Title 常平架装置をもつ球形香炉の研究 : ヨーロッパ所在品を 中心として

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常平架装置をもつ球形香炉の研究 : ヨーロッパ所在品を
中心として
中谷, 昭子
文化女子大学紀要. 服装学・生活造形学研究 (25) (199401) pp.127-145
1994-01-31
http://hdl.handle.net/10457/2222
Rights
http://dspace.bunka.ac.jp/dspace
常平架装置をもっ球形香炉の研究
ヨーロッパ所在品を中心として一一
中谷昭子*
A StudyontheSphericalIncenseBurnerwithGimbalRing
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nEurope
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要
旨正倉院に伝存する銀・銅 2個ある薫炉は, 1
2
0
0
年も前に作られたものであるが,鎚起による
半球を 2つ合わせて球としその中に,自在の三重の輸の常平架装置に支えられた火炉をもっている。
球という形状と,その表面の加飾の美しさと,更にその球が回転しても火がこぼれないという,独特の
仕掛に興味をもち,この球形の香炉が,洋の東西にどう伝播し,どう使われたか調査したいと思った。
そこで美術館や博物館を尋ね歩いて,球形で,常平架装置の火炉をもっ香炉の,現存品を探した。
現在まで?こ収集,調査できた資料は総計5
5点にのぼるが,これをヨーロッパ地域製4
1点,アジア地域
製1
4点に大別し,今回はヨーロッパ所在品を中心として考察を行った。
その結果判ったことは,ヨーロッパのものには, 1
2
世紀を上る現存品はなく,しかも 1
6
0
0
年頃までの
時期に集中しである。その聞に,はっきりした加飾の推移,文様の変化が現われていて,その背景にあ
る,イスラム金工の西欧への移入の実態が明らかになった。しかもこの小さな 1個の金工品がその主役
の一端を担っており,“v
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a(ヴェネチアン・サラセン)"と呼ばれる金工の一系列の発生に
関する,ヴェネツィアと東地中海地域の出会いの歴史の中の,興味深い事実を知ることができたので報
告する。
聞社発行)に見られるように,旧師三井安蘇夫
I はじめに
東京芸術大学名誉教授が,昭和2
5年からの正倉
院第 l次金工調査,および 4
5
年からの第 2次調
正倉院宝庫に伝存する数多くの金工品の中で,
査に係ったこともあって,この球形香炉の制作
銀・銅 2個ある薫炉に興味をもったのは,かな
法と装置に,特別の関心をもっていた。その制
り前のことである。私が初めて自にした銀製の
作方法は,作品の形状,大きさ,厚さを決定し
薫炉は,宝相華唐草の総透彫の,大きな球がま
て地金の必要量を算出し,余分の地金を加えて
ばゆいばかりで,繊細かつ華麗であった。
鋳塊を作り,円板を作って鎚展をし,鏑型を作
直 径 18cmのその球体は,半球状の身と蓋と
ったと思われる。更に,仕上りの形と同じ雌型
を 2つ合わせたもので,中には,互いに直角に
の木型を作って打込み成型し,なお,雄型の木
角度を変えて 2支点で連結し,中心を一つにし
型により上・下半球を整え,口径を合わせる方
た三重の輸が,火皿を常に水平に保っており,
法がとられたかもしれない。成形後球表面に,
球が回転しても火がこぼれない,羅針盤と同じ
精巧で美麗な文様を,切撃で切透して加飾して
ような仕掛けになっている。
し、る。
宮内庁蔵版の『正倉院の金工J (日本経済新
後にフィレンツェで,国立バルジェロ美術館
5
世紀からのメディチ家のイスラム金工品
の
, 1
*本学教授金工
コレクションの中に,幾つかの金銀象般の球形
(1
2
7)
香炉を見出し,金工室に展示の鍍金の豪華な総
そこで“薫球"が登場したと考えられる。古代
彫模様の球形香炉と併わせて,この,球形の中
の貴族たちは,常に香りを衣服にしみ込ませる
央を合口とし身に常平架装置による火炉を納
ばかりでなく,夜具にも香りをしみ込ませてい
める香炉が,洋の東西に,どう伝播しどう使わ
た。『西安雑記』によると,西漢末年に長安の
れたか,調べたいと思った。
名匠丁緩が,“臥樗香炉"というものを作った
美術館・博物館の収蔵品としては,メインの
とし寸。ー名“被中香炉"といい,前に房風が
展示品とはなりにくい金工小品のこの球形香炉
それを作った後,絶えていたのを,丁緩が再び
を見出すのは,そう簡単で、はなかった。年月を
始めたもので,機環が付けられていて,周囲に
重ね,足を延ばして,資料集めをした。 lつの
転がすことができるのでこの名が付いたの,と
“モノ"を追うことによって,色々なことが判
ある。これは明らかに“薫球"を指すと考えら
ってきた。現在迄に集めた資料を整理し,知り
れる。しかし,漢代の“薫球"は文献の上だけ
得たことを報告する。
で,現物は考古学的にはまだ発見されていな
い。目下のところ“臥祷香炉"は, ~西京雑記』
E 球形香炉
が書かれた東晋・南朝より早く中国に現われて
いた筈だとしか言い得ない。現在知る限り,出
1.由来
土品や伝世品の多くは,唐代のものである。
日本に於ける香の将来は, 6世紀,仏教の東
一方エジプトでは,古くから香が発達し,神
漸に伴なうものと考えられるが,中国では,古
々に香を供え,人を葬る時には,通常死者の口
代かなり長期にわたって行なわれていた習俗で
および手の中に,焚香を一つまみばかり入れて
ある。昔から中国人は, I
壊す方法を利用して,
やるのであったという 4)。古いベルシアの信仰
殺虫或いは消毒することを重んじていた。周代
で、は潔めの儀式を焚香のただよう中で行ない,
の法典『周瞳』の巻三十七に, I
璃氏は虫を除
パピロニアの風習にも焚香があった。焚香は祈
くのにシキミを1
壊す」とある。香りをもっ草を
祷,神託を行なう時,葬儀などの場合に,神々
慎草と称し,香気の科学的作用を,汚れを除く
に供えられ,寺院に於てだけでなく,個人の住
こととした。香を焚くことは,空気を消毒する
宅に於ても用いられたらしし、。ギリシャでは紀
こととしていたようである 1)。大昔はもっぱ
元前 8世紀の噴,アフロディテの神事に於て,
ら,その土地に産する香草を燃やしていた。
焚香が初めて用いられるようになり,その後,
仏前供香の器具として,香炉が伝わったと思
われるが,インドでは, 4
0
0
0
年前の遺跡という
焚香の使用は,他の神々の神事にも普及した。
特に肉を焼いて犠牲とする時,その不快な臭い
モヘンジョ・ダロの発掘品に,香炉と推定され
を消すために,多く用いられていたとし寸。こ
るものが発見されているとし、う。
の時代には,既に香炉の使用が考えられる。エ
紀元前 1
1
1年以後,中国と東南アジアとの交
ルサレム考古学博物館には,紀元前 1200~900
通が聞かれ,上等の香料がもたらされるように
年といわれる“大祭司が用いた香炉"が所蔵さ
なった。インドから仏教が渡来するに及んで,
れている。またへブライ人が神般で香炉を用
香炉も盛んにインド・西域方面から,中国に流
い,ソロモン王(紀元前961~922年)が香炉を
入したと思われる。広州,長沙などの漢墓から
作ったという伝えが, ~旧約聖書』にも見られ,
蓋のある香炉が出土しており,中原地区でもさ
カトリッグ教にこの伝統が残っている。しかし
らに精綾な“博山香炉"が発見されて,高級な
6世紀頃までの原始キリスト教に於ては,た
香を焚くようになったことが判る 2)。“博山炉"
だ,異教徒が焚香を用いるとし、う理由だけで,
には台座があり,重厚な美しさをもっている
その使用を諸儀式から閉め出していた。但し葬
が,手軽に持ち運ぶとし、うわけにはし、かなし、。
儀には用いていたらしい。儀式に際して焚香を
(1
2
8)
常平架装置をもっ球形香炉の研究
用いることが拡がったのは,東ローマ教会に於
記載されるような宝物として“手炉"や“あん
てであった。イタリア,ラヴェンナのサン・ヴ
か"が取り上げられており,“球形の手炉"の
ィターレ聖堂内陣には, 6世紀中頃の壁のモザ
聞いた絵図と,二重の輸の図解があった 8)。回
イクに描かれた皇帝ユスティニアヌスの臨身の
転炉は,“手炉球"の基本要件で、あったので、ある。
中に,聖書を捧持する姿に続いて,鎖の付いた
2
. 機構
三足の香炉を提げている姿が見出される。
形状として最もシンプルで,窮極の美しさを
8世紀に至ってようやく,法王が厳修する大
もち安らぎを与える球を,古代から人々はそこ
ミサの時の香の使用が詳しく記述され,法王
に神秘性を見出し,崇めてきた。当然その形を
は,金製の香炉を捧持する副司祭に従って祭壇
モノに写すことを思い付く。絶えず動くという
に進み,福音書の合唱が焼香に先立つて行なわ
その特性が用途を遮ぎる時,人々はそれを解決
れる。法王の退下の際も,進入の時と同様に行
する工夫をする。それが,球形香炉に於ける常
われた 5)。香がキリスト教会に於て用いられる
平架装置の採り入れであろう。転がしても火が
ようになり,香炉の使用が起った。聖地サンチ
こぼれないよう,カルダン支持装置を火皿に取
ャゴ・デ・コンポステーラにあるサンチャゴ大
り付ける。半球を 2つ合わせた球体の下半分の
聖堂の金細工師の門は,スペイン・ロマネスク
縁内に,中心を同じくする二重または三重の輸
彫刻を代表する石造の扉口彫刻であるが,その
を,互いに直角に方向を変えて同軸 2ヶ所で連
左ティンパヌムの浮彫の中に,天使が球形の香
結して中央の火皿を支えると,球が回転して
炉を提げ,キリストに香を捧げに来ている姿が
も,遊動環に支えられた火皿は,自身の重みで
ある。また西正面の栄光の門の扉口彫刻は,
常に水平状態を保つ。この便利な仕組は,最も
1
1
6
8
年から始められたもので,既にロマネスグ
一般的なルネサンスの応用として,船の羅針盤
様式を超え,次のゴシック様式を告げる新しい
座に据え付けられたことが知られる。そして怪
スタイルになっているが,その中央の一段と大
我人を運ぶための馬車の懸架装置の台車や,や
きいキリスト像の肩に隠れるように,小さな天
がて自動車のいわゆるカルダン式ギアーの十字
使が 2人,やはり丸形の香炉を提げているのが
リングも,この原理に従っている 9)。
この誤って,ルネサンスのイタリア人数学者
見える。何れも鎖?で提げる形式のものである。
修道士 THEOPHILUS は ~Essi
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Geronimo Cardanoに因んで名付けられたカル
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J に,中世僧院に付属した工房で用いられ
ダン自在懸架装置は,非常に古い起源のもの
た,種々の方法について書いているが,その中
で,既に紀元前 2世紀頃,ピザンツのフィロン
に,金,銀又は銅の打出しによる香炉の制作法
によって,インク用具のこぼす心配のない懸垂
と,鋳造による香炉の制作法を詳しく述べてい
を可能にするために,実用されていたとし、う。
る6)0 1
2世紀にこの宗教に用いられた道具とし
中国では前述のように,西漢末年の被中香炉の
ての,香炉の重要性が知られる。
記録がある。しかもこの装置は,手炉球と全く
1
9世紀の考古学者 VIOLLET.LE.DUCは
,
その書 ~DICTIONNARIO
同一である。香球と手炉球の識別は悶難で,ど
DE MOBILIER
FRANCAISJ に,鎖付き蓋付きの吊香炉につ
ちらの利用目的を優先するかは,書きとめられ
たものを引用するしかない。
いて,典型と思われるものを取り上げ,図示し
3
. 名称
ながら,詳しく説明している。それらは台脚付
のものである 7)。
(1)香炉
〔日本〕
ところが,同じ巻の前の方の頁に,球形が半
薫香を焚く容器のこと。
分開き,中に二重の輸の見える挿絵を発見し
(
2
) 薫炉
た。“暖房具"である。そこには,財産目録に
正倉院に残る 8世紀の東大寺献物帳は,聖武
(1
2
9)
天皇の遺愛品を,光明皇后が屋舎那仏に献納し
(
3
) 香嚢
た際の献納目録であるが,その lつの『界風花
法門寺地下宮より出土の 2種の球形香炉は,
銀薫櫨萱合」と記載されている。
藍等帳』に, i
碑文との照合により“香嚢"と記されている。
香炉と薫炉の区別については明らかではない。
(
3
) 香嚢
それらは“薫球"と同構造で吊鈎付であるが,
透しの部分が比較的小さい総模様のものである。
(
4
) 香球
平安時代の朝廷の供具・室礼・調度・装束等
を記した『類栗雑要抄』によると,“香嚢"は吊
宋代,陸瀞の『老学庵筆記』によると, i
貴
香炉で,高さ径とも 5寸,直径部が合口とな
族の女たちは牛車に乗る時,“香球"を手にした
り,頂部の鎧に長さ 2尺 5寸の鎖を掛け,その
小間使いを両側に乗せ,自分もまた袖の中に小
先端の鐘に鈎を付け,下部の鑑には総角を垂れ
さい香球を 2つ持つ 1
3
)Jとあり,日本の“香盤"
る。合口の表裏に蝶形蝶番と鳥形止金具を打
と同義と思われる。
ち,身に三重の輸に支えられた鉢の構造など,
〔 西 欧J(現所蔵での表記例)
全て図示して説明が付いている 10)。
(
1
) イタリア
(
4
) 盤龍
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室町時代に書かれた, ~君皇観左右帳記』の
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棚飾り形式の図中に,“盤龍"を違棚の上段に置
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チウシヤクノマワリカウロ也同タイニス
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ワル」の註記があり,鎌釦即ち真鎌製の球形香
SFERADIRAME
炉を,飾り香炉として用いている 11)。
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o(手炉球)
(
5
) 香盤
(
2
) イギリス
正倉院の 2種の香炉と同形のもので,近世の
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“香盤"は小形で,携帯用とされる。江戸時代
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の辞書, ~和漢合類大節用集』器財門五頁にあ
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る,“侃香"がこれを指すと思われる。
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(
6
) 掛香炉
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spomander
江戸時代の, ~婚躍道具図集』に図示された
Hand-warmer(手炉)
“掛香炉"の形状は 12),~類粟雑要抄』にある“香
Handwarmer(手炉)
(
3
) フランス
嚢"と,ほぼ同じである。
〔中国〕
(ENCENSOIR香炉)
(
1
) 臥祷香炉(被中香炉)
COUPEDECHAUFFE-MAINS(手炉球)
劉款の『西京雑記』全 5巻の巻ーに,西漢末
国考
年,長安の名匠丁緩が,“臥祷香炉"(布団の上
察
に置ける香炉)を作ったとある。これは別名
“被中香炉"とも呼ばれ,球体の中に炉を仕込
本研究を進めていく段階で,現在までに収集
み,回転しても炉は水平を保ち,寝床に入れて
し調査した資料は, 5
5点にのぼった。うちヨー
も大丈夫,というところからその名が付いたと
ロッパ地域製のもの 4
1点を今回の研究対象と
し、う。
し,一覧表を作成,別表として写真と共に掲載
(
2
) 薫球
する。この図表を基礎資料として,以下考察を
球状の香炉をいう。透し彫りの球の合口の表
行なう。
裏に蝶番と止金を付け,頂部に携帯用の鎖・鈎
1
. 基調作品とその特色
がある。
現在までに収録できた 4
1点の中,特に特色の
(130)
常平架装置をもっ球形香炉の研究
あるものについて 1
2点を選び,ヨーロッパに於
現在フィレンツェで鍛製とみなしていることに
ける,球形香炉についての特色を明らかにする。
ついては,ガラスケースの外から観た球表面の
(
1
) 資料 N
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o(典礼
加飾の肉彫では,鍛製(鎚起)での半球成形の
厚さとしての限界であり,可能ではあるがかな
用手炉)
FIRENZE,Museo N
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7
7
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)
型で模様を付ければ,地金は硬く,表面を聖で
最初に取材した 1
9
8
5
年 7月には, I
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整理することも容易で、,鋳製の可能性の方が大
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oXVJ と表示されて
fumo,a
り大変な仕事と思われる。鋳造で成形し,蝋原
と思われる。
9
8
7
年夏も同様であったが,館の記録に
いた。 1
(
2
) 資料 No.2:球形香炉
は IPROFUMATORIO0 SCALDAMANI(
香
東京三鷹,中近東文化センター
炉又は手炉),球状,カルダン懸架装置の小銃
イラン又はアフガニスタン, 12~13世紀作。
内蔵,円花装飾,銅・鍍金,寸法:直径9
.
9cm,
ヴ
直径 1
3
.
2cm。全面,真鎌に銀象娠を施した総
ェネツィア製, 1
5又は 1
6世紀(?)
Jとあった。
透彫で,五線星形に帯模様が交差し,丁度袴掛
ところが, 1
9
8
9
年 9月には表記が違っていた。
けに糸を巻いた手盤のようで愛らしい。その帯
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現表記の, I
に固まれた 1
2の五角形の中に,占星の十二宮の
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mosana,X
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J に変っていた
装飾を象厳した, 1
2
世紀の晩期か 1
3
世紀の初期
のである。
にへラートで作られた金工の特徴のあるもの。
この作品は, B
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n Nationa1museum
実際にはそれは,上下の帯模様が合っていない。
年発行の W
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1undWarMunchen1
9
8
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多分 2つの,異なる香炉の半球からなるもの
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1(冷却球と暖房球)~の l 番始めに,詳
で,半分の帯模様の装飾は刻銘文であり,それ
細な記述がある。「銅(青銅?)鋳造,彫刻,
に対して他の半分は,走っている動物の模様で
打ち抜き,鍍金,直径 10cm, ケ ル ン (?),
ある。恐らく単一の作品ではなく,ヘラートの
1
1
9
0年頃(ニコラウスの工房ないし周辺 )
Jと
作業所によって作られた,同ーの手法で類似の
官頭に示し,次いで六つの同じ大きさの円形浮
灘市での,一群の香炉の一つで、あったと思われる 15)。
彫によって球を分割構成した,密に覆った花模
帯の刻銘は,栄光,繁栄,富,完全,幸福,
様の図柄を取り上げ,芸術的および手仕事的な
感謝など,人の世の喜びを表わすアラビア語が
質の高度さだけでなく,制作の場所や時期およ
並べられてし、る。
び様式の確定のための考察を行ない, I
故にわ
5世紀以降のヨーロッパで姿を消した古代占
2世紀の最後の 2
0
年間での,ケノレンで
れわれは 1
星術の伝統が,イスラム世界に伝わり,やがて
の発生を想定することができる。」としている。
1
2
世紀頃から,占星術書がラテン語に訳され,
そして, l
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oでは b
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i(香炉)
ヨーロッパにも知られるようになるのであ
る16)。
とみなし, 1
5世紀イタリア風としている。」と
(
3
) 資料 N
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:Coupedec
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手
書き, G
unther S
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yはこの作品を,
重要なものとして上げている 14)。
炉球・上半)
PARIS,
MuseedeC1uny(
C
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7
7
0
3
)
私は最初,この作品を香炉と見ており,撤密
年に V
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yGay博物館から取得したも
1
9
0
9
な肉彫の,それぞれ異なる草花模様で埋まった
六つの円で閉まれた金色の球が,やや硬質で,
の。彫り文様のある鍍金銅の上半球欠である。
2世紀末のものと
凝縮した重さを感じていた。 1
。北フランス, 1
3世紀
直径 10cm,高さ 4.8cm
すると,既見のもので,一番古い作となるが,
第I/3半期の作とされる。半球表面は, 4箇の
手炉球としても,他には類を見ない。
大きな円額で分割され,ラテン語の大文字の銘
制作方法について,
ドイツ書では鋳製とし,
の帯で縁取られた円形メダイヨンには,
(1
3
1)
4種の
基 礎 資
資
N料
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名
称
1I
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2 球形香炉
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中近東文化センター
推(定世年紀
)
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.17703 FrancedeNord
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AUFFE-MAINS
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1 花鳥文透鞠香炉
東京
東京芸術大学芸術資料館
金工 1
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」 ー
o制作地域・制作年代については,所蔵者・館の表
0名称は,現地の表記をそのまま使用した。
0所在は,現所蔵を示した。
記に従った。
写
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常平架装置をもっ球形香炉の研究
科一覧(続)
構
技法種別
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(人物 文
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鍛丸孔製
,
透彫
, 銀象様,
擬似グーフィッグ,アラベスク
なし
差込
なし
2輪
銃
鍛
丸
干
製
し
透
,彫
, 銀象俵,
擬似クーフィッタ,アラベスグ
なし
差込
なし
欠失
欠失
鍛
丸
製
孔
透
,彫
, 銀象帳,
擬似グーフィッグ,アラベスグ
なし
差込
なし
鍛丸製孔透
,彫
, 銀象様,
アラベスク,弁花
なし
差込
なし
欠失
欠失
鍛丸製孔透
,彫
, 銀象保,
アラベスク,メダイョ y
上
(
後
部
補
吊
?
具
) 差込
なし
2輪
銃
鍛製,彫,銀象阪,
丸孔透
擬似グーフィッグ,アラベスグ
なし
差込
なし
2輪
鏡
鍛丸製孔透
,彫
, 銀象阪,
絡み紐,弁花
なし
差込
なし
2輪
銃
鍛丸製孔透
l 彫
, 銀象様,
絡み紐,メダイョン
なし
差込
なし
2輪
銃
鍛製,線彫,地透
忍冬唐草
なし
蝶番
なし
欠失
欠失
蝶番
なし
欠失
欠失
上下部
蝶番
なし
2輸
閉
口
銃
付
萱
なし
蝶番
なし
3輪
高
品
基
鍛
透製,線彫, 丸孔棒 動物,植物
(上・円下孔)
文
献
備考
METALLIISLAMICI
Ar
to
ft
h
eAr
a
bWo
r
l
d
なし
鍛製,線彫,丸孔棒
透
動物
鍛製,線彫,地透
花,鳥,唐草
0 技法は,成形方法・加飾技法について要略した。
1
8
世紀ワ
0一覧表の番号と写真番号とは一致する。
o文様は,主題について要略した。
。印基調作品
。
No.9
No.10
No.13
No.14
No.ll
。
No.15
(1
3
5)
No.12
。
No.16
No.17
No.18
No.19
No.21
No.22
No.23
No.25
No.26
No.27
No.29
No.30
No.31
'No.33
No.34
No.35
。
(136)
No.20
No.24
。
No.28
No.32
。
No.36
常平架装置をもっ球形香炉の研究
れる。
この球の制作については,年代決定と場所決
定に,異論やかけ離れた意見が存在するとしな
がら,諸例をあげ, 1
1
3世紀初頭,マース川流
域ないしはイギリス(カンタペリー ?)J とし
ている 18)。
No.37
No.38
(
4
) 資料 N
o
.5
:SFERADIRAME(銅球)
ROMA,
T
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o
r
od
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oMuseoS
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A
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c
o
表記によると,
1
聖具室で手炉として用いら
れた。中に,カルダン支持装置によって管理さ
れた,熱した鉄片を置いていた。 1
2
世紀から 1
5
世紀」とある。制作地についての記述はない。
2つの半球は,大き目の蝶番でつながれてお
No.39
。
No.40
り,開閉型止金もかなり大きい。丸線を通し
て,内側で脚を聞いて止めただけの大きな鎧
が,両頂部に取り付けてある。鍛製の地金はか
なり薄く,合口部に,線彫で縁帯を残し,大小
2段,各 8箇の円文の外の地全体に,無数の丸
孔を穿っている。円内の細し、八葉花は,線彫で
表わされ,地を,点線の細い環状目で、飾ってい
る。下半球の側面の止部の横に,短い角材が鋲
留されている。おそらく後補と思われるが,熱
No.41
い半球を支えるための把手に使われたものと考
えられる。内部には,カルダン支持装置の 3重
異なる男性像の上半身が,線彫で表現されてい
の丸線の輪があり,連結部はつぶして板状に
る。円形外の頂部と三角小聞は,アカンサスの
し,丸孔をあけている。中央の鉄製の小銃に
葉文様で埋められ,全ての装飾は,蹴彫線で表
は,小さな耳を両側に鋲留して孔をあけ,軸に
わされている。この上半球には,透しは天頂の
連結して提げている。そしてその直角の両側に
丸い隙間しかなく,下半球が欠失しているため,
孔をあけて,細い丸線を付けて中央で捻じ合わ
内具の機構は確認できないが,この丸孔が,手
せた提手がある。小錦の底面の中心には心棒が
炉球の暖気の出口として役立つたか,或いは鎖
立ててある。おそらくは,熱い鉄栓を受けるた
のための輪の固定に役立つたかと思われる。
めのものと思われる。
S
c
h
i
e
d
l
a
u
s
k
yは,この作品に描かれている
4人のうち 3人を,文法と修辞学と弁証法の 3
科の代表とし他の意味不明の 1名を加えて,
自由 4科を表現する図像学上の理由から,この
これについて W
K
u
h
l
l
王u
g
e
lundWarmapfeU
では, 1
鍍金の残る銅,彫金,直径 1
1cmJ と
作品を学者の所有物であったろうと推定してい
記し,その星形ロゼッタの円形葉模様装飾を取
り上げ,類似の作品を示して,
1
北東フランス
製
, 1230~1240年頃」とみなしている 19) 。
(
5
) 資料 N
o
.6
:S
c
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l
d
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m
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n
il
i
t
u
r
g
i
c
o(典礼
る17)。中世のモノが,貴族階級や僧侶階級の
範囲で、残って来ている中で,学者はやはり,当
用手炉)
FIRENZE,Museo N
a
z
i
o
n
a
l
ed
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lB
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r
g
e
l
l
o
時同じく,聖職者の地位に属していたと考えら
(1
3
7)
(
n
.
6
6
2
C
)
る。アラビア語の銘文を繰り返す装飾方法は,
マムルーグ朝時代の金属工芸に典型的で,アラ
球形の典礼用手炉の上半分である。彫りによ
る円形浮彫と,透しの模様で構成されている。
フ守の支配者のための,祝福の常套句が含まれて
中央には, INRIの文字と共に,キリストの十
いる。双頭の鷲のメダイヨンの聞には,六点星
字架像がある。周りには福音史家の 4つの象徴
の幾何文様の小円文を配し,周囲を花様渦巻で
があり,他の円形装飾には,聖人の像が表わさ
埋めている。
れている。「銅・鍍金,寸法:直径9
.
6cmX高
真鍬鍛製で,直径 1
8
.
4cmある大きな球の,
さ5.5cm,イタリア製, 1
3世紀 J と記録され
銘文の帯で固まれた頂点の円模様の中心には,
ていた。
丸線を曲げただけの鎧が付いており,吊るされ
全体,上下と合口部に大きな円文 6を配し,
たものであることが判る。恐らく吊り下げる装
各 3の大円を中円 8でつなぎ合わせ,さらにそ
飾品として使われ,孔を通って出る煙で,香り
2の小円でつないで球を構成して,二
の聞を, 1
を充満させたと思われる。
分したものである。円文の縁帯の外周には,全
(
7
) 資料 No.1
5
:B
r
u
c
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a
p
r
o
f
u
m
is
f
e
r
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c
oa
て微細な連珠文が施されている。円の内側の像
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1
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e(
S
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1
I
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B
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)(
球
の背景の地は,環状に連ねた蹴線で、埋められて
形香炉)
FIRENZE,Museo N
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l
ed
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lB
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g
e
l
l
o
いる。この作品と, No.7の聖ピエトロ大聖堂
(
n
.
2
9
9
B
)
宝物館にある, SFERA DI RAME(銅球)直
「真鎌鍛製,透彫,銀象候,直径 1
1cm, 1
4
径9
.
8cmのものとは,円文による構成的な分
節や,透しの位置,制作技法など,非常によく
世紀シリア製」とされる。コシモ I世のコレク
似ている。連球文飾が欠けていること,円形浮
ションとして, 1
5
8
9
年以来ウッブィッツィのト
彫のモチーフが部分的にしか一致しないなどあ
ゥリブナ広間にあったもので,今日ノミルジエロ
るが,共通性が強い。パルジェロの作品につい
にある 6点のイスラム金工品の Iつ。それら
て,キリスト陳刑像の表現をもとに, G
unther
は,美術的見地からは同種のグ、ノレープを形成し
S
c
h
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d
l
a
u
s
k
yは「下ライン・マース川流域,
1
2
5
0
年噴」としている 20)。
録の資料として,又固有の性格などによって,
てはいないが,それぞれの意味するものや,記
(
6
) 資料 No.9: S
p
h
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li
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r
近東の国々の,西欧に於ける重要な作品の,良
(球形香炉)
LONDON,TheB
r
i
t
i
s
hMuseum(OA1
8
7
8
.
のものと他の 1
5
世紀のものと,時代を推定し得
い実例である。香炉はシリア製で,この 1
4
世紀
1
2
3
0
.
6
8
2
)
る 2つがあり,このタイプの香炉,つまり球形
11878年 Henderson遺贈。真織に透彫,線
彫,銀象阪を施した,シリア・ダ、マスカス製,
のものが, 1
3
世紀末から 1
4
世紀初めにかけて,
流行していたことが知られている 21)。
各半球の装飾は,接点の結び目で連結した 6
1265~79年」とある。各半球を同心の 4 層に分
け,球形の合口となる縁と,両頂近くの計 4段
個の円文と,頂部の同心円文が特徴的で,各々
に,花様アラベスクの上にアラビア語の銘文の
の円文は,十文字に配された半ノ勺レメットの優
ある帯をもっ。重要な初期マムルーグの王
しい花唐草で埋められている。メダイヨンの外
Badra
l
D
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s
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r
i(
d
.1
2
7
8
9
)の名前と称号
の隙聞には,回転した動きの 6弁または 4弁の
を含んでいる。聞の幅広い帯には,大きな双頭
小さな円花を置き,狭い帯と頂部と底部は,蔓
の鷲を表わした透しのメダイヨンが 5個配され
草と花唐草で埋められてし、る。象般の銀は,一
ている。 1
1
3
7
9
8
0年のチャールズ V世の財産目
部欠落している。
差し込み式の上下半球の合口近くに,鎖の連
録にある,鳥で飾られた大きな香球の記載が,
恐らくこの作品に当るだろう。」と書かれてい
結があり,頂部に鎧や鎖があることから,この
(138)
常平架装置をもっ球形香炉の研究
香炉は,吊るして使われたと思われる。
の充填物で強調した独特の装飾は,建築物に共
(
8
) 資料 N
o
.1
6
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1
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e(球形香炉)
FIRENZE,Nuseo N
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1
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1B
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g
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l
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(
n
.
2
9
2
B
)
通するベルシャ特有の雰囲気をもっ。
「真鎗鍛製,透彫,金・銀象候,直径 1
3c
r
n
-高さ 1
4c
r
n,1
5世紀シリア製」とされる。コ
帥 資 料N
o
.2
9
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i(香炉)
MILANO,
MuseoP
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1
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1
i(
n
.i
n
v
.7
6
5
)
「真鎗鍛製,透彫,線彫,銀象炭の跡,直径 1
2
crn ,ヴェネチアン・サラセン様式の 15~16世
紀の作」これの含まれる,ポルデ、ィ・ぺ γ ツオ
シモ I世コレクション中のこの 2つ目の香炉
リ美術館の 1
2
個のイスラム金工品コレグション
は,前記 No.15よりも古典的装飾設定が少な
は,多様でそれぞれ個有の意義をもっ,良質の
く,より新しいもので,装飾的な面において,
ものである。記録調査の結果コレグションは,
15~16世紀にヴェネツィアで作られた,いわゆ
最近の取得を示す 2例と,記録文書に精細な関
るヴェネチアン・サラセン金工品と推定され
る22)。
難な 1つの品を除いて,その殆んど全部が,ジ
係が欠けていて,確かな日付で確認するのが困
2つの半球の装飾は, 2本のよく似た細い帯
ャン・ジャコモ・ポルディ・ベッツオリの元に
収集された中のものである 23)。
の聞に幅広の中央の帯があり,円形メダイヨン
唯一の香炉の表面は,三葉のモチーフに様式
と,全体として非常に装飾的なつながりの,絡
み合った偽似クープィック書体のモチーフで,
化された,植物の交錯で、埋めた横長のカルトー
飾られている。 2本の帯とメダイヨンの輪郭線
シュと,星形の幾何学模様の円メダイヨンを,
は,一定の型を作って交差する。円形メダイヨ
交互に配して装飾している。連続して囲む 2つ
ンは,半ノ勺レメットや円花や他の花風モチーフ
の枠の聞に包括されたカルトゥーシュとメダイ
の,様式化したものや,異なる規則での配置で
ヨンは,密で徴細なアラベスク装飾で飾られた
装飾されている。細い帯は,湾曲部の中に葉状
基部の上に,線を引いている。この作品は,い
の形があり,交差による円の中に六弁の円花の
わゆるヴェネチアン・サラセン作品に属するも
ある,半ノミ/レメットの波状の連続デザインを表
ので, 1
5
世紀末から 1
6世紀始めの聞に,年代が
わす。両頂部は,中央の帯のに似た,幾何学的
推定されている。
な組み合わせになるセミパノレメットと,しゃく
判資料N
o
.3
6
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l
adap
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n
i(香球)
o
VENEZIA,C
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o Museo C
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r
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r(
C
1Xl
I
No.10)
「真鎌鍛製,線彫,銀象様,直径 l
l
c
r
n, 1
6
やくの多葉メダイヨンで飾られている。象最の
銀と金は,一部欠落しており,内具の小鉄錦
は,銅で補修されている。
世紀イスラム美術」とされる。
球側面に上下連結の鎖があり,頂部の鎧に鎖
各半球中心より球状の合口まで, 1
0弁の円花
が付いていて,吊るして使われたと思われる。
o
.2
8
:I
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c
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e
r(香炉)
(
9
) 資料 N
に縁取り分割した内側と,合口周りの花弁の切
LONDON,TheB
r
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i
s
hMuseurn(OA1
8
7
8
.
1
2
3
0
.
6
8
5
)
れ目の三角小間とを,紐状の絡み模様で埋めて
装飾している。文様の帯の中に細かし、点線が見
1
8
7
8
年H
enderson遺贈の一つ。
られ,銀象般の跡と思われる。透しは, 1
0分割
「真鎌鍛製,透彫,銀象台突,直径7
.
6
c
r
n,1
5
の文様の l つ置きの中に,各 6~8 個丸孔が適
世紀北西イラン製」とされ,既見のものでイラ
当にあけられている。ヴェネチアン・サラセン
ン製とみなされるものは,この作品と,中近東
金工と思われる。
同 資 料N
o
.4
0
:H
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d
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r
n
e
r(手炉)
文化センターにある作品の 2点である。
球全面を覆った幾何学的網目メダイヨンと埋
めつくしたアラベスグを,線彫と銀象候と,黒
LONDON,V
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aa
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dA
1
b
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t Museurn
(
M
5
6
9
1
9
2
6
)
(139)
「真鎌鍛製,透彫,線彫,直径8,
8cm,1
6
0
0
ハンド・ウォーマーには, 1
6世紀イタリア製
とされるものが, ロンドンに 3点ある。
年頃のイタリア製」とされる。
ハンド・ウォーマーと明記されているもの。
因みに, 1
3世紀中半から 1
6
世紀初めにかけて
中には,鋳物 2重輪の常平架装置に据え付けら
のシリアは,現在のイスラエル,ジヨルダン,
れた,厚手の真鎌鋳製鈍型の,上面を覆った中
レバノン,シリア地域であり,当時のシリア,
央に穴をあけ,真鎌板を丸めた,小さな口を付
サウディ・アラビア,エジプト, リビアはマム
けた容器が残っている。球面には,上下頂点を
ノレーク朝であるので,地域の特定できないもの
中心に十文字の幅広帯を複線で表わし, 4本の
みなシリ ア製,とされる可能性がある。シリア
縦帯の磨き地には,幅の左側に 2つ,右側に 3
製とあっても,現在のシリア・アラブ共和国の
つの丸孔を交互にあけてつないだ,かぎ形の棒
範囲ではない。
l
孔と斜の棒孔各 lを配している。十字枠で区切
3
. 制作技法について
られた各面には,動物文様を線彫で表現し,蹴
材料の種類は,銅のものと真鍬のものとある
彫で地に加飾している。文様は, 2半球のそれ
が(中国製は銀製が現存),その成形方法は,
ぞれの中心を頂点として上・下逆方向に配さ
殆んどが鍛製による半球を 2つ合わせたもの
れ
, 2頂点に吊鎧がある。 2半球は蝶番の繋ぎ
で,鋳製と思われるものは,ブィレンツェのパ
で開閉し,真鍛板製の蝶番も掛金もかなり大き
ルジェロ美術館にある,銅製の l点だけであ
い。真銭の地金を磨いて使った,全体の作りも
る
。
早期のヨーロッパ製(ハンド・ウォーマーと
ラフな雰囲気のものである。
2
. 制作地域について
されるが)は,全て銅製に鍍金したものであ
収集資料の中,ヨーロッパに関するものの現
り,線彫による加飾が殆んどで,肉彫による加
所在地は,ロンドン 1
凶
6
点,フイレ γ ツエ 8点
,
飾のものは,鋳製鍍金の 1点のみである。シリ
ヴエネツイア 3
ア製のものおよびヴェネツィアや近東製の,ヴ
ク,東京各 2点
, ミラノ,カイロ各 l点,不明
ェネチアン・サラセンに属するものは真鍛製
4点の計4
1点で,その他に東洋関係は,中国 9
で,線彫文様に銀または金・銀象僚を施してい
点,東京 3点,ロンドン 2点の計1
4点がある。
る
。
ロンドンに特に球形香炉が多くあり,次いで
透しの方法は,文様の地透のものは少なく,
フィレンツェに多くある。イスラム地域のイラ
とんぼぎりで、あけたかと思われる,丸孔を多数
ン,シリア,ジヨルダン,
あけたものが多い。透しの量は,ハンド・ウォ
トルコでは,展示品
の中に見付け出すことができなかった。
ーマーには頂部の,やや大きめの丸孔 lつだけ
ヨーロッパ関係品の制作地域を見ると,早期
のものもあり,円文内の地透だけ,あるいは数
の 12~13世紀のものは(殆んどが“手炉"とみ
少なし、小丸孔など,通気孔が小さいと思われる
られるが), ドイツ,フランス,イタリア,と
ものがかなりある。
西ヨーロ
晩期の,イタリア製ハンド・ウォーマーとさ
γ パ製のものである。
ところが, 1
3世紀後半から 1
4世紀に作られた
と思われる香炉は,全てシリア製である。
れるものには,真鍬製と銅製があり,何れも鍛
製のものに線彫で加飾し,透しをしている。
4
. 装備について
さらに 1
5世紀になると,“ヴェネチアン・サ
ラセン"が現われ, 1
5
世紀後半の作は,シリア
基本的な機構については, I
I
2に既に確述
製で“ヴェネチアン・サラセン"である。
しているが,その機能的構成は一様ではない。
1
6世紀のものは,殆んどが,“ヴェネチアン
・サラセン"と書かれており,ヴェネツィア製
か近東のものか,判明しなし、。
2つの半球の合わせ方については,合口で
の,差し込みまたは捻じ込みによる固定と,蝶
番で開閉し,掛金で止め合わせる方法とある。
(140)
常平架装置をもっ球形香炉の研究
蝶番開閉のものは,早期と晩期の,ハンド・
には擬似クーフィックが見られるが,次第にア
ウォーマーとされるものの中に見受けられる。
ラベスグの蔓草から,絡み紐文様に主題が移っ
吊具としての鐘や鎖が,一部のものに見られ
るが,ハンド・ウォーマーの場合は,上下両頂
て行く。
1
6
世紀末の,イタリア製とされるハンド・ウ
に鎧が付けられているものが幾つかあり,しか
ォーマーは,動物を主題にしている。
制作年代・制作地域不詳の,東京芸術大学所
もその場合,加飾の図柄は,半球別に両頂部を
上方向としている。
内具についてみると,常平架装置の遊動環
蔵の真銭製のものは,花・葉唐草と鳥の装飾手
法が, W
K
u
h
1
k
u
g
e
1u
n
dWarmapfeUに記載の,
は,二重輪のと三重輸のとがあり,二重輪のも
1
8
世紀のドイツの,東アジアの影響のものに近
のの方が多い。
い感じがある。
6
. 使用について
火皿は,鏑型が大部分で,大きさに大・小あ
る。平底の深皿型のものや,心棒のある提手付
球形香炉は,火炉が常に水平に保たれるよう
鏑型のもの,口付の閉鏑型のものなどがハンド
に装置されているので,火がこぼ守れる心配なし
・ウォーマーには見られるが,閉じた燃料容器
に使用できる。自在の形で置いたり,球を回し
は,芳香物質の燃焼には不適当と思われる。
て娯楽に使ったりもしたようである。また吊り
5
. 文様の主題について
下げて,香煙を散らしたと思われる。頂部の鎧
12~13世紀の,ヨーロッパ製とみなされるも
については,釦としての役目もまた考えられる。
のの文様の主題は,大きく分けて,純粋に装飾
使用は,球形の上半分を捻じてはずすか,あ
的な性格のものと,キリスト教に主題をおいた
るいは蝶番による開閉で蓋を開けて,中の火皿
ものとある。キリスト教の救済論を主題にして
に熱源や芳香物質を置く。少しの綿の中に香油
人物像を描き,ラテン語で刻銘している。装飾
を配するか,香の小さな棒を置くかした。熱源
的な花模様のものや,星花形円文を散らした幾
としては,木炭,熱した鉄片,油ないしはアルコ
何学的雰囲気のものには,たとえ教会内で使用
ール(後の時代),そして蝋燭が考えられる。
したものであるとしても,宗教色はみられな
使用目的が,薫香球なのか手炉球なのかは,
い。また人物像として学問体系をラテン語の銘
一義的に定義することはできない。神秘的宇宙
で示し,人格化して主題としたものは,教会外
の象徴性とはし、え,教会内での手炉球の使用を
での由来が推測される。
12~13世紀のイランまたはアフガニスタン製
引き起したのは,暖房設備のない教会での,冬
期を支配する寒さである。手炉球はまた,香球
とされるものは,占星術の十三宮を表わす人物
としても役立つ。その聞の区別のための,特別
と動物を主題にしている。
な表徴は存在しない。しいて言えば,空間で
1
3
世紀後半からあるシリア製のものは,始め
の,自由な吊り下げのための装置をもっ球は,
は占星術の十二宮の主題が見られるが,次いで
暖房器具からはずされる。通気孔の少ないも
アラビア語の銘文の帯を廻らし,円文を配し
の,そして火口のための狭い受口だけを備え付
て,アラベスクの蔓草で埋めるようになる。
けた,閉じた燃料容器をもつものは,芳香のあ
やがて, 1
4
世紀のシリヤ製からはアラビア語
の銘文が消え,メダイヨンとアラベスクだけに
る物質の燃焼には不適当で,香球としては分離
することができる。
収録したヨーロッパ関係品については,概し
なる。
1
5
世紀になると,シリア製に擬似クーフィッ
て通気孔としての透しの面積が小さし、。香炉と
クの主題が現われ,いわゆる“ヴェネチアン・
しての香の燃焼には,表面積の 1
/
3の孔がない
サラセン"になる。
1
6
世紀,初期の“ヴェネチアン・サラセン"
と,火は消えてしまうという。表面に透彫の少
ないものは,焚香には向かない筈である。
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られていることである。中国製には,唐代のも
炉の,常に補充の必要な小さな火皿や,差込み
のが多いが,ヨーロッパのもので, 1
2
世紀を上
ヨーロッパ所在品の特色は,非常に年代が限
による上下の合わせで,熱い時に把手が必要な
6
0
0
年噴までの時期
る現存品はない。しかも, 1
ものでは,焚香に不適」と述べ, I
芳香蝋燭を
に集中しである。だがその聞に,はっきりした
容れたかもしれなし、」と仮説を立てている。蝋
加飾の推移文様の変化が現われている。その
燭は大きな容器もいらず,下に通気孔もいら
背景は,イスラム金工の西欧移入である。
ず,実際空気の出所だけでよく,長時間気遣い
イスラム金工の淵源は,ササン朝ベルシアと
なしに続けられる。その上,透飾から光を出
ビザンティンにある。イスラム初期のベルシア
す,明りの内光となる利点も加わる。マムルグ
や,西トルキスタンで作られたものは,ササン
期に,結婚式に香りの蝋燭を使った記述例があ
朝ベルシアの金工品の意匠と技術を,そのまま
るとし、う。オイル・ランプの常平架装置は,知
踏襲したものであった。 1
0
3
7
年セルジュグ・ト
られている。
ルコの侵入とともに,イスラム金工は盛期を迎
球形香炉の使用者として,博物館にある作品
える。モンゴ、ル軍の侵入により西南アジアは荒
の出所は解明できないが,何れにしても,当時
廃しその中心は次第に西漸して, 1
3
世紀まで
の文化を担う,貴族あるいは聖職者,そして裕
には,北メソポタミアのモスルが,イスラム金
福な市民階層に限られていた,と思われる。
工の一大中心地となった。最盛期のセルジュク
朝から,モンコ守ル時代にかけて流行した象蔽技
町結
モスル派」は高度の金工技術を示して
法で, I
いる。大英博物館所蔵の“把手付き黄銅製水差
正倉院の薫炉と同じ仕掛の,球形の香炉を見
し"は,その白眉をなすといえる。やがて,
つけ出す,ということで調査を始めたが,先ず
1241~42年のモンゴル人の侵入により,モスル
最初に判ったのは,形式的に類似しながら,他
の町は徹底的に破壊され,工人たちは,イラン
の目的に用いられるものがあった,ということ
高原西北へ連れ去られてしまった。
である。
この,同じ球形で同じくカルダン懸架装置の
一方,カイロにイスラム時代の黄金期を築い
た,ファーティマ朝 (909~117 1)の崩壊後,
火炉をもっ,“香炉"と“手炉"についての規
サラディンによって樹立されたアイユーブ朝
定は困難である。香炉は同時に手炉球としても
は,エジプトからユーフラティス河岸に至るま
役立つた。香りの作用は,手炉球によっても同
で,その勢力を拡大させた。 1
3
世紀にはモスル
じ効果である。所蔵場所での表記も,時として
の金工家たちが,ダマスク,アレッポ,カイロ
書き変えられていた。
などに住む,アイユーブ朝の貴族に雇用される
そこで兎に角,球形で常平架装置をもつもの
を集めた。
5点の収集資料を,中近東を含むヨー
全部で5
ために,シリアやエジプトへ移民した。そのた
め,銘文が記されてない限り,アイユーブ朝の
作か「モスル派」の制作か,判別しにくいもの
ロッパ地域製と,アジア地域製に大別した。ヨ
がある。シリアやエジプトに於て,金工に象候
ーロッパ地域の中でも,実際にあると判って行
技法が見られ始めたのは,この時期である。ア
っても,展示されてなくて見ることができなか
イユーブ朝に仕えていた,
ったり,或いは,探し出せなくて見落したり,
ノレーク)から発した名をもって,それに代った
の不足がある。当然,行ってない場所もある。
マムルーク朝は, 1
2
5
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年から 1
5
1
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年まで,エジ
しかし重要な現存作品は,ほぽ見ることがで
プトやシリアを,非常に強い国を創設して統治
きたと思っている。
した。 1
4
世紀と 1
6
世紀の間の作と推定しうるマ
(1
4
2)
トルコの奴隷(マム
常平架装置をもっ球形香炉の研究
ムルークの金工品は,この時期の芸術作品の重
の販売のために,ガラス器や絹,宝石細工など
要な証拠を示す。それは大きな美学的評価をも
の奪修品の生産を発展させて,経済的膨張を遂
げていた 26)。
ち,かつまた神学上の価値を高めた,“スルス"
そこに,“v
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と称するマムルーク草書体での,強烈で優雅
な,碑銘学的実例で特徴づけられる。それが,
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サラセン)"は生まれたと思われる。“v
コーランの中の,アラーの言葉に定められたも
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) と呼ばれる金工
のによる手段のためで、あれ,その抽象化や装飾
の項目に,分類される器物は非常に多量で,個
的傾向の質のためであれ,事実,イスラム教の
人や美術館での,より重要な収集の中にある。
書法の価値が,芸術として卓越している,と判
その内容は,マムルークの手法やベノレシア風を
断したとみなされる。
感じさせる,イスラム様式の金属製品の,系列
2世紀から流行した,真織
この,近東に於て 1
全体を示す。
に金,銀又は銅を象厳したものは, 1
4世紀に
一般には,ヴェネツィア人親方の元で,合わ
は,特にシリアからその多くが輸出されて,
せ修正された,ヴェネツィアとイスラム人との
“ダマスカス風"に装飾された金工品が,他の
関係に起源のある,ブロンズや銅や真織や銀で
高価な,又は異国風のものと一緒に,その時期
の,工場製品と了解されている。
ところが,この,“v
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" の語は,
のヨーロッパの目録に記載されたのである 24)。
1
4世紀から 1
5世紀の聞に,輸出市場はますます
未だ文献の中には発見されず,その由来は,解
重要になり,シリアの金工家たちは,イタリア
明されていないという 27)。
の器形を模倣し始め,彼らのヨーロッパの顧客
しかも,きびしいヴェネツィアの同業組合組
に合わせた装飾レパートリーを展開しだした。
織の中で,成功したイスラム人の,ヴェネツィ
アラビア語の刻銘文字は模様に変え,ヨーロッ
アでの共同体が,見つけ出された記録の形跡が
パ風の楯などは,結局の買手の紋章をヨーロッ
ない。同時代のマムルーク金工への装飾の近似
パで彫るべく一般に空白を残す,ということを
は,恐らくそれがマムルーク帝国内,多分ダマ
装飾に取り入れたのである 25)。
スカスで生産され,そこから,ヴェネツィア人
このような,金工のイタリアン・スタイルの
や他の商人によって輸出された,といわれる。
ものや武具の盾での傾向は,イスラム教徒工人
製品の範囲で,ヴェネツィアやブィレンツェ
の,ヴェネツィアで伯くことへの帰属を促した。
や他のイタリア都市で,イタリア人の職人の作
当時ヴェネツィアは,アドリア海の最奥部と
業所で,オリエントの手本による技術や装飾に
いう地理的位置の影響で,ラテン・キリスト教
よって作られた,と証されるものもあるらし
世界の辺境にありながら,地域間交易の主要な
い。イスラム系の署名のある作品については,
中心であった。中世において,ヴェネツィアは
その制作の中心がまだ決定され得ない。イスラ
商業に依存し,ラテンとギリシア,スラブ,
ム職人の移民の推測も,ヴェネツィアの記録資
ト
ルコ諸共同体とを結び付けていた。ギリシヤ人
料の中に,まだ見つからないという 28)。
およびユダヤ人の共同体はこの都市に定着し,
しかしこの球形香炉は,自己の製産品として
商業的活動あるいはその他の活動を通して,東
であれ,近東の貿易のための積み替え地として
西の新しいつながりを作りだした。
であれ,ヴェネツィアの重要な輸出品であった
1
4
世紀から 1
5
世紀初頭の聞に,ヴェネツィア
と思われる。
はレヴァントにおける植民帝国を強化しており,
向い合い対立する, 2つの世界の絡み合いの
インド、からアレグサンドリア,シリアを経て
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中で,より良い領域がこの“m
ヴェネツィアに至る,香料貿易は繁栄し続けた。
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"だと思う。その性質が“雑種"とい
工業の分野では,輸出向けと都市自体の中で
われる,西洋好みのフィルターを通しての東洋
(1
4
3)
の主題の再解釈で,西洋と東洋を結び付けた,
たまってあるのに対し,中国のものは唐代に集
ヴェネツィアと東地中海地域の出会いの歴史の
中していて後世のが無く,日本のは,近世のも
中の,興味深い事実である。
のが数多くあるといった工合で,両者が結び着
イタリア語で一般に使われている,金銀象般の
いて来なし、。東西の,その聞の時期を狭めたい
“agemina",あるいは“a
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ものである。そのためにも,今後,他のアジア
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地域および東欧その他を,見てみたし、と思って
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る
。
から来ており,イタリア語の“damaschinatura
(金銀象蔽細工)"の語は, Damasco(ダマスカ
なお,考察の基本資料 1
2点の挿画,および中
ス)を連想させる。この特殊な技法をヴェネツ
国と日本の東洋関係の収集資料一覧表は,紙数
ィアにもたらした,オリエントの工人が起源で
の都合上削除する。
あることに気付く。イスラム金工,あるいは複
雑な装飾をちりばめた銅または真鍛の器物に対
本調査研究にあたり,多くの方々の御教示御
する欲求は,ヨーロッパの住人が十字軍とし
協力をいただきました。
て,東洋との最初の接触をもった時に始まる。
有益な資料を御提供下さいました三笠宮崇仁
彼らが出身地に持ち帰った品物が,商人や工人
親王殿下に厚く御礼申し上げます。また,東京
の物珍しさを引き起しヨーロッパへ多く移入
されるようになったので、ある 29)。
芸術大学中野政樹教授,東京家政大学大角幸枝
助教授,大英博物館 Mrs.RachelWard,ヴェ
そして 1
6
世紀に,イタリアの金工家が取り入
ネツィア市立コレル博物館 Mrs.I
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れた,真鍛に貴金属を象撮する技法が,ルネサ
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ーマ・国立東洋美術館 Dr
. Paola Torre,他内
調べてみて,ー金工品としての,球形香炉の
背後にあるものの大きさ,広さにとまどった。
外博物館関係諸機関各位に,心から感謝申し上
げます。
現存品について見ると,材料が銅,真織に限
られているが,金・銀製のものが存在しなかっ
注
たというのではなく,それは貴金属とし、う性質
1
) 史桝青「古代科技事物四考 J
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文物』第 3期(文
上,溶解消滅する可能性が多かったためと思う。
物出版社, 1
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収集できた資料の範囲で,その背景を見た結
2
) 孫機「唐・袖珍銀蕪球 J
,W
人民中国 1
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人
果
, 1品目でありながら,金工全体の推移を示
民中国』雑誌社, 1
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1頁
していることが判った。イスラム金工の西欧移
3
) 劉飲『西京雑記』巻1, 7頁
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)W
小川香料時報J]V
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年) 2頁
入という,造形文化の大きな変遷を具体的に証
言している。金工の加飾技法の lつ,金銀象般
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の伝播の実情も,球形香炉を通して確認するこ
とができた。この調査で一番興味深かったのは,
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"の存在である。文献中にま
だ見出せない,このヴェネツィアとイスラムの
幸福な結合の由来について,考察を進めたい。
イタリアでの,ヴェネツィアと近東との関係
の研究は,まだ緒についたばかりである。
球形香炉の東西のつながりについては,ヨー
ロッパ製の現存品が 1
2世紀から 1
7
世紀近くにか
(144)
常平架装置をもっ球形香炉の研究
頁
1
1
) 前掲第十二輯遊戯部第三六一君童観左右帳記
7
3
6
頁
1
2
) 日本古典全集『婚檀道具図集』下, 3
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頁
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宋〕陵瀞撰『老事苓筆記Jl 4頁
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) NO.12 メトロポリタン美術全集 1
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) TheB
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hMuseum解説表示。
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5
) 向上
2
6
) W.H.-<クルーニ著,清水慶一郎訳『ヴェネツ
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)9
5
頁
ィアJl (岩波現代選書, 1
(1
4
5)
福武書庖, 1
9
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7
(
2
) NO.17T
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) NO.24T
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(
4
) No.25,No.26,No.27METALWORK OF
. W. ALLAN,
THE ISLAMIC WORLD, J
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) NO.29METALLI ISLAMICI,Museo P
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