精進料理 精進料理(しょうじんりょうり)とは、仏教 の戒 れることがある* [1]* [2]。煩悩を刺激し⾷材のにお 律 に基づき殺⽣や煩悩への刺激を避けることを いも強いことから避けられる* [1]* [2]。ただし、⼭ 主眼として調理された料理。 椒、⽣姜、パクチー を含むこともあるなど、時代 や地域によって精進料理で禁忌とされる野菜類の ここでは、中国 において仏教 から成⽴した精進 範囲は異なっている* [1]。 料理と、韓国料理 や⽇本料理 の和⾷の⼀分野で ある精進料理について紹介する。 2 1 精進料理の特徴 概説 精進料理では避けるべきと考えられている⾷材が ⼤きく分けて 2 つあり、1 つは動物性の⾷材、も う 1 つは五葷(ごくん)と呼ばれるネギ属などに 分類される野菜である* [1]* [2]。ただし、五葷(ご ぐん)の扱いは時代や地域によって異なる* [1]。 ま ず、 第 ⼀ に 動 物 性 の ⾷ 材 は 禁 忌 と さ れ て い る* [1]。 仏教 の世界では戒律 によって在家 の信徒は「五 戒」で、僧 は「沙弥 の⼗戒」をはじめとして元か ら殺⽣ が禁じられており、⼤乗仏教 では『楞伽 経』を基に僧 の⾁⾷ も禁⽌されたため、僧 俗へ の供養 や布施 として野菜 や⾖ 類、穀類 を⼯夫し て調理される。 台湾での仏教徒の の料理 インド の初期仏教 においては、部派仏教 の律に よる⼗種⾁禁を除いた三種の浄⾁(⾒聞疑の三⾁ 精進料理の特徴は、野菜・⾖類など、植物性の⾷ とも。この場合は僧侶が、殺された現場を⾒なかっ 材を調理して⾷べることにある。サラダ のように た動物の⾁・僧侶本⼈のために殺されたと聞かな ⼀品の料理として野菜を⽣のまま⾷べるという概 かった動物の⾁・前記⼆つの疑いがない動物の⾁) 念が中国や⽇本の⾷⽂化に定着するまでは、野菜・ であれば⾷べることができ、釈迦 も乳糜(⽜乳 で ⾖類は基本的に加熱調理する必要があった。これ 作った粥)の布施を受けて⼤悟したなど、乳製品 らを使う精進料理は、あく抜きや⽔煮といった時 の摂取も禁⽌されていなかった。現在でも、タイ、 間と⼿間のかかる下処理を必要とすることが多い ミャンマー、カンボジア、ラオス といった上座部 のが、特徴のひとつである。これらの複雑な調理 (⼩乗)仏教 圏においては、僧侶が三種の浄⾁を 技術や使⽤する⾷材に対する概念は、多くの料理 ⼝にすることが認められているため、菜⾷を基本 ⼈や料理研究家に影響を与え、料理分野全体の⽔ とした精進料理は発達していない(精進料理とい 準向上に貢献してきた。 う概念そのものは存在する。タイのジェー等)。 また、精進料理は極めて単純な⾷材を、多くの制 これに対して⼤乗仏教 では、後に⾁⾷そのものが 約がある中で調理するため、さまざまな⼀次・⼆ 禁⽌されたため、中国、朝鮮、⽇本、ベトナムま 次加⼯が施されてきたことも特徴のひとつであ での⼤乗仏教⽂化圏では菜⾷料理が発達した。 る。例として、⼤⾖ は栄養価が⾼く、菜⾷で不⾜ しがちなタンパク質 を豊富に持つこともあり、精 なお、卵 や乳製品 などの扱いも時代や地域によっ 進料理に積極的に取り⼊れられたが、⽣⾷は困難 て異なる。 である。このため、⾵味を向上させ、⻑期保存し、 インド では、ヒンドゥー教 徒やジャイナ教 徒にも ⾷べる者を飽きさせないといった⽬的も含めて、 不殺⽣として菜⾷を習慣とする⼈がいるが、精進 ⾖豉、味噌、醤油、⾖乳、湯葉、⾖腐、油揚げ、納 料理は基本的に仏教と関係したものに限られる。 ⾖ などが⽣み出された、こうした技術は、精進料 第⼆に五葷(ネギ科ネギ属などに属するにんにく、 理を必要とする寺院と宮廷を含むその周辺の⼈々 ねぎ、にら、たまねぎ、らっきょう)は禁忌とさ によって、研究・開発され、蓄積されてきた。 1 2 3 中国の精進料理 また、特に中国、台湾、ベトナム に⾒られるもの としては、いわゆるもどき料理(中国語 で「仿葷 素菜」)と呼ばれるものがある。これは植物性原 料を⽤いて、動物性の料理に似せたものを作るこ とである。例えば、湯葉を加⼯して⽕腿(中国ハ ム)を作ったり、こんにゃく でイカ やエビ を形 取ったり、シイタケ や他のきのこ を⽤いてアワビ のスープ や炒め物に似せるといったものである。 精進料理は僧侶には必須の⾷事であり、⾷事もま た⾏のひとつとして重要視された。その⼀⽅で⺠ 間でも、冠婚葬祭やお盆等において、⼀般家庭や 料理屋でも作られるようになった。料理屋の精進 料理は、時としては仏教の⾷事に関する概念とは 対照的な美⾷ を⽬的として調製され、密かに動物 性の出汁を使っていることさえある。中国・台湾・ ⾹港・⽇本・朝鮮 等では精進料理を名物とするレ ストラン や料亭、料理屋が数多く存在し、特に台 湾の精進料理 は広く浸透している。また、シンガ ポール、マレーシア などにも仏教系の精進料理店 が少数存在する。 3 中国の精進料理 羅漢 と呼ばれる野菜の煮物 素鵝と呼ばれる⼤⾖の加⼯品の揚げ物 ⾹港太平清 と呼ばれる道教の祭事の精進料理 3.1 歴史 中国 では精進料理を「素菜」、「素⾷」などと呼ぶ。 中国の精進料理は後漢 時代(1 世紀)の仏教伝来 と同時に⽣まれた訳ではない。 まず、中国では、仏教伝来よりも 1000 年以上早 い殷(商) 代より、祭祀または重⼤な儀礼に際し、 神への畏敬の念を払う意味で、沐浴をし、⼀定期 間⾁⾷を断つ習慣があったとされる* [3]。また、1 ⽇と 15 ⽇には⾁を⾷べないという⾵習もあった。 記録に⾒られるものでは、周 代の儀礼についてま とめた『礼記』「⽟藻」には「⼦卯稷⾷菜羹」(⼦ と卯の⽉ にはウルチアワ を⾷べ、野菜のあつも の を飲む)とあり、『礼記』「⼤喪記」には「期終 喪,不⾷⾁,不飲酒」(期、喪を終えるに、⾁を⾷ べず、酒を飲まず)、『周礼』「天官冢宰」には「⼤ 喪則不舉,⼤荒則不舉」(葬礼時、凶作時は⾁⾷な ど贅沢をしない。)という⽂章がある。これらは常 時の⾷習慣ではないが、斎 ⾷、斎戒の⾵習や、意 図的に⾁類を使わない料理を作ることがあった事 実が分かる。 後漢の明帝 時代に伝えられた、インドの仏教 で は、托鉢 によってのみ⾷べ物を得ることを求めて いたため、当時は三種の浄⾁ であれば⾷べた。ま た、⾷事は午前中に限って⾏うことが求められ、 最終的に植物 を傷めることになる農耕 は禁じら れていた。漢に招かれた僧侶も、当初は国王など 有⼒者の⽀援で、この様な戒律に従って⾷べるこ とができたが、農耕社会 である中国で、托鉢はな かなか受け⼊れられず、有⼒者の⽀援を得られな くなると、僧侶たち⾃らが⼭野で⼭菜などの採集 をしたり、農耕を始めざるを得なくなった。同時 に殺⽣を戒める⽴場から、⾁を⾷べることは⼤乗 慈悲に反する* [4] と考えた。殺⽣の戒めは中国に あった儒教 の「仁」の考えとも通じるものがあり、 広く受け⼊れられた。同時にこの時代は⻄域 か ら新しい野菜やウリ 類が導⼊され⽣産量が増え たとともに、⽯⾅ が普及し、⼩⻨粉、⼤⾖、植物 油 などが利⽤できるようになった* [5] ため、醤油、 ⾖豉 などの加⼯品を含め、植物性のものだけを⾷ べても必要な栄養や⾵味を確保できる条件が整っ 3.3 材料、調理法 た。 南北朝時代 になると、仏教徒も増え、精進料理も 普及してきた。梁 では、熱⼼な仏教徒であった武 帝蕭衍 が、511 年 に僧侶 を集めて作成した『断酒 ⾁⽂』を出し、僧侶に⾁⾷、酒を断つことを指⽰ した結果、菜⾷が定着した。北魏 の賈思勰 が549 年 までに著した『⻫⺠要術』にも「素⾷」という 項⽬に精進料理 31 種が記載されている。 3 仏教寺院や道教廟観 で出されるもの。僧侶、道⼠ が作り、⾃⾝が⽇常⾷べる質素なものと、専⾨の 料理⼈が作る法事、接客⽤の特別なものがある。 殺⽣をしないこと、禁葷⾷ が基本であり、ショウ ガ も⽤いないことが多い。道観では道教 の養⽣論 により⾷材や⽣薬が選ばれる点で違いがあり、仏 教素菜と分けて考える場合もある。 宮廷素菜 唐代 には禅宗 が信者を増やし、勢⼒を拡⼤した が、逆に戒律を守らない僧が出るなど、乱れも⾒ られた。このため、百丈懐海 が『百丈清規』を定 唐から清の宮廷内で出されたもの。専⾨の料理⼈ め、インド仏教の戒律を基礎に、中国の地理、⾵ が作り、清 代には皇帝、皇后などが敬虔な信者と ⼟に合った、農耕、勤労を求める戒律を整備した。 なり、特別に「素局」という部⾨を設置し、寺観 また、植物でも臭い が強いものは修⾏に影響を与 素菜と同じ基準で作られた時期もある。また、皇 えることを嫌い、禁葷⾷ とした。こうした禁葷⾷ 帝によっては、単なる気分転換に⾷べられた場合 は、中国独⾃の宗教である道教 にも影響を与え、 もある。また、健康維持の薬膳として⾷べる場合 宗派にもよるが、同様の基準で制限が⾏われるこ は、栄養、効⽤重視で作られ、庶⺠が⼿に⼊れら とが主となった。他⽅で、チベット仏教 の寺院で れない⽣薬を使うこともあった。 は禁葷⾷の考えはなく、偶蹄類 の⾁や乳製品 を ⾷べるが、⾺ や鶏 や⽔中⽣物は⾷べないなど独 市肆素菜 ⾃の禁忌 がある。 隋 代において、施主をもてなすために作られた精 いわゆる「素菜館」、「素⾷処」、「素飯館」、「蔬菜 進料理は、キノコ や野菜を煮た「羹」と呼ばれる 館」など、市中の精進料理店で出されるもので、料 とろみのあるスープが主で、これに茶請け の菓⼦ 理⼈が作る。宋代に宮廷料理⼈出⾝者などにより (点⼼)を添える程度であったが、唐 代には徐々に 出現したが、味や⾒た⽬を重視するため、⼿間を ⼭菜や野菜に⼿間をかけて出すようになった。ま かけたり、材料を吟味した料理が多く、素材は野 た、宮廷で皇帝のために豪華なものを作ることも 菜やきのこであっても、⾁、⿂、エビなどの出汁 などの動物性油脂を使うことがよく あり、⾁⾷に似せたもどき料理も考案された。宋 や酒、ラード * ある [8]。また、鶏卵 や冬⾍夏草 の使⽤も⾏われ 代には調理⽅法や料理の種類もさらに豊富にな る。 り、市中に精進料理専⾨店も現れた。清代 は精進 料理の最盛期となり、さまざまなもどき料理の出 来を競うようになった。当時の『随園⾷単』や『調 ⿍集』にも「素焼鵝」などの精進料理が載せられ ている他、薛宝⾠の『素⾷説略』のような専⾨書 も著された* [6]。⼀⽅で、味を競った結果、動物性 の出汁を使う例も⽣まれた。 民間素菜 ⺠間の家庭で出されるもの。野菜を煮たり炒めた だけの簡単で質素なものが多い。仏教、道教の信 者が常時⾷べるものと、季節的健康維持などの理 中華⼈⺠共和国 成⽴後、⽂化⼤⾰命 などの宗教 由で短期間限定で⾷べるものがある。例えば、清の 迫害によって、寺院、道観 で豪華な精進料理は作 袁景潤の『呉郡歳華記麗』に記述があるように蘇 れなくなった時期もあるが、現在は、⼤規模な寺 州*など華南では旧暦6 ⽉ を斎⽉とする習慣があっ 院や道観の多くで、信徒や観光客向けの精進料理 た [9]。 が供されている。簡単なものでは、きのこそばの 様な麺類 と饅頭 程度のすぐに⾷べられるものか 3.3 材料、調理法 ら、数⽇前に予約が必要な凝った宴会料理まであ る。宴会料理が⾷べられることで著名な寺院、道 野菜、きのこ、⾖腐、麩、蒟蒻 など、⽇本と共通 観の例をいくつか挙げると、五台⼭、上海 の⽟仏 する素材の他、⽇本ではあまり使われていないも 寺、武漢 の帰元寺 や⻑春観、アモイ の南普陀寺、 のとして、緑⾖、念珠藻(「髪菜」)、⿊慈姑(「 ⾹港 の寶蓮寺 などがある。他に⼤都市には精進 薺」 ) 、ワスレグサ の蕾(「⾦針菜」)、棗(つぶして 料理専⾨のレストランがある。 餡にする)などがあり、⾹⾟料では華北⼭椒(「花 椒」 ) 、⼩茴⾹、トウシキミ(⼤茴⾹、「⼋⾓」)な どがある。 3.2 種類 また、出汁は⼤⾖もやし、ニンジン、広東セロリ、 中国における精進料理は、供される場所により次 ⼤根、シイタケ の⽯突き(軸)を使うもの、シイ の 4 つに分けることができ* [7]、使う素材や調理 タケの⽯突きに少量ソラマメ を加えるもの、⼤⾖ ⽅法などの内容に違いがある。 もやし、サトウキビに少量ナツメ とシイタケを加 えるもの、⽩菜 の葉、⼤⾖もやし、ニンジンの⽪、 寺観素菜 ⼤根の⽪、広東セロリを使うものなどがある。⽇ 4 朝鮮半島の精進料理 4 本の精進料理でよく使う昆布 などの海草、特に出 汁⽤のものは、中国では使⽤は限られ、⾵味が異 なる。 調理法では煮物、蒸し物 のほかに、揚げ物、炒め 物 が多⽤され、さらに揚げてから煮たり、揚げて から蒸すなどの複合した調理法を⽤いる場合が多 いなどの違いがあるが、普茶料理 ではこれらの調 理法も取り⼊れている。 4 朝鮮半島の精進料理 参を⾏う秋⼣の供物松餅 て、菜⾷を⾷べることを求めた。10 世紀の⾼麗 時 代には仏教寺院を中⼼に喫茶の習慣が広がり、供 物としての油蜜菓(ユミルグワ 유밀과)と呼ばれ るごま油を使った菓⼦ が考案され、製麺や味噌の 醸造も⾏われるようになった* [11] ソウルの精進料理店の料理例 その後、1231 年 に蒙古 の侵⼊、⽀配を受けて⾁⾷ が再び広まり、さらに1382 年 に李⽒朝鮮 が権⼒ を握ると、仏教を廃し儒教 を奨励したため、⾁を ⾷べない菜⾷は基本的に姿を消した。しかし、秋 ⼣ に⾷べる松餅(ソンピョン 송편)など、⾏事⾷ の⼀部などとして残ったものもある。1910 年 に ⽇本に併合 された後、仏教寺院が復活すると、⾁ を⾷べない菜⾷も仏教徒に⾷べられるようになっ た。1980 年代 に⽇本の精進料理を模倣する形で 初めて「精進料理」と名を変え、精進料理専⾨店 がソウル 市内にできると注⽬されるようになり、 伝統⽂化の⾒直しと健康志向から近年は⾃宅でも 精進料理を好んで⾷べる⼈がでてきている* [12]。 4.2 寺院の喫茶で供された油蜜菓 4.1 歴史 朝鮮半島 への仏教 伝来は4 世紀* [10] であり、中国 では五胡⼗六国時代、南北朝時代 に当たるが、す でに僧侶による農耕や菜⾷に移⾏する段階であっ たため、菜⾷(朝鮮語 チェーシク 채식)、素⾷(ソ シク 소식)も仏教とほぼ同時に伝えられたと考 えられる。統⼀新羅 時代に唐から伝えられた禅宗 は、禁葷⾷ であり、仏教と切り離せない修⾏の⽅ 法の⼀つとして料理も伝えられた。新羅は528 年 に仏教を国教とし、翌529 年 に殺⽣禁⽌令を出し 特徴 朝鮮半島においても、精進料理は供される場所に より、寺院、宮廷、市中の料理店、家庭の 4 つに 分けることができる。特に、⾼麗時代の宮廷にお いては道教の養⽣論や朝鮮⼈参 などの韓薬 も取 り⼊れて、独特の精進料理が考案されたため、中 国と異なる⾵味、⼿法のものも多く存在する。⼀ ⽅で、中国同様のもどき料理を作る⼿法は取り⼊ れられ、改良されて、フェ(刺⾝)に似せたもの などの独特のものも作られている。 現在の韓国の精進料理は、韓国料理 で多⽤され るトウガラシ、チシャ、エゴマ などの⾷材を取り ⼊れており、チャンアチ(장아찌)と呼ばれる醤油 漬けなどは中国や⽇本の精進料理とは異なる⾵味 を持つ。調理法ではナムル、コチュジャン 和えな どの和え物とおひたしが⽬⽴ち、近年は葉野菜を ⽣で⾷べる事がある点は中国や⽇本と異なる。中 国では⽤いられる頻度の少ない昆布 や海苔 など の海藻や⼤⾖味噌も⽇本同様に取り⼊れている。 炒め物もある点は中国と共通する。 5.2 現 5 日本の精進料理 天⿓寺 の客膳の精進料理の例 5 しっかりとしており、⾝体を酷使して塩分を欲す る武⼠や庶⺠にも満⾜のいく濃度の味付けがなさ れていた。味噌やすり鉢 といった調味料や調理器 具、あるいは根菜類の煮しめといった調理技法は、 ⽇本料理そのものに取り⼊れられることになる。 また、⾖腐、氷(⾼野)⾖腐(凍⾖腐)、コンニャ ク、浜納⾖(塩⾟納⾖ともいう)、ひじき といった ⾷材も、精進料理の必須材料として持ち込まれた と考えられる。 禅宗のうち曹洞宗 では、開祖の道元 禅師が宋に仏 教 を学びに渡った時、阿育王⼭ の⽼典座 との出 会いから、料理を含めて⽇常の⾏いそれ⾃体がす でに仏道 の実践であるという弁道修⾏ の本質を 知ったことから、料理すること、⾷事を取ること は特に重要視されている。道元が帰国後書いたの が、 『典座教訓』(てんぞきょうくん)と『赴粥飯 法』(ふしゅくはんぽう)で、ここから永平寺 流 の精進料理が⽣まれたという。永平寺では料理を ⽀度することが重要な修⾏のひとつであり、庫院 (調理場)の責任者である典座は、重役の⼀員に数 えられている。 江⼾時代には、料理屋でも寺院の下請けで仕出し たり、仏教活動とは無関係に⽂⼈墨客向けに調製 することが多くなっていた。京都⼤徳寺 の精進料 理は前者、⾶騨⾼⼭ の精進料理は後者の典型的な ケースであり、いずれも分離していった懐⽯料理 の⼿法を再び取り⼊れたりして、寺院のそれとは やや異なる⾵雅なものを⽣み出している。 精進料理の例 ⿓安寺 の湯⾖腐の精進料理の例 5.1 歴史 鎌倉時代以降の禅宗 の流⼊は、特に精進料理の発 達に寄与した。平安時代までの⽇本料理は⿂⿃を ⽤いる反⾯、味が薄く調理後に調味料 を⽤いて各 ⾃調製するなど、未発達な部分も多かった。それ に⽐べて禅宗の精進料理は、菜⾷であるが、味が 精進料理はすでに記してきた通り、⽇本料理にも 影響を与えて成⻑を促してきた。永平寺式の精進 料理は、室町時代から江⼾時代前期にかけて普及 した本膳料理 に通じる。また、懐⽯料理 は精進 料理から派⽣したものである。現在でこそ、(同 ⾳異義の会席料理 との混同もあり)豪華なものと なっているが、当初は質素で季節の味を盛り込ん だものであり、精進料理の精神が活かされたもの であった。普茶料理は、中国料理の調理法が⽇本 ⾵にアレンジされながらも伝来し、けんちん汁、 のっぺい汁、葛粉を利⽤した煮物や炒め物、揚げ 煮といった料理や調理法が普及した。これら以外 としては、点⼼ の⾵習がある。これは室町時代に 中国から伝わった⾵習で、軽⾷として饅頭・⽺羹・ うどん・素麺 などが供された。当初は公家 や武⼠ が中⼼だったこの⾵習は、やがて庶⺠にも広がり、 現在の昼⾷につながっていった。 野菜を使⽤する天ぷら は「精進揚げ」などとも呼 ぶ* [13]* [14](精進上げ とは異なる* [15])。 5.2 現状 寺院仏閣の中には、参拝者を宿坊 に泊め、精進料 理を提供して仏⾨の修⾏の⼀端を体験させること をしているところも少なくない。参詣参篭 が信仰 の重要な⼀部となる天台宗・真⾔宗 系の寺院に多 い。 6 8 注 また、宿坊においては、料理と宿泊だけの提供も ある。⻑野県の善光寺 には、参拝客を宿泊させる 宿坊が数多く存在し、⼣⾷に精進料理を供するこ とが多い。出される精進料理は、本膳式の本格的 なものから、懐⽯料理⾵の現代的なタイプのもの までさまざまである。 ⼀⽅、京都の寺院では、特に賓客⽤の精進料理を 料理屋に⼀任したことが多かったため、寺院より も周辺の料理屋に⾼度な精進料理が存在すること が多い。⼤徳寺 や妙⼼寺 の周辺には精進料理専 ⾨の⽼舗の料理屋がある。 これは普茶料理 でも同様であり、⻩檗宗の総本⼭ である萬福寺 周辺には、普茶料理を⾷べさせる料 天⿓寺の精進料理 理屋が多い。普茶料理には、料理屋で作られる独 ⾃のスタイルを⽌めて懐⽯料理 ⾵に仕⽴てた限 • 壺(しめじと⻘菜のおひたし) りなく⽇本料理に近いタイプのものから、⻑崎の • ⾹の物 禅寺で作られる原点に近く、時としては現代の素 菜を取り⼊れた中国料理に限りなく近いもの(⻑ 崎の禅寺の檀家には華僑 が多く、お盆などでは 中国や台湾からの来訪者も多いためとも考えられ 6 東南アジアの精進料理 る)まで幅広く存在する。 華僑、華⼈ と呼ばれる中国系の住⺠が多い、シ ンガポール、マレーシア、インドネシア などにも 5.3 ベジタリアン料理としての現代の精 中国の様式をもつ仏教寺院や道観が少なからずあ 進料理 り、僧侶、道⼠や信徒は中国の精進料理に準じた 料理を⽇常的に、あるいは機会毎に⾷べ、精進料 海外からの外国⼈観光客や⽇本に滞在する外国⼈ 理専⾨の料理店も少数存在している。ココナッツ の中にはヴィーガン やベジタリアン も多いが、精 ミルク など、東アジアの精進料理では余り⽤いな 進料理は⽇本では⾼価な料理であることが多いこ い調味料も加えられる場合がある。 と、⼀般の⽇本料理では⾁や⿂が使⽤されていな いように⾒えても、出汁に動物性材料を使ってい ⼤乗仏教圏であるベトナム では、毎⽉旧暦の 1 ⽇ ることがあることなどから、ベジタリアン向けの、 と 15 ⽇に「チャイ(越:chay /斎)」と呼ばれる * より気軽に低価格で毎⽇楽しめる精進料理も⽣ま 精進料理を⾷べる⾵習が広く⾏われている [16]。 れてきている。しかしこれらは、精進料理という 名前こそ付いてはいるが仏教的な意味は薄れてし 7 代表的な食材 まっている。 また近年ではアメリカ を中⼼にグルテン の摂取 を控えるブームがあり、それに対応して麸 を使わ ないなど、グルテンフリーを謳った精進料理も⾒ られる。 5.4 献立の例 右図は京都にある臨済宗 の禅寺・天⿓寺 の精進 料理である。朱塗りの折敷は、臨済宗天⿓寺派に おいて、来客をもてなす際の正式のものである。 • ⾖腐 • がんもどき 8 脚注 [1]“精進料理で「にんにく」を使ってはいけない理由” . NHK テキスト view(NHK 出版). 2015 年 7 ⽉ 31 ⽇閲覧。 [2] ⻘江覚峰『お寺ごはん』、2 ⾴。 • 御飯 • 汁(⽩味噌) • 平(湯葉、麩、椎茸の炊き合わせ) • ⽊⽫(胡⿇⾖腐) • ⽊⽫(紅葉麩、こんにゃく、栗、ごぼうなど の盛り合わせ) [3] 許先、「緑⾊之精霊―中国素⾷⽂化史簡述」『⾷品 与健康』2008 年第 4 期 pp4 〜 6、天津市科技期刊 編輯学会、天津 [4]『⼤般涅槃経』に「⾷⾁者,断⼤慈悲種」(⾁を⾷べ る者、⼤慈悲の種を断つ) とある。 [5] 許先、「緑⾊之精霊―中国素⾷⽂化史簡述」『⾷品 与健康』2008 年第 4 期 pp4 〜 6、天津市科技期刊 編輯学会、天津 7 [6] 邱龐同「清代素菜」 『烹調知識』2002 年第 1 期 pp36 〜 38、太原市商業経済学会、太原 [7] 賀習耀、「素⾷園奇葩:寺観菜」『餐飲世界』2007 年第 4 期、中国烹飪協会、北京 [8] 趙英伝、「⺠間仿葷素菜」『四川烹飪』2005 年第 9 期 pp38 〜 39、成都 [9] 邱龐同「清代素菜」 『烹調知識』2002 年第 1 期 pp36 〜 38、太原市商業経済学会、太原 [10] ⾼句麗 は372 年、百済 は382 年 に仏教を国教とし た。 [11] 鄭⼤聲、「朝鮮の⾷⽂化の変遷とその特徴」『朝⽇ カルチャーブックスアジアの⾷⽂化』 、 pp83-85、 1985 年、⼤阪書籍、⼤阪、ISBN 4-7548-1052-X [12] 法⻑、静⼭⾦演植、 『⾝体と⼼を清める韓国名刹と 精進料理の旅』p4、ソウルセレクション、2009 年、 ソウル [13] 精進揚げは⾁・⿂介を⽤いない、⽔か昆布だしで といた⼩⻨粉で⾐を作り、野菜類だけを揚げたも の。 [14] [15] 精進揚げ [16] ベトナムの精進料理に迫る!ホーチミン市でアン チャイしよう。 9 関連項目 • 禁葷⾷ • ベジタリアニズム(菜⾷主義) • 台湾素⾷(台湾) • 普茶料理(中国) 10 外部リンク • 禅僧の台所〜オトナの精進料理 - 曹洞宗の精 進料理のレシピと情報 • 精進料理の歴史 11 ⽂章および 8 の出典、投稿者、ライセンス 11 文章および画像の出典、投稿者、ライセンス 11.1 文章 • 精 進 料 理 出 典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E9%80%B2%E6%96%99%E7%90%86?oldid=58080696 投 稿 者: Mishika、Johncapistrano、Corwin、らりた、Urania、Hotei、Charenji、ぎゅうひ、Roger~jawiki、Saniboh、Aney、Izayohi、Kstigarbha、 Muyo、梅の⾥、Kumatora、YurikBot、663highland、⽔野⽩楓、橄欖岩、Tonbi ko、Hhaithait、Law soma、M-ogino、浩、Takoradee、 CommonsDelinker、555accele、Rienzi、1029man、Rosso P enCycle、RJANKA、海獺、Eritan 117、Resto1578、Zaikekoji、Point136、 チンドレ・マンドレ、LucienBOT、Hnhn、Zenryushoyo、Yaiza、Hakuunan、Jazzzen、Nonparametric、Cool-J、999-j-web、MerlIwBot、 丹の字、こちぴかり、Fukafuka777、Addbot、BMKYO、Matcya と匿名: 52 11.2 画像 • ファイル:Boeddha's_Delight.jpg 出典: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/ce/Boeddha%27s_Delight.jpg ライセン ス: CC BY-SA 2.0 投稿者: Boeddha's Delight 原著者: FotoosVanRobin from Netherlands • ファ イ ル:Chinese-buddhist-cuisine-taiwan-1.jpg 出 典: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2d/ Chinese-buddhist-cuisine-taiwan-1.jpg ラ イ セ ン ス: CC-BY-SA-3.0 投 稿 者: 投 稿 者 ⾃ ⾝ に よ る 作 品 (Pratyeka) 原 著 者: 英 語版ウィキペディア のPratyeka さん • ファイル:ChineseDishLogo.png 出典: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8d/ChineseDishLogo.png ライセンス: CC-BY-SA-3.0 投稿者: Original photo by Theodoranian on zh.wikipedia. 原著者: Modiified by zh:User:mikepanhu • ファイル:Commons-logo.svg 出典: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4a/Commons-logo.svg ライセンス: Public domain 投稿者: This version created by Pumbaa, using a proper partial circle and SVG geometry features. (Former versions used to be slightly warped.) 原著者: SVG version was created by User:Grunt and cleaned up by 3247, based on the earlier PNG version, created by Reidab. • ファイル:Dharma_Wheel.svg 出典: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/df/Dharma_Wheel.svg ライセンス: CCBY-SA-3.0 投稿者: 投稿者⾃⾝による作品 原著者: Shazz, Esteban.barahona • ファ イ ル:Dharma_wheel_1.png 出 典: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3e/Dharma_wheel_1.png ラ イ セ ン ス: GPL 投稿者: ? 原著者: ? • ファ イ ル:HK_Vegetarian_Poonchoi.JPG 出 典: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/04/HK_Vegetarian_Poonchoi. JPG ライセンス: CC BY-SA 3.0 投稿者: 投稿者⾃⾝による作品 原著者: Chong Fat • ファイル:Japanese_temple_vegetarian_dinner.jpg 出典: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9b/Japanese_temple_ vegetarian_dinner.jpg ライセンス: CC BY-SA 3.0 投稿者: ? 原著者: ? • ファ イ ル:KOCIS_Han-style_exhibition_2011_(5753820716).jpg 出 典: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/09/ KOCIS_Han-style_exhibition_2011_%285753820716%29.jpg ライセンス: CC BY-SA 2.0 投稿者: Han-style exhibition 2011 原著 者: Korea.net / Korean Culture and Information Service • ファイ ル:Korean.desserts-Yugwa-01.jpg 出典: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bc/Korean.desserts-Yugwa-01. jpg ライセンス: CC BY-SA 2.0 投稿者: http://flickr.com/photos/abex/337818390/ 原著者: abex • ファイル:Korean_vegetarian_dishes.jpg 出典: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/ee/Korean_vegetarian_dishes.jpg ライセンス: CC BY-SA 3.0 投稿者: 投稿者⾃⾝による作品 (Original text: selfmade) 原著者: Hhaithait • ファイル:Question_book-4.svg 出典: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/64/Question_book-4.svg ライセンス: CCBY-SA-3.0 投稿者: Created from scratch in Adobe Illustrator. Originally based on Image:Question book.png created by User:Equazcion. 原著者: Tkgd2007 • ファイル:Shojin_ryori_ryuanji.jpg 出典: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/79/Shojin_ryori_ryuanji.jpg ライセン ス: Public domain 投稿者: 投稿者⾃⾝による作品 原著者: Ph0kin • ファイル:Tenryuji_Kyoto21s4592.jpg 出典: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/98/Tenryuji_Kyoto21s4592.jpg ラ イセンス: CC BY 2.5 投稿者: 663highland 原著者: 663highland • ファイル:Tenryuji_Kyoto23s4592.jpg 出典: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/ce/Tenryuji_Kyoto23s4592.jpg ラ イセンス: CC BY 2.5 投稿者: 663highland 原著者: 663highland • ファイル:VegetarianGoose.jpg 出典: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/93/VegetarianGoose.jpg ライセンス: CC BY 2.0 投稿者: Vegetarian goose wrapped in tofu skin 原著者: sunday driver 11.3 ライセンス • Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0
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