「オーストラリア研修新聞7(2015/03/09」を掲載しました。

2015年3月9日(月)
第7号
オーストラリア研修新聞
オーストラリアへ出発!!
3月7日(土)朝、オーストラリア研修
ついにオーストラリアに降りたったメンバー
ハーバーブリッジ、オペラハウスが見えます間違えなく、シドニー
です。
参加者はセントレアからシンガポール
経由でオーストラリア・シドニーへ向かう。
3月7日(土)朝8時、セントレアにオーストラリア研
修のメンバーが集合した。飛行機のチェックイン後、特
別室にて見送りに来た教員や旅行社の方とともに出発式
を行った。校長あいさつの後、生徒団長が力強いあいさ
つをし、自然と拍手が起きていた。一行はセントレアを
出発後、シンガポールでのトランジットを経て8日(日)
午前7時半すぎ、シドニー空港へ到着。入国審査、税関を
無事に通過し、ついにオーストラリアの大地を踏みしめ
た。
まずは貸切バスにてフェザーデールワイルドライフパ
ークへ移動し、オーストラリアの動物に関する研修を行
った。オーストラリア特有の生物に興味津々の生徒たち。
一緒に写真を撮ることのできるコアラや、えさをあげた
り握手のできるカンガルーには、飛行機の長旅の疲れも
忘れて大興奮していた。その後、ミセスマッコリーズ岬
へ。ここはオペラハウスとハーバーブリッジを一望でき
る絶好の景勝地で、景色の良さに感動。
市内のピットストリートモールにあるフードコートに
て各自、昼食。店員さんのノーマルスピードの英語と格
闘しながら注文し、オーストラリアでの初めての食事を
楽しんだ。
午後はシドニーで長年の実績のある語学学校・SELC
(Sydney English Language Centres)にて、スタッフ
によるオリエンテーション。ユーモアを交えた説明に、
生徒たちは楽しみながらホームステイの心得や日本とは
違う外国での生活の注意点を学んでいった。その後、実
際に駅やバス停へ行き、電車やバスの乗り方を確認した。
月曜からは、生徒たちはホームステイ先から自力で登校
することになる。そのため真剣な態度で聞いており、質
校長のオーストラリア旅行体験記(番外編)
~オーストラリアと日本との歴史1
江戸時代の後半の 1831 年、北海道
東部の浜中湾にオーストラリアの船
が来航したという記録があり、これ
がオーストラリアと日本の最初の接
触とされています。
開国後は、横浜の外国人居留地でオーストラリア人ジ
ャーナリストが英字新聞を発行、その息子のヘンリー・
ブラックは、後に落語家とな
り、「快楽亭ブラック」と名
乗っています。また、明治維
新から 20 年経過した 1888 年
に来日したジェームズ・マー
ドックは、夏目漱石の教え子
となり、日本で教師となりまし
横浜の外国人居留地
た。そして、彼は帰国後、オー
ストラリアの日本語教育の基礎をつくります。
(オーストラリア政府観光局発行『オーストラリア教
育旅行ハンドブック』より)
問も盛んに出ていた。 午後4時半、ホストファミリー
がやってきて、生徒たちと対面。「超ドキドキする!」
と言っていた生徒たちは、各ホストファミリーの「Nice
to meet you!」の言葉に駆け寄り、笑顔で言葉を交わし
ていた。ホストファミリーとハグする生徒の姿も。あい
さつ後、それぞれの迎えのクルマへ乗り込んだ。 研修
は16日までの予定。
大橋 裕美子 先生 書評 世界の日本人ジョーク集 早坂 隆 中公新書ラクレ
●それぞれの幸福
イタリア人の幸福とは、愛人とパスタを食べながらサッカーを見ている時。
イギリス人の幸福とは、うまいブラックジョークが決まった時。
ドイツ人の幸福とは、計画通りに物事が運んだ時。
スペイン人の幸福とは、美味い物を食べてのんびり昼寝している時。
日本人の幸福とは、…………
(本書 p.104 より)
それぞれの民族性や国民性を表した“エスニックジョーク”の中から、日本人を扱ったジョークを集めたのが、こ
の本。日本では当たり前だと思われていることでも、国によって価値観も行動も様々!
世界から見た日本は、真面目・勤勉・集団行動を重んじる・慎み深い・自己主張が弱い・最先端技術によるモノづ
くりの国、などといったイメージで描かれている。では、上記のジョークで日本人の幸福はどのように書かれている
だろうか。――――答えは、「食事をさっさと終えて再び働き始めた時」
。思わずドキッとする。
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