原則主義にもとづく会計基準について

香 川 大 学 経 済 論 叢
第83巻 第3号 2
0
1
0年1
2月 1
4
5−15
2
研究ノート
原則主義にもとづく会計基準について
井 上 善 弘
! はじめに
企業会計審議会は,2
0
0
9年6月に,
「我が国における国際会計基準の取扱いについ
て(中間報告)
」を公表した。当該中間報告は,所定の上場企業に対して2
0
1
0年3月
期の年度の連結財務諸表から国際財務報告基準(以下「IFRS」という)の任意適用
を認めることが適当であるとするとともに,将来的な強制適用については,その是非
を含めた判断を2
0
1
2年を目途に行い,仮に2
0
1
2年に上場企業に対して IFRS を強制
適用すると判断した場合には,実務対応上必要な準備期間として少なくとも3年間を
確保するため,2
0
1
5年又は2
0
1
6年に適用が開始されるとの考えを表明した。
IFRS は,一般に原則主義の,プリンシプル・ベースの会計基準であると喧伝され
ており,上記中間報告も IFRS がプリンシプル・ベースの会計基準であるとの認識に
立って,IFRS の我が国企業への適用に向けた課題を論じている。
本稿は,そう遠くない将来に我が国でも IFRS が導入されることを見据え,原則主
義にもとづく会計基準がいかなる特徴をもち,それがなぜ現代の経済社会において要
!
請されているのか,またそれがもたらす影響について論じるものである。
(1) 原則主義にもとづく会計基準,principle-based の会計基準がいかなる性質を持った会
計基準であるのかについて,一般に認められた定義なり共通理解が必ずしもあるわけで
はない。また,いわゆる規則主義に基づく(rule-based)会計基準と原則主義にもとづく
会計基準との間に明確な線引きをすることは容易ではない。ここでは,原則主義にもと
づく会計基準の意義について,IFRS を作成・公表している国際会計基準審議会(IASB)
の議長である Tweedie の見解(Tweedie[2
0
0
7]
)と米国の証券取引委員会(SEC)が2
003
年に公表した研究報告書(SEC[20
0
3]
)での見解に依りながら論を進めていく。なお,
後者は,米国の財務報告制度が採用すべき最適な原則主義の会計基準とはいかなるもの
かについて SEC が研究した成果を纏めたものである。
−146−
香川大学経済論叢
306
! 原則主義にもとづく会計基準の特徴
1 中核となる原則ないし会計上の目的が明示されていること
原則主義にもとづく会計基準には,文字通り原則が示されていなければならない。
すなわち,原則主義にもとづく会計基準には,そこに中核となる原則(core principles)
!
が明示されていなければならない。また,その他の副次的な原則(sub-principles)は
中核となる原則と樹形図に類似した構造(tree-like structure)で関連づけられなけれ
"
ばならない。つまり,副次的ないし下位原則は,中核となる原則と無関係もしくは矛
盾するものであってはならず,そこから派生したものである必要がある。
一方で,原則主義にもとづく会計基準には会計上の目的が明示されるべきとの立場
もある。すなわち,最適な原則主義にもとづく会計基準は,当該基準の肝要な部分と
して,その会計上の目的(accounting objective)が組み込まれてきた実在する会計原
#
則に関する簡潔な言明を含むものである,とする立場である。そして,それゆえ,財
務報告の作成者は,会計上の意思決定を,会計基準に明示された会計上の目的を満足
させることに集中させるよう要求されることになる。
2 可能な限り例外規定がないこと
原則主義にもとづく会計基準には可能な限り例外規定(exceptions)がないことが
要求される。適用範囲及び会計処理に関する例外規定を排除すべきであるのは,例外
$
規定が存在することで会計基準が複雑となるためである。つまり,会計基準内に例外
規定が存在すると,当該規定がいかなる範囲の取引や事象に適用されるかを決定する
ためにさらに詳細な規定を作る必要性が生じることになり,そのことが結果として会
計基準全体を複雑なものとしてしまう。また,原則主義にもとづく会計基準には会計
上の目的が明示されるべきとの立場からすると,例外規定は,まさにその本質からし
%
て,基準に明示された会計上の目的の達成に反するものといえる。
(2)
(3)
(4)
(5)
Tweedie[20
07]
, p.7.
Tweedie[20
07]
, p.7.
SEC[20
03], p.1
1.
Tweedie[20
07]
, p.7.
307
原則主義にもとづく会計基準について
−147−
例外規定は,また,結果として会計基準内に内的な矛盾を引き起こすことにもつな
がる。さらに,経済実態の面からして類似の取引ないし事象に対して例外規定が適用
されたり,されなかったりすることで,企業間で財務情報の比較可能性が阻害される
場合が生じることも懸念される。
3 概念フレームワークから導出されること
原則主義にもとづく会計基準は,概念フレームワークとの結び付きがなければなら
!
ない。原則主義にもとづく会計基準の結論の基礎には,当該会計基準に明示された原
則が概念フレームワークとどのように関連しているかの議論が含まれていなければな
"
らない。仮に会計基準が概念フレームワークから離脱している場合には,いかなる場
#
合であれ,その理由について説明が求められる。
さらに,原則主義にもとづく会計基準は,概念フレームワークと矛盾しないだけで
なく概念フレームワークから導出されなければならない。基準設定プロセスにおい
て,各会計基準は,会計システムを全体として統合することを意図する包括的で,整
$
合性のある概念フレームワークが設定する目的に従い設計される。
結局,原則主義にもとづく会計基準は,概念フレームワークから演繹的に導出され
ることで,基準内の内的整合性を担保することができる。もっとも,そのためには,
概念フレームワーク自体の内的整合性が必要となる。
4 明確な線引き基準が存在しないこと
原則主義にもとづく会計基準には会計上の目的が明示されるべきとの立場に立て
ば,明確な線引き基準(bright-line tests)は,そもそもそれは例外規定の所産と言え
るが,本来,基準に明示された会計上の目的の達成に反するものと言える。というの
は,取引の形式または構造をわずかに変更させることにより,設定された境界値
(6)
(7)
(8)
(9)
(10)
SEC[20
03], p.1
1.
Tweedie[20
07]
, p.7.
Tweedie[20
07]
, p.7.
Tweedie[20
07]
, p.7.
SEC[20
03], p.1
1.
−148−
香川大学経済論叢
308
(threshold)を超えさせることで,結果として経済的見地から見て類似する取引に対
!
して非常に異なる会計処理を行うことが可能となるからである。
明確な線引き基準と例外規定は,規則の戦略的な回避,つまり規則のテクニカルな
文言に文字通り準拠することによって規則の精神を巧妙に回避することを可能にする
"
と言われる。会計基準における明確な線引き基準も,取引条件を巧妙に設定すること
で,会計基準の目的や精神を意図的に回避することができるのである。
5 過度に詳細な規則ないし適用指針は提供されないこと
過度に詳細な規則ないし適用指針が提供されないことが,原則主義にもとづく会計
基準の最も大きな特徴であり,規則主義と原則主義を区別するメルクマールと言え
る。もっとも,それは,例外規定や明確な線引き基準を極力排除した結果得られるも
のかもしれない。
しかしながら,どの程度適用指針なり実務上の指針を会計基準に関連して提供すべ
きかについては,一般的な合意が得られているわけではない。例えば,適用指針は原
#
則を実行に移すために絶対必要なものだけに限定しなければならない,とする見解が
ある一方で,各種の取引または事象が有する性質に応じた適切な分量の指針を提供す
$
べきであるとの見解もある。後者は財務報告の作成者及び監査人に対して一定の配慮
を示したものと言えよう。
いずれにしても,どの程度の適用指針を提供すべきかが実際に原則主義にもとづく
会計基準を実行に移す鍵となると思われる。ただ,財務報告の作成者,監査人,さら
に規制当局が各々の立場からさらなる指針を要望すると,規則主義に舞い戻ってしま
う可能性がある。
(11)
(12)
(13)
(14)
SEC[20
03], pp.1
1−1
2.
Cunningham[2
0
0
7]
, p.1
1.
Tweedie[20
07], p.7.
SEC[20
03], p.1
1.
309
原則主義にもとづく会計基準について
−149−
! 原則主義にもとづく会計基準が要請される理由
1 規則主義に対するアンチテーゼ
次に,原則主義にもとづく会計基準が,現代の経済社会において要請されている理
由について考える。これは,まず,規則主義に対するアンチテーゼとして説明され
る。規則主義にもとづく(rule-based approach)会計基準の特徴は,以下の3点に要
!
約される。
・多数の明確な線引き基準を含んでおり,それが最終的に金融工学者(financial
engineers)により,基準の字句には従っているが精神に違反するためのロード
マップとして悪用され得る。
・基準の根底にあると考えられる原則に反する多数の例外規定を含んでおり,その
結果として,経済実態が類似する取引及び事象に対する会計上の取扱いに首尾一
貫性を欠くことになる。
・また,そのことが,基準の適用に関する大量で詳細な実務指針の必要性と需要を
増大させ,基準の適用に係る複雑性と不確実性を増大させる。
そこで,様々な問題の源である,明確な線引き基準と例外規定を排除する方向へと
向かうことになる。すなわち,明確な線引き基準に関しては,基準に適合するように
取引を設計することで経済的な実態が類似する取引に対して全く異なる会計処理を行
うことができるため,これを極力廃止することで財務情報の比較可能性が改善される
ことになると考えられる。また,例外規定に関しては,会計基準内に原則に反する例
外規定がほとんどない場合,経済的な実態が類似する取引及び会計事象に対して同様
の会計処理を行う状況が増し,それにより財務情報の比較可能性が増すとともに,例
"
外規定の存在に起因する基準の詳細さや複雑性が緩和されることになる。
(15) SEC[20
03], p.1
0. なお,ここにおける「financial engineers」とは,会計基準を利用し
て自分にとって都合の良いように財務数値を操作したいと考える経営者を指していると
思われる。
(16) FASB[20
02], p.7.
−150−
香川大学経済論叢
310
2 会計基準に求められる一般性ないし汎用性
原則主義にもとづく会計基準を標榜する IFRS は,世界中の多くの国々がすでに採
用しているか,採用を検討している会計基準である。社会的ないし文化的背景,ある
いは法制度の異なる多くの国々が採用する会計基準に,詳細な規定を設けることはそ
もそも困難であり,原則的な考え方や会計上の目的がその中心とならざるを得ないと
考えられる。
また,どれだけ詳細で網羅的な規則を設けても,あらゆる取引や会計事象に対応で
きるわけではなく,対応する明確な規則が存在しない場合には原則的な考え方に立ち
返る以外に方法がない。加えて,規則主義にもとづく会計基準では,経済環境の変化
に伴う新たな取引や会計事象の出現に必ずしも迅速に対応できない。この場合にも,
原則的な考え方に立ち返る外ないと考えられるのである。
要するに,より一般性ないし汎用性を備えた会計基準を現代の経済社会は求めてい
るのであり,その要求に応えるものとして原則主義にもとづく会計基準が要請されて
いるのである。
! 原則主義にもとづく会計基準がもたらす影響
1 財務報告における注記情報の拡充
これまで述べてきたように,原則主義にもとづく会計基準には,中核となる原則な
いし会計上の目的が書かれるだけであり,当該基準を実行に移すための詳細な適用指
針の提供が予定されているわけではない。そこで,原則主義にもとづく会計基準の下
では,財務報告の作成者たる経営者は,個別具体的な取引ないし会計事象に一般的・
概括的な会計基準を適用しなければならない。そのため,経営者には,なぜその会計
処理方法を選択したのかその根拠について,つまり,なぜそれが会計処理の対象であ
る取引ないし会計事象の経済的実態を捉える最善の方法と考えたのかについて,その
根拠を明確にすることが求められる。このように,原則主義にもとづく会計基準は財
務報告の作成者の判断に依存するものであり,行った選択と当該選択の根拠の開示が
!
不可欠となるのである。
また,その結果として,原則主義にもとづく会計基準の下では,定性的情報であれ
311
原則主義にもとづく会計基準について
−151−
定量的情報であれ,開示される注記情報の分量が規則主義の場合に比べてかなり拡充
ないし増大することが予想される。これらの注記情報は,後述するように,企業の経
済的実態を明らかにするために必要な情報であるとともに,経営者が自らの会計判断
の正当性の根拠を示す情報ともなる。
2 財務情報の意思決定関連性の改善
詳細な規則は個々の事例の持つ特殊性を却って把握できず,情報作成者が規定を回
避するように取引を構造化し,それにより基準の意図や精神を出し抜く余地を残すと
!
して批判される。対照的に,原則は柔軟性を持っていること,そしてそれが情報作成
者に対して専門的判断の行使を要求することから,個々の事例の特殊性をより的確に
"
捉えることができるとみなされている。すなわち,取引や会計事象の経済的実態をよ
り的確に捉えるためには,それを測るモノサシは詳細すぎない方が,むしろ一般性や
曖昧性を備えている方がよいと考えられるのである。そして,個々の取引や会計事象
の経済的実態をより的確に捉え得た財務情報こそが,意思決定関連性ないし目的適合
性(relevance)が高いと言えるのである。このように,会計基準が規則主義にもとづ
く会計基準から原則主義にもとづく会計基準へとその性格を変貌させることで,財務
情報の意思決定関連性が改善されると考えられる。
先述のように,原則主義の会計基準の下では,財務報告の作成者たる経営者には専
門的判断の行使とその根拠の開示がよりいっそう求められることになる。そして,そ
の結果として注記情報が拡充され,企業の経済的実態を表す情報がよりいっそう投資
者に対して開示されることになる。このような経済的実態を表す注記情報の拡充も,
企業の公表する財務情報の意思決定関連性を改善させるものと思われる。
! 結びに代えて
これまで述べてきたように,原則主義にもとづく会計基準は,中核となる原則ない
(17) Tweedie[20
07]
, p.7.
(18) Bratton[20
03], p.1
0
3
7.
(19) Cunningham[2
0
0
7]
, p.1
1.
−152−
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312
し会計上の目的を中心とし,詳細な適用指針の存在を予定していない。つまり,原則
主義にもとづく会計基準は,取引や会計事象の実態を捉えるモノサシとして,規則主
義にもとづく会計基準に比べて非常に一般的・概括的な性質を有している。
財務報告の作成者である経営者は,本来,取引や会計事象が持つ経済的実質につい
ての理解と会計基準に関する自らの解釈とを基礎に,あるべき財務報告を決定するも
のと考えられる。そうすると,原則主義にもとづく会計基準の下で,経営者には,従
前にも増して,取引や会計事象が持つ経済的実質に関する深い理解が求められること
になる。また,同時に,関連する概念フレームワークを含めて取引や会計事象に適用
すべき会計基準に関する深い理解が経営者に求められることになる。そして,自らが
行った会計処理及び開示がその対象である取引や会計事象の経済的実態を適切に反映
するものであるかどうかの判断が,経営者にとって非常に重要な課題となる。
参 考 文 献
・Bratton, W. W.[20
03]Enron, Sarbanes-Oxley and Accounting : Rules versus Principles versus
Rent, Villanova Law Review, Vol.4
8, No.4.
・Cunningham, L. A.[20
0
7]A Prescription to Retire the Rhetoric of Principle-Based Systems in
Corporate Law, Securities Regulation and Accounting, Boston College Law School, Legal
Studies Research Paper Series, Research Paper1
2
7.
・FASB.[20
02]Proposal for Principle-Based Approach to U. S. Standard Setting.
・Mains, L. A.[20
07]Spotlight on principle-based financial reporting, Business Horizons, 50, pp.
3
5
9−3
6
4.
・SEC.[20
03]Study pursuant to section 1
08
( b ) of the Sarbanes-Oxley Act of 2002 on the
adoption by the United States Financial Reporting System of a principle-based accounting
system.
・Tweedie, D.[20
0
7]‘Can Global Standards be Principle Based ?’, The Journal of Applied
Research in Accounting and Finance, vol.2, no.1, pp.3−8.