Title 式亭三馬ノート (3) Author(s) 本田, 康雄 Citation 金沢大学法文学部論集. 文学篇 = Studies and essays by the Faculty of Law and Literature, Kanazawa University. Literature, 12: 27-39 Issue Date 1965-03-20 Type Departmental Bulletin Paper Text version publisher URL http://hdl.handle.net/2297/40842 Right *KURAに登録されているコンテンツの著作権は,執筆者,出版社(学協会)などが有します。 *KURAに登録されているコンテンツの利用については,著作権法に規定されている私的使用や引用などの範囲内で行ってください。 *著作権法に規定されている私的使用や引用などの範囲を超える利用を行う場合には,著作権者の許諾を得てください。ただし,著作権者 から著作権等管理事業者(学術著作権協会,日本著作出版権管理システムなど)に権利委託されているコンテンツの利用手続については ,各著作権等管理事業者に確認してください。 http://dspace.lib.kanazawa-u.ac.jp/dspace/ ” 式亭三馬ノート︵弓 刊︶から七年目に版行された酒落本である。この間酒落本を 本田康雄 本稿では文化三年から同五年までの三馬作品の動向を窺っ 一年刊の黄炎紙﹁侠太平記向鉢巻﹂による誰禍邪件が考えら 執擁しなかった理由としてはすでに説かれている様に寛改十 本3 てみたい。文化六年に初篇・中本二冊が版行された﹁浮世風 *l 呂﹂は通脱の級に三馬の作家としての特徴を雌もよく表わし や滑稀本に趣向をこらしてはいるが酒落本の作はなかった。 この文化三年は飛踊的に作品の数も多く、内容にもこれま れる。翌亜政十二年には全く執譲を止めており、以後黄浅紙 でとは一変して、この期の文壇の洸行に忠実な本格的読み物 といえるだろう。しかし、‘一方では文化三年刊﹁笛太郎強悪 物語﹂﹁敵討安達太郎山﹂に始まる合巻の作成が作者・三馬の を提供しようという意企が認められる。 た作品で、その成立の状況を考察することが先ず節一の間迩 な問題として予想される。 となり青木変じて赤本に帰る。夫酒落本青本の眼より泣本 ﹁⋮⋮⋮近来滑稽本︵酒落本のことl鉦者註︶廃て泣本 Lやれ この時期の文塊について三馬は次の様に述べている。 主要な関心事であったと思えるだけに合巻の検討が更に重要 *2 ﹁浮世風呂﹂については別稿に加えてここでは文化三年刊 係に注目し、また合巻は未検討の作もあるが、合巻作者とし 赤本を指して野聯と笑ひ不栖勝と噸る時は、又泣本赤本の ﹁船頭深括﹂、同四年刊﹁船頭部屋﹂といった酒落本との関 ての地位を狸禅したと考えられるこの期の術作品を展剋して 目よりも、行過と明り、仮在行と笑ふぺし。菩悪正是入我 *4 というのであるが、右の﹁泣本﹂について三田村鳶魚氏は京 序︶ んで後る撰流行を歎ずるのみ..⋮・⋮﹂︵戯場粋言幕之外・ 我入、滑禰地に落ちて、戯作者棚へ上られ、空しく口を閉 むいたふう 問題となる点を推理しておきたいと思う。 一酒落本 率毛穂 蕊 船 頭 深 話 二 冊 春 喬 画 文 化 三 年 刊 自序署名の後に﹁七年ぶりにて小本を作﹂とある様に﹁辰 ① 巳婦言﹂︵寛政十年刊︶、﹁傾城買談客物語﹂︵寛政十一年 認 伝の酒落本﹁傾城買四十八手﹂︵寛政二年刊︶中の﹃真の手﹄ いるlをつき川させる︵第四駒︶というのが﹁辰巳蹄言﹂ lこれも家の方で勘当まではゆかないが縁者に預けられて 夕 以下、梅悪里谷峨の﹁傾城買二筋迦﹂︵寛政十年刊︶、.一 き役としての災五郎の遊び︵第三・蛎一餉︶、芝居者の真似を したがる半可通・伝吉、田舎者・徳兵衛、また長五郎をたず をうけて筋の上での中心となっているが、おとまの愁嘆の川 ねてあがって来た配下の連中の騒ぎ︵第二餉︶を詳細に書い 筋近後筋螂の癖﹂︵寛政十一年刊︶、コー筋道三捕宵の職﹂ ﹁滑稽吉脈抜語﹂︵同年刊︶などを挙げ﹁酒落本とも中本と ︵寛政十二年刊︶、十返舎一九の﹁廓意気地﹂︵享和二年刊︶、 も云はず、本の形にもよらず、泣けて読める本を泣本と云っ ている。 番の特徴と言えよう。 にかく長五郎配下の人足達の騒ぎを詳細に番くところ等が本 おもわせるものが多い。半可通、田舎もの登場の茶利場はと 候﹂といった割り書きにみられる様に三馬の滑稽本の世界を なくアハハとわらふもの也どなたも気をつけて御らん可被下 きやうにわらってみせるゆへとんだ上はでうしにて跡も先も アハハとたった三つ斗笑ふもの多くありこれょん所なくあい よみ可被下候﹂、﹁是は別てまき舌也﹂、﹁作者日女の笑に 会話描写も﹁但し此詞普は御見物の御方様まきじたにてお た。﹂と述べておられる。 化、災筋化を考えておけばよいと思われるが、こういった浦 泣本の内容については末期酒落本の新らしい特徴として磁 家の挙げておられる遊女・遊客の実傭描写、泗落本の物語 あさなをしよひどまり にこの時期の三馬が収組むべき主たる問題であったと推定さ 落本の作凪の変遷が、取双紙界における敵対ものの旅行と共 れる。 すでに﹁辰巳蹄言﹂において﹁朝直の部、宵泊の部追 秘頚琴癖船頭部屋一冊春龍岡文化四年刊 而後編に奉入御覧候。趣向は出来あれども。丁数余れるをい とひこふに不し著﹂と予告し﹁醍巳蝿鱸通俗通﹂という書名が ﹁船頭深話﹂巻末でおとまは悪之助をつき出すが、その際 得意とする世界でもあった様である。 は当時の末期泗落本の作風に応ずるものであり、また作者の た。本作は主としてこの趣向に拠った酒藩本であるが、それ 来獅三紬にいだし米入御覚倹﹂という予告が掲戟されてい ﹁船頭深緬﹂末足にば﹁処より第五鼬、おとま親里の世界 示されていたが、本番の﹁第一駒﹂より﹁第三剛﹂までがそ の宵油と部、﹁第四髄﹂が朝祇の部にあたる。仕耶師の剛で 貧閣の侠客・二十七八鮫の災五郎、酒屋の恭頭で三十五六の 藤兵術、商人のひとり恩子の蒋之肋、これに対して女郎おと まという主要な登場人物も古石場の二川屋という場面も﹁辰 巳婦言﹂同様である。 店を戯になった一番々頭の藤兵衛がおとまに迫って悪之助 I 29 に一通の文を渡した。それにはおとまの観元・七軒堀へ訪ね 趣は尽したればおとまが爽実を主とし卿流行をくはふ川後参 ﹁凡例﹂に﹁○川鯛の二杏に古市期の穴を穿ち朏俗・刊譜の ︵棚ケ岡耶膿本の姿︶ 考して其花実を知り給ふくし﹂とある様に遊里の猫写は背餓 る嫌にとの依頼と所沓きが腿められていた。恋の恨みに顔つ が、舟描の女房、亭主の慰めと意見に従って七軒堀へ出かけ きまで変ってしまった好之助は舟柑で胤姫酒を飲んでみた 細に描き、またおとまの両親を盗場させてこの遊女の真情を にしりぞきおとまの親里である七軒堀の燗屋の店の様子を詳 その店はがらくたものを並べた見たおし屋でお袋はぼろを ることにする。︵鳥居町舟宿の套︶ この椛想は﹁辰巳蹄言﹂執筆の時から練られていたもの 説くのが主要な狙いとなっている。 がやかましく喜之助をまこうとしているがあくまで馴染みの で、伺普巻末には特に作者の附言が褐戦されて居り、遊女お 扱い、親爺は古釘を蝦っている。そのお袋の話しで、藤兵衛 響之肋に義理を立てようとしているおとまの真怖を知る。そ とまの出所の町の描写が示されている。 ﹁作新日予おとまが出所をかんがみるに定て本所辺りの こへ徒五郎が二階から降りてくる。長五郎は一旦はおとまを 女房にしたいから貰いたいと菌うが、それは沓之助の梢を試 科と割て杏たる医者の我札。さんげノ、の梵典と共に。雨 片はづれに。御側印汁紙の⋮⋮⋮九尺店のろじ、。本道外 蛎となり。⋮⋮⋮大やさん鉄棒を引ずり。火の川心と触れ こで普之肋におとまの世話を頼む。智之肋にあてたおとまの ば。隣りの飴光向ふの神道者に服はれ。はつち坊主の木 みるための狂甜で、実はすでにおとまを思い切っており、こ 男を立てさせる為に藤兵衛をつき出す手筈も整っていた。︵ 文にもその旨認められており、また一旦恥をかいた響之肋の く。趾規の賃仕吏も。お花荒神松のりやの間だを見合せ⋮ すがら。おでん白菊塩梅よしも。内の工面はあんばいわる 住む親仁といえるは屑ワイノ、にその日を送り。夜はよも 魚。花売の火打筥と朝飯を争ひ。神鵬仏もみ込の大災屋に 子、男芸者が蛎鹿騒ぎしている。となり座敷へ書之助、艮五 山本屋の座敷で藤兵衛、おとま互いになにか気まずい継 七軒堀親里の套︶ 郎が適入る。おとま席を立つ。藤兵衛二人にあてつけを・言 倒し隣り座赦へ押し込む.実は臘兵術は親方への州参がかな 爺、ぼろやのお袋、女郎の生立ちの細かい記述は実怖描写と 手柄になりそうもない町内の災股の描写、見たおしやの親 という災文がそれであるが、本絡的洲落本作者としては余り 。・・:。﹂ い、それを知ったおとまが立派に臘兵術を突出し、親席預け う。藤兵衛おとまu論し、侮辱された腺兵術はおとまを引き の身の喜之肋に義理をたてて男をたてさせたのであった。 釦 唐音学語などを、しったかぶりにならべたがるくせあり。 東吉l医者さまの玄関取次と兇へて⋮⋮⋮むしやうにみ くせ有り。 うなりさふにて⋮⋮⋮こいつに楽腿方言のセンポをつかふ とyやく いうこの期の酒落本の流行の作風を考撒に入れても度を過ぎ 吐逆l田舎廻りの太夫か、但しは茶飯以下の上るりでも ところで一方この文章は後年の二罵渦稽本﹃緬罐浮世床﹂ た雄がある。 ︵初筋・文化十年刊︶冒頭に端的に描かれている浮世風呂や 右の人物を始めとして﹁船頭深譜﹂で仕事師の頭提五郎を やらかしたがる凪なり。 る物をつらまへて、おもたいくちのしゃれ、ぢぐちなどを ﹁⋮⋮⋮浮世風呂に憐れる家は、浮世床と名を称びて⋮⋮ 製つ。 浮世床のある町内の倒蛾と大略一致している点が注目され 。:其一方は大長屋の路次口をひかへたり、且入口の模様を たずねて来た配下の人足述、﹁船頭部屋﹂に壷場する七軒堀 準とf 八百万の相借家、神道者は店賃の、高天原に三十日の大被を 三絃の稽古所あれば鳴る尺八の指南所、士股工商混雑ぜて、 ﹁紳蝿仇手本﹂︵小金あつ丸作・享和元年刊︶、﹁鋤手跡通新 掲げるのは読本の模倣であろうが、酒落本では本作以前に 之肋の画像が掲戦されている。主要人物全部の画像を巻頭に といった名前入りで遊女おとまを中心に長五郎、藤兵衛・喜 なおこの作品の巻頭口絵には﹁手越の里古市場の白人於筥﹂ してそのまま利剛出来ると思われるのである。 のおとまの両親などは﹁浮世瓜呂﹂﹁浮世床﹂の後場人物と いは亀大峯山の小先達、倣悔々々の梵天は、雨に測落て も、御丹鞘を遺し・・・⋮⋮﹂︵浮世床初編・巻上︶ に始まり以下﹁寓舎と書きたる宋朝様は、当世風の小儒先 苦に病み、:.⋮:.﹂︵同上︶といった文米であるが、巻頭の 生﹂﹁本迫外科と割って書いたる、デモ医者の表札﹂﹁ひく 挿絵にもこの路次口の換棟が画かれている。こういった三馬 政年間刊︶、﹁吉脱帆子﹂︵煙花浪子作・文化年間刊︶、本作 戯﹂︵側作・享和元年刊︶、﹁通俗謹淡﹂︵墾荏亭が職・寛 四年刊︶からというのが定説であるが、鈴木亜三氏は﹁桧杉 ﹁合巻﹂における口絵は京伝の﹁お六櫛木曽仇討﹂︵文化 点では本普が蚊も徹底していると考えられる。 化年間刊︶蝉が散兇される。しかし、銃本橡式の採川という 以降の作品に﹁吉脈淡語後荊夜燃行燈﹂︵桃猿舎犬雄作・文 淵稀本の舞台が﹁辰巳鰄言﹂以下の酒落本三部作中にすでに おくざし甘のひってんgやく 用意されていたことに注目する必要がある。 また薙場人物をみても﹁辰巳姉.高﹂の﹃後堂貧客 さんにんいらなの樺なし へんたつ 三個交席 段 ﹂ に 蚤 場 す る 三 人 の 貧 客 片連11医者の内弟子と見へて、口には張仲紫が声色をつ じ、何ごともよく差出たがるが性にて、切り抜党への蘭言 かって、内証は医躍手引草、傷寒論国字解などをそらん 一 31 *O すでに指摘されている棟に恋川祥町画作の黄表紙﹁廓感盟 のもじりである。 字尽﹂︵天明三年刊︶の趣向を踏襲したもので、全四十丁の 於玉二見之仇討﹂︵京伝作・文化四年刊︶を挙げて定説を肯 筋中の主要人物五名を兇冊き一図中に配瞳しているのを口絵 定した上で、三馬作﹁敵対安連太郎山﹂︵文化三年刊︶が本 こじつけた新造語が占めている。他は節川染の附鍛の部分に 当り、道楽息子の身の果を祭のだしものに見立てた図︵客人 中で約八丁は﹁小野筑欧字尽﹂に掲げられた洩字をもじり、 宮後祭礼之図︶や文章︵通神之縁起井祭礼之次第︶、算法の 設置の前駆的作業と認め、合巻の質的変化に処する作者の新 記念文庫文化講座シリーズ・第9巻・合巻について︶これは もじり︵胸算用早割乃法など︶、看版額・色紙短冊・絵馬井 機軸案出の努力の一端が窺えると述べておられる。︵大東急 敬聴すべき見解と考えられるが、三馬は合巻﹁敵討安達太郎 聯の書法・年中通用文軍・紋づくし・筆杏似字尽、無礼不糀 述べた様に﹁傾城買淡客物語﹂︵寛政十一年刊︶が京伝の泗 ど︶、将莱指方並詰物︵主、女腸、女郎、借金収、掛取など 方︵猪牙舟のりやう、よつでかごのり様、盃のとりやり、な *1 訳である。三馬酒落本の体裁上の読本化という点では前稿で 山﹂の口絵の趣向を翌文化四年にこの酒落本にも使っている 落本の影響で読本風の題目を附されていた事が想起される 妄岱かなづかひ、手相・人相、術洸小謡、面の図など批者の を駒にたとえる︶、︵細冠柵字尽・名頭字尽・巽頗異名尽・ この口絵の趣向は、本普巻末に予告されている﹁雛枇柵雑 が、本作はこの行き方を更に倣底させたものと見なされる。 参考に拱する様な見出しを州げ、中味は兇立て、もぢり、沿 *5 まがいきはり明の白門娘に似たる一部始終をあらはす﹂とあ 記近刻﹂が﹁新渡本の板橋維把にならひ捜椎雑記と号しおと これほど念入りに節剛災のパロディーを著すことにどんな 稀の趣向に拠っている。 意義があり、また読者にどう受容されたか、余りに念の入っ る橡にどの程度かは不明であるにしても、読本化した作品と 察せられるのと相俟って、三馬酒落本の読本化が深まりやが た悪戯に注目させられる。先縦作としては黄表紙に前述の 紋裁﹂︵天明四年刊・京伝作︶、﹁小紋新法﹂︵天明六年刊・ り、部分的に共通する趣向を持つ作品としては滑穣本の﹁小 節用似字尽﹂︵寛政九年・曲亭馬琴作・北尾諏政画︶があ 饗7 ﹁廓遜費字尽﹂︵天明三年・恋川春町作・画︶、また﹁無筆 てそれは作品の本質にまで及ぼうとする状況をよく表してい ると思はれる。 二滑積本 内題には﹁職州小野感袖字尽﹂とある。灼普きは道化︵お 京伝作︶、﹁百化帖準擬本草﹂︵寛政十年刊・京伝作︶、﹁明 小野の馬鹿村虚字尽一冊文化三年刊 どけ・滑稽︶のための節用集の意、題名は﹁小野筑歌字尽﹂ 1 鍵 本書の成立については当時、寺子屋で教科昔として用いら 兼阻珍紋図乘﹂︵享和三年刊・馬琴作︶等が考えられる。 本8 れた往来物の作者の中に曲亭鵬琴、尚井側山といった文人の 兵衛、おしゅんも四月十三日から上演された歌右衛門土産狂 言﹁お俊伝兵衛・堀川の段﹂︵中村座︶の大当りに拠ってい ﹁新下りの歌右術門初物の粕に於ては外に中村芝翫丈千両 る。序文に 新狂●ぱの初物鵬⋮⋮⋮八文舎u洲に微て⋮⋮⋮﹂ 役昔の初押判八百八町にきこえ断しされば七十五日生延る 名が見出せる事が注目される。﹁側尽女文単﹂︵曲亭馬琴作・ 寛政十二年刊︶は捕脳の渦を使った婚礼に関する女文難で子 骨8 あたりという噂を聞き江戸へ芝居見物に出かけたいと願う。 その娘おしゆんは、中村歌右衛門が下って中村座の新狂高大 ここに下野凶の持丸挺者に堀川伝兵衛という人があって、 伝いをしながら居候をして廻っている。 子となったりするが失敗して太鼓時の頓作ぱなしや瑛躯の手 という人物が下手の拙好で役者になろうとする。旅役群の弟 梗概lもとはおある役者の家の飯焚であった赤山下手蔵 とあるのが成血の収仙をよく物錨っている。 どもが興味深く女子の火難を学習できる概に作られている。 また﹁禰恩往来﹄︵間井剛山作・寛政五年刊︶は手紙文純習 のための教科沓で当時広く流布したといわれる。この﹁女文 章﹂について馬琴は 寛政十一年︵己米︶諜賀糾瞳響右術門の満に応じて、囚尽 女文莱一巻⋮⋮⋮をつくる並蒙の読鋤に便りすべき俗沓 也、作者の本怠にあらずといへども、己ことを得ず、この と不本意の気持を述べているが、いづれにせよ、少くとも文 話の上手な男を使にたて中村歌右衛門を下野へ迎えようとす 女の身の一人旅を心配した伝兵術はお猿の与次兵衛という世 撰あり・・・⋮⋮︵近世物之本江戸作者部類︶ 壇においては三馬と同業の馬琴・蘭山などが往来ものを著す うとする。下乎蔵が出掛けようとする処へ与次兵衛︵これは 芸修業の旅をしている歌右術門と偽って低兵衛の家へ采こも 恰度この頃、当地へ来合わせた下手蔵はこの噂を聞き自ら る。 といったこの時期の文化界の鞭梢が本沓の背景として注目さ れる。往来もの・節川染を全面的にパロディー化するという 本書の行き方には作者三馬の如何にも知識人ぶった、そうい う意味で戯作者ぶった態度が班われる棟に思う。 錘率初物語一冊春亭剛文化五年刊 門ではないかと戒をかける。与次兵術の案内で伝兵衛宅へ至 後に狸の化けたものであることが分る︶迫駈けて来て欺右衛 ころもやよひ嘘などのけいづ この年三代目中村歌右術門︵芝翫︶が上方より下り三川二 している。本排はこれをあてこんだもので登場人物の堀川仏 り嫌々の芸を彼鰯して歓迎されるが、お砿のが次兵術が本性 十三側より上淡された﹁頃鵬花韓粥﹂から中村座に出放 83 そこへ伝兵術父子、本物の与次典術奥はれ心を改めて芸辿に 間となる。この与次兵術は凶司の狐狩に追われてこの家に住 を表すと屋蚊は忽ち野服となり草ぼうぼうとおひしげり其の 判把﹂ほど完成されていないにしても、この剛までの二賜沿 者茎賜の本貫ともある腿皮の側りのある作品で後の﹁群者郁 戸下り、中村座の大当りに使来した際物であるが、同時に作 ・水苔はそういった行き方を端的に仰し進め、中村芝枇の江 が口調に散て初物語一冊を細むこれはこれ評判記の前普なれ 七年刊︶、翌年その後細﹁白石噺後荊﹂を刊行している。こ 三馬は文坦に笠場した次の年に﹁券太平記白石噺﹂︵寛政 四年刊 輯癖箱根霊験甕復讐六冊︵上下各三冊︶豊広胸文化 いざりのあだうち 三合巻 僻本の助向を知る上で兇逃すことの出米ぬ作品である。 みついた狸で伝兵術親子がだまされぬ級働いたのであった。 はげむ雛に下手蔵をさとす。三人は下手蔵を伴って江戸へ芝 居見物に出かける。 餓文に﹁⋮・⋮・・江戸節うなる人々の御意には入らじと思へ ば是より芝翫丈芸評のはじまりノ、﹂とある通り役者排判紀 初戯︶に拠る作品であった。この﹁雄恢掛﹂も先行の批劇の ども近来好古の世の中なれば古風な躯も能らんかと圃笑其砿 の前苫きに習って沓かれたもので後年︵文化八年︶著した ﹁罎迄客者排判紀﹂のⅢ背き﹃兇物左術門が化の皮は狐にあ 筋によって単双紙合巻を作った訳で、浄珊璃﹁桁根班験煙仇 尤も﹁客者部判妃﹂の本文は那判組の体蛾で見物の類型、 舞伎では享和元年九月・京・岨が座、Ⅲ年十二〃玉H・大 帥﹂︵享和元年十一川三側から辿噸堀束の芝既で蝋g、欧 れは勿穐浄瑠璃﹁蜘蛎溺峨細恭太平記白石噺﹂︵安↓水九年 らぬ通力のお剛戯賜﹄とⅢ性質の短鯛である。 性癖を描いているが、本耕は前沓きだけで、巻尼に﹁芝翫丈 座、文化三年五月八日・希占屋油寿院芝居、等が興行されて 坂・市ノ側新芝居、享和三年七月廿三日・大坂・姉川熊次郎 た﹁増補壁仇討﹂にはこの年上方から下った三代目中村歌右 いる。また文化五年七月十七日より江戸・中村座で興行され 本9 申されぬものその上愚眼にはわかりがたきゆゑ杏しるしませ 芸評の儀は後締と申したれども狂言のよしあしはかりそめに 三馬のこれまでの滑稽本には既述の通り﹁俳優晶凰気質﹂ ぬ.:⋮⋮﹂と三馬滑稽本に相応しい逃げ口上が附いている。 衛門が出演しており相当の人気を博した様であるが、本普の い恋仲となる。篁平の隣人・佐鵬紅平はこれを知って初涌を 梗概l足利将耶の臘参・飯沼三平は四条川原で初職と会 執筆がそれと直接関係あるものかどうか未検吋である・ ︵寛政十一年刊︶、﹁戯場粋昌鞭之外﹂︵文化三年︶、半紙 本であるが﹁戯場訓蒙図莱﹂︵享和三年刊︶等、芝居と深い ることは出来ないだろう。 関辿を持つものが多く芝居を無視して三馬の滑稽本を理解す 34 二年間四月九日、京、因幡薬師、姪子屋座上演の同作による *9 に従わない初霜をも殺す。 おどし逢瀬を約束する。紅平は三平を妬んで殺害し更には己 る。 ものであるが内容は原作を離れ、怪猫の働きを主としてい 蝿訓嘩癖輝錘識謎誕燕嚇僅剣ハ冊︵Ⅲ編・後編各三冊︶ 三平の仲・勝五郎、同家老・谷十次兵衛は敵討に出立し、 下僕・忠介は後家になった浪路を守って国へ帰る。勝五郎・ 門人古今亭三胤校蝋広凹文化五年刊 轆筆鬼児島名誉仇肘八冊︵川細・後編各四冊︶蝋川画文 に合巻して大合巻と号し、西宮にて充出させけるが、読本ま 文化五年刊の右三作について三馬は﹁⋮⋮⋮此三極を一緒 化五年刊 嘩需塞珪復醗宿六始十冊︵Ⅱ綱・後報各五冊︶竪囚画文 化五年刊 十次兵術は紅平の兄をたずねて奥州へ旅立ち、紅平の兄を斬 一方、紅平は虚無佃と身をやつし遠州を旅する折、浪路及 るが、その際の疲れで十次兵術は死ぬ。 勝五郎は九十九新左衛門に剣術を習うこととなり、その娘 び忠介の妻を切る。 つが傷寒の病で菱となり非人に身を落して村人に面倒をみて 白あやに見染られる。新左衛門に心をあかし敵討のため旅立 がひの趣向大きにはづれたり、されど常の合巻にては鬼児島 しら もらう。偶然、忠介に出会う。 吾m 評よし、⋮:⋮・﹂︵式亭雑記︶と述べている。 これら計二十四冊を半紙本形合巻︵六冊︶にまとめて沓郎 紅平は亡霊になやまされ疲れ果てていたがやっと回鯉し主 る。勝五郎は新左衛門の所での朋友・松本主叶の助太刀を 人の代理の伊勢参宮の冊途東海迫を下って小田原にさしかか る。しかし同年刊﹁両禿対仇対﹂︵鏑蜘けいせいざう里打︶ 西宮から刊行するという新機軸を案出したが失敗した様であ は﹁⋮⋮⋮此とし︵文化五年11錐者紘︶剛屋金肋板にて両 得、忠介と共に箱根権現の祉川で敵を付ち果す。足なえも癒 り、白あやをめとり五百石の加墹となり主計と共に将耶に仕 禿対仇鋤十二冊もの絵入かなばかりのよみ本、まがひ合巻に の正本といふものに微へる也⋮⋮⋮﹂︵式亭雑記︶とある橡 て発免、“典大きに排よし、彼十二冊もの搾挫華は、むかし える。 かたむうち主め判どしだに 四年刊 に半紙本仕立、上中下三冊・各二十丁の大合巻として版行さ 復鰯蝿號谷六冊︵Ⅱ綿・後細各三冊︶班似凹文化 江戸文学辞典︵陣峻康隆著︶に詳しいので竹略する。氏の れ好評であった。とにかくこの年三馬は﹁雷太郎強悪物語﹂ 本胸 指摘された通り本作は寛政十一年八月八日より大阪、山下亀 ﹁敵討安達太郎山﹂︵文化三年刊・前出︶に続いて草双紙の ゆきのなどこるよめおどしだに 松座︵中座︶で上演された﹁雪国嫁威谷﹂、また寛政十 一 一 一 - - 』 弱 った。 ②、鬼児島名誉仇討 梗概l元弘年川相州の金沢右蝿助貞冬が残し跡側相続の 体裁上の新案を試みようとしているのであるが、それには合 争いが始まる。側室・蘭の方の子、春太郎は十八才である 巻の挑本化といった性格が一貫して色捜く窺われる点に注目 しておきたい。以下、右の三作の内容を検対してみよう。 らむ。一方、右馬助の正妻はさきの年亡くなり花若満六才が が、守り役の家老蛭巻郡司左術門は側室と密通し好汁をたく ①御堂脂 未 刻 太 鼓 本書は直接にはこの年九月九日より市村座で上演された 正嫡、家老の花形刑部安国という忠臣が守り役となり、家中 *皿 ﹁鴫響御未刻太鼓﹂l文化三年七月二十八日から中村座で 本皿 上演された﹁初紅葉二水仇討﹂も﹃伊賀越乗掛合羽﹄と﹃御 両派に分れ紛争を続ける。 力士だだがたけ鉄右衛門双方立合と決る。角五郎が勝って家 花形刑部の召し抱え力士鬼児島角五郎と蛭巻郡司左衛門の抱 右馬助のあとつぎを決めるため角力の勝負をする郡になり 堂前敵討﹄とを一緒にした狂言で大当りをとったというI 梗概ll伊予の宇和島、岩志殴の臣、岡山小左衛門の一 の人気をあてこんだ作品である。 子・小平は朋雅の浪崎大蔵を対って立退き、阿波囚徳脇家の 督は花若君に決する。 魂川の川越人足を買収して角五郎に喧嘩をしかけさせる。役 れていたが敵討に来たとのしらせに返り討にしようとし天 郡司左衛門は手下の喜茂八・忠内・徳平と遠州浜松にかく ちに出立する。 狗太郎坊との力競べに負けて改心し、信之丞一行と共に敵討 は件の勝負以来激慢になっていたが山伏に化けて現われた天 沢山孝太夫、その娘お町、敵討ちを決意する。鬼児脇角五郎 刑部の一子信之丞、饗おてい、その子虎の肋、諮代の家来 司左術門は刑部を切る。 邪毎に刑部に兇破られ失敗する。亡油の百ヶⅡ法甥のⅡ、郡 邨司左衛門は級々の好計を川いて花若君を殺そうとするが 剣術指南・磯貝実右術門の弟子となりやがて阿波に仕え三百 駒しやうり調 その頃〃和尚魚″︵俗にいふ海坊主︶が囎戸に現われる。 石をとる。 嶋川太平︵小平を変名︶はその首を切り、また磯貝は空中に 舞い上った首を射て恩賞に預る。鵠川太平は磯貝の娘お蟹に 恋慕するが断わられ、その恨から磯貝を切る。以下、磯貝の 弟の兵衛門、お雪の恋人で浪崎大蔵の従兄弟に当る友蔵、磯 貝の悴で半身不随の藤介、その恋人おさよなどが敵討をする 顛末を書く。 最後に和尚魚の首が夢の告に表れ、その意恨を哨らすため に敵討を仕組んだ事を語り、その成就を喜ぶ。敵討をした一 同はこののち親驚上人の御門徒に改宗し信心をおこたらなか 36 けていた郡司輔一味の者になぶり殺しにされる。1以上が 噂をⅢいて傭之丞一行駈けつける。侭之丞、孝太夫は待ちう し空に上ってゆく、世にいう神かくしである。角五郎峨嘩の 夜子の刻屋根の上に声ありまぼろしに引まどのわきより飛出 人がかけつけ角五郎は事の済むまで庄屋に預けられるがその とはなしい⋮⋮⋮﹂とあり、巻頭に作者の幼年時代の閃像を さうしにつrりて、わがむかしにおなしき子どもしゆの淡柄 ⋮⋮⋮二十余年のいにしへをしたはしく、ことし墹袖十冊の きて、わが父金銅殿の名犬といへるむかし語をし袷へり、 雀、花咲ぢちのたぐひも、夫からノーの根問にはなしの種つ 比なしぐさ 削細で、後細では鬼小脇神がくしの行〃、侭之丞お輿かへり の忠臣・金射肋五郎の塙犬し出丸の働きを中心に背かれてい やどや 掲げている。内容は相模入道間時が闘犬を好む磯をパ蛾にそ る。 肘、孝太夫の蝿お町が身光りして千辛万苫の末敵対を遂げる 顛末が苫かれている。 金銅の隣人梢谷六郎太夫は候好邪智の人物で尚時の侍女桔 る。二人の亡霊がよなよな宿六の家へ現われそれを宿六の家 演劇のお家騒助の世界を投定し普通の敵吋の筋にまとめた 伝来の正宗の名刀が追いかける。尚時が名犬を集めた際に肋 と密通したとざん言し、間時の命令で二人をなぶり殺しにす 五郎はその愛犬し洩丸を出し惜しみしたが、その邪を描六が 梗に拒まれた恋の恨みを哨らす為に忠臣かるかや二郎が桔梗 の序文では、羅山文集を引川して﹁天狗﹂について説明し文 囲気をつくる処に作者の狙いがあったものと思われる。三馬 ざん苫する。しかし、し抵丸は尚時寵愛の夜叉九との勝負に て新味を盛り、﹁愛宕天狗・太老坊﹂を出没させて怪奇な劣 末は、﹁⋮⋮⋮猶如人海有鯨鋭又笑疑塗々﹂としているが、 勝って却って祢砿される。。⋮⋮・・等、亡遜とか耐六承に飼わ 作品であるが、﹁脚下開山力士・鬼児勘角五郎﹂を登場させ この﹁天狗﹂﹁鯨餓﹂といい、また﹁和尚魚﹂︵御堂満未刻 れている狐とかを釜場させ奇惟な雰囲熱の中に謡はすすめら 骨吃 すもので﹁紺太郎強恕物磯﹂︵肌述︶の場合の﹃搬獣﹄とⅢ 太鼓・伽出︶といい併せて作者の新奇な糸材を狐うな企を示 むかし咄とか珊璃との関係の洋細は米検付である。 の壗犬白石丸にあたると思われるが、三蝿が幼少の頃きいた 拠るところがあり、﹁金刎殿の端犬﹂というのはこの抑瑠璃 本作は服徳四年四川、竹本座初油の﹁相椣入遊千疋犬﹂に れている。 った糸材が合巻作品の中で特に、泳ぎ上った嘘があるのは否 槻の性絡が蝿められる。洸本の彩稗が考えられるが、こうい めない。 ③復醗宿六始 三馬序文に﹁⋮⋮⋮いとけなき頃父のふところに抱れべ夜 毎にむかし咄をきくに、もも太郎、かちかち山、したきり 一一一一沙 37 人炊川凶貞は、どもの又平の絵ざうし初筆也、此とき大きに しが、閥太郎にまさりて大あたりなりし、.⋮・・⋮歌川製図門 助太刀八冊もの詩趨“十粁店西村班ハ板にてうり出せ ﹁⋮⋮⋮共弧年趣郊赤発市、どもの又平大沸土産墹画の る。︵前細上︶ うけるもとと将監を自宅へ招待し毒殺しようとして失敗す 押えられる。将監両人の和睦を計るが雲谷は件の艶書は恥を ばれる。雲谷は絵絹のため切り落した小指と艶書とを将監に 監の娘絵紺に恋蕊するが藤太郎は将監の下僕笛作の仲蝶で結 而目をほどこしたに反し銭芥は笑いものにされる。両人は将 た。殿に命じられた側寺うし仏の山来の巻物作成も藤太郎が すぐれた川の上手であったが鋲芥は拙く性絡もひねくれてい 評よくて、其翌年よりますます行はれて、今一家の浮世絵師 年刊 吃又平名画助刃八冊︵刑細・後細各四冊︶旧貞剛文化五 大だてものとなれり⋮⋮⋮﹂︵式亭雑記︶と述べている様に 殿の奥方は徽宗皇帝の画いた脈の軸を近松御坊へ納めよう とされる。将監その他お供をする。嚢谷は家来の犬上団八に の好叶は成功して両人は追放となるが、将監の申し出でで霧 命じて柚をうばいその箱に藤太郎・絵紺の艶杏を入れる。こ ある。 この作肪は大当りで側時に絵師国貞の出世の緒となった訳で 三嶋序に断ってある嫌に﹁⋮⋮⋮迅小税は簡に近松翁の群 宝永五年竹本座初拭の近松作﹁傾城反魂香﹂︵三段・時代世 ず、吃又平が金心鉄腸の忠義伝を帆鍬﹂したもので、つまり は藤沢の術でまちぷせ返り跡にしようとしてあぶれ者を頼ん 太郎、絵紺、雷作は敵付のため東川へ出立する。雲秤、団八 御坊よりの婦途待ちぶせていた巽芥、団八に射殺される。藤 梓にも不義の罪がある蛎が分り共に追放される。将監は近松 じゃうるり たる側城反魂香の雑劇那曲を脈し、不破潴古腿が吏峨は取ら して上巻の内容を敵対の筋にまとめた作品である。 にこまり乞食に零落する。鋲谷、団八ある夜爾作等の小屋を 宙作は絵紺を介抱して藤沢の浦で敵のありかを探すが薬代 尊像の奇持で息を吹き返す。︶、絵紺は狂気となる。 で噛嘩をしかけさせる。藤太郎は絶命︵後で肌守りの如来の 話物︶の中巻︵不破伴左衛門、名古屋山三肇場︶を省き主と 直接には歌舞伎の﹁傾城反魂香﹂︵享和元年十月六日より 中村座、文化四年十月二日より市村座、文化六年八月十六日 スや。 より森山座において上演︶の人気をあてこんだものと恩われ 逝され吃の身で大津のはずれに老母を謎っていた。将監が肘 浮世又兵衛はもと奥州の産で将監に師聯したが訳あって勘 鯉い返り肘にしようとする。︵川細下︶ に土佐将監光信があり、その若い弟子に小栗職太郎宗商、良 梗概l永正のころ近江岡六角左京太夫頼擬に仕える画工 谷部誤谷という相弟子があった。藤太郎は小堀宗丹の子孫で 餌 たれた事を知り敵討のため諸国遍路画道修業を志している。 て悪いと知りつつ切られた沙弥市の財布を拾いとる。その金 市の帰路を襲い金を奪おうとする。そこへ偶然お鉦が来合せ い返す。絵細の案内で墾谷になぶり殺しにされた雷作の末期 でお錐は件の掛軸を買うが偽ものであった。又平はその売り 弥市は雲谷にまねかれ仙台浄珊璃を語っている。団八は沙弥 に会う。又平の要は長燗の溌母を介抱していたが貧苦にせま 犬上団八が絵紺をさらって退くところへ又平来合せ絵綱を恋 り一子福六と共に三味線ひきとなり放謝をうけて幕してい 絵絹をみた医者は申歳・月・日生れの人の生血があれば癒 宗皇帝のかけものはこの団八が所持していた。又兵衛、藤太 となったことを悔い、これまでの罪ほろぼしに自害する。徽 団八は実はお筆と双生児の兄妹であった郡が分り、互に敵 手こそ敵と追いかけるがすでに出立している。 るという。又平、その母、悴の福六がそれに当るので又平は る。そこへ又平が絵絹をつれて帰郷する。 苦しんだが自分が死んでは敵を討つものがいなくなるので福 る。その時二階で老母が自決する。又平の吃を癒そうと思 た。めでたく敵をうって藤太郎、絵紺は帰参が叶い、又平親 が、それは石面に画いた敵討出立の画姿が加勢に来たのだっ をよぶ、また雷作の幽霊助太刀する。又平の姿二つとなる 雲谷は屋根の上に逃げるが又平の画いた熊臘が飛出して友 郎、絵紺、お筆は雲谷を討ちに向かう。 い、同年、岡川、同時生れの人の生血を与えよという近松御 六を殺そうとする。福六は従賦に親の意に従い死のうとす 坊のお杵げに従ったのであった。そこへ藤太郎が訪ねてきて 浄矧璃﹁倣城反魂番﹂で狩野四郎二郎元僧が武隈の松を描 子も共に召し抱えられる邪になる。 いたのは小堀藤太郎が関寺うし仏の由来の巻物を作るという 又平は土佐の潴字を絵紺に願うが詐されない。母を殺し弛 絵綱の狂熱はそれで癒る。 みもたたれたので自害する決激をする。ただ敵対の御供が出 話に、また長呑部雲谷は氏名、性格とも同棟に書かれてい る。又平が手水鉢に描くところ又平の画いた大津絵の畷・人 絹の狂気、雲谷の雷作殺しの惨忍さ、福六が死ぬ覚悟をする ただ浄瑚璃の上巻だけをより簡明に敵討ちの筋にまとめ絵 物が闘いの手伝いをする点も、勿論両作に共通する。 来ないのを残念がって、せめて敵討へ出立の画姿を止めよう と石の手水鉢へ画く。策の跡が石の裏へ透る。︵後継上︶ る。雲谷主従は諸国をさまよった末、大津のはたごやに泊 可憐さ、等をつけ加えている。 又平は土佐の名字を許されまた母の生血を戴いて吃もなお る。遊びの金につまり徽宗皇帝の鷹の掛軸を売ろうと猫の亭 *鱈 主に相淡する。又平の妻お筆はこの話しを側いて身売りして 代金をつくりその掛ものを買いとろうとする。又平舎弟の沙 戸 一 − 39 陸 ︵1︶文化三年刊の作品の中司﹃小野漣腿字尽﹄﹁船頭深話﹂の 二作品を扱う。他は前稿︵本舗築皿﹁式亭三脇ノート目﹄ ︶で解挽した。 戸町人文学L ︵2︶﹃浮世風呂の成立l江戸文芸としての検討L国語と国文学。 昭和三九年五月号 ︵3︶酒落本大系・十二巻・解説、岩波講座日本文学史可後期江 ︵4︶評釈江戸文学護書・滑稽本集・解説可人情本の前の泣本﹄ ︵5︶板橋雑記・下に登場する ︵6︶日本文学大辞典 ︵7︶寛政十年に後紹句蝿相案文当字揃﹂出版。天保十年歌川国 芳閲で前後耀再板。 ︵8︶側本歴史新書﹁寺子腱L石川搬・二一七瓦・二二八頁。賜 搾にはこの作の他に司女蛾花脇文莱﹂がある︵近世物之本 江戸作者部類・暁木・馬寒の項︶。 ︵9︶上波年月日その他は可歌舞伎年表﹂︵第五巻︶による。 ︵、︶それた、普通の合巻仕立でも刊行している。 ︵皿︶浄瑠璃﹁敵討未刻太鼓﹂︵三段︶長谷川千四作享和十二 年正月十五日より竹本座初波による ︵狸︶以下の梗摂は省略する。 ︵過︶文化五年刊行の三馬合巻の中で、﹁両禿対仇討﹂﹁蜂蛇於 長撒草紙﹂﹁復鰯両跨塚L﹃難有孝行娘Lは院稿に収録の 予定、﹁力鍾稚敵討L﹁有田唄お独仇討﹂は未見。
© Copyright 2024 ExpyDoc