図書館のあゆみ(連載第 6 回)

平塚市図書館の情報誌
平成20年(2008年)9月
第75号
平塚市図書館
図書館のあゆみ(連載第 6 回)
5-3-1
平塚市図書館(浅間町時代)
昭和45年(1970年)4月24日、平塚市浅間町
12番41号に新図書館が開館しました。RC造り地下
1階地上3階建て総床面積4、776㎡。開館初年度の
目標として登録者数を人口の5%にあたる8,000人、
貸出冊数を10万冊と設定しましたが、年度途中で達成
新図書館(西から)
されました。この実績は、全国屈指のものでありました。
また、新館開館と同時にリクエストサービスさらに「こ
ども室」を設け児童に対する貸出を実施しました。
一方、これより先に同年2月に長崎屋会長で故岩田長
八氏の遺志により平塚市に1,000万円の寄附があり、
市ではこれを図書館資料充実のために使用することとし、
参考図書 1、810冊、マイクロフィルム784巻を購
加藤一太郎市長
による式辞
入し「岩田文庫」とし広く利用に供することとしました。
昭和53年(1978年)12月「湘南6市図書館の雑誌相互保存に関する協
定書」が締結されました。この協定は、雑誌について各館が分担して保存する責
任を定め、その一方で資料の広域利用に道を開こうとするものでした。
昭和55年(1980年)1 月「第2次平塚市総合開発計画」が決定し、この
中に移動図書館事業の昭和57年度開設が決定しました。このため、館内に「移
動図書館委員会」を設け、県内外の視察をはじめとして、駐車場、運行・貸出シ
ステム、資料、車輌、組織等を調査研究しました。昭和56年(1981年)6
月車種を日産シビリアンとし、その愛称を公募した結果「あおぞら号」となりま
した。愛称当選者は、大住中学校2年生の秦野卯月さんでした。駐車場も12ヶ
1
所に決まり、昭和57年(1982年)4月2
0日に巡回開始。駐車場は、須賀の海宝寺と豊
田公民館でした。
昭和59年(1984年)10月、参考室内
に「地域資料コーナー」を新設しました。地域
資料、郷土資料については、以前から収集して
きましたが、新たに「平塚市図書館地域資料コ
ーナーにおける行政資料の管理に関する要綱」
広報ひらつか昭和57
を制定し平塚市を中心として、県内の行政・郷
(1982)年3月15日号
土資料を積極的に収集し閲覧に供することとし
ました。
また、この頃から貸出冊数、リクエスト件数、蔵書数等の大幅な増加により手
作業による資料管理、窓口事務、蔵書点検等の業
務が限界状況となりました。このため昭和59年
(1984年)5月、館内に「コンピュータ検討
委員会」を設け種々検討しました。昭和60年(1
985年)2月市役所内の「行財政委員会」に電
算化を提案し、了承されました。翌年3月「平塚
市図書館コンピュータ・システム基本構想」が決
定し、翌月富士通の図書館コンピュータサービス
システムの導入が決定しました。このシステムは、
広報ひらつか昭和62
(1987)年4月15日号
貸出、返却、資料検索、予約処理、発注、受入、統計等図書館業務全般を包含し
たものでした。こうして、昭和62年(1987年)4月電算による業務を開始
しました。
また、これと時を同じくして「平塚市図書館と東海大学附属図書館との申し合
わせ」が取り交わされ、東海大学との相互利用が始まりました。当時、館種が異
なる図書館間の相互利用は、他に例をみず画期的なことでした。内容は、資料の
相互貸借、市民による東海大学図書館の直接利用、資料の相互複写、資料交換、
司書課程実習生の受入などでした。
(参考文献)
『いつもの寄り道散歩道』
平塚市中央図書館
1999年
かけがえのない命を大切に!
~9月10日から16日は、自殺予防週間~
2
平塚ゆかりの人物
湯山
昭氏は、昭和7年(1932年)9月9日、平塚市内にて誕生。東
京芸術大学に入学し同大学卒業後、音楽界特に童謡の世界で活躍され現在そ
の第一人者であります。また、先生は全国各地の学校歌を約100曲作曲さ
れてきました。もちろん平塚でも8校の校歌を作曲されました。今回は、平
塚市出身で地元に多大な貢献をされました湯山氏についてご紹介します。
1 略年譜
昭和
7年(1932)
9月
9日
平塚市にて誕生。(現在の平塚市諏
訪町)父・高男は海軍軍人、母・初
子は平塚第一小学校(現在の市立崇
善小学校)の教師。
昭和
9年(1934)11月
昭和20年(1945)
4月
父・高男、病死。
湘南中学校(現在の県立湘南高校)
入学。仲間に石原慎太郎や斎藤栄が
いた。
昭和26年(1951)
4月
東京芸術大学音楽部作曲科入学。池
内友次郎氏に師事。
昭和28年(1953)10月
毎日新聞社、NHK 主催の第22回
音楽コンクール(現在の日本音楽コ
ンクール)作曲室内楽部門で1位次
席で入選。
昭和29年(1954)10月
第23回音楽コンクール作曲室内楽
部門で2位入賞。
昭和30年(1955)
3月
昭和33年(1958)
昭和35年(1960)
東京芸術大学音楽部作曲科卒業。
平塚から東京へ転居。
4月
NHK ラジオ「幼児の時間」の音楽
を担当。昭和41年(1966)3
月まで多くのこどもの歌を作曲。特
3
に番組名「あそびましょう」の中で
作曲した『おはなしゆびさん』が大
ヒットする。
昭和37年(1962)
NHK テレビ「うたのえほん」の中
で『おはながわらった』『あめふり
くまのこ』が大ヒットする。
昭和38年(1963)11月
子どものための合唱組曲『小さな目』
を作曲。この組曲を契機に童声合唱
組曲の連作が始まる。
昭和48年(1973)
6月
第3回日本童謡賞を受賞。
昭和51年(1976)
6月
第6回日本童謡賞を受賞。
平成
5年(1993)
6月
第5回サトウハチロー賞を受賞。
平成11年(1999)
7月
著作権法100年記念式典で特別功
労者として文部大臣表彰を受ける。
平成13年(2001)
2月
(社)日本童謡協会第3代会長に就
任。
11月
旭日小綬章を受章。
昭/著
全音楽譜出版社
(参考文献)
『人生は輪舞』
湯山
2 作曲した校歌一覧
学校名
作詞者
制定年
市立浜岳中学校
校歌制定委員会
1955年
県立平塚盲学校
校歌制定委員会
1959年
市立中原小学校
阪田
寛夫
1964年
県立平塚商業高校
小林
純一
1965年
市立豊田小学校
薩摩
忠
1968年
市立金田小学校
関根
栄一
1968年
市立横内小学校
鶴見
正夫
1971年
県立五領ヶ台高校
薩摩
忠
1983年
3 校歌制定事情
4
2005年
校歌を制定するまでの状況について以下の3校をご紹介します。
①
市立浜岳中学校
生徒会の要望で校歌制定の必要性を認識していたが、予算その他の
関係でなかなか実現できなかった。そうしたなか、PTA 総会に校歌
制定をはかったところ、全員一致で承認を得、PTA の予算ならびに
その力によって、校歌が制定されました。まず、歌詞を募集し入賞し
たもののなかから第一位の歌詞を修正し、これを校歌制定委員会の選
定作としました。次に作曲については、新進気鋭の人物で市内在住者
にするという方針のもと、湯山氏に依頼することになり、会長と学校
長が湯山氏宅を訪れ快諾を得る。こうして昭和30年(1955)1
2月校歌が制定されました。
②
県立平塚商業高等学校
同校刊行の『飛躍
校舎落成記念誌』(1966年刊)の5ページ
に校歌制定に関する湯山氏のコメントがありますので全文を紹介し
ます。
故郷に歌が生れて
校歌の作曲をして
湯山
昭
八雲神社の南の崖下に、こんこんと湧きでる泉があった
私の幼き日のおもいで……そのおもいでは、校歌作曲のた
めに平塚商業高校を訪れて屋上からその泉のうえにあった
松を見たとき、忽然とよみがえったのです。数年まえの小
川は、きれいに澄んで、メダカが群をなして泳いでいまし
た。
戦争がやってきて、そして終り、平和になった日本!
な
つかしい故郷…。そこには高校時代の恩師千田先生もいら
っしゃった。学校に集う若人たち…あなたがたの誇らしき
青春をたたえる歌は、これからまさに始まろうとしている
のです。
そんな願いをこめて、私は、あの校歌の作曲をすすめて
いったことを、いま、はっきりとおもいだすのです。
5
③
県立五領ヶ台高等学校
同校2代校長の大舘茂氏は、同校刊行の『創立10周年記念誌
五
領ヶ台』(1987年刊)の44~45ページに校歌制定事情を以下
のように述べています。
…校歌が欲しいという希望が、生徒職員父兄の間に生まれ
つつある時、ちょうど私が着任したわけです。それから一
年間かかって職員・生徒ともに校歌を作ろうという合意が
出来ましたので、校歌制定委員会を作り生徒たちから歌詞
を公募したのですが、適当なものがなかったので専門家に
依頼することになりました。たまたま私の中学校以来の友
人である平塚市在住の瀬戸仁氏(現信州大学教授)の奥様
が音楽家で、湯山昭先生(平塚市出身で現在日本で最も有
名な作曲家)をよく御存じでしたので、湯山先生を紹介し
て頂きました。そして湯山先生から作詞家の薩摩忠先生を
推薦して頂きましたので、両先生に校歌の作詞作曲をお願
い致しました。昭和58年3月末に歌詞が、4月末には曲
もできましたので、5月16日に両先生をお招き致しまし
て、校歌発表会を開いた次第です。…
(参考文献)
『10年のあゆみ』
平塚市立浜岳中学校
1956年
『飛躍
校舎落成記念誌』
神奈川県立平塚商業高等学校
1966年
『創立10周年記念誌
五領ヶ台』
神奈川県立五領ヶ台高等学校
1987年
6
大
つ
返
ほ
平
勢
今
も
却
っ
塚
の
年
は
を
と
市
小
は
入
し
し
図
学
応
れ
た
た
書
生
募
な
り
笑
館 4 館 で 小 学 生 対 象 の 「 夏 休 み 一 日 図 書 館 員 」 が 行 わ れ 、
が 参 加 さ れ ま し た 。
者 数 4 8 6 名 か ら 抽 選 で 選 ば れ た 2 3 4 名 の お 友 達 が 、い
い 書 庫 や 事 務 室 を 見 学 し た り 、 カ ウ ン タ ー で の 貸 し 出 し ・
、 お 客 様 を 前 に 緊 張 す る 場 面 や 、「 ご く ろ う さ ま 」 の 声 で
顔 に な る ひ と 時 も あ り ま し た 。
ま た 、職 員 が 用 意 し た「 し ら べ も の ク イ ズ 」に お 友 達 と 相 談 し た り 、職
員 に 質 問 し た り 、 真 剣 に 取 り 組 む 姿 が 見 ら れ ま し た 。
※
・
・
・
・
・
・
カ
図
し
ち
ふ
一
そ
ま
い
・ 今
は
す
参 加 し た お 友 達 の 感 想 ・ 質 問 で す 。
ウ ン タ ー で 返 却 ・ 貸 出 が で き 利 用 者 の 方 に 喜 ん で も ら え た
書 館 の 仕 事 を 知 る こ と で き て 楽 し か っ た 。
ら べ も の ク イ ズ が と て も た の し か っ た 。
ょ っ と 図 書 館 員 に な り た く な っ た 。
だ ん み ら れ な い 所 が み ら れ て お も し ろ か っ た 。
日 図 書 館 員 が 小 学 校 生 活 最 後 の 夏 休 み 」 の 一 番 に な っ た と 思 う
れ に 、こ の 体 験 の お か げ で 、し ょ う 来 の 夢 が ふ く ら ん だ と 思 う し 、
た こ う い う 体 験 が あ っ た ら 、や り た い と 思 う 。今 日 は 本 当 に 楽 し
一 日 に な り ま し た 。 あ り が と う ご ざ い ま す 。
日 は 、図 書 館 の こ と を 教 え て く れ て あ り が と う ご ざ い ま し た 。私
図 書 館 の 仕 事 が か ん た ん と 思 っ た け ど 、と て も む ず か し か っ た で
。 図 書 館 の 仕 事 は 、 相 手 の 気 持 ち を 考 え て や る も の で す 。
質 問
・ ぶ っ く ん は な ぜ し ら さ ぎ な の で す か ?
( 答 え )昔 、中 央 図 書 館 の ま わ り に は 、多 く の シ ラ サ ギ が た く さ ん と ん
で い ま し た 。 そ こ で 図 書 館 の マ ス コ ッ ト に し ま し た 。
・ ど う し た ら 図 書 館 で は た ら く こ と が で き る の ?
( 答 え ) 図 書 館 の し ょ く い ん に な る に は 、 い ろ い ろ な 方 法 が あ り ま す 。
し
し
ょ
大 学 な ど で 図 書 館 司 書
し
か
く
の 資 格
を と っ た り 、図 書 館 で ぼ し ゅ う し て い た
ら 、お う ぼ し て み た り・・・。で も い ち ば ん だ い じ な の は 、ま ず 好 き な
本 を た く さ ん よ ん で 、 本 を 好 き に な る こ と だ と お も い ま す 。
7
リサイクルコーナーの本は、自由に
持ち帰ることができます。
持ち帰った本で不要になったもの
は、コーナー横の箱に入れてね。
お陰様で、平塚市図書館は創立60周年を迎えること
ができました。これを記念してスタンプラリーなどのイ
ベントを実施しております。どうぞご参加ください。
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中央図書館
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浅間町 12-41
Tel 0463-31-0415
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きぃぷ 75号
編集・発行
平塚市中央図書館
8
発行日
平成20年9月