「アメリカで学んだこと」 氏家中学校 一年 斎藤 陽生 二年前、僕はアメリカ

「アメリカで学んだこと」
氏家中学校
一年 斎藤 陽生
二年前、僕はアメリカに引っ越した。何も分からないまま、アメ
リカオハイオ州の現地の学校に通うことになった。聞いたことのな
い言葉、何が書いてあるのか全く分からないプリント……。突然の
父の転勤で、僕の小学校生活が大きく変わった。
言葉も習慣もわからずとまどう中、一人のクラスメートが突然僕
に話しかけてきてくれた。
「やぁ!僕はヤンだよ。こんにちは。」
「こんにちは……。
」
と小さな声で、返すのがやっと。
きらきらした目で僕を見ている。名前を聞かれて、ゆっくり、緊
張しながら答えた。
「宿題の意味は分かるかい。」
「いや……全然。」
その後は、多分自分が教えるからついてこいというようなことを言
って、僕を自分の家に連れて行ってくれた。そして見事に宿題をク
リアした。
正直僕はびっくりした。あまりにも突然だったし、彼が中国人だ
ったからだ。その頃も、日本にいるとき、中国と日本の関係は、領
土問題や歴史問題などで、あまり良いものではないと聞いていた。
それなのに、僕を日本人と分かっていても話かけてくれたのだ。
最初に、クラスをひととおり見回したとき、中国人のヤンとは目
が合った。お互い珍しい東洋人だからかもしれない。でも、自分は
はじめ、サッと目をそらしてしまった。中国にあまりよいイメージ
を持っていなかったからだ。
でも、ヤンはいつでも、僕に理解できる単語やスピードで話して
くれた。僕の話も笑いながら聞いてくれた。
結局僕は、このヤンと一番の仲良しになったし、ヤンをきっかけ
にクラスメートと仲良くなることができた。
どうしてそんなに親切にしてくれるのか、なにげなく聞いたこと
がある。実は彼も、ここに移り住んできたときに親切にいろいろ教
えてもらったからだという。何とその少年が、日本人だったという
のだ。今は、日本に帰国してしまい会えないが、自分のしてもらっ
た親切を同じように返しているつもりだという。
僕はそれを知り、とても嬉しかった。ほかの皆もすごく優しくし
てくれた。アメリカ人、カナダ人、メキシコ人、ブラジル人、スペ
イン人、ドイツ人、マレーシア人、ケニア人、ウガンダ人、インド
人、中国人など、世界各国の血を引いている生徒がたくさんいた。
共通の言葉はもちろん英語だが、英語が上手くなくてもお互いを思
いやっていた。自分もヤンのおかげですぐにその輪の中に入ってい
けた。
皆、前にいた日本人のことをよく思い出して話してくれた。その
彼が、そのまま日本人の印象につながったのかもしれない。だから、
日本人の僕にも抵抗なく話してくれるようになったのかもしれない。
テレビのニュースのままの関係だったら、日本人の僕と中国人のヤ
ンは仲良くなれなかっただろう。
僕が一年ちょっと過ごしたその学校は、ボランティアにも力を入
れていた。特にアフリカ大陸へのボランティア活動が盛んだった。
たくさんの人種がいたので、学べる言葉は英語だけではなく、スペ
イン語、フランス語、中国語を勉強することもできた。
世界中の友だちとお菓子の交換をする授業もあった。僕は日本の
自慢のお菓子「かりんとう」を出した。ヤンはおそるおそる食べて
笑った。ほかの友だちも食べながら口々に言った。
「これはパンをチ
ョコレートでコーティングしたものじゃないか。」でも、大人気でい
つも交換はあっという間に終わり売り切れに。僕はベルギーチョコ
と中国の黒いアメがお気に入りになった。
皆、自分の国のことを自慢する。僕みたいに後ずさりせず前に出
て話す。それぞれに、自分の国が大好きなのだ。誇りを持っている。
でも、他の国をけなしたり、否定したりすることもない。それぞれ
の良さを感じようとしていた。僕が日本に帰るときにパーティを開
いてくれて、そこで皆で泣きながら食べたクッキーやケーキは一生
忘れられない思い出となるだろう。
日本に帰ってきた今、僕がこれからできることは何だろう。僕は
いろんな国の人と接して、考えが広がった。人を受け入れることが
できるようになった。出身地のお国柄、人種などで、
「偏見」を持っ
てはいけないということを学んだ。勝手なイメージを持って接して
は本当の理解はできないということも実感した。それらを伝えてい
きたいと思う。日本人同士だって同じだ。偏見を持たずに人と接す
ることが本当の理解につながる。
今でもたまにアメリカに住んでいる友だちとメールをする。電話
もする。その中で時々けんかもする。でも僕は嬉しい。本当に心を
開ける友だちができたのだから。