「本格」と「変格」の境界へ 批評する言葉の芽を育てる 人

平成 27 年度 学長学術表彰受賞者インタビュー
「本格」と「変格」の境界へ
人文学部・谷口 基教授(優秀賞)
批評する言葉の芽を育てる
2013 年の著書『変格探偵小説入門 奇想の遺産』で第 67 回日本推理作家協会賞「評論
その他の部門」を受賞した。「変格探偵小説」とは、探偵小説が黄金時代を迎えた大正~昭
和初期、刑事事件などの謎を論理的に解明していく「本格」探偵小説の対義語としてつく
られた用語で、「謎解き」以外の怪奇、幻想、猟奇、SF といった要素を柱とするものを指
す。江戸川乱歩、横溝正史、小酒井不木、夢野久作などが代表的な書き手として挙げられ
る。1969 年にはこれらの小説のリバイバルブームも起きた。
『変格探偵小説入門』では、具体的な作家、作品を採り上げ、各時代の推理小説や探偵
そのもののイメージの変遷などを踏まえて、日本で独自に発展した「変格探偵小説」の姿
を明らかにしていく。たとえば、“金田一耕助”シリーズで知られる横溝正史の初期の作品
から、“探偵嫌い”とされてきた夏目漱石の影響を指摘する。「横溝自身は漱石についてあ
まり書いていませんが、作品の読みを進めるうちに、漱石からの深いつながりを“妄想”
できるようになってきました。その後、ご長男の横溝亮一先生(故人)にお話を伺うこと
ができて、父・正史が谷崎潤一郎や泉鏡花とともに漱石も愛読し、家には漱石の署名のあ
る初版本や全集が保存されていることを知りました。やはりつながっていたのですね。
“妄
想”が“現実”となるおもしろさです」
。過去の作品が読み継がれ、それに影響を受けた作
品が次の世代のなかからまた生まれる。
「その目に見えない歴史や精神遺産の継承を跡づけ、
そこに潜むメッセージを代弁すること。ほぼそれが、私の研究です」
。
谷口教授のこれまでの著書の題名には、「異端」や「怪談」といった言葉が並ぶ。学生時
代、恩師が唱えた“文学研究は作家や作品だけでなく、一般に流通したテクストを読者が
どう読んでいったかを視野に入れなければ完成しない”という「読者論」に強く共感した。
一方で、多くの文学研究が小説を“本流”
(正統)と“傍流”
(異端)に分け、
“本流”を自
認する研究者たちが、ミステリーなどのエンタテインメント小説や大衆小説を無視する、
もてあそ
あるいは 玩 ぶように軽く扱っていたことが不愉快だったという。
「エンタテインメント小
説の、読者からのアプローチを含む研究は少なかった」と谷口教授。以来、それらの研究
を、「検閲」など歴史的事実にも着目しながら続けてきた。ただしその眼差しは、“傍流”
に固執しているわけではなく、本流/傍流という境界そのものに向けられている。
「これは
メイン、サブということではなく、文化全般につながる問題なのですから」と話す。
エンタテインメント小説は読者が多く、特にその作品や作家のファンは、自分の読みに
水を差すような“アカデミズムの介入”に反発を覚えることも少なくない。
「その意味で自
分の研究は、生きている読者との闘いです。それもこの分野が研究の対象となりにくかっ
た理由かも知れません」と谷口教授は指摘するが、自身については、
「誰かに打たれないと
不安」だという。
「批評には、書き手である自分と、読み手である他者の両方の行為が含ま
れます。読んだ人がおもしろかった、ためになったと思えるものでなければ、結局批評と
いう行為も意味をもたないと思っています」。
“おもしろい”批評を書く――その思いが『変
格探偵小説入門』においても結実し、日本推理作家協会賞の受賞へとつながったことは、
「テ
ーマへの迫り方、発展のさせ方について、隙を見せない老練な筆に一日の長がありました」
(香納諒一氏)、「変格とはけっしてミステリーから本格を除いた余りではなく、エンター
テインメントの豊穣な母体であることを知らしめてくれた……優れた労作である」
(貴志佑
介氏)といった選評からも窺い知れる。
「批評」について真摯に向き合ってきた谷口教授には、計測できるもの、はっきり目に
見えるものばかりを「成果」として求める今の日本社会が、
「批評する言葉の芽を摘んでい
る」ように見えるという。文学研究でも、データを用いて正確さを期しながらも、自分の
オリジナルな見解が極力抑えられた論文が目立ってきたと感じる。
「誰からも文句を言われ
ないよう、守りに入った文章。手堅いけれどおもしろくない。それでは文学研究、ひいて
は文学全体の歩みを退行させてしまいます」
。
そうした現状を踏まえつつ、大学での「教育」にどう取り組むのか。
「茨城大学の学生か
らは、常にたくさんのことを吸収させてもらっている」と話す谷口教授は、最近、ゼミの
運営もほとんど学生に任せるようになってきた。
「テキストも進め方も学生が決めて運営す
る。私が口を出さなくても活発な議論ができ
ていて、いつも発見がある。そういうゼミの
形ができてきたのが嬉しい」
。他者を積極的に
求め、自分たちで学び合いの空間を作り上げ
ていく学生たち。
「批評する言葉の芽」が、こ
こでは摘まれずに育とうとしている。
(取材日 2015 年 8 月 17 日)
▲谷口教授の著書