動物行動学から見た人間の貢献心 小林朋道 689

動物行動学から見た人間の貢献心
小林朋道
〒689-1111 鳥取市若葉台北 1-1-1
鳥取環境大学環境情報学部環境マネジメント学科
E-mail: [email protected]
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滝久雄氏による著書「貢献する気持ち」(2001)の中で、氏は、貢献を「自分を他者の
ために役立てる(こと)」、あるいは、「自己犠牲の希求」、「他人に尽くす行動」と表現し、
それが「人間の本能」であると主張している。さらに氏は、自身の中の強い貢献心を意識
し、人や社会に貢献することの大切さを述べている。
本論文では、これらの氏の主張を踏まえ、動物行動学の視点から、以下の 2 点について
考察したい。
(1)人間における貢献心の生物学的正体
(2)特に貢献心が強い人物が存在する理由
人間における貢献心の生物学的正体
動物行動学は、人間も含めた生物種の形態、および、行動や心理の特性は、基本的には、
各々の個体がもつ遺伝子のコピーが、自分以降の世代において、より多く増えるように形
成されていると考える(Dawkins 1976)。
形態は、遺伝子の情報に基づいた、各々の器官を構成する細胞の移動や分化によって形
成され、行動や心理の特性は、遺伝子の情報に基づいた、脳や末梢神経系における神経細
胞の配線の決定によって形成されていく。
他個体との協力も含め、自分の生存や繁殖をよりうまく行えるような形態、行動、心理
などの特性をもった生物体をつくり上げた遺伝子のコピーは、その生物体の子どもなどを
通し増えていき、幾世代もの生物体のなかで生存し続ける。生存や繁殖において劣る形態、
行動、心理などの特性をもった生物体をつくり上げた遺伝子は、世代の経過とともに消滅
する。一方、遺伝子は必ず変異するため、時間の経過の中で、一種類の遺伝子が、互いに
少しずつ異なる遺伝子になり、それらの遺伝子に関して、上記のような現象が繰り返され、
消滅する遺伝子と、生存し続ける遺伝子が決まっていく。したがって、生命の誕生後、約
35 億年となる現在の生物体の中の遺伝子は、自分の生存や繁殖をよりうまく行えるような
形態、行動、心理などの特性をもった生物体をつくり上げた遺伝子ということになる。
この現象を、視点を遺伝子から生物個体に変えると以下のように表現できる。
「現在生き残っている生物は、自分の遺伝子を、より多く増やせるような形態、行動、心
理などの特性をもった生物である」
このような原理を前提として、人間の心理(感情や衝動、思考傾向なども含めて以後、
心理と呼ぶ)を分析すると、基本的には、人間の心理も、自分の生存や繁殖をうまく行え
る特性を備えているはずだと推察され(Barkow, Cosmides & Tooby 1992)、その推察から
導かれる仮説の科学的検証が、現在行われている。
それらの科学的検証研究を通してこれまでに得られている知見の多くは、人間の心理特
性の生存・繁殖上の有利性を支持している(Pinker 1997)
。
さて、滝氏が、著作の中で述べている貢献心に最も近い、動物行動学上の人間の心理特
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性は、「互恵的利他行動を発現させる心理」と考えられる。
互恵的利他行動とは、
「自らの生存や繁殖を犠牲にして、他個体が、一生の間に残す子の
数を増大させる行動」である(Krebs & Davis 1981)
。動物行動学では、利他行動は、大き
く次のような2種類に分けられる。
(1)自分の遺伝子と同じ遺伝子を多く有している可能
性が高い血縁個体(親子や兄弟姉妹、従兄弟姉妹などの関係になる個体)に対する利他行
動。(2)血縁度が非常に低い個体(非血縁個体)に対する利他行動。
血縁個体に対する利他行動については、次のような理由で進化しうることが ハミルトン
(Hamilton 1964)などによって明らかにされている。
自分の遺伝子と同じ遺伝子を多く有している可能性が高い血縁個体の生存・繁殖を助け、
それら血縁個体が一生の間に残す子の数を増やせば、結局は、自分が持っている遺伝子も
次世代において増えることになる。これは、冒頭に述べた、動物行動学が依って立つ原理
「生物の形態、および、行動や心理の特性は、基本的には、各々の個体がもつ遺伝子のコ
ピーが、自分以降の世代において、より多く増えるように形成されている」と合致する。
一方、
(2)で述べた非血縁個体に対する利他行動は、互恵的利他行動と呼ばれ、人間に
おいてこの行動を引き起こす心理が、滝氏の「貢献心」とほぼ一致する。
互恵的利他行動は、自分の生存・繁殖を犠牲にして、自分の遺伝子と同じ遺伝子を有し
ている確率が比較的少ない個体の生存・繁殖を助ける行為であるから、少なくとも、一回
のやり取りだけから考えると、明らかに自分の遺伝子の拡散に不利である。
このような利他行動が進化する理由について最初に有力な説を発表したのは、トリバー
スである(Trivers 1971)。トリバースは以下の3つの条件が揃えば、互恵的利他行動は、
それを行う個体にとって有利になり、進化しうると主張した。
① 半ば閉鎖的な集団で、集団内の個体同士が何度も付き合いを繰り返す状況がある。
② 集団内の個体が、
「相手からの協力は受けるが自分は協力をしない」個体を記憶す
る能力がある。
③ 自分が犠牲を払って相手を助けた時、自分が被る損失の量と、相手が受け取る利
益の量を比べると、後者のほうが前者より大きい。
これら①~③の条件の中で、②は特に重要な条件と考えられている。それは以下のよう
な理由による。
今、ある集団の中に、
「困っている相手に出会うと助けを差し伸べる」ような個体と「困
っている相手に出会っても助けを差し伸べない」個体とがいたとしよう(前者を協力個体、
後者を非協力個体と呼ぶ)。
①と③の条件のみが揃っている集団では、非協力個体同士が繰り返し出会った場合と、
協力個体同士が繰り返し出会った場合とを比較すると、非協力個体達よりも協力個体達の
ほうが利益は大きいはずである。なぜなら、非協力個体達は、互いに助け合うことはない
のだから、犠牲もゼロ、利益もゼロ、総合利益はゼロであるが、協力個体同士は、繰り返
しの出会いの中で、相手を助け、相手からも助けられることがあるだろうから、
「利益-犠
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牲」の総合利益はプラスになる。つまり、
“非協力個体同士”と“協力個体同士”の出会い
を考えると、協力個体が有利になり、進化的には、協力個体が広がることも可能である。
ところが実際には、集団の中では、協力個体と非協力個体との出会いもあり、その場合、
非協力個体は、自分は犠牲を払うことなく相手から利益のみ得ることになり、総合利益は、
協力個体同士の場合よりも大きくなる。したがって、集団の中で、協力個体が増えていく
ことは無理ということになる。
ここで②の条件が加わると、状況は変わってくる。非協力個体は、最初は、自分が犠牲
を払うことなく利益のみを得ることができるかもしれないが、相手が、そのやり取りを通
..........
してその非協力的個体を記憶し、以後、非協力個体には協力しなくなると、非協力個体は、
.......
結局、不利になっていく。つまり、集団内に、単なる協力個体ではなく、非協力的個体を
...
記憶し非協力個体には協力しなくなる、いわば“見破り”協力個体が現れてくると、非協
力個体は、“見破り”協力個体以上の利益を得ることができなくなる。
このように、②が①、③に加わると、協力個体が有利になり、互恵的利他行動は、進化
しうるというわけである。
その後、トリバースの理論は、ゲーム理論と呼ばれる社会行動の理論研究、野生動物に
見られる協力的行動や人間の認知活動の研究などの発展とも相まって、その正当性が認め
られるようになった。
たとえば、①と③の条件が揃い、②の条件も満たしていると推察される、中南米の洞窟
で、10 個体程度の閉鎖的な集団で暮らすチスイコウモリでは、人間以外の動物では珍しく、
非血縁個体同士の間での顕著な利他的行動が行われることが明らかになった(Wilkinson
1984)。洞窟の外で血を充分に吸ってきた個体が、血が吸えなかった個体に血を分けてやる
のである。また、進化心理学の研究者は、互恵的利他行動や協力行動が特に発達している
われわれ人間においては、裏切り個体を認識し長く記憶にとどめる突出した能力をもつこ
とを示してきた(Mealey, Daood & Krage 1996, Cosmides & Tooby 1989)。霊長類におけ
る、新皮質の大きさに関する比較研究から、人間は 150 人程度の個体が集まった半ば閉鎖
的な集団をつくって暮らしていたと考えられている(Dunbar 1996)。
一方、アクセルロッド(Alelrod 1984)は、世界中の経済学やコンピューターサイエン
スの研究者から、
「計算機の中で互いに対戦でき、総当りで対戦させたとき最も高い得点を
あげられる戦略プログラム」を募集し、最も利益を得る戦略を明らかにしようとした。多
くの戦略の中で最も高い得点をあげたプログラムは次のようなものだった。
「最初の接触で
は相手に協力し、それ以降は、相手が直前にとった手口を繰り返す(つまり、相手が協力
したのなら自分も協力し、相手が裏切ったのなら自分も裏切る)」。この戦略は、裏切った
相手に対しては、その個体を記憶したうえでその後は協力をしない、という点で、②の条
件に合致する。
トリバースは、人間のさまざまな感情は、結局は自分に利益をもたらす互恵的な利他行
動を自分自身に遂行しやすくさせるために進化した脳活動だと主張した(Trivers 1971)。
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このような視点からの感情の分析はトリバース以降、多くの研究者によってなされてきた。
たとえば小林(2007)は、人間の以下のような心理特性が、互恵的利他行動を促進する働
きをすると推察している。
(1)
裏切られた場合、その個体に対して怒りを感じ、協力してくれた相手には好意を感
じるという心理特性
(2)
自分が幾分かの犠牲を払っても、相手と協力して何かを成し遂げたときには大きな
満足感を感じ、結局互いに協力しないままで終わった時にはむなしさを感じるとい
う心理特性
(3)
自分が裏切ることに対して、不安を感じたり、実際に裏切ってしまったときには罪
意識を感じるという心理特性
山岸(1998)は、上記の中の、特に(2)について、社会心理学的な実験研究によって、
その存在を支持する結果を得ている。
動物行動学の見地からは、滝氏の論じる貢献心の正体は、意識するかしないかにかかわ
らず、以上のような、本人に得をもたらす心理特性ということになる。ちなみに、このよ
うな心理特性は、それを生み出す脳の骨格的神経構造を遺伝子が作り出すという意味で、
滝氏が主張する「本能」に近い特性と言える。
特に貢献心が強い人物が存在する理由
ここまで論じた内容を前提に、以下では、
「本人に、最終的に利益をもたらさないような、
...
過度の利他的心理をもつ人物がなぜ存在する理由」あるいは「特に貢献心が強い人物が存
在する理由」について考えたい。それが、滝氏が、著書の中で、目指すべき人間像として
描いた「貢献心の強い人物」の理解に深く関わると考えられるからである。ただし、
「特に
貢献心が強い人物が存在する理由」については、これまで動物行動学において、注意を払
うべき問題とみなされたことはなく、したがって、実証的な研究成果を示しながらの考察
は困難である。あくまで、この問題に関係すると考えられる部分を、他の目的のためにな
された研究の中に見つけ、それらをつなぎ合わせて考察を加えていく作業になる。
以下、
「特に貢献心が強い人物が存在する理由」として考えられる可能性を2つあげ、各々
について考察する。考察は、「“貢献心”発生神経回路」を想定して進める。動物行動学は、
適応進化の結果として、人間の脳内には利他行動の遂行を促進する、遺伝的な基盤をもつ
神経系情報処理回路が存在する可能性を示してきた。このような回路は単一の情報処理回
路ではなく、相互に作用しあう複数の回路の集合体だと考えられるが、ここではその集合
体を一まとめにして、“貢献心”発生神経回路と呼ぶ。
1. “貢献心”発生神経回路の形成における学習の影響
“貢献心”発生神経回路が、誕生して間もない新生児では、まだ完成してはいないことは
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明らかである。しかし、遺伝子は、誕生時までにその回路の原型というべき神経構造を作
り上げていることは充分考えられる。そしてその原型がどのような性質をもっており、そ
の後、どのようにして発達していくかを推察する上で、ウィルソン(Wilson 1998)が、後
生則(epigenetic rules)と述べたカニズムが参考になる。
後生則は、それまで、動物行動学者、心理学者が、遺伝子と学習の関係についてさまざ
まな研究を通して発見してきた原理を整理した概念であり、その概要は次のように表現す
ることができる。
「遺伝子の発現によって形成された神経回路の原型には、さまざまな経験
の中から、どのようなパターンの情報を取り込むかについての選択性が備わっており、そ
れに合致する情報を受け取ったとき、原型の細部が決まっていく」。
回路の原型が、たとえば出生時のような“最初から”、細部にいたるまで決定されていな
いのは、さまざまな環境下で生活するという人間の特性に合わせ、それぞれ独自の環境下
で、神経回路の原型が、より適応的に発現できるようにするためと考えられている。つま
り、幼児が生きる環境がどのような環境かは、前もって予測することはできず、実際の体
験から学習しなければ、それぞれの環境下で有効に働きうる回路にはならないからである。
このような後成則を、“貢献心”発生神経回路にあてはめると、その発達に関して以下の
ような推察が可能である。
幼児の脳内の“貢献心”発生神経回路の原型は、神経系の解剖学的な発達も伴いながら、
幼児が経験するさまざまな出来事の中で、裏切り的行動や協力的行動に敏感に反応し、そ
れらから共通のパターンを学びとっていく。同時に、感情の発達も伴いながら、相手の裏
切り行動と、不快や怒りといった感情とを結びつけ、協力的行動と、快や好意といった感
情を結びつけていく。
同様に、“貢献心”発生神経回路の原型は、幼児と他個体とのやりとりの中で、協力する
衝動を生みだし、その達成と、快やうれしさといった感情を結びつけ、他方で、自分の裏
切り的行動と、不安や罪悪感といった感情を結びつけていく。
このように、回路の原型は、さまざまな体験の中から、それぞれの幼児が置かれた環境
の下で、回路自体を完成に導くような体験を選択的に学習し、同時に、特定の感情を結び
つけるという性質を内在しているという推察が可能である。
このような、具体的な体験も取り込みながら“導かれる学習”の過程で、
「特に貢献心が
強い人物」が生まれる、というのが、一つ目の可能性である。
後生則の例として、ウィルソン(Wilson 1998)がしばしばあげる事例として、ヘビに対
する恐れの発達がある。人間のヘビに対する恐れには生得的な基盤があることは多くの研
究者が認めるところであり、ヘビの検出のための脳内神経回路の存在も示唆されている
(LoBue & DeLoache 2008)。ただし、その回路は、出生間もない時点ですでに完成されて
いるような固定的な構造ではない。その後、ヘビに直接出合うといった体験や、ヘビにつ
いての話を聞くといった間接的な体験を、選択的に、強力に吸収し、それぞれの人物で、
質や敏感さに関してそれぞれ異なった「ヘビに恐れを感じさせる回路」は完成していくと
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考えられている。ヘビに関する体験の内容によっては、ヘビに対し強い恐怖を引き起こす
ような回路になる可能性もある。
幼児における言語の習得についても後生則の一つとみなすことができる。近年の、言語
習得のメカニズムに関する有力な説は以下のようなものである。幼児は、脳内に、チョム
スキー(Chomsky
1972)の主張する普遍文法構造についての情報を備えた言語回路の原型
をもっている。その原型は、親をはじめとする周囲の人間が発する言語に敏感に反応し、
それらを普遍文法構造に照らして、各々の言語に特有な表層的な規則を自発的に学習して
いく。
このような言語回路神経系については、脳内でのその原型の形成に関係すると考えられ
る遺伝子も見出されている(Gopnik 1997)。
対ヘビ恐怖回路も言語回路も、それ自体は、人間の生存になくてはならない適応的な形
質を担う回路であるが、それらが出生の時点で完成されてた、固定的な回路であったら、
それぞれの幼児が育つ、独自の自然環境や文化環境のもとで、有効には働かなかっただろ
う。地域によってヘビの視覚的特性(形態や体色など)も習性も異なっており、言語の表
面的な特性も異なっているからである。それら地域独自の表面的な特性は学習にゆだねな
ければならない。
これら対ヘビ恐怖回路や言語回路が、学習によってその表層構造を変えるように、“貢献
心”発生神経回路も、幼児の誕生後の経験によって表層的構造を変化させると考えるのは合
理的である。たとえば、裏切り行動が頻繁に起る環境下で育った場合と、協力的行動が頻
繁に起る環境下で育った場合とでは、回路の中で、より発達する部分は異なってくると推
察される。前者の場合は、裏切り行動により敏感で、素早く対処するような構造が発達し
やすいかもしれない。後者の環境下では、協力行動に速やかに反応するような構造や、他
個体との協力を快と感じるような構造がより発達しやすいかもしれない。各々の環境下で
は、このような表面的な構造をより発達させた回路のほうが、個体の生存・繁殖に有利だ
からである。
子ども時代、あるいは人生のある時期に、他個体との協力を特に快と感じるような体験
をした個体は、“貢献心”発生神経回路の構造変化に伴い、
「特に貢献心が強い人物」になる
のかもしれない。
2. “貢献心”発生神経回路の原型自体の違い
人間には、その対象を認知したとき、交感神経が強く働き、恐怖感とともに冷や汗や
吐き気などの反応が起こる「特定恐怖症」と呼ばれる症状がある。特定恐怖症の対象とな
りやすいものは、ヘビや猛獣、高所、暗闇、水流、雷など、人類史の9割以上を占める狩
猟採集生活の中で、死につながりやすかったと考えられるものであり、現代の死亡原因の
上位にくるナイフや銃や感電しそうな電線などは、対象になることはまれである(Lumsden
& Wilson 1983)。つまり、特定恐怖症は、本質的には、人類が進化的に誕生した環境への
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遺伝的な適応であり、ただし、それが、本来の度合いを超えて強く発現した状況だと推察
することができる。
ある対象を見せてその後に、軽いショックなどの不快刺激を与えるという操作を繰り返
すと、わえわれの脳内では条件付けと呼ばれている現象が起る。そしてその対象を見ただ
けでも、不快感刺激への準備として、体を緊張させるようになる。アメリカの心理学者
(McNally 1987, Cook, Hodes & Land 1986, Hugdahl & Karker 1981)は、ヘビの写真、
ナイフや獣や感電しそうな電線の写真、幾何学的な模様を見せ、直後に不快刺激を与え、
被験者にどのような変化がおこるかを調べるという実験を行い、以下のような結果を得て
いる。(1)ヘビの写真の場合は、他の対象の場合より、ずっと早く条件付けが成立する。ま
たヘビに対して条件付けが成立した場合には、その写真や絵を数十ミリ秒という、意識で
は処理されないくらい短い間だけ提示するだけで、瞬間的に顔面筋が収縮する反応が起こ
りることが多い。この反応は、他の対象については起らない反応であり、被験者本人も、
自分の反応に気づかない。(2)一般に、条件付けは、刺激を与えることをやめると休息に消
えていくことが知られており、実際、ナイフや銃や感電しそうな電線の写真、幾何学的な
模様の場合はそうなる。しかし、ヘビの場合は、その後の刺激をとめた後も、条件付け反
応はなかなか消去されない。(3)ヘビの条件付けについては、必ずしも、ヘビの写真の提示
後の不快刺激という過程を実際に体験しなくても、間接的にその情報を入れるだけで成立
する。たとえば、ヘビの写真を見て怖がる顔をする人の映像とか、山道でヘビに出合って
怖い思いをした人の話だけでも、ヘビに対する条件付けが成立する。他の対象の場合、こ
のような現象はみられない。
このようなヘビに対する特別な反応性には、先に述べた対ヘビ恐怖回路が関与している
と考えられるが、条件付け後のヘビに対する恐怖反応の程度は、被験者によって差があり、
被験者によっては、ヘビが対象になる特定恐怖症の場合に匹敵する反応を示す場合もある
という。これは、ヘビに関して同じ体験をしても、個体によって、対ヘビ恐怖回路の原型
の後成則に従った学習に差があることを示唆している。そして、この差の原因は、学習前
の、つまり、出生時点でのヘビ恐怖回路の原型の構造に違いがある可能性を示している。
もし、これと同様の状況が、“貢献心”発生神経回路についても存在するとすれば、即ち、
出生時点での本回路の原型の構造に違いがあるとすれば、その後、同様な環境で育っても、
他の個体にくらべ、
「特に貢献心が強い人物」が現れてくることも理解できる。その反応が、
特定恐怖症の場合のように「本来の度合いを超えて強く発現して」場合、それは、
「本人に、
...
最終的に利益をもたらさないような、過度の利他的心理をもつ人物」になる場合もありう
るだろう。
このような、“貢献心”発生神経回路の原型の構造に違いが、
「特に貢献心が強い人物が存
在する理由の二つ目の可能性である。
この二つ目の理由と、先に述べた一つ目の理由とは、背反するものではなく、“貢献心”
発生神経回路の形成に、同時に作用していると考えるほうが可能性は高いと思われる。
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