刊行にあたって

刊行にあたって
「放送メディア研究」13 号では「世論」,しかもそれをめぐる「困難」につ
いて取り上げる。
「世論」に関する研究や出版物というものは,それほど珍しいものではない
かもしれないが,それはたとえば,
「世論」とメディアとの関係であったり,
「世
上げる。
盛山論文『世論調査と政治的公共空間』は,
「世論調査」結果は,決して「世
論」を客観的に把握したものとはいえないが,これによって,人々の異なる考
えや認識の分布が伝えられるという点で,今日の社会には必須のものだとする。
そのうえで,現状の世論調査についての共通課題を整理する。
マに沿ってまとめられているものが多いのではないだろうか。
本号の構成は,そうしたものとは少し趣を異にする。掲載する論考は,専門
分野やアプローチも多種多様であり,そもそも「世論」についての定義すら一
様ではない。
ただ,全体として共通しているのは,「世論」というものをめぐって,現在
世論調査と一口に言っても,その手法は多岐にわたる。その中でも,現在,
マスメディアで一般的になっているのが,電話による世論調査(RDD 世論調査)
である。
菅原論文『政治と社会を繋がないマス・メディアの世論調査』は,こうした
電話世論調査の最近の傾向をまとめ,マスメディアの世論調査が,むしろ,世
生じている,あるいは生じつつある「困難」という問題意識である。この「困
論の全体像を見えにくくしているのではないかと問題提起する。NHK も含め,
難」を軸として,「世論」の「いま」を切り取ることが今回の刊行の第1の目
マスメディアの側からすれば,素直に首肯しがたい指摘もあるが,それも含め
的である。そしてそれを発展させ,人々の意思や考えを社会に反映させる仕組
て,世論調査が現在抱える,無視できない課題が示されている。 みの可能性や課題を考えることが第2の目的である。
刊行にあたって
論」をはかる手段=
「世論調査」の手法についてであったり,何か特定のテー
荒牧論文『調査主体が経験してきた課題』では,主に訪問調査(面接法・配
付回収法)についての「困難」を取り上げる。世論調査の計画・実施にあたっ
本号では,まず,
「世論」を可視化するおそらく最も一般的な手段である「世
ては,非常にさまざまな手続きや検討が行われていて,これを怠ると,結果の
論調査」について,いま直面している「困難」な事態について整理することか
精度にも大きく影響する。論文では,NHK の世論調査について,その実施プ
ら始める。続いて,そもそも人々の「世論」がどのように形成されるのか,そ
ロセスを紹介し,調査の現場で直面している諸課題をまとめている。
の仕組みの今日的な特徴を考える。そして,「世論」の役割に目を向けて,現
代社会において「世論」を読み解く難しさについて,最終的にはさらに視点を
小野寺論文『携帯電話調査の実用化を探る』では,携帯電話を対象にした世
論調査の実施の可能性について取り上げる。
広げ,民主社会の中で「世論」が果たす役割について論点とする。
第 2 章「世論形成をめぐる困難」では,
「世論」が形成される仕組みについて,
《本号の構成》
複雑化する情報・メディア環境との関係に焦点をあてた論考を中心とした。
序の佐藤(卓)論文『世論調査の「よろん」とは?―世論観測から輿論 2.0
へ―』では,主にメディア史の観点から,「世論」をめぐる問題や論点につい
て整理し,問題提起を行っている。
小林論文『マスメディアが世論形成に果たす役割とその揺らぎ』では,
「社
会的リアリティの共有」という視点から,マスメディアがこれまで世論形成過
程に果たしてきた役割をレビューする。そのうえで,インターネットの普及と
第 1 章「世論測定をめぐる困難」では,「世論」を目に見える形でとらえる
ための代表的な手法,「世論調査」に関わる諸課題(=「困難」)を中心に取り
20 放送メディア研究 No.13 2016
いったメディア環境の変容に伴って,マスメディアの役割や力が揺らぎつつあ
る現状や,コミュニケーションの流れの新たな考え方の可能性について触れる。
21
NHK 放送文化研究所では,「世論」が形成される過程の今日的な特徴,そし
まず,吉川論文『社会のしくみと世論の距離』では,計量社会意識論の知見
て「世論」
「世論調査」に対する人々の意識を探ることを目的に,2015 年 5 月
を踏まえて,現在の日本の「世論」が,社会の仕組みに根差したものではなく
に,外部研究者(中央大学安野教授,関西学院大学三浦教授,稲増准教授)と
なり,不安定で流動的になっていると指摘する。
共同で世論調査を企画・実施した。以下の 3 本の論考は,この調査結果の分析
をベースにしたものである。
人々が世論形成の場とする「公共圏」をいかに築いていけるのか,最新の研
究手法でアプローチしようという研究プロジェクトが,学習院大学・遠藤薫教
授を座長に発足した(
「リスク社会におけるメディアの発達と公共性の構造転
見表明の積極性の程度などの特性を,対面状況との比較を用いて検証したもの
換プロジェクト」)。このプロジェクトは文理を問わない多種多彩なメンバーに
である。
よって構成され,ビッグデータの解析手法も取り入れて実証的な研究に取り組
続く三浦論文『一般市民の世論のとらえ方を規定する心理的要因―自己と周
んでいく。この取り組みの現状と今後の可能性について,メンバー 4 人による
囲の他者との関係性の観点から―』では,世論調査に対する態度の個人差を規
座談会『公共性再構築の可能性を模索する─学際的な試みによる挑戦─』で紹
定する要因について,自己と周囲の他者との関係性という観点から考察する。
介する。
刊行にあたって
まず安野論文『今日的な世論形成過程の検証』は,インターネットやソーシャ
ルメディアが普及した中での,世間・周囲の意見の認知の仕組みや,自己の意
また稲増論文『メディア・世論調査への不信の多面性―社会調査データの分
析から―』では,世論調査結果をもとに,メディアや世論調査への「不信」の
最後に,村上論文『公共政策形成と世論の新たなステージ―東日本大震災以
構造について,本当に「不信」が広く見られる現象なのか,それはどのような
後のエネルギー・環境政策を題材に―』では,2012 年に当時の民主党政権下
側面において顕著なのか,を分析する。
で実施されたエネルギー・環境の選択肢に関する国民的議論のプロセスを取
材・整理し,課題をまとめた。特に「討論型世論調査」をはじめ,東日本大震
メディア環境が激変する中で登場した新たな調査のスタイルが,インター
ネット調査である。インターネット調査は,代表性がなく,「世論調査」と定
災を契機に高まった公共政策形成に世論を結び付ける取り組みを詳しく検証し
ている。
義はできないが,その急速な普及と影響力は無視できないものがある。杉本論
このほか,人々が社会的なテーマについて考え,議論につなげていくための
文『世論調査の新時代に向けて―niconico ネット世論調査の有効性と活用の
場を,番組を通して提供しようという NHK の取り組みを 2 つ,コラム形式で
考察―』では,動画配信の場で政治的な課題などについて調査を行う,という
紹介する。
独自のネット調査の取り組みについて,その仕組みや特徴をまとめ,「世論」
をとらえる新たな手法としての可能性について論を展開している。
第 4 章「困難から生まれる世論の未来,社会の可能性」は,これまでみてき
た「困難」から一歩先に進める形で,あらためて「世論」について,そしてそ
第 2 章では世論形成のメカニズムの変化に焦点をあてたが,実は,その背景
の可能性について考える論考が中心である。
にある人々の基本的な意識・価値観自体も変化し,これまで解釈されてきた枠
組みではとらえきれなくなっているのではないか,と考えられる。第 3 章「世
まず,佐藤(俊)論文『世論と世論調査の社会学 ―「前面化」と「潜在化」
論が生まれる社会の困難」では視点をやや広げ,「世論」が生まれる「社会」
の現在と未来―』では,世論調査をめぐり,現在,「前面化」「潜在化」という
が現在直面している諸課題について取り上げる。
2 つの大きな変化が生じつつあると整理する。そのうえで,そうした変化と社
22 放送メディア研究 No.13 2016
23
会のありかたの関係を解きおこし,「世論調査をすること」の意味,さらには,
「世論」とは何か,について考察する。
次に,鈴木論文『世論・熟議リテラシーの向上に向けて』は,人々がより自
発的に社会・政治に関わっていける環境づくりについて提案している。特に,
学校をはじめとする教育現場において,さまざまな立場の人を集めて課題を共
有し,熟議する試みに取り組んできた経験から,当事者意識を持って議論でき
る市民の育成に向けた息の長い取り組みの必要性を説いている。
最後は,情報学研究者ドミニク・チェン氏へのインタビュー『ビッグデータ
に映る世論解析の可能性』である。ビッグデータによる世論解析は技術論の観
点では可能であるものの,情報社会と人間の向き合い方という根源的な課題を
考えていく必要性があることを解説している。
以上,多様なジャンルの方々から論考が集まった。これらの論考を通して,
「世論をめぐる困難」が私たち市民一人一人と無縁ではない社会的な課題であ
ることを共有できれば,と願っている。さらに,「世論」の持つ難しさだけで
なく,その魅力や面白さも,ぜひ感じていただきたいと思う。
NHK 放送文化研究所
世論調査部
原 美 和 子
中 野 佐 知 子
計画管理部
西 村 規 子
24 放送メディア研究 No.13 2016