モンゴルにおける阿弥陀仏の信仰 嘉 木 揚 凱 朝

印 度 學 佛 教 學 研 究 第51巻
第1号
平 成14年12月
(243)
モ ンゴル にお け る阿 弥 陀 仏 の信 仰
嘉 木 揚 凱 朝
は じめ に
モ ン ゴ ル の 地 で は,古
くか ら 阿 弥 陀 仏 が 信 仰 さ れ て き た.モ
仏 を 信 仰 し供 養 す る 理 由 は,阿
弥 陀 仏 は,モ
ぼ す こ とが げ き る 仏 で き る と,強
ン ゴ ル 人 に と っ て,人
間 の 寿 命 を延
く信 じ られ て い る か ら で あ る.モ
ン ゴル 仏 教 徒
は,阿
弥 陀 仏 を モ ン ゴ ル 語 で ナ ス ン ノ ボ(Nasun-un
て,毎
年,僧
侶 を 自 宅 に 招 き,自
ン ゴル 人 が 阿 弥 陀
Burqan寿
命 の仏)と
分 の 父 母 の 延 命 長 寿 の た め に,密
教 の
仏 潅 頂 』(tShe chpg hdpd hgjo dbann gi rgyal po shes bya ba bshugs so)1)と
よ る 法 要 を 依 頼 す る 習 慣 が,今
弥 陀 仏 を,永
こ ろ が,西
質 的 に は 永 遠 の 理 法 で あ り な が ら,永
天
遠の理
格 化 し て 示 し た も の と考
遠 の 生 命 に 生 き る ナ ス ン ノ ボ ル ハ ン ・寿 命 の 仏 で あ る
と し て 信 仰 して 炉 る の が,モ
は,チ
い う経 典 な ど に
滅 の 法 を 残 し た.と
れ わ れ が 直 接 肌 で 経 験 で き る ほ ど具 体 化 し,人
え ら れ る2).阿
『阿 弥 陀
弥 陀 仏 は 永 遠 の 生 命 を も っ 仏 で あ る.歴
で 入 滅 さ れ た が,不
の 極 楽 浄 土 に お わ す 阿 弥 陀 仏 は,本
法 を,わ
し
日 で も 広 く行 な わ れ て い る.
大 乗 仏 教 経 典 で は,『 法 華 経 』 で も,阿
史 上 の 仏 陀 ・釈 尊 は,80歳
呼 ぶ.そ
ン ゴ ル 仏 教 徒 の 宗 教 意 識 で あ る.こ
の論 文 にお い て
ベ ッ ト語 の 『聖 普 賢 菩 薩 行 願 王 経 』(hPags pa bzang po spyod pai smon lam hyi rgyal
po)3)と
『蒙 古 仏 教 源 流 』(Hor gyi chos hbyun bshugs so)4)の,二
る 阿 弥 陀 仏 に 関 す る 記 述 を 取 り上 げて 考 究 す る.ま
身 の 三 身 の 典 拠 を 追 究 し な が ら,チ
る パ ン チ ェ ン ・ラ マ が,阿
1.『
文 献 に記 載 され て い
た 阿 弥 陀 仏 の 法 身 ・補 身 ・化
ベ ッ ト人 が 信 仰 し,モ
ン ゴ ル 人 も信 仰 し て い
弥 陀 仏 の 化 身 と さ れ る 由 縁 を 明 ら か に す る.
聖 普 賢 菩 薩 行 願 王 経 』 に 見 られ る 阿 弥 陀 仏 信 仰
チ ベ ッ ト語
『聖 普 賢 菩 薩 行 願 王 経 』 で は,修
行 を 実 践 す る こ と に よ っ て,阿
さ れ て い る.阿
行 者 は,普
賢 菩 薩 の本 願 に よ る修
弥 陀 仏 の 法 身 の 大 日如 来 に 親 見 す る こ と が き る と
弥 陀 仏 の 法 身 の 大 日 如 来 が,現
282
わ れ て 修 行 者 に 授 記 し,そ
して,
(244)
モ ン ゴ ル に お け る阿 弥 陀 仏 の 信 仰(嘉
木 揚)
阿弥 陀仏 の化 身 で あ る無 量 光 仏 の極 楽 浄 土 に往 生 す る こ とが で き る と説 か れ て い
る.先 ず チ ベ ッ ト語 『聖 普 賢 菩 薩 行 願 王 経 』5)を揚 げ,湯 鄭 銘 氏 の チ ベ ッ ト語 か ら
漢 訳 した 『聖 普 賢 菩 薩 行 願 王 経 』6)を 対 照 した.日 本 語 訳 は チ ベ ッ ト原 文 か ら の
拙 訳 で あ る.
Gan
gis bzan
spyod
smon
lam hdi btab phs//des
pho nian pa yin // snap ba mthah
ni nan son thas cad spans
yas de yali des myur
(諸有 発 此 賢 行 願,彼 能 遠 離 諸 悪 趣;彼
mthon
bar hgyur//
des ni grogs
//
亦遠 離 諸 悪 友,彼 速 親 観 無 量 光.)
だ れ か が 普 賢 菩 薩 の この十 大 願 え願 え ば,そ れ に よ っ て よ く苦 しみ の生 存 の 世 界 を 解 説
す る こ とが で き る.そ れ に よ って 全 て の悪 友 か ら遠 く離 れ る こ とが で き る か ら,「 阿 弥 陀
仏 の 法 身 で あ る」 大 日如 来 も速 や か に か れ を現 見 す る.
bDag
ni hchi bahi dus byed gyur
mthah
yas de mthon
pa na // sgrib pa thabs
cad dag ni phyir bsal to //mnon
sum snap
bt,
nas // bte ba can gyi shin der rab to hgro //
(願我 臨 欲 命 終 時,普 能 掃 除 一 切 障;親
私 の命 が 終 りに 近 づ い た 時
覩 如 来 無 量 光,即 得 往 生極 楽 刹.)
〔
十大 願 修 行 の福 果 と して 〕 一 切 の煩 悩 を 取 り除 け ぼ,目
の1に 阿 弥 陀 仏 の 無 量 の光 を親 見 し,直 ち に安 楽 な浄 土 に よ く往 生 す る こ とが で き る.
rGya
bahi dkyil hkhor
h yas rgyal
bzan shin dgah
ba der // padmo
bas mrnon sum du // lun bstan
pa yarn bdag
(彼仏 中 囲 賢 調 悦,我 従 瑞 厳 妙 蓮 生;親
dam pa sin to mdses
gis der thob
las sgyes // snail bamtha
sog /
覩如 来 無 量 光,我 於 其 中得 記 別.)
そ して,か れ 〔阿弥 陀〕 仏 の おわ す 極 楽 浄 土 は,美 し く,楽 しい.私 は運 華 か ら生 ま れ
る.「 阿弥 陀 仏 で あ る法 身 の」 大 日如 来 が,私 を現 見 す る.そ れ に よ っ て私 は授 記 を得 る.
bZan
po spyod
pahi
smon lam
sdug bsnl chu bor byin ba rnams
bsnos
pa yi // bsod nams
// hod dpag
(以此 賢 行願 廻 向,所 護 福 徳 勝 無 邊;沈
dan pa mthah
med pahi gnas rab thobpar
yas gan thob
des // hgro
ba
sog /
溺 苦 海 諸 有 情,往 生 無 量光 仏 刹.)
そ して,普 賢 菩 薩 の勝 れ た 〔
十 大 〕願 を廻 向 す る.得 た聖 な る福 徳 は数 え らな い ほ どで
あ る.苦 海 に沈 溺 して苦 しん で い る衆 生 も,福 徳 に よ っ て 〔
阿 弥 陀 仏 の 化 身 で あ る〕無 量
光仏の浄土で ある 〔
極 楽 世 界 〕 に往 生 す る こ とを願 い た て まつ る.
以 上 の 四 つ の 偶 は,チ
称 讃 し た 偶 で あ る.第
即 ち,阿
『聖 普 賢 菩 薩 行 願 王 経 』 の 中 で,阿
一 と第 二 と 第 三 の 三 偶 が,ナ
ン ワ ン タ ヤ エ(sNan
弥 陀仏 を
ba btha yas)
弥 陀 仏 の 法 身 で あ る大 日如 来 を 称 讃 し た 偶 で あ る.最 後 の 第 四 の 一 偶 が,
オ ドパ ク メ ド(Hob
で あ る.チ
ぼ,パ
ベ ッ ト語 訳
dphagmed)即
ち,阿
弥 陀 仏 の化 身 で あ る無 量 光 仏 を称 讃 した偶
ベ ッ ト語 で は,「 無 量 光 仏 」 の 呼 称 が,随
ン チ ェ ン ・ラ マ は 阿 弥 陀 仏 の 化 身 と さ れ る.チ
所 に 用 い ら れ て い る.例
ベ ッ ト人 や モ ン ゴ ル 人 は 皆,
パ ン チ ェ ン ・ラ マ を 阿 弥 陀 仏 即 ち 無 量 光 仏 の 化 身 で あ る と尊 敬 し て い る .
281
え
モ ン ゴ ル に お け る 阿 弥 陀 仏 の信 仰(嘉
木 揚)
以 上,『 聖 普 賢 菩 薩 行 願 王 経 』 に 見 られ る こ の 説 教 は,顕
チ ベ ッ ト仏 教 と モ ン ゴ ル 仏 教 との,密
考 え ら れ る.こ
(245)
教 と密 教 を 兼 ね 具 え た
教 の面 に共 通 した 特徴 的 な修 行 法 で あ る と
の よ う な 利 益 の 功 徳 を 説 く 『聖 普 賢 菩 薩 行 願 王 経 』 は,モ
ンゴ ル
仏 教 で は,す べ て の 寺 院 の 朝 の 勤 め で 読 誦 さ れ て い る.モ ン ゴ ル 仏 教 の 僧 侶 に と っ
て は,こ
が,成
の 経 典 を 暗 記 し毎 日 唱 え 続 け れ,一
生 涯 絶 え る こ とな く唱 え 続 け る こ と
仏 に 向 か う大 切 な 修 行 法 と さ れ る.
2.阿
弥 陀 仏 の 化 身 で あ る パ ン チ エ ン ・ラ マ の 由 縁
1645年,モ
ン ゴ ル の グ シ ・バ ー ン(Gu
を 征 服 し た.当
siHan固 始 汗1582-1654)は,チ
時 の チ ベ ッ ト仏 教 の ゲ ル ク 派 の 代 表 者 で あ り,グ
力 を 惜 し ま な か っ た ロ サ ン チ ヨ グ ル エ ン ・ラ マ(bLo
却 吉 堅讃1567-1662)に,班
禅 博 克 多(Pan
ベ ッ ト全 土
シ ・ハ ー ン に 協
bzan chos kyahi rgyal mtshan羅 桑
chen bogda)の
聖 号 を 贈 っ た.班
禅 は,サ
ン ス ク リ ッ ト語 で 大 学 者 を 意 味 す る .博
克 多 は,モ
英 雄 を 尊 称 す る 言 葉 で あ る.だ
ン ス ク リ ッ ト語 と モ ン ゴ ル 語 を 合 わ せ る
と,中
国語で
か ら,サ
「
智 勇 双 全 的 大 学 者 」 を 意 味 す る.こ
仏 制 度 の 名 号 の 発 端 で あ る.ゲ
dpal bzan 1385-1438)を
ル ク 派 の 教 団 は,克
ン チ ェ ン ・ラ マ の 活
主 格 雷 具 桑(mKhas
pa 孔 什 倫 布 寺)は,歴
煕 五 十 二 年(1713年),康
ン チ ェ ン ・ラ マ 五 世(1663-1737)に
「
班禅 額 爾 徳 尼 」 の聖 号 と 「
勅 封 班 禅 額 爾 徳 尼 之 印 」 の 金 冊,金
意 味 す る.こ
ラ マ を 冊 封 し た 最 初 で あ る7).モ
ダ(Pan
che)と
chen Bogda)と
呼 び,中
ン ・ラ マ は,チ
呼 び,チ
如 来 を 悟 り,報
rgyas)し
れ が,清
爾
朝 政 府 が 正 式 に パ ンチ ェ ン ・
ベ ッ ト人 は パ ン チ ェ ン ・リ ンパ チ ェ(Pan
国 人 は パ ン チ ェ ン ・ダ ア シ(班
禅 大 師)と
呼 ん で い る.パ
chen rin po
ンチ ェ
量 光 仏 の 化 身 で あ る と考 え て い る8).『 蒙 古 仏
ン チ ェ ン ・ラ マ は,西
身 の 無 量 寿 仏 を 悟 り,化
た と い う.こ
印 を 贈 っ た.額
ン ゴ ル 人 は パ ン チ ェ ン ・ラ マ を パ ン チ ェ ン ・バ ク
ベ ッ ト仏 教 で は,無
教 源 流 』9)に よ れ ば,パ
サ ンチ ヨジ ゲ
チ ベ ッ トの 後 蔵 の タ シ ル ン ポ 寺
代 の パ ン チ ェ ン ・ラ マ が 居 住 す る寺 院 で
煕 皇 帝 は,パ
徳 尼 は 満 洲 語 で 宝 貝(Erdeni)を
sa bsld
薩 羅 桑 頓 珠(dben
パ ン チ ェ ン ・ラ マ 三 世 に 追 認 し,ロ
ル ツ ェ ン を パ ン チ ェ ン ・ラ マ 四 世 に 認 定 し た.北
grub dge legs
薩 索 朗 却 朗(dben
パ ン チ ェ ン ・ラ マ ニ 世 に 追 認 し,恩
sa blo bzan don grub l525-1566)を
あ る.康
れ が,パ
パ ン チ ェ ン ・ラ マ 一 世 に 追 認 し,恩
nams phyogs glan 1431-1524)を
(bKra sis lhun bo mgon
ン ゴ ル 語 で 勇 気 と智 慧 が あ る
方 浄 土 の 極 楽 世 界 で,法
身 の 無 量 光 仏 を 悟 り,成
仏(ho
身 の大 日
bor sans
の 世 間 に お い て も 永 遠 に 衆 生 を 救 済 し て い る と考 え ら れ て
い る.
280
(246)
モ ン ゴ ル に お け る阿 弥 陀 仏 の 信 仰(嘉
木 揚)
お わ り に
こ の 論 文 で は,チ
ベ ッ ト語
『聖 普 賢 菩 薩 行 願 王 経 』 と 『蒙 古 仏 教 源 流 』 の,二
経 典 に 記 載 さ れ て い る 阿 弥 陀 仏 に 関 す る 記 述 を 取 り 上 げ て,モ
る 阿 弥 陀 仏 信 仰 を 追 究 し た.そ
マ が,阿
して,阿
弥 陀 仏 の 三 身 の 典 拠 と,パ
弥 陀 仏 の 化 身 で あ る と さ れ る 由 縁 を 明 ら か に し た .十
ン ゴ ル の 地 に,チ
ン ゴ ル に 仏 教 を伝 え る と同 時 に,阿
せ て 伝 え た も の と考 え ら れ る.ま
た,チ
三 世 紀 の 中 葉,モ
skya pandita
弥 陀 仏 の信 仰 も併
ベ ッ ト仏 教 と モ ン ゴ ル 仏 教 で は,サ
弥 陀 仏 の 化 身 で あ る と さ れ る .こ
細 に 検 討 す る 必 要 が あ る と 思 わ れ る が,今
に 因 ん で,一
ン チ ェ ン ・ラ
ベ ッ ト仏 教 サ キ ヤ 派 の 第 四 祖 サ キ ャ ・パ ン デ イ タ(Sa
薩 迦 班 智 達1182-1251)は,モ
パ ン デ イ タ は,阿
ン ゴル 仏 教 に お け
の 問 題 に つ い て は,さ
キャ ・
ら に詳
は モ ン ゴ ル ・チ ベ ッ トの 阿 弥 陀 仏 信 仰
言 す る に 止 め た い.
1)『 阿 弥 陀 仏 潅 頂 』 中 国 北 京 雍 和 宮 所 蔵,チ ベ ッ ト語.
()前
田恵学 『
仏 教 要 説 』一 イ ン ドと中 国一(山 喜 房 仏 書 林,昭 和43年)67∼68頁
3)『
聖 普 賢 菩 薩 行 願 王 経 』(『頒 詞 彙 編 』 中 国 青 海 民 族 出版 社,1181年,チ
参 照.
ベ ッ ト語)
181∼112頁.
4)久
明 柔 白多 杰 『
蒙 古 仏 教 源 流 』(中 国青 海 民 族 出 版 社,1193年,チ
ベ ッ ト語)238∼
242頁.
5)『 聖 普 賢 菩 薩 行 願 王 経 』(『頒 詞 彙 編 』 中 国青 海 民 族 出版 社,1981年,チ
∼112頁 .
6)李
舞 陽編 『蔵 語 系 仏 教 念 誦 集 』(中 国 宗 教 文化 出 版 社,1195年,チ
ベ ッ ト語)181
ベ ッ ト語,中 国 語 対
照)226∼(34頁.
7)牙
含 章 編 著 『班禅 額 爾徳 尼 伝 』(中 国 西 蔵 人 民 出 版 Ⅲ,1187年)76∼77頁
8)丹
週 再 納 班 雑 李 徳 成 『名 刹 双 黄 寺 一
清 代 達 頼 和 班 禅 在 京駐 錫 地 』(中 国宗 教 文 化 出版
参 照.
社,1997年)42∼43頁.
1)
.久明 柔 白多 恭 『蒙 古 仏 教 源 流 』(中 国青 海 民族 出 版 社,1993年,チ
ベ ッ ト語)238∼
239頁 参 照.
日本 学 術 振 興 会 外 国 人 特 別研 究 員(同 朋 大 学 仏 教 文 化 研 究 所)
文部 省 科 学研 究 助 成 費 に よ る研 究 成 果 の 一 部 で あ る.
〈キ ー ワー ド〉 阿 弥 陀 仏,ナ
ス ン ノボ ル ハ ン
(日本 学 術 興 会 外 国 人特 別研 究 員,同 朋大 学 ・文博)
279