意外に身近な(?) フランス教育史

私の研究・私の授業
王と教会から弾圧されて大学を追われま
し た。 晩 年 は 著 述 に 専 念 し、
﹃人文学を
教え、学ぶ方法︱知性と心につなげて﹄
と題する書物を発表します。これが次第
に﹃トレテ・デ・ゼテュード﹄の通称で
広く知られるようになりました。
ロランは当初その本を、コレージュで
教 育 さ れ る 人 文 学 の 内 容 を 扱 う、 ① 言
語・②詩学とホメロス読解・③修辞学・
④雄弁術・⑤歴史・⑥哲学の6編と、生
徒指導や校長と教師の職務を論じる編と
の7編で書いていました。この目的は、
若い教師や勤勉な若者たちへ学問の手引
書を示すことでした。ところが刊行にあ
たり、周囲から就学前段階と女子の教育
についても論じるように求められ、それ
らを述べて巻頭に据え、全8編から成る
教育論を完成させて上梓したのです。
(大学社会学部准教授)
注目すべきは、ロランがこの本を、学
問の国際共通語であるラテン語ではなく、
﹁ す べ て の 父 親 や、 母 親 で も 読 め る よ う
に ﹂ フ ラ ン ス 語 で 執 筆 し た 点 で す。﹁ 学
問が新たに学ぶ者へ行き渡るにつれて、
人びとを別の人間につくり変えるのは、
フランス教育史との接点
シャルル・ロランの教育論
ご存知の方は多いかもしれません。高校
は こ こ 数 年、 シ ャ ル ル・ ロ ラ ン
その前史を私は探っています。具体的に
フランス教育史を私は研究しています。
1789年の革命を機にフランスでは
日本とフランスの教育面でのつながりを
国家が公教育制度の建設に着手しました。
の日本史では、近代的な学校制度が明治
︵1661︱1741︶が 世紀
Rollin
前半に公刊した﹃トレテ・デ・ゼテュー
Charles
5年の学制発布に始まり、フランスをモ
デルにしていたと学びます。他方、漫画
や宝塚歌劇で﹃ベルサイユのばら﹄を楽
ド﹄ Traité des études
︵1726︱28︶
と呼ばれる書物の内容を考察し、 世紀
や映画に感銘を受けた方もおられるでし
原語の
へかけて受容も解明しているところです。
は、﹁ 今 日 の 初 等 教 育 の 基 本 形 態 で あ る
語っています。現代の高校教科書の一冊
︵ 大 野 一 道 訳﹃ 民 衆 ﹄ 原 著 1 8 4 6︶ と
唯一の政府は、大革命の政府であった﹂
彼は
する中等学校であるコレージュ collège
に
学び、大学は神学部で研鑽を積みました。
学問の道へ進みました。パリ大学に付属
刃物職人の子ロランは、幼い頃、ある
修道士に才能を見出され、奨学金を得て
歳にして諸学の第一人者が公開講
公教育制度という考え方は、フランス革
の通称に定訳はまだありません。
︵ ト レ テ ︶ と は﹁ 概 論 ﹂、
Traité
ょう。それらの歴史ドラマで光は当たり
︵ デ・ ゼ テ ュ ー ド ︶ と は﹁ 学
des études
業についての﹂といった意味ですが、こ
世紀フランスの歴史家ミシュレは、
﹁まごころこめて民衆の教育に専念した
問題として議論されていました。
ませんが、革命期には教育が重要な社会
しんだ方や、フランス革命に関わる小説
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義を行うコレージュ・ド・フランスで雄
ス語を学ぶ必要性や、歴史により多くの
彼が新たに主張した﹁方針としてフラン
図はないと謙遜しています。とはいえ、
新しい学習計画や指導方法を提案する意
のが目的であり、わずかな点を除けば、
ロランはその書で、パリ大学のコレー
ジュで行われている教育を忠実に伝える
学問と道徳と信仰を育む教育の理想を、
しかし、 世紀後半から 世紀前半に
おける代表的古典人文学者のロランは、
の範疇に、ロランは属さないからです。
教育構想に直接結び付く啓蒙思想家たち
その理由は、フランス革命期の新しい公
シャルル・ロランの教育論は、これま
で日本では本格的に研究されていません。
新たなフランス教育史を求めて
しかし彼は、信奉するジャンセニスム
が ロ ー マ 教 皇 に 禁 じ ら れ、 国
Jansénism
学の学長に2度も選出されます。
命のときに始まっていた﹂
︵東京書籍﹃世
世紀後半
弁術の教授に任命され、その後、パリ大
うした公教育思想の起源は、
界史A﹄2012︶と記しています。そ
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時間を割くこと﹂は、後の教育史の展開
公教育を目指していました。
述べる彼は、学問をより広く普及させる
の啓蒙思想家へ遡られるのが通説です。
18
世紀後半すなわち啓蒙思想の最盛期に
今日の公教育制度へと連なる方針を先駆
おいて、シャルル・ロランの教育論は、
教育が重視されました。こうした側面に
まとめるためフランス語とフランス史の
れていく過程では、人びとを国民として
て革命を経て、公教育制度が現実に築か
る初等学校の設立も構想しました。やが
に求めたのと同時に、全住民を対象とす
ル ス ヴ ィ ル Rolland d’Erceville
は、 新 た
な教育課程を﹃トレテ・デ・ゼテュード﹄
ました。それを推進した官僚ロラン・デ
革命前夜の約四半世紀の間、パリ高等
法院は管内のコレージュ改革に取り組み
示唆を与えてくれるように祈りつつ、文
の教育の在り方を考える上にも細やかな
新たなフランス教育史像の探究が、今後
観点からも、より多面的に捉えられます。
洋古典人文学の継承と信仰の尊重という
じて、啓蒙思想の進展のみではなく、西
フランス近代教育史は、シャルル・ロ
ランの著書とその受容をめぐる研究を通
を﹁教育の真の聖者﹂と讃えています。
批評家ヴィルマンが、文学講義でロラン
ュード﹄を読んで高く評価したのです。
ルテールもルソーも﹃トレテ・デ・ゼテ
世紀前半には、文部大臣を務めた文芸
活躍する世代へ提示していました。ヴォ
的に唱えていたと言えるでしょう。
に大きな影響を与えていったのです。
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越水 雄二
日 々、 目 に さ れ て い る。
︵中略︶学問が
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意外に身近な
(?)
フランス教育史
国民の運命を決めるように思われる﹂と
19
じ
ゆう
こし みず
献の解読に四苦八苦する毎日です。
私の研究・私の授業
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59
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私の研究・
私の授業
私の研究・私の授業
土屋 誠司
(大学理工学部准教授)
常識を持った
コンピュータの
実現に向けて
り、なくてはならない存在になるかもし
人工知能の世界と現状
れません。
このように、目に見える部分であるハ
私の研究は、大きく捉えると人工知能 ードウェアは非常に進歩しています。し
に関する研究です。知能ロボットの実現
かし、目に見えない部分であるソフトウ
を視野に、ハードウェアではなくソフト
ェアは、これほどまでには進化できてい
ウェアの部分、人間でいう﹁頭脳﹂にあ
ません。確かに、インターネットでの検
たる部分の研究を行っています。
索も、新幹線の制御も、ロケットを飛ば
科学技術の進歩は目覚ましく、私が同
すのももちろんソフトウェアの賜物です
志社大学に入学した頃はインターネット
一般家庭におけるロボットの﹁頭脳﹂
が 普 及 し て お ら ず、 よ う や く Windows が、
として要求される機能を実現するまでに
が市民権を得たぐらいの時代でした。そ
は至っていません。
れから 年弱の間にインターネットはな
くてはならないものとなり、当時のパソ ロボットが家に居る生活を想像してみ
ましょう。朝起きて﹁おはよう﹂と挨拶
コンを遥かに上回る性能のスマートフォ
すると、ロボットも﹁おはようございま
ンが皆さんの手の中にある状況にまでに
す ﹂ と 挨 拶 を し て く れ ま す。﹁ 今 日 の 予
なっています。そんな中、自動車メーカ
定は?﹂と聞くと﹁本日は、 時からデ
ーのホンダからは二足歩行ができるロボ
スクワーク、 時から会議です﹂と予定
ット﹁ ASIMO
﹂
、電機メーカーのソニー
も教えてくれます。予定をアナログの手
からは犬型ロボットの﹁ AIBO
﹂が登場
帳からデジタルでの管理に変えれば簡単
しました。さらに2015年には、携帯
に実現できるでしょう。出社して、会議
通信キャリアでお馴染みのソフトバンク
で散々絞られて、疲労困憊で帰ってきま
から人型ロボット﹁ Pepper
﹂が一般の人
した。
﹁ただいま﹂
﹁部長に怒られちゃっ
にも手が届きそうな価格で発売される予
て﹂と愚痴の一つも言いたくなります。
定で、SF映画やアニメの世界のように
するとロボットは、﹁お帰りなさいませ﹂
ロボットがこれまで以上に身近な存在に
﹁そうですか﹂
。現在の技術では、定型の
なろうとしています。あと数年すると一
ことをしゃべらせるのが精いっぱいで、
家に1台ロボットがいる光景が普通にな
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9
私の研究・私の授業
て あ げ よ う! 喜 ん で く れ る に 違 い な い
この辛い状況を回避する一つの方法とし
非常に冷たいものになってしまいます。
﹂というとんでもない行動をとること
て、共感して慰めてあげる必要があるの
無機的なロボットをもっとフレンドリ
になってしまいます。納豆ではなくケー
です。また、お風呂に入ることは気持ち
ーに、もっと温かいものにしなければ、
キであれば何の問題もないのですが⋮。
いいことであり、気持ちを切り替える一
いくらハードウェアが素晴らしいロボッ
辞書やインターネットに載っていること
つの方法としてよく行われる行為である
トであったとしても、家で一緒に暮らす
を機械的に学習する機能は、現在の人工
ことも理解しておく必要があります。
ことはできません。そこで、私の知識情
知能でも実現することができます。しか
報処理研究室では、渡部教授と毎年約
このようなことは、人間であれば無意
し実は、それ以外の﹁どこにも書いてい
識のうちに、いとも簡単に瞬時に判断し
人もの学生と一緒に、無機質なロボット
ないけれども、普通に考えればこうなる
て行動できます。しかしコンピュータに
を有機的な存在にするべく、どうすれば
よね、こうすべきだよね﹂といった﹁常
とっては、例に挙げたように一つひとつ
人と共存できるロボットになるのかを
識﹂が重要な役割を果たします。この﹁常
﹁常識﹂という切り口から研究しています。 を細かく解析し、それらの結果を統合し
て最終結果を出していく必要があり、非
識﹂がなくては、ロボットと一緒に暮ら
常識を理解させる難しさと面白さ
常に難しい仕事です。また、同じ状況で
すことは難しいでしょう。しかし、この
あったとしても﹁慰める﹂だけではなく、 ﹁常識﹂をコンピュータ上で実現するこ
先の人とロボットとの会話で﹁部長に
時には﹁叱咤﹂することもあるでしょう。 ともまた難しいことなのです。
怒られちゃって﹂という発言の例があり
どう対応すべきかは、時と場合にもより
ましたが、人がこの発言を聞いたらどう
私の知識情報処理研究室では、人間の
ますし、相手にもよります。非常に難し
答えるでしょうか?﹁最悪な日だったね﹂
連想機能をシミュレートすることで常識
い判断が要求されます。
とか﹁ゆっくりお風呂にでも入ってリフ
というものを少し再現できつつあります。
レッシュしたら﹂などと言って、その人 その上、どうすべきかという問いに対
課題は山積みでまだまだ研究が必要です
する回答は、辞書にもインターネットに
を慰めようとするかもしれません。この
が、だからこそ面白い分野です。また人
も正確には書かれていません。つまり、
﹁ 慰 め る ﹂ と い う 行 為 は、 そ の 人 の 気 持
工知能の研究を通して、人間の凄さ、素
機械的に学習できるものではないのです。 晴 ら し さ を 改 め て 感 じ る と 共 に、﹁ 自 分
ちや感情を理解しなければ決して行うこ
例 え ば、﹁ 自 分 の 好 き な も の は 恋 人 も 喜
とができないものです。部長という自分
はちゃんと人間でいることができている
んでくれる﹂という考え方をルールとし
を管理している立場の上の人から怒られ
のか﹂と自分自身を省みる良いきっかけ
てコンピュータに教えたとします。する
るというストレスを感じ、嫌な気持ちに
にもなっています。
と、
﹁ 僕 は 納 豆 が 大 好 き だ か ら、 彼 女 の
なる行為を受けたことから、この人は悲
しみ、へこみ、疲れていることを理解し、 誕生日にはいっぱい納豆をプレゼントし
40
じ
せい
や
つち
!!
60
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私の研究・
私の授業
私の研究・私の授業
〟は〝恐れ〟?
fear
「感情って何?」
鈴木 直人
最近、諸分野が感情を研究テーマとし
て扱い始めました。ロボット工学の発展
はアンドロイドなどの極めて精巧な人型
感情はナウいテーマ
もう一つ感情を研究する上で非常に厄
介な問題があります。それは言葉の問題
です。例えば、日本語の〝恐れ〟を意味
する言葉として用いられる英単語は
〝
〟ですが、両者は同じ感情を表して
fear
〟は殺されそ
い る の で し ょ う か。
〝 fear
うになったというような非常に強い感情
状態を表すのに対して、日本語の〝恐れ〟
は、夜道を歩いていて怖かったといった
ように、必ずしも同じ感情状況で使われ
ていません。そして往々にして、日本と
アメリカでは文化の違いがあるため恐怖
に対する反応が違うのだというような考
察がされてしまいます。このような例は
他にもいくつかあります。つまり、感情
語は日常よく使う言葉であるため、専門
用語として用いるとき、日常語の影響を
受けざるを得ないという問題です。筆者
は、今こうした問題をなくすため、残り
少ない研究生活を﹁感情用語辞典﹂の作
成に向けようと思っています。
〝
と
なお
き
すず
感情というテーマ
感情はいつも同じとは限らない
私の研究テーマは﹃感情﹄です。われ 第 に、感情は、状況に適した行動を
われは日常、色々な出来事に対して怒っ
とることができるように生体の準備をす
たり、悲しんだり、あるいは喜びを感じ
る生物学的反応であるという進化論的側
て生活しています。このように感情とい
面 で す。 キ ャ ノ ン の 闘 争 逃- 走 反 応 が そ
う現象は、誰でもが経験し、知っている
れに当たります。ここで問題なのは、感
ものです。ところが、それがゆえに、感
情反応は誰にでも同じように起こるわけ
情に関する研究は非常に難しい立場にお
ではないという問題です。恐怖の感情を
かれています。読者の方々には理解し難
引き起こすためにホラー映画やオカルト
いかもしれませんが、ブリティッシュ・
映画、あるいは不快写真などがよく使わ
コロンビア大学のラッセル教授が
れます。しかしながら、これらを見て恐
〝 Everyone knows what emotion is, until 怖を感じる人もいれば、不快感を感じる
人、中には面白いと思う人さえいます。
〟と指摘し
asked to give an definition.
つまり同じ刺激に対し、同じ反応が生じ
ているように、感情を心理学的に定義し
ないことがあるという問題です。また、
ようとするとうまく定義できません。
さらに同じ人が、同じ刺激を見たとき、
感情にはいろいろな側面があります。
いつも同じ感情が引き起こされるとは限
まず第 に感情は主観的な現象です。あ
る場面で、貴方が怒りを感じたとすれば、 らないという再現性の問題もあります。
このように、感情は公共性、再現性が低
﹁誰もこの場面で怒る人はいない﹂と指
いという問題のため、近代心理学の分野
摘しても意味がありません。それは怒り
になじまないものとして扱われてきました。
が喚起されたのであり、それ以外の何も
のでもありません。先日、ブログを見て その他に感情には機能的な側面や社会
的な側面があります。紙面の都合で詳細
いたら﹁笑うネコ﹂という写真がありま
を省きますが、感情はいくつかの側面を
した。このネコは本当に面白くて笑って
持っているため、どれか一つの側面を説
いるのでしょうか。偶然笑ったように見
明できたとしても、感情全体の説明にな
える一コマを切り取ったものか、ネコは
りえないのです。
﹁ニャン﹂とも答えてくれません。
ロ ボ ッ ト を 作 り 出 し、〝 感 情 〟 を 持 た せ
る試みも行われるようになってきました。
し か し 人 の﹁〝 感 情 〟 と は 何 か ﹂ と い う
解答はまだ出されていません。中川いさ
み氏が描いた コマ漫画﹁体験バーチャ
ル・ リ ア リ テ ィ︵ 仮 想 現 実 ︶﹂ に、 ク マ
のプー太郎がバーチャル・リアリティで
ヨ ー ヨ ー を 体 験 し、﹁ 本 当 み た い だ!﹂
と 感 動 し て 買 っ て 帰 り、﹁ 本 物 の ヨ ー ヨ
ー を 買 え ば よ か っ た ・・・
﹂と後悔してい
るという漫画があります。講演会でこの
漫画を文系の人に見せると多くの人が
〝 に や っ〟 と 笑 う の に 対 し、 理 系 の 人 は
何がおかしいのかといった顔をするのが
印象的です。技術の素晴らしさとは別に、
プー太郎が感じた心の在り方、そして最
後の一言こそ、まさに人間的な反応であ
り、感情なのです。
1
感情を知ることこそ人間を知ること
感情というのは非常にあいまいで研究
し難い存在です。しかし、人間の最も人
間らしい部分であることもまた事実です。
人間行動に大きな影響を与える感情を解
明しなくては、本当の意味で人間を理解
したことにならないのではないかと思い
ます。感情に関する研究に長い歴史と蓄
積を持ち、人間の研究にノウハウを持つ
心理学は、感情や人間理解の研究をリー
ドしていく責務があります。感情という
現象は、表情などに表出されなくても内
臓活動には反応が出ている人、逆に大げ
さな表出行動の割には、内臓活動にはほ
とんど影響のない人、主観的には感情を
感じていなくても行動や自律反応、脳で
は何らかの変化が生じているということ
があります。感情はきわめて多面的な現
象です。感情を真に理解するためには、
主観的な側面からだけでは不十分です。
生理学的側面、神経科学的側面からだけ
でも足りません。行動的な側面も含めた
多角的な側面からの検討が必要です。こ
うした多角的な研究をできる限り同時進
行で行わないと、益々﹁感情って何?﹂
という問いの答えを混沌とさせることに
なってしまうのではないでしょうか。
2
私の研究・私の授業
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笑うネコ
http://ameblo.jp/tatuya01/
entry-10666312309.html
4
私の研究・
私の授業
(大学心理学部教授)
私の研究・私の授業
え
ふみ
い
「文学研究と教育」
(大学グローバル・コミュニケーション学部教授)
玉井 史絵
ッターと賢者の石﹄、﹃チャーリーとチョ
れ ま で い く つ か の 授 業 で、
﹃ ハ リ ー・ ポ
作品を使えるわけではありませんが、こ
ずと限定されるので、どの授業でも文学
英語では、科目の種類によって教材が自
まざまな活用法があります。全教科目の
は学生のレベルや授業の目的に応じてさ
こ の よ う に し て、
﹁ 私 の 研 究 ﹂ は﹁ 私
の授業﹂につながっていきます。文学に
2
私の授業
てくれるのです。
ち返るとき、文学は新たな可能性を示し
共同の営みとしての読書という原点に立
いう読書のほうがかつては主流でした。
読によって一冊の本を皆で分かち合うと
ば、こうした読み方はむしろ新しく、朗
内的な行為を指しますが、歴史的に見れ
書﹂とは一般的には個人が沈黙して行う
育成のための文学作品の活用法です。﹁読
っているのは、コミュニケーション能力
究であり、実践です。私が特に関心を持
業に取り入れることができるかという研
をいかに従来の訳読とは異なる方法で授
他の教材にはない魅力があります。それ
字一句にこだわって書いた文学作品には、
たま
1
私の研究
を受けると同時に、帝国という概念を構
築する上で大きな役割を果たしてきまし
た。私はディケンズと帝国との関わりを
ない学生たちですが、こうしたアクティ
で会話をさせようとしても言葉が出てこ
で答えを考えてもらいます。普段、英語
に内容に関する質問を用意し、グループ
した。このような授業においては、最初
みやすい作品を用いて授業を行ってきま
コレート工場﹄など、学生にとって親し
小説は帝国主義という文化に大きな影響
強く結びついている﹂と述べています。
方を語ることはできないぐらい、互いに
主義と小説は、一方を考察せずにもう一
は﹃ 文 化 と 帝 国 主 義 ﹄ の な か で、
﹁帝国
な貢献をしたエドワード・W・サイード
試みです。この分野を確立するのに多大
う﹁他者﹂を構築してきたかを検証する
再読し、文学がいかに異文化の人々とい
は、植民地解体後の視点から文学作品を
出発点でした。ポストコロニアル批評と
来るのかという素朴な疑問がこの研究の
残しています。このギャップはどこから
的な表現を含むエッセイや手紙も数多く
地の人々やロンドンの貧民に対する差別
ンズですが、当時﹁野蛮﹂とされた植民
ーマニズムの作家として知られるディケ
ス・キャロル﹄に代表されるようなヒュ
を 用 い て 検 討 し て き ま し た。﹃ ク リ ス マ
な作家の作品を、ポストコロニアル批評
ルズ・ディケンズを始めとするさまざま
帝国主義、異文化表象の研究で、チャー
場面がいくつかあります。アンはこうし
ム・チルドレンへの人々の偏見を表した
の孤児とされていますが、物語にはホー
従事しました。アン自身はカナダ生まれ
的待遇を受け、過酷な環境のもと労働に
供たちは、しばしば受け入れ先でも差別
ム・チルドレン﹂と呼ばれたこれらの子
の 歴 史 が 秘 め ら れ て い る の で す。﹁ ホ ー
しい子供たちを植民地へ移住させる事業
経験から生まれた課題でした。作家が一
が文学研究の傍らで英語教育学を学んだ
そして、三つ目は文学の英語教材とし
ての可能性に関する研究です。これは私
いった小説家を中心に研究しています。
ディケンズやエリザベス・ギャスケルと
て ど の よ う に﹁ 教 え ﹂﹁ 学 ぶ ﹂ と い う 行
為を表象したのかといった問題について、
のように定義したのか、また作品におい
に関わったのか、自らの教育的役割をど
どのような教育観を抱きどのように教育
育としての小説を提供しました。彼らが
い読者層に向けて、娯楽として、また教
く普及した時代であり、作家たちは新し
は識字率の向上とともに文学が大衆に広
へと関心が向いていきました。十九世紀
意味を考えるうちに、自然にこのテーマ
日々関わっている﹁教育﹂という営みの
同志社で教鞭をとるようになり、自分が
二つ目の研究テーマは十九世紀イギリ
スにおける文学と教育という問題です。
用を強く意識するようになりました。
研究するなかで、文学と社会との相互作
ビティでは作品という題材があることで
た偏見のなか、いわば完全にアウェイの
私の研究テーマは主に三つあります。
一つ目は十九世紀イギリス文学における
自然に英語が出るようになっていきます。
ーション戦略について、異文化コミュニ
状態から出発し、卓越したコミュニケー
ケーションの理論を参考にしながら英語
そのあと、ロールプレイや朗読などのア
GC学部では一年間の留学を終えた学
生に対して、コミュニケーション能力に
でディスカッションを進めます。一つの
クティビティを行うことで、さらなるコ
加えて批判的思考力や論理的表現力の伸
テーマに関して、作品をさまざまな角度
ション能力だけをたよりに自らの居場所
張を図る必要がありますが、こうした目
から分析し議論する過程のなかで、高次
を作っていきます。授業では小説の歴史
的のためにも文学は役立ちます。たとえ
のコミュニケーション能力が培われてい
ミュニケーション能力の伸張を図ること
ば、昨年度ゼミで使用した作品の一つに
らこの小説を再読すると、別の側面が浮
ョン﹂だと私は思うのです。
す。これこそが究極の﹁コミュニケーシ
文学は言葉の芸術であり、時空を超え
て人々の心に働きかける力を秘めていま
的背景を俯瞰した後、アンのコミュニケ
﹃赤毛のアン﹄があります。孤児のアン・
くのです。
ができるのです。
シャーリーを主人公とした心温まる小説
かび上がります。年老いた兄妹が孤児を
ですが、ポストコロニアル批評の視点か
引き取るという設定の背後には、当時イ
ギリスの慈善団体によって行われた、貧
私の研究・私の授業
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私の研究・
私の授業
私の研究・私の授業
のぶ たか
地球と共生できる
社会システムを目指して
(女子大学現代社会学部教授)
長岡 延孝
私の研究・私の授業
け大人数の授業でアクティブ・ラーニン
グを実践するのは難しいのですが、大学
やコンソーシアムなどによるFD活動に
参加して、事例を学ばせてもらっていま
す。そして、質問を投げかける、コメン
ト・ペーパーを用意する、映像資料で理
解を深めるなどの方法で、少しずつです
が試行をしています。
こうして大学の授業の在り方は次第に
変化してきていますが、それでも一般的
に言って、学生自身による自主的な学習
意欲や研究への姿勢を十分に引き出せて
いるとは、まだ言えない気がします。そ
れには社会総体として、若者が小さい頃
から学ぶことの楽しさと有益さを実感で
き、また社会に出てもそれが正当に評価
されるような仕組みや文化が必要ではな
い か と 常 々 思 っ て い ま す。
︵ 写 真 は、 フ
ィールドワークの様子です。
︶
ーズアップされていた時期でしたので、
1
自然豊かなキャンパス生活
地球環境と適合できる経済システムをど
うすれば築けるのか、といった問題意識
ちょうど2000年、女子大学に現代
で研究してきました。
社会学部が開設されたのを機に、私は同
志社に奉職しました。以来、経済学関連 昨年、これまで発表してきた論文に基
づき、ミネルヴァ書房から﹃緑の成長の
科目や公共政策などを担当させていただ
社会的ガバナンス﹄と題する研究書を公
いております。まじめな学生が多い中、
刊することができました。小著のテーマ
日常的に刺激を受けていますし、キャン
は、北欧社会の分析を通じて持続可能な
パスでは季節の移ろいにつれて咲く花々
発展を目指す政策システムを構想すると
や鶯の鳴き声などに癒され、すがすがし
いうものです。そのため、現場に足を運
い気分になれます。また、時折しか出席
できませんが、礼拝での奨励者のお話も、 んで実際の動きを観察したり、担当者の
生の声を伺ってきました。
人の原点に立ち返ることのできる機会と
なっており、同志社ならではの良さを感
2
研究を突き動かす疑問や怒りを大切に
じています。
研究面では、ヨーロッパの経済システ 昨年、3人の日本人が青色LED研究
ムと環境政策の関わりを課題としてきま
でノーベル物理学賞を受賞され、皆さん
した。ただ振り返ってみますと、テーマ
一様に苦闘や喜びを吐露されていました。
には紆余曲折がありました。はじめ大学
そこで印象的だったのは、各人の強調さ
で経済理論を学び始めたのですが、疑問
れるところが異なっていたことです。赤
に思うこともあったので歴史に遡って理
崎 さ ん は﹁ 好 き な こ と を 研 究 し て き た ﹂、
解しようとしました。大学院ではフラン
天野さんは﹁社会のためになればいいと
スの経済思想史を研究して、修士論文に
思って研究した﹂と述べられ、さらに中
まとめました。しかし、現代的な関心が
村さんは
﹁研究の原動力に怒りがあった﹂
再び湧いてきましたので、ヨーロッパの
というように、ユーモアを交えて語って
経済政策を研究するようになりました。
おられました。これらの強調点は、いず
折しも地球温暖化などの環境問題がクロ
れも研究者として重要な動機であると思
福島原発事故後にあらわになった日本の
います。私などは能力的にはこれらの学
政治経済の在り方への疑問や怒りがあり
者の足元にも及びませんが、とにかくこ
ました。社会科学を研究する原動力とし
れまで研究生活を続けてこられたのは、
て、正義感や公平性の希求、人間性の尊
私もそれらを持ち続けていたからだと気
重、不正に対する怒り、より良い社会へ
づかされました。
の熱望といったものが、根底に必要では
基本的に私は学ぶことが好きなタイプ
ないでしょうか。
の人間で、好きなことが仕事になること
ほど幸せなことはありません。それがで
3 自発的な学びを誘発する教育を求めて
きるのは、当然周囲の人々のおかげです
ので、日々そのことにも感謝しています。
いわゆるアクティブ・
近年の教育では、
また一見、研究はオタクのように見えて
ラーニングが強く推奨されるようになり
も、なにがしかの形で社会への貢献や還
ました。かつての講義は教員による一方
元を意識しつつ遂行しなければはなりま
的な口述が当たり前でしたが、双方向の
せん。私の場合、少し言い過ぎかもしれ
意見交換や学生間の議論を活性化するこ
ませんが、何か社会のための捨て石のよ
とによって、受講者自らの主体的な知的
うな存在になりたい、との思いから研究
活動を引き出そうとするものです。筆者
の世界に入ったことを思い出しました。
のような伝統的な教育を受けてきた者に
そして、とりわけ社会科学の分野では、 とって、その実践には戸惑いもあります
社会の抱える諸問題に対する疑問や怒り
が、方向性は正しいかと思いますので、
が、研究への大きな原動力になります。
試行錯誤を続けているところです。
私は京都近郊の農村に生まれ育ったので
すでに多くの教員が実践していること
すが、その旧習に不自由さを感じること
ですが、演習ではグループワークによっ
もしばしばありました。人間の自由の問
て学生間のコミュニケーション力を向上
題や、個人と集団の問題など、社会科学
させ、また工場見学などのフィールドワ
や哲学の根本的な課題を身に染みて感じ
ークに出かけることを通じて学習・研究
ました。
と実社会との関連を実感できるようにし
このたび研究をまとめようとしたのも、 ています。演習に比べると講義、とりわ
なが おか
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私の研究・
私の授業
私の研究・私の授業
まこと
松倉 誠
日本の地形と気候の特色
5∼6時間
3時間
地形図の読図
+遠足で地図を用いて実践
事前学習
今後の学習過程の説明
1時間
2時間
情報教室での作業
※加えて、家庭での学習︵家族との話
し合いや荷物の準備、避難行動の練
習など︶
事後学習
レポートの作成
1時間
︵別紙 レポート用紙 参照︶
学習の過程︵目安︶
までの地図上の距離を測り、縮尺︵1万
分の1が大半︶で計算し、実際の距離を
算出する。分速 m ︵基本的な徒歩の速
度︶でおよその時間を確認する。実際に
家族で歩いてみる。
︻ 別 紙﹁ ハ ザ ー ド マ ッ プ︵ 例 ︶﹂﹁ 地 形
図︵ 例 ︶﹂ を 添 付 し て い ま す の で、 そ
ちらをご覧下さい︼
まつくら
はじめに
東日本大震災以降、国民の生命を守る
ことを最優先課題とする政府は、ハザー
ドマップ等を活かした防災教育を積極的
に推進している。
本校では、中学1年生の日本地理、高
校3年生の地理A等の授業で防災教育に
取り組んでいる。以下、今年度私が取り
組んだ中学1年生向けの防災教育を紹介
する。
実践例 中学1年生・日本地理︵週2単
位、使用教科書
帝国書院﹃中学生の地
理﹄︶
授業の大まかな流れは以下の通りであ
る。
2章1節﹁自然環境の特色①∼⑤﹂日
本の地形と気候の特色↓4章﹁身近な地
域の調査﹂地形図の読図↓遠足で地図を
用いて散策↓2章1節﹁自然環境の特色
⑥﹂ハザードマップと地形図を用いて自
然災害と防災
以下、傍線部の部分について具体的な
手順を紹介する。
生徒1人に1台パソコンを提供できる
環 境︵ 本 校 で は 情 報 教 室 ︶ で、
﹁国土交
通省 ハザードマップポータルサイト﹂
にアクセスし、自分が住んでいる自治体
のハザードマップをプリントアウトする。
ハザードマップに自宅と避難場所を記入
し、以下の3点を確認する。①自宅近く
にどのような災害の危険性があるのか、
②どの地域がどれくらい危険なのか、③
避難場所周辺の状況。ハザードマップが
公表されていない自治体もあるので、そ
の場合は、自宅住所を寝屋川市香里南之
町として、寝屋川市洪水ハザードマップ
を用いて同じ作業をする。
次 に、
﹁国土地理院 ウォッちず﹂の
サイトにアクセスし、自宅と避難場所が
のっている範囲の地形図を、1万分の1
以下の淡色地図でプリントアウトする。
地形図に自宅と避難場所を記入し、ハザ
ードマップを見ながら危険区域の色ぬり
︵ 凡 例 も つ け る ︶ を 行 う。 そ の 際、 危 険
区域の地形的特徴︵低地になっている、
周囲に池や湖がないか、など︶を地形図
から読みとる。意外な場所が危険︵また
は安全︶なことがあるため、なぜその場
所が危険区域になっているのか︵なって
いないのか︶を考察する。
すべての作業終了後、危険区域をでき
るだけ避ける形で自宅から避難場所まで
の移動ルートを記入する。避難にかかる
時間を計算するため、自宅から避難場所
ることがわかりました。家族で話し合っ
生徒の感想
て、家にいる時よりも帰宅途中などに災
害にあったとき、自分がきちんと対応で
﹁ 自 分 が 住 ん で い る 周 り の 地 域 が、 こ
きるかが心配だと言われました。﹂
んなにもたくさんの危険がひそんでいる
ことに驚きました。マンホールの近くを ﹁ N T T が、 被 災 地 と の 間 で 伝 言 を 伝
え る﹁ 災 害 用 伝 言 ダ イ ヤ ル︹ 1 7 1︺
﹂
歩いてはいけないことなど、ホームペー
をつくってくれていることが勉強になっ
ジを読んで勉強になりました。そして、
た。調べてみると、練習する期間も設定
いざ避難をしなければならない状況にな
されているようなので、またやってみた
ってからでは遅いということがわかりま
いと思う。
﹂
した。今決めておくことで、その時に冷
静な判断ができるようになり、被害を少 ﹁ 今 回 の 勉 強 が な け れ ば、 も し 洪 水 な
どの災害の時に、どこに何をもって逃げ
しでもおさえることができると思いまし
ればいいのか、パニックになっていたと
た。
﹂
思います。それから、普段暮らしている
﹁避難のときに持って行くリュックサ
この生活はすごく便利で、ありがたいも
ックは前から用意していましたが、今回
ので、感謝しなければいけないことなん
改めて家族と話し合う良い機会になりま
だと思いました。
﹂
した。土砂災害や洪水についてよく学べ
たので、今度は南海トラフの地震につい
て調べてみたいと思いました。
﹂
﹁家族と避難についてこんなに話した
ことがなかったので、とても良い機会に
なりました。自分の家が意外に危険だっ
たこと、避難場所や避難のときの持ち物
など、家族でたくさん話し合いました。
﹂
﹁家ではエマージェンシーシートや電
池、食料やトイレットペーパー、ティッ
シュなどは常に多めに備蓄していますが、
ラジオなど、まだ必要なものが色々とあ
私の研究・私の授業
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防災教育への取り組み
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私の研究・
私の授業
(香里中学校・高等学校教諭)