2015年10月13日 サイト説

(株)宇部スチール
糸藤 春喜
サイト説入門
1.はじめに
サイト説は、鋳鉄における黒鉛の生成・成長機構を説明する理論であり、球状化処理した溶湯にお
ける球状・CV 及びチャンキィ黒鉛について具体的な実証を試みて来た。 本論文では、サイト説が
理解され易いように、球状黒鉛の生成・成長に的を絞り、その機構を解説する。
サイトは、英語の Site で、場所や位置を意味する。 サイト説は、鋳鉄における黒鉛形態が、その
黒鉛が生成・成長するサイトの形態に律速される(依存する)ことから命名した。 例えば、三角や
四角の空洞を存在させることが出来たなら、三角及び四角状黒鉛をつくれることになる。 これらは、
単なる思い付きではない。 固相における焼戻し黒鉛の形態が、焼戻し時に存在する空洞の形態次第
となる事実に立脚している。 液・固相を問わず黒鉛であることには変わりなく、その生成・成長挙
動も同じはずである。 球状化処理により球状の空洞を導入し、その空洞に黒鉛が晶出するから球状
黒鉛が得られるのである。
2.Mg は最適な球状化元素
工業的な球状化元素としては、Mg,Ce,Ca の三元素があるが、最も安定性を示す元素は、Mg で
ある。 これは、元素の持つ物性と製造条件とが最もよく合致するからである(表1)
。 その物性
とは、溶湯中に微細な気泡を放出し、その気泡をいかに長時間安定して存在させることが出来るかの
性能である。 Mg は、通常の溶湯処理から凝固終了までの温度範囲(1500~1150℃)において気体
として存在し、その間、液相にも固相にも殆ど溶込まずに気泡として存在出来ることから、最適な球
状化元素と成り得るのである。
極狭い条件とはなるが、実験的には、気泡を導入させることが出来れば、他の元素でも球状黒鉛が
得られる。 例えば、Ar,N2,CO2 などのガスの吹込み、S,Se,Te,Bi,Pb などの低沸点元素の
添加、Y,La,Ti,Zr などの水素吸蔵元素の添加による球状黒鉛の生成が確認されている3)。
表1 球状化元素の物性1)~2)
Fe
項 目
1.24
原子半径(Å)
Mg
1.60
Ca
1.97
Ce
1.83
Fe への溶解度
-
液・固相に
殆ど溶けない
液・固相に
殆ど溶けない
液相には溶ける,
固相には溶難い
気化温度(℃)
-
1103±5
1492
>3000
気泡源
-
気体 Mg
気体 Ca
吸蔵水素
3.溶湯中に Mg 気泡は存在する
Mg は、液・固相に殆ど溶解度を持たない。 このため、溶湯を急冷して白銑凝固させれば、Mg 気
泡の存在を確認することが出来る4)。 例えば、発光分光分析試料を光学顕微鏡にて確認が可能であ
る(×1000)
。 発光の良い試料、即ち白銑度が高く黒鉛の晶出が少ない試料ほど観察し易い。 余
りに小さいが故に識別しづらい時には、高分解能の電子顕微鏡(FE-SEM)により観察すると良い。
白銑のレデブライト組織形成の影響を受けているため、球状で存在することはない。 レデブライト
組織により変形を強いられ、オーステナイトとセメンタイトの相間に、1μm 以下の細長い空洞とし
て存在している(図1)
。 元湯の白銑試料を用意し、並べて観察すると、尚一層明確に識別出来る。
1
因みに、このボイドに Mg が存在することを、カラーマッピング分析(CMA)により実証済みである
4)
(図2)
。
Mg気泡の存在は、
Mg処理有無の溶湯を同鋳型に鋳込んだ傾斜機能材料によっても裏付けされる5)。
Mg を除く化学成分が同じ条件下で、Mg を含有する溶湯と、含有しない溶湯を同時に同じ鋳型に鋳込
むと、湯流れ条件を種々に変化させても、両者が完全に混じり合うことなく、必ず Mg 含有の溶湯が
上層で、含有しない溶湯が下層に分離するという事実がある。 大出によると、この現象は、両溶湯
間の密度差によると結論付けている。 Mg が気泡として存在することが、密度差の最大の要因とし
ても過言ではなかろう。
4.球状黒鉛に Mg 気泡の痕跡がある
上述のように、Mg は、鋳鉄の液・固相に対して溶解度を殆ど持たないから、Mg 気泡に黒鉛が晶出
したとすれば、必ず球状黒鉛にその痕跡が残るはずである。 その仮説通り、事実、Mg が球状黒鉛
の成長過程に関与した痕跡が確認されている。
先ず、液相に2~3μm 程度の微細な球状黒鉛が晶出するが、この球状黒鉛全体から Mg が検出さ
れた4)(図2)
。 次に、固相に取囲まれて常温まで徐冷された球状黒鉛からは、その周囲にハロー状
の Mg 分布が検出されている(図3)
。 詳細には、
凝固終了までの一次黒鉛と、その後析出する二次黒
鉛との間に Mg が分布する6)~7)。 これは、二次
黒鉛が固相(γ)壁より析出するため、凝固後、液
化して体積を縮めた Mg が、一次と二次黒鉛の間に
トラップされたためである。
球状黒鉛は、Mg 硫・酸化物を核に生成すると
いう説がある。 確かに、球状黒鉛の中に Mg 介在
物が観察されることがある。 しかし、そのような
球状黒鉛にも、Mg ハローが検出される6)~7)。 Mg
介在物は、球状黒鉛の生成にとって、必ずしも必要
ではないことを示している。 サイト説では、Mg
図1 Mg 含有白銑試料におけるボイド
気泡に Mg 介在物がトラップされ、その Mg 気泡に
(図2矢印の位置)4)
黒鉛が生成・成長したものと解釈している。
a.SEM 写真
b.Mg マップ
図2 白銑試料面の SEM 写真及び同視野の Mg マップ4)
2
5.内部構造が物語る球状黒鉛の生成・成長挙動
Mg 処理して得られた球状黒鉛は、黒鉛の薄板が幾重にも積重なりあって構成された多結晶構造と
なっている(図4,5)
。 その板面は、黒鉛の基本構造における基底面となっており、球状黒鉛表
面に対して平行である。 一枚毎の内部構造は、黒鉛が自由成長の結果により取得る形態(キッシュ
黒鉛)と、基本的に同じである8)~9)。 球状黒鉛の結晶構造は、自由表面的サイトでランダムに生
成し、球状の空洞という限られたサイト内で自由成長したことを物語っている。
球状黒鉛は、白銑を黒鉛化熱処理して析出させた二次黒鉛としても得ることが出来る 10)。 この際、
高温での拡散現象を利用して既存の空洞を球状に制御し、その空洞に黒鉛を析出させることがポイン
トとなる。 この析出球状黒鉛の内部構造は、上述の晶出球状黒鉛のそれと何ら変わりはない。
電子顕微鏡(SEM)の観察により、球状黒鉛の表面がらせん成長端を思わせるように見えたことか
ら、
らせん転位によるらせん成長の結果として、
球状黒鉛が形成されるとした説がある。 従来の SEM
分解能がさほど良くなかったことや、研究者の意識がそれ以上の観察を追求しなかったことが、仮説
が生まれ存続した要因と思われる。 現に、具体的な実証を試みた報告は、なされていない。 今日
のような高分解能 FE-SEM をもってすれば、球状黒鉛全体の成長に絡むような結晶欠陥は、存在しな
いことが明白である。
a.光学顕微鏡組織
b.aの四角領域内の Mg マップ
図3 球状黒鉛組織における Mg の分布7)
a.セル全体
a.一枚の薄板
b.表面を拡大
b.多数枚の薄板
8)~9)
図4 基地から抽出した球状黒鉛の SEM 写真8)~9) 図5 超音波振動で分解した球状黒鉛の SEM 写真
3
6.フリーMg 量と黒鉛球状化率との間に良い相関がある
球状化処理によって溶湯中に導入された Mg は、これまで残留 Mg 量として管理されて来た。 こ
の残留 Mg 量は、硫・酸化物を主体とした介在物 Mg と金属 Mg(原子状のフリーMg)により構成さ
れている。 Mg 気泡が黒鉛の球状化に関与するなら、その Mg 気泡を構成する金属 Mg 量、即ちフ
リーMg 量と黒鉛球状化率との間に良い相関があるはずである。 この仮説は、フリーMg 量の分析を
可能としたことにより、見事に実証された 11)(図6)
。 介在物 Mg 量との間には、相関はない。 前
4章と同様に、介在物 Mg は、黒鉛の球状化にとって重要な要素とは言い難い。
7.フリーMg の役割
Mg は、原子、或いは介在物として直接黒鉛の球状化に作用するのではなく、間接的に、気泡とし
て黒鉛に球形の生成・成長サイトを提供する 12)。 これにより、2~3μm 程度の微細な球状黒鉛を
液相中に直接晶出させることができるのである。
微細な球状黒鉛は、その後、固相γによって取囲まれる。 この時、Mg が既にS,Oを固定して
介在物化しているから、γ殻の粒界は容易に閉じ、微細な球状黒鉛は、残湯から隔離された状態にあ
る。 結果的に Mg は、γ殻内の黒鉛の成長に対して球形の自由表面的なサイトを提供することとな
る。
100
80
60
40
20
0
伸 び (%)
球状化率 (%)
8.付録
1980 年にサイト説を着想し、これまで多くの実証を試みて来た。 その間、方向性を見失うことの
ないように、他説のレビューを続けて来た。 そのレビューを付録として添付するので、参考とされ
たい。 これから黒鉛球状化理論を勉強する人にとって、貴重な資料となることを期待している。 イ
メージを持って製造現場に臨めば、トラブルに遭遇しても比較的容易に解決出来るであろう。 更に
は、新技術の開発や新説の着想資料ともなれば幸いである。
0
0.01
0.02
0.03
0.04
0.05
300
絞 り (%)
0.2%耐力
(N/mm 2)
400
200
100
0
0
0.01
0.02
0.03
0.04
0
0.01
0.02
0.03
0.04
0.05
0
0.01
0.02
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0.05
0
0.01
0.04
0.05
25
20
15
10
5
0
0.05
600
200
ブリネル硬度
引張強さ
(N/mm 2)
25
20
15
10
5
0
400
200
0
0
0.01
0.02
0.03
フリーMg (Mass%)
0.04
150
100
50
0
0.05
0.02
0.03
フリーMg (Mass%)
図6 球状黒鉛鋳鉄の球状化率と機械的性質に及ぼすフリーMg 量の影響 11)
4
9.参考文献
1)
『金属データブック』日本金属学会編,丸善(1974)PP8-9.
2)T.B.Massalski, “Binary Alloy Phase Diagrams,” 2nd Edi., ASM (1992) PP912-913/PP1055-1059/
PP1722-1723.
3)張博,明智清明,塙健三『球状黒鉛鋳鉄』アグネ(1983)PP93-116/P181.
4)糸藤春喜「Mg 気泡の痕跡としてのボイド」日本鋳造工学会,第 133 回全国講演大会概要集,金
沢(1998)P24./International Journal of Cast Metals Research, Submitted on 24 Feb. (2000)
Waiting for the Final Comment by Referees.
5)大出卓「鋳型内溶湯処理法による傾斜黒鉛組織の制御」日本鋳造工学会,研究報告 No.92(2003)
PP26-33.
6)H.Itofuji, “Magnesium Map of the Spheroidal Graphite Structure in Ductile Cast Irons,” CAST
METALS, Vol.5, No.1 (1992) P6-19./”Letter to the Editor,” CAST METALS, Vol.5, No.4 (1999)
PP235-238.
7)糸藤春喜,中山浩一「Mg ハローの詳細観察」日本鋳造工学会,第 129 回全国講演大会概要集(1996)
P40/H.Itofuji, “A Detailed Study of the Site of Mg-Halo as Detected by CMA,” International
Journal of Cast Metals Research, Vol.14, No.1 (2001) PP15-23.
8)H.Itofuji, et al., “Comparison of Substructure of Compacted/vermicular Graphite with Other Types of
Graphite,” 87th Conference, Chicago/Transactions of the American Foundrymen’s Society, Vol.91
(1983) PP313-324.
9)
H.Itofuji, “Proposal of the Site Theory,” Transactions of the American Foundrymen’s Society, Vol.104
(1996) PP79-89.
10)李鏞河「鋳鉄の組織変化に及ぼす気体及び気化元素の作用」京都大学学位論文(1986)
.
11)糸藤,他「フリーマグネシウム量と黒鉛球状化率の相関」鋳造工学,第 72 巻(2000)第 10 号,
PP645-651.
12)糸藤,山田「黒鉛球状化への Mg の役割」鋳物,第 67 巻(1995)第 11 号,PP767-774./Moldeo
Y Fundicion, Jul.-Ago. (1996) PP34-42.
5