菊池かずとし プロフィール 昭和 48 年 4 月 27 日、常陸太田市生まれ、 太田中学校卒業後、家庭の経済的事情で大学進学を諦め、 日製に務める父親の希望で高校は茨城県立日立工業高等学校へ進学する。 高校時代はとにかくアルバイトに明け暮れ、朝刊配達から雑貨問屋での配送仕分け、引っ越し屋、ラーメ ン店、ガソリンスタンド、パチンコ屋の清掃作業、家庭教師、土木作業など、様々なアルバイトを掛け持 ちでこなし、学校で寝る生活を 3 年間続ける。お陰で高校は主席で入学、ビリで卒業という快挙を果たす。 縁故採用を嫌い、父親の期待を裏切り、就職は日立製作所ではなく水戸市内の土木設計コンサルティング 会社に入社。その後、予備校、パチンコ機器メーカー、新聞販売店を経て 2004 年に茨城に帰り、養蜂業 と農業を開始して移動販売業「ハチバス」を起業。 「ハチバス」を開業してからは「イバラキネオ屋台村」を立ち上げ、後進の育成、業界の発展に務める。 さらに水戸市街地の活性化のために「みとワン☆グランプリ」などイベントも開催する。 2011 年の東日本大震災の後は翌日から炊き出しを開始、 那珂市からスタートした炊き出しはひたちなか市、日立市、高萩市、北茨城市を北上し、福島県いわき市 では炊き出しの他に、「新鮮野菜を茨城から届ける」という活動を行った。 その後、いわき市内のインフラが復旧したと同時に自ら基金を立ち上げ、茨城県内の漁港向けの「大漁祈 願!イバラキの港を救え!」という募金活動を開始する。 目標金額を達成した後は、すぐに県内の 13 漁協に直接募金を届け活動を終了。 翌日、大好きな那珂市が被災から少しでも前進するために 復興ではなく新興が必要だと訴え、 上菅谷駅前の街づくりを進める「カミスガプロジェクト」を設立 駅前の宮の池公園通りを歩行者天国にして 1 日商店街を形成するイベントは 2 ヶ月に 1 回のハイペー ス開催ながら、同時に夏休みにはツアー事業、4 本の映画製作、年に 3 回の緑地整備、11 月には酉の 市などを開催している。 家族は妻と愛犬(甲斐犬) 市内鴻巣在住 41 歳 B 型、牡牛座
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