2015/02/25 家庭通信 03月号発行

数学
すべての学年
マイ
L V A N
ヽノ ′ ′
︲ ︲ ︲
▼指導教科
小学生
現在と変わりありませんが、国語と
して設定してある時 間には、社 会 など
を適宜 入れていきます。また脳トレパズ
ルなども積極 的に取り入れます。わく
わく文庫は廃止します。
中学生
現在と変わりありませれ
理科 。
社会 を定期 的に学習 できるよ
うに計画します。
▼中心となる数材
商 品名 F トレ﹂
という 、個 人個 人
別 々の教材 をパソコンを 利 用してプ
リントでき るも のを メインに使 いま
す。
▼教室
授業はすべて2階 で行います。
2階は小中 学生用と高校生 用に分
かれます。
▼月謝等費用
左の 一覧の通りです
中学生 中 1∼ 3
(5,400)
(3,240)
(5,400)
10,000
4,000
8,000
10,000
(10,800)
(4,320)
(8,640)
(10,800)
15,000
5,000
10,000
(16,2∞ )
(5,400)
(10,8∞ )
小 3以 上
育 英ゼ ミ
中学生
未定
5,000
過 日 の 保 護 者 会 でも お 知
ら せ し た よ う に 、柳 澤 先 生 が
引 き 継 ぐ 新 年 度 か ら の塾 は
育 英 塾 の 名 を 残 し 、育 英 ゼ ミ
と な り ま し た 。以 下 、要 項 で
す。
小学生
2
維持費
3,000
▼授業日
①小中学生とも、
週 一回、同 一
学年が揃う日を設定し、一斉授
業を行う
②小中学生とも授業曜日は月か
ら金とする
③①の日以外の月から金まで、
何
回来ても可とするが、小学1・
2
年生は週2回とする
〇小中学生共に、
学年が指定された
曜日以外でも他の学年も学習は出来
﹁
ます。
これは現行と同様です。︵
すべて
の学年﹂の表示はそのことを示し、小
1・
2以外は週に何度来ても構いませ
ん。
右の③の内容K丁︶
▼時間
①小学生
午後4時から5時50分まで
②中学生
午後6時から9時まで
英語
▼高校生のために
。
現在 の東進生は在宅受講生とな
りますが、育英塾 の利 用も できま
す。現在 の自習室が高校生 用とな
ります。
・塾 の利用は有料 で、維持管 理費
とし て月額 54 0 0円 いただ き
ます。
・
塾長はアドバイザ ー的立場とし
て動きます。
以上 の詳 し い こと は利 用 希 望者 に
直接伝えます。
▼新高1生 春の英語 ・
数学特■
英 語と数 学 の中学 復 習と高校 入
学準備講座を行います。
日程 下の予定 表 で確 認 してく
ださい。
時間
。
2
・ 日から 1 日
午後6時 0
1分から
4
・ 日 午後1時から
︵
天体 望遠 鏡 等 抽 選会 に
引き続いて︶
7
.日
・ 日から 2
午後2時から
費用 5400円
適 当な袋で納めてください
教材費 。
維持費は年間分です
︵ ︶内は消費税を含んだ額です
兄弟姉妹同時在籍割引
二人目から2000円引き
︵
ただし、小1・
2は除く︶
▼費用等舗入方法∼青英ゼミ
過 日の説明会 で、フ
﹂
れまで通りに
口座引き落としにして欲しいといつ要
望がありました。現在、郵便 局と大 地
みらい信金 を利 用していますが、郵便
局は廃止し、
大地みらい信 金 一本にす
る方向で検討していきます。
▼育 英 ゼ ミ始 動
改築後の4月になります
03月末に2階の改築を行います
このため、育英ゼ ミは4月にな
ってからの開始となります。
開始日については未定 ですので
▼育 英 塾 の 最 終 日
6
︲ 日 の週を も って最終 としま
0 日が最終 日
す。 したが って、 2
です。
6 歳 の誕生 日を迎
塾 長は先 日 6
2 歳 の時、 197
ぇましたが、 2
0 日が 開設 です から足
1年 5月 1
掛け 45年 です。長か った です。
▼3月分の費用 ︵
について
月謝︶
先にお知らせしていたように、引き
落としは行いません ︵
引き落とし口
。
座の廃棄手続きを行いドした︶
同封しました袋に入れて、お子さん
に持たせてください。なお、小学生の
冬期 講 習代 を1月分の費 用として
引き落とす予定でしたが、塾 長のミ
スで行 っていませんでした。3月分と
口
︿
わせて納めてください。
袋に金額を記入してありますが、お
釣りのないようにお願いいたします。
長い間、口座引き落としにご協 力
有難うございました。
くださり、
▼天体望遺餞等抽遭会
4
。
・ 日 午前 ﹁時 4 分から
理科実験教室に引き続いて行
います
これまでためたシールの枚数 を基 に
して、天体望遠鏡 ・
双眼鏡を中 心とし
た塾 内実 験 用 具などの抽 選会 を行 い
ます。天体望遠鏡は、年末の﹁
さような
ら会 ﹂に出 席した生 徒のみ対象とし、
他の物は全員を対象とします。
天体望遠鏡の抽 選は年末の﹁
さよう
なら︿
ご で行う予定でしたが、ビンゴゲ
ームなどで小学生らしからぬ行為があ
ったため、今 回に延期しました。今 回は
﹁
くじ方 式 ﹂にし、くじは塾 長が作り、
塾長が抽選します。
さようなら会 に参 加した人は必ず
参 加してください。せっかくためたシー
ルですから、最後 は大 切 に使 いましょ
う。
O引退後 の塾長
少しの間は塾から離れ、何もせず に
ゆっくり休息したいといつ思いがありま
す。右 の欄 に書 いたように、 閉 塾 後、
高 校 生と関 わっていきます。︵
上段 参
照︶
また、ポランアィアとして、柳澤先生
3 月 のカ レ ンダ ー
mal::infoOikueijuku.com文 責 :塾 長岸部雄―
e―
〒087-0021 根室市幸町 3-24 ■ (01532)24-4624 URL:http://― .ikueijuku.com
発行元 :育 英塾・ 東進衛星予備校
題演習を行う
休憩時間 (木・金も同様 )
生
3年 生
英語
1.23年
2年 生
金
木
講習代
教材費
小学生
eト レを利用して間
1年 生
英語
17:50
入会金
月謝
Jヽ 1・
算数
算数
国語 他
18:00
5,000
学年
算数
国語他
国語他
国語他
すべての学年
算数
国語他
16:∞
数学
数学
21:∞
算数
4年 生
3年 生
5年 生
6年 生
・2年 生
水
火
月
時間
教室 の改修 工 事
の育英ゼミを応 援して行きます。具体
的 には小中 学 生 には四字 熟 語やア
﹂
と
わざの授業 をやりたい、理 科実 験を続
けたいといつ気持ちがあります。
■申 1 2学年末テスト
対策特講
8 日 と3 月 1日
・2 月 2
両日とも午 前 Ю 時から
。 分まで
午後4時 3
費用 1000円
▼退塾する場合
今年度 で退塾し、育英ゼ ミの生
徒 と な ら な い場 合 は早 め にお
知 らせくだ さ い。
■﹁
流 汗 悟 道 ﹂最 終 版 発 行 ヘ
この号の発行後、最終 版を作成しま
す。現 在在籍している生徒 一人ひとり
の写真 と、過去の写真 を織り交ぜたも
として発行します。
のを﹁
思い出号﹂
工学部
工科大学
ピ ューターサイ エン
ンピ ュータ理工学部
国際 医療福祉大学
日本医療科学大学
作業療法学科
文教大学
臨床心理学科
金城学院大学
多元 心理学科
︱ ス大学
理学療法学科
・金城学院大学
の名門 女子大学 で,
パー ス大学
の単科大学 で、パ
辞典 を引きながら
小学生 の国語 の授業 です。辞典を使
い
つ、辞典 で調 べるのはなかなか面倒
なも のですが、分からな いことは自
分 で調 べると いう態度 は早 いう ち
に習慣化し ておく べき です。
塾 長 の学
家 を建 てる力
今 の小中高生 のうち、将来、自力
で家 を建 てら れ る者 はど のく ら い
居 るだ ろうか。
小中高学生だけ でなく、社会人 に成
り立 ての若者たちを含 めても、その
割 合 は 一体 ど のく ら いにな るだ ろ
うか。
家を建 てると いう ことは、家庭 の
象徴 であり、し っかりとした 一家を
構 え ると いう ことを世間 に示す こ
とになる。優 しく優しく育 てられ、
嫌 な こと は や らな く ても怒 ら れ る
ことな く育 てられ てきた今 の子供
たち。宿題をや ってこなく ても怒ら
れることなく、﹁
忙しか った﹂﹁
他に
や る ことがあ った﹂ ﹁
疲れ ていた﹂
と言えば それ で済む。周囲 の評論家
たちは ﹁
褒め て育 てる﹂ことば かり
を推奨し ている。テレビを見 ていて、
塾長 は ﹁
お前たち、現場を知 ってい
るのか ?﹂と い つも吼え ている。い
つか、市内 の中学校 の学級だ よりに
こんな文章が載 っていた。 ﹁
○○ 君
は教 室 内 に落 ち て いたご みを拾 っ
ていました。 と ても立派 です﹂ と。
ほめ て育 てる典型だ ろうと思うが、
こんな こと、わざ わざ学級だ よりに
載せることな のだ ろうかと思う。怒
られる ことなどほぼ無く、褒 められ
てば かり いると明らかに ﹁
耐性﹂の
無 い大人となる。学校 の送り迎 えな
ど、余程 の悪天候以外やめる べき で
しょう。耐性 の無 い子供は、それが
﹁
登校拒否﹂という形 で現れ、大入
の場 合 は せ っか く 入 った会 社 をす
ぐ に辞 める、あ るいは心が病 ん で長
期休暇とな る。
出 てきました。家 の中を整 理していた ら出
てきた のです。0
5 年前、塾長が中学3年生
のとき の勉強 机 です。合板 を使 っていま す
が、今 の軽い合板 ではなく、非常にしっかり
していて、重量もかなりあります。
高校 受験 のとき の冬、朝4時 頃起き て石炭
ストープに火をつけてこの机を利用して茶 の
間 で勉 強していました。当時は自 分 の部 屋
など無く、格 子に座 る学習机 を持 った のは
高校生になってからでしたが、高校3年間は
自分の部屋はありませんでした。
あ る公的役所 ︵
たとえば根室市役
所 の総務課としますか︶が、仕事上
のも のを買 い、 ﹁
根室市役所総務 課
で領収書を書 いてくださ い﹂と頼ん
だ ら、なんと、 そ の会社 の社員が、
﹁
前株 ですか後株 ですか﹂と問 いて
きたそうだ。 つまり、格式会社根室
市役所総務課様 にす るのか、根室市
役 所 株式 会 社様 にす る のか と聞 か
れたそうだ。
もう、絶句。すご い話 ですね。
笑 っちゃう
嘘 のような本当 の話
接だ け で、選考 の基準が ﹁
アグリー
双方 の同意﹂で合
メント﹂ つまり ﹁
格が決めると いう のです。信じられ
な いようなば かげた話 ですが、大学
設 置 の申請 書 類 さ え揃 って いれば
設立 を認 可 し てき た文 科省 にも責
任があると思う のですが ・・・。
今 回、文科省が指摘したと ころに
、
よると、﹁
百分率や小数﹂﹁
四捨 五入﹂
﹁
中 1の1学期レベル の英語﹂など
の指 導 か ら行 っている大 学 が あ る
のです。 小学生 レベル です。
大 阪 の歴 史 のほとんど 無 いあ る
大学 は、 ﹁
アグリー メント入試﹂ と
いう名称 で、試験は無し、書類と面
員と高校生 の数が 一致します。す る
と、間違 いなく無くなる大学が生ま
れます。それ でも、理事者 は何 とか
生き抜 こうとす るでし ょうから、だ
れ でも入学させてしまえと、学力不
間 で人数 を確 保す ると いう こと に
なります。
このことに ついては、過去 にネ ッ
ト 上 でも話題 にな った こと も あ り
ましたが、ついに文科省が乗 り出し
たというと ころでし ょうか。
2 0 1 8年 には完 全 に大 学 の定
教 育 の現場 を知 らな い無 責 任 な いまどき のおそま つ大 学
教育評論家 など の言う こと 。
書 いた
文部科学省が指導
も のなど信頼 せず、子供たちに耐性
文部科学省 は、講義内容 や運営方
を つけさせませんか。そうしないと、 法 に問題ありとし て、全国 の253
大学 に改善す るよう求 めました。
多 くは学生 の定員割 れ や教 職 員
の高 齢 化 を指 摘 さ れ て いる の です
が、中 には教育内容が大学 にし て大
学 にあらず と いうような、仰天大学
も いく つかありました。
家 を建 てる ことな ど ま った く出来
な い大 人 にな ってしま う のではな
いかと思う。
塾 長 の年 代 は高 校進 学率 が全 国
0 % で、塾 長 の中学時代 の同
的に 5
級生 も半 数 は 中学 を出 てすぐ に働
いたが、ほぼ 皆、家 を持 っている。
自分 の部屋が欲しか った。皆、ハン
グリーだ った。ステレオが欲しく て
お金をためた。冷蔵庫、カラーテレ
ビ、掃除機なんかが揃 っていた のは
ご く少数 の家だ けだ った。車 など、
大きな夢だ った。皆、働 いた。
今、高校を卒業 し て市内 で働くと
いくら給料が貰 え る のでし ょうか。
年齢 と共に技能が ア ップ し、給料も
それ に比 例 し てア ップ し て いく の
でし ょうか。中途半端な社員 の給料
など上げ るわけにいかない。
家 を建 てる力。それを つけるには
教育 の力 し か な いと塾 長 は考 え て
いる。これだけ格差社会が広が って
きた中 で、その格差を狭 め ていくに
は矢 張 り教 育 の力 し かな いと思 え
る。
先 日 の中 3 の入試直 前 講 習 の初
日に、授業 の冒頭、生徒 には以上 の
ような話をしました。
[
追加 ]以下 はネ ット 上 の記事 を参
考 にしました。
草食系男子が増加し ているが、彼
らは女性 と の交 際 はし な い のだ そ
うだ。 なぜ なら、気疲れす るから。
女性 とだ け でなく、生身 の人間と の
関わりも同様。そんな ことに時間と
お金 をか け るく ら いなら趣 味 にか
ける。そ の趣味と いえば、自分だ け
の世界 に浸れ るゲ ー ムでし ょう。
人 と接 す る こと無 く バー チ ャル
な世界だけが生き る道。結果、感情
は貧困になり、当然、打たれ弱 い人
間 になる。
マス コミは現象 面だ け を捉 え て
社会 のせいにし、何とかそう いう若
者を救えと言 っているが、 一番悪 い
のは マス コミそ のも ののよう な気
もす る。
以上、ちょ っと過激 にな った塾長
でした。
「幸せかな ?」
ちょっと間をおいて 「塾長のことか ?」 と聞きま した。
すると首を横 に振 り、指を上に向けたのです。そ して、
「あっちで幸せにしてるかな ?」 と。
仏前で妻に報告 しました。 どうして も涙が出てきます。
コウヤ、心優 しい子です。
◆子供たちは望遠鏡が相 当気 になっているよ うだ。先 日、「望遠鏡欲 しい
人 ?」 と、塾長が手を上げる仕草を した ら、全員元気いっばい手を挙げて、
「欲 しい欲 しい」の連発。
はてさて、一体誰のものになるのか。
大切に使って ください。
◆娘に先立たれて落ち込む 95歳 になる妻 の母。たいへんな心配性で、私 の
体 のことが心配でたまらな いようだ。日曜 日で も塾に行 って仕事を している
と、孫のみちえ先生にいろいろと聞 くそ うだ。とにか く、ちょっと家に居な
いと心配でたまらないようだ。鼻をかむ音な ど間かせ られない。そんな こと
を小学生に言ったら、出て くる出て くる、「うちで もそ うだよ」 と。 同居 し
ていないお じいちゃんおばあちゃんがたまに遊びに来ると、とにか くうるさ
いのだそ うだ。片付けのこととか宿題のこととか。孫だか ら可愛 いのだろう
けれ ど、それが言 い過ぎると、結局は嫌われることとなる。
塾長は、地元にいる長男に子供が生まれたので、これか らは孫に嫌われない
ように、少 し気をつけねばと、生徒か ら教え られました。
日本が黄 金 の国 とし て西洋 の国 に紹介 された のは マル コポ ー ロの東
方見聞録 によ ってだが、 マル コポ ー ロは実際は日本 には来 ていな い。彼
は中 国 で日本 を知 り伝 聞内容 を そ のまま本 にした。当時 の中国語 では
﹁
日本﹂と書 いて ﹁
ジ ッポ ン﹂と発音した。そ こから、英語 にな ってジ
ャパンにな った。なるほど と納得 できる。また、行脚、行灯など、 ﹁
行﹂
、利益を ﹁
を ﹁
あん﹂と読んだ り、礼拝を ﹁
れ いはい﹂と ﹁
らいは い﹂
り
えき﹂と ﹁
りやく﹂と読んだ りす るのは、 これら の言葉が日本 に入 って
きたとき の中国語 の発音だ と いう ことになる。 つまり、中国は長 い歴史
の中 で支配民族が変わ って ﹁
漢﹂ ﹁
呉﹂ ﹁
唐﹂など の国になり、
一概 に言
えな い面があるような のだが、その国の発音が日本 に入 ってきたという
ことな のだ そうだ。 ︵
漢和辞典 には漢音、呉音、唐音が示され ている。
︶
また、邪馬台国がど こにあ ったかは日本史 のミステリー のような面があ
ドゥ﹂ ﹁
るが、 ﹁
台﹂は ﹃
ド﹂ と発音され ていたと
三国志﹄ の時代 には ﹁
ゥご となり、大和朝廷と関係があ ることは疑
いう ことから、 ﹁
ヤ マド ︵
いようも無く、奈良地方 に間違 いな いだ ろうという。
日本が英語になるとなぜ ﹁
ジ ャバン﹂な のか、 そ の議が解 けた。 ﹁
逆
接 の日本史﹂という本 で有名な丼沢元彦が書 いた ﹁
誤解 の日本史﹂とい
う本 によると、次 のことな のだ そうだ。
最後 の豆知餞
塾 風 景
この井 沢元彦 と いう人は歴 史 学者 ではな い ので歴史学会 は認 めよう
としな いのだが、なかなか見方が面白い。読ん でいると非常 に説得力が
ある。 このほかにも、名君と言われ ている徳川吉宗は実はパカ殿 で、生
類憐 みの令 の暗君と言われ ている徳川綱吉は、人命軽視が当たり前 で、
刀が人切り の道具だ った当事 の世相に 一石を投じた、世 の中を変革した
大変な功労者だ ったという のです。賄賂政治 の代名詞 のよう に歴史 の教
科書 に書かれ ている田沼意次 にし ても、常 に前を見 つめて改革を目指し
ていた先進的人物だと いう。
近 い将来、歴史 の教科書 でこう い った人たち の評価が大きく変わ って
載 せられ る日が来 るかもしれな い。
②
://www.ikueijuku.com e― mal::infoOikueijukuo com文 貴 :塾 長岸部雄 一
〒087-0021 根室市幸町 3-24 ■ (01532)24-4624 URL:ht
発行元 :育 英塾・ 東進衛星予備校
◆ 4年 生のコウヤが事務所の塾長のところに来てこう言いました。
最 後 の難 愚
卒 業 生 の数
薇4ぶって
育英塾に少して 在籍していた生徒
を含 め、育 英塾 に関わった生徒が 一体
何 人くらい居 るのか、名簿 などは比較
的新しいもの以外は残っていないので正
確な数は分かりませんが、
おそらく30
00人位 にはなると思います。個 人塾
としては相 当 な数 になります。市 内 の
5 パ︲セントくらい来 ていた
中学 生の 1
ときもあります。
信 念 に基 づ い て
かなりの無茶もしてきました。子供ら
しくない言 動 をする生徒、簡単に言う
ならば、逆らう生徒はどんどん退 塾処
分にしました。収 入減となっても構いま
せんでした。生徒 ・
保護者に妥協 せず、
自 己の信念 に基づいて運営していたの
で自 然と塾 生の質も成績 ・
行動ともに
良くなり、いつの間にか、学 力の高い生
徒が集 まる塾 と評判 になっていきまし
た。格 好 よく表 現 するならば、己の教
育観に基づいて自 己の信念を貫いてき
5 年でした。
た4
経 済 的 に は 厳 し か った け れ ど
結婚した頃は生 活もままならず、同
居していた父が退 職して隠居 。
無 収入
でした。朝の牛 乳 配達と夜の映 画館の
ポスター貼りが副収 入でした。弟が大
学生になったのく 私が仕送りをしなけ
ればならず 、長 女 が生まれたときに頂
いたお祝 い金 は弟 の学 費にそっくりと
流れてしまいました。妻にはそのことを
しばらく言われ続 けました。もう余命
がいくばくも無いといフ ﹂
とが判明した
ときも、お金が無くて苦しかったけれど
も、子供に恵まれて楽しかったといつ思
い出と共 に、そのことも言われました。
返す言葉がありませんでした。
でも この仕 事のおかげで、子供たちは
皆 生 徒 に育 ててもらいました。子供た
ちは塾 に出 入りし、生徒 に遊んでもら
いました。ほんとうに良 い環境だったと
思います。卒業生たちに感謝です。
そして、妻からも ﹁
塾の仕 事って良い
仕事だね﹂
と言ってもらえました。
思 い 出 誌 を 作 ってと
書きつくせないほどたくさんたくさん
思い出があります。妻が亡くなってから
お線香 をあげに関東から来た社 会 人
となっているある卒業生は、記念誌のよ
うなものを作ってくれと言いました。大
塾合は現在の建物で五代目です。初
代は駅 前の借り物 ︵
写真 は見つかりま
せん︶、二代 目は自 宅を改造した完全
木造 で、暖房 は薪 ストープだったり石
炭 ストープだったりで、よく煙 突 掃除
をしました。保 護者 の皆 さん、煙 突掃
除 など経 験ないでしよつね。一
二代 目は
完 全に新 築 でしたが、弟の力を借りて
数学を始めたこともあって、フ
﹂
の頃から
一気 に生徒が増え始め、
断っても断って
も入塾希望者が後を絶たず、他塾から
の移 籍 生もどんどん入って来るように
なりました。
また、
コ
界工
B放映の、入試 回
答 速 報の番 組に根室 地 区担当として
0 年ほど出演して墜ドレた。
1
生徒 の増加と共に毎年春 には増改
築をしていました。そして、現 在塾長の
自宅となっているのが、事務 所もあった
四代 目の塾合 です。それまでの塾合 に
現 在の塾 舎 を建 てた頃の毎 月の返
済 金 額 はあまりにも大 きく、とても大
おとうさん、前向きに
変でした。でも、﹁
考えようよ﹂といつ妻の支えで何とかや
りくりし、
そして 今 日まで来ました。
は事務所が無く、自宅が事務所でした。
写真が示すように、三代 目と四代 目の
塾合 は右 左と二箇所に別れていました。
これで終 わりかと思っていたところに、
平成 4年 に東 進を導 入したために手
狭となり、現在の塾舎を建てたのです。
平成7年のフ
﹂
と工丁。とても大きな借金
を抱 え込むこととなりました。職 員も
私と妻 、柳 澤 先 生、弟、そして草 野先
生が居ました。他に、掃除専門の女性、
中 学 生を授業終 了後に送る車の運転
手が 二人居ました。夏冬の講習時には、
0 人ほど
卒業生を中心に学生講師が 1
になり、たいへんな賑わいでした。毎 日、
授業が終わると全 員で酒が入った反省
侃侃譜譜、
会があり、
指導法をゆゝノ
て
朝まで討論会という状 態でした。講師
の中 に東大生が 一人居て、討論会の後、
徒 歩 で帰 宅 途 中にパトカーで不審 尋
問され、身 分を訊ねられて﹁
大学生で
﹂
の大学 ?﹂﹁
すLどフ
東大ですL東大っ
てあの東大か?根室に東大生が居るわ
けがないだろう﹂などといつ問答があり
ましたが、学 生証を見せて終 了などと
いうことも有りました。
東進 を導 入して
変な労力を要することは想像に難くな
ではなかったようです。後 年、その塾に
いので、﹁
考えないわけではないけれど、 行く機会が有って分かったこと工丁。
ということを言ったところ、 毎 年 増 改 築
かなり難しい﹂
遅れてもいいから作ってくれと懇願され
、出来ないと思います。
よ︶
ました。テ
名 の通 った 塾 に
写真は未整理ですがたくさんありま
す。今、少しずつ家の中を整理していま
すが、あちこちから未 整 理の写真が出
これは誰
てきて、作 業 の手 を休 めて﹁
だ ?、いつだ ?﹂としばし思い出を探す
ことがあります。閉塾 を宣 言してから
生徒は減っていくばかりですが、最多期
には中 学 生が250人、小学 生が60
人、合計300人を超えていて、
個 人塾
としては道 内でも屈指 の人数を誇った
ものです。道内の普 通の塾人な ら、育英
塾は誰でも知っているようです。
開塾して5年後位から、
全道規模の
模試 ﹁
全道 統 一模試 ﹂を受けるように
なったのですが、生徒が増えだした頃か
ら個 人塾としての生徒の多さと、内申
ランクの良い生徒が多 数在籍している
ことに、澁
堡諷の事 務 局から驚かれたこ
とが何度もあります。
また、
使用する教
材のレベルの高さて 教材の販売会社か
らもず いぶんと驚かれました。全道 統
一模 試は今 では無くなりましたが、後
に塾 長は英語の作間をするようになり
ました。現 在、鳴 海 町 で個 人塾 を開い
ている草 野 先 生も担 当していました。
数 年後 には、当時 居 た職 員と共 に英
語。
数学 。
国語の3教 科を作 問するよ
うになりました。
根室の育英塾で作った
問題を全道の中学生が受けていたので
す。この作間はとても時間がかかりまし
たが、やりがいのある仕 事 でした。何よ
りも勉強になりました。
理 不 尽な 非 難 を 受 け て
しかし、理 不尽な非難もずいぶんと
受けました。その代 表が ﹁
育英塾 は月
謝が高い﹂﹁
教材 費まで取っている﹂﹁
テ
スト代まで取っている﹂というもので、塾
の本質でないところてずいぶんと非難さ
れました アホみたいな話です。ある日、
塾の前を通っていた西校の生徒達の 一
人が、﹁
オレも育英に入ってたら
あ∼あ、
と話しながら歩いていきましたが、
な∼﹂
その当時の育英塾の中身を象徴してい
るような言葉ではないかと、その時に思
いました。なんとか育 英塾 に対抗しよ
うとして 費 用をずっと抑えた塾もあり
中身は決して褒められたもの
ましたが、
東進を導 入してからは、
真剣に大 学
進学を目指す生徒がどんどん入学し、
それまでは、大 学進学希望者が多い年
。 人、根室全体で∞ 人
で育英塾から 4
ほどが釧路 や札幌 。
函館の高校へと出
ていたのですが、一気にそれがストツプ
しました。そして、当然のごとく、根 室
高 校 の進 学実 績が大 飛躍となりまし
た。閉館 時 間も夜中でした。塾 長の子
供が受験生のときは、子供たちが施錠
をするということで夜中の2時などとい
うこともありました。
体を壊す
朝 まで仕事 をするなどということは
4 歳のとき、
平気でやってい再セ嶋 4
根
室 高 校の英 語の時 間講師として声が
かかり、何 度もお断りしたのですが、恩
師からのお願いと東 進の宣 伝のために
行ってくれといつ内部からの要望で、結
局は行ったのですが、それまでキャリア
で済んでいたB型肝炎が発症し、3ヶ月
も入院しました。その後、
肝炎とは仲良
く付 き合 っていたのですが、あちこちか
ら﹁
体壊すゾ﹂などと心配されていた通
り、鬱 歳で壊してしまいました。頭を掠
めた 〓讐﹂
えなかった癌でした。結 局、こ
,
﹂
とが閉塾を決意させたのです。しか
のフ
し、手術したことによるのかどうか、手
術 後 は肝 炎のウイルスは消え、今 では
肝 臓の薬 はまったく服 用していません。
手術をするとまれにそういフ ﹂
とがある
のだそうです。
幸 せな 塾 長
釧 路のステップゼミナールにはよく
卒業 生が出 入りしています。行くと必
ず 卒 業 生に限らず 誰かお客さんが来
ています。時 間つぶしに来る人も居るよ
うです。育英塾にもよく卒業 生が来ま
P﹂
Υ^
す。他の地方に住んでいて、A
りと
顔を出す卒業生もかなり居ます。先 日、
“ 歳の誕生祝に3人の卒業生がやって
きて盛大にお祝いをしてくれました。体
力維持 を考 えて甘いものをたくさん持
ってきてくれました。立派なコートまで
いただきました。こんなに恵まれた塾長
なんてほかに居ないのではないでしよう
5 年間、ひたすらの
か。それもこれも、4
道を歩んできた証だと、石坂塾長に言
われました。
岸部雄 一は幸せ者です。
みなさんヽありがとうございました。
﹂
ネットでア
の流汗悟道を読んでいる
卒業 生もどうやら大勢 居るようです。
アメリカで働いている卒業 生も見ている
といつ話も聞きました。
卒業 生の皆さん、本 当にどうもありが
L
c
う。
[
番外編]
結 婚 した頃、妻 と 二人で朝 は牛 乳
配 達 をしていたが ︵
釧路牛 乳。後 に農
協牛乳から四つ葉牛乳S 、その時の根
室の所長のNさんにはいろいろと教えて
もらった。根室からその牛乳が撤退して
Nさんは帯 広 に行 って音信 不通となっ
たのだが、現在の塾舎を建ててから、根
室 に来 る機会が有 り、﹁
岸 部さんどう
してるかな﹂と、来てみたそうです。その
時代の塾舎 は二代 目です。Nさんの頭
の中 にはその二代 目の建 物しかなく、
塾の近くまで来て、一一
代 目の建 物がな
岸部さん、塾や
くなっているのを見て、﹁
めたんだ﹂と思い込み、帰ってしまったの
です。その後、気 になって再度来 てみた
時、前 回来た時には既に有 った今の塾
合に初めて気がつき、
びっくりし、驚きの
あまりそのまま帰ったのだそうです。そ
して、今から6年ほど前、突然、オート
パイに乗って現れました。
その時に、右の
ような話をしていました。まもなく、妻
と二人、帯 広のNさん宅に遊びに行 き
さらに話に花が咲 きました。上
日の二代
目の塾合 で学んだ生徒の中には、何 人
か、Nさんのように驚 いて帰 ってしまう
人が居るそうです。
育英塾 ・塾舎変遷]
[
二代目塾合
めにな っています。 これ によじ登 ろうとし
生徒が何 人か いて、実際 に倒 し てしま った ことも
ます。修理 ・修繕は自分 で行 いました。
のガ ラスが割 れ ても、 お金が無 く て交換
、家 にあ った ベ ニア板を貼 り付けました。 とにか
寒く、冬など大変 でしたが、 こんな建 物 でも、生
てくれました。
中央部の色が自っぼ くなっていますが、非常口です。
う思いか らで した。
発行元 :育 英塾 0東 進衛星予備校 〒087-0021 根室市幸町 3-24 ■ (01532)24-4624 URL:http://― .ikueijuku.com e― mali:infoOikueijuku.com文 貴 :塾 長岸部雄― ③
す)、 そ ういう説明会を行 っていたのは育英
塾だけで した。あらゆる面で先進的な塾で し
た。 この四代 目が現在の塾長宅です。中央部
右側に松の木があ り、その横 に青い屋根が見
えますが、そ こは、現在物置 と温室になって
います。
業者 に依頼するお金が無いので、ドアは塾長が自分で
取 り付け、ベンキも自分で塗 りました。本部の壁に色
(茶 色)が ついていますが、これは塾長がクレオソー
トとい う防腐剤を塗 ったのです。長持ちさせたいとい
○三代 目の塾舎
この頃になると生徒 も増え始め,金 銭的にも
やや余裕が出来てきました。 この塾舎の三階
には数学 を教 えて いた塾長 の弟が住 んで い
ました。新築 して 1年 が過ぎた頃に二階か ら
火が出て火事にな りましたが、発見が早 く、
大きな被害にはな りませんで した。第一発見
者は一番寿司のマス ターで、彼 とはそれが縁
で仲良 くな りました。
右側が四代 目の塾舎で、左側三代 日ととも
に、二つの塾合があ りました。 この四代 目の
塾合には二つ教室があ り、取 り外 して通 しに
し、保護者説明会や進学説明会 を開きまし
た。その頃、市 内には 10軒 くらいの塾があ
りましたが (今 でもあるのはヤクル トだけで