Page 1 Page 2 Page 3 Page 4 s が意味を失うにいた。 て、 政治の現実

Title
方丈記の先蹤文学の一資料: 成簣堂本作文大体所収源通親久我草堂
記
Author(s)
川口, 久雄
Citation
金沢大学法文学部論集. 文学篇 = Studies and essays by the Faculty of
Law and Literature, Kanazawa University. Literature, 7: 1-5+document
2pages
Issue Date
1960-02-20
Type
Departmental Bulletin Paper
Text version
publisher
URL
http://hdl.handle.net/2297/40981
Right
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1
︲、一一11︲l’11︲l︲︲II
小著で紹介した。本記の成立は高倉天皇崩後、﹁生涯近一画
撰詩髄脳などを含み貴通なものであるが、そのことは近刊の
仏結裕交名や寺家消息の書かれる料紙。作文大体も源順の新
巻子本古写一軸、墨界ある長巻で、紙背に文永八年不断念
て報告したいと思う。
途中調査させていただいたのでその本文について紹介をかね
られていなかったが、私は成笹堂の日本洩文関係蔵桝閲髄の
擬したかといわれていただけで“剛恥林岬嘩大その内審は知
あり、何人の作か不明、自火文架蝿恥砺濡継跡啄緬輌騨などに
によってはやく紹介されたが、その巻甘に擬谷山棋球紫記が
故徳樹蘇峯翁旧蔵鎌倉期古紗本作文大体のことは山岸教授
l成笹堂本作文大休所収源通親久我草堂記I
方丈記の先蹴文学の一資料
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の作が見える。
。
。
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。
。
その先祖には後中書王をはじめ王朝漢詩文の名家が多く、こ
顕房や雅定というような人物がいることは注意せられる。
とに今昔物語集にゆかりある覚樹や、大鏡作者に擬せられる
平家が壇浦で滅亡したのはこの一年後である。通親は土御門
︹二八四︺に三十六才、参議左中将で、成立もこの前後で
︲師忠H蝿︵鵜識霊難︶
⑥
獄上天皇︲奥率鯉王︲⋮︲混釧岬︲耀謹︲雛迦︲趣“
。
雛菊紫残秋色冷井格紅脆雨声餘唯謡剛蝿定
風燕南賦二三月鴛抑上陽六十春樫緯著僻軸
る歌人であるが、同時に詩人で雑作染に二聯、
内大腿として新古今姫に六首、和漢雑作猟に一首の作のみえ
口
の条件に当るものを物色すると源通親を得る。彼は寿永三年
旬﹃官班沈二八座﹃兼二武職これた人物の作。源師房の後でこ
川
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卜■■11.111.JⅡ1111
し、草庵生活そのものもかの臓山畝庵生活に模している。こ
軍数の規模や湖庇は正しく白氏文築巻四十三の車堂紀に模
神秘的な傾斜をもって、楽天の影供をしているようである。
して﹁風月の旧主﹂であった先帝を同一視しかねないような
星神﹂とある。通親は文曲星を媒体として、白居易の変身と
く、すでに本朝麗藻に高階積善の詩の分注に﹁太保者是文曲
︲■■ⅡI可ⅡI■■’111.日11日可0j月Ⅱl・・︲rI■Ⅱ14J4勺■Ⅱ■0︲・IⅡ■﹄r・I。.I0IIII0IrIⅡI︲・IⅡトー.︲04J・■雲■■■I■■0114皿q■!■IIIIIIlLI・01■■Ⅱ
この記のなかみは先ず域南狩癖雑蝿砿“”唖甦久の地に師
房が是元六年︹一○三三︺草堂を営んで久我と命名してか
ら、天皇・上皇が行幸されたことをのべる。中右記寛治元年
︹一○八七︺の条に、
二月十日、天啼、上皇遊二覧脇羽辺宅、丼右大臣古河水
閣宛
に首尾のみを比鮫してみる。
の文章が白氏の車堂紀を模していることは偶然でない。試み
翌年白氏のそれに模した京堂を新たに築いて、四年剛に崩じ
天の箪堂記にみえる鹿山に比し、寺を辿愛寺になぞらえる。
らに伝えるもの。創作糀神のたぎりたちもなく、離過譲刻の
王朝漢文学の伝統がまさしく解体し終末するすがたをさなが
その内容の神秘性といい、この文章の模擬的な性格といい、
草堂記弔
以落ソ之、因為二草堂記↓也。時令相同、祭英始之路近、因続一雨
等凡二十有二人﹃具y斎施一茶菓↑就一薪居一招二城北好才一四月晦日
姶居二新堂︷四月九日与二河南元集新堂一招二河南元集︽四月九日也。
錨峯韮寺日二遺愛寺如謂二香鐙峯﹃北寺応v謂二遺愛寺垂於﹃
匡亜奇秀、甲二天下山↓山北峯日二番一城南幽奇、甲二雍州地一:.北峯応v
︵白氏草堂記︶︵通親草堂記︶
六月二十九日、、斎宮遷二御右大臣久我水閣垂
の草堂を訪れたもうたのである。次に山南池北に僧庵を建て
などと見える、白河上皇が鳥羽離宮に御幸するついでに顕房
先祖の墓を営み、・三昧僧をおき普賢悔過や弥陀例時を営むよ
しをのべ、九年前父雅通が莞じて以来ここを通親が伝領して、
四季道遥の輿に、身の憂えや時変のはげしさを忘れるよしを
た風月の主であった商倉天県衷諦の阿字を蝋にかけ、白楽天
である。しかし﹁不し好二椛蛍﹃者不し随二時変一不凹求二豪禰一者
きびしさもなく、模擬にもたれて主体的なものを見失いそう
のべ、四十歳ちかいが官位沈滞しているまま、との地を白楽
の典彩を安齪して、圃域寺の釈俊公を蝿し、東西両凹の好文の
就一斯地一休二其憂皐抑二民間一噸二王事こというあたり、治承・寿.
応や兼二武職一有二何益↓黄紙漁し恩、朱一文王一慾猫生。紅涙未し乾、
不レ染二生計壬只寅二家永銚空堺二産業↓生涯近二四句﹃官班沈二八
さてこの記に見える一つの特色は白氏崇拝であって、﹁白
永のはげしい動乱の社会を背景にして、もはや律令的な秩序
七律一筋をしるして結ぶ。
才子たちを招いて新成草堂の到会を他したいきさつをのべ、
とに感動する。この害は﹁白太保傳﹂というものと同諜らし
楽天之博﹂というものを読んで彼が文曲里の化身だというこ
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争・
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r0.1111︲︲ILIl﹄8℃二首
〃’
春は鴬のこゑをを侍えて春ハフジナミヲミル、紫
︵延徳本方丈記︶︵大桶寺本方丈出︶
とある簡所を、﹄方丈記の諸本と比較してみる、
羅搬翻蝿祁一
川二圏鵡哨・・亙 は剛搦の恥と冊。松にか盤ノゴトクシテ西方二、
邑〃ナ8ノノ
ヒニテナッカヴク
松︲懸臘1次紫震 ふる熊なみ紫雲のよそほホフ。夏ハ郭公ヲキク、
粧 而 悩 I 倣 ○ ひにてなつかし・又は郭カタラフゴトニシデノ山
︽キノヶ
ノワプ心イヤリ
秋 脈 v 隈 月 影 満 ↓ 公をき秘、かたらふごとヂヲチギル。アキハヒグ
︽昼ブハ
凡 尊 容 想 1 像 。 に四手の山路を契る。ラシノコヱミ、’一滴り、
リ、冬のあらしに散まがハレプ、ツモリキユルサ
冬嵐迷紅葉々 秋はくまなき月の影に満ウッセミノョヲヵナシム
︵力︶
浜ナシタメツ
不v術世之梯也。 月のかほばせをおもひやホトキコュ。冬ハ当ヲア
ふ紅葉をば、常ならぬ世マ、罪障ニタトヘッベ
で作られた方丈記もまさしくこのような池亭記もしくは草堂
草堂記をうけているかと思われる。方丈記は兼良筆本などで
のごとくであって、真名本や延徳本の春の鴬の発想は通親の
のためしなりと見。シ。
記の様式をうけるものであって、方丈記はこれまで保胤の池
らかこれらの問題についての参考資料となるであろう。
典名本系の先後には問題があるが、ここに紹介した資料は何
という文蹴に股開したともみられよう。大柵光寺本に対して
ヒロサハワヅカニ方丈、タカサハ七尺ガウチナリ。
、、
という文句に韮づいて、長明の、
広表三間に過ぎず、豊殺また方丈を以てす。
、、
は﹁外山庵記﹂とよばれているが、方丈という発想は通親の、
えよう。例えば四季の餓物の条、
︵白氏草堂妃︶︵保胤池亭妃︶
3蘂諏率幟鋤:|“諦一誠輝空理””鯏峨鍬確緬哩一殿
夏有二石Ⅲ澗盤︽夏布●北戸之竹淵風蝋然。叉詠三蔵州丹臘
春賓醜関谷花﹃群有畠東彫之柳︽細煙鰯厩。春賦二杏側黄隠﹃
一︵通親草蛍妃︶
通親の革塗記がある意味においてよけい影響しているともい
二百数十年伽に作られた池亭記よりも、わずか二十八年前の
亭記に拠って作られたと説かれて、きたが釧嘘峰噸筆壗蝿趣理博
や保胤の池亭記はどれもこれに属するものである。通親の草
堂記も正しくこのパターンに属する作品であって、これより
二十八年後に、通親より四歳わかい長明によって和漢混溺文
の上における一つの.ハターンであって、道其の書斎記・雅明
亭に悠々自然にひたる生活を叙くるところの様式は、漢文学
白氏車堂記や池上淵のように、間適梢神をもりあげ、草堂池
生活および文学を形成したのは西行である。
ようとするのは典平親王以来の源氏系文人の流れともいえる
のであるが、同時代人で和歌的世界でこのような草庵漂泊の
このように山居隠逸をあこがれ、砿庵生活に自己を解放し
ゲンチャの苦悩をまざまざとうつし出す。
堂に独謹自適のみちを見出そうとする古代終末期のインテリ
が意味を失うにいたって、政治の現実より遁走して水辺の草
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擬香山模草堂記
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︵牽力︶
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ー巌之取創↓誓云家1門於二此瑚一永繁I栄者、根I株傾二共益︽而可し災爽。妥低何不レ図挺二磯I標哉忽︲然茂二
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春雨東l作、秋風西I収。火し谷打二理I松や高及二十IⅢ﹃陰迎二五I莱如云昔先公柳二北l白1河︲之松︲枝﹃加二南1背
以二方I丈や桂柱非し断、石階以レ砿。湛二藍︲渓︲水﹃朋二白I蓮1池↓々中立二竹︽呈々南渡二松I橘一環し崖多二青I田や
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山乗北1峯応レ捌二香i鱸l峯誼北寺応し謂二造︲愛︲寺↓試披二草堂記↓忽棋二竹1塙様電広菱不レ過二三I間↓豊殺又
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慈猫生。紅︲涙未し乾、就二斯地一休二其憂や押一民間﹃嗽二王事記徐準二山1脚﹃情顧二地︲形垂遥隔二座︲機↓粗似二厘︲駁
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レ染二生I計↓只寅二家︲書﹃空事二産︲業一生︲涯近二四1句﹃官I班沈二八1座宛兼二武I職一有一一何益↓黄1紙漏﹄恩、失二文王一
ノ卯力︵塵︺ス
松l江−1箸如冬酌二藍︲水三︲潅↓可レ謂二地︲中仙串蓋し送二象1外老︷不二好P権︲貴一者、不し随二時︲変至不レ求二毫冨一者、不
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涙﹃商I洛l詞始二限I逸之栖一哉。僕博し之八’九︲年、性I米幾1千I廻。春賦二杏I園黄︲器屯夏詠二蔵︲州丹1烏や秋醍ニ
素I暁消二晋︲賢罪︲箱﹃麓I昏唱二弥︲陀例1時毛日日妨二燕I伽埴﹃年々訪二彼菩l提↓何必硯︲亭︲碑漉二行容之
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レ鵬。山I南処二金客紫︲勝之梵︲字﹃池1面北累I祖三︲公之域1基。僻椛二数1宇之僧︲庵﹃内置二三I昧之禅I侶毛
好、終老受之。万乗主、或停二仙︲蝿三代上里、或蟻二虚︲舟や祇︲諜不レ空、三︲槐述レ枝、除︲座労箪、五︲柳継
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燕︲寝﹃尚I閣低︲廊、串称二心︲力や相I府既米為し主、称二地lザ於久1我至主圃二週算一地保二及生一故也。遂得所
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腋︲山、不脚成I隅。手衆二拳︲石↓足決二斗I水↓縮二陽I栄一以納二秋月升洞二陰−戸一以来二涼I鰹毛作ゴ為蝸︲舎﹃錐吟非二
甲二天︲下垂災元六1年夏、鍵︲祖右丞1相、一石卜し之、再宿忘し州。新移二象I岳之居弐以為二兎妾之地↓而︲河
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城︲南幽1奇甲二雍︲州地垂河1束村日二鳥羽屯里︲境楼I城、軒1騎往I遮光し頓、水1石屈1曲得し便。其剛寂︲翌、且
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翠叢掩レ窓松百丈
池模一蓮府一古時水
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妥営一玉木一日々華
草堂模し跡竹三間
月似二虎諮一秋夜山
斯栖元白風一画閑一
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居一招二城北好才﹃四月聯日也。時令相同、祭典始之路近。因続二草堂記↓賀二軍堂新成一汁、
成二就於我志兎池魚山勘、凹一此言や背嵐皓月、久相伴。於二新堂一招二河南元築↓四川九日也。枇二新
箙、木柵臘杖、各捜二器川﹃併納二戸胴電予若冠之始、好文之時、竿右し醤し念。今遂二本懐﹃終二老於此地︽
譜一以州二仏乗一者、昔辿文也。堂元二尚栂一故。棋二香山一案二典影﹃今倣志也。何無二照窪一餓。凡巌絆純竹
弟、占レ隣描修善。毎月之四禅、不二外尋↓身縦州二酋壌﹃跡及二子玄孫↓生々世々、此勤典し慨。硫二締
腹蹴、空なし字。共中搾二神蛎阿字﹃懸二堂之南壁︽修二弥陀之繊↓帥祈二安餐之得果↓忠遠宗棚之遺
懇志之切、只仰二哀感↓所し期非し他、二1世拝︲観也。所し願非し他、一︲仏之芳︲絃也。往邪触し物無し忘、川賜
蝋二天上之政教﹃定二人間之禍編↓南1面之宝1位、如レ幻以過。西刹之托生、必可望導為二旧臣↓忽餘恩
風1月旧−主也。楽天有し遡者、豈不﹀州二文竜一共文曲星者、元是東方之薩鯉、今則北斗之列宿也。
之新賓↓擬二琴︲詩︲酒之昔友韮風︲僻中勤、星︲鰹外顕。丹︲祈所レ諭、玄︲応豈秘哉。然者商︲倉先︲朝者、
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星之化心今又億二夢I中之子︲細﹃弥抽二蝋︲上之丁︲寧﹃屈二園︲城寺釈︲俊I公﹃凝二寸I丹一靭敬1白。作二束I西I曹
新︲成。白氏将案し彰文1塁化入し夢。賜党感二霊I域哉粛1潔供二茶︲菓唖小1年読二白I楽︲天之博哉其身為二文1曲’
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