「株式会社大槌製作所 大槌工場」

も、 自 分 は ワ ク ワ ク し た 気 持 ち で
社会福祉法人大洋会「 四季の郷」
ま た、 小 さ い こ ろ か ら 桜 木 町 の
「静岡にいたときは、隣の人も知
らないような状態だった」と学生
た」とほほ笑みます。
た そ う で す。 夏 の 盆 踊 り や 桜 木 町
高橋宏明さん 地 域 活 動 に も 積 極 的 に 参 加 し て い
たか はし ひろ あき
の「手踊り会」にも携わっていて「昨
「すべてが手探りで、じれったい
思 い を し た り、 も っ と い ろ い ろ な
来ました」と笑顔を見せます。
技術を身につけて
地域の役に立てるように
年の手踊り会の復活はうれしかっ
とう
桜木町で生まれ育った高橋宏明
い
大槌復興 刺 し 子 プ ロ ジ ェ ク ト
伊藤いずみさん 自分ができることを
考え て い き た い
さ ん。 静 岡 県 の 専 門 学 校 を 卒 業 後
「大槌復興刺し子プロジェクト」 ことができるようになりたいと思
の活動に携わり1年になる伊藤い うこともあった」という伊藤さん
い 者 支 援 施 設「 四 季 の 郷 」 に 理 学
時代を振り返り、「やっぱりご近所
タ ー ン し、 現 在 は 町 内 の 障 が
当。「購入していただいたお客様か
療法士として勤務しています。
に
ら喜びの声が届くと、やっぱり『も
で す が、 今 で は 中 核 的 な 仕 事 も 担
刺し子は布に一針一針模様を刺
す 昔 な が ら の 手 芸 で、 限 ら れ た ス
のづくり』はいいなぁと思います」
理 学 療 法 士 の 仕 事 は、 病 気 や け
がで体に障がいが残った方のリハ
ずみさん 。
ペ ー ス と 道 具 で も 活 動 が 可 能。 震
と魅力を語ります。
れからも技術を磨き、それを残していきたい」と力
われるディスプレイも家庭用電器製品と同じく、以
強く結びました。
前はブラウン管モニター(CRT)が使われていまし
大槌製作所は、これからも顧客のニーズに応える
たが、今では新製品のほとんどが液晶ディスプレイ
技術を継承する、ものづくり企業であり続けます。
ど幅広い仕事をされています。
具の設定や福祉法制度への申請な
ハ ビ リ だ け で な く、 車 い す や 補 装
ビ リ が 一 般 的 で す が、 職 場 で は リ
と強い郷土愛をにじませます。
血 の つ な が り が な く て も、 大 槌 と
か し て い な い。 大 槌 の 人 が 好 き。
感じる日々。「田舎が好き。せかせ
助け合える」と地元で働く喜びを
い の も あ る し、 何 か あ っ た と き に
が、大槌町も高齢化が進んでおり、
か け に、
「 何 か 手 に 職 を つ け た い。
将 来 も し っ か り 見 据 え て い て、
大 槌 に 帰 っ て く る つ も り で 資 格 を 「今は障がい者の分野で働いている
聞いただけで他人とは思えない」
高 校 2 年 生 の 時、 医 療 事 務 を し
ていた姉から勧められたのをきっ
と の 付 き 合 い は 必 要。 居 心 地 が い
災で仕事を失った女性を中心に立
ち 上 が っ た 同 プ ロ ジ ェ ク ト で は、 仲 間 に 支 え ら れ た 1 年 を 振 り 返
り「刺し子さんたちはパワフルで、
本 当 に 元 気。 毎 日 笑 わ せ て も ら っ
パーカーやバッグ、布小物など様々
な 商 品 を 製 作 し、 イ ベ ン ト で も 人
て い ま す。 週 末 に は 一 緒 に 出 か け
されるオーダーメード品です。こういった機器に使
高橋宏明さん
オープニングセレモニー・テープカットの様子
産地直売所は地元をはじめ花巻農協管内の農産物や水産
気 を 集 め て い ま す。 商 品 を 製 作 す
い設備の修理といった顧客の要望に応えるため、こ
取ろう」とこの道に進んだという
係する研修などの場となる営農研修室があります。
ることもあります」と充実感を漂
どの製品も顧客の求める仕様に応じて設計・製造
これからは福祉分野が今以上に頑
ンなど、2 階(約 196 平方メートル)には地域農業に関
る「 刺 し 子 さ ん 」 は 、 町 内 の 女 性
のこと。それでも「大量生産品では対応できない古
高 橋 さ ん。 夢 の 実 現 に 向 け て 着 実
方メートル)に産地直売所・製品等加工室・農家レストラ
わ せ ま す。 イ ベ ン ト で 稲 刈 り や 新
います。
張っていかなくてはならないと思
完成した施設は鉄骨造り 2 階建てで、1 階(約 866 平
名ほどいらっしゃ
で、修理品の回路設計や製造で苦労しています」と
に 歩 み、 専 門 学 校 の 卒 業 を 目 前 に
多くの来場者でにぎわいました。
を中心に現在
TV カメラといった幅広い分野の産業機械に使われて
う。 自 分 も も っ と も っ と 勉 強 し、
やキウイフルーツの店頭販売などのイベントが展開され、
る そ う で す。 そ の 中 で 伊 藤 さ ん は、 巻 き ザ ケ 作 り を 体 験 す る な ど 大 槌
違ってディスプレイに入力される信号が複雑なの
控えた3月に発生した東日本大震
い、花巻農協と姉妹提携するJA紀の里農協によるミカン
イ ベ ン ト で の 販 売 か ら 商 品 開 発、 での生活も楽しんでいるそうです。
大手メーカーの工作機械や医療機器、船舶レーダー、
技 術 を 身 に つ け て、 地 域 の 役 に 立
産直施設前で記念品プレゼントや甘酒などのお振る舞
生産管理など幅広い仕事をこなし
村田社長によれば「市販の TV やパソコンなどと
災。混乱の中で社会人生活がスター
モニーが開かれ、テープカットなどで祝いました。
「これからも支え合いの中で『自
分のできること』を考えていきた
同社の主力製品であるディスプレイモニターは、
てるように頑張っていきたい」と
は毎月第 2 木曜日です。
ています 。
のは大変ですからモニター
い。そして、いつか地元に戻っても、
が、産業用の修理事業での苦労が多いようです。
トし、 年になろうとしています。
と指定管理者の花巻農業協同組合によるオープニングセレ
できることを考えていきたい」と
は 20 名の方が生産や修理に携わっています。
「技術系の仕事なのでスキルアッ 真っ直ぐに語ってくれました。
プしていきたい」と向上心が高く、
時から 18 時、12 ~ 3 月は 9 時から 17 時まで、定休日
静岡県磐田市出身の伊藤さんは
大 学 卒 業 後、 東 京 で 働 い て い た 際
イ修理も手掛けています
「家にいたくてもいられない方々が
岸営農拠点センターが 1 月 15 日、オープンしました。町
力 強 く 語 っ て く れ た 伊 藤 さ ん。 今
ます。本社では営業と研究開発を担い、大槌工場で
利 用 さ れ て い る の で、 日 々 の 仕 事
加工品、惣菜などが並びます。営業時間は 4 ~ 11 月は 9
に参加した社会起業支援団体の説
パソコンの液晶ディスプレ
では利用者を第一に考えています。
産地直売所や農家レストラン施設などを有した大槌町沿
後の活躍に期待です。
ディスプレイモニターの設計・製造・販売をしてい
個 性 的 な 方 が 多 く、 利 用 者 の 皆 さ
大槌町沿岸営農拠点センターオープン
明 会 で、 刺 し 子 プ ロ ジ ェ ク ト の 活
けではなく海外メーカー製
んと接しているときが楽しい」と
社では新たに設計した液晶
動を知っ た そ う で す 。
創業された精密機械メーカーで、主に産業機械用の
5
手が困難になったため、同
株式会社大槌製作所 大槌工場
〒028-1121 大槌町小鎚22-46-1
℡ 0193-42-2149
「自分がイメージしていた『支援』
の 形 の、 そ の 先 を 見 て い る よ う に
理をしています。新製品だ
U
今は新しいブラウン管の入
感 じ た。 い つ か 自 分 の 地 元 に も つ
士社長)は、1982(昭和 57)年 12 月に大槌町で
優しい人柄をうかがわせます。
だけを交換して修理します。
ながるようなヒントがこの活動の
(LCD)に置き換わりました。古い機械に使われてい
中にあるのでは」と大槌町行きを
ディスプレイに交換して修
伊藤いずみさん
株式会社大槌製作所(本社埼玉県熊谷市、村田昌
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Otsuchi
Otsuchi
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「復興を支える人」
るモニターが故障した時でも、機械全体を買い替える
30
決 意。 家 族 は と て も 心 配 し た そ う
No.15
~顧客のニーズにきめ細かく応える技術と製品を〜
で す が「 申 し 訳 な い と 思 い な が ら
「株式会社大槌製作所 大槌工場」
復興通信 「復興を支える人」