し ん ぼ し よ し

平成26年度
岩出中学校 生徒指導部通信
12月12日
わかやま新報に『わかやまのどもならんえぴそーど
NO.32
そらそうと』という和歌山弁を扱うコーナ
ーがあるのですが、12 月 5 日の記事にこの言葉が出ていたので紹介して話をしたいと思います。
ちなみに、2人の会話文ですが全文意味分かりますか?昔のことばは何かあたたかみがあって、
自分は和歌山弁がとても好きです。ただ、おじいちゃんやおばあちゃんと一緒に住んでなかったり
すると耳にする機会も少なくなってきて、失われつつあるのかもしれません。寂しい限りです。
さて、この『しんぼしよし』という言葉、「辛抱」からきているのですが、似たような意味を持
つ言葉としては「我慢」という言葉もあります。言葉が分けられているからにはニュアンスが異な
ります。
「我慢」というと我慢させられている、不満の気持ちはあるが自分の気持ちを抑えているなど、
ネガティブ的なニュアンスが含まれているように感じます。我慢させられているという受動的な雰
囲気もあります。一方、
「辛抱」はどちらかというと「辛抱させられる」よりも「辛抱する」とい
うふうに能動的なニュアンスがあり、不満の気持ちは少ないように感じます。
「我慢」はいつか爆発する恐れがあります。我慢しているものを吐き出すために何かに当たって
しまうことも少なくありません。その場合、その時はスッキリしても根本的なことは解決されてい
ないので再び溜め込んで…の繰り返しにしかなりません。「我慢」させられているのではなく、自
分から「辛抱」してやっているのだという気持ちの格上げが必要なのかもしれません。
ただ、社会にでていくためには、
「我慢」も必要です。自分に思いがあったとしても、人に迷惑
をかける行為になる場合は「我慢」しなければいけません。
「我慢のもとには不満があり、辛抱の先には希望がある」ということを言っている人もいます。
ただひたすら「我」を押し込めて耐えるのか、「辛」いけれどもそれを「抱」えながらも希望をか
なえるために努力をするのか。昔の人はそういうことも考えて「辛抱しよう」の方をよく使ってい
たのでしょう。それが方言として「しんぼしよし」の形で残っているのかもしれません。
面倒に思うことも、しんどいこともあるかもしれませんが、学校生活全て自分のためです。
し ん ぼ し よ し