三隅町広報 No.076 昭和39年4月1日;pdf

( 第76号)
昭 和三 十 九 年度 予 算 と
重 点施 策 につ いて
助役 久 行 春 作
委員会の答申、基準農家の経
昭和三十九年度予算編成に
当 り 、町 長 よ り 重 点 施策 の発 営計画実践等を参考とし、前
表 が なさ れ る 今に なっ て 居 り 段に申上げました荷手の養成
ま し たが 、病 気 の為 茜の 機 を 或は各種生産飼育 グループ等
得 な くなり ま し た 亊 は 、残 念 の総合的 な意見を尊重し、産
業人 として企業的意慾の振起
ま せ ん ので 、日 常 の 指 示 に 基
きまして、不肖代言させて戴
き ま す。
町 長 の 指示 と し ま しで は、第
一 に人 間 造 り の 問 題 で あり ま
して 、学 校 、 社 会 が 一体 と な
っ て 、全 町 総 ぐ る みで 家 庭教
育 の 徹 底 を図 り 、 青 少年 の不
良 化 防 止 の 完 壁 を 期 す ると 共
に更 に若 入 の 健 全性 を育 成 す
る為 に 各 部 落 毎 に 推 進組 織 を
造り又新たに青少年相談員等
るこ と に っ と め ま す。 尚 中 核
を 設 置 し て 其 の 目 的 を達 成 す
実践者である青壮年が意欲的
に協 力 して 合川 的 な経 営 計画
基準を把握して本町新生運動
に積 秘的 に協 力 し て い ただ き
た く 。今 年 はそ の ため の研 修
の 機 会 等 も 作 り た いと 心 いま
す。昨年の国体を契機として
展 開 攸し ま し に 健 民 連動 の 推
く明 る い親 し み に満 ら に 町 民
進 に 更 に力 を 致 し 、町 を美 し
性 を 、 皆 様 と共 に 心り 上 げ て
行 き 度 い所 存 ごあ り ま す 、之
が 為 に 環境 の 美化 と共 に保険
衛 生 施 策 に も改 善 を加 へ 、社
会 の福 祉 に貢 献 せん と 思 って
居 りま す。
次に農林水産漁業り構造改善
中小企業の振興等々研討して
六ヶ 敷 い 肌 要 な串項 で御 座 居
来 ま し たが 、其 の 実 現 は 相当
ますが。本年度に於て。農業
三隅町39年度予算歳入歳出表
至 極 に 存 じ ま す が致 し方 あ り
昭 和39年4月1日(水曜日)
三 隅 広 報 発 行 所
発行者 稲 田 正 治
る 様 、体 制 を 整 へて 行 き 度 い
廂し つつ 何 時で も 起ち 上 ら れ
り ます の で 、 地 理 的条 件 を 整
直 に云 々す る こ と は困 難 で あ
が、 現 在万 般の 状 況 か らし て
場誘致の土地造成であります
ま す 農工 併 進の 立 場 から 、工
第 三 に は何 時も 申 さ れて 居 り
い ま す。
に 応 じ なけ れ ば なら ない と 思
強 い一 歩 を 進 めて 、国 の 施策
と 之 が具 体 的 計画 の 実 現 に力
三隅町広報委員会
と思 い ま す。 場 の 構 成 と し ま
道路改修に努力を払って参り
しては三隅萩間、絵堂宗頭間
ま し た結 米 、 萩 線 に 於 て は三
十 七 年 度 三十 八年 度 と 現 在 の
工 事を 進 めて 参り ま し た、 三
十九年度は三隅関係は用地買
収 で あり 四 十 年 度 本 町内 は全
工 程 の 完成 を見 る事 に ほ ぼ 決
定 して 居 り ま す。 絵 堂 線 も 年
次 計 画 で 本 年度 の予 定額 も 決
定を見て居りますので、全線
の 完工 は四 十 一 年 を目 標 に進
め て 居 り ます 。 宗 頭 迄 の補 装
工事も二ヶ年で完工する様運
動 を続 け 、現 在で は 其 の 見 透
し が明 る い 寐 に思 いま す 。 河
川 改 修 、 海 岸防 災 、漁 港 改 修
工 事 も予 算 書 に あり ます工 事
費 、負 世 金 等 に明 記 致 しま し
た事業量で決定の段階にあり
予 備 費
諸支 出 金
公債費
災害復旧費
教 育 費
消 防 費
土 水 費
商 工 費
農林水産業費
衛 生 費
民 生 費
総務費
議 会費
歳 出
歳 人
町 債
諸収入
繰 越 金
寄 付 金
財産収入
県 支 出金
国庫支 出 金
使用料及び手教料
分担金及び
地担
方金
良付税
負
町 税
ま す。 唯 本年 度 は単 独 事 業 は の振興の基盤である経営改善
限 定し て 居 り ま す が 、耕 地 関 計画の徹底を図 る場の構成と
係 は 昨年 並 と し 、多 少 意 に満 相ま つて、平和で豊で 親し み
た ない 気 は 致し て 居 り ま すけ に満 ちた郷土建設に徹力を尽
れど も、公 共 事業 完 遂 の 為止 し度いと考えます。三 十九年
む を得 ない も ので あり ま す 。 度予 算に関 し以上の見地から
町 長 の意 図 を充 分 に代 言 す る 編成を致し たものであり ます
事 を 得 ま せん が、 立派 な社 会 ので、紙上を借りまして方針
の概要 を申上げます。
構 成 員 で あ る 人造 り と 、産 業
青 少 年 の健 全育 成 は
﹁ 春 近 し﹂
①明 るい家庭の建設
豢努力の重点一
四本の柱
家 庭教 育の 徹 底 から
・青少年白書は語る
「一九六三年版青少年白書
﹂の 発 表 を 見 る と’
、そ の 中で
急 激 な産 業 構 造 の変 転 や 、 国
民 生活 の変 化 に伴 っ て 、少 年
刑 法 犯 の 増 加 、非 付少 年 の低
年 令 化 な ど の こ と が示 さ れ 、
積 極 的 な健 全 育 成 対策 が着 実
に 総 合的 に実 施 さ れ ね ば なら
べて い る
な い 時期 にき て い る こ と を述
耡青少 年育 成会 の
結 成
本 町で は こ れが た め﹁ あの
子 も この 子 もみ ん な の子 ﹂ と
い う連 帯意 識 を 持 っ て 、地 域
の 青 少 年 を愛 護 し 、 そ の福 祉
を 高 め 心 身共 に健 や か な入 っ
徹底
③ 子 供 会 、 青 年団 の育 成 とそ
の活動の推進
A ︲1
き1
め た こ と を守 る﹂ の
励行
B サ ー クル 活 動 の援 助
り ﹂のために今こそ総力 を
結集して成米 をあげなけれ
ばなら ぬと田心
う
萋エ ネル ギ ーの
健全消耗
C施設の開放と遊び場の整
次にスポーツや レクリエー
備
ションによる余 暇の善川を祈
④ 環 境の 浄化
念して 遊び場 に対する補助や
八有害出版物の排除
スポーツ用品 ドッ ヂボール
B風俗営業者の自粛
バドミントンラ ケット、ソ
こ の 様 に 部 落 内 に おけ る 組
フト ボール、ソフトバット等
織が、小中学校の学校内の組
の子供会への貸与 や交付 を考
織 や 学 校 警 察 連 絡協 議会 ︵ 会
えて いるので活用 して 欲し い
長 中 学 校 長 ︶等 と呼 応し て 推
以 上の様に﹁ 楽しい家庭﹂
進 す れ ば必 ず所 期 の目 的 を達
をつくるこ とによって非行化
成 す る こと が出 来 る と 思 う 。
防止に貢献 したいと 念願して
・ 青少 年相 談員
おり ますので、町民総ぐるみ
として各位が積極 的な御支援
と御鞭達を希求して止みませ
ん。
人 物往 来
︻ 一月 ︼
部 長︵ 転任 挨 拶 の た め
△ 六 日 自 衛 隊 山口 地 方 連 絡
︶来 町
△十三日 県消防学校長、長
△ 七日 長 門 保 健所 長 来 町
て 、 部 落 新 生運 動 の 教 養 部門
門市、日置村、油谷町
く り に 努 め るこ と を 目 的 とし
の 中 に 青 少年 育 成 会 を つく る
、消 防 団 長 ︵ 消 防 出 初
各市町村長、議会議長
式 の た め ︶ 来町
又 健全育成のために本年度 △ 二十 五 日 長 門 農 業 改 良 普
から特 に町長の委嘱 になる
及事務所長外一名来町
青少年相談員を設けて 、定
ニ
十
七
日
長門土木事務所
例日にはあらゆる問題 をも
石
川工 務 課長 、岡 村 技
つだ父兄 が、相談は と秘密
︲︲
師
︵ 転 住 挨 拶の ため ︶
裡に話し合 いを 冂つて適当
来町
な措置をとり基本的な方向 △二十八日より二月二日まで
を打出 す計画である。
町長上京︵全国町村長
この様 に青少年の 人 つく
大 会 並 び に本 省 用 務 の
指 導 の た め ︶来 町
下五名︵共同保健計画
△ 二 十 一 日 長 門 保 健 所長 以
事竣功式︶来町
︵小 島 漁 港局 部改 良工
産事務所から係官四名
△ 十 七 日 県 水 産課 及 び萩 水
組 織と し て は 部 落内 の 保護
こ と を 希望 し て い る
A家 族 ぐ るみ の 話 し あい
D 飲 酒 、喫 煙 、
・禁 止 の周 知
.
C 街頭 補 導 の相 互 実 施
報交換
R 善 行 非 行 の 早 期発 見 と 情
い
A 恵 まれ ない 家 庭 の助 け あ
② 育 成活 動 の促 進
B し つけ 教 育 の研 修
者会代表、青年団婦人会支
部 長又 は 代 表 、 総代 及 び嘱
託 員 、健 民 連 動 推 進員 、消
防団代表や部落内に居住す
る 、児 童 委 員 、 教育 委員 、
社 会 教 育 委 員 、 体育 指 導 委
員 、社 会 体 育 推 進委 員 、 宗
教 家 、 等 を網羅 し て 企 画 実
践 し て 行 く こと を 考え て い
青 少年 の非 行 化 防 止 の た め の
事 業 と し て家 庭教 育 を 重視 す
る こ と が大 切 で あ るこ と に 思
え てお るの で御 協 力 を仰 ぎ た
い を致 し 、次 の 様 な 事業 を考
い。
ため︶出張
△二十八日 美祢貴校教頭以
所長︵転任挨拶のため
下三名、長北福祉事務
︶来町
︻ 二 月一
議 会 議長 上京 ︵ 全 国 議
△三口より七日まで
長 大会 参 加 の た め︶ 出
張
員八名来町
△ 五 日 阿 武郡 阿 東 町 議 会 議
下 四 名 及 び 萩 土 地 改良
△ 六日 県 農 政 課 課 長 補 佐以
事 務所 長 以 下 二 名 ︵ 農
来町
業 構 造 改 善 研 修 会助 言
の ため
△ 十 日 長 門 家 畜 保 健 所 長 外
一 名 、 秋芳 町 議 会 議 員
三 名 、 県 統計 課員 一名
来町
以下 三名来町
△十 八 日 長 門 家 畜 保 健 所長
着 任 挨 拶 の ため ︶来 町
△二十一日 長門三隅駅長︵
係 長 外 一 名 、 県 地 方課
△ 二十 五 日 山 口 財 務 部 山本
中西主事来町
大谷 課長 外二 名 、長 門
△ 二 十 六日 長 北 福 祉 事 務 所
税 務 署員 三 名 来 町
△ 二 十 七 日 国 鉄中 国 支 社下
来町
関出張所長︵退職挨拶
のため
︻ 三 月 ︼
町
△ 五 日 豊 田 林 業 事 務 所 長来
務所長外三名来町
△九11 長門農業改良普及事
名来町
△十一目 県共済組合職員一
係 長 外 一 名来 町
△十二日 県森林計画課赤松
下 四 名来 町
△十三日 長門保健所々長以
主事並びに長北福祉事
△ 十 八 日 県婦 人児 童 課和 田
務所金子主事︵保育所
監 査 の た め ︶来 町
技 帥並 び に 長門 農業 改
△ 十 九日 県 普及 教 育 課 片 山
良普及事務所長来町
振興策 に二 本の柱
津雲井上宗七
夏みかん
振興対策と
して 。流行
語の ように
新陋 、改植
防除の励行
が挙げられ
て いま す。
私もこの
線にそって
既 成園三反
の外 新植一
町︵ 幼木︶
を開 園 し 中 型動 力 噴 ム機 を購
入 し て 之 に よ る防 除 を実 施 し
て ぃ ま ず。 成 園 が少 なく 新植
園 が比 較 的 多 いい私 の 家 で は
ん。
経 済 は決 し て 楽 で は あり ま せ
統 計に よ れ ば 毆家 の家 計 費
次 の 一 つ は未 成 園 に対 す る
考え 方 で 、多 く の 人 が 成 園 、
未 成 園 を合 算 し て 支 出 い くら
収 人 い く ら 、差 引 余 り 利 益 が
ない と 言 は れて いま す が 、未
・私 の 場 合 こ の 額 が十 三万 円
と割り切って居ます。
扱 にし ない 為 に も 企 業の 投 資
の み 力 を入 れ て 未 成 園 を継 子
つ て居 りま す が、 特 に成 園に
この投資額は購人しに肥軻
ら 、私 達 は毎 抑の 生 活 を規 則
生 じ て来 ます 。 こ の 様 な 事 か
く す る と ケン カに な る 場合 が
な 話 し 合 だけ で は 出 来 ず 、悪
い 入 れ て行 う 事に な ると 簡 単
五千 円 、 そ れか ら は一万 円 か
いて 出 来 る こ と なら 良 いの で
ら 一万 五千 円 程 度 の 支 出 に な ’ す が、 今 から 資金 耕 地 等 を買
農 薬 は 勿 論 苗 木代 自 給 肥 料 、
大 い に あ ると 思 いま す 。
正 し いも の と し て お く 必要 が
し ま すと 、 現 在 の我 が家 に 於
痛 感致 し て お り ま す 。例 を申
励 とし て 大 変 ひ つ かし い 鄒 を
いて も 共 通 す る 問 題 で あ り 、
つ か し く 、吐 界 各 国 ど こ に於
と題して農業問題は非常にな
生の﹁農村青年に夢と希望﹂
論 で し た。 最 後 に東 畑 四郎 先
あ るも の と な る、 こ の 艨 な 結
農 業 に結 び つい て こ そ 意 味 の
る が 、 農 業 との 関連 性 が 少 い
で は 山 本 陽三 氏 より 、明 るい
と 批 判 さ れ ま し た。 第 二 部 門
が実 際 の 隹活 以外 の 鄒 が多 い
人 件 齊 一切 を 含み 初 年 度四 万
位 で 、 一反 の 成 園 に至 る迄 の
に 近 い こ と は 適 地 と 考え ら れ
大日比をもっ長門市で原産地
一 は夏 みか ん の 原 木の 所 在 地
市の中間に位置しています。
を し てこ ん な問 題 を 出し て 来
作 る もの だ が、 ど の 禄な研 究
青写 真 は自 立 経 営 を 主 とし て
部 助 教 授中 山 清次 氏 が 経営 の
農 業 経営 に つ い て ﹂ 山大 農学
め 第 一部 門 の﹁ 私 達 の め ざ す
二 日 目 は前 日 の 討 議 の ま と
り 宮垣 さ んと 大 野 君 と 私 の三
途 えと 向 い まし た。 三 隅 町 よ
に よ って 秋 吉 台 へ 、私 達 社帰
終 り 、 九州 の 人 達 は 貸切 バス
以上で三日問に波る大会は
て い る﹂ と の 講 演 で し た 。
業 に 取 組 み 、 自 分 の 成長 を得
ア メリ カに お い て は偉 人 は 農
家 庭 作 り 、民 主 化等 行 な わ れ
開 園 か ら の 経 費 は二 十 一万 円
るし、現在萩市の市街に植え
た の か等 、学 習 学 勍 の中 に い
人出 席致しました。
余 りと なっ て お り ま す。
ら れて 居 る夏 柑 は 、明 治 維 新
る 我 々 は あ まり に もひ つ かし
私 達 の 三 隅 町 は萩 市 と長 門
の 後起 っ た 旧 士 族達 が農 業 の
い 事 を 言 い す ぎ、 問 囮 の 主旨
昨 年 五月 、四 四 名 梅 栗 生 産
県 より 、代 表 者 各三 名 計 二 四
会 場 へ入 り ま し た が 、九 州 各
三 日 九 時過 ぎ に受 付 を す ま せ
や 感 じ 等 を お知 ら せ 致 し ま す
参 加 し まし たの で 、 そ の 模 様
て 西 日本 農村 青年 振 興 大会 に
の 三 日問 山 口 市 県 自 治 会 館 に
私 達三 名 は 三 月 二 、三 、四
参 加 方 式 ﹂と 逅 し て山 口 県 の
山 本 陽 三 氏 の﹁ 山 口 県 の、
経営
の ち 山 口 大学 教 育学 部 助 教 授
口 国 体 の 映画 ﹁ 栄 光 ﹂ を観 賞
午 後 は 、昼 食 をま じ え て 、山
の 考察 、以 上 で 午前 中 を終 り
対 す る’農 民 の不 安 を 対比 し て
氏 の 成 長 株 と 目 さ れ るも の に
本 新 聞 社 経 済 部 長 、鈴 山 圭一
と 農 村 の 今 後 ﹂ と題 し て 西 日
努力 して い る。 こ の 様 に 多 く
その 他 若 姿 会 、若妻 会 を作 勺
話 し合 いを 進 めて い る とか 、
は 親 父 と 息 子の 契 約 に関 す る
取 っ て お り又 佐 賀県 の B さ ん
益 は妻 の 自 由 物 と す る方 法 を
妻 に 与 えて 、そ こ よ り 上 る 収
も う けて 、耕 作 面 積 の 一 部 を
長 崎県 の A さ ん は 愛 妻田 を
事 を 痛 感し ま し た 。
破 に つい て 切 実 に 考え て い る
県 の 人 達 も 農 村の 封 建性 の 打
理 の徹 底 、共 同 販 売 の 促 進等
し て栽 培面 積 の 拡 大 肥 培管
を ⋮ ⋮栽 培 す る こ と を目 標 に
柑 の出 来 な い 地 帯 は梅 又 は栗
来 は沿 岸 地 帯 は夏 柑 を ⋮ ⋮夏
落 が 主 産 地で あり ま し たが 将
梅 と栗 は共 に昔 よ り 上 地 区 部
ます。
売 まで お世 話 す る 組 織 で あり
の 直 接 事業 と し 、 生 産 か ら販
合 と 性 質 を異 にし て 、 農 協 の
梅栗 生 産 部 は従 来 の生 産 小 組
商 品化 を 高 め るこ と を日
日的 に
事 業 を計 画 し て お り ま す 。
即ち梅も栗も作れば儲ると言
ふこ と で す 。
で あ り 慎 重 に取 組 む 必要 が あ
も の で な く 、果 樹 は 永年 作 物
言 っ て ど こ でも 簡 単 に出 来 る
工 を 目 指 し着 々と 工 事 を進 め
の両建設業者も今年月月の竣
町にはいった大林組、大成組
木補償問題等も大半片付き本
大な御協力によって用地、寸
其 の 後 関 係 町民 の 方 々 の涓
力 す るこ と に な り ま し た 。
り ま す。
ております。
し か し市 場 が要 求 す る から と
梅 も 栗 も 結 果 す る 迄の 年 数 は
町 の明 る い話 題
短 か く 、適 地 で 栽 培 す れ ば 、
幀 付 後 三l 五 年 で 収 穫 で き る
優 利 な果 樹 で あ り ま す 。
そ こで 今 後 の 即 題 点 と し て は
共同収売を強化するために栽
戸 籍 だよ り
△ 出 生 の 部 ▽
一 月 分 九 人 ︵ 男 五 女 四 ︶
﹁社公福祉のために庚つて
下 さ い﹂ と 昭 和 三 十 八 年 五月
培 品種 の統 一 、 散 在 樹で べ く
園 の形 成 をし 。又口川輿 を よ く
二 月 分 十 六 人 ︵ 男 九 女 七
額も四干弐百四拾壱円になり
七〇
六一
六一
子べ
久 原 高 崎 宗 一 福岡市大字堅柏で死亡
○
七一
三
佐 伯 タ マ 六 八
七七
上 げ 片 山 ヨ シ コ 七 二
野 波 瀬 白 井 正 三 七
長 門 市東 深 川 で 死 亡
正 楽 寺 大 野 ム メ 下中小野法山貞次 八五
﹃三 月 分 ﹄
本 籍 長 門市 東 深 川
ク 夕 山 田 要 人 六 七
本 籍厚 狭 郡 楠町 奥 万 倉
本籍油谷町後畑
三隅病院中野ハツヨ 四六
岩 崎 作 一 四 〇
浅 田 前 田 ミ ッ エ 四 八
長門市東深川で死亡
豊 原 中 野 剛 本籍豊浦郡豊田町
野 波 瀬 宮 本 一 成 生 島 中 野 マ キ 中村 後藤ミサオ 三七
萩大字唐樋町で死亡
麓 山田キタ 八七
宗 頭 山 本 新 弌 滝 坂 藤 井 弥 匕 八 五 才
﹃二 月 分 ﹄
本 籍 美 祢 郡 秋 芳町 嘉万
三隅病院坂本好松 七七
小 島 小 西 清 一 津 雲 藤 山 吉 蔵 六 五
久 原 山 本 ア キ 土 手 山 本 セ キ ハ 三
横山チヨ 六八
宗頭 宇田川ハナ 八ニ
滝 坂 阿 辺 金 槌 八 八 才
︹ 一 月 分一
△ 死 亡 の 部 ▽
一女一)
三 月 分 ︵十 日 迄 ︶ 二 人 ︵男
︶
か ら毎 月 三 〇 〇 円 か ら 五 ○ ○
円 を 欠 か さ ず匿 名 送 金 さ れ る
す る だ め に整 枝 剪 定 、な 剤 敗
布 を 徹 底 す るこ と が 足 非 必要
ま し た 。本 当 に 心暖 ま る行 為
方 が あ り ま す。 現 在 迄 の 累 計
農 家 が この 糾 織 に加 人 し 、三
を譛 え 、送 金 さ れ た方 の 趣 旨
と 思 わ れ ます 。 そ し て 多 く の
隅 町 の特 雌 とし て 。つ の 柱 に
下 旬 町 議 会 、春 季 道 路
導員集会、体教役員会
育 委 は会 、 社 会 体 育 指
中 旬 痘 瘡 接 種 、 定 例 教
十七日 定例農業委員会
十日 嘱託員集会
連総 会
農業連絡委員会、農研
二次狂犬病予防接種
上旬 春期第一次及び第
及 び始 業 式
八 日 小 、中 学 校入 学 式
所式
野波瀬、豊原保育所入
六日 新任教員着任式、
並 びに 告 別 式
一日 新任教員辞令交付
︵四月) 予定
町 政 メ モ
です。
め に 最 も 有効 に 使 い度 いも の
を 生 か し 本町 の 社 会 福 祉 の た
な る 様 に梅 栗 を百 で 、 伸 ば し
︷農協︸
て も らい た いも ので あ り ま す
町 民の皆さ
ん は既 に御 水
知 の こ と と田心
い ま す が 昨年
九 月頃 か ら 総
工 費 三 十億 円
の且額を投じ
美 祢 郡 秋 芳町
より長門市白
潟仙崎より海
岸の約十七km
と いふ 遠 距 離
をしかも其の
六割以上 をトンネルに堀返し
愛護作業
こ の原 因 は 昨年 が不 作 年 で あ
巾一米の ベルトコ ンベアーで
二十 六日 清 風 祭
っ た か ら で な く近 年 梅 の 需 川
石灰石月産十五万 トンを運び ︵ 五月 ︶
が 全 国 的 に 増 え つ つ あ る為 で
出す計画 を東京の住友石炭鉱
十七日 定例農業委員会
E
6 あり ま す 。
業株式会社ga立案致しました
中 旬 町 議会 、招 魂 祭 、
特 に梅 は新 鮮 なも の が 好 ま れ
町 と致しても県 り遯 竄もあ
町 民体 育 大 会 、定 例 教
る が県 内 の 市 場 は 殆 ん ど が四
り尚乂国家資源開発 り見 地か
育委員会、町内小、中
国 産 の 輸 送 品 ばか りで 、 まだ
ら議会 に諮って 全面 的に協力
学校修学旅行、体カテ
ま だ 県 内 産 の 出 荷 が要 望 さ れ
することになり 町議会から住
ス
卜
、
スケッチ大会
て おり ま す。
友企 業関係三隅町議会特別委
下旬 腸パラ予防接種
員会を設置してこの事業に協
います。
て も実 収 は非 常 に 高 く な っ て
表 でも 判 る如 く、 共 同 販 売 し
平 均 一一七、一
一
格 外 粟 、
二 ︵ 傷 玉 、黒 星
病玉︶
小 ウ メ 会 、
二
中 ウ メ Ξ四、
四
大 ウ メ 一粟︵
、
等 級 単 価 ︵ 円 ︶ 摘要
︵ キ ロ当 り ︶
梅 の 手 取 価 格 表
り は次 の 通り で す 。
まし た。 そ の 結 果 出荷 者 手 取
宇 部 、下 関 市 場 に共 同販 売 し
不作でしたが、青ウメは二回
昨 年 は異 常天 候 で 海栗 北︵ に
う め、
栗 生産 部 の誕 生
︵久原ー藤村︶
政 策の 大 変 動 に 耐 え ぬき 成 功
し たも のの 一 つ で あ る︵ こ の
際 成 功 し たの は静 岡 県 の お茶
と 萩 の夏 柑 の 二 つ し か な か っ
た︶ 然 も今 も萩 夏 柑 と し て 市
場 性 を有 し て い る。
勿 論 昨 日 の 適地 が今 日 の 適
一人 当 り 七万 五千 円 、九 人 家
族 です の で 六 十 七万 五 千円 ︵
地 明 日 の 適 地で は ない 。 県 の
な い。
産地として発展させねばなら
は し め た三 隅 町 こ そ 真の 夏 柑
に 農 業 に 収 くん で 居 る ﹂ と言
が こ ん な に多 く居 し か も 真 剣
自 給 を台 か︶ 見 当 に なり ま す
成園の場合あく迄投資と考え
農 試 西 村 場長 をし て ﹁ 若 い 人
げ る か を探 究 し 、 次 に どの よ
よ に して 生産 に 嬰 し た経 費 を
節 約 す る か を究 明 す る に 在 る
至 極 簡 単 で す が夏 柑 の 考え
方 を示 して い る かの よ うで す
つ い て ﹂ に参 加 、山 本 陽 三 氏
の 司 会 に よ る パネ ル 式 討 議 に
よ っ て 各 県 の代 表 者 の 発 表 に
者 をも っ て三 隅 農 協梅 栗 生 産
名 オ ブ ザー バー 五 十名 県 内 代
例 を上 げ て 、 広 島 県 との 考え
の 実 例 を 教え ら れ ま し た 。
基 づい て 討 議 、私 達 と 同 様 他
表 十 四 名 オ ブ ザ ー バー三 〇 〇
名計四百名怛の参加者により
方 のら がい 、次 に二 部門 に別
部 を誕 生 さ せ ま し た。
田中教育係長の司会により始
れて の分 科 会 、私 達 は第 二の
私 達 も似 か よっ た こ と を 実
運 営委 員 の協 力 に依 っ て 農 協
り ま し た。
施 し て は い ま す が 、現 実 の 問
農業改良実績発表
大 会 に参 加して
る べきでその額は多 いい程よ
く、且又 短い年月 に早ければ
早い程よい、近時流行の計劃
密植 がそれで す。
が 、私 の 家で は
7 計 々八 四 十 五 万
ネ ヅイ ト
川︷ 目
m積 ︸
二 十万
闘。
に
。一
一丿
入
出 二 十 万
と な って い ます 。
’ この 支 出 をさ さこ 乙夏 柑 は
成 園 の橸 合 一〇 〇C メ
ハ 1 十 万 円 程 度 の収 入 を 得
る 事は 替遥 の 状 態 なら 先 づ 確
保 出 来 る と考 え て ょ く労 力 二
十 五人 士 二十人 其 の他 現 金 支
出 一万 五千 円 を 嬰 して ぃ ま す
こ’
こ で 考・
凡ねば な ら ない 事 が
二 っ あり ます 。
そ の 一 つ は お偉 方 が言 は れ
る省 力 化 、肥 料の節 約 、其 の
他 経 費 を 少 くし て手 取り を多
く す る 方 法 です が 、 収量 品 質
積極
共 に 水 準 に 達 して い な い私 の
園 、 本 町 の 園 は まだ く
的 に経 費 を投 入す べきで ﹁面
積 より も 投下 資 本で ﹂ ﹁面 積
よ り も 生 産 性 を﹂ と 言 う 考 え
方 も生 れ て き ま しょ う 。
農業の目的は一定の土地か
﹁ 近代 的 な曵 村 社 会 の 建 設 に
初日十一時より﹁経済成長
本 町に及 ぶ住友石炭の
石 灰コンビナー ト
生産のにない手
夏か ん の 卷
ら如 何 に し て 最 大 の収 益 をあ
農 ,
協
だより
明和39年4月1日( 水曜日)
三 隅 広 報
第76号
公民館 の窓
婚 の 合 理 化 を は かり たい
・ 郷 土 を 知 る
先 賢偉 人 と し て 村 山 清風 、
周 布 政 之 助 、竹 内 庄 兵 衛 、山
人 材 の 養 成 と 産業 の 振 興 に 努
田 与 三 郎等 が本 町 か ら 出 て 、
力 を続 け た こ と は既 に紹 介 さ
れているが、楊井三之允の事
跡 に つ い て述 べ た い。
翁は元禄十五年(約三百年
前︶に玩在の小野田地区三百
九十八町歩の問拓を実施した
二度台風に汪石て挫折しそう
になったが能りを宮島より遷
座して、︵現在の県社高泊神
社 ︶ 遂 に難 工 事 を 完 遂 し、 不
撓不 屈 の 三 隅 精 神 を 発 揚 し た
。旧 居 跡 が上 広 出 に現 存 し 急
所もある︵明峰寺墓地︶現天
皇の御成婚記念にその功を貿
さ れ 、正 五 位 を黼 ら れ た、 拾
陽無煙KK総務部長︶してお
四代の孫が美祢巾に現住︵山
られる。
知 る こ とよ り 郷 土 愛 が 生 れ
る と い わ れ る 。こ の 様 な先 賢
偉 人 の 事 跡 を更 に足 場 と し て
町 の 発 展 に寄 与 す る様 に し ま
しよう ︶
こ の 様 に こ れか ら の 健 民 連
動は、山口国体の成功を契機
と し て 、 何 時 迄 も お互 の 心 の
中 に美 し い花 を絶 やす こ と な
く 、こ の 他 動 が町 氏一 人 一 人
の 間 に、 よ り 一 層習 蚪 化 し て
行 くこ と を 祈願 して 止ま ない
神 を ま す ま す助 。
煢し 、明 朗で
の 自 主 的 意 碪と互 助 愛 郷の精
私達三隅町民もスポーツ愛好
町 ぐ るみの 推 進 体制
町 体育 協会の 組織 を改善
結婚 改善推進委員会 を強力 な
も のとして 、三隅式結婚式︵
部落式結婚式 ︶をすすめ、結
ナ、チュ ーリッ プ、アネモネ
、つつじ 、雪柳 を申心に育成
したい。特 に草花の生理や天
候土屓にあつたものを永続さ
せ、花の道、家 庭花園 を維持
し たいものである
・ 結婚 の改 善
﹁花 は心なり﹂の花に対ずる
意識の持続 昂揚 したい。 カン
・ 花 いっ ぱ い
棄て るものの
選別の励 行
下水溝の清掃
徹底
家のまわり を
きれいにす る
道路、川 、公
共物 、乗物を
よ ごさない
防犯連動 青少 年の健全
育 成りにめ家
庭の和楽
防犯忠想の 普
及
清掃美化 塵芥収集箱に
こ れ からの 健民 運 動
新 年 度 の進展
作 年 ぼ の過 ぎし 第 十八 回 国
体で全町民の盛り上る自主的
意 欲 と 互 助愛 郷の 粘神 を助 長
し 、 こ れを基 盤と して よ き 生
活 環 境 と習 慣 の 充 実 を図 り 、
花 いっ ぱ いを 徹 底 し .社 会体
かな健康な町﹂現致した
育 を擂 迩し て 、﹁ 明 かる い豊
いと 存 じ.
ま す.
・社会体育
項 目 実 践細 目
ス ポ ー ツ奨 励 スポ ーツ 教 室
の開設
町 技 バ レー ポ
ー ルの 実施
体 操 の 普及 奨 職 場 や会 合 に
励︷三隅体操 導入
ラ ジ オ体 操 ︸ 夏 期 ラ ジオ体
操 の実 施
ス ボー ツ レ ク ハ イキ ン グ等
リエーション の奨励笑施
実施
部 落 連 動 会の
の 生 活 化 町 民 体 育大 会
゛
’ 上 と喫 食
栄1 知 識 の向
匆追の人
︰理化 偏 食 の 矯正
・道義の昂揚
時価 励 行 皆 出席 、 時 問
励 行運 動
合 せて 掲 揚
.人 に 迷 惑 を
健 康 な 町民 忤 の 樹 立 をに
目指し
て 格 段 の 努力 をせ ね ば なら ぬ
時 期 と存 じま す 。
昭 和 二 十 九 年 設 立 し今 日 ま
で、町の社会体育推進の援助
団 体 と し て活 動 を 続け て 参 り
ま し た 体 育協 会 は、 こ こ で 一
段 と 飛躍 し 、町 の ス ポ ーツ活
動 を 推 進 す るに 当 り 実 践機 関
の申 核 と な る ため 大 巾 に組 織
三隅町体協会組織図
ヘル メッ ト を冠ろう
自 転車の登録 を
し ま し よこつ
( 寿大学の検診)
交 通 事故死 の 七割 は
頭 部 負傷 が原 因
奨励す渇。
を拡充整理するこ とを巾し合 の ス ポ ー ツ活動 費 が計 上 さ れ
③各種講習会 を通して地域 に
わせました。図表の様 に、町 て い る。
て お りま す。
悼 しい交 通 事故
おけ るリ ーダー を養成 ずる
以 上 の 様 に町 民 誰 で も ス ポ
ぐるみの スポーツ活動推進体
そ の う ち 、死 者 が四 名 出 て お
制 を備え、町民全員の方に入 ー ツ に親 し む こ と の 出来 ろ組 ④少年及 び壮年男子 に一層の
を なくし まし よ う り こ ん な 悼 し い 事故 を お互 い
スポーツの場を与える
会 して頂 くことと致しました 織 を 確 包 した の で あり ます 。
が 注 意 し 合 つて な くし ま し よ
交 通 安 全 の こ と に つき ま し
こ の よ う な陬 制 のも と に今 ⑤部落における遊び場を新設
新機構の要 点は ・
う 。 そ れが た め に は 、車 を運
て は、 み な さ ま には 日 頃 か ら
させる。
①町内に居住及び勤 務するも 年 は次 のご と を 重 点 に活 動 を
転 す る 人 も 、 道 を歩 く 人 もみ
ご 協 力 を い た だ いて わ る の で
のは どれかの団体を通して加 押 し 進め る党 悟で あり ま す。 最後に主旨にそって 本会 が正
ん な が正 し い交 迦 の キ マ リ を
あ り ま す が 、交 通 事故 は 日 毎
入し活動に参加する。
①町 民 体 育 大 会 を 充実 させ る 常 な発達 を遂げますよう皆様
に増 え て き て いま す 。
守 ゐこ とで あ り ま す 。
②各部落に一名宛部落体育部 ② 従 来行 っ て い る種 目 別 競 技 の御協力 をお願 い致します。 去 年 は 管 内 で 一 四 九 件 の 事 故
︵三隅町体育協会長
。
大 会 の 改 善 を図 ると 共 に、
長 を選出し、町当局と 部落間
廁.
明るい交通
が発 生 し て 、 そ の う ら 一月 と
久行春作︶
及び部落内 の連絡調整に当っ
部 落 に おけ る体 育会 を育 成
伸び行く日本
二 月 の 串 故 は い ず れ も。
に
几件 で
てい ただく。
計 一八 件 と な って い まし たも
︵長門警察署︶
③加盟団体、部落より 選ばれ
の が 、こ とし は 一月 十 五件 、
た56
名の理事によって 総会 を
二月 十 七件 、 計 三 二 件 と な っ
開催し予算、決算その他重嬰
事項 を審蘿する。
④理事より選出された18名の
常任理串によって常任理事会
を適時開催し常務の審議にあ
昭 和 三十 八 年 中 山 口 県内 で の は 、 み ん な頭 部の 損 傷 な ど
た る。
発 生 し 仁 父通小 散 統 計 によ り に よ っ て 死 亡 さ れて おら れ る
④他 に必要 に応 じて専門部会 ま す と発 生件 数五 、 六 四 三 件 の で あ ’
りま す 。 さ ら にそ の う
自転車の一 わ れ る こ と に々 り ま し た 。
を設け企画及 び執行事項を協 死 者 二 〇 血名 、傷 者四 、 六 六’ ら の 六 四 名 の方 は み ん な軽 自
斉 登録替 えが
自 転 卓 は あ な た の
議 する。 ’
一 名 、 物件 損 害額 一 八 五 、 〇 動 二 輪 車 や原 動機 付 自 転 車 を
行 なわれます
身 近 い 財 産 で す
3専 門部 をほき部毎の事 四 四 、 〇〇 〇 円 と な っ て お り 乗 用 し て お ら れ たも の で あ り
いま までの登
⑥1の
こ り大 切 な自 転 叫 をa 難 か
項 を執 行すると共に専門の競 ・ま す 。
ま す 。 そ こで み な さん は自 分
録 は相当蝠月
技技 術の向上にっとめる。
ひ る がえ っ て 当 著 管 内 で三 十
の 身 を 交 通 鄒故 から 守 るた め
も たち 自転 ら 守 り 、また 髮 ま れた り 、乗
⑦指導部 を置き若干 の指導員 八年 中 に発 生 し て い ま す 交 通 安 全 帽 を冠 り まし よ う 。
車の持ち 主が り 捨 て られ た白 転 剌 を早 く 発
をお いてスポ ーツ活動 全般に 事故 を調 べて み ま す と 、発 生 安 全 帽 ご入 用 の お方 は 、 当 署
変っ たり 、廃 見 す る だ めに も ぜひ 登 録 をし
わ たる指導助言 を行う 。
件 数 一四 九 忤 、死 者五 名 、 傷 ま た は長 門 交 通安 全 協 会 に お
車手 続きがし ま し よ う 。
⑧会計は町費、補助金 、その 者 一 二 二名 と な っ てい ます 。 申 し 込 み され れ ば お取 次 ぎ い
て ないなどの
理 在 登 録 して い る自 転 車 も
他で支辨し、事務局は町公民
たし ま す。
県
下
の
死
者
二
〇
五
名
の
う
ち
、
ため、登録制度の効果が薄れ 未 登 録 の も のも す べて 仙 た に
5円
館内 に置 く。町では約4万
七二 % に あ た る 一五 〇 名 の も
てきたた め、県下 一斉に行な 登 録替 え を する こ と に なり ま
5月2 と)
日ま で
国 旗 の 掲 揚 猊 祭日 さ そ い
親 切 連 動 か け ぺ い厘 動
゛ を 個 に徹 し
て 実 旛 、お 互
. に 挨 拶 をか わ
健民連動 を幕盤として県民
す
子 供 老 人を い あげて盛り 上り大成 功に終っ
た昨年の 山口国体 に続き、今
たわる
年は世紀の大会 として注目の
交通安全運動 川洲仙調目標
オリンピッ ク東京大会を迎え
、
J設 疋
るにあたり 、今やスポーツ熱
は各地に燃え上っています。
交地安全教室
の 開n
2月25日から
号)
( 第76
昭和39年4月1日( 水曜日)
三 隅 広 報
(3 〉
すが、登録するには登録 カー
ド仍乙票と手数料三十五円︵
期間後は四 十円 ︶を持参して
ください。
登録 する とこ ろは
商
工
会
よ
り
登録の指定を受け た自転車
店で行 ないます。洩れの ない
よ う全所有者の方が登鍄を受
けられるよ う御ひします。 ・
町
だ
’商 工 会 法 制 定以 来 四年 を迎
える今日当会に於ては地区内
の商工業者特に小規模事業者
の育 成 指 導 に つ い て は 、国 、
県の 示 す要 綱 に よ り 次 の 事 業
を 実 施 し て い ま す。 法 規 、 資
材 、 金 融 、 税 務 、経 理 、労 務
社 会 保 険 、 技 術 、特 許 意 匠 、
次に一、二件例をあげれば金
貿 易 、取 引 、そ の 他
融では、設備資金、運転資金
の 必要 な方 は低 利 な政 府 金 融
機 関 を 始 め県 信用 保証 協 会 ︵
普通融資、特別小口融資︶等
あっ せ ん 、 償 還 の 相談 に応 じ
或 は 県 の 近 代 化 資 金等 の借 入
税 務 に つ いて は 青 色 申 告 の奨
経 理で は各 事 恥 者 に適 応 す
励 、所 得 税 の 申 告 の 相 談 指 導
る 簿記 ︷ 簡 易 、復 式 簿 記 ︸ の
相 談 を行 い ま す
尚 県内 四 十 五 商 工 公 で 山 口 県
商工 会 連 合会 を設 立 し各 県 の
連合会は全国商工会連合会を
結成しています。之等の組織
の基 に 各 商工 業 者 の 意 兄 を行
政庁 に具 巾し 以 て 各 商 工 業 者
の発 展 に寄 与 せん と し て いま
す ね ば 今 後 益 々商 工 会 を御 利
△珠算検定合格者
用 下 さい 。
次に二月十六日に公民館でI汀
っ た通 産 省 後援 全国 商 工 会 連
合 会 主 催 第 六 回 珠 算 検定 試 験
の合格者次の通りです。
三級 中村泰則︵萩︶末永俊
夫 、四 級 、宮 本百 代 、名 和 田
茂生、宮本幸子、綿野権一
五島光盛、五級、伊藤清之、
︵以下四面に続く)
防の骸巡
本町 の
保健状況を見る
保健衛 生行政
の基本方針
25, 8
25, 5
62. 3
60, 7
男
女
132, 2
132, 6
28, 4
28, 6
64, 2
63, 2
男
女
137, 1
138, 9
31, 2
32, 8
66, 4
66, 6
男
女
142, 9
144, 9
35, 2
37, 6
69, 0
70, 4
男
女
149, 8
149, 0
40, 4
42, 2
72, 5
74, 2
男
女
156, 4
151, 6
46, 1
45, 7
76, 7
76, 9
が強 く要 望 さ れ る
’
結核健康診断予
防接種の状況
本 町 に おけ る 結核 の 状 況 を
み る と 患者 は 壮 年 層 から 老 年
層 に かけ て 多 い が 有 病率 は高
く な い 。発 生 率 は 昭 和三 十四
年 を ピ ー ク に漸 減状 態 で住 民
検 診 によ る 患者 発 見率 は高 く
在 性 患 者も 存 在 す る・
6の と 推
活 動 性 感 染 性 患者 、無 自 党 潜
察 さ れ るの で 今 後 住民 検 診 の
受診 率 の 向 上 に よ り卩に期 発 見
早 期 治療 に努 め な け れ ば なら
な い こ と は勿 論 で あ るが 患 各
管 理 、精 密 検診 、 家 族 検 診 の
徹 底化 が 必要 と田心わ れ る 、木
年 雌0 健 康 診断 予 防 接 種 実
県 平 均 値 を下 廻 づて お り集 団
た 本 町 の平 均位 は何 れも更 に
何 れも 少 し下 廻 つ で い る 。ま
と住 民 検 診 の 効果 が如 何 に大
思 者も 比 較 的 少 いこ と をみ る
は年 々減 少の 傾 向 に ありm 症
こ の 衣で わ か るよ う に 患 者
施 成 績 は 次の と おり で あ ろ 。
給 食 に依 存 す る のみ で な く 、
で あ るか が わか る 。
旬 一
す から 出 席 して下 さ い
て の方 は句 は な く と も よい で
民 館 へ 提山 して下 さ い 。 初 め
し ま す。・
雑 詠 を 十五 目迄 に公
次 は四 月 十 八 日︵ 土 ︶に 開 催
風 邪 汚 れし た ま ま風 邪 の 患 者
いう
火 中 見 舞 電 話 か け れ ば小 火 と
い
風 邪 心 地 白 魚汲 み も 見 ず じ ま
れ か 牛
邪 心 地 診 る 選 者 雲 仙
おきな
春一番港は避難船ばかり
旬 一
あまた たび通うて一句梅の寺
おきな
就職の門出の膳に出世魚
九 重
草 家より灯がもれ雛の唄がも
ね ずみ一 斉駆 除
成 績 につ いて
昭 和 三 十 八 年 十二 月 一 日 か
ら 昭 和三 十 九年 一月 三 十 一日
学
校
わ れ る 。 な にし ろ繁 殖 牢 の 高
そ 数 は か なり な数 に な ると 思
布 量 等 か ら 推 察 す ると 推 定 殺
そ 数 は 九 八三 匹 で 殺 そ剤 の 配
除 運動 期 間 に 届 出 の あ つ た 捕
ま で に実 施 し た ね ず み 一 斉 駆
中
2 1
31
4
1
127, 6
127, 1
0
1小
6 1
7 8 9
学 1
校
男
女
3 4 5
60, 3
58, 6
期 に は発 育 を挽 回 して い る 。
そ して 年 令 の 長 ず る に従 っ て
平 均値 を下 迥 るよ う に なり 。
特 に 身 艮 に お いて そ の傾 向 は
顕 著で 所 訓 づん ぐり 型の 農村
特 有 の 体 型 を示 して く るよ う
に な る。 こ れは 米 食 偏重 、動
物 性 俶臼不 咀等 農村 特 有の 食
生 活 上 の欠 陥 が原 困 と認 めら
省 学 校 保健 統 計 報 告 書 によ る
れ る 因 に 昭和 三 十 七年 度 文 部
そ れ ぞ れ の 身 隲の 発 育 状 況
身 長 、体 重 、 胸囲 の 全 国平 均
乳幼児 、
児童
生徒 の休位
は 先 ず 第 一 に 健 康 で あ る。 こ
を み る と乳 児 に お いて は宗頭
位 を み ると 別 表 のと おりで あ
住 民 の 幸 福 を 支配 す る もの
の 健 康 管 理 を 実 施 して 行 く 上
小 学 校区 が稍 劣 る。 三 才 児 は
23, 5
23, 0
氷雨 降る不治の思者を診ても
八 十 の 侖 大 事 に落 第 式
どる 一 平
元
年 終 る書 か ね ば なら ぬ手 紙 ま 破れ椀へ汲んでまま ごと春の
水 旬 一
だ 一 平
古 稀 す ぎて 全 生い く ば く 青 き 身じろがすすむ寒緋鯉寒真鯉
無名女
踏 む か 牛
暖 冬 と 喜 び き れ ず冴 え 返 る
春 潮 や桜 島 今 紫 に
畑 一面 琉璃 ち り ば めて 犬 ふぐ
蓮 水
り 兎 史
捕 る漁 を作 る漁 へ と 鰤の 汕
表
一 般 住民
検 診結米
ぉ そ れが あ る r x
発
病断
の さ れ た 行 . 84 6 ’) F4 118
と診
に 杲 す べき 役 割 は地域 に おけ
122, 9
121, 8
ら 22
長門保健所管内の診査実績に
男
女
区 .分 34年 35 36 37
る 健 康 像 の 適 確 な把 握 と そ れ
58, 4
56, 6
l 罸 6、498 6, 251 96, 2 2 054 4 358 382 597 1, 739 22 150
お い て平 均 値 より 身 長 、体 重
21, 3
20, 7
,
に 基 づ く地 域 保 健計 画 の 樹 立
117, 7
116, 6
゛ 6 . 9 597 476
で あ る と 思 わ れ る。 そ し て 計
男
女
所 180 173 96, 1 173 70 22 102 3 18
画 の 実 施 に つ いて は あ くま で
56, 5
54, 9
小 学 校 1, 151 1, 080 93, 8 860 656 102 392 4 52
そ の 地 域 の 自 治 体 が 主 体 とな
19, 3
18, 7
てμ
区 分 人
対 員 象 人
受 員 `
診 g ゜ ゛ 率 健 予 l屶 佞 仙 患
北 者 地 知
借りi
こj ・断
ッ反
検 査康 間 接 撮診 影 精陬 密 検査 ッ
反 検 査 BCG があ
る と診
゛ 望
中 学 校 703 678 96, 4% 270 496 65 182 4
っ て 進 め て 行 く こ と に よ りそ
112. 4
111, 4
小 、 計 4, 464 4, 320 96, 7 751 3, 136 19j 597 1, 063 11 52
以 上 の よう な 理 念 にも と づ
男
女
,、j
の 実 を挙 げ 得 る も ので あ る。
き 地区 調 査資 料 によ る本 町 の
特性 を活 し て 次 の 四 つ の柱 を
主 体 に昭 和 三 十 九 年 度 の 三 隅
る。
・
・食 生
町 に お け る 保健 計 画 を実 施 す
1 成人 炳対 策 の強 化
活 なら び に生 活 改 善 を 通 じ
て の成 人病 予 防 、血 圧 測 定
55, 3
53, 8
ぷ 587 な ら び に帖 密 陥診 い実 施
2 結 核予 防 対策 の 徹 底 : ⋮ 濳
在 心 考 の 樮 鹹 と 川守川竹 理 の
徹 底
17, 9
17, 3
各 家 庭 に おけ る 食 生活 の 改 善
山 口 県平 均 値 は 全川 平 均 他 を
107, 9
106, 7
発 見 患 者 77 56 3
3 伝 染 病 予 防 を中 核 とす る 環
坑 衛 生 の 整 ㈲ 、術 生 施設 の 改
組 織 強化 と衛 生害 虫駆 除 の
男
女
ズ
善 、 予 防 接 棟 の 完 全 実 施 ・⋮・
徹 底 、予 防 接 種 費 公 賞 負 担
胸囲と も劣っている。ま た、
幼児 については何れも全国平
均値 を上廻り児童 、生徒は平
均値 を下 廻る値 を示している
従って乳児 期は比較的よいが
三才期 に非 常に悪 くなり幼児
54, 0
52, 8
ぷM にj 75ヘ
の実現
4 口 腔 衛 生 対 策 の 強化 ⋮ ⋮学
校 保 健 を通 じ て の む し歯 予
16, 5
15, 9
。618 597 96
元
102, 6
! 01, 5
ぷ
清風 句 会
三月分
男
女
∵
下 の 子 は兄 の お 古の 冬 オ ー バ
52, 8
51, 5
よ;
ー 千 代
15, 0
14, 4
育
雛 の 店女 の子 も 欲し と 嫁 のい
97, 0
95, 7
勹
う 千 代
男
女
口
磊 磊
体重
( ≒)
べ
桜 島 熔 岩 の 丘 に も 草肋 えて
風 邪 の 子 を み と りの 祖 母 も風
身長
( a)
保
写真は塵埃処理耿况
胸囲
( a)
年 令 別
昭和38年度結核健康診断予防接節結米表
4
昭和39年4月1日( 水曜日)
三 隅 広 ゛報
( 第76号)
い動物で その被害額も莫大な
もので あるのでお互が常時捕
そに努めるこ とが必要である
な お小、中 学校子供 会、生
徒会 を対象に行った捕そコ ン
クールの成績優良地区 は次の
とおりで ある。
宗頭小 学校区 ⋮樅の木
明 倫 小 学 校区・
: 津雲 、辻 並
め に 、こ ん な に 多 く の 亢亡 事
さ の判 断 や措 置 がと わ ない た
飲 み 連 転 に よ る交 通 事故 が 毎
春 の 行楽 期 を迎 え ると 、酒
ほ ろ 酔 いで 運 転 し た た め に、
る 四 十 一人 が酔 っ ぱ ら っ た り
者 の う ち の二 て 三 % にあ た
も 注意 力 や運 動 感 覚 が に ぶっ
曜日です。
次 の 珠 算 検 定 は 七 月 の 第 三日
ら れ ま す 事 を お 奨 めし ま す 。
用 の上 奮 つて 珠 算 検 定 を受 け
実 施 して 居 ま すの で 精 々 御 利
公 氏 館 に 於 て 週 二 回 珠 算熟 を
古 屋則 宏
磯 野 久 美子 、八 級 、馬 島 秀 夫
七級 、嘉 神 昌 代 、 徳 田 房 枝 、
尚 悟 、 熊 野 雅 和 、山 中 克 彦 、
山中照子、田村成次郎、山本
芳 包 、浅 野 洋 子 ︵ 萩 ︶ 六 級 、
美 恵 子 ︵ 萩 ︶ 西 村 尚 子 、野 村
江︵ 萩 ︶ 別 府伸 子 ︵ 萩 ︶山 本
萩 ︶竹 下 三 枝 子 ︵ 萩 ︶ 服 部房
坂本香保子、恩村美智子︵萩
)山中康子(萩︶和田明子︵
三 面 より 続 き
た だ きた い も ので す 。
ち 、お 酒 は ほ どほ どに し て い
あ う人 も 多 く な り が ち で すか
を歩 い た た め に 、交 通 単故 に
す 。 ま た 、 酔 っ ぱ ら って 道路
者 に は 酒 を す す め な いこ と で
な 災 害 を 招 き ま すか ら 、運 転
す 。 あ や ま っ た親 切 心 が大 き
わ ざ わ いし た例 が多 く あり ま
ら 酒 を す す めら れた こ と が 、
ま す と 、家 族 や友 だ ち な どか
酔 っ ぱら い運 転 の 事 叙を み
を に ぎら な い こ と で す 。
酒 を飲 ん だ ら 絶 対 に︵ ン ド ル
事故 に 必 ず 発 展 し ま す から ︰
転 は 死 亡 事 故 や二 重 。三重 の
く なり ま す 。し かし 酒 飲 み 運
や 観 光 な ど で飲 酒 の 機 云 が多
行 楽 の季 節 の た め に 、花 兄
故 を起 し て い るの で す 。
浅 田 小 学 校区・
:上ゲ
三隅中学校区⋮滝坂
右 の 地区 には 運 動 用 具 を 贈り
表彰 し た 、ま た佃 人 で 多 数 捕
そ さ れ たか が 七人 あ 力 最 高 は
三 九匹 で そ れ ぞ れ賞 品 を贈 っ
た。
年 多 く なり ます 。 昨 年 中 に 山
人 を 殺 し たり 自 分 自 身の 生 命
なくそう
酒の み運転
口 県 内 で 起 き た I−酔 っ ぱら い
を失っているのです。
酒 をの ん だ と き に は 、
・自 分
運 転 ﹂ に よ る 市故 は五 百 二 十
六 件 で 、 全 体 の 九 、三 % と い
て い ます 。 こ の ため に 、 と っ
で はだ いじ よ う ぶ だ と 思 って
ま た 、三 十 八 年 巾 に 死 亡 事
う多 数 にの ぼっ て い ま す 。
故 を起 し た百 八 十 七 人 の 運 転
︵明 倫小 前で 交 通整理 に協 力す る
よ い子 達︶