次々に破綻する財団側の主張

№53(2015.9.26) 向ヶ丘町自治会・自治会館をとり戻す会 mkgok.jimdo.com
次々に破綻する財団側の主張
67年前の向ヶ丘に現在の地図を持ち出す
11 月 12 日の判決を前に、自治会側弁護団は最終の準備書面を提出しました。このなかで、財
団上田側の主張の誤りの数々を指摘し、裁判所の正しい判決を求めました。。
生協名義の会館敷地は自治会のもの
自治会館の敷地は、昭和8年に阪和電鉄から自
治会に寄付されたものですが名義は電鉄会社のままでした。戦後になって「向ヶ丘生活協同組合」
ができ法人格を得たので、自治会がその名義を借りて登記しました。昭和 41 年の会館建替えの
際、すでに実態がなくなっていた生協のかわりに財団法人をつくりその名義としました。昭和8
年以来の実際の所有者が向ヶ丘町自治会であることは明白です。
財団が「証拠」提出した地図
現在の地図で「他の自治会あり」
現在の地図に近隣自治会区域を示す
百済川
月見橋
朝日橋
財団上田側は、向ヶ丘生協の定款に「活
動区域は上野芝向ヶ丘町全域」とあるのを
根拠に「向ヶ丘には他の自治会も多数ある
ので、生協は向ヶ丘町自治会だけのもので
ない」と主張し、あろうことか現在の地図
に近隣自治会の区域を示した地図を「証
拠」として裁判所に提出しました。
他の自治会は存在しなかった
しかし、生協ができた昭和 23 年当時の
向ヶ丘は月見橋南側
当時は、向丘小学校
の登り坂からもりや
も、津久野駅も、と
きはま線もなく、改
池周辺にかけての狭
修前の百済川は蛇行
い地域に約 250 世帯
し、長い月見橋の両
(現在は約 3000 世
側は田んぼでした。
帯)が生活しており、
自治会は一つだけでした。人口が急増し、近
隣に他の自治会ができてきたのは昭和 30
年代から 40 年代のことです。
戦前からの経緯に目をつむり、67 年も前
のことに現在の地図を持ち出して裁判所を
誤導しようとしたのです。
署名は13,254名に
8 月 12 日の提出後も追加があり、提出署名
は13,254名分となりました。
みなさんのご協力ありがとうございました。
控訴審判決
11月12日(木)11 時
もりや池
昭和25年の向ヶ丘の地図
朝日橋
近隣自治会
2:向ヶ丘第2
3:向ヶ丘第3
4:向ヶ丘第4
東:東向ヶ丘
西:西向ヶ丘
南:南向ヶ丘
グ:グリーンH
ク:クローバH
親:親和会
向:向ヶ丘団地