長野市駅前 末広町 69 年前の姿を想う 鈴木 健(長野市) 新聞紙上で「新幹線北陸への開業に向けて 長野駅前の思い出募集」を拝見致し ました。駅前を見つめて一世紀となれば、不自由な身の高齢、老齢者のお話になると思 いますが、エッセイ等と言う格式のある言葉には抵抗があるので、それでなく庶民の雑 文として昔のことは忘れちゃったのも良いけれど何でも良いからチョット書いてみよう。 実筆では書けなくなったので重宝なパソコンで頭の体操指の運動とさせて頂きます。 今から70年近く前、終戦後の大変混乱した時代昭和21年から24年(1946 ∼ 1949) 旧制長野工業専門学校電気通信学科(現信州大学工学部)に在籍して長野電鉄長野 駅(地上駅)、末広町、跨線橋、は毎日歩いた思い出の場所ですが、記憶は順次薄れ て現況も大変化してしまい昔を解かる人も少なくなりました。 戦前戦中は日本は神国で教育勅語、戦陣訓と言う教育に従い苦労に耐えて外には 表さないという我慢の美学に耐えて激変の時代を生きて来た体験と誇りを持っておりま す。戦時中240万人の膨大な人命を犠牲にして負けた戦争の最大の成果として民主主 義を迎え当時終戦後は経済は成り立たなかったが皆闇米を食ってちゃんと生きて平和 という最初の恩恵を頂き幸運の環境にも恵まれたと言うものでしょう。 そこで今から69年前駅前末広町交差点の写真の登場です。1946年昭和21年秋第 1回開校記念祭の仮装行列行事です。 「通信今と昔」のプラカード、トラックに放送局ビ ルとアンテナ2本、佛閣寺形の旧長野駅、あぶらや、松屋、あをきや旅館の建物、交差 点の交番所等をバックに戦後一年目の新しい賑わいでした。解かる人写っている人今 いるかなー?この写真が人の目に触れ郷愁を感じて頂けるならば有り難いです。 更に新着想を重ね新時代の創生に益々のご尽力とご発展をご祈念申し上げます。
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