歴史的建造物の利活用マネジメントに関する研究

2014 年度卒業論文
歴史的建造物の利活用マネジメントに関する研究
―横浜市長屋門公園と小田原市清閑亭を事例として―
横浜市立大学 国際総合科学部 国際総合科学科
ヨコハマ起業戦略コース
学籍番号 100193
氏名 金子奈央
目次
第1章
序論
1-1
研究の目的と背景
1-2
先行研究
1-3
研究方法
1-4
研究対象地
第2章
歴史的建造物保存とまちづくりの歴史
2-1
日本の歴史的環境保全制度の始まりから文化財登録制度成立まで
2-2
文化財登録制度導入
2-3
景観法
2-4
地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律(歴史まちづくり法)
第3章
公共施設管理の動向と歴史的建造物活用における課題
3-1
公共施設管理の動向
3-2
業務委託について
3-3
指定管理者制度について
3-4
歴史的建造物活用における課題
第4章
長屋門公園の取り組み
4-1
横浜市瀬谷区の概要と歴史
4-1-1
瀬谷区の歴史とまちづくり
4-1-2
瀬谷区の産業
4-2
長屋門公園の運営組織について
4-3
長屋門公園の古民家活用について
4-3-1
長屋門公園開設、長屋門公園館長が決定するまでの経緯
4-3-2
古民家活用について
4-4
長屋門公園の現状と課題
第5章
清閑亭の取り組み
5-1
小田原市の概要と歴史
5-1-1
小田原市の歴史
5-1-2
小田原市の産業
5-1-3
小田原市のまちづくり―清閑亭を活用した小田原市のまちづくりの経緯
5-1-4
おだわら千年蔵構想
1
5-2
清閑亭運営組織について
5-3
清閑亭の活用について
5-3-1
喫茶事業について―喫茶事業「カフェ清閑亭」
5-3-2
観光事業について―まちあるき事業、三館連携事業
5-4
清閑亭の現状と課題
第6章
まとめと考察
謝辞
2
第 1 章 序論
1-1 研究の目的と背景
近年、歴史的建造物を保存・活用するまちづくりの取り組みが数多く行われている。ま
ちづくりを行う上で、これまでにまちをつくってきた人々の暮らしが垣間見える歴史的町
並みや、歴史を感じる建造物を残し活用してゆくことは、そのまちのアイデンティティ形
成にも大きな役割を果たしている。
その一方で、都市の二極化による地域全体の衰退化、活動主体の高齢化、財政難による
活動の継続困難な状況など、様々な問題が歴史的建造物を用いたまちづくりを取り巻いて
いる。住民ニーズの多様化に伴い、行政の果たすべき役割も多岐に渡っており、これまで
は行政が直営していた建造物を民間が主体となって運営する必要性も増えてきた。地方公
共団体の様々なアウトソーシングが進み、指定管理者制度や業務委託によって民間が管理
運営を担うようになってきている。
また、そうした背景のもとで、歴史的建造物、文化財建造物も多種多様・多数となり、
文化財建造物を活動の場としながら地域の発展に寄与したいと考える NPO 法人や市民団
体が増えている。文化庁では平成 23 年度から「NPO 等による文化財建造物の管理活用事
業」を実施している。しかし、それと同時に登録有形文化財の解体による登録抹消や、価
値ある建築物がその価値を見出されぬまま取り壊しが行われることも事実である(表―1 参
照)
。
そこで、本研究では公設民営の歴史的建造物活用の実例を検証しながら、今後の建造物
利活用のヒントを探る。管理方式の違いに注目し、事業内容、人材確保、資金運用など、
建造物の全体的なマネジメントを比較検証することで、今後の歴史的建造物活用の一助と
なることを目的とする。また、歴史的建造物保全とまちづくりの歴史を追うことで理解を
深めることが可能であると考え、それを取り巻く法整備の歴史を追っている。
表―1, 登録有形文化財(建造物)の抹消件数(平成 24 年 12 月 13 日現在)(文化庁ホー
ムページより筆者作成)
抹消理由
件数
重要文化財に指定されたため(文化財保護法第 57 条第 1 項)
92
都道府県や市町村の文化財に指定されたため(文化財保護法第 57 条第 2 項)
120
うち 都道府県指定によるもの
43
市指定によるもの
63
町指定によるもの
14
村指定によるもの
0
焼失や解体などの現状変更が行われたため(文化財保護法第 57 条第 3 項)
うち 焼失等によるもの
100
19
3
81
解体等によるもの
計
312
1-2 先行研究
歴史的建造物、町並みに関する研究では、景観の保全に関する研究、住民意識・合意形
成に関する研究、観光地・地域形成に関する研究、登録制度活用に関する研究などが挙げ
られる。町並み保存関連の研究動向について、大山(2009)が歴史的建造物や町並みに関
する研究を網羅している。住民意識・合意形成に関する研究として、千葉県佐原地区にお
いて岡崎ら(2001)、白井ら(2009)が研究を行い、梅宮ら(2003)は三重県を事例とし
ている。また、登録制度に関する研究は三谷ら(2013)、マネジメントに関する研究は中野
ら(2010)の研究がある。公的建造物の保存、活用については、喜田ら(2007)、越智(2011)
が研究を行った。
建造物の保存において、越智(2011)は、公物であるメリットとして、行政主体が現在
残されている文化財の保存・活用に取り組む債務を持っていること、公有の場合は公金に
より社会合意の下で建築または保存された公物であり、住民や専門家など第三者の関与を
正当化しやすい、との旨を述べている。また、地方都市における中心市街地活性の一手法
として、地域の資源である歴史的建造物を地域交流の拠点として行政が整備し、民間組織
が管理運営するケースが多い、と喜田ら(2007)の研究で述べている。歴史的建造物の利
活用において、運営形態は公設民営であることがひとつの継続的な活用方法だと導きだせ
る。したがって、本研究では、公設民営の歴史的建造物を活用した施設において、どうい
ったマネジメントが必要であるのかについて考察するものとする。
1-3 研究方法
研究方法は以下の方法で行った。
(1)文献調査
日本の歴史的町並み保存に関する法整備、指定管理者制度、これまでの歴史的建造物の利
活用事例について、文献を中心に調査を行った。
(2)現地踏査、ヒアリング
長屋門公園、清閑亭でのイベント参加などにより理解を深めた。それをもとに事業内容の
詳細調査や現状分析を行い、それぞれの特徴、課題を見つける。活動に至るまでの経緯、
事業内容、資金運用、地域住民への周知活動、連携構築などを、主なヒアリングの項目と
した。また、横浜市南部公園緑地事務所にもヒアリング調査を行った。
4
1-4 研究対象地
公設民営の二施設、横浜市長屋門公園と小田原市清閑亭を研究対象地とする。行政、民
間それぞれ一方だけでは行えないことを補い合うことが可能であると考え、公設民営の施
設を対象とした。歴史的建造物を用いた公設民営の美術館や図書館等も存在するが、民間
のアイデアをより発揮できる建造物活用であると考え、両施設を対象としている。また、
指定管理者制度、業務委託という管理方式の違い、それに伴い運営者が指定管理者、NPO
法人という違いを比較検討するために、両施設を選定した。以下に簡単な対象地の特徴を
述べる。
横浜市瀬谷区長谷門公園
横浜市最初の指定管理者制度で運営される公園である。施設内に横浜市認定歴史的建造
物である2つの民家があり、「長屋門公園歴史体験ゾーン運営委員会」により、管理・運営
されている。主に古民家を活用した先人たちの営みを感じることのできるイベントを行っ
ている。
長屋門公園では管理者を非公募で選定している。また、長屋門公園では、多くのボラン
ティアが関与している。指定管理者が事業のほとんどを管理しており、それを支える要素
としてボランティアは欠かすことのできない存在である。しかし、本来であればボランテ
ィアが支えている部分も、行政と指定管理者が業務を全うしなければならない、という声
も聞く。指定管理者制度では、業務委託と比較して自由度が低いのか、人員が不足してい
るのか、行政と民間との温度差など、そうした疑問にも着手するため、指定管理者制度に
よる運営を行っている長屋門公園を対象地とした。
小田原市清閑亭
国登録有形文化財であり、平成 20 年に小田原市が土地と建物を購入し公有化した。民間
の NPO 法人「小田原まちづくり応援団」に管理運営を業務委託する形を取っている。小田
原市の文化政策課より、清閑亭活用業務を委託されている。清閑亭では、小田原の食文化
や生業などの技を体験できるイベントや、邸園交流を展開し、食文化や歴史を感じること
のできるまち歩きツアーを行っている。清閑亭の機能や用途、活用形態等をある程度定め
るまでに、公有化後 3 年に渡る活用実験の実施を行った。NPO 法人独自のノウハウを活か
しながら、どのように活動を継続させているのかに注目したい。今後も、イベントなどの
企画により活動の幅を広げ、更に展開を図る業務委託形式の実例として、指定管理者との
違いを検討するために対象地とした。
5
表―2, 長屋門公園・清閑亭比較表(筆者作成、清閑亭の写真は小田原市ホームページより)
建築年代
構造・規模
設計・施工
長屋門公園
清閑亭
(旧大岡家長屋門+旧安西家主屋)
(旧黒田長成別邸)
旧大岡家長屋門
旧安西家主屋
1906 年
1887 年
18 世紀末
(明治 39 年)
(明治 20 年)
(江戸中期後半)
木造 2 階
木造平屋
木造平屋と一部二階建てが連なる
切妻造
寄棟造
数寄屋造、入母屋造
桟瓦葺
茅葺
桟瓦葺、瓦葺
浅尾三四郎
不明
不明
大工栄次郎
(施行者)
保存種別
横浜市認定歴史的建造物
国登録有形文化財
歴史的風致形成建造物
管理方式
指定管理
業務委託
所有者
横浜市
小田原市
開園年月
1992 年 5 月
2010 年 6 月
運営
長屋門公園歴史体験ゾーン運営委員会
特定非営利活動法人小田原まちづくり応援団
役員
12 名(常駐者 2 名)
9 名(理事)(常駐者 3~4 名)
運営費
収入源
事業内容
委託費
1,300 万円(平成 25 年度)
委託費
1,700 万円(平成 25 年度)
管理委託費
管理委託費
施設内事業費
施設内外事業
イベント(物販、飲食)
イベント、喫茶、観光、物販
6
引用・参考文献
越智敏裕(2011)、
「公物としての歴史的建造物の保存について」
、上智法學論集 55 巻 2 号
上智大學法學會
苅谷勇雅(2008)、
「文化財建造物 保存と活用の新展開」
、政策科学 15 巻 3 号、pp.57~76、
立命館大学政策科学会
大山琢央(2009)、
「歴史的町並み保存に関する研究動向」
、別府大学史学研究会(39)pp.50-64
喜田由布子、松浦健治郎、巌佐朋広、丸登健史、浦山益郎(2007)、「公設民営による歴史
的建造物を活かした地域交流施設の管理運営に関する研究 その 1 ―中心市街地における
公設民営施設の整備と管理運営の現状」
、日本建築学会大会学術講演梗概集(九州)
松浦健治郎、丸登健史、巌佐朋広、喜田由布子、浦山益郎(2007)、「公設民営による歴史
的建造物を活かした地域交流施設の管理運営に関する研究 その 2 ―公設民営施設の類型
化」
、日本建築学会大会学術講演梗概集(九州)
厳佐朋広、松浦健治郎、喜田由布子、丸登健史、浦山益郎(2007)、「公設民営による歴史
的建造物を活かした地域交流施設の管理運営に関する研究 その 3 ―各類型毎の特徴的な
事例」、日本建築学会大会学術講演梗概集(九州)
丸登健史、松浦健治郎、厳佐朋広、喜田由布子、浦山益郎(2007)、「公設民営による歴史
的建造物を活かした地域交流施設の管理運営に関する研究 その 4 ―各類型の特徴の整理
と管理運営する際の 4 つの視点」、日本建築学会大会学術講演梗概集(九州)
白井清兼、西村崇、山本淳子、伊藤興一、加藤浩徳、城山英明(2009)、「旧佐原市地区に
おけるまちづくり型観光政策の形成プロセスとその成立要因に関する分析」
、社会技術研究
論文集 Vol,6,pp.93-106
岡崎篤行、井澤嘉美子、高見澤邦朗、渡邊恵子(2001)、「佐原における歴史的町並み保全
のプロセスと住民意識」、日本建築学会技術報告集 第 14 号, pp.315-318
梅宮路子、岡崎篤行(2003)、「歴史資源を活かした地域活性化における目標都市像の合意
形成過程―新潟県村上市旧町人町を事例として―」
、都市計画論文集 No.38-3、社団法人 日
本都市計画学会
三谷祐樹、菅原洋一(2013)、「登録有形文化財建造物の登録と活用のための支援に関する
研究―三重県における事例的研究―」、2012 年度日本建築学会関東支部研究報告書Ⅱ
中野直樹、川島和彦(2010)、「歴史的建造物の再生施設の住民利用を促す支援組織のマネ
ジメント方策に関する研究」、2010 年度日本建築学会関東支部研究報告書
大山琢央(2009)、「歴史的町並み保存に関する研究動向」、別府大学史学研究会(39)
pp.50-64,2009-03
文化庁ホームページ、有形文化財(建造物)の登録の抹消について
<http://www.bunka.go.jp/bunkazai/shoukai/touroku_yukei_masshou.html>
7
第 2 章 歴史的建造物保存とまちづくりの歴史
第 2 章については、1 節、2 節を西村(2003、2004)、日本建築学会編(2004)、3 節を
日本建築学会編(2005 年)
、4 節を歴史まちづくり法研究会(2009 年)に詳しく、以下は
章末の参考文献をもとに要約している。
2-1 日本の歴史的環境保全制度の始まりから文化財登録制度成立まで
日本の歴史的環境保全制度は、1897 年に古社寺の建造物や宝物の保存に関する事項を定
める「古社寺保存法」が制定されたことが始まりである。古社寺保存法は日本で初めて建
造物を保全対象にした法規であり、現行の文化財保護制度の原型といっても良い。
明治維新直後、古物を封建制度の名残であるとして無差別に棄却する風潮が強く、1871
年の古器旧物保存方という法令では、建造物の保存は含まれていなかった。古社寺保存法
によって美術工芸品が保存対象である一方で、史跡や天然記念物に対する保全制度が不在
であり、1897 年に「史跡名勝天然記念物保存法」が制定されたのである。また、古社寺保
存法の対象は、社寺所有のものに限られていたため、国・地方公共団体・個人の所有のも
のの破壊が進み、1929 年「国宝保存法」の誕生につながった。国宝保存法では、国・地方
公共団体・個人の所有のものを含有している。
同年(1929)、古社寺保存法は廃止され、国宝保存法の制定により、社寺所有の物件に留
まらず、国・公共団体・個人所有の物件にまで保存が拡げられた。また、建造物は美術品
等の国宝と同等に扱われるようなった。1933 年には重要美術品の海外流出防止を目的とし
た「重要美術品ノ保存ニ関スル法律」が制定された。
戦後、それらが統合され、敗戦後の社会の混乱に伴う文化財の散逸、荒廃危機から、
「文
化財保護法」が 1950 年に誕生した。文化財の保存活用と財産権の保障との調整をし、文化
財の保護条例における国と地方公共団体の協力体制が確立された。戦後の歴史的町並み保
存の特徴は、保存対象が単体建造物を中心にした「点」から複数の民家を中心にした「面」
へと対象が拡大したことである。1954 年に文化財保護法が改正され、重要文化財に対する
管理団体の新設が行われ、地方公共団体の文化財保護に対する責任が明確化された。また、
条例による国指定外の文化財保護の奨励も行われた。
また、同時期には、歴史的町並み保全を進める日本初の民間団体が登場する。1948 年岡
山県倉敷市岡山民藝教会が民藝運動を行ったが、他地区へ拡がることはなく、全国的に町
並み保全運動が盛り上がるまでには 10 年を超える期間を要した。公共事業等のために古墳
や遺跡の破壊が相次ぎ、全国各地でその保存運動が勃発し、文化財保護法制定へとつなが
っている。続いて、平成宮を守る運動、鎌倉の御谷を宅地開発から守る運動など、全国の
世論に訴える保存運動が頻発した。これらの住民運動を背景に、1966 年「古都における歴
史的風土の保存に関する特別措置法」適用を古都に限定し、歴史的風土の定義、歴史的風
8
土保存計画の策定を行った。
1960 年代半ばからは、高度経済成長の中で歴史的町並みが次第に貴重な資産となりつつ
あった。高度経済成長による開発優先の世情、不十分な法的規制になどが背景となった手
荒い開発、観光や文化の促進により、文化財保護法、古都保存法の限界を迎えることにな
る。1975 年文化財保護法はまたも改正され、
「伝統的建造物群保存制度」が創設され、重要
文化財(建造物)の環境保全措置がとられた。これにより地方公共団体における文化財保
護体制の整備が進んだ。
市街地の歴史的景観の保全は、1960 年代後半から町並み保存の官民による運動として各
地で取組が行われ、先進的な自治体において歴史環境保全のための規制がルール化されて
いく。例として、金沢市伝統環境保存条例(1968)、倉敷市伝統美観保存条例(1968)、高
山市市街地景観保存条例(1972)などがあげられる。
1970 年代には古都保存法に積極的であった京都・奈良・鎌倉の市民団体が中心となって
「全国歴史的風土保存連盟」が結成された。また、町並み保存連盟(長野県南木曽町妻籠、
名古屋市有松、奈良県今井町)も結成された。1973 年には第一回「歴史的景観都市事務連
絡協議会」が開かれ、このときの発起人は京都市、金沢市、高山市、倉敷市、萩市であっ
た。これが、のちの日本ナショナルトラスト「
(財)観光資源保護財団」となる。こうして
世論は高まり、白川郷など住民憲章の制定、愛媛県の「文化の里」、岡山県「ふるさと村」
など、県単位での歴史的環境保全への取り組みが行われる。そして保存すべき集落・町並
みの全国的なリスト作りが行われていった。
1975 年から 1995 年にかけては、国の法律においても「面」の保存を求める声が民間の
運動団体や熱心な自治体からもあがるようになる。そうした背景のもと、1975 年文化財保
護法は再び改正され、
「伝統的建造物群保存制度」が創設された。文化財のひとつに新たに
伝統的建造物群が加えられ、重要文化財(建造物)の環境保全措置がとられた。これがい
わゆる歴史的町並み・集落を示す。文化財保護法では、
「周囲の環境と一体をなして歴史的
風致を形成している伝統的な建造物群で価値の高いもの」としている。そうして、市町村
の文化担当者がまずイニシアティブをとり、これを国が支援する形で選定を行うという、
ボトムアップ型の保全システムが現れ始める。1966 年には、国宝及び重要文化財の指定基
準も改正され、同年の文化財保護法の改定により、文化財登録制度が制定される。
2-2 文化財登録制度の導入
1975 年以来改正されてこなかった文化財保護法が、1996 年に改正され、
「文化財登録制
度」が創設された。築後 50 年以上経過しており保存活用についての措置が必要とされる文
化財建造物を、文部大臣が文化財登録原簿に登録する文化財登録制度が導入された。届出
制と指導・助言・勧告を基本とする緩やかな保護措置を講じている。従来の重要なものを
9
厳選し許可制などの強い規制と手厚い保護を行う指定制度を補完するものとして位置づけ
られている。
近年の国土開発や都市計画の進展、生活様式の変化等により、社会的評価を受けるまも
なく消滅の危機に晒されている多種多様かつ大量の近代等の文化財建造物を後世に幅広く
継承していくためにつくられた。文化庁ホームページでは、
「これは届出制と指導・助言・
勧告を基本とする緩やかな保護措置を講じる制度であり、従来の指定制度(重要なものを
厳選し、許可制等の強い規制と手厚い保護を行うもの)を補完するものである。」との記載
がある。
登録有形文化財にあてはまる建造物の基準は、築後 50 年を経過している建造物であり、
(1)国土の歴史的景観に寄与しているもの、(2)造形の規範となっているもの、(3)再現するこ
とが容易でないものとしている。登録することで、保存・活用するために必要な設計監理
費の補助、地価税・固定資産税などの減税などの優遇措置を受けることができる。基本的
に外装を変えなければ届出は不要であり、資産としての文化財活用を多角的に支援するた
めの制度である。届出が必要となるのは、消失した場合、現状変更する際に、範囲が通常
望見できる範囲の 4 分の 1 を超える場合、所有者変更の場合となっている。
今までの指定制度は、重要なものを重点的に厳選して、所有者に強い制約を課しながら、
貴重な国民の文化財を守ることを狙いとしており、自由に活用できずに保全するという色
味が強かった。指定文化財では、修理等の国庫補助、税の優遇措置があり、現状変更には
文化庁長官の許可が必要などの厳しい制約もある。また、所有者の合意や修理費補助等の
予算措置が困難である。そのため、歴史的建造物はそれの価値が明らかにされる前に姿を
消してしまうことも多い。したがって、指定制度を補完するものとして制度化されたのが
登録制度である。登録制度では建築年数 50 年以上の建築物、ダム、橋梁など保存対象が多
種多様となり、一般の近代洋風建築等の保存に対する意識の高さが見て取れる。
地方公共団体の保全制度の発展に関しては、文化財保護条例や保存要綱等に基づく独自
の文化財登録制度が誕生していく。1996 年には京都・仙台・東京など合計 26 の市区町で
制度化が進んだ。都市景観条例による歴史的遺産、歴史的環境の総合的保存制度である。
前述したように、登録文化財は現状変更等について届出制度という緩やかな制度である
こと、現状変更の届出は概観の変更がある場合に限り、かつ公共空間から望見できる部分
の 4 分の 1 を超える変更がある場合に限っており、指定文化財と比べるとはるかに制約の
少ない保護制度である。したがって、登録することで規制に縛られることはなく、所有者
がその希望と必要性に応じて比較的自由に活用しながら保存していくことが可能なのであ
る。今後もますます登録有形文化財は増えていき、自由な活用に伴う保存が行われていく
であろう。
10
表―1, 文化財指定等の件数(文化庁ホームページより)
2-3 景観法について
2004 年、景観法が制定された。良好な景観の形成の促進を正面に捉えたわが国初の法律
であり、各地方公共団体が制定してきた景観条例に法的根拠を与えることが可能となる。
現在、地方公共団体が独自に条例や要綱を定めて、歴史的景観まちづくりに景観法を活
かしている。国による景観法の制定には、川越都市景観条例(1988 年制定)に基づく都市
景観重要建造物等の指定、神奈川県横浜市
「歴史を生かしたまちづくり要綱」
(1988 年施行)
による歴史的建造物の登録・認定など、こうした地方公共団体の動きが大きく結びついて
いる。
文化財保護法では、史跡・名勝・伝統建築・文化的景観といった一部の文化財を除くと、
地域における広域的な取り組みが困難である。また、国が主体的な役割を果たす形式をと
っているため、地方公共団体の独自の施策については財源の問題から実施できるところが
限られてしまい、行為に対する強制力や罰則といった措置法的な拘束力を持たない。それ
に対して景観法では、法的な拘束力を担保し、市町村による景観計画や住民による景観協
定など、市町村や地域住民の主体性を重視している。
1970 年代末からは、歴史的な特徴を持つまちだけではなく、一般市街地の景観づくりと
まちづくりと連動させていこうという動きが出てきた。その例として、横浜市の馬車道や
11
イセザキモールなど商業空間の景観づくりを行った横浜市都市デザイン室や、自治体景観
条例の模範例となった神戸市の都市景観条例などがあげられる。
続く 1980 年代には、都市計画法改正により、創設された地区計画制度はその地域ごとに
その特性に応じた詳細ルールの策定を可能にしたり、まちなみ環境整備事業が行われたり、
一般市街地において、まちづくりを強く意識した景観づくりへの取り組みが先進的な自治
体によって試みられるようになった。
そして 1990 年代では、景観まちづくりが本格的に普及していく。この時期、全国各地の
自治体がいわゆる景観条例を策定しているが、自治体による景観条例は、都市計画法や建
築基準法に根拠をもつ「委任状例」ではなく法的拘束力を持たない「自主条例」であるた
め、建築等の行為に対して強制力を持つものではなかった。
こうした自主条例の限界などを背景に 2004 年に景観法が制定された。景観条例に代表され
るような自治体による良好な景観形成の取り組みを後押ししたのである。
2-4 地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律(歴史まちづくり法)
2008 年 11 月、「地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律」
(通称「歴史ま
ちづくり法」
)が施行された。施行の背景には、戦前の古都保存法と景観法の補完、そして
複数の文化財をエリアという面として守るということがあげられる。
古都保存法は基本的には京都・鎌倉・奈良などの古都周辺の自然環境を守る法であり、
古都保存法がカバーできないところへの補完の役割がある。また、景観法においては、規
制権限を市町村に寄与することが定められており、地区内で何か動きがないと機能しない
という性格の補完の役割が求められている。また、景観法では歴史的な建造物など歴史的
資産を活用したまちづくりへの支援措置が積極的ではない。文化財保護法では文化財の保
存・活用を図っているが、文化財の周辺環境の整備を直接の目的としているものではない
ため、複数の文化財をエリアとして守っていくことが求められた1。
また、歴史まちづくり法では、歴史上価値の高い神社・寺院・城跡等の文化的な資産、
その周辺の歴史的な建造物、そこで営まれる工芸品の製造販売や祭礼行事など、地域の歴
史・文化を反映しつつ営まれることにより形成される風情、情緒、たたずまいなどの良好
な環境(歴史的風致)を残していくことを目的としている。それらの維持管理に多くの費
用と手間がかかること、所有者の高齢化や人口減少による担い手の不足などにより、全国
各地で町家等の歴史的建造物が急速に滅失、良好な歴史的風致が失われつつあることも歴
史まちづくり法制定の背景のひとつである。
例えば、金沢市まちなか地区(市街地)は 8 年間に約 2,200 棟(全体の約 20.0 パーセン
ト)の歴史的建造物が失われており、東京・台東区谷中地区は 13 年間に 168 棟(約 31.3
本稿 p.12,l.19~25 については UR 都市機構
タビュー記事を筆者が要約。
1
都市デザインポータルページ、第九回イン
12
パーセント)の住宅・店舗権住宅など戦前の住まいが失われている(図―1 参照)。このよ
うに、失われゆく価値ある歴史的建造物数をこれ以上増やさないことが望まれている。
図―1,
歴史的建造物の喪失件数 (歴史まちづくり法ハンドブックより筆者作成)
「地域におけるその固有の歴史及び伝統を反映した人々の活動とその活動が行われる歴
史上価値の高い建造物及びその周辺の市街地とが一体となって形勢してきた良好な市街地
の環境」を「歴史的風致」として定義している(法第一条より)
。単に歴史上価値のある建
造物だけでなく、地域の歴史と伝統を反映した人々の活動も守る必要があり、歴史をその
まま維持するのではなく、その地域の環境などの「向上」を目的としている。
国が作成する基本方針及び運用指針に基づき、各市町村が「歴史風致維持向上計画」を
策定し、国(国土交通省、文部科学省、農林水産省)の認定を得て支援措置の活用にいたる。
文化行政と国土交通行政、さらに農林水産省が加わり、三省庁が共管・連携体制をとって
おり、各種の助成制度が用意されている。
国土交通省のホームページによると、平成 26 年度 11 月時点で、金沢市や高山市など全
国 46 市町村が認定されている。小田原市では、平成 23 年、歴史まちづくり法に基づき作
成した「小田原市歴史的風致維持向上計画」を、国に認定申請し計画の認定を受けた。こ
れによって、計画に定められた「重点区域」の中で実施される歴史的風致の維持向上に寄
与する事業などに対して、国からの支援を得られるようになった。小田原城城下町区域を
重点地区とし、計画期間を平成 23 年度から平成 32 年度の 10 年間としている。小田原の残
していくべき歴史的風致は、小田原城下の旧三大明新例大祭、宿場町小田原の水産加工業、
城下の伝統工芸、梅・柑橘類の栽培などがあげられている。
以上で述べたように、文化財登録制度、景観法、歴史まちづくり法など、歴史的建造物
保存の法整備は確実に整備されてきている。それに伴い、まちづくりに対する姿勢も前向
13
きであり、こうした法・制度を活用していくためにも、管理団体と行政などが今後の歴史
を活かしたまちづくりについて連携していく必要がある。
14
引用・参考文献
西村幸夫(2003)、
『都市を保全する』、鹿島出版
日本建築学会編(2004)、
『まちづくり教科書第 2 巻
町並み保全型まちづくり』、丸善株式
会社
西村幸夫(2004)、
『都市保全計画 歴史・文化・自然を活かしたまちづくり』
、東京大学出
版会
大河直躬(編)(1997)、『歴史的遺産の保存・活用とまちづくり』、学芸出版社
日本建築学会編(2005)、『まちづくり教科書第 8 巻
景観まちづくり』、丸善株式会社
歴史まちづくり法研究会(2009)、『歴史まちづくり法ハンドブック』
、ぎょうせい
後藤治(2008)、
『歴史的風致の保存から活用へ―新法運用に不可欠な住民の理解と協力―』
、
月刊地域づくり、平成 20 年 11 月特集 歴史的景観のまちづくり
UR 都市機構 都市デザインポータルページ「第九回インタビュー 歴史文化を活かした街
づくり「歴史まちづくり法」その実際と期待される機能 西村幸夫氏[東京大学教授]」
<http://www.ur-net.go.jp/urbandesign/interview/interview9.html>
文化庁ホームページ
<http://www.bunka.go.jp/bunkazai/shoukai/yukei_kenzoubutu.html>
文化庁「建造物を活かし、文化を生かす 登録有形文化財建造物のご案内」
<http://www.bunka.go.jp/1hogo/pdf/bunkazai_pamphlet_6.pdf>
文化庁ホームページ 文化財指定等の件数
<http://www.bunka.go.jp/bunkazai/shoukai/shitei.html>
国土交通省ホームページ
<http://www.mlit.go.jp/toshi/rekimachi/toshi_history_tk_000010.html>
15
第 3 章 公共施設管理の動向と歴史的建造物活用における課題
3-1 公共施設管理の動向
近年、多様化・複雑化する住民ニーズに対応すべく、地方公共団体の仕事は多岐にわたっ
ている。また、今日の社会経済状況は大きく変化し、国・自治体においての税収が落ち込
んだこと、新たな福祉需要の増加により、民間でできることは民間が担う、という風潮は
強まり、官民協働体勢が進んでいる。公共施設管理においても、今までは地方公共団体が
行ってきた仕事のやり方を改め、民間事業者のノウハウを活用する必要がでてきた。民間
の能力を活用することにより、限られた経営資源の中で効率的・効果的に公共サービスを
提供することが求められているのである。
公共施設管理方法においては、直営管理、業務委託、指定管理に区分される。一般的に
は、施設規模が大規模な大型施設や複合多機能施設、また専門的な施設においては、施設
の管理運営には高度な知識や技術・技能などの専門性が要求される。博物館、美術館、音
楽ホールや老人介護施設などがその例である。こうした専門的な施設では、高度で複雑な
設備機器が必要であり、専門性の高い人材を配置する必要があるため、管理運営コストも
高額になる傾向にある。
一方で、比較的小さな規模の施設は、高度な技術や知識が要求されることはほとんどな
い。地域の集会所や児童公園などがそれに当てはまる。
出井、吉原(2006)は、その施設のサービスが、基礎的であるか、またはそれ以上か、
利用料金の有無、税負担、管理者の区分の観点より、表―1 のように区分されると述べてい
る。
表―1, 施設の管理運営と管理主体の例(出井、吉原(2006)、p.237 より抜粋)
区分
主な施設の例
利用料金区分
税負担の区分
管理者区分
基礎的
児童公園等
無料、無償
税負担は低い
自治会等
サービス
集会施設、地区公民館等
実費または低廉な
税負担は低い
自治会等
料金
図書館等
無料
税負担は高い
直営等
子供の家、児童会館等
無料
税負担は高い
直営等
保育園、幼稚園等
措置費は法律等に
税負担は高い
直営等
よる
老人福祉・交流センター等
無料または実費
税負担は高い
社協等
基礎以上の
文化ホール、市民会館等
低廉な料金
税負担は高い
直営等
サービス
博物館、美術館、資料会館等
低廉な料金
税負担は高い
出資法人等
総合体育館、スポーツ施設等
低廉な料金
税負担は高い
出資法人等
16
グループホーム、ケア施設等
低廉な料金
税負担は高い
民間法人等
温泉施設、宿泊施設
実費等
税負担は低い
出資法人等
地方公共団体、対象施設双方が比較的小規模であり、高度な知識や専門性はほとんど必
要ないものは直営管理される場合が多い。直営管理といっても、従事する者が全員公務員
という例は少なく、臨時職員の雇用や、ボランティアの労働力に依存している例もあり、
サービス水準の低下が懸念される。日常的に活用される地区センターや公民館などの公共
施設では、専門的なことよりも、よりよいサービスの提供とコスト削減を考えるほうが得
策である2。
直営管理施設の特徴・メリットは、地方公共団体が地域ニーズを踏まえた上で施設が担
う使命を明確化し、そのために必要な事業を自ら実践することである。また、公平性を持
ち、不特定多数の人が利用しやすいこともメリットのひとつである。しかしその一方で、
市民のニーズに合わせた柔軟な運営が困難であることがデメリットとして挙げられる。近
年の多様化したニーズによる専門性の確保、単年度会計、不規則な労働時間などの問題か
ら、直営管理には限界がある3。それを補うために、指定管理者制度が導入されている。
こうしたことを背景に、公の施設の運営を民営に委託するという流れが近年では顕著に
なってきている。公立の図書館や文化会館など、地方公共団体が住民のために設置してい
る施設はもちろんのこと、文化財に登録または指定されている建造物の保全・利活用につ
いても同様である。民有建造物の場合、所有者の保全、維持管理にかかる経済負担は大き
く、重要文化財登録までに踏むステップも多く年数が要すること、文化財登録によって自
由が利かなくなることも懸念され、それを手放すことや公有化を望む所有者も少なくない。
そのような建造物も、新たに民間活力を利用した公共施設として活用されることの意義は
大きい。公設民営化の流れは、経費節減をしながらの施設の有効利用、民間が活動するこ
とによる経済波及効果や税収の増加を図ることを目的としており、行政と民間の目指すべ
き方向性を定めることが重要となる。
3-2 業務委託について
外部への業務委託は、地方公共団体の事務事業の一部を、私法上の契約により、民間事
業者や NPO 法人などの外部の者に委託する方法である。指定管理者制度に比べ、簡単な手
続きでアウトソーシングが可能であり、幅広い業務を委託団体が行うことが可能である。
委託化による効率化を大きくすること、競争性を維持することが重要である民間事業者の
2
3
南(2004)、pp.4~6
中川、松本(2007)、p.31
17
ノウハウが地方公共団体に継承されず、管理し得ない状況を防ぐためにも、事業実施プロ
セスの可視化、職員の監督能力の向上が求められている。外部委託については、地方行政
改革研究会(2007)では、
「外部委託は、地方公共団体の事務事業の実施の一部について特
段の制度的な根拠に基づくことなく、私法上の契約により、民間事業者などの外部の者に
委託する方法で、業務系サービスのアウトソーシングの本命。」であるとしている。
清閑亭・NPO 法人「小田原まちづくり応援団」は、小田原市より清閑亭の運営を業務委
託され、清閑亭を運営している。
3-3 指定管理者制度について
指定管理者制度は、2003 年に地方自治法改正により創設された。公の施設の管理・運営
を地方公共団体や公共的団体(公益法人、農協、生協、自治会等)から、民間の営利企業、
財団法人、NPO 法人、市民団体などに委託する制度である。公の施設とは、地方自治法 244
条の「普通地方公共団体は、住民の福祉を増進する目的をもってその利用に供するための
施設(これを公の施設という。
)を設けるものとする。
」の規定に基づいて設置される施設
である。公園、駐車場、運動場、劇場、ホールなど地方公共団体が行政財産として整備す
る施設を対象としている。
最近の社会経済情勢の変化に伴う行政から住民へのサービスの向上、行政コストの縮減
を目的に創設された。公の施設を民間が管理委託することで、利用者のニーズに適した運
用が期待できる。また、指定管理者を選定することで、施設管理費などの節減を目指して
いる。この制度が導入されたことによって、従来の旧制度である管理委託制度4は、これま
で公共的な団体に限定されていた公の施設の管理・運営が民間の幅広い団体が行えるよう
になった。管理委託制度では、委託先は公共団体または公共的団体、自治体が趣旨する財
団法人や第三セクターに限定されており、施設の管理権限や責任は、設置者である自治体
が有していたため、施設の使用許可権限は委託不可、管理できる幅が狭かったと言える。
とはいえ、指定管理者は、完全に自らの裁量だけで管理権限を行使できるわけにはいかず、
対象の公の施設に関する条約により、管理の基準や業務の範囲が定められている。
指定管理者の選定方法については、原則としては公募による選定を行うが、公募・非公
募は決まっておらず法的には制約がないことから、具体的な選定方法は地方公共団体の裁
量ということになる。公募の場合は、指定管理者候補は事業報告書を提出し、それを査定
する第三者による選定委員会を設置する等の方法を取る(図―1 参照)
。また、指定管理者
制度では、受託者は個人では認められないものの、法人格の有無や、営利、非営利の違い
は問われない。対象者を限定せずに行政処分による指定管理への委託、代行が行われる。
1963 年の地方自治法の改正に伴い、管理委託制度を導入しており、これが現在の指定管
理者制度となっている。
4
18
つまり、管理の代行という形で、最終の権限を残したまま、管理を指定されたものに委ね
るという行為である。
検討
↓
議会(条例制定・改正)
↓
募集
①
指定管理者制度的日の検討
②
事業条件の検討
③
公募要項案の検討
④
設置条例の制定・改正
⑤
指定管理者公募の公表
⑥
申請の受付
↓
選定
⑦
応募団体の審査・選定
⑧
指定条件・協定事項の協議
⑨
指定議案の上程
⑩
予算措置
⑪
指定の通知・告知
⑫
指定管理に係る協定の締結
⑬
管理運営の開始
⑭
モニタリング
⑮
指定期間終了
↓
議会(指定管理者の指定)
↓
協定締結
↓
運営
図―1, 指定管理者制度運用のプロセス(三井総合研究所 地域経営研究センター(2006)
より抜粋)
表―3, 管理委託制度と指定管理者制度の違い(柏木(2007)を参考に筆者加筆・修正)
管理委託制度
指定管理者制度
法的性格
公法上の契約関係
管理代行
受託者
公共団体、公共的団体、出資法人
法人または団体
(財団法人や第 3 セクター等)
(民間事業者や NPO 法人)
設置者が有する
指定管理者が有する
委託契約の範囲
管理を幅広く代行
施設の使用許可権限なし
施設の使用許可権限を有する
管理者の権限
19
選定方法
利用料金制5
条例で定める特定の団体への委
原則として公募し、議会での議決が
託が可能
必要
採用可能
採用可能
また、指定管理者は期間が定められており、その期限が訪れると再指定が行われる。こ
れにより、管理運営状況やサービスの質が厳重にチェックされ、緊張感をもって仕事に取
り組むことを要求し、地方公共団体がそれらを見直す機会を設けることが適当と考えられ
たことによるものである。これまで行政職員の裁量で施設を運用し、多くの場合はその担
当者の熱意や良心に任されていたといえるが、指定管理者は、その施設が果たすべき目的
を見据えたうえで確実に市民の満足を意識しなければならない。
また、指定管理者には、事業報告書提出の義務がある。毎年年度終了後に、管理する施
設の業務に関して報告書を作成し、自治体に提出しなければならない。
長屋門公園は、横浜市初の指定管理者制度で運営されている公園である。文化体験施設
及び自然体験施設については、横浜市公園条例第 28 条の 2 第 2 項に基づき非公募としてい
るため、長屋門公園も非公募により選定されている。地域住民 12 名からなる「長屋門公園
歴史体験ゾーン運営委員会」が運営をしている。
横浜市では、指定管理者の適正な執行の確保及び指定管理者の指導育成を目的として、
公園指定管理者の事業評価を行っている。調査員と評点員(公園緑地事務所職員及び環境
創造局公園緑地管理課職員)が指定管理者ごとに指定管理者の事業計画書、基本協定書及
び実施協定書等の書類に基づき審査、横浜市の公園及び公園施設指定管理者選定評価委員
会による指定管理者へのヒアリングを行う。書類審査・ヒアリングの採点を合計し、指定
管理者に起因する事故等発生による減点を反映し、施設ごとに委員会で評価を決定する。
平成 25 年度指定管理公園及び公園施設の事業評価での長屋門公園の事業評価結果は、150
点満点中 128 点であり、地域に根ざした施設を念頭に、利用者・施設管理者ともに共有し
た意識を持って、快適に利用できる施設環境の提供を行っている、との評価を受けている6。
指定管理者制度の導入により、指定管理者が行える幅が広がり、質の高いサービスが提
供できる、経費の節減が図れる可能性が高い、民間ノウハウの活用ができる、といったメ
リットが見受けられる。
しかしその一方で、課題も多く見られる。行政側の課題として、公募と非公募の根拠説
明、施設内容等の情報提供、選考過程と結果の公表などの透明性確保の問題などである。
5
利用料金を指定管理者自らの収入とすること。
横浜市ホームページ環境創造局「平成 25 年度指定管理公園及び公園施設の事業評価報告
書」より、筆者要約。
6
20
また、行政出資団体7が選定される例もあり、指定管理者候補として公平な選定が行政側で
行われるのか、といった懸念も生じる。指定管理者側でも、活動の継続性、人材育成、民
間のノウハウが行政に継承されないままブラックボックス化、無理なコストダウンなどの
問題が生じている。指定管理者候補の途中辞退や、応募者の少なさ、大手民間企業参入に
よる独占化のために地域の担い手が育たない、経費削減・効率化だけを重視した選定など、
指定管理者制度自体を見直さなければならない点も多くあるといえる。
この制度を活用するに当たり、その自治体が施設運営目的として何を掲げ、施設にどの
ような役割を持たせるのか、これらをしっかり理解したうえで運用しなくては、最大の目
的である「住民サービスの向上」「行政コストの縮減」を、どちらも果たすことは不可能で
ある。単なるコスト削減のために効率を求める、施設の目的、指定管理者に求めることが
曖昧なまま指定管理者の公募が実施されているのでは、この制度は意味をなさないであろ
う。
3-4 歴史的建造物活用における課題
ここで、歴史的建造物を活用していく上での課題を整理したい。
(1)だれが所有するのかといった所有者における課題、(2)所有者にかかる経済負担といっ
た資金面における課題、(3)それが守るべき資産であるのかといった合意形成における課題、
(4)後継者不足における課題、(5)建築物の機能性における課題、の 5 つの視点で課題を挙げ
る。
(1)所有者における課題
歴史的建造物を活用するにおいて、まず考慮すべき点は、その建造物の所有がどこにあ
るのかということである。というのも、公有の場合、民有の場合で事情がことなるからで
ある。本稿では公有の建造物を取り扱うため、民有の建造物の課題については詳しくは触
れないこととする。
まず、その建造物が公有である場合の大きな特徴として、管理処分権の所在が挙げられ
る。公有建造物の場合、行政主体が所有権を有するため保存しやすいのである。公有の場
合は、行政が所有権を有するため、管理処分権限を持つ。民有の場合における「規制」と
いう手法でなく、
「所有財産についての管理処分権限行使のあり方」という観点から保存問
題を捉えることになり、公有の場合には、公金により社会的合意の下に建築された公物で
あるために、説明責任の観点からも、民有の場合と比べてその処分に関する意思形成過程
に法律規制を加えやすい。換言すれば、住民や専門家など第三者の関与を正当化しやすい
のである。公有の場合、民有の場合での大きな三つの違いが存在する。越智(2011)は以
7
外郭団体である財団法人や第三セクター
21
下のように述べている8。
第一に、基本的なスタンスとして、国及び地方公共団体は現世代に残された文化財の保
存・活用に取り組む債務(文化財保護法 3 条参照)を負っており、文化財保護思想の普
及啓発の観点からも、まさに率先垂範して公有建造物の保存をしなければならない。自
ら貴重な建造物を取り壊しておきながら民有建造物の保存を求めることは文化財保護行
政にとって背理だからである。
第二に、当然のことながら、公有の場合には、行政主体が所有権を持つために、管理余
分権限を持つ。民有の場合における「規制」という手法でなく、
「所有財産についての管
理処分権限行使のあり方」という観点から保存問題を捉えることになる。公有の場合に
は、公金により社会的合意の下に建築された公物であるために、説明責任の観点からも、
民有の場合と比べて、その処分に関する意思形成過程に法的規律を加えやすい。換言す
れば、住民や専門家など第三者の関与を正当化しやすい。
第三に、公有の建造物は課税対象ともなっておらず、開発圧力からも原則的に自由であ
るし、保存コストも税金や場合により利用料徴収を通じ広く分散して負担することが可
能であり、また、都市計画権限をも同時に有する多くの場合、保全に必要な障害をクリ
アーしやすい。
公有、民有それぞれ一長一短ではあるが、それらを踏まえた上で建造物の所有者をどう
するべきなのかを考えなければならない。民有建造物を公有としたい場合では、保全に向
けた所有者の理解と意欲の醸成、所有者にとって活用が有効であることを示し、行政の経
済負担の可能な限りの節減、行政の対応の迅速さ、柔軟さの確保をしなければならない。
(2)資金面における課題
歴史的建造物を活用するに当たり、多大な資金を要することになる。その建築物の修繕
費や税金が大きな負担となることは言うまでもない。公有の場合、どれほど税金を建造物
に投入するべきなのかということが問題になり、公有、民有ともに所有者の経済負担は大
きい。そういったことを背景の一つに、指定管理者制度や業務委託といった建造物の管理
方法が出てきたわけであるが、資金問題は歴史的建造物活用の大きな課題の一つである。
(3)合意形成における課題
今日、歴史的建造物がその価値を理解されぬまま失われると前述した。建造物を残すた
めには多大なる資金が必要とされ、ただ単に古い建造物を残せばいいわけではない。どの
ような建造物を残すべきか、その地域における建造物の位置付けなどの合意形成をするこ
とが重要となる。地域に存在する建造物では、その地域住民が残すべきものと認識してい
8
越智(2011)、pp.17~18
22
なければ、残してもまちづくりのシンボルになることは難しいであろう。合意形成を図る
ためにも、その建造物の持つ歴史的ストーリーなどを明確にし、住民自身が大事にしたい
という気持ちを醸成することは不可欠である。
(4)後継者不足における課題
歴史的建造物を活用したまちづくりにおいて、建造物の利活用を主体的に行う団体の高
齢化が顕著である。まちに NPO などが入って事業を行う場合もあるが、まちの地縁組織か
らなる活動主体も少なくない。そのような場合では特に、現在活躍している層が高齢化し
てきているため、後継者育成が必要である。民有の建造物においても、先代が前線を退い
たあと、建造物を管理しきれずに手放してしまうこともある。また、社寺や民家などの歴
史的建造物の修復を行うためには、専門家や職人が必要である。その伝統的な修繕を行う
職人も高齢化、不足しているため、建造物の保存は難しくなっているのである9。
(5)建築物の機能性における課題
歴史的建造物の利活用において、その建造物を本来の利用方法だけで活用するとは限ら
ない。歴史的建造物といっても、社寺や古民家、工場、銀行や駅舎、偉人の別邸などの近
代建築など様々であり、その建造物にあった機能を考慮し、必要に応じて新たな機能を与
えることが重要である。近代建築の洋館がレストランとして利用されている例や、古民家
が文化体験施設として活用されている例など、歴史的建造物の用途は様々である。そのた
め、他の用途への転用を考えていくことが求められる。米国では、歴史的建造物と大手チ
ェーン店が一対となっている用途の例10がある。社寺などの歴史的建造物は、社会的機能に
ほぼ変化はないが、日本産業を支えてきた工場などの建築物は、時代の変化に伴って機能
そのものが失われてしまうため、特にその時代に合った新しい機能を与えることが必要な
のである。
歴史的建造物の保存について、法整備や制度が整い、建造物自体の保存をしやすくなっ
たといえる。しかし、ただ保存しているだけであれば、後々民間に転売され解体という事
態も起こりうる。したがって、建造物を残すことと活用することをセットにして考慮する
必要があるのである。
また、その建造物の構造補強の考慮など、懸念材料は多く存在するのであり、これら多
くの課題を踏まえた上で建造物利活用を図り、価値ある建造物を後世に残していかなけれ
ばならない。
9
大河(1997)、p.161
カリフォルニア州パサディナ等にあるバナナ・リパブリックや、バーンズアンドノーベ
ル・ブックストアとスターバックスコーヒーなど(大河(1997)、p139)。
10
23
引用・参考文献
中川幾郎、松本茂章(2007)、『指定管理者は今どうなっているのか 』、水曜社
南学(2004)、「指定管理者制度から公共施設のあり方を見直す」、PHP Policy Review、
Vol.4-No.24
三菱総合研究所 地域経営研究センター(2006)、
『指定管理者実務運営マニュアル』
、学陽
書房
地方行政改革研究会(2007)、『1 冊でわかる!地方公共団体のアウトソーシング手法~指
定管理者・地方独立行政法人・市場化テスト~』、株式会社ぎょうせい
柏木宏(2007)、『指定管理者制度 NPO-事例研究と指定獲得へのマネジメント』、明石出
版
越智敏裕(2011)、
「公物としての歴史的建造物の保存について」
、上智法學論集 55 巻 2 号
上智大學法學會 55(2)
大河直躬(編)(1997)、『歴史的遺産の保存・活用とまちづくり』、学芸出版社
出井信夫、吉原康和(2006)、『最新事例 指定管理者制度の現場』、学陽書房
法人地方自治総合研究所全国地方自治研究センター・研究所共同研究・指定管理者制度
(2008)、
『指定管理者制度の現状と今後の課題』、財団法人地方自治総合研究所
下田一郎(2008)、「公の施設の管理責任-指定管理者制度の実態と問題点-」、予防時報
232
横浜市ホームページ環境創造局
「平成 25 年度指定管理公園及び公園施設の事業評価報告書」
<http://www.city.yokohama.lg.jp/kankyo/kouji/shitei/hyouka/h18/hyouka.pdf>
24
第 4 章 長屋門公園の取り組み
4-1 横浜市瀬谷区の概要と歴史
瀬谷区は、横浜市 18 区の一つであり、神奈川県のほぼ中央部に位置する。横浜市の西端
に位置し、大和市との境には境川が流れる。南北に流れる 5 本の川と、豊富な動植物に恵
まれた緑地が多く残されており、緑に恵まれた環境である。人口総数は 125,474 人(男
61,458 人、女 64,016 人)
、世帯数は 50,638 世帯を抱えており(平成 26 年 8 月 1 日時点)
、
横浜市内では最小である。セヤは「狭谷」で、
「狭い川瀬の小谷のある地」が地名の由来と
言われている。
図―1, 横浜市位置図(神奈川県ホームページより筆者編集)
図―2, 瀬谷区位置図(横浜市ホームページより筆者編集)
4-1-1 瀬谷区の歴史とまちづくり
瀬谷区は、明治時代には鎌倉群に属し、村の統合などを経て 1939 年に横浜市に編入され
た。昭和 20 年代から公営住宅建設が相次ぎ宅地化が進み、人口が急増、1969 年(昭和 44
年)10 月 1 日の行政区再編成にともない、戸塚区から分割して誕生した。農業地帯として
発展した後、明治 30 年以降は養蚕業が盛んであった。大正 15 年には、現相鉄本線である
神中鉄道が開通し、住宅地となった。
昭和 30 年代に公営住宅が建設されはじめ、田園・農村都市的な性格に東京や横浜などの
都心部のベッドタウン的性格が加わった。
「豊かな水と緑に育まれる、ふれあいと活力の街」
を目指し、快適で活力にあふれる街づくり、水と緑にふれあい育む街づくり、充実した毎
日を送るための街づくり、人と人の心が通い合う街づくり、安心して暮らせる街づくりを
25
進めている。また、長屋門公園は公園内の歴史的建物を生きた施設として有効に活用する
ように、周辺の市民により様々な催し物が行われ、これらの風物詩は平成 5 年に「まちな
み景観賞」を受賞している11。
4-1-2 瀬谷区の産業
瀬谷では明治中期頃から昭和 30 年代頃まで養蚕業が盛んであった。明治の中ごろから昭
和の初期にかけて、米の収穫が少なく、現金収入に乏しかった瀬谷村や阿久和村では、多
くの農家で養蚕業が行われていた。育てた繭蚕が作る繭を集めて生糸を作る製紙工場も多
く誕生した。阿久和地区の製紙工場は現在の長屋門公園の近くに 2 社の工場があった。瀬
谷区制 15 周年の時に構成された「瀬谷区の民話と昔ばなし」の話の一つに、
「まゆ買いの
おとらさん」という、養蚕業が盛んであった時代の話が載っている。また、瀬谷歴史かる
たにも養蚕業に関する札があり、かつて養蚕業が盛んであったことを確認できる。長屋門
公園で開催されているファイバーリサイクル事業も、この養蚕が盛んであったことから、
先人たちの布などを大切に扱う気持ちを汲んで企画されたものである。
また、区内には市内最大の上瀬谷農業専用地区があり、
「瀬谷うど」やさつまいも等の農
業が盛んである。長屋門公園の自然体験ゾーンでもさつまいも堀を実施している。
4-2 長屋門公園運営組織について
地域住民で組織する、「長屋門公園歴史体験ゾーン運営委員会」による運営をしている。
委員は、連合自治会長 2 名、地元民代表 1 名、近隣小中学校長 3 名、商店街会長 1 名、文
化協会関係者 1 名、地元消防団班 1 名、ボランティア代表 1 名、まちづくりコンサル 1 名
の計 12 名からなる。実務として、事務局長 1 名と管理スタッフ 5 名がローテーションで公
園に常駐しており、現在の事務局長である館長が精力的に運営している。
基本的には事務局長と管理スタッフ 1 名の計 2 名が常駐し運営しているが、約 50 名~60
名にもなるボランティアの存在が、長屋門公園の運営を大きく助けている。地区内外を問
わず頻繁に来園し、小破修繕や草木の手入れ、清掃を進んで行う人々や、毎日ごみ拾いを
行う夫婦、昔の行事を指導してくれる老人会の人々、行事ごとには必ず駆けつける人々な
ど多くの人が様々な形で携わっている。さらには、
「おやじの広場」という 30 数名からな
る近隣の団塊の世代男性ボランティアグループも存在し、子どもたちのためのお神輿づく
りから、廃材でのベンチ作りなどの創作活動、行事の準備や手伝い等を精力的に行ってい
る。ボランティア組織は事務局側がつくることはなく、ボランティア側から自然とできた
ものであり、自然と人が集まり活動を積極的に行っている。ボランティアのほかにも、行
政や地区町内会自治会、商店街、小学校など多くの組織と関係を構築している(図―3 参照)
。
4-1-1 瀬谷区の歴史とまちづくり(本稿 p.26,l.12~16、p.27,l.1~3)は、瀬谷区ホー
ムページ http://www.city.yokohama.lg.jp/seya/shoukai/tyoumei/より要約、引用。
11
26
運営形態については、2006 年から指定管理者制度をとっており、横浜市からの委託金で
運営している。2013 年度の委託費は、1,300 万円であった。横浜市初の公的施設の住民運
営施設であり、開設してから 22 年が経っている。指定管理者である館長は、瀬谷区在住の
住民であり、地域に根差した活動を継続している。公共の施設管理に住民が張り付いた事
例はここが初めてであるが、地域からの苦情もなく、市民が市民のための施設として利用
している。なお、長屋門公園は現行の指定管理者制度に移り変わった際に、非公募で管理
者を決定している。その理由として、第三章でも述べているが、横浜市の文化体験施設は
原則として非公募であること、民間業者を参入させることによる混乱を防ぐためである。
横浜市南部公園緑地事務所によると、長屋門公園の指定管理者は今後も非公募で採択され
る予定である。
図―3, 長屋門公園と他組織との関係図(筆者作成)
4-3 長屋門公園の古民家活用について
長屋門公園は、横浜市初の公的施設の住民運営による2つの古民家がある公園である。
施設内は古民家を中心とする歴史体験ゾーンと、杉林・散策路を中心とする自然観察ゾー
ンに分けられており、歴史体験ゾーンには、横浜市認定歴史的建造物である旧大岡家長屋
門と旧安西家主屋や、土蔵、井戸がある。この施設は建設の段階から地域住民に意見を聞
き、その声を設計に反映させている。また、公園の事務局長を地方公共団体関係者が行う
のではなく、地域住民に任せたことで、地域に根付いた施設となっている。
長屋門公園での古民家活用について、一番の特徴的な点は、開設当初から運営を住民が
任されているということにあり、かつ館長となった人物の存在である。
4-3-1 長屋門公園開設、長屋門公園館長が決定するまでの経緯
もともと横浜市瀬谷区の歴史さんぽのポイントであった長屋門公園は、当時は中に入る
27
ことはできず、旧大岡家の長屋門と屋敷林が鬱蒼とした佇まいで残され、荒れ放題であっ
た。大岡氏が 1987 年に、横浜市の緑政局(現環境創造局)と借地公園契約を結び、長屋門
を歴史的建造物として登録、改修を行い、市に寄贈した。これをうけて、市は「特色ある
公園づくり事業」に位置づけ、本格的な整備を始めることとなった。公園整備は、歴史的
建造物の活用・保存、自然環境の向上、施設の利用運営者は地域の住民参加で行う、とい
う目標を掲げ、公園整備に向けて、地元住民が中心で構成されている運営委員会が設置さ
れた。
公園整備にあたり、市は事前に徹底的に住民にヒアリングを行った。以前整備された公
園では、ゾーニングが人のために施されており、蛍や野鳥が少なくなってしまったことを
危惧していた現館長は、生物を大事にすること、野鳥が住むことができるよう街灯は付け
ないこと、もともと存在している生物の聖域をつくること、木を必要以上に切り倒さずに
雑木林を保つこと、など自然を大切にするための要望を出した。自然に対し思い入れのあ
る市民が多く、自然環境を守っていくことが約束された。
建設段階でも住民参加が積極的であり、民家にあまり手を入れず伝統的な文化を大事に
するという考えのもと、地元の子供たちと土壁づくりを行った。このように、整備段階か
ら地域住民の関心の高さが伺える。
しかしその一方で、誰が公園を管理するのかという問題が生じた。運営委員会のメンバ
ーは、長屋門公園の運営を任されてもどのように施設を活用していくかイメージが膨らま
ずにいた。運営委員会は、公園の事務局長選定の条件として、(1)地域に明るい、地域に根
差した人で、地域住民とうまく交流できる人、(2)子どもが好きで、教育的な感覚を持ち合
わせた人、(3)昔のことを体験させるプログラムづくりができる人、多少地域の歴史にも詳
しい人、(4)人が好きな人、(5)自然を大切に思う人、という条件を挙げた。この条件を満た
すのが、まちづくり活動を精力的に行っており、かつ小学生を対象とした「横浜ふるさと
体験スクール」の経験を持つ現館長であり、事務局長を引き受けることになった。
館長は、自分自身が市民施設を利用する際に、行政の対応に感じた疑問点や、施設自体
が使いづらいものであるといった実体験を踏まえ、市民が本当に使いやすい、市民のため
の市民目線の施設を作っていこうと決めたという(横浜市長屋門公園整備事業より一部抜
粋)
。
以上より、長屋門公園は住民の合意形成のもとでつくられた施設であり、第 3 章 4 節の
建造物活用における課題(3)については、理想的な形であるといえる。
4-3-2 古民家活用について
長屋門公園内は 2006 年より指定管理者制度のもと運営されている。すでに上述している
が、特徴的であるのは、地域住民の手により創り上げられた、住民のための住民による施
設である、ということである。
歴史ある立派な古民家で、先人たちの営みを体験し、かつ、その素晴らしさを実感でき
28
ることを目的とした施設活用を行っている。事業内容の多くは、先人たちの営みにふれる
ことのできる年中行事、伝承行事を行うイベント事業である。現代の社会に生きる人々、
とくに子どもたちに向けて、自然を大切にすること、人と人の和を大切にすることなど、
古くから行われている年中・伝承行事を通して伝えていくことが最たる目的である。平成
26 年度の指定管理者事業別報告書によると、年間で 80 あまりの行事や体験型イベントを行
っている。主な事業ごとのイベントは以下のとおりである。
表-1, 長屋門公園年間行事(平成 26 年度指定管理者事業別計画書より筆者作成)
伝承・年中行事
五月人形・鯉幟飾り付け
市民から寄贈された多くの五月人形を母屋やギャラリーに飾
り、同じく寄贈された鯉のぼりを中庭と奥庭に泳がせる。
こどもの日
親子で柏餅を作り、昔ながらの柏餅作りとそのいわれを伝承す
る。
七夕飾り
来園者が短冊を飾り、その竹のもとコンサートを開催する。
餅つき・門松作り
昔ながらの餅つき、門松づくりを行う。
七草粥
かまどで七草粥を炊き、食す。
節分
年男、年女を募集し、豆まきを実施する。
雛祭り
雛人形をめでながら、子供を対象に人形劇を行う祭り。
先人の営み体験事業
田舎一泊体験
小学校 4~6 年生を対象に一日古民家での生活を体験し、昔の生
活の素晴らしさを学ぶ。
すいとん祭り
8 月 15 日にすいとんを食べながら、今の生克を省み、感謝する。
蕎麦作り
自分の手で食べ物を作り出す喜びと食べ物の大切さを体験する
とともに、古民家施設の良さを改めて体感してもらう。
自然体験事業
竹の子祭り
裏庭の竹林を維持管理することを目的に竹の子堀を実施し、子
どもたちに竹の子の生態を学ばせる。
みどりの日 巣箱作り
公園に生息する多くの野鳥のために、親子で巣箱づくりを行う。
竹炭作り
竹林管理の一環として竹切りを行い、炭火焼体験をする。
文化的事業
あじさいまつり
裏庭に咲くあじさいを眺めながらコンサートを楽しむ。
七夕コンサート
開園記念日コンサート、七夕コンサートを開催。
十五夜コンサート
昔ながらの十五夜飾りと、中秋の名月を楽しみながらのコンサ
ート。
一人語り
「質の高い文化を下駄履きで」のコンセプトのもと、一流プロ
29
の語り手による、古民家にふさわしい語りを堪能する。
秋の夜長コンサート
古民家で秋の夜をゆっくり過ごすコンサート。
寺子屋
あらゆるジャンルの講師による講義を開催。
懐かしシネマ館
懐かしい映画を鑑賞し、語り合う。
リサイクル事業
ファイバーリサイクル
ファイバーリサイクルの拠点として利用することで来園を図
る。
おもちゃ病院
おもちゃの持ち主である子どもに来てもらい、目の前で直す。
長屋門公園内には囲炉裏があり、人々は火がともった囲炉裏を囲む。歴史的建造物で火
を使用する行為は防災の理由上禁止とされることが多いが、ここでは囲炉裏に火がともり、
そこが人々をほっとさせる空間を生み出している。行事ごとには必ず長屋門なべという味
噌仕立ての汁物が提供され、人々の体を内外から温めている。また、1 月にはドンド焼きを
行い、毎年賑わいをみせている。視覚的にも体感的にも、火を使う、ということは人々の
繋がりを生み出すためには大変有効であるといえる。
コンサートでは、プロのミュージシャンが毎年自ら開催したいと申し出ているという。
このように、プロのコンサートや、プロの落語家を招くなど、古民家で本物を伝えていく、
という姿勢も伺える。教育関係では、小学校 3 年生の社会科見学の受け入れをし、一年間
に約 55 校が訪れる。その他にも、毎月近隣住民やボランティアの顔合わせの場となってい
る清掃活動日、ボランティア交流会などがある。また、世代を問わず多くの人に長屋門公
園を利用してもらうために、陶芸、習字、つるし雛など各種教室を開催している。地域と
共に行うものとしては、七夕灯篭祭りや、障害者も一緒に楽しむさとまつり、夜の野外映
画会である子ども映画会がある。いずれも阿久和北部連合などと協働体勢で行われる。以
下が瀬谷区で大切にされている行事例である。
(1)七夕灯篭祭り
瀬谷区の一大イベントでもある七夕灯篭祭りは、三ツ境駅前から長屋門公園までの長屋
門プロムナードに灯篭を飾る地域の祭りである。長屋門公園が中心となって行われる。七
夕の時期に行われる灯篭祭りは、阿久和北部連合、三ツ境連合、区役所、原、三ツ境、希
望ヶ丘各小学校・原中学校共催で行われる。最近では東北への義援金を集める役割も果た
しており、毎年賑わいを見せている。これらの行事の全ては、市民による市民ための市民
施設というモットーのもと行われている。
(2)子ども映画会
阿久和北部連合共催で行われ、青少年指導員、スポーツ推進委員が参加する。夜の野外
映画会であり、古民家の前にスクリーンを設置し、外が暗くなり始めてからの上映となる。
30
連合会員は、ポップコーンやお菓子などを子どもに無料配布し、簡単なゲームも開催され
る。参加者は例年近隣住民が多く、毎年通うリピーターも多い。平成 26 年度の子ども映画
会は、前年よりも多くの参加があり、区内外から多くの親子や住民が集まり賑やかな夜と
なった。
図―4, 子供映画会の様子(筆者撮影)
4-4 長屋門公園の現状と課題
長屋門公園の平成 25 年度入園者集計表によると、総入園者数は 78,179 人、
月平均約 6,515
人の入園者数である。総入園者数のうち、68 パーセントが瀬谷区内からの来園者である(図
―5 参照)
。また、入園者の男女比は 4 対 6 となり、女性の来園が男性を上回った。年代別
の集計は行っていないが、放課後訪れる小学生から近隣の高齢者まで、年代層を問わず様々
な層の人々が公園を訪れている。
第 3 章 4 節で挙げた建造物活用においての(1)~(5)の 5 つの視点で現状、課題を考える。
(3)合意形成における課題は、上述した通り、初期段階より住民とともに施設をつくりあげ
ていく理想的なかたちをとっている。以下では、 (2)、(4)、(5)を詳しく検討する。
31
図―5, 平成 25 年度入園者数(平成 25 年度長屋門公園管理運営委員会報告書より筆者作
成)
(2)資金面における課題 ―資金運用・売上等について
横浜市の指定管理制度の委託金にて運営しており、平成 25 年の委託費は 1,300 万円であ
った。収入のほとんどを運営委託料が占め、その他は事業収入費(参加費)、寄付金等の協
力費による収入である(図―6 参照)
。指定管理者制度の下、限られた予算の中でできる限
りのことをするということを念頭に資金運用している。修繕費に関しては、電球を取り替
える程度のものは指定管理者が行うことになっているが、屋根や壁面の修繕など大規模な
ものは横浜市が負担している。
施設内にある「ボランティア売店」では、長屋門特製饅頭やポストカード、ボランティ
アが作成した箒などを販売している。ボランティア売店での収益は、できる限りボランテ
ィアに還元したいという意向のもと、ボランティア交流会で使用される。
支出に関しては人件費が約半分を占めており(図―7 参照)、毎年の収入額と支出額はほ
ぼ同額である。
32
収入の部
2%
1%
0%
運営委託料収
入
事業収入(参
加費収入)
支出の部
6%
3%
3%
事業費
21%
13%
人件費
管理費
事務費
97%
寄付金等の収
入(寄付金、受
取利息)
54%
租税公課
保険料
雑収入
図―6, 平成 25 年度 長屋門公園収入の部(平成 25 年度決算書をもとに筆者作成)
図―7, 平成 25 年度 長屋門公園支出の部(平成 25 年度決算書をもとに筆者作成)
(4)後継者不足における課題 ―人のマネジメントについて
前述した通り、長屋門公園では多くのボランティアが精力的に活動しており、その存在
意義はかなり大きい。長屋門公園館長の、人は育てるのではなく一緒に育つものといった
姿勢を強く感じる。平成 25 年度事業報告書によると、イベント時のボランティア参加率は
約 60 パーセントである。大きいイベント以外の日常にもボランティアは多いため、実際の
ボランティア参加率は 60 パーセントを超えることになる。館長自身が活動に対して意欲的
であり、まちづくり活動を活発に行ってきたため、人脈も広い。阿久和北部連合自治会や
谷戸自治会の拠点であり、地域との関係も良好である。また、管轄の南部公園事務所や瀬
谷土木事務所、瀬谷区区役所など、公園建設当初関わった関係職員を含め、行政とも良好
な協働体制を築いている。このように、地縁、人望が生んだ豊かな人間関係が、地域、関
係者の人材マネジメントにつながっている。
しかしその一方で懸念されるのが、現館長の引退後である。館長が述べているように、
常にスタッフやボランティアと協働しているために誰が運営を行っても問題はないとして
いるが、事務局、ボランティア「おやじの会」ともに高齢化が進んでいるため、自治会や
その他ボランティアから若年層をますます取り込むことが必要となる。館長交代時にどの
ように引き継ぎを行うのか、引き継ぎ後の人材管理や業務管理など今後も注目する必要が
あるだろう。来場者を含め若年層の取り込みについて考慮する必要がある。指定管理者制
度利用のため、再度行政からの認定が必要となるが、非公募で選定されているため、今後
も非公募による選定が続く見込みである。地域に深く根ざしている施設であるため、今後
も地域住民が張り付き、運営していくスタイルは変わらないと予想される。行政との関係
も良好ではあるが、この指定管理制度を用いた運用形態で発揮されている民間だからこそ
できること、この長屋門公園だからできること、ということを行政がますます意識的に吸
33
収すべきである。このような課題を踏まえたうえで、住民や行政が将来を見通した話し合
いを重ねていくことが必要である。
(5)建築物の機能性における課題
古民家を文化体験施設として利用し、先人たちの営みを体験できる行事、古民家前にス
クリーンを設置した映画上映会など、本来の機能を保ちつつも新たな機能も付加されてい
る。大きな機能の転換はないが、本来ある姿を維持し、今後も工夫を加えた活用が期待で
きる。
長屋門公園は住民参加が積極的な設立経緯を持ち、現在も住民が中心となって活用され
ている施設である。また、行事はすべて、市民のためにあるべく施設という軸にぶれるこ
となく行われている。ボランティアやスタッフを含むすべての参加者を大事にしており、
人々に対するケアを怠ることがない。イベント参加者には軽食や土産を渡している。ボラ
ンティアも、自分たちがボランティアという意識のもとに活動しているのではなく、自分
が楽しむため、とい姿勢で参加していることがうかがえた。
また、参加者が口々にしていうのは、「
“うち”の公園が・・・」というような、誰のもので
もない、自分たちの公園、という位置づけで公園を利用していることである。多くの利用
者は自分が第三者ではなく、自分たちの意思で自己責任のもと公園を訪れている。近隣住
民へのあいさつ回りや、行政との良好な関係を維持させていることなど、細かな配慮が継
続的な建造物活用につながっている。そして、館長の人を大切にしながら目的を遂行して
いる姿勢が、利用者の公園に対する意識を自然と醸成してきたのであり、これが施設存続
における重要な要素であるといえる。
34
引用・参考文献
神奈川県ホームページ< http://www.pref.kanagawa.jp/>
横浜市瀬谷区ホームページ< http://www.city.yokohama.lg.jp/seya/shoukai/tyoumei >
横
浜
市
長
屋
門
公
園
整
備
事
業
<www.city.yokohama.lg.jp/seisaku/seisaku/.../kihou127-010-011.pdf>
長屋門公園平成 25 年度収支決算書
長屋門公園平成 25 年度入園者集計表
長屋門公園管理運営委員会月次報告書平成 25 年 4 月~平成 26 年 3 月
35
第 5 章 清閑亭での取り組み
5-1 小田原市の概要と歴史
小田原市は、神奈川県の西部に位置し、西部は箱根連山につながる山地、東部は曽我丘
陵と呼ばれる丘陵地帯で、市の中央には酒匂川が南北に流れて足柄平野を形成し、南部は
相模湾に面している自然豊かな地である。神奈川県内の市としては、横浜市、相模原市、
川崎市に次ぐ 4 番目に広い面積を有している。鉄道 5 路線が集中する小田原駅周辺に近隣
都市を商圏とする商業が古くから集積する。戦国時代には後北条氏の城下町として発展し、
江戸時代には東海道屈指の宿場町として栄え、更に明治期には政財界人や文化人など多く
の偉人たちの別荘、居住地として親しまれてきた。平成 26 年 5 月 1 日時点では、人口総数
195,429 人(男 95,295 人,女 100,134 人)であり、世帯数は 80,110 世帯を抱えている。
図―1, 小田原市位置図(小田原市歴史的風致維持向上計画(平成 26 年 3 月軽微な変更)
より)
5-1-1 小田原市の歴史
小田原の北条氏が活躍した時代である戦国時代は、室町時代の中頃 1467 年に京都に始ま
った「応仁の乱」によって幕開けとなった。戦乱は全国各地にひろがり、下克上の風潮が
全国的に広がっていき、実力を持つ戦国大名が現れ始めた。小田原の北条氏はその代表の
一人である。
北条早雲は 1501 年までには小田原城を奪うことに成功したのち、実力を蓄え、三浦半島
の三崎城の三浦義同を攻め滅ぼし、相模一国の支配に成功した。以後五代約 100 年にわた
36
り、北条氏の支配が続いた。その後、武田信玄や、後の上杉謙信である長尾景虎から進攻
されたが、それからも逃れた小田原城は、難攻不落の城といわれた。そして北条氏康は川
越合戦の激戦の末に大勝利を収め、関東の有力な領主が北条氏の傘下に入った。氏康は戦
ばかりでなく、支配下にある百姓の保護をはじめ、職人や文化人などの活動を盛んにしな
がら民政を行った。それが後世の文化発達にもつながってゆく。
氏康ののちの氏政・氏直の時代には戦国時代も終わりに近づいていた。1590 年、豊臣秀
吉はついに小田原城攻めを開始し、それは長期戦となった。同年小田原城は明け渡され、
早雲の伊豆平定以来約百年間にわたって関東を支配した後北条氏も、ついに滅亡した。
その後、江戸時代に入ると、東海道五十三次の屈指の宿場町として、小田原城を中心に
商業・文化が栄えていった。
明治時代には、伊藤博文や山縣有朋、大隈重信など、近代日本の幕開けを担った多くの
政財界人や軍人が、居を構え、移り住んでいる。また、大正時代になると、北原白秋や谷
崎潤一郎、三好達治など多くの文学者が暮らし、交流を深めていた。このように小田原は、
古くから多くの人々が往来し、さまざまな交流の中で、多くの文化や産業が育まれ、伝統
として今もまちに息づいているのである12。
5-1-2 小田原市の産業
温暖な気候と豊かな自然に恵まれた小田原では、木製品、蒲鉾、ひもの、漬物、ミカン、
梅などを地場産業としている。これらの工業・産業は、今までの伝統を受け継ぐだけでは
なく、小田原らしいまちづくりにも活かされている。
小田原は定置網漁業を中心として漁業を行ってきた。相模湾は今でも定置網漁では全国
三大漁場である。東海道の要所を占める城下町にして、箱根水系の良質の水処であり、豊
富な水揚げを誇る港まちでもあった。小田原蒲鉾は、古くから製造されているが、近年に
なり交通機関の発達や冷蔵技術の進歩により製造業者も増加した。街かど博物館13かまぼこ
博物館では、ちくわ、かまぼこの製作体験が可能である。現在、この地域ならではの、か
まぼこを活用したまちづくりを推進しようと動きもみられる。
また、ミカン栽培、梅栽培が盛んであり、清閑亭でのメニューに利用されることはもち
ろんのこと、その他小田原グルメのメニューにも利用される。曽我地区を中心に栽培され
ている梅「十郎梅」については、小田原のブランド梅として市内外に宣伝している。
5-1-3 小田原市のまちづくり―清閑亭を活用した小田原市のまちづくりの経緯
本稿 p.38,l.12~16 小田原市ホームページ
(http://www.city.odawara.kanagawa.jp/municipality/introduction/)より引用。
13 小田原の古くからある産業文化を今に伝えるために、指定された店舗は工夫を凝らした
展示、お客様との会話、さらには体験を通して、小田原の産業にかかわるひと・製品・も
のづくりの結びつきを知ってもらう役割を果たす。各店舗にはスタンプが設置してあり、
記念品をもらえるスタンプラリーを実施している。
12
37
現在の清閑亭を活用した取り組みの始まりは、
「おだわら千年蔵構想」が大きなきっかけ
となる。小田原の市民主導のまちづくりの確立として、
「ビジョン 21 おだわら」基本構想
まで遡ることになる。小田原市が 1998 年度に策定したこの基本構想(目標年次 2010 年度)
では、まちづくりの理念を「世界にきらめく「明日の 1000 年都市おだわら」」とし、それ
を実現するためのキーワードを「交流」とした。小田原の豊かな自然や歴史に新しい価値
を融合させ、
「活力にあふれ、人にやさしく、まちなみが美しいまち」を目指すことが計画
の基本的な視点であるとされた。基本構想のキーワードである「交流」の考え方をより鮮
明に打ち出すことが重視され、小田原の都市環境・生活環境の質を高めていくために様々
な主体の参加と連携によって形成されてきた小田原の魅力を再生するとともに、小田原な
らではの新たな付加価値を創造していく必要があると認識された。
その後、市長の発案より市民研究員が置かれることとなり、市の政策能力を高めるため
の研究所「小田原市政策総合研究所」が設立された。市の職員、外部からの学識経験者、
専門家、市民研究員など、様々な分野で活躍する、バラエティに富んだ人員で構成され、
公共性の高いものとなった。
5-1-4 おだわら千年蔵構想
小田原のなりわいが、箱根・伊豆両観光地の衰退で打撃を受けたことをきっかけに、小
田原に特有な文化や産物の価値を、世界にも通用するものとして再発見することでまちづ
くりのよりどころにすること、行政ばかりに頼らずに一般市民が大きな力となるまちづく
りを進める、という方針のもとにこの構想は成り立っている。
小田原の千年間に蓄積された「なりわい交流」の資産、旧東海道周辺の資産、先人たち
のなりわい交流のノウハウや知恵などを再発掘・活用し、それらを今日の社会にすりあわ
せ、生活の再生を目指したまちづくりが「おだわら千年蔵構想」である。街全体をそれら
の要素を収める「蔵」に見立て「千年蔵」と名付けられている。
この「おだわら千年蔵構想」の中で提案したまちづくりプロジェクトでは、「街かど博物
館」や「小田原宿なりわい交流館14」を設置し、市民や観光客に小田原の魅力を伝えている。
小田原まちづくり応援団はその実現を目指し、邸園交流に基づいて清閑亭を運営してい
るのである。
昭和 7 年に建設された旧網問屋を再整備し、市民や観光客の憩いの場として平成 13 年に
開館。誰でも立ち寄れる休み処、市民活動発表の場として利用されている。
14
38
まちあるき
図―2, 小田原まちづくりの派生図(筆者作成)
5-2 清閑亭運営組織について
清閑亭の管理運営は、
「特定非営利活動法人小田原まちづくり応援団」
(通称「まちえん」
)
によって行われている。理事は約 12 名からなり、スタッフは 3 名常駐である。他にまち歩
きツアーガイドが 3 名常駐する。
「おだわら千年蔵構想」の策定を契機に市と市民団体とを結ぶ中間支援組織を設置する
実験が行われ、「小田原まちづくり応援団準備会」が 2002 年に設置された。小田原市との
連携の下で行われ、そのプログラムである「なりわい交流の再生による市街地の活性化-
まちづくりの中間支援組織の設立に向けた実証研究」は、国土交通省の「多様な主体の参
加と連携による活力ある地域づくりモデル事業」
(2002 年度)に指定された。この準備会か
ら 2003 年に、小田原市政策総合研究所の OB により、「特定非営利活動法人小田原まちづ
くり応援団」が結成され発足した。
「まちえん」は準備会段階から市と市民とを結ぶさまざ
まな活動を開始していたが、NPO 法人格を得たことで活動が一層広がりを見せることとな
った。小田原まちづくり応援団の設立趣意書では、以下のことを基本方針とし、活動して
いる(小田原まちづくり応援団ホームページより)
。
・多様な主体によるまちづくり活動のつなぎ手となります。
・「おだわら千年蔵構想」を土台にしたまちづくりを推進して、地域の生活の質を高めま
す。
・多様な主体の参加と連携を促すためのネットワークの場を設けます。
・地域に眠っている宝物を掘り出し、蘇らせる仕組みを作ります。
39
・小さな想いを大切にして、新しい発想を取り込み、具体的なかたちにする仕組みを作
ります。
・オープンな運営に努め、信頼関係を築き上げます。
「おだわら千年蔵構想」の取り組み主体として、それに基づく活動を行い、主に清閑亭
での喫茶事業、まちあるき事業に注力している。また、松永記念館(旧松永安左ヱ門邸)
、
小田原文学館(旧田中光顕別邸)との三館連携事業も進んでいる。「小田原まち歩き検定」
の実施、別邸建築群を歩く「湘南邸園文化祭15」への参加、小田原街かど博物館のなりわい
まち歩きツアーの主催などを行う。
「タウンウォーキング=まち歩き」によって、千年都市・
小田原に存在するストーリーを多くの人に知ってもらうことを目指す。
運営形態については小田原市文化政策課より活用業務を委託されている、業務委託方式
をとっている。平成 25 年度の業務委託金は 1,700 万円であった。NPO が業務を行い、民
間ノウハウを発揮するという点では指定管理者制度になってもおかしくはないが、清閑亭
が用途地域に合わない可能性や、消防等の理由から、今後も業務委託の形をとっていく、
ということだった。また、指定管理制度にすることで他の民間業者が入ってくることが予
想されるため、今の状態を保ち向上させていくためにも、指定管理者制度は利用しない方
針である。
5-3 清閑亭の活用について
清閑亭は、小田原市の文化政策課より活用業務を委託され、NPO 法人「小田原まちづく
り応援団」により運営されている。明治時代に活躍した黒田長成(ながしげ)侯爵の別邸とし
て、1906 年(明治 39 年)に神奈川県足柄下郡小田原町(現・小田原市南町)に建てられ、現在
は国登録有形文化財である。2008 年に小田原市が土地と建物を購入し公有化し、2010 年よ
り小田原まちづくり応援団が管理・運営している。清閑亭での取り組みについて特徴的で
あるのは、NPO が活動の幅を広げながら周辺地域との連携を構築している点である。これ
は清閑亭が現在は観光スポットという役割を持っていること、業務委託により運営者が幅
広く活動をできることによるところが大きいといえる。
15相模湾沿岸地域一帯に残る邸宅・庭園を活かしたまちづくり推進の取組みである、
「邸園
文化圏再生構想」に基づいて行われている企画。各邸園等での催しが湘南地域全体として
の相乗効果を大きく生み出せるよう企画調整し、また、企画の実施を通じて、その効果や
邸園利活用上の課題等を検証することで、今後、継続的かつ本格的な湘南邸園文化祭に発
展させることを目指す。
(神奈川県ホームページ、
邸園文化圏再生構想・湘南邸園文化祭 2014
ホームページより) http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f3670/
湘南邸園文化祭 2014
ホームページ http://stf2014.seesaa.net/
40
清閑亭では、清閑亭を軸としたネットワークづくりを目的として、喫茶事業、観光事業、
物販事業が行われている。最近では、清閑亭を拠点とした「都市ブランド力向上のための
コンテンツ開発(ツアー・スイーツ・なりわい体験メニューの開発など)」
、小田原市の地
域資源を最大限に生かす観光まちづくりのもと、小田原城だけではないまちとして「小田
原城+ONE(小田原城だけじゃない!)」を戦略として定めている。こうしたことを念頭に、
観光客をはじめ市民利用にも向けた企画を実践していくことで観光のしかけを構築してい
る。これらの取り組みが地元市民にも波及していくことを目指し、小田原全体を良くして
いきたい、という想いが活動の根底にある。
上記の事業以外について、貸館事業は公式には行っていない。しかし、外部からの企画
に関してはあくまでも共同イベントとして行う形をとっており、その中での販売手数料な
どを徴収している。貸館事業を行わない理由としては、公民館的な使い方を防ぎ、精査し
た上で清閑亭との何かしらの関わりをもつものに限定するためである。
物販事業については、作品展による物販、清閑亭ポストカード販売などをしている。平
成 24、25 年度には若手木製品作家の作品展、木製品陶芸作家の作品展などの作品展で木製
品を販売した。
清閑亭での企画は、台湾茶文化交流講座のような、文化・職人技を体験する機会を提供
し、地域の生業の活性化、豊かなライフスタイルの提供を目的とする滞在型企画、まち歩
きツアーなどの邸園交流を面的に展開し、食文化や歴史を感じることを目的とした回遊型
企画、また住民などが多く参加するワークショップ型企画に大きく分けることができる 16。
表―1, 清閑亭のイベント(清閑亭ホームページなど参考に筆者作成)
滞在型企画
吊るし雛つくり隊、清閑亭交流かふぇ、観月会、各種コンサート、ちりめん細工等各種教
室、ティーサロン、文化交流講座、各種講演会、各種展示会等
回遊型企画
まち歩きツアー(なりわいまち歩き、邸園まち歩き、海と山の恵みを歩くまち歩き、お城
を歩くまち歩き等)、グルメツアー等各種ツアー、スタンプラリー等
ワークショップ型企画
お庭ワークショップ、切り紙ワークショップ、みんな de お掃除会等
5-3-1 喫茶事業について―喫茶事業「カフェ清閑亭」
清閑亭の一階部分、修築前17は二階部分でもコーヒー等の飲み物、甘味を提供している。
平成 24 年度 歴史的風致維持向上推進等調査「地域による歴史的建造物の管理・運営手
法に関する検討調査(神奈川県小田原市)
」報告書 平成 25 年 3 月、pp.71~77 参考。
17清閑亭は 2014 年 10 月 13 日より歴史的風致形成建造物としての構造補強に伴う改修工事
に入っている。今年度の工事対象場所は、建物の東棟(お部屋では水屋・鎖の間・客間・
16
41
常設メニューは、コーヒー、紅茶、抹茶などの飲料が主であり、季節限定メニューが春・
夏、秋・冬で変わる。毎月 1 回ゾロ目の日は、
「邸園交流かふぇ」と称し、喫茶メニューの
抹茶の菓子が、この日だけ上生菓子になる。地元名産のみかんやレモン、梅を使用した新
規メニュー開発によって売り上げも増加している。清閑亭を見学後に一息つく利用者、近
隣住民が読書をしながらお茶をしに来る等、喫茶事業は大切な事業の一つである。平成 25
年度のカフェの売上は前年比の約 115 パーセントであり、今後も注力していく主力事業で
ある。
5-3-2 観光事業について―まちあるき事業、三館連携事業
(1)下町、宿場町のなりわいを訪ねる“なりわい”まち歩き、(2)政財界人が愛した邸園を
訪ねる“邸園”まち歩き、(3)“海と山の恵み”を歩くまち歩き、(4)“お城”を歩くまち歩
き、時期によって親子で楽しめるクイズラリー形式のまち歩きなど多数の種類のまち歩き
ツアーを開催している。現在、(1)と(2)のまちあるきは清閑亭休館日以外毎日開催している。
なりわいまち歩きでは、街かど博物館をめぐりながら小田原に昔からあるなりわいを感じ、
邸園まちあるきでは、松永記念館、小田原文学館を回り、「まちえん」がつなぎ手となるか
たちで様々なコラボレーションが育っている。参加者は、市外や観光客だけではなく、地
元住民にも広がっており、まちの内部から外部からそれぞれにまちの良さの発見につなげ
ている。その他にもまちの店舗と協賛しているグルメツアーなどがある。まち歩きツアー
の参加費は 1000 円~3000 円と決して安くないものも含まれるが、それには昼食や多数協
力店舗の試食なども含まれているためである。美味しいランチ、スイーツの食べ歩き、養
成されたツアーガイドの説明など、こうした要素がリピーター客を呼んでいる。現在、清
閑亭には常駐スタッフ 3 名のほかに、まち歩きツアーガイド 3 名も常駐しており、ラジオ
での広報活動も行っている。前述したまち歩きの他にも、清閑亭、松永記念館、小田原文
学館の三館を回遊させる取り組みも多く、スタンプラリーも開催している。
奥女中の間(1 階)、書の間(2 階)
。
)
42
図―3, まち歩きツアーの様子(清閑亭ホームページより)
5-4 清閑亭の現状と課題
来館者アンケートの統計(清閑亭スタディ 2013 より)、平成 25 年度の総利用者数は約
2.2 万人、1 日あたりの利用者は 73 人である。総利用者数は前年度比 108%、1 日あたりの
利用者は前年度比 109%となった。来館者のうち 59 パーセントが小田原市外の利用者であ
り(図―5 参照)、観光的な要素が強いことがわかる。また、平成 25 年度には年間稼働日数
305 日、102 本のイベントを開催した。三館連携事業による取組の効果(図―6 参照)は、
緩やかに伸びている傾向にある。
来館者の性別比では、女性が半数を超える 66 パーセント、男性が 34 パーセントであっ
た。年代においては、70 代以上が減少傾向にあるのに対し、10~30 代の若年層が伸びてお
り、2013 年 5 月には、40 代の割合を超えている(表―2、図―7 参照)
。60 代以上の利用
者が約 70 パーセントと大半を占めているが、来館のきっかけが最も多いのが口コミである
(表―3 参照)こともあり、今後も多様なイベントに参加する若年層が口コミ伝いで増加す
るかもしれない。
第 4 章と同じく、第 3 章 4 節で挙げた建造物活用においての 5 つの視点で現状、課題を
考える。(3)合意形成における課題については、住民参加型のまちづくりから清閑亭活用が
始まり、活用実験を経てから取り組みを始めている。以下では、 (2)、(4)、(5)を詳しく検
討する。
43
図―4, 清閑亭月別来館者数(清閑亭スタディ 2013 より筆者作成)
図―5, 平成 25 年度清閑亭来館者数(清閑亭スタディ 2013 より筆者作成)
44
図―6, 三館来館者数(清閑亭スタディ 2012・2013 より筆者作成)
表―2, 来館者年代比(清閑亭スタディ 2013 より)
年代
平成 22 年度
(3 月末)
平成 23 年度
(3 月末)
平成 24 年度
(3 月末)
平成 25 年度
(3 月末)
60 代
42%
43%
43%
41%
70 代以上
31%
28%
26%
26%
50 代
18%
18%
17%
17%
10 代~30 代
3%
4%
7%
9%
40 代
6%
7%
7%
7%
45
来館者年代比
50%
45%
40%
60代
35%
70代以上
50代
10~30代
40代
30%
25%
20%
15%
10%
5%
0%
14
14
14
13
13
13
13
13
13
13
13
13
13
13
13
12
12
12
12
12
12
12
12
12
12
12
12
11
11
11
11
11
11
11
11
11
11
11
11
10
10
10
10
10
10
10
3
2
1
12
11
10
9
8
7
6
5
4
3
2
1
12
11
10
9
8
7
6
5
4
3
2
1
12
11
10
9
8
7
6
5
4
3
2
1
12
11
10
9
8
7
6
年年年年年年年年年年年年年年年年年年年年年年年年年年年年年年年年年年年年年年年年年年年年年年
月月月月
月月月月月月月月月
月月月月月月月月月
月月月月月月月月月
月月月
月月月
月月月
月月月
月月月
平成 22 年度
平成 23 年度
平成 24 年度
図―7, 来館者数年代比(清閑亭スタディ 2013 より)
平成 25 年度
表―3, 来館のきっかけ(清閑亭スタディ 2013 より)
口コミ
26%
タウン紙
19%
市報
17%
観光案内所等
9%
DM
9%
チラシ・ポスター
7%
ネット
4%
その他
9%
(2)資金面における課題―資金運用・売上等について
平成 25 年度の小田原市からの業務委託金は 1,700 万円であった。収入は、業務委託金が
大部分を占めており、その他に事業による収入が 3 割弱である。事業収入では、カフェ、
イベント参加費、弁当という順番で収入が多く、喫茶事業や飲食を伴うイベントが大きな
収入源ということがわかる。喫茶事業は新規メニュー開発等により、前年度よりも売り上
げを伸ばしている(図―10 参照)。業務委託金については、年々減少傾向にあり、いかに事
業収入を増やすかが課題となる。しかし、委託金は減少傾向にあるものの、事業収入は増
46
加しているため、今後も喫茶事業やまち歩き事業が伸びていくことが期待される。支出に
関しては、人件費、事業費が大きな割合を占めており、収入額、支出額はほぼ同額である。
収入の部
0%
0%
業務委託金(観
光事業委託金
(人件費)を含む)
支出の部
0%
0%
10%
23%
事業収入
26%
事業費
人件費
管理費
74%
寄付金等の収入
(寄付金、受取利
息)
事務費
67%
消費税
預かり金(源泉徴
収額)
図―8, 平成 25 年度 清閑亭収入の部(平成 25 年度決算書をもとに筆者作成)
図―9, 平成 25 年度 清閑亭支出の部(平成 25 年度決算書をもとに筆者作成)
図―10, 清閑亭売り上げ(清閑亭スタディ 2012・2013 より筆者作成)
清閑亭アンケート(清閑亭スタディ 2013 より)の感想には、
「歴史的な和風建築を大切
にして、手を入れながら永く保存してほしい。そのためにも入場料をとるべき。
」、
「有料の
方がいいかと思います。
」といった有料化を促す意見や、
「今日は住んでいる街のことを色々
知ることができて、とても楽しかったです。また何かの機会に参加したいと思います。」
、
「小
田原生まれでも、初めて行った場所ばかりで楽しかったです。」
、
「何度も足を運んでいます
が、各イベントを楽しく、美味しく参加しています。」といった地元住民の声や、リピータ
47
ーの声も聞くことができている。そのほかにも、まち歩きについては、分かり易い説明が
よかった等、ガイドへの好評が多かった。
(4)後継者不足における課題―人のマネジメントについて
人材育成については、ひとりひとりがいかにまちづくりを経営として行えるかに起因す
る、とまちづくり応援団の常務理事は述べている。少数精鋭でいかに質の高い企画を打ち
出し、実行できるかが肝となる。常務理事は、一人ひとりが社長業をこなすことが必要と
述べ、以下のことをエリアマネジメントに必要な要素として挙げている。
(1)組織を動かす、(2)プロモーションをする、(3)デザインをする、(4)金儲けをする
適材適所の人員配置、資金運用を常に考えているという。たとえば、自治会や住民、公共
団体などの良好な関係構築のため等、必要な部分には赤字であっても資金を投入する等で
あると述べている。
また、まち歩きガイドについても、清閑亭、小田原のなりわい、様々な知識に富んだツ
アーガイド養成を行っている。
これらの人のマネジメントが、後継者不足問題解決に向けた動きの一つであるといえる
のではないだろうか。
(5)建築物の機能性における課題
すでに第 1 章 4 節でも上述しているが、清閑亭は 3 年に渡る活用実験を行い、清閑亭の
機能や用途、活用形態を定めている。近代建築の別邸であった清閑亭は、当時の趣を残し
たまま喫茶機能を備えている。当時の雰囲気を味わいながら、イベントなどに参加するこ
とが可能であり、用途自体を大きく変えずに、建造物そのものの魅力を活かしている。
今後の課題としては、清閑亭という建造物をいかしにて残していくかということである。
小田原市の行政の変化に伴い、清閑亭事業はなくなってしまうことも可能性としてはゼロ
ではない。そのために、この施設運用の目的である、清閑亭を軸としたネットワークづく
りを様々な事業を通して深めている最中なのである。
また、消防上の理由から火気厳禁とのことで現在は火を使えない状況にある。理事長は、
人が火を囲んで食を通して楽しむ、というポイントを強調しているが、行政からの許可は
おりなく、調理場開放といった計画はまだ見込めない状況にあるという。本来実行したい
と考えていることと、行政などの取り決めとの衝突でもどかしさを感じている面が見られ
る。
清閑亭活用において注目すべき点は、歴史的建造物活用において、エリアマネジメント、
エリアマネジメントを行う人が大事と考えたうえで活動を行っていることだ。市や県など
の地方公共団体、NPO 双方でできるマネジメント、できないマネジメントを補い合いなが
48
ら官民のまちづくりを進めるエリアマネジメントを行っている。
そして、まちづくり応援団の一人ひとりが清閑亭活用の目的を認識した上で、精査した
企画実行をおこなっていることが、清閑亭が人々に親しまれる施設となった理由であると
いえる。
49
引用・参考文献
小田原市ホームページ
< http://www.city.odawara.kanagawa.jp/>
<http://www.city.odawara.kanagawa.jp/municipality/introduction/>
小田原市 無尽蔵プロジェクト
<http://www.city.odawara.kanagawa.jp/cyumoku/project/>
小田原市(2011)、
『小田原市歴史的風致維持向上計画』
、小田原市…平成 26 年軽微な変更
<http://www.city.odawara.kanagawa.jp/global-image/units/181335/1-20140731095814.p
df>
小田原まちづくり応援団ホームページ
<http://www.machien.net/>
清閑亭 ~邸園交流でまちづくり~
<http://machien5.exblog.jp/>
小田原市政策総合研究所 東海道研究グループ(2014)、『スタディー1
復刻版作成 小
田原市政策総合研究所 平成 12 年度研究報告書 東海道小田原宿千年蔵』、特定非営利活
動法人 小田原まちづくり応援団
平成 24 年度歴史的風致維持向上推進等調査「地域による歴史的建造物の管理・運営手法に
関する検討調査(神奈川県小田原市)」報告書 平成 25 年 3 月、pp.71~77
NPO 法人小田原まちづくり応援団(2013)、
『清閑亭スタディ 2012 平成 24 年度・清閑亭
活用に向けた基礎的な調査研究~邸園文化に関わる人物・建物等に関する資料・証言の調
査・研究~』
、NPO 法人小田原まちづくり応援団
NPO 法人小田原まちづくり応援団(2014)、
『清閑亭スタディ 2013 平成 25 年度・清閑亭
活用に向けた基礎的な調査研究~文化観光・まち歩きを促進するための観光戦略作りに向
けて~』
、NPO 法人小田原まちづくり応援団
50
第六章 まとめと考察
これまで、管理方式から事業内容まで、長屋門公園と清閑亭での全体的な取り組みを追
ってきた。両施設の性質で大きく違う部分は、長屋門公園が地域に根差している地元住民
施設であることに対し、清閑亭は観光者向けであるということである。長屋門公園は、館
長が述べている、市民のための市民による市民利用施設という目的を果たしており、与え
られた予算の中で最大限のことをする、という信条を忠実に具現化している。清閑亭では、
清閑亭を軸としたネットワークづくりを目的としながら様々な事業を展開しており、現段
階では観光客中心、今後ますます地元住民を巻き込みたいという姿勢が強い。まずは外部
からの視線・気づきを大事にし、それを地元サイドにフィードバックするという形態を取
っている。
両施設に見られる違いを以下に挙げる。
(1)ボランティアへの対応
長屋門公園は、数多くのボランティアに支えられている。月に一回ボランティアの交流
会を行っており、ボランティア売店での売り上げはボランティアの人々に還元できる形で
利用するという。日ごろから清掃活動やイベントには積極的に参加し、声をかけないでも
自然と集まっているのは、長屋門公園が長く地域に根差した施設であること、住民が指定
管理者を務めていることに大きく起因しているといえる。
清閑亭でもボランティアは集まり、庭などの清掃の手伝いに来てくれる人は少なくない。
そこで自分の持っている芸を還元してくれたり、掃除に来ることで清閑亭に対する愛着を
深めてくれることが多い。庭剪定ワークショップ開催後にそうしたボランティアを募り、
学んだ内容を楽しみながら活かす構成である。室内の清掃ボランティアも存在する。しか
し、建造物が特殊なだけに、細かい部分は庭師や職人に頼まざるを得ない。ボランティア
の人々に対しては、弁当やお茶のサービス、イベントへの優先参加権を提供している。
(2)資金運用
収入の部に関して、長屋門公園は、多くのイベントが無償であり、収入では運営委託料
が 9 割を超えている。ボランティア売店などの収入はボランティアに還元されるため、収
入には入っていない。
清閑亭では、業務委託金に加え、飲食、物販等の事業収入が多く見られた。市から業務
委託をされていることで、活動に広がりを見せていることが如実に表れている。第 5 章で
すでに述べてはいるが、事業収入の中でもカフェが占める割合は高く、スイーツめぐりの
まち歩きも開催されており、今後も注力事業であることがわかる。このように、活動の幅
が広く、商業的役割を果たせるのは業務委託という形式だからである。
支出の部に関しては、どちらの支出も人件費が半数を占めている。長屋門公園の事業費
51
が占める割合が比較的低いのは、館長の人脈の広さや、依頼をせずとも向こうからコンサ
ート開催などの申し出が多々あるからである。そうした低予算で企画を立てられるのも、
指定管理者制度のもと限られた予算内ということを念頭にしているからである。
清閑亭では、
通信費や広告費などの役務費を含む事務費が全体の約 1 割を占めているが、
前年度と比較すると減少傾向にある。光熱費等の需用費や人件費は増加しているが、それ
に伴い事業収入は伸びているため、全体の収支はプラスである。
(3)修繕費
長屋門公園では、電球を換えるなどの軽作業は指定管理者が行うことになっており、そ
の他の壁の修繕など大規模な修繕は横浜市が負担することになっている。具体的な金額は
定められていない。多少の修繕の場合、近隣住民のボランティアによって直されることも
少なくない。
清閑亭では、市との契約における特記事項はないが、3 万円以下の修繕は清閑亭が請け負
うという内容が盛り込まれている。市の所有施設だが、施設の保存・活用・運営に関する
条例はない18。また、歴史まちづくり法の歴史的風致維持向上計画認定都市であるため、国
からの支援金を使用して修繕を行っている。
(4)他団体との相互協力
長屋門公園では、瀬谷区や阿久和北部連合などとの協力体制が良好である。前述した灯
篭祭りや子ども映画会でも、進んで協力に応じている。コンサートのイベント開催時には、
プロのミュージシャンが進んでコンサート開演を申し込んでくることが多く、毎年少ない
経費でもコンサートは大繁盛しているという。区や地縁組織との良好な関係構築をしてい
るのは、公有の施設ならではであり、館長がもともと市民活動・まちづくり活動を行って
きた人物であるからこそである。
清閑亭では、住民組織や小田原商工会、その他企業と共催でまち歩きイベントを開催し
ている。その他にも「湘南邸園文化祭」など湘南各地の市民団体と連携している。また、
小田原城三の丸付近での案内チラシ配布や、三館連携での共同 PR、イベントを行っている。
周辺の公共施設と定期的に連絡を取り合っているように、横のつながりが構築されている
のは、やはり公有の施設であるからこそであるが、それ以外にも他地域との市民団体同士
のつながりを持っているのは、NPO 法人だからこそであろう。
長屋門公園は、住民が設立当初から運営に携わっている住民主体の歴史的建造物の活用
事例であり、清閑亭は住民主導のまちづくりから、さらに歴史的建造物活用を軸としたま
平成 24 年度 歴史的風致維持向上推進等調査「地域による歴史的建造物の管理・運営手
法に関する検討調査(神奈川県小田原市)
」報告書 平成 25 年 3 月、pp.71~77 参考。
18
52
ち全体の活性化を図る事例であった。これら両施設の歴史的建造物活用は、建造物の活用
方法・目的を熟考したうえで取り組みを行っていること、活用することによって利用者に
も自然とメリットを感じさせているマネジメントを行っている、という共通点を持つ。
管理方式の違いによる大きな差は、修繕における負担の度合いなど資金面、他団体との
相互関係や、イベント・企画の広がりの違いである。これらは、地元住民向けの施設、観
光客向けの施設といった性格の違いによるものがかなり大きい。両施設においての共通点
は、管理者が建造物活用に対する明確なビジョンを持ち、それを軸に活動をしているとい
うことである。そうして、建造物がただのハコモノではなく、生きた建造物として活用さ
れており、利用者・運営者ともに気持ちよく利用できる仕組みを自然と構築しているとい
える。
歴史的建造物の活用において、現在では法整備が整い、多様な補助制度も存在している。
それらが発展してきたのは、歴史的資産がまちづくりのアイデンティティとなると考えて
こられたためである。これらの制度を有効に活用し、価値ある歴史的資産を活用しながら
維持していくことが期待される。
今後の歴史的建造物の利活用を進めるに当たり、まずは、建造物をどのように活用する
かを明確に打ち出すことが求められる。価値ある建造物を残し保存をしてから考える、も
しくは保存行程と並行状態で活用方法を考えるのではなく、活用ビジョンにおける計画を
時間をかけて練ることが必要であり、そうすることにより、自ずと管理方法なども決まっ
てくるであろう。もともとその建造物がどのような施設となることを目標にしているのか、
どのような管理団体により運営されているのか、それらの点を確実に見極めることが非常
に重要となる。何のために、誰に向けて、何をどのように行うのか等、しっかりとした活
用ビジョンを持ち、その建物の持つストーリーを人に伝えていくことが、生きた建造物活
用のマネジメントに必要である。
以上のような目的を踏まえたうえで、一緒に活動していく人、近隣住民、自治会、公共
団体など、ひとつひとつの繋がりを構築し維持していくことが求められる。そして、歴史
的建造物の活用をする人々が、共通の意識を持って同じ方向を目指すことが、継続的なマ
ネジメントに重要であるといえる。ハード面において、防火・防災対策を徹底することは
言うまでもない。
文化財に登録してしまったが故に自由が利かなくなり結果として活用が進まない、民有
のまま管理しているが資金負担により放置してしまう、NPO にして法人化したもののうま
く事業が進まない、地元住民が基盤となる管理運営委員会を結成したが後継者が見つから
ない、このような様々な課題を抱える歴史的建造物の活用だが、今後は管理方式など一定
の枠にとらわれ過ぎないマネジメントを行っていくことが望まれる。
53
そして公設民営が主流になってきた今、なぜそのような流れになったのか、公的管理で
は行えなく、民間管理だからこそ行えることは何なのかを再度考える必要があるといえる。
54
謝辞
本論分の執筆にあたり、清水靖枝様をはじめとする長屋門公園の皆様、内藤英治様をは
じめとする小田原まちづくり応援団の皆様、横浜市環境創造局後援緑地部南部公園緑地事
務所の海野賢一様にご協力をいただきました。お忙しい中、ヒアリング調査にご協力いた
だきありがとうございました。多くのお話を伺うことで、論文執筆を進めることができま
した。
最後になりますが、熱心なご指導と激励を下さいました鈴木伸治先生、国吉直行先生に
深く感謝いたします。本当にありがとうございました。
55