日曜日の朝、瀬戸永泉教会の門をくぐる時、 わたしたちを迎え入れるよう

日本基督教団瀬戸永泉教会
会報№236
「わたしに、休みなさい」
2015 年 9 月 20 日発行
牧師
高岡
清
安息日を心に留め、これを聖別せよ。
六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかな
る仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留
する人々も同様である。六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれた
から、主は安息日を祝福して聖別されたのである。
出エジプト記 20 章 8-11
日曜日の朝、瀬戸永泉教会の門をくぐる時、
わたしたちを迎え入れるように見下ろす樹木
がある。右手のフェンスのきわに静かにたた
ずむ「柞」
(いす)という木だ。誰が植えたの
か古くから教会のシンボルともいえる庭木だ。
葉のなりは椿に似ているがもっと暗緑色で、
しかもかなりの葉が寄生虫の卵を産みこまれ
プクプクと丸く黒く膨らんでいて、あまり美
しくない。
でも、この薄黒い「柞の木」はまるで主の
日の使いのように、瀬戸永泉教会に来た一人
ひとりにこうささやきかけている。
「・・よく
来ましたね。さあ、もう日々の事は忘れまし
ょう。今日は心の中を空っぽにして神様のこ
とだけを見上げるのですよ」。
よく植えたもんだと思う。それは主日に、
ことに瀬戸永泉教会の礼拝の日にふさわしい
樹木だ。神を礼拝する人の心から、すべての
世事をぬぐい取ることを教えるから。嫌な事、
辛い事、負いきれない事のすべてを排除する。
「柞の木」は高度な陶磁器作りに欠かせな
い染付のための高級な「灰釉」
(かいゆう)原
料の一つとされる。染付のことについてほと
んど知らないが、「マルチメディア染付伝承
館」の人に聞くと、鉱石や金属、他の灰類の
釉薬に比べて「柞灰釉」は鉄分が無く、やき
ものの素地を混じりけのない白一色に染める
ことができるという。江戸時代の古伊万里の
作風には欠かせない技法であったという。真
っ白な生地の上にこそ色とりどりの紋様が映
える。鉄分などをふくんだ釉薬は技巧に富ん
だ絵柄を生み出す。しかしそこに描かれる手
仕事は下地が白くあればこそ生きてくる。
聖書では鉄は「農具」と「戦争」をあらわ
す象徴だ。それが平和であれ戦争であれ、人
間のおこなう事、生活のすべてを意味する。
確かに鉄は役立ち人間のさまざまな仕事にな
くてはならない。だがこの鉄にまみれた仕事
はどんどん人間を高ぶらせまた疲弊させる。
鉄はこの世の「レビアタン」(ヨブ記 40 章、
詩編 104 編)といえよう。
「なんにもない」「白のほかになんにもな
い」これが「柞の木」の教えてくれることだ。
「今日はすべてを捨てて来ましたか?」
「今日
はあなたの生活からプッツンしてきました
か?」って「柞の木」は訊いてます。
「六日の間働いて、何であれあなたの仕事
をし」とは世間の人にしたらこの世の仕事を
重要視してないようなあまり聞こえの良くな
い言葉だ。「何やっててもいいけど・・・」。
「おいおい、わたくしはこの世で大切な仕
事を負ってるんだよ」と返したくなるが、聖
書は言うだろう。
「おまえはその仕事で、人生終わるつもり
なのか?」
あなたの日々の生活の下地は何だ?あなた
の仕事を支える素地は何だ?
神の生地にもどれるか?主のみ言葉の霊に
浸ることができるか?
この世の生活をちゃんとしてから、でなく
ていい。この世の目的を遂げてからでなく、
今そこから・・
この世から、あなたの生活から断絶して、
切れてしまって、仕事を捨てて、カルヴァン
いわく、「この世を憎んで」この世に「バカ
ッ!!」と悪態をついて、主イエスへの礼拝
に救われよう。
「モドッテきました」
ようこそ~転会者~
小椋
実央
知立での 5 年の務めを終えてモドッテきま
した。教会の規則に詳しい人に言わせればモ
ドッテきたわけではないのでしょうが、モド
「わたしは世の終わ
ッテきたように見えると思いますのでそう書
りまで、いつもあなたが
くことにします。
たと共にいる。」
(マタイ
実を言うとモドッテきたのは 2 度目です。
28:20) イエス様
神学校を卒業してすぐに伝道師として赴任し
が、今もこれからもずっ
たのが 1 度目、そして現在が 2 度目です。東
と一緒にいてくれ
京の神学校に行く時も知立に赴任する時も、
る・・・。
アブラハムのごとく「生まれ故郷を離れて」2
この聖句を思う時、私
度と瀬戸永泉教会の敷居はまたがないという
の心に穏やかな安らぎ
ぐらいの悲壮な決意で旅立って行ったはずな
が満ちあふれます。
のですが、そもそも自分と重ねあわせる相手
転会させて頂き感謝の日々を過ごしていま
を間違えていたようです。一生かかってもア
す。
受洗して5年、イエス様を信じる者として、 ブラハムには程遠い、と神さまからたしなめ
られているように思います。
どう過ごしてきたか振り返り考えてみると、
モドッテくる度に家族が増え、最初は1人
従うことは難しく、というよりもほど遠く、
自分に嫌悪すら感じてしまう思いになります。 で出ていったのに 3 人家族になりました。妻
となり、母となり、その次は・・・と想像す
大切なお祈りでさえ、他に気をとられなが
るとおそろしいような気もしますが、きっと
らたまに祈るという生活です。
神さまがこの先も何か楽しいことを備えてお
それでも、私は日々、とにかく毎週の礼拝
られるように思います。
に出かけたい。御言葉を聞きたい。心から神
少しややこしい話をすると夫は信徒ですの
さまをみあげたいと思うのです。
で教会員ですが、私は牧師なので教会員では
今、瀬戸永泉教会で礼拝をまもることがで
ありません。教派によっては牧師を辞すると
き御言葉に満たされることを本当に嬉しく思
信徒に戻るということもあるようですが、多
っています。
くの教会では牧師は一生牧師です。私の現在
最近私は、清らかに澄んだあたたかい心を
の正式な肩書は無任所教師というもので、ど
与えてくださいと祈り求めています。
こかの教会に赴任すると○○教会の牧師とい
私の中には不安、心配、苦しさ、切なさ、
う肩書に変わります。
「えっ!あの人牧師だっ
妬み、怒り、屈折した気持ちなど、自分では
たの?」とみなさんを驚かせないために、一
どうにもならない感情や罪の性質が非常に多
言説明させていただきました。
くあります。
これまでの経緯はさておき、礼拝堂のファ
けれど、こんな私に神さまは愛、恵み、ゆ
ンが好きな息子の真人(1歳半)の成長を見
るしを与えて下さいます。今は平安を求めて
守りつつ、同じように私自身も神さまに温か
いる弱い私ですが、神さまに成長させて頂き
く見守られていることを感じ「あぁ、モドッ
少しだけでもいつか用いられ神さまに何か捧
テきたんだな」と思い起こす日曜日を過ごさ
げることができたらと思います。
せていただいています。
御心にかなう、神さまに喜んでいただける歩
みができるよう助けて下さいと祈り求めなが
ら、イエス様とともに歩む生活を、喜び過ご
していきたいと思っています。
転会
若杉由香
「転入会」を終えて
小椋
基美
2010年に小椋 実央牧師の知立伝道所
赴任に伴って瀬戸永泉教会を送り出されて早
いもので5年の月日が過ぎましたが、こうし
てまた教会員として迎え入れていただけたこ
とを感謝しております。
まだ信仰歴9年と浅い私ですが、東京神学
大学に入学が決まっていた橋本実央姉妹に導
かれて永泉教会に通うようになった翌年の2
006年に受洗し、同年に姉妹と結婚。当時
牧師だった益 守栄先生に「夫婦の愛とは何
でしょうか?」という趣旨の質問をした際の
答えが「それは幻覚(まぼろし)です。」と言
われたことを懐かしく思い出します。
今にして想い返せば「人と人の関係は虚ろ
なもので主に仲立ちしていただけなければ儚
い夢のようなもの」といったことを伝えたか
ったのでしょうが、結婚前の私は何とも妙な
気持ちになったものでした。
あの時は何とか主に近づきたいと聖書を読
み返していましたが、結婚翌年に父を病気で
失い、その半年後に祖母が亡くなった時には
何をしても虚無感を埋めることができず、礼
拝を守ることも苦痛なほど苦しみました。
教会のみなさまに心配していただき、見守
っていただいたことで少しずつ立ち直ること
ができたことを今でも感謝しています。
諸事情があって知立伝道所を離れることに
なりましたが、いずれの教会にあっても主を
頼り求めることの大切さに変わりはありませ
ん。主を仲立ちにして兄弟姉妹と信仰を守っ
て行きたいと思っております。
幼い息
子共々ど
うぞよろ
しくお願
いいたし
ます。
教会建築準備委員会が始りました
太田信吉
2015 年 4 月 19 日教会総会にて建築準備委員
会の特別委員会として設立が承認され、6 月 7
日に第1回が各部からと共に考えたいと言う
方、そして長老会のメンバーが加わって始り
ました。私が委員長ということで皆さんの意
見を取りまとめていく役割を担わせて頂くこ
とになりました。また副委員長に加藤良平長
老、書記に三ツ川修治兄が選任されました。
瀬戸永泉教会の礼拝堂は 1900 年、CS館は
1980 年に建築されています。CS館は、耐震
強化補強を 2006 年に行いました。多くの教会
の歴史を見ていると移転をしたり礼拝堂が焼
失したりシロアリ被害にあったり老朽化で危
険になり建築を行っておられるのが伝わって
きます。その意味では文化財に登録された瀬
戸永泉教会礼拝堂を持ち、今も変わらずその
礼拝堂での礼拝を守ることができている私た
ちは本当に大きな恵みを受けているのだと思
います。そのような現在の礼拝堂に対しての
思いには多くの教会員にとって熱いものがあ
るでしょう。それでも足の弱くなられた教会
員にとって今の礼拝堂が集まりやすいものか
どうかと言われると難しい所もあるかと思い
ます。また新しい礼拝堂の建築をと言われる
と資金的にどうなのか、例えば1億近くの建
築へのお金がかかるとして教会員への過度な
負担になるのではないかとの危惧もあります。
準備委員会は、このようなことを話し合いな
がら2年後くらいには教会員の一致できる様
な方向性が出せるようになるといいなと願っ
ています。
そのためには、礼拝堂に何が必要で何が足
りないのか、神さまのことを伝道して行く上
で私たちは何を大切にして行くのかという視
点を持ちながら、教会建築について準備委員
会で学び、話し合い、それぞれの思いを分か
ち合い、主の子羊の群れとしての共同体の働
きを充実させていければと思います。
夏の集い 2015「わたしは良い羊飼い」
佐伯晶子
教会で、イエス様と、お友達と共に過ごし
た時間は、みんなの心にどのように刻まれで
しょうか。
前より仲良くなったお友達や、教師との距
離が近くなった子も見かけます。
最後に、献品やボランティア、祈りを献げ
てくださった方々に感謝します。
伝道委員会からの行事案内
岩田
武
○特別伝道礼拝 10 月 18 日(日) 10:30~
説教「教会形成と福音」
講師 落合建仁教師
(金城学院大学文学部宗教主事・専任講師)
(前 鎌倉雪の下教会伝道師・牧師)
午後は愛餐会を予定しています。
「その羊もわたしの声を聞き分ける。こうし
て、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れ
になる。」
ヨハネによる福音書 1 章 16 節
今年の夏の集いは、キリストの体である、
教会で行われました。教会で、みんな一つに
なって、御言葉を聞き、学び、体験しました。
また、全力で遊んで、銭湯で汗を流し、美味
しいご飯を食べ、ぐっすり寝て、翌日はちゃ
んとお掃除もして、時々プチトマトもコロコ
ロと転がってくる流し素麺や、スイカ割り等
楽しい時間を過ごしました。
分級①では、紙粘土と綿で羊を作りました。
一つ一つ違う、とっても表情の良い羊になり
ました。
分級②では、子ども達が羊飼いになって、
迷子の羊を探すゲームをしました。紙粘土の
羊を外に隠して、それを探します。羊飼いが
羊に近づくと、隠した人が「メェ~、メェ~」
と鳴き声を大きくします。羊飼いは、その声
を聞き分けます。
分級③では、大内姉の戦争のお話を聞きま
した。さつま芋のつるなどを実際に見せなが
ら、当時の食生活のこと、防空壕に何度も駆
け込んだこと、戦火の名古屋の方角の夜空が
照らされていたこと等、この瀬戸の地に起こ
った貴重なお話でした。
今回は、部分参加しやすい環境だったので、
子ども 15 名、大人 31 名と大勢の人が参加し
ました。
○オープンチャーチ
9 月 12 日(土)
昨年までは、「来る福招き猫まつり」の日に
合わせていましたが 今年は、「せともの祭
り」の日に行い、来訪者を歓迎しました。午後
には教会コンサートを開催しました。
=編集後記=
加藤良平
主に栄光ありますように。今回も原稿お願いし
ました方々、ありがとうございます。転入された 3
人の方の思いと(お二人はお帰りなさい。) 私たち
教会が主に向かって歩むために、建築準備委員会
が発足し、その意気込みをいただきました。私た
ちが御言葉をいただき、絶やすことの無いように、
広がっていくようにと祈りこめて、群れが大きく
なるように主よどうか導いてください。アーメン
日本キリスト教団 瀬戸永泉教会
牧師 高岡 清
〒489-0822 瀬戸市杉塚町5 電話、FAX:0561-82-2314
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