第58回東医体 - 慶應義塾大学医学部三四会

水 泳 部
「常勝」果たした
水泳部
点であった。
東日本に確固たる王者の 学に付与され、その合計 る。夏季で2位に ・
収めてほしいところであ
る。
紙面では、男女ともに
優勝という歴代2度目の
空 手 部
男子総合優勝2連覇、
女子個人形で5連覇
新病院棟 号館 期棟が
竣工しオープンへ
快挙を成し遂げた水泳
新病院棟1号館1期棟 階消化器クラスター病棟 ます。
またこの1期棟への移
部、優勝4連覇と波に乗
(地上6階、地下1階) および6階小児系病棟が
っている端艇部をはじ
8月8、9日に栃木県 れ 、 合 計 点 で 勝 敗 を 争 が8月初旬に竣工し、現 オープンします。その後 転と並行して解体範囲に
め、男女ともに近年安定 立県南体育館にて行われ う。安全のために技は寸 在旧棟からの移転作業が も放射線造影検査室や放 ある中央棟の薬剤部点滴
した好成績を収める競走 た東医体空手道競技にお 止 め で 行 う の が 原 則 だ 始まり1期棟の各フロア 射線治療部門のリニアッ
ンする予定です。
部、ゴルフ部、期待の新 いて、男子部は総合優勝 が、選手は常に怪我の危 が段階的にオープンして クなどが段階的にオープ
星 と し て 活 躍 す る 空 手 2連覇を果たした。個人 険と隣り合わせにある。 います。
」
Keio Forest
部、ヨット部を取り上げ 形で山中健史君(2年) 形 で は 、 一 人 ず つ 演 武
3階の外来部分には内
第一弾として8月 日
た。そのほか、本年度か が 優 勝 し 、 石 田 典 仁 君 し、技のスピード・力強 には1号館と2号館を結 装デザインの全体コンセ
ら医学部体育会入りを果 (3年)も個人組手3位 さ・緩急などの要素で評 ぶ渡り廊下が通行可能と プトである
「
めたバドミントン部を掲 いて岩田樹里君(5年) 体 戦 は 三 人 一 組 で 行 わ 室 の 使 用 が 開 始 さ れ ま は2期棟竣工まで約3年
が優勝を果たし、個人成 れ、息の合った演武が求 す。その後は9月7日に 間 の 仮 病 棟 に な り ま す
個人戦の優勝・準優勝 績として東医体5連覇と められる。
ステムとなっている。今 を収めたものの、冬季に
くれた。
CTの一部、中検生理検 が、重症対応個室などに
今 回 の 輝 か し い 戦 績 査部門、外来(メモリー 2期棟設計を見据えたい
8月1日から 日にか 大会において我々は、4 逆転を許し、総合優勝の 者に対するインタビュー いう輝かしい偉業を打ち
立てた。
は、普段からの部員の鍛 クリニック、臨床遺伝学 くつかのトライアルが施
けて開催された第 回東 競技で優勝、5競技で準 連覇を途絶えさせてしま は来月号で紹介する。
おいて、本塾は見事5連 勝に輝いた。しかし2位 種目のアイスホッケーや を、三四会員の皆様にお ぞれ団体と個人で競われ 総合優勝や個人形の連覇
(5年 谷口枝穗) (有効・技あり・一本)
によりポイントが加算さ
(3年 鈴木浩司)
素晴らしい戦績を残した空手部員一同
男子舵手付きフォアA大 体制で次のシーズンに向
澤 響 君( 3 年 )・ 大 河 内 けて挑戦は続く。 月の
遼 太 郎 君( 3 年 )・ 深 瀬 慶東戦、4月の早慶戦に
て、また頑張っていきた
幹部の代替わりも完了 いと思う。
し、これからまた新しい
(3年 増渕颯)
郎君(3年)優勝。
介 君( 3 年 )・ 原 田 林 太 と 永 久 杯 の 獲 得 に 向 け
(3年 阿部雄志) 友 太 君( 2 年 )・ 星 野 佑 勝利し、東医体の5連覇
は 並 大 抵 の 努 力 で は な い思いが男女ともに総合 勝ち続けている。スロー 明白である。
い。100、200㍍平 優勝という歴史的快挙に ガンに掲げた「常勝」に
泳ぎで優勝の杉浦祐太郎 つながったといえよう。 一点の曇りもないことは
君(6年)と100㍍自 カップを奪還した昨年か
手 と 攻 防 し 、 技 の 種 類 てやまない。
覇 の 栄 冠 を 獲 得 し た 。 の秋田大学医学部との差 スキーに一層油断は許さ 届けすることができたら る。組手では、実際に相 を達成することを期待し
旭川医科大学とは約 ポ り、より輝かしい成績を
(8月 日現在、本紙調 は約5ポイント、3位の れない。夏季の流れに乗 幸いである。
べ)
13
由形で優勝の矢野由希子 ら再び連覇の道を歩み始
端 艇 部
他大学に出て、
改めて三四会は心の糧と実感
調剤部門や中央材料滅菌 臨床講堂など)の解体工 この秋にオープンする
3月には解体が完了する の様になります。
2期棟建設エリア(中央 る2期棟(地上 階、地 お願いいたします。
鑑往知来
子発見のチャンスを与え
三四会員の諸先生には
これらの移転・開業が 予定です。そしていよい
私に分子生物学の基礎
順調に進むと9月からは よ新病院のコア部分であ 益々のご支援をよろしく を教え、緑内障原因遺伝
移転しています。
部門が2号館や1号棟に 事が始まり、2016年 期棟のフロア構成は別図
1
頼れる存在であると共
慶應はいざという時に
お志をいただければ幸
の更なる発展のために
校慶應義塾大学医学部
のは、大学病院、医局
ぶ機会を与えて戴いた
ものの、関連病院で学
合計で僅か2年と短い
で診療を行った期間は
た。実際に、大学病院
ませていただきまし
院にて沢山の経験を積
からの派遣にて関連病
大学での研修後、医局
外科教室に入局、以来
れる計画につきまし
病院に新病棟が建立さ
お世話になった、大学
います。この度、大変
患者の診療にあたって
すので、飽きずに毎日
間約800件を数えま
外科の手術件数は、年
型です。それでも整形
らかというと地域密着
で、日々の診療はどち
小規模なものですの
常勤医師は5名という
した。当然、私の病院
り入れることとなりま
に少なくない金額を借
増改築をし、そのため
前、私の病院は大幅な
あると思います。数年
収益からすべきもので
築・増改築は各病院の
せば、本来、病院の新
小さいながらも病院
を経営する立場から申
す。
を述べたいと思いま
ついて、私なりの意見
ものではありません。
は、降って湧いてくる
で、医療にかかるお金
でありますが、 一方
でないのは当然のこと
のためにするべきこと
聖なものであり、収益
ります。医療行為は神
返済しているわけであ
々努力をし、少しずつ
ません。そのために日
金は返さなくてはなり
などいませんので、借
っていく使命がありま
先端の技術と知恵で戦
った疾患に対して、最
来る結果が得られなか
療をし、過去に満足出
大学病院には、大学
病院でしか出来ない医
感しております。
ても持てないことを実
出来るような余裕がと
は、新たな設備投資が
身、現在の保険診療で
想像がつきます。私自
でないことは、容易に
渡辺真純
従って、これから新病
す。このためにはどう
棟建設を計画されてい
はもちろんのこと、我
しても、診療から得ら
会のメンバーや関係者
れる報酬以外の資金が
思います。
からも募金を集め、最
る大学病院も、本来は
大学病院は、その社
会 的・ 学 術 的 立 場 か
先端の医療を続けて貰
病院の収益から捻出す
ら、臨床研修・研究な
必要なのです。これに
どに、大変費用が嵩む
うしかありません。
べき費用であることを
のも事実です。世界最
は、現在医局に属し、
先端の医療を行い、若
世界に冠たる慶應義
塾大学病院であり続け
ご理解戴き、より一層
い医師・医療スタッフ
るため、我々の「ふる
大学病院や医局の関連
を育てながら、新病棟
さと」に誇りを持つた
の収益拡大と経費削減
を設立し、未来へと向
めに、是非とも募金に
病院に属している医師
かう医療を行うには、
参加しましょう。
々医局を卒業した三四
現在の診療報酬体系か
ら得られる収益では、
とても賄いきれるもの
にのみ作用
RPE65
窪田 良
回)
医学部客員教授
兼CEO、慶應義塾大学
(アキュセラ会長・社長
力を尽くしたい。
結びつけていけるよう全
んの治療に役立つ技術に
担い、医学研究を患者さ
私も福澤諭吉先生が重
んじた「実学」の一端を
こそだと感謝している。
リーダーシップがあって
例がない壁を乗り越える
いた。坪田一男教授の前
まり、就任させていただ
教授を採用することが決
アカデミア外からも客員
去年の夏、慶應義塾大
学医学部初の試みとして
している。
を歩めていることに感謝
んを救うために、今の道
一人でも多くの 患者さ
今の私がある。世界中の
ことができたからこそ、
な遺伝子を研究し続ける
ってからも網膜に特異的
義塾で学び、臨床医にな
ないと考えている。慶應
は成功させなければなら
うために、この薬剤開発
療法のない患者さんを救
が、眼科医として現在治
薬剤開発の成功確率は
3万化合物に1と低い
目標にしている。
の進行を抑制することを
を保持することで、疾患
え、光障害から網膜機能
る。桿体細胞の代謝を抑
る視覚サイクルを調整す
号に変える働きをしてい
は、網膜内で光を電気信
ミクススタト塩酸塩」
軽減を期待できる。
「エ
ため、患者さんの負担の
性が低い経口投与である
球注射薬ではなく、侵襲
膜疾患治療薬のような眼
斑変性である。多くの網
縮を伴うドライ型加齢黄
薬の存在しない地図状萎
する。対象疾患は、治療
化酵素
て、網膜に特異的な異性
スタト塩酸塩」 といっ
の薬剤候補は「エミクス
終段階に入っている。そ
にて大規模臨床試験の最
つながった。現在、欧米
社が手がける創薬研究に
がアメリカで設立した会
ン」の発見、そして、私
障原因遺伝子「ミオシリ
ことだった。それが緑内
私の研究の原点は網膜
に特異的な遺伝子を探す
思う気持ちを拭えない。
ることができず、残念に
外地にいたのでかけつけ
棟北側、7号棟、放射線 下1階)の工事が始まり (新病院棟開設準備室長 てくださった、分子生物
回) 学教室の清水信義教授が
今年6月に永眠された。
上前に大病をして慶應
に、離れた身にとって
いです。
のお蔭です。
て、大変喜ばしく思い
に寄付をして下さる方
に努めてもらいたいと
治療棟、CT・MR棟、 ます。
ればと思いを新たにす
るような存在でもあり
ます。
現在他大学におられ
る先生、あるいは慶應
関連でない施設に勤め
ておられる先生方も、
義塾大学病院に入院
も、母校の発展を見る
渡邊 衡 一郎( 回)
し、先輩や同期、そし
ことでまた頑張らなけ
今一度心の糧となる母
て後輩の先生方に大変
平成 年に亡き父の
後を継ぎ、府中市にて
ます。今回、この計画
の募金を集める企画に
のために、皆さまから
奥島 雄 一郎(整 回)
医療法人社団喜平会
奥島病院 院長
なりましたが、病院と
私は平成6年、本塾
いっても病床は 床、
医学部を卒業後、整形
新病棟建設と医療費の現実
お世話になりました。
杏林大学医学部
精神神経科学教室
回生、精神神経科
の渡邊です。慶應には
卒後1年間、そして関
連病院を経て平成9年
(卒後9年目)から平
成 年3月まで 年間
在籍し、諸先生方には
多大なご指導を賜りま
した。その後杏林大学
に移り、現在は学内外
の仕事に日々追われて
います。
当大学にも三四会会
員は多数おられます
が、ふとした瞬間に会
員同士が深いところで
通じ合っているという
何とも言えない安心
感、そして結束感によ
って気持ちが癒される
ことをしばしば経験し
ます。三四会は私のよ
うな他大学に出た人間
にとっても、そういっ
た心の癒し、そして支
えとなる存在です。
病院を経営する立場と
64
1
中央棟から見た1期棟の外観
選手たちの熱く淡くほ
同大会では、
「 組 手 」 錬の成せるところであろ セ ン タ ー )
日本医科学生総合体育大 優勝、8競技でポイント った3年前の苦い経験を
、 内 視 鏡 セ ン されていて、実際の使用
会(東医体)夏季部門に 獲得した末、夏季部門優 思い返すと、今年も冬季 ろ苦いひと夏の一ページ と「形」の2種目がそれ う。来年度も引き続き、 ターが、9月 日には4 を通じての検証が行われ
58
15
君(5年)を始め、部員 めた水泳部、東日本医歯
悲願の
永久杯に向けて
8月7日から9日にか の相手に勝負することを
けて、長沼漕艇場にて東 目指してやってきた。ま
医体端艇競技が行われ、 た、今年は女子部員の活
慶應医学部端艇部は総合 躍も目覚ましく、まさに
であったように思う。
優勝を果たし、史上初の 総合力で勝ち取った優勝
4連覇を達成した。
主な結果は以下の通
部員一人一人がそれぞ
れにモチベーションを高 り。
男子シングルスカルA
め、練習に励んできたか
らこその勝利。今年の大 菊 岡 吉 朗 君 ( 6 年 ) 優
会について、去年までと 勝、女子ダブルスカルA
違うところは、多くの部 三 好 由 夏 君( 3 年 )・ 重
員が全日本大学選手権に 原光那君(2年)優勝、
向けての練習に励んだこ 女子ダブルスカルB小川
13
私自身今から 年以
10
1
東医体は、各競技の順 イントと接戦であり、非 たし飛躍するハンドボー 入賞を成し遂げた。一方 価され、ポイントに換算 なり、MRIの一部や教 を表現したエリアを設け
今年も我等が慶應医学
部体育会の選手たちが、 位に応じたポイントが大 常に差し迫った状況であ ル部、歴代最高順位を収 の女子部も、個人形にお されて勝敗が決まる。団 職員用ロッカー室、当直 ています。また4階病棟
夏季・冬季総合優勝
3連覇なるか
〒160―8582
東京都新宿区信濃町35
電話
(3353)
1211 内線64996
会員については会費
に購読料が含まれる
発行人 武田 純三
毎月 1回20日発行
風格を魅せ、帰ってきて 点で総合優勝校を争うシ ポイント差をつけて優勝 載した。
5
とだ。医学部という枠に 祥 子 君( 6 年 )・ 黒 宮 み
「来年も優勝で永久杯!」
67
間接照明を施した渡り廊下
1期棟のフロア構成
発 行 所
8月 、 日に宮城県 点差の 点、女子は2位 各員の東医体に賭ける熱 薬看を始め数々の大会で
総合公園総合プールにお 東京女子医大と3点差の
いて東医体水泳競技が開
部 水 泳 部 。「 奪 還 」 と い 目の順位が加算されるポ
うスローガンを掲げ、見 イント制。個人個人の力
事優勝杯を取り返した第 が最大限に発揮されなく
回東医体から1年、今 ては勝つことは難しい究
年の水泳部は歴史に残る 極のチーム戦である。先
大快挙「男子総合優勝」 月号のガイド記事でも紹
部は1年生から6年生ま
「女子総合優勝」を成し 介したように、我が水泳
遂げた。
敵地東北において、ラ で厚い選手層を持ち、今
イバルである東北大学を 年も学年を問わず各競技
圧倒し、男女アベック優 にてたくさんの優勝を獲
勝を果たすことができた 得した。
高学年になってからも
のは全部員が死力を尽く
して闘った結果である。 学業と競技を両立し、東
10
2位
明るい内装の小児系病棟
「Keio Forest」をイメージした外来エリア
8
とらわれず、全学レベル の里君(1年)準優勝、
73
20
三四会医学部新聞編集室
17
3位
旭川
東北
山形
聖マ
札幌・山形
慶應
旭川
群馬
群馬
北海道
岩手
信州
日大
岩手
札幌
筑波
北海道
山形
自治・防衛
自治・順天
順天・防衛
山梨
-
獨協
信州
筑波
千葉
山梨
信州
慈恵
北海道
山形
順天
秋田
慶應
慶應
日医
東北
北里
秋田
旭川
弘前
昭和
秋田
順天
弘前
札幌
秋田
東医
群馬
日大
東海
北里
秋田
信州
-
埼玉
東北
女子医
慶應
杏林
昭和
旭川
慶應
慶應
弘前
1位
慶應
筑波
秋田
東医
北海道
福島
横市
岩手
秋田
東北
順天
旭川
北里
旭川
女子医
信州
新潟
秋田
旭川
秋田
群馬
東北
慶應・札幌・自治・埼玉
新潟
慶應
慶應
日医
慶應
山梨
日医
埼玉
北里
信州
男女とも総合優勝
67
60
86
東医体の水泳競技は男
催された。東日本最強と
の呼び声の高い慶應医学 女に分かれ、出場した種
65
男子は2位東北大学と6 医体で好成績を残すこと
70
18
11
15
10
57
24
夏季部門5連覇!
第58回東医体
10
種目
総合順位
陸上(男子)
陸上(女子)
硬式野球
準硬式野球
テニス(男子)
テニス(女子)
ソフトテニス(男子)
ソフトテニス(女子)
卓球(男子)
卓球(女子)
バレーボール(男子)
バレーボール(女子)
バドミントン(男子)
バドミントン(女子)
サッカー
バスケットボール(男子)
バスケットボール(女子)
柔道
剣道(男子)
剣道(女子)
弓道
空手道(男子)
空手道(女子)
水泳(男子)
水泳(女子)
ヨット
ボート
馬術
ハンドボール
ゴルフ(男子)
ゴルフ(女子)
ラグビー
第766号
毎月20日発行 定価1部20円
慶 應 義 塾 医 学 部 新 聞
(昭和26年4月18日第三種郵便物認可)
平成27年8月31日
(1)