日本外交論5 帝国主義国としての日本 日露戦争後の東アジア国際秩序 日英同盟 • 日英両国の覇権 他の帝国主義国 • 日本の植民地 – 韓国 – 台湾 • 米国の太平洋進出 日露戦争後の東アジア • 日本に対する警戒=中国、韓国 、 • 日本に対する尊敬=トルコ、インド • 1905日米覚書=米のフィリピン支配 日本の韓国支配 • 1907日露協約=米の満州進出に警戒 – ロシア=外モンゴル、北満州 – 日本=韓国支配、南満州 • 1907日仏協約=日本の韓国支配 仏のインドシナ支配 中華民国の成立 • 1905 孫文、「三民主義」 – 民族主義=国家の回復 – 民権主義=共和国政府成立 – 民生主義=地権平均、格差是正 – 中国の日本留学ブーム • 1911 辛亥革命=清朝の崩壊 – 孫文、中華民国の成立 – 袁世凱が大総統に、軍閥の台頭 第一次大戦前の世界 • 大国による国際関係の支配 – イギリス・フランス・ドイツ=主要プレーヤー • 日本とアメリカという新興国 – 国力↑、国際的影響力はまだなし • 影響力を失う国々 – ロシア・オットーマン帝国・オーストリア 第一次世界大戦 • • • • • 三国協商(英仏露)vs三国同盟(独墺伊) 初めての総力戦 戦車、飛行機、潜水艦の登場 化学兵器の使用 日本の参戦=独の植民地攻撃 – 青島、南洋諸島 – インド洋と地中海で連合国軍の護衛・救助 • 日本の大戦景気=欧米のアジア市場を奪取 1915・対華21カ条要求 • • • • • 第1項 山東省のドイツの権益継承 第2項 南満州の租借、東部内蒙古の支配 第3項 最大の製鉄会社の日中合弁化 第4項 沿岸地域を外国に譲与貸与しない 第5項 日本人顧問の雇用(政治経済軍事) →半植民地化に対する反発、英米の抗議 →第5項を除いて最後通牒 →5/9 受託=国恥記念日に アメリカの参戦 • • • • 当初の中立、米国=多民族国家 連合軍との貿易>三国同盟 T.ルーズベルトの怒り 独潜水艦の米戦攻撃 →米国の参戦 米国軍=13万人→200万人 ウィルソンの14カ条平和原則 • • • • • • • 1、秘密外交の廃止→公開外交 2、海洋の自由 3、経済障壁の撤廃 4、軍備縮小 5、植民地の公正解決=民族自決の一部承認 6、ロシアの回復 7、ベルギーの回復 ウィルソンの14カ条平和原則 • • • • • • • 8.フランス領の回復 9.イタリア国境の調整 10.オーストリア=ハンガリー帝国の自治 11.バルカン諸国の回復 12.トルコ少数民族の保護 13.ポーランドの独立 14.国際平和機構の設立 – アメリカのexceptionalism 1919 ベルサイユ条約 • 日本は連合国5大国の1国として参加 – 膠州湾・青島・南洋諸島の占領 – 中国の21カ条要求撤廃は却下 • 人種差別撤廃提案は廃案に – 日本の失望 – ウィルソン大統領の差別主義 – イギリスの事情 • 国際連盟設立へ – 米国は批准せず ロシア革命とシベリア出兵 • 1917/10 ボルシェビキ革命 – 革命軍と反革命軍の内線 – 英仏の反革命軍応援 • 1918 日米英仏の出兵 – 名分=チェコ軍団救済 – 実際=革命干渉戦争 – 日本=共産主義vs天皇制 領土的野心=傀儡政権樹立 • ベルサイユ条約=干渉戦争の終了 – 日本は1922年まで撤兵せず→国際社会の批判 五・四運動 • ベルサイユ協定に反対 • 反日デモの広がり→共産党の発足 • 共産党の存在意義=反日運動 1919/5/4 天安門広場のデモ 1922 ワシントン条約 • 4カ国条約=日英米仏による覇権 – 日米条約の廃棄 – 不安定な覇権 • 5カ国海軍軍縮条約(+伊)=5:5:3:1.75:1.75 • 9カ国条約(+中、ベルギー、蘭、葡) – 主権尊重・領土保全 – 門戸開放 ワシントン体制の東アジア国際秩序 日・英・米・仏四カ国条約 • 日英米の共同管理 • 不安定なシステム • 国家主義の台頭
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