インドア化と余白化 - 常陽地域研究センター

イン ドア化と余白化
―地方における巨大商業施設と、地域社会の「新しい現実」
早稲田大学 教育・総合科学学術院 教授 ■ 2015年夏、土浦・つくばをたずねて
2015年 の 7 月 末、 日 本 の シ ョ ッ ピ ン グ セ ン
若林 幹夫
いを彷彿とさせる大規模な個人商店や様々な飲
食店があり、周辺部には大規模なスーパーやホー
ター・ショッピングモールについて研究したい
ムセンター、家電店、家具店なども複数あって、
というオーストリア人の大学院生とフィールド
当時はまだ商業施設も少なかったつくば市の研
ワークをするために、私は久しぶりに土浦駅に
究学園地区のいかにもニュータウン然とした風
降り立った。目的地はイオンモール土浦(2009
景とは異なり、地方都市としての歴史と風格と
年開業、店舗面積79,682㎡:以下、ショッピン
存在感が感じられた。その一方で当時すでに、
グセンター名の後の数字と面積はいずれも開業
駅前再開発によって作られた複合商業ビル
年と店舗面積で、日本ショッピングセンター協
URALAと駅ビルを繋ぐペデストリアンデッキ、
会の資料による)とイオンモールつくば(2013年、
その下のバスターミナルのある交通広場とそれ
64,000㎡)
、イーアスつくば(2008年、84,766㎡)
に面した丸井などが、同じように駅前再開発が
の3つのショッピングモールだったのだが、こ
行われた多くの地方都市とよく似た均質な風景
れら3つのモールのほぼ真ん中にあたるつくば
を作り出してもいたのだが……。
エクスプレスのつくば駅を集合場所にしなかっ
その日、久しぶりに見る土浦の街は、かつて
たのは、郊外の巨大ショッピングモールの影響
にもましてシャッター商店街化していた。丸井
で衰退著しい地方都市中心部の例として、まず
は閉店してパチンコ店とカラオケ店が入ってお
は土浦市中心部を見ておくことを、その日の案
り、URALAからはイトーヨーカドーが撤退して
内役で『モール化する都市と社会』の共著者で
土浦市役所の本庁舎が入っている。商店街を歩
もある楠田恵美さんに勧められたからである。
いても、テナントの抜けたビル、シャッターを
1992年から2005年まで私は筑波大学に務めて
降ろしたままの商店、廃墟化したビルや駐車場
いた。日常的な買い物はつくばセンター周辺で
となった空き地が目につく。80年代から90年代
済ませていたので土浦にまで買い物に行くこと
には土浦の賑わいの中心だった、研究学園方面
はなかったが、つくばエクスプレスが開業する
に続く高架道沿いの長さ505mの三階建てのモー
以前だったので、電車を利用して東京と行き来
ルであるTHE MALL 505(1985年、5,850㎡)も、
する際にはバスで土浦に出ることも多く、また、
空きテナントが目立ってひっそりしていたし、
自分の車で土浦まで人を送迎したりすることも
蔵造りの商家「まちかど蔵」のある中城通りも
時々あった。その頃の土浦市中心部は、他の地
閑散としていた。かつて繁華だった中心街の広
方中核都市と同じく寂れ始めてはいたけれど、
がりは大きく、かつての賑わいの痕跡をそこか
戦前は海軍の町として栄え、戦後も複数の百貨
しこに見ることができるだけに、真夏の熱い陽
店を擁する地域商業の中心だったかつての賑わ
射しの中の土浦は、なんとも言えない寂寥感を
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若林 幹夫(わかばやし みきお)
専門は社会学、都市論、メディア論、時間・空間論。
【略歴】
編著書に『都市のアレゴリー』(INAX 出版、1999 年)
、
1962 年東京生まれ
東京大学教養学部相関社会科学分科卒業。同大学院社
『東京スタディーズ』
(吉見俊哉と共編著、
紀伊國屋書店、
会学研究科博士課程中退後、博士(社会学)の学位を
2005 年)
『郊外の社会学』
、
(ちくま新書、2007 年)
『モー
、
東京大学より取得
ル化する都市と社会』(南後由和・田中大介・楠田恵美
東京工業大学助手、筑波大学講師・助教授・教授を経て、
と共著、NTT 出版、2013 年)など。
2005 年より早稲田大学教育・総合科学学術院教授。
感じさせた。他方、そんな土浦市中心部を後に
そんなつくばエクスプレス沿線の開発地域と
して訪れた3つの巨大ショッピングモールは、
その周辺には、新たに開業した大規模ショッピ
夏休みのせいもあって平日というのに多くの老
ングセンター・ショッピングモールが多い。守
若男女で賑わっていた。とりわけ、つくばエク
谷 駅 近 く に は イ オ ン タ ウ ン 守 谷(2007年、
スプレス研究学園駅前のイーアスつくば近くに
21,514㎡)
、千葉県に入って柏の葉キャンパス駅
は、コストコや大規模家電量販店、自動車ディー
前にはららぽーと柏の葉(2006年、49,523㎡)
、
ラーや紳士服店などのロードサイドショップも
流山おおたかの森駅前にはおおたかの森ショッ
数多く出店していて、ショッピングモールを中
ピングセンター(2007年、46,720㎡)
、直接の沿
心とする一大商業地区となっており、2010年に
線ではないが、南流山から武蔵野線に乗り換え
つくば市役所が移転したこともあって、かつて
る と 新 三 郷 に ら ら ぽ ー と 新 三 郷(2009年、
田畑や雑木林しかなかった場所に、つくばセン
59,400㎡)
、そして越谷レイクタウンには日本最
ターとは別の新たな“都心”が出現していて、
大級のイオンレイクタウン(2008年、218,483㎡)
数年ぶりにそこを訪れた私を驚かせた。
がある。これらは、新たな都市開発・市街地開
発において、つまり新たに創出される地域社会
■ まちづくりとショッピングセンター
つくばエクスプレスは東京圏でもっとも新しい
郊外通勤電車であり、沿線では新たな市街地の
において、ショッピングセンター・ショッピン
グモールがいまや必要不可欠なものになりつつ
あることを示している。
開発が現在も活発におこなわれている。農村地
高度経済成長期から1980年代頃までに計画・
域や工場の跡地などでの大規模な市街地開発は
開発された団地やニュータウンでは、新しく作
単なる土地の用途転換ではなく、異なる生活空
られた地域社会の日常的な消費需要に応えるた
間の創出と、異なる生活文化をもった住民の流
めに、青果店や精肉店、電気店、書店、郵便局、
入と定住による、新たな地域社会の創出である。
医院、小規模なスーパーマーケット等からなる
つくばエクスプレス沿線では、そんな地域社会の
“ショッピングセンター”が“団地の商店街”と
創出が現在進行形でおこなわれている。茨城県
して作られることが多かった。それが今日では、
南地域に関していえば、筑波研究学園都市の建
新たに開発される地域の消費需要を支えるのは、
設がすでに大規模な地域社会の創出の一大実験
日用品や生活必需品を販売する大規模スーパー
だったのだが、研究学園都市がつくばエクスプレ
や量販店をキーテナントとし、衣類やおしゃれ
スによって東京と結ばれたことで、そうした地域
な生活雑貨を扱うたくさんの小売店舗、バラエ
社会づくりの実験が沿線地域も組み込む形で新
テ ィ に 富 ん だ 飲 食 店、 シ ネ コ ン に ゲ ー ム セ ン
たな段階に入ったと言うことができる。
ター、さらには塾や医院、フィットネスやエス
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テも擁した大規模ショッピングセンターや
ショッピングセンターやショッピングモールは、
ショッピングモールと、それを補完するような
デベロッパーが開発し、管理・運営する施設の
ロードサイドの家電や家具の量販店やファスト
内側に、小売り店舗だけでなく街路や広場のよ
フードショップになっている。流山市のおおた
うな空間や、上述したような多様なサービス施
かの森ショッピングセンターの開業にあたり、
設を内包しているという点で、「ハコの中の街」
隣の駅の柏の葉キャンパス前のららぽーと柏の
と言ってよい。
葉のシネコンよりもスクリーン数を多くするこ
アメリカのマーケティング研究者のパコ・ア
とに流山市がこだわったことは、ショッピング
ンダーヒルがショッピングセンターを「店舗の
センターの魅力と集客力が、開発地域に新たな
ための店舗」と呼ぶように、ショッピングセン
住民を引き込む力となるまちづくりの重要な要
ター・ショッピングモールは商業施設である以
素として、行政にも認識されていることを示し
前に、複数の商業施設のために作られ、運営・
ている。
管理される巨大空間である1。そこで作られ、管
英語の“shopping center”という言葉は、そも
理されるのは店舗空間だけでなく、外部からの
そもは自然発生的に成立した都市の商業的な中
アプローチの経路や駐車場・駐輪場、外側や内
心地を指す言葉だった。日本でも、
『広辞苑』
に「数
部に設けられた広場などのオープンスペース、
多くの商店が集中した地域や施設」とあるように、
今日のショッピングセンターのような大規模商
4
「モール=散策路」という言葉に相応しいゆった
り歩くことのできる通路など、そこを訪れて買
4
業施設 だけでなく、都市中心部の商業的な繁華
4
い物をしながら快適に過ごすことを可能にする
4
街のような地域 を指す言葉としてもかつては用
“街のような空間”としての環境なのである。ア
いられていた。
“団地のショッピングセンター”
ンダーヒルが創業したマーケティング会社エン
は団地やニュータウンに計画的に設置された商
バイロセル社の名称が、「環境=environment」と
店が集中する地域という意味で“ショッピング
「売る=sell」を結びつけた造語であることは、
センター”だったのだ。商業中心地域としての
ショッピングセンター・ショッピングモールが
ショッピングセンターにとっては、スーパーマー
作り、売るものは、商品やサービスである以前
ケットやデパートなどの大規模商業施設も、地
に何より環境なのだという、“小売の人類学者”
域を構成する要素として、「街の中のハコ」の一
アンダーヒルの洞察を示している。
つに過ぎない。それに対して現代的な意味での
1 パコ・アンダーヒル(鈴木主税訳)
『なぜ人はショッピングモールが大好きなのか―ショッピングの科学ふたたび』早川書房、
2004年、34頁。
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■ 街の中のハコ/ハコの中の街
域 に お い て、 大 規 模 シ ョ ッ ピ ン グ セ ン タ ー・
大規模商業施設があるのは郊外や地方だけで
ショッピングモールがもつ機能と意味はそれと
はない。大都市の中心部にも、近年話題になっ
は異なる。たとえば土浦市の場合、2014年の時
たあべのハルカス(2014年、100,000㎡)や渋谷
点で市内の商業の小売業の売り場面積の総計は
ヒ カ リ エ(2012年、22,000 ㎡)
、表参道ヒルズ
214,471㎡だが、単純に計算するとイオンモール
(2006年、24,666㎡)など、大規模なショッピン
土浦の店舗面積はその37%にあたる。つくば市
グセンター・ショッピングモールは数多くある。
の 場 合 は、 小 売 店 舗 の 売 り 場 面 積 の 総 計 が
だが、「ハコの中の街」としての巨大商業施設が
250,185㎡なので、イーアスつくばとイオンモー
地域社会においてもつ意味や効果は、大都市中
ルつくばの二つの大規模商業施設の売り場面積
心部と郊外や地方では大きく異なる。たとえば
はその60%に及ぶことになる2。これだけの規模
東京都心でイオンモール土浦やイオンモールつ
の売り場面積をもつ巨大な商業施設が、既存の
くば、イーアスつくばに匹敵する店舗面積をも
商業施設の集積の少ない―あるいはほぼない
つ巨大商業施設に、新宿南口のTAKASHIMAYA
―郊外や地方に現れるということは、その地
TIMES SQUARE(1996年、79,597㎡)がある。
域の既存の商業中心地よりも大きな規模で、多
髙島屋百貨店をキーテナントとするこの巨大商
様な消費と娯楽の選択肢を提供する「ハコの中
業施設は確かに、これまで大規模な商業施設の
の街」が、それまで街らしいもののなかった都
なかった新宿南口に多くの人びとを誘導するよ
市の周辺部や農村地帯に出現するということだ。
うになったものの、それによって新宿や周囲の
それは単に一商業施設の進出ではなく、地域社
商業地域が衰退したりはしなかった。大都市中
会のあり方に構造的な変容をもたらすものだと
心部では既存の商業中心地の集積度と多様性が
言ってよい。ここで地域社会のあり方の構造的
高く、魅力的な小売店も他の大規模商業施設も
変容というのは、地域社会の空間の形態と機能
多いので、巨大商業施設が周囲にもたらす影響
だけでなく、そこでの人びとの余暇・消費行動や、
は相対的に小さいものになるし、既存の繁華街
それを通じて生み出される生活の時間と空間の
と相乗効果を生み出すことも多い。そこでは「ハ
あり方といった地域の生活文化にまで及ぶあり
コの中の街」は、もっと大きな街の中の相対的
方の、相互に連関する変容のことだ。
に大きなハコに過ぎない。
郊外ニュータウンを舞台とする角田光代の小
だが、つくばや土浦のような地方都市や、つ
説『空中庭園』は、そんな郊外に出現した巨大
くばエクスプレス沿線のように郊外化が進む地
ショッピングモールが地域社会にもたらす構造
2 土浦市とつくば市の小売店舗売り場面積は、
『統計つちうら』と『統計つくば』の2014年度版により、ショッピングセンターの
売り場面積は日本ショッピングセンター協会資料による。
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的変容のあり方を、登場人物の女子高校生の言
の身近なテーマパーク」である。そして、バイ
葉を借りて見事に描き出している3。彼女によれ
トやパートの雇用も地域にもたらし、職業訓練
ば、自分たちの暮らすニュータウンにある「典
の場ともなっているという点では、更生施設や
型的郊外型巨大ショッピング・モール」である
職業安定所としての役割も果たしている。
「ディスカバリー・センター」は、「この町のト
興味深いのは、その巨大ショッピングモール
ウキョウであり、この町のディズニーランドで
が出来る以前の生活を、語り手の女子高校生は
あり、この町の飛行場であり外国であり、更生
うまく思い浮かべることができないと語ってい
施設であり職業安定所である」。毎週末、ほとん
ることだ。「洋服はどこで買っていたんだっけ?
どの家族がそのモールに出かけ、「買い物をした
記念日にはどこでごはんを食べていたんだっ
りしなかったり、とにかくそぞろ歩いてあれこ
け? 休日には、何をしていたんだっけ?」と、
れをながめ、食事をしたりしなかったりして帰
彼女は考える。そして彼女のボーイフレンドは、
る」。中高生のほとんどはそこにいくことを「日
実際にはディスカバリー・センターは自分たち
課」とし、高校を卒業して専門学校にも大学に
を「ここに閉じこめてしまっただけなのかも」
も進まない子どもたちは、とりあえずそこでア
と考えるのだ。巨大ショッピングモール以前の
ルバイトをする。実際には、そこには本当の東
地域の消費・娯楽生活をもはや思い浮かべられ
京ほどの消費の選択肢の多様性もなければ、ディ
ないという小説中の女子高校生と、それが自分
ズニーランドのようなアトラクションも、海外
たちを閉じこめているのではないかと考える男
旅行に旅立つときの飛行場ほどの胸の高まりも、
子高校生の意識と感覚は、巨大ショッピングモー
外国のような物珍しさもない。だがそこには、
ルによる地域の環境と文化の構造的な変容が、
東京のファッションビルにも入っているブラン
そこに暮らす人びとの生活と意識にもたらすも
ドのショップやカフェやレストランがあり、シ
のを象徴的に示しているように思われる。そこ
ネコンやゲームセンターやキャラクターショッ
では地域の余暇と消費と娯楽が「ハコの中の巨
プのようなテーマパーク的な娯楽の場があり、
大な街」に吸い込まれ、閉じこめられて、空間
こぎれいな通 路や広場があってさまざまなイベ
的にはその外部から切り離され、時間的にもそ
ントが行われ、日本初上陸や県内初出店の店舗
の出現以前から切り離されて、モールに象徴さ
もあって、日常から飛び立って様々な消費の楽
れる新しい環境だけが現実の地域社会として現
しみに触れることができる、「余暇と消費のため
れるのだ。
3 角田光代『空中庭園』文藝春秋社、2002年。以下、本文での『空中庭園』からの引用は2005年刊行の文春文庫版30―32頁による。
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8
■ インドア化と余白化
郊外や地方でショッピングセンター・ショッ
たりした時間と空間を作り出している。施設の
設えとそこで働く人びとの管理された振る舞い、
ピングモールが作り出すこの新しい環境の現実
そしてそこを訪れる人びとが全体として作り出
は、そうした巨大商業施設が様々な工学的技術
す時間と空間のこうしたあり方は、誰もが楽し
を駆使して作り出す空間的かつ時間的な快適性
むためにそこを訪れ、ゆったりと(あるいはだ
と安心・安全性と、現代の郊外や地方における
らだらと)時を過ごすディズニーランドのよう
自動車交通への依存にも支えられている。
なテーマパークで、キャストとゲストが作り出
大規模スーパーやホームセンターを主体とす
すゆるやかな一体感によく似ている4。現代の巨
るかつての郊外の巨大ショッピングセンターの
大なショッピングセンター・ショッピングモー
多くは、売り場の見通しが悪く、不特定多数の
ルが地域社会に生み出すのは、そんな時間と空
人の出入りする、「危険な場所」と見なされるこ
間が人びとを包み込む社会的環境なのだ。
とも多かった。少なくともそこは、買い物には
しかもその快適で安心・安全な空間へ、郊外
便利だけれど広すぎて、休憩や食事の施設もた
や地方では多くの人が自家用車によって自宅か
いしたことは無く、長い時間を過ごすには向か
らダイレクトにアクセスすることができる。南
ない、決して快適とは言えない場所であること
後由和が指摘するように、「自宅から自動車で
が多かった。だが現代の大規模ショッピングセ
SM(=ショッピングモール:引用者注)に来
ンターは、施設の巨大さのわりに出入り口が少
店する場合、住宅のリビングのカーペット、自
なく、明るく見通しのきいた通路をもち、店員
動車の車内に敷かれたカーペット、SMの店舗
や警備員、監視カメラによる視線が行き届いて
内のカーペットが、カーペットという次元では
いることなどによって、安心・安全感の高さで
連続して」いて、
「家というプライベートな空間
人びとを包み込むような空間となっている。壁
からSMというパブリックな空間までが地続き
に囲まれ、空調がきき、BGMが流れるモールの
なものとして経験され」ることになる5。こうし
内側には、既存の繁華街や商店街ならいる買い
て自動車を介してプライベートな空間からパブ
物客以外の通行人も、歩行者を脅かすかもしれ
リックな空間までつながるあり方を、建築家の
ない自転車や自動車もなく、のんびり歩いたり、
岩佐明彦は「インドア郊外」という言葉で呼ん
ベンチに腰かけたりしている来場者たちが、ゆっ
でいる6。そしてそのインドア郊外では、自宅と
4 ここで「一体感」と表現した、ショッピングセンター・ショッピングモールとディズニーランドのようなテーマパークの共通
性については、早稲田大学教育学部の浅井裕介氏から示唆を得た。記して感謝したい。
5 南後由和「建築空間/情報空間としてのショッピングモール」若林幹夫編著『モール化する都市と社会―巨大商業施設論』
NTT出版、2013年、129頁。
6 岩佐明彦「郊外空間の生む生活スタイル」
『建築雑誌』125巻1603号、38―39頁。
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9
自動車とショッピングセンター・ショッピング
ター・ショッピングモールをめぐる地域社会の
モール以外の既存の市街地や地域の空間は「ア
構造的な変容も、郊外や地方の空間を余白化す
ウトドア」化されてしまうのだ。アメリカと異
るのである。
なり日本の大規模ショッピングセンター・ショッ
ピングモールでは、イーアスつくば、ららぽー
■ 地域社会のゆくえ
と 柏 の 葉 や ら ら ぽ ー と 新 三 郷、 お お た か の 森
地方都市の郊外への大規模ショッピングセン
ショッピングセンターやイオンレイクタウンの
ター・ショッピングモールの出店は、旧来の都
ように駅からのアプローチも重視するものが多
市中心部の商店街を衰退させるだけでなく、そ
いが、その場合でも大都市中心部の商業施設と
れによって地域の生活文化を破壊して、全国ど
違って自動車による来場者が多いし、駅の改札
こでも同じメニューで同じサービスを提供する
からスムーズにモールにつながるよう設計され
ファストフード店のような、ナショナル・チェー
ていて、来場者はモール以外の“街”や戸外を
ンの提供する均質な消費文化をひろげていくも
ほとんど通過することなしに、巨大なハコの中
のとして、しばしば批判されてきた。三浦展の
の街に吸い込まれていく。
指摘する郊外や地方の「ファスト風土化」と、
かつて私は、東京の臨海副都心で複数のショッ
既存の商業的中心や地域の生活文化の「空洞化」
ピングモールやホテル、業務施設などが作り出
が、巨大商業施設が地域社会にもたらす客観的
す都市空間のあり方を、
「余白化する都市空間」
な現実として問題化されてきたのである8。
と呼んだことがある7。臨海副都心という広大な
それに対して、ここで論じてきた「インドア化」
開発地区に建ち並ぶ巨大な施設群は、個々それ
や「余白化」は、そうした現実を生きる人びと
ぞれの内側には都市空間に匹敵するような「街
の主観的な経験における地域社会の変容に関わ
のような空間」をもちながら、それらの間には「都
るものだ。客観的な研究者や批判者の眼には味
市空間」と呼ぶに相応しい人びとが行き来し、
気ない「ファスト風土」や悲しむべき「空洞化」
佇む空間がほとんどなく、すがすがしいほどに
に映る地域社会の現実が、ショッピングセンター
広い空と空間が余白のようにひろがっている。
やショッピングモールに日常的に足を(あるい
そんな現代の都市空間のあり方を指すために「余
は車を)運ぶ人びとにとってはインドア化した
白化」という言葉を用いたのだが、ここまで論
快適性と安心・安全性の高い時間と空間であり、
じてきた郊外や地方の大規模ショッピングセン
その外側は「余白」として視線や了解の枠外に
7 若林幹夫「余白化する都市空間―お台場、あるいは「力なさ」の勝利」吉見俊哉・若林幹夫編著『東京スタディーズ』紀伊國
屋書店、2005年、6―25頁。
8 三浦展『ファスト風土化する日本―郊外化とその病理』洋泉社新書y、2004年などを参照。
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10
置かれてしまう。「ハコの中の街」の現実の内側
論すべき余地が多々あると思う。だが、
「インド
を生きる人びとは、その外側にあった時間と空
ア化」と「余白化」としてここまで考察してき
間を忘れてしまう。
たように、モータリゼーションという移動性の
注意しなくてはならないのは、ここで「客観」
社会的な変動と、ショッピングセンター・ショッ
の方が「正しい事実」で、「主観」の方が「誤っ
ピングモールという巨大な「ハコの中の街」が
た思い込み」というわけではない、ということだ。
結びつくことで、郊外や地方に暮らす人びとに
なぜなら、人間は客観的に生きている世界を主
生きられる地域の社会のあり方が、
「土地空間上
観的に解釈し、意味づけ、その主観的な世界を
の連続した領域」に基礎を置く文字通りの「地
共有することによって、共通の社会的世界を生
域=土地の上の一定の領域」よりも、
「広域に分
きるものであるからだ。「地域社会」というもの
散するスポットを繋ぐ交通のネットワーク」と
を私たちは、人びとが居住し、生活する土地空
しての「移動域 」という色彩を強めているのは
間上の広がりという「客観的存在」を土台にも
事実である。
4
4
4
4
4
つがゆえに揺るがしがたい現実性をもつものだ
現代の郊外や地方では、
「地域」や「地方」と
と考えがちだ。だが、現代の郊外や地方でイン
いう言葉を使うときに私たちがこれまで暗黙の
ドア化した郊外を生き、その外側を余白化して
前提としてきた社会のあり方と、私たちが現実
いる人びとにとって、土地空間上の広がりを共
に生き、経験している地域や地方のあり方との
有する人びとからなる地域社会という概念は、
間に乖離が生じてきている。現代において郊外
彼らの主観的に経験される現実に即さないもの
や地方のまちづくりを考える時、それを肯定す
になりつつある。「移動の社会学」を唱えるイギ
るにせよ否定するにせよ、この乖離は前提とし
リスの社会学者ジョン・アーリは、土地空間上
なくてはならない事実であり、現実である。本
の居住に基礎を置く伝統的な「社会 society」の
号で特集されている茨城県生活行動圏調査は消
概念は、自動車や高速鉄道による日常的な移動
費行動や娯楽行動における自治体間の人の移動
に基礎を置く「移動 mobility」の概念に取って
を明らかにしたものだが、そこで示される生活
代わられるべきだと主張している9。どんな社会
行動における自治体間の人びとの吸収や流出は、
でも多様な形態と速度の移動性が内外にあるこ
現代の地方の人びとの主観において生きられる
とを前提としているのだから、「ソサエティから
地域社会の、移動の経験を土台とする「新しい
モビリティへ」というテーゼには理論的には議
現実」を示しているのである。
9 ジョン・アーリ(吉原直樹・伊藤嘉高訳)
『モビリティーズ―移動の社会学』作品社、2015年などを参照。
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