そこは、祖母の家から幼い私が走ってちょうど息が切れるぐらいの距離に;pdf

そこは、祖母の家から幼い私が走ってちょうど息が切れるぐらいの距離にあった。私は母に連
れられてよくそこへ行った記憶がある。
私が保育所に入る頃、母は機織り工場に通い始めた。仕事と掛け持ちしながらだったのでスピ
ードは遅い。そのため、母と共に私は相当長い期間をその工場で過ごした。
きっと、良い思い出やもしかしたらあまり良くない思い出もあるのかもしれない。しかし、小
さい頃の記憶というものは不思議で、あれほどまでに工場で過ごしたはずなのに、母が織ってい
た紬の柄やそこにいた人々の様子は、もうすっかり忘れてしまっている。それでも、一つだけ忘
れられないものがある。それは、機を織る音だ。
母が機を織り終わってから、私がその音を耳にすることはなかった。今でも時々工場の前を通
ることがある。何も考えていないつもりなのに、無意識に思い出しているのだろう。ふとなつか
しい気持ちになるのだ。
母が使っていた織り機のそばで小さいイスに腰掛けていた私は、ただ機を織るという作業を見
ているのが退屈だったに違いない。それから数年が経って、あの頃より大人になった私はあの音を
恋しく思っている。そして母が織った紬で出来た着物を着る日には、もっともっと恋しくなって
いるだろうと確信している。
きっとそれは、機を織る音に合わせて幼い頃の何気ない幸せを思い出したいからだろう。私が
機を織る音を忘れられない理由も、そこにあるのかもしれない。
そこは祖母の家から歩いて少し少し立ち止まりたいくらいの距離にある。いつも一定のリズム
を刻みながら機が織られていて、私はその音に耳を傾けることが好きだった。今はもう聞こえな
いあの音を思い出しながら私は立ち止まる。心に刻まれたその音が鳴り止むまで。