まめだごの味

⿊川 聖︵くろかわ さとし︶さん・九⼗歳/熊本県熊本市在住
エッセイ・小論文
■優秀賞
郵便局職員退職後、熊本市ボランティア「西部ふるさと会」事務局長を務める。
い厄介もののご隠居さん︒暇をもてあましたご隠居さんは︑
つく後期⾼齢者︑特有の⽼⼈病が出て︑毒にも薬にもならな
毎⽇が⽇曜⽇も︑三⼗年を過ぎると﹁ 超﹂という⽂字の
返しレシピのお礼のはがきが来た︒なんとお礼の主は九⼗⼋
持つ威⼒にあらためて驚きながらレシピを送付すると︑折り
欲しいという読者の要望があると新聞社からの電話︒新聞の
まんざらではなかったと少し⿐を⾼くしていたら︑レシピが
まめだごの味
おもいあまって新聞の投書欄に﹁まめだご﹂という⼀⽂を投
歳というおばあさん︒私より⼋歳も年上のおばあさんの﹁ま
めだご﹂を作りたいというその意欲というか好奇⼼というか︑
じた︒
﹁まめだご﹂というのは︑熊本市の⻄部地⽅に伝わる郷⼟
郵便局を退職後︑ふるさとに伝わる伝承を若い世代に伝え
私はおもわず最敬礼をした︒
⻨粉と⼤⾖を混ぜて捏ね︑⼿のひら⼤にのばし熱湯でゆがけ
ようという﹁ふるさとボランティア﹂に加わり︑この春まで
料理のひとつで︑熊本では﹁ だんご﹂は﹁ だご﹂という︒⼩
ば出来上がりという簡単なもの︒村々のいろんな⾏事︑冠婚
めだご﹂はその唯⼀のものであった︒発⾜時は⼆⼗⼈いた会
三⼗年続けて来た︒早い話がこどもたちと﹁ ⽵とんぼ﹂を作
⼤⾖は畑の⾁と呼ばれ︑⾁⾷をしなかった時代の唯⼀の蛋
員も三⼗年もたつと⾼齢と病気で︑最後には六名のじいさん
葬祭︑ 農作業のときの﹁ こびる︵ おやつ︶
﹂ などなど︑ 何事
⽩源として重宝されたご先祖さまの⽣活の知恵なのだ︒とこ
とばあさんになってしまった︒満⾜な活動ができないと幕を
ったり﹁ 凧﹂を作ったり︑⼥性会員は郷⼟料理を⼿がけ﹁ ま
ろが新しいケーキやお菓⼦の氾濫で︑昨今はすっかり忘れら
おろしたが︑
﹁ まめだご﹂はふるさとボランティアの活動の
というときには必ず作られた郷⼟料理の雄である︒
れてしまった︒ふるさとを愛するご隠居さんは黙って⾒てお
れず私も﹁まめだご﹂の時には⼿伝った︒顔に⼩⻨粉の粉を
中ではダントツのものであった︒おばあさんばかりに任せら
しかし︑その投書は幾⽇も過ぎ︑もうボツになったと諦め
くっつけながらせっせとだんごを捏ねた︒だから私もひとと
れなくなったというわけだ︒
ていた⽮先なんと掲載されたのである︒ご隠居さんの作⽂も︑
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おりの﹁まめだご﹂作りをマスターした﹁まめだご先⽣﹂で
あった︒
私の好きなことばに
﹁ 歳を重ねただけで⼈は⽼いない︑夢を失ったときはじめて
⽼いる﹂
というのがある︒アメリカの詩⼈の﹁⻘春とは﹂という詩の
⼀節である︒九⼗⼋歳のおばあさんは︑いまも夢を失うこと
なく﹁まめだご﹂を作ってみたいという︑意欲まんまんでは
ないか︒負けてはならじである︒
折から知⼈が認知症になり︒施設で﹁おりがみ﹂をして楽
しんでいると聞いた私は︑かつて障害者の施設で喜ばれた⼈
気の﹁くまモン﹂の残っていた資料を提供したら喜んでもら
えた︒まだまだ役に⽴つことが出来ると私は気を新たにした︒
アメリカの詩⼈がいうように︑
﹁ 夢 を 失っ た と き は じ め て
⽼いる﹂である︒毒にも薬にもならないご隠居さんといって
のほほんとしていては余⽣が泣くだろう︒
﹁まめだご﹂は⼝にほおばると︑⼩⻨粉と⼤⾖の⻭あたり
が何とも⾔えない︒噛めば噛むほど味が出る︒
超⾼齢化社会の中に⽣きる私︑いま九⼗歳︑たとえ⼩さな
ことでもいい︑このとしよりに出来ることがあれば⼒の限り
挑戦したい︒
噛めば噛むほど味が出る﹁まめだご﹂のような︑そんなと
しよりでありたい︒
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