健康増進に着目した交通まちづくり

研究員の視点
〔研究員の視点〕
健康増進に着目した交通まちづくり
-米国の事例-
運輸調査局研究員 野口 知見
※本記事は、『交通新聞』に執筆したものを転載いたしました
人々の交通選択が健康に与える影響は少な
が行われ、見事に都市再生を果たした経緯を
くない。過度に車に依存した生活は、人々の
持つ。その際、市は新たな負債を抱えるこ
歩く必要性やモチベーションを低下させ、運
となく開発を実現させるための手段として、
動不足からひいては健康問題を引き起こす要
MAPS(Metropolitan Area Projects) と名付
因となり得る。わが国でも、国土交通省が自
けられた特別措置を編み出した。MAPS と
家用車への依存度が高い都市ほど生活習慣病
は、中心市街地の再開発を目的として一定期
の発生率が高いとの資料を公表し、健康を意
間 1 ドルに対して 1 セントの売上税を上乗
識したまちづくりが模索されている。
せして徴収する措置であり、住民投票で過半
こうしたなか、肥満が深刻な社会問題とさ
数の支持を得て成立した。2001 年には第二
れるアメリカにおいて、交通とまちづくりの
弾となる「子どものための MAPS」が可決
観点から市民の健康増進に取り組む都市があ
され、公立学校の整備・改修が行われるな
る。本稿では、市を挙げた減量キャンペー
ど、MAPS は、同都市のまちづくりにおい
ンを契機に住民投票によって財源を確保し、
て重要な役割を果たしてきた。
健康的なまちづくりを目指すオクラホマシ
ティーの事例を紹介する。
市の肥満問題
一方、同市では、こうした成長の陰で肥満
オクラホマシティーにおける都市政策
問題が深刻化し、米フィットネス誌が発表す
オクラホマシティーは米国中央部に位置す
る肥満都市のトップ 10 にランクインするよ
るオクラホマ州の州都であり、人口約 58 万
うになった。そこで、2007 年の大みそか、
人、面積約 1,600 平方キロの同州最大の都
オクラホマシティーの現ミック・コーネット
市である。
市長は「The City is Going On A Diet(こ
同市は、1980 年代に基幹産業の一つで
の街はダイエットをします)」を掲げ、市民に対
あったエネルギー価格が急落し、100 を超
し 5 年 間 で 総 計 100 万 ポ ン ド( 約 45 万 キ
える銀行が立て続けに破綻する深刻な経済危
ロ)を減量するキャンペーンに参加するよう
機に直面した。しかし 93 年、「新たな企業
呼び掛けた。市長自らも 20 キロの減量に取
を誘致するには魅力的な都市づくりが不可
り組んだ同キャンペーンは、全国のメディア
欠」との持論を掲げた当時の市長のリーダー
から大きな反響を受け、結果的に企業や学校
シップによって、大規模な市中心部の再開発
も巻き込んで 4 万 5,000 人の参加者を得、
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2012 年に遂に目標を達成した。
MAPS3 は、2009 年 12 月の住民投票で
市は、この活動を契機に「健康的なまちづ
可 決 さ れ、2010 年 4 月 か ら 2017 年 12
くり」を重要政策の一つとして打ち出し、こ
月 ま で の 7 年 9 か 月 間、 先 行 す る 2 つ の
の政策に基づいて 2009 年に MAPS3 の提
MAPS と同率の売上税が上乗せされること
案を行った。
となった。
2010 年から始まった MAPS3 のプロジェ
MAPS3
クトは順次着工され、毎月のレポートにより
コーネット市長は、MAPS3 の提案にあ
市民は常に進捗(しんちょく)を把握できる仕
たり、
「肥満都市では健康保険の企業負担が
組みとなっている。計画の遂行においては、
増大することから企業誘致が進まない。肥満
プロジェクトごとに総勢 60 名以上の市民か
都市は自動車中心の都市であり、歩行者空間
ら成る委員会が設置され計画への提言を行う
への投資を怠ってきた都市である」とコメン
とともに、さらにその上部組織である市民ア
トし、市民が歩きやすい、健康的で、企業や
ドバイザー委員会 11 名が MAPS の進捗を
人々を引きつける魅力的なまちづくりの重要
監視し、定期的な会合を通して市議会への提
性を強調した。先行する 2 つの MAPS は、
言を行う体制が敷かれている。
同市の魅力を増大させる施設整備を実現した
ものの、それらをつなぐ交通手段は主に自動
取り組みからの示唆
車であり、歩道のない住宅地も多く存在した
同都市における取り組みは依然進行中であ
ことから、歩いて移動することが実質的に不
り、まちづくりによる健康増進効果が明らか
可能な市民が多く存在していたのである。
になるにはまだ時を待つ必要があるだろう。
そこで、MAPS3 では、これまでの施設整
しかし、2010 年から 2013 年の 3 年間で、
備に加え、ダウンタウンにおける公共交通の
同市の人口は全米平均 2.4%に対し 5.3%増
利便性強化と、歩道、トレイル、公園の整備
加 し、2015 年 現 在、 米 Forbes 誌 が 発 表
などを通して市内の回遊性を高めることに重
する急成長中の都市トップ 15、また米労働
点が置かれた。具体的には、市の主要機能や
統計局が発表する民間セクター雇用成長率の
MAPS により整備された施設を繋ぐ約 7.4
トップ 20 に選出されるなど、コーネット市
キロの路面電車の敷設、ウォーキング・サイ
長の目指す「健康的なまちづくりによる都市
クリング・ランニング用のトレイル約 50 キ
の魅力の増大と経済成長」は少なからず実現
ロの整備、約 110 キロの歩道の整備などで
しつつある。 ある。さらに、街歩きやスポーツを楽しめる
オクラホマシティーは、ユニークなダイ
仕掛けとして、280 平方キロに及ぶ公園整
エットキャンペーンを通じて住民とのビジョ
備、ラフティング・カヤックセンターの新
ンの共有が行われたことが MAPS3 の可決
設、高齢者向け健康福祉施設の整備といった
につながったと考えられる。まちづくりの転
計画が組み込まれ、総計 7 億 7,000 万ドル
換にはそれなりの投資も必要であるが、同市
から成る 8 つのプロジェクトで構成されて
の事例では、単に健康問題の解決のみなら
いる。
ず、市を挙げて健康的なまちづくりを志向す
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ることで、市の魅力を増大させ、雇用の創出
ルシーロード」を整備し、同エリアに立地す
や新規住民の流入につなげた点が注目に値す
るリハビリテーション病院の患者や、高齢
る。また、世界保健機関(WHO)の報告によ
者、子どもたちがいつでも散歩を楽しめる空
れば、全世界の死亡原因の 5.5%は運動不足
間を実現させるなど、健康に着目したまちづ
に起因するとされ、この数字を日本に当ては
くりの取り組みが始まっている。わが国にお
めると、約 7 万人に相当する。こうしたこ
いても、交通面に留意したまちづくりが結果
とから、運動不足の問題は医療・社会保障費
として市民の健康を増進させ、将来の医療費
の観点からも、決して看過できる問題ではな
負担の減少につながることを地域住民に対し
いといえるだろう。
て啓蒙(けいもう) し、健康に暮らせる魅力
こうしたなか、日本においても、東京都が
的なまちづくりにおいて、交通も大きな役割
渋谷区初台に約 9 キロにわたり、照明や街
を果たすという理解を深めてもらうことが必
路樹、ベンチ、ポケットパークを備えた「ヘ
要な段階にきているのではないだろうか。