野
党は創意工夫 をこらす。そのため,官僚的組織であって も,どうにか うまくゆ く
場合 もある。
それにまた,その野党が非合法組織であれば,民主主義 を実現す るのは危険な
場合がある。それには,ロシア革命以前のポルシェヴ イキ,戦前の 日本共産党,
1
2)アルチュセール 「
第二二回大会」同,253ページ.
1
2
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学
討
究
第 47巻
第 1号
解放戦争時代のアルジェリア解放戦線など,無数の例があが るだろう。上部役員
を選ぶために,1つの会場 に集 まって,民主主義的に評議 して,選挙で決めると
いう間に,警察 に捕 まって しまうだろ う。 しか し組織体が十分合法的 となった
ら, もう組織 内民主主義 を実現 して もよいだろう,つ まり悪 しき 「
民主集中制 」
は捨て去 ってよいだろう。
実は, この 「
民主集中制」を採 っている政党が権力を握 った時,その時以降,
これが大問題 になるのである。官僚政党が,国家を握 って,つ まり国家行政を執
行するか らである。国家行政の執行 には,好む と好 まざるとにかかわ らず,官僚
が必要だ し,その運営は官僚的に行わざるをえない。その政党が官僚的でないと
して も,官僚的にな りがちである。その政党が悪 しき「
民主集中制 」によってす
でに官僚的であったとすれば,権力を握 ってか らはます ます官僚的にならざる
をえない。官僚制が,いわば倍加するわけである。
結
論
イタ リア共産党が 「
民主集中制」を放棄 したの も,この 「
民主集中制」が官僚
制 を生むことをヨーロッパの人々は認識 しているか らである。普通は,現実の
「
民主集中制 」を民主集中制 と取 り間違えて しまう。つ まり,この間題の区別 を
飛んで もない」と言 って,育
知 らない人は,この 「
民主集中制 」の取 り下げを 「
筋 をたてて怒 るだろう。建前の民主集中制 と,現実の 「
民主集中制」とは,全 く
違 うのである。この違いを理解 しようとす る人は,ほ とん どいない。その上,役
員たちは,民主集中制が恐ろ しいので,実現 した くはない。彼 らはこの悪 しき「
民
主集中制」に しがみつ くだろう。 この 「
民主集中制」は,組織 人にとっては有難
い制度である。彼 らの地位 を守って くれる。しか し彼 らにとって,あるべ き民主
集中制は危険である。
こうして,あるべ き民主集中制は採用 して もよいか もしれないが,悪 しき「
民
主集中制」は採用 したら間違いである。す くな くとも組織 内民主主義 にとって
は,そうである。
民主主義的中央集権制度
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この悪 しき「
民主集中制」を採用 している集団が, どんなに自由や民主主義 を
唱えて も,一般大衆 は,羊の皮 を被 った狼だ と思 うのであって,本当にはその集
団を信 じない ものである。そ して大衆 は,これを本能的に知 っている。このこと
は,大衆がその集団 自体 にたい して反対 していることとは別物なのである。その
集団が立派であるとか, よい歴史 をもっているとか,正 しい政策 ・
方針 を持 って
いるとい うこととは別物 なのである。
あるいは,表現 を代 えれば,外 にたい して言 う自由 と民主主義 と,組織内部で
行われている自由 と民主主義 とは,違 うものなのである。外 にたい してそれを言
うならば,内において もそれを実現 してお く必要がある。
一般的 に, この 「
民主集中制」を採用 している組織体は,その区別が 自分で全
く分か らない。つ まり民主集中制 とこの実際の 「
民主集中制」の区別がわか らな
い。実は分か りた くないのだ。実際は,分かっていて も敵視 したいのか もしれな
い。甘 く言 えば,組織間題 に気が付いていないか らである。つ まり,正 しい方針
をもっているか ら正 しいのだ,と自ら信 じている。大衆か ら批判 されて も,その
方針 ・政策が批判 されていると思 い込むのである。実は全然違 うのである。
ソ連が崩壊 した小 さな原因は, この誤 った 「
民主集中制」である。
実現可能性
さて最大の問題,民主集中制が実現で きるか どうか,である。私 は,悲観的で
ある。国民の政治性が非常に高 くない と, これは採用 されないだろう。
それに,現実にはほ とんど,誤 った 「
民主集中制」が実行 されているだけであ
って,正 しい民主集 中制が実現 されたことがほとん どないのは,実際に人類 には
これが実現で きないのか もしれない。
しか し,普通の団体だった ら,役員の選出は民主主義的に行 っているし,行 え
るわけだか ら,で きないわけで もない。それに,前述のポーラン ド労働者党のカ
ーこア第 1書記が試みたのだか ら,その気があれば,で きな くはないだろう。
それに,本論 は リトマス試験紙 にな りうる。この主張 をとんで もない と思 うよ
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4
商
学
討
究
第4
7巻
第 1号
うであった ら,悪 しき 「
民主集中制」は改善 されることはない。
労働組合が意識的に民主集中制 を採用 しているとは思 えない。 しか し無意識
的には,民主主義的に しようとしている。だか ら以下は,例 としては十分適 当で
はないか もしれない。だが実際は例 として興味深 いので,述べてみ よう。
普通 は,職場の労働組合では,役員の立候補 ・
推薦制 を採用 し,信任投票 され
る。だが普通 は立供給は極めて少ない。 したがって執行部が役員候補 を推薦 し
て,立候補の形 をとらせ る。一方,執行部員ではな く,代議員は,職場では多数
決 による選出であろう。
労働組合の ように組織がゆるやかで も,この程度だか ら,職業的な政治組織 で
は,「
民主」の部分 は一層実現 しに くい。職業的政治組織 では,給料がか らみ,
つ まり財政問題がか らみ,地位 ・身分 ・権力がか らむか ら,複雑である。 さて,
一つには,ここで言 うような民主的選挙で選出す る場合,あるいは,当選者 より
も候補者の方が多 くなければな らない とすれば,委員 ・
当選者 になれなかった職
業活動家 をどうす るか,という問題が出て くるか らである。これ らの人は,しか
し委員ではな く,本来,専従活動家 として温存せ ざるをえないだろう。だが こう
いうきめ細かいや り方は,実は極めて重要なのであるが,面倒だか らとい う理由
で採用 しないのではないか。こうして,車乗の民主集中制が実現 されない,と思
われ る。
国際的にみたな らば,事情 は絶望的である。例 えば,カンボジアでは, (
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990
年代の前半ではあるが)
,人は普通の議会選挙です ら,その意味が分か らないほ
どである.
・
政治的に発達 した国では,可能性がな きに Lもあらずであるが,国民
的に政治意識が成熟 していない諸国では,ブル ジ ョア民主主義で さえも,可能性
がない としたな らば,絶望的である。
こうして実際にはどこで も,事実上の民主な き「
民主集 中制」が実行 されてい
るのである。そ して,民主集中制 と, ここでい う「
民主集中制」の決定的区別は,
あまり知 られていない。
繰 り返すが, この 「
民主集中制」は,信任 という無駄なオブラー トに包 まれた
民主主義的中央集権制度
官僚組織 制度なのである。
参考文献
日本共産党 『
民主集 中制 と近代政党』 日本共産党出版
藤井一行 『
民主集 中制のペ レス トロイカ』大村書房
ウオーラー 『
民主主義的中央集権制度』青木書店
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