詞「ココカラ」を読み解く

詞「ココカラ」を読み解く 作詞:森由里子/作曲:伊集院秋桜 窓を開けてみて 吹き抜ける風 君の涙そっと 乾かすはずさ ゆっくりと 気がついて すべてが 終わったわけじゃない もう一度始めればいい 絶望の向�こうには 希望が見える そう 誰もが旅の途中 つまずくことがあっても 進まないと出会えない景色があるよ まだ見ぬ輝き 見に行こう ココカラ ドアを開いたら 優しい陽射し 歩き出した君を 祝福してる 大丈夫 誰だって弱いよ でも強くなれるよ 一歩進み もう一歩 動くたび 少しずつ 力が湧くね ほら 誰もが旅の途中 みんな魔法を探し 心の鞄にあることを知ってゆくよね 余計な荷物は 要らないね 勇気を振り絞って 乗り越えたフェンスは いつしか僕達を 守る砦になる だから 遥かなるあの 光の射す場所を目指すために 行こう さあ 誰もが旅の途中 つまずくことがあっても 進まないと出会えない景色があるよ まだ見ぬ輝き 願った未来に踏み出そう ココカラ 歌:魔法女子☆セイレーン 『タイムトラベル☆グラフティ』22001155 解 題 東京学芸大学・成田喜一郎 11
この詩(詞)の中で注目したフレーズがいくつかある。 「誰もが旅の途中/つまずくことがあっても/進まないと出会えない景色があるよ/まだ見ぬ輝き 見に行こう
/ココカラ」(三連)、「誰もが旅の途中/みんな魔法を探し/心の鞄にあることを知ってゆくよね/余計な荷物は
/要らないね」(六連)、「誰もが旅の途中/つまずくことがあっても/進まないと出会えない景色があるよ/まだ
見ぬ輝き/願った未来に踏み出そう/ココカラ」「誰もが旅の途中/つまずくことがあっても/進まないと出会え
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専門は、越境する教育の創成/原点への回帰をめざす「ホリスティック教育学/歴史学」
。主な実践研究履歴については、以下
のサイトを参照されたい。http://blog.goo.ne.jp/jzs03765/e/0f3bea2f70729bd66ec88b14f12517d4 ない景色があるよ/まだ見ぬ輝き/願った未来に踏み出そう/ココカラ」
(八連) このさびの部分である。 3つの連に登場する「誰もが旅の途中」にあり、最初と最後の2つの連に登場する「進まないと出会えない景色
があるよ」と、まだ見ぬ世界、未知への誘いを歌っている。 しかも、どこからでもない「ココカラ」進まないと出会えない「景色」、すなわち未来への期待・希望を語りか
けてくれる。 この楽曲を聴くことで多くの方々が、世代を超えて共感・共鳴・共振するのではないだろうか。 そして、一歩踏み出す勇気をもらえるかもしれない。 人は壁や塀、フェンスに打ち当たったとき、人力を超えた「魔法」のような力を探し求める。 あの「青い鳥」22の説話のように、実は身近な「心の鞄」の中にこそ乗り越える力があることを示唆している。 また、「余計な荷物は/要らないね」と歌い加えているところにも注目したい。筆者の深読みかもしれないが、
老子の「減少と無為」
(4488 章)33の思想に通底するフレーズではないだろうか。 そして、乗り越える対象だった「フェンス」が、乗り越えられたとき、自らを守る「砦」に変容してゆく期待や
希望を抱かせてくれる。障害を超えたとき、その経験自体が我が身を守る「砦(力)
」となるにちがいない。 しかし、今、絶望を深く抱き抱えている人にとっては、この「ココカラ」を聴いただけで「魔法」の力で希望が
生まれることはないだろう。この「ココカラ」の歌詞もメロディも受け付けない人もいるにちがいない。 そんなとき、そのような人はどうしたらいいのだろう。 できるなら、友人や家族、カウンセラーなど信頼できる人との「対話」もいいかもしれない。 その「対話」44が成り立つためには、愛や謙虚さ、信頼、希望、そして隠し味のようなクリティカルな思考や感情
が生まれてくるのか否か………。 もし、その条件が満たされない人の場合は、どうしたらよいのか。 最後で最初の選択肢がある。 「ココカラ」は、とてもシンプルな選択肢を用意してくれている。 それは、一連と四連ある。 「窓を開けてみて」
「ドアを開いたら/優しい陽射し」55でというフレーズである。 すなわち、窓を開ける、ドアを開き陽射しを浴びるという行為、身体性に働きかけることである。そして、でき
れば空を飛び交う鳥に自分を投影させ、想像の翼を持つ「鳥の目」66で窓を開けドアを開く自分を眺めてみたい。 あの 33..1111 東日本大震災・原発事故の翌年に出た『トラウマと身体』77という本がある。 この本を門外漢の、越境する教育学の創成者が敢えてわしづかむと、頭で一所懸命考えても心の傷やしこりは癒�
されない。心にいくらやさしく語りかけても癒�されないことがある。そんなとき、頭や心そのものを包み込む身体
(からだ)から働きかける、何も考えず何も感じようとせず、ただ、陽射しに向�かって身体を動かすという選択肢
がある。 「ココカラ」は、すでに冒頭からその身体性への可能性という選択肢を示唆している。 「ココカラ」は、知と心、そしてそれらを包み込む身体の三位一体性、三位連動性への期待と希望を秘めている
と言っても過言ではない。 (22001155..1100..1144 記) 【参考文献】 ヴィクトール・EE・フランクル(22001155)
『絶望から希望を導くために:ロゴセラピーの思想と実践』青土社、広岡義之訳。 2
メーテルリンク(1960)
『青い鳥』新潮文庫、堀口大學訳。
張 鍾元(1987)
『老子の思想:タオ・新しい思惟への道』講談社学術文庫、上野浩道訳。
4 パウロ・フレイレ(2011)
『被抑圧者の教育学(新訳)
』亜紀書房、三砂ちずる訳。
5 陽射し、特に朝日を浴びることで、感情をコントロールし、精神を安定させる働き有すると言われている「セロトニン
5-hydroxytryptamine」が増えると言われている。有田秀穂氏の一連著作を参照されたい。キーワードは「セロトニン」である。
6「鳥の目」で見つめることは「鳥瞰」するということ。可能ならば、自己と対象者(物)との関係性の現実を、鳥瞰・俯瞰でき
るといい。問題解決に向けて自己と他者(対象物)と対峙・対決するだけでは道は拓かれないことがあることも知っておきたい。
7 パット・オグデン, ケクニ・ミントン,クレア・ペイン(2012)
『トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)
の理論と実践』星和書店、太田茂行ら訳。
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