【第363号】 平成28年2月15日発行 前衛書家 先 生 28 97 32 26 27 31 このまま人口が減っていくと、地域の産業やコミュニティにも影響 が及び悪循環に陥ることも懸念されます。 一方で、人口減少をある程度受け入れ、それに対応していく必要も あります。身の丈にあった持続可能な町づくりを行うことが重要とな ります。 吉崎には国指定史跡﹁吉崎御坊跡﹂という 宝 があります。これ からは地域資源を活かし、地域が課題を自ら把握し、分析し、考え、 行動することが重要となってきています。 将来、安心して住める環境を地域全体で考えていくことが大切で す。 吉崎春日神社の左義長 E-mail:[email protected] -1- 福井県あわら市吉崎 8-34 郵便番号 922-0679 1月 日︵日︶吉崎 公民館を会場に、吉崎 区通常総会が開催され ました。 一年の無病息災を祈 り、左義長が行われま した。 1月 日︵日︶、 吉崎春日神社境内で 小正月の行事、左義 長が行われました。 宮司が、しめ縄・お 守り・書初めなどの 松飾りなどで積み上 げられ、左義長飾り に火をつけると、火 がだんだんと燃え上 がり、訪れた人は今年一年の幸せと健康の願いを託していました。 この火で焼いたお餅を食べ燃え上がる藁灰や煙をかぶるなど、炎に 無病息災を祈る年に一度の行事です。神社氏子、有志の方々が早朝か らぜんざい、甘酒を準備して、集まった大人や子どもたちに振舞われ 楽しまれました。 17 24 議事は平成 年 度事業報告、収支決 算報告、監査報告が 行われました。平成 年度事業計画 案、収支予算案が審 議され、いずれも満 場一致で承認されま した。 吉崎地区は高齢化 率 %︵あわら 市:平均 %︶、世 帯数 軒、人口2 32人、空家 軒 ︵空家率: %︶、 と過疎化が進み、4 月からは小学校も休 校になり限界集落化 しつつあります。 42 電話 0776(75)1205 26 降 り たて のフ カフ カの 雪の 上、 今日 の 雪は ソ リ が 良く 滑る と一 人で ソリ に乗 り滑 っ たり , 友 だ ちが 押し たり 引っ 張っ たり して 、 児童 た ち 同 士で 工夫 しな がら 遊び がど んど ん 広が っ ていきました。 大 雪 の中 、寒 さに も負 けず 雪の 斜面 を 楽し む 元気な子どもたちの歓声が響いていました。 31 1 24 30 強烈寒波が到来 月 日︵日︶、夜から今季一番の強い寒 気 が 入り 込ん だ影 響で 、冷 え込 みも 厳 しく 未 明 よ りま とま った 雪が 降り 始め 、と う とう 大 雪 に なり まし た。 突然 の雪 に、 大あ わ てし た 人もたくさんいたと思います。 公民館駐車場も cm程の雪が積もり、朝 か ら 職員 が雪 搔き をし て、 公民 館へ 歩 いて 入 れる通路を確保しました。 お 昼 頃に は除 雪車 が 出動 、あ っと い う間 に 通 学 道路 から 公民 館駐 車場 、小 学校 駐 車場 等 を除雪していただきました。 E-mail:[email protected] -2- ボーリングで交流 1月 日︵日︶、 吉崎体協主催のボー リング大会が、福井 空港ボウル︵春江︶ で開催されました。 親睦と健康増進を図 ることを目的に実施 している大会です。 体協役員を中心に、 大人・子ども合わせ て 名が参加しまし た。男子の部の優勝は金津裕之さん、女子の 部の優勝は湯谷なつ紀さんでした。 子ども達には全員にお菓子を配り、和気あ いあいと親睦を深め合っていました。結果は ともかく賑やかな楽しい大会でした。 年々参加者が減ってきていますが、子ども から大人まで交流できる場なので、地域の親 睦を図る為にも続けていっていただきたいイ ベントです。 体協役員の皆様、お疲れ様でした。 25 ソリ遊びを満喫♪ 1月 日︵火︶、やっと週末襲った寒波も 通り過ぎ、陽射しも差し込む中、児童たちは 冬のワンダーランドと化した景色に大はしゃ ぎ、久しぶりに外でソリ遊びをして楽しむこ とができました。 滑っては登り、滑っては登りを繰り返し、 真っ白だった坂道が、いつしか、ソリ滑りの 線でいっぱいになりました。 【第363号】 平成28年2月15日発行 【第363号】 バルーンの花で彩ろう♪ 1 23 月 日︵土︶、吉崎公民館でバルーンアー ト教室が開催されました。 名が参加され﹁お花﹂づくりに挑戦しま し た 。色 の組 み合 わせ を工 夫し なが ら 曲げ た り 、 ねじ った りし なが ら形 にし てい き ます 。 最 初 は慣 れな い手 つき でし たが 、上 手 につ く り あ げて いき まし た。 一生 懸命 に作 っ てい た 平成28年2月15日発行 17 だ き 、完 成し たカ ラフ ルな 作品 の出 来 が素 晴 ら し く、 参加 者の みな さん の笑 顔で 溢 れて い ました。 また、 ﹁上手にできました!﹂と、講師から お 褒 めの 言葉 も頂 き、 可愛 くで きた バ ルー ン アートの仕上がりに皆さん喜んでいました。 ︵ぜんいんぜんが︶ 月 日︵月︶吉崎公民館では、吉崎小学 校 の 児童 、子 ども 園園 児た ちに 風船 の 楽し さ を 育 んで もら うこ とを 目的 とし バル ー ンア ー ト 教 室の 講座 生の 方々 が作 られ た作 品 を配 布 しました。 給 食 室に は、 いつ も なが らの 元気 な 子供 た ち は 、田 嶋館 長か ら園 児・ 児童 一人 ひ とり に 赤 や 黄色 、色 とり どり のバ ルー ンお 花 がプ レ ゼントされました。 皆 が 風船 で遊 んだ り して 楽し い時 間 を過 ご しました。 その笑顔で、こちらも元気をいただきました。 25 ︻今月の言葉︼善因善果 1 よいタネをまけば、必ずよい芽が出る。 よい行いをすれば、必ずよい結果が返って くる。ちょうど、大根のタネをまけば大根 が生え、カボチャのタネをまけばカボチャ が生えるように、よい行いをすれば、必ず よい結果が返ってきますし、悪い行いをす れば、必ず悪い結果が返ってくるのです。 良い行いをしたのに悪い結果が返ってきた 等と言 う﹁善 因悪 果﹂な んてこ とは絶 対にな いので す。 E-mail:[email protected] -3- 笑顔いっぱい♪ 1月 日︵月︶吉崎小学校の園児、児童に バルーンをプレゼントしました。 25 吉崎老人クラブ 飴田雅一会長 86,8 13 ビタミンと体について 6 80・5 ︱潜在的ビタミンE欠乏症︱ 人 に おけ るビ タミ ン E欠 乏症 は、 未 熟児 や 新 生 児に おけ る溶 血性 貧血 をあ げる こ とが で きます。 ま た 、腸 管に 過酸 化脂 質か ら産 生す る 褐色 色 制することです。 素 リ ポフ スチ ンが 沈着 する 疾患 で腸 管 から 栄 脂 質 が酸 化さ れ過 酸 化脂 質が 増加 す ると 、 養 素 の吸 収阻 害や 腹痛 を呈 する 褐色 腸 管症 候 こ れ が生 体の 膜に 働い て膜 の機 能を 障 害す る 群もビタミンE欠乏症と考えられます。 よ う にな りま す。 潜在 性の ビタ ミン E 欠乏 で しかし、このようにビタミンE欠乏として、 は、赤血球膜中の過酸化脂質が増加し赤血球 は っ きり と認 識で きる ばあ いは まれ で あり 、 膜 が 弱く なり 溶血 性貧 血が 起こ りや す くな り ビ タ ミン Eの 欠乏 のほ とん どの もの は 潜在 性 ます。 ビタミンE欠乏症と考えられます。 ま た 、ビ タミ ンE の 欠乏 が過 酸化 脂 質の 増 潜在性ビタミンE欠乏症を見つけ出すには、 加を起こし、それが白内障、動脈硬化、糖尿病 血 液 中ビ タミ ンE 濃度 を測 定す るこ と と、 人 な ど の成 人病 とい われ る病 状に つな が るも の の 赤 血球 を取 り出 して 、う すい 過酸 化 水素 水 で あ るか ら、 とく に老 人に おけ る潜 在 性ビ タ に 入 れて 赤血 球膜 がこ われ るか どう か 検査 す ミ ン E欠 乏症 を把 握す るこ とは 、成 人 病対 策 る溶血テストがあります。 を立てる上で重要です。 赤 血 球中 のビ タミ ン E量 が低 いと 、 溶血 す 最 近 、ふ つう の食 生 活を して いれ ば 、ビ タ る赤血球が多いことが判ります。 ミ ン Eは 十分 摂れ ると いう 記載 のあ る 書物 が ビ タ ミン Eの 主要 な 作用 は脂 質の 酸 化を 抑 出 版 され てい るが 、わ が国 では ビタ ミ ンE の 栄 養 所要 量も きめ られ てい ない 階段 で あり 、 摂取量の把握も十分でない現状です。 しかし、年齢、生活様式、食生活などの種々 な ラ イフ スタ イル によ り、 ビタ ミン E の必 要 量 が 変化 する こと を考 える と、 ビタ ミ ンE は 十 分 摂れ ると 楽観 する のは 、か えっ て 危険 で あります。 ︻吉崎再 発見︼ 吉崎御坊の施主富樫一門の内訌と 吉崎の災難 蓮如上人は文明3年5月︵147 年 1 ︶、北 陸 に 下向 して 、さ っそ く小 松市 今江 潟 近く の 御 幸 塚城 主富 樫泰 高を 訪ね 吉崎 御坊 の 建立 に E-mail:[email protected] -4- この人に聞く 我が国の平均寿命 は、男性 歳、女性 歳ですが、健 康寿命は それより9年から 年短いと言わ れていま す。当地区に おける高 齢者数の率が 、あわら 市で一番と聞 いて驚い て い ます が、 健康 長寿 者の 率は 高い よ うに 見 う け られ ます 。そ れは 日頃 から ウォ ー キン グ や ゲ ート ボー ル、 グラ ンド ゴル フな ど に親 し み 、 また 各自 それ ぞれ に応 じた 健康 運 動を 、 日 常 活動 の中 に継 続的 な取 組み とし て 行っ て いる結果ではないかと思います。 昨 年 は会 員の 提起 に より 、当 クラ ブ の初 の 試 み とし てウ ォー キン グ行 事を 行い ま した 。 結 果 的に は良 い雰 囲気 を保 ちな がら 推 移し た と思います。今年も続けることとしたいので、 高 齢 者に 限ら ずど なた でも ご参 加い た だけ れ ば幸いです。 自 ら の健 康は 自分 で しか 裁量 でき な いも の で す 。今 後と も各 自で 気を 付け なが ら 少し で も 健 康寿 命を 伸ば すよ う努 力し たい もの です。 【第363号】 平成28年2月15日発行 つ い て、 その 施主 を依 頼し 快諾 を得 て 同年 5 月 工 事に 着手 し7 月に は完 成し た。 そ して 法 話 を 始め ると ,生 き仏 様を 拝も うと す る門 徒 が 御 山に 群参 して 混雑 し一 時入 門を 差 し止 め たほどであった。 蓮 如 上人 の布 教活 動 はま すま す盛 ん で, 正 真 偈 や和 讃を 開版 して 門徒 に頒 地、 御 文を 作 っ て 異安 心を 批判 し、 女人 の極 楽往 生 を説 き 聞かせたので門徒の信仰は熱狂的であった。 折 か ら吉 崎御 坊の 施 主泰 高と 、当 時 の加 賀 の 守 護で あっ た甥 の富 樫政 親が 不和 の 間柄 で あったので、加賀、能登、越中の門徒は一揆を な し て蜂 起し 、遂 に正 親の 館へ 押寄 せ よう と す る 形勢 にな った 。と ころ が政 親は ひ そか に こ れ を知 って 、文 明6 年3 月2 8日 に 不意 に 吉 崎 御坊 を襲 い、 火を 放っ て御 坊を は じめ に 寺 内 町一 帯を 焼払 い、 藤島 の超 勝寺 も 焼い て 門徒の一揆を越中へ追放した。 この火難 について 蓮如上人は灰燼の御 文を書き、 ﹁当国加州 に一年二年とすぐる まま、文明第三の暦、 すでに四年なり、こ の坊にかぎりて火難 の儀なかりしかど、 文明第六、三月二十 八日酉の刻とおぼへ しに、南大門の多屋 より火事出て北大門 にうつり,焼けしほ どに己に南北の多屋 【第363号】 平成28年2月15日発行 は九なり、 本坊をく はへてそ のかず十 なり。南風 にまかせ てやけし ほどに、時 のまに灰 燼 と なれ り。 まこ とに あさ まし とい ふ も中 々 こ と のは もな かり けり 。し かれ ば人 間 はな に ごともはやこれなり﹂と説いているのである。 こ う し て 加 賀 国 か ら 来 た 多 屋 坊 の 中に は 、 国 守 富樫 政親 の門 徒弾 圧の ため に帰 国 した 者 が あ り、 吉崎 は蓮 如在 住時 代の 賑わ い はな く な り 、仏 事は 本覚 坊の もと で行 われ 、 近在 近 郷 の 門徒 が参 詣し て、 よう やく 御坊 と して の 命脈を保っていた。 蓮 如 上人 は文 明7 年 8月 ︵1 47 5 年︶ 吉 崎 退 去後 、文 明1 0年 正月 山城 の山 科 に本 願 寺 を 建立 して 常に その 後の 吉崎 を心 配 して い たが、永正3年7月︵1506年︶加賀能登、 越 中 の一 向一 揆が 越前 に侵 入し て吉 崎 を占 拠 し た ので 、そ の年 の8 月、 越前 守護 朝 倉貞 景 は 吉 崎御 山の 道場 を一 物も 残さ ず破 却 し全 く 廃墟にしてしまった。 そ れ は蓮 如上 人が 吉 崎を 退去 して か ら後 、 2 1 年目 のこ とで あっ た。 蓮如 上人 は 明応 8 年3月︵1499年︶85歳で没したが、常に 吉 崎 御坊 の跡 を心 にか けて 病床 にい て も側 近 の者に近況を問いただしていた。 古道「馬場大路」から臨む 北潟湖 福井もっとしっとこ(13) 福井県を代表する食に関する記述について、正しいものは次のうちどれか。 大本山永平寺では、雲水(修行僧)は「報恩講料理」という魚介類や肉類を用いない、 穀物や野菜を主とする料理を食べている。 B 若狭地方の伝統料理である「へしこ」は魚の麹漬けのことで、長期保存するための保存 食として作られた。 C 脂ののった鯖を竹串などに刺して一本丸ごと豪快に焼き上げる 「浜焼き鯖」は、奥越地方では、特に夏至の日に「半夏生鯖」と して食されることが多い。 D 三里浜(坂井市三国)の特産である「花らっきょ」は、全国で 唯一の「三年子」(三年堀)であり、一年堀と比べて実が小粒で ある。 (答えは8ページ) A E-mail:[email protected] -5- 19 広域観光PRに期待 た。その検地帳は浜 坂には残っている が、吉崎の検地帳は 紛失して見当たら ない。 秀吉の検地によ り天下は一段と平 和になり、吉崎は永 世3年朝倉貞景の 吉崎御坊破却以来 年ぶりに復活し た。 秀吉は慶長3年 ︵1598年︶に善 光 寺 如来 を信 濃に 復し て、 その 年朝 鮮 征伐 の 最中に 歳で死ぬが、西本願寺はそれから 年後、元和3年︵1617年︶に浴場から出火 し て 多く の堂 塔を 悉く 焼失 した 。そ こ で秀 吉 が 生 前に 営ん だ壮 大華 麗な 聚楽 第の 多 くの 建 物 を 本願 寺焼 け跡 へ移 築し て復 旧し た ので あ る。 92 1月 日︵土︶、県境の館に﹁越前加賀宗教 文 化 街道 ∼祈 りの 道∼ ﹂推 進協 議会 の 関係 者 が 来 館、 ホワ イト ヒー リン グを 熱心 に 説明 P Rしていただきました。 W h it e He al in g﹁ 越前 加 賀宗 教 文 化 街道 ∼祈 りの 道∼ ﹂と は、 越前 加 賀地 域 に あ る宗 教文 化資 源を 共通 テー マに 連 携し て 観光振興を図ろうと、あわら、勝山,坂井市、 永平寺町、石川県加賀市で平成 年に発足、 曹 洞 宗大 本山 永平 寺︵ 永平 寺町 ︶や 吉 崎御 坊 ︵ あ わら 市︶ など の豊 かな 宗教 文化 資 源を 生 か し 観光 振興 を図 るこ とが 目的 とし てい ます。 ま た 、宗 教旅 行に ふさ わし い観 光地 、 地域 交 流 や 文化 が体 験で きる ルー トと して の 魅力 に 触 れ てい ただ き、 さら なる 誘客 につ な げリ ピ ー タ ー と な る き っ か け 作り に な れ ば 良 い と 考えています。 2月8日︵月︶には、5市1町が都内で旅行 業 者 らを 対象 にし た食 談会 を合 同で 開 き、 誘 客 や 知名 度向 上に つな げる ほか 、本 年 度中 に 一 帯 の宗 教文 化を 生か した 観光 ルー ト の商 品 化の発表がありました。 吉 崎 は、 観光 と地 域 づく りを 一体 化 する こ と で 地域 の資 源を 磨き 観光 を商 品化 す るこ と と と もに 受入 れ基 盤を 整備 し、 市や 観 光事 業 者 な どと 連携 をと り観 光客 を呼 び込 む こと が 求 め られ ます 。ホ ーム ペー ジ﹁ ホワ イ トヒ ー リ ン グ越 前加 賀宗 教文 化街 道﹂ でご 覧 にな れ ます。 E-mail:[email protected] -6- 浄土真宗本願寺派本願寺 19 シリーズ The時代﹃吉崎の変遷を辿る﹄ 織田豊臣時代の本願寺 一 向 一揆 の動 乱は 戦 国時 代で 10 0 年余 も 続 い たが 、こ れを 平和 に治 めた のは 織 田豊 臣 時 代 であ った 。織 田信 長は 仏法 に関 心 がな く 延 暦 寺を 焼き 、一 向一 揆の 征伐 には 多 く僧 侶 を 斬 殺し た。 信長 が本 能寺 の変 ︵天 正 時代 1 5 8 2年 ︶で 死ん だ後 、豊 臣秀 吉の 天 下と な る と 秀吉 は本 願寺 強化 の政 策を とり 顕 如の 死 後 、 教如 の門 主後 継職 辞退 によ って 准 如を 門 主にした。そして天正 年︵豊臣時代159 1 年 ︶本 願寺 復興 のた め、 京都 下京 区 堀川 通 七 条 の現 在地 に9 3, 00 0坪 の広 大 な寺 地 を 定 めて 、本 願寺 の大 伽藍 を建 立し て 寄進 し 本願寺はここに移った。 また全国に太閤検地を行い、慶長3年︵15 98年︶越前を 最後に完了し た。この時、吉 崎浜坂方面を 検地して吉崎 浦の村高を2 58石3升と 決し、吉崎御山 を除地といっ て無税にした。 また村々にそ れぞれ検地帳 を渡して年貢 の基準を定め 63 16 【第363号】 平成28年2月15日発行 23 平成28年2月15日発行 【第363号】 駐在さん、だぁ∼い好き! −その41− こんにちは、吉崎駐在所の宮越通安です。 平素は、警察行政各般にわたり多大なご理解・ご協力を賜り感謝申し上げます。 1. 交通死亡事故が相次いで発生しています。(被害者の多くが高齢者です) 今年に入り交通死亡事故が相次いで発生しており、 県警と しても事態を大変憂慮しています。すでに6人が交 通事故 で亡くなっており、そのうち4人が高齢者です。1 月11 日には、 「高齢者交通死亡事故多発警報」も発令され ていま す。 (主な高齢者の事故 平成28年)」 ① 1/5 19:45 78歳女性 道路を横断 中(福井 市) ② 1/6 17:30 83歳男性 道路を横断中(三国町) ③ 1/10 17:10 78歳女性 自転車運転中(丸岡町)※事故運転手も83歳 ④ 1/22 22:20 77歳男性 県道を歩行中(福井市) 薄暮時や夜間に、歩いてまたは自転車で外出する場合は必ず反射材を身につけましょう。また、 無理な道路の横断は止め、横断歩道を渡るなど交通ルールに従いましょう。 2.(新シリーズ) 「泥棒の見方・考え方 ∼防犯の新常識∼」 第4回 侵入盗犯の行動から生まれた『犯行現場10の教訓 その②』 犯行現場に赴いた警察官が犯罪現場から学んだ侵入犯人の行動を、ステップ総合研究所という犯罪 研究機関が科学的にまとめたものがあります。今回からはシリーズで「犯行現場10の教訓」を解 説付きでお伝えしています。 (第三の教訓) 守りは「角」を固めよ 家屋のみならず街区においても、街角や家屋の角は犯 罪にとって弱点となります。 角に物を置かない、角を明るくする、角を見通し良く する、といった「角」の強化は犯罪に大きな抑止にな ります。 (第四の教訓) 守りは「裏」を固めよ 「角」同様「裏」も脆弱化すれば犯罪をおのずから誘 発します。角と同様に、物をおかない、明るくする、 見通し良くするといった対策は大変有効です。 ※ 次回は第5回「侵入盗犯の行動から生まれた『犯罪現場10の教訓 その③』をお送りします。 ̶金津創作の森イベント情報̶ ☆アートドキュメント2015 佐川晃司 展 ・期間:2016年1月16日(土)∼3月6日(日) ・会場:金津創作の森アートコアミュージアム1+ギャラリー ・休館日:月曜日 ・時間:10時∼17時(最終入場16時30分) *土曜日は18時まで開館延長(最終入場17時30分) ・観覧料:一般600円、高校生以下無料 *障害者及び65歳以上は300円 絵画への一貫した深い探求と本質的に「見ること」を問い 続ける福井市出身画家佐川晃司氏の展示会です。 吉崎公民館ご招待観覧券が若干ありますので、ご希望の方は お申し出下さい。 -7- E-mail:[email protected] 平成28年2月15日発行 【第363号】 【ふるさとクロスワード】 1 7 10 13 17 C *答えの解った方は、公民館まで連絡して下さ い。正解者には、年度末に素敵な賞品が当たる抽 選券を差し上げます。 (〆切は3月8日)先月号の 回答は、 「ライオン」で、Cの「ネコ」 (ライオン はネコ科の動物)でした。 パズルの中の A からDの4文字を並び替え て組み合わせ、ある地名にして下さい。その 地名と一番関係の深いものは、下の3つのど れでしょうか。 ( A;駅伝 B;鯨 C;火星 8 2 6 14 D 3 11 4 12 9 ) A 16 15 B 5 【よこのヒント】 ① ;あわら市浜坂にある。松尾芭蕉ゆかりの 地と言えば? ② ;馬小屋の事を〇〇と言います。その昔、 一万円札に描かれていた「聖徳太子」は、 〇〇の戸の前で生まれた事から、厩戸皇子 と呼ばれています。(諸説あり) ③ ;「入院していて、病院から〇〇許可が出ま した。もうそろそろ退院できそうです。」 ④ ;船は「漕ぐ」 、餅は「〇〇」 。 ⑤ ;大正4年生まれの福井県出身の俳優〇〇 は、当時吉崎にあった紫水関という旅館に 泊まり、北潟湖で釣りを楽しみました。ル ビーの指輪でおなじみの「寺尾聰」のお父 さんです。 ⑧ ;はげしくののしること。「相手を〇〇す る」とか言います。 ⑫ ;旅行にいく時、〇〇品の取り扱いには、 充分お気を付けください。 ⑭ ;警察という〇〇。農協という〇〇。体協 という〇〇など、社会には、多くの要素が 結合して構成されています。 ⑮ ;英語ではリリィ。 【たてのヒント】 ① ;140年以上の歴史を持つ吉崎〇〇が、ついに統 廃合され休校となります。たいへん心淋しい事です ね。休校式は3月19日。皆さん是非〇〇へお出で 下さい。 ⑥ ;昭和41年、 「バラが咲いた」を唄って大ヒットし た歌手は、〇〇真木。 ⑦ ;江戸時代を代表する俳諧師の一人。本名を弥太 郎。代表作は、 「雀の子そこのけそこのけお馬が通 る」など。さてその姓は? ⑨ ;食べて知った感じ、体験によって知った感じ。う す〇〇、塩〇〇。「貧乏の〇〇を知る」とか、「〇〇 な事を言う」などと言いますね。 ⑩ ;金銭、物資の使い道。「〇〇不明金」。 ⑪ ;早く春が来ないかな?もう〇〇はたくさん、 「〇〇 かき」で筋肉痛だよ。 ⑬ ;脳の急激な血液循環障害による症状。急に意識を 失って倒れ、手足の随意運動は不能となる病気。気 を付けましょう! ⑯ ;江戸時代、同心とともに配属され、江戸市中の行 政・司法・警察の任に着き、町奉行の補佐にあたっ た役職。 ⑰ ;責任などを、どこまでも追い責める事。 「余罪の〇 〇」。 2月20日(土)吉崎老人クラブ総会 10時30分∼ 場所:吉崎公民館 3月 福 井 も っ と し っ とこ (13) 答え:D 5日(土)思い出の会 3月19日(土)卒業式・卒園式 休校式 13時10分∼ 9時30分∼ 場所:吉崎小学校 こども園室 場所:吉崎小学校 *「公民館だより」カラー版を要望される方は、吉崎公民館まで -8- TEL75-1205 E-mail:[email protected]
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